2:アジアに多発する口腔癌(口腔がん)

1. 意外に多い口腔癌(口腔がん)

 日本を含めた西欧諸国における口腔癌(口腔がん)の頻度は、癌(がん)全体の数パーセント程度と少なく、あまり注目を集めることはないが、インドを中心とする南アジア,東南アジア地域では全癌(がん)の約30%と高頻度に発症し、これらの地域の人口(約15億人)を勘案すると、地球上に発生する癌(がん)の相当な割合を占めている可能性が推察される。

 この原因として、これらの地域に特異的な生活習慣である噛みタバコの習慣が重要な役割をなしていることが疫学的調査により明らかとされている。

 この噛みタバコの習慣に起因する口腔癌(口腔がん)については、病理組織学的解析、疫学的調査さらに分子生物学的解析などが報告されているが、予防対策はほとんど行われておらず、発生率は依然として高いのが現状である。

 ここでは、噛みタバコの習慣により生じる口腔病変について概説するとともに、我々のグループが行っている口腔癌(口腔がん)予防についての取り組みを略述する。



2.噛みタバコ(Betel quid)の習慣

 噛みタバコの習慣は少なくとも二千年前に遡ることができ、当時の噛みタバコは betel leaf(黒コショウ科植物の葉)、areca nut(ヤシ科植物の実)、slaked lime(消石灰)で構成され、これらをガムの様に咀嚼し行なわれていたが、大航海時代の16世紀頃にポルトガル人らにより tobacco がもたらされ、これを混ぜて噛む習慣が一般化している(図1)。

 この習慣は全世界で約6億人、すなわち全人類の約10%が何らかの形で常習していると推計されている。

 現在、我々が口腔癌(口腔がん)の予防を行っているスリ・ランカでも同様の習慣となっており、噛みタバコにより多幸感や空腹を紛らわしたり、歯の痛みを抑えたりする効果のあることが指摘されている。

噛みタバコ



3.噛みタバコによる口腔病変

 噛みタバコ中のareca nut には arecolineなどのアルカロイドが含まれ、これが口腔内tobaccoと咀嚼することによりニトロソ化を受け N-nitrosamines が出来、発がん物質としてDNAやタンパク質と相互作用をするとされている。

Slaked lime は強アルカリで粘膜下組織に炎症を引き起こすとともに、slaked lime の水酸化カルシウムが areca nut の存在下で活性酸素を産生し,噛みタバコ常習者の口腔粘膜の DNA に損傷を与えることが報告されている。

一方、Betel leafの発癌(発がん)性についての報告は無く、むしろ抗酸化作用を果たしているとの報告もみられる。

 噛みタバコの習慣により生じる口腔内の変化として、白板症が第一に挙げられる。

粘膜上皮の増生を主体とするこの病変は、WHO の分類ではhomogeneous型と non-homogeneous 型に別けられ、non-homogeneous 型の内 nodular タイプと呼ばれる白板症は癌(がん)化する可能性が高いことが指摘されている。

 次いで、噛みタバコ常習者に特徴的な病変として、粘膜下線維症があり、口腔粘膜全体が侵され、粘膜が硬く白色を呈し、灼熱感、開口障害などの症状が特徴的で病理組織学的には初期では粘膜下にリンパ球の浸潤が見られ,進行すると粘膜下の線維の増生とともに粘膜上皮の過角化が認められるようになる。

この粘膜下線維症の約 7.6% が発癌(発がん)すると報告されている。

 主として、これらの病変を経て口腔癌(口腔がん)が発症すると考えられている(図2)。

扁平上皮癌



4.遺伝子変異

 噛みタバコの習慣による口腔前癌(がん)病変・癌(がん)病変についての遺伝子変異はほとんどわかっていないのが現状であるが、いくつかの報告はなされている。

 多くのがん病変で変異の認められるp53遺伝子は、我々が行なったスリ・ランカの噛みタバコ常習者の口腔がんで43%に変異が認められ、その約半数はエクソン5に集中し、通常の点変異 (point mutation)に加え,塩基の欠失,挿入なども同定された。

この現象は西欧諸国や日本の例では観察されず、噛みタバコの特定の成分が DNA のある特定の部分をターゲットとして作用している可能性が示唆されている。

一方、前がん病変ではエクソン5に集中することはなく、広く点変異が同定されている。

これらの現象より、癌(がん)化の過程においてエクソン5に変異のあるものが選択的に増殖するのではないかと考えている。

また、西欧諸国や日本の口腔癌(口腔がん)ではras遺伝子の変異はあまり認められないが、噛みタバコ常習者の口腔がんでH-ras、K-ras 遺伝子の変異が高頻度に認められる報告もなされている。

さらに、解毒酵素の一つであるグルタチオン-S-トランスフェラーゼの遺伝子多型でも、口腔癌(口腔がん)患者や、前がん病変を有する患者にこの酵素の欠損が多く認められることが示されている。

 一方、噛みタバコを常習していても口腔がんにならない人がいる。

これは発癌(がん)物質に対する感受性の違いによるためと考えられ、これを規定する因子の一つであるチトクローム p-450の遺伝子多型を検索すると、areca nut 中のarecolineをニトロソ化するp-450 2A6の欠損型の人に発がんリスクの低ことが見い出されている。



5.予防対策

 インドでは、医療関係者に対して口腔病変の教育を行い、地域住民を数万人規模でスクリーニングを行い,non-homogeneousの白板症があれば積極的に切除し、噛みタバコの習慣を止めるように教育する一次予防活動を行い一定の効果を上げている。

また、化学予防として、インドでビタミンA を用いた検討が行われ、短期的には効果があったが、副作用や投与を止めると再発するため、その後は行われていない。

 現在、我々の研究グループでは、抗酸化剤を混合したチューインガムを開発し、スリ・ランカにて噛みタバコ常習者で前がん病変を有する患者に与える無作為抽出介入試験を行ない、途中経過ではあるが良い成果を収めつつある。



6. おわりに

 噛みタバコで誘発される口腔がんという因果関係の比較的はっきりとした、単純な系での予防対策であるが、アジアの社会・文化・経済的背景を考慮し、低コストで継続的に行うことができる体制を整備する必要を痛感する。

また,生活習慣に根ざすことより、単発的な政策、あるいは病院をベースにした対策では効果は期待できず、コミュニティレベルからの教育体制を含めた口腔保健対策など、様々な観点から対策を考慮する必要があると考えている。

 我々のグループでは、これらのことを包括的に考えるために2004年11月にスリ・ランカで国際口腔がん予防ワークショップの開催を企画・準備している。



がん予防研究会 News Letter より

お口の病気

1: 手遅れになり易い口腔癌(口腔がん)

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4: 咬み合わせでお悩みではありませんか?

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10: 体質と口腔病変