[いつか晴れた日に(分別と多感)] [デビッド・コパーフィールド] [ハワーズ・エンド] [ダロウェイ夫人] [つぐない(贖罪)]
放送大学岐阜学習センター 平成21年度第1学期 面接授業 内田勝(岐阜大学地域科学部)
映画で読むイギリス小説 第1部 (2009年04月18日 9:30-10:55)
オースティン原作『いつか晴れた日に』(『分別と多感』)
*参照した映画:アン・リー監督『いつか晴れた日に』(日本公開1996年)
引用文中の[…]は省略箇所、[ ]内の文字は原文のルビ、【 】内は私の補足です。
===============================================================================
[1]オースティンの小説はたいてい、英国の田舎を舞台として、お金の話と結婚の話だけで読者をぐいぐい引っ張っていきます。作中、人生の大きな、あるいは小さな選択を迫られるたびに、【『分別と多感』の】エリナーや【『マンスフィールド・パーク』の】ファニーはほとんど間違えませんし、【『説得』の】アンは遠回りを強いられますし、【『高慢と偏見』の】エリザベスはちょっと間違えますし、【『ノーサンガー・アベイ』の】キャサリンと【『エマ』の】エマは何度も失敗します。けれど、最終的に正しい選択——しかるべき男に手を「取らせる」——をするのでした。
何度も読んで、内容をよく知っているのに、新しい訳が出るたびにまた新鮮な気持ちで読めてしまう。なんなんでしょうね、この魔力は。
魔力といえば、『分別と多感』のライヴァルキャラであるルーシーなんて、美人なんだけど清潔感ゼロ、なんだか角田光代の小説に三人称で出てきそうな無気味な女ですし、男性陣や年長者など、脇役のキャラの立ちかたも尋常ではない。谷崎潤一郎の『細雪』を読んでもあきらかなように、結婚小説は恋愛小説の一〇〇倍スリリングなのです。(千野『世界小娘文學全集』p.69)
[2]オースティン Jane Austen(1775-1817) イギリスの女流小説家。12月16日、ハンプシャーの小村スティーブントンに牧師の娘として生まれ、文学好きの家庭の雰囲気にはぐくまれ、少女時代からS・リチャードソン風の書簡体小説や風刺的なパロディーを試みていたが、しだいに本格的な小説を書くに至った。1801年に父の隠退とともにバースに移り、さらに父の死後、母姉とともにサウサンプトンに移った。その間二、三の断片的な作品を除いてあまり創作はしなかったが、09年故郷に近いチョートンへ移ってからふたたび創作活動に専念した。まず以前の原稿に手を加えて、11年に『分別と多感』を、ついで13年には若いころ『初印象』の題で想を練っていたらしい小説に手を加えて『自負と偏見』を出版した。以後14年には『マンスフィールド・パーク』、15年には『エマ』が出版され、油ののった創作活動がなされた。しかし翌16年より健康の衰えがみられ、17年5月にはウィンチェスターへ行き病気治療に専念したが、同年7月18日、生涯独身のまま同地で没した。翌年遺作『説きふせられて』と、初期の作で出版の機会がなかった『ノーザンガー寺院』が同時に出版された。
彼女の小説は18世紀の多感な(女)主人公の苦悩を扱った小説やゴシック小説などに対する批判から出発して、そうした小説に多い、型にはまった筋書きや人物と意識的に異なったものとなっている。彼女の作品では、田舎[いなか]の数家族を中心とした上・中流の男女の恋愛と結婚の物語を通じて、やがて女主人公が多くの間違いから目覚めていく過程が中心となっている。題材も狭く、同時代のスコットの華やかな表現もないが、18世紀特有の道徳意識を根底にした人生の批評と、限られた世界を描きながら、鋭い批判を含んだ優れた人物の創造、物語の劇的展開を可能にしている叙述の方法などによって、イギリス小説史上一流の地位を占めている。(榎本太「オースティン」『日本大百科全書』[小学館、無料オンライン百科『Yahoo!百科事典』<http://100.yahoo.co.jp/>より])
===============================================================================
[3]人間の生活には理性が大切か、感情が大切か。どちらも大切に決まっているが、どちらかが過剰になると、いろいろ困った問題が生じる。冷たい理性一点張りでは生きている甲斐がないし、感情に溺れすぎると人さまに迷惑をかけるし、自分の身の破滅を招くことにもなりかねない。
十八世紀は理性の時代と言われるが、ジェイン・オースティンが生きた十八世紀末から十九世紀初頭にかけて、時代の空気は理性重視から感情重視へと大きく舵を切りはじめた。理性によって感情を抑制することよりも、感情を思いっきり解放することに大きな価値と喜びを見出すようになった。
オースティンはこの大きく変わりつつある時代の空気を背景にして、理性的な姉と情熱的な妹を主人公にした小説を書いた。姉エリナーは「感情も豊かだが、自分の感情を抑制する術を知っている」。一方、妹マリアンは「何事においても情熱的で、悲しみも喜びも激しすぎて、節度を欠くきらいがある」。このふたりの対照的な性格と言動を描いて、人生における理性と感情の問題を考えようというわけだ。(オースティン『分別と多感』p.529、中野康司「訳者あとがき」より)
[4]ふたりはどんな男性に恋をするか。エリナーが思いを寄せるエドワードは内気な性格で、容姿も態度もぱっとしないが、頭のいい誠実な青年で、何よりも「家庭の幸福と静かな私生活」を望む良識の人である。一方、マリアンが激しい恋をするウィロビーは男性的な美貌と、溢れるような気品と、情熱的な性格を備え、「マリアンが愛読する物語の主人公」のような青年である。
どちらもたいへん似合いのカップルで、すぐにすんなりとゴールインしてもよさそうだが、それぞれに不似合いな人物が絡んでラヴ・ストーリーは若干紆余曲折する。ルーシー・スティールは美人で利口そうだが、お世辞とご機嫌とりが上手で、「繊細さと正直さと誠実さの完全な欠如」が見られ、エドワードにはまことに似つかわしくない女性なのだが、ふたりの間に過去に何かがあったらしい。一方、ブランドン大佐は無口で重々しい感じで、三十五歳を過ぎた「老いたる独身男」で、十六歳の情熱的なマリアンにはまったく不似合いなのだが、傍目にもわかるほどの真剣な思いをマリアンに寄せる。さて、二組の三角関係はどうなりますか。(オースティン『分別と多感』p.530、「訳者あとがき」より)
[5]【小説の冒頭。本筋に直接関係のない、主人公の大伯父(父の伯父)の話から始まるので分かりにくい。】
ダッシュウッド家はサセックス州の旧家で大地主だった。屋敷はノーランド・パークと呼ばれ、広大な所有地のほぼ中央にあり、一族は数世代にわたってここで立派な暮らしをし、近隣の人々の信望も厚かった。先代の当主は生涯独身で通し、長寿を全うした。姉が長年同居して、女中頭の役を果たした。しかし、その姉が彼より十年ほど先に亡くなると、ノーランド屋敷に大きな変化が生じた。姉が亡くなると、先代は甥のヘンリー・ダッシュウッド一家を屋敷に迎え入れたのである。ヘンリー・ダッシュウッド氏は、ノーランドのすべての所有地と屋敷の法定相続人であり、先代も法律どおり、この甥にすべての財産を譲るつもりだった。先代は甥夫妻とその三人の娘たちに囲まれて、晩年の十年間を幸せに過ごした。(オースティン『分別と多感』p.7)
【この三人の娘が、エリナー(19歳)、マリアン(16歳)、マーガレット(13歳)であり、長女のエリナーがこの小説の主人公である。語り手はもっぱらエリナーの視点から物語を語っていく。】
[6]【エリナーとマリアンの人物紹介】
長女のエリナーは、すぐれた知性と冷静な判断力をもち、まだ十九歳だが、母親の相談役を立派につとめることができた。しばしば軽率な行動に走る母親の気性の激しさを抑えることもできた。一家にとって、まことに頼りになる存在だった。エリナーはまた、すばらしい心の持ち主だった。愛情豊かで、感情も豊かだが、自分の感情を抑制する術を知っている。感情の抑制は、エリナーの母親がこれから覚えなくてはならないことなのだが、ところが妹のマリアンは、感情の抑制などぜったいに覚えたくないと思っていた。マリアンの能力と才能は、多くの点でエリナーにまったく引けを取らなかった。姉に劣らず頭が良くて、観察力も鋭い。だが何事においても情熱的で、悲しみも喜びも激しすぎて、節度を欠くきらいがある。心の広い、気立てのいい、魅力的なお嬢さまだが、唯一の欠点は慎重さに欠けるということだ。(オースティン『分別と多感』p.12)
【さて、エリナーたちの父ヘンリー・ダッシュウッドは、大地主だった伯父から屋敷と土地を受け継いだのだが、ヘンリーが死ぬと、遠からずエリナーたちは屋敷を追い出されることになる。なぜか?】
【当時のイギリスの地主階級は、広大な土地を分割せずに何代も伝えていくために、「長子相続・限定相続」という制度をとっていた。この制度のもとでは、親の土地は長男だけが相続する(長子相続)。次男以下や女子には相続権がない。また、土地を相続した長男は、その土地が生み出す収入を得ることはできるが、その土地を売ったり借金の抵当に入れることはできない(限定相続)。なお、子どもが女子しかいない場合は、傍系の男子(甥など)が土地を相続することになる。】
【先代のダッシュウッド氏は独身で子がなかったので、死後は甥のヘンリー(主人公エリナーの父)が地所を受け継いだ。ヘンリーは2回結婚し、先妻との間に男子ジョンをもうけていたが、現在の妻との間には3人の娘しかおらず男子がいない。そのためヘンリー・ダッシュウッド一家が暮らす地所は、ヘンリーの死後は先妻の子であるジョンが受け継ぐことになる。そうなるとヘンリーの妻と娘たちは、ジョンの居候になるか、屋敷を出ていくしかない。】
【ヘンリーは死の直前、今の妻とその娘たちを経済的に支援してくれと、先妻の子ジョン・ダッシュウッドに頼むが、すでに裕福でありながら強欲なジョンは、さらに欲張りな妻のファニーにそそのかされ、いっさいの経済的援助を行わないことにする。】
[7]【欲張りなファニーが夫のジョン・ダッシュウッドをそそのかす。】
「あなた、ちょっと考えてみて。お義母さまと妹さんたちは、お父さまの遺産の七千ポンドの利子だけで、十分裕福に暮らせるわ。それに妹さんたちは、先代のダッシュウッド氏からそれぞれ千ポンドずつ頂いているのよ。その利子がそれぞれ五十ポンドずつ入るわ。もちろんそこから母親に食費を払うでしょう。とにかく合計すると、あの人たちは年に五百ポンドの収入があるわ。女四人が暮らすのに、それで何の不足がありますの? 女四人の生活費なんて高が知れてるわ。食費以外はほとんどかかりゃしないわ。あの人たちは馬車もないし、馬もいないし、召使もほとんどいらないし、社交界のつきあいもないし、何の出費もないんですもの。[…]。そのうえあなたが上げるなんて、考えるのもばかばかしいわ」(オースティン『分別と多感』pp.19-20)
【当時の1ポンドは現代日本の1万円にほぼ相当すると考えると、この小説の金銭感覚がつかみやすくなる。】
【ここでファニーが行っている計算によると、エリナーの一家の資産は、父ヘンリー・ダッシュウッドの遺産7,000ポンドに加え、ヘンリーの伯父である先代のダッシュウッド氏からエリナー、マリアン、マーガレットにそれぞれ1,000ポンドずつ遺贈されているので、全部で10,000ポンド(ほぼ1億円)ということになる。当時の金利は年5%なので、一家の利子収入は年に500ポンド。複数の使用人を抱える地主階級としては、かなり苦しい金額。】
【ファニーとジョンの夫婦はエリナーたちの屋敷に乗り込んできて、エリナーたちは居候の身となる。しかも屋敷を訪れたファニーの弟エドワード・フェラーズとエリナーが互いに好意を持ってしまうと、状況はさらに悪化する。】
[8]ファニー・ダッシュウッドは、弟のエドワードがエリナーに好意を持っているらしいとわかると、どの程度の好意であろうとたちまち不安になった。そしてこれはよくある話だが、未亡人一家にたいへん失礼な態度を取るようになった。さっそくダッシュウッド夫人【エリナーの母】を侮辱する機会をとらえ、弟エドワードの莫大な遺産、二人の息子に立派な結婚をさせようという母フェラーズ夫人の固い決意、そして、エドワードを誘惑しようとする若い女性にふりかかる危険などについて、あてこすりたっぷりに話した。あまりの露骨さに、ダッシュウッド夫人はそのあてこすりに気づかぬふりもできず、冷静さを保つこともできなかった。軽蔑をたっぷりこめた返事をし、憤然として部屋を出てゆき、断固決意した。どんな面倒があろうと、どれだけの費用がかかろうと、すぐにここを引っ越そう。大事なエリナーを、一週間でもファニーのあんなあてこすりにさらすわけにはいかないのだ。(オースティン『分別と多感』p.34)
【ダッシュウッド夫人の一家は、夫人のいとこが所有するデヴォン州の小さなコテッジに引っ越す。エリナーは愛しいエドワード・フェラーズから引き離されてしまったのだ。】
[9]住居としては、バートン・コテッジは狭いながらも小ぢんまりした快適そうな家だった。[…]。ノーランド屋敷と比べたら、もちろん比較にならぬほど小さなお粗末な家だ。でも、家に入ったときはノーランド屋敷を思い出してつい涙が出てしまったが、それもすぐに乾いた。主人たちの到着を喜ぶ召使たちのうれしそうな顔を見ると元気が出てきたし、みんなお互いのために明るく振る舞おうと心に決めた。(オースティン『分別と多感』p.42)
【一家は、ダッシュウッド夫人のいとこの大邸宅バートン屋敷でさまざまな人びとに出会う。なかでも重要なのは、屋敷の当主の妻の母親でお節介焼きのジェニングズ夫人と、地味で寡黙な35歳の独身男ブランドン大佐である。】
[10]ジェニングズ夫人は、莫大な寡婦給与産(夫の死後、妻の所有に帰すように定められた土地財産)を持つ未亡人だった。娘が二人いるが、すでに二人とも良縁を得て嫁いだので、いまは、よそのお嬢さんたちを結婚させること以外何もすることがなかった。(オースティン『分別と多感』p.52、()内は訳注)
【ブランドン大佐はエリナーの妹マリアンに思いを寄せるが、ロマンチックな恋愛に憧れる16歳のマリアンはまるで相手にしない。】
[11]【マリアンが結婚観を語る。】
「ブランドン大佐がそんなに高齢でないことはわかってるわ。もうすぐ老衰で亡くなると心配するような年ではないわ。あと二十年は生きられるでしょうね。でも三十五歳というのは、結婚には無縁な年齢よ」
「そうね」とエリナーが言った。「三十五歳と十七歳の結婚は考えないほうがいいかもしれないわね。でも、二十七歳の独身女性がいたら、大佐の三十五歳という年齢は結婚の障害にはならないと思うわ」
マリアンはちょっと考えてから言った。
「二十七歳の女性は、もう愛したり愛されたりすることは望めないと思うわ。でも、親の家にいるのが居心地悪くて財産もなかったら、妻としての生活の保証と安定のために、看護役を引き受けるかもしれないわね。[…]。でも私から見たら、そんなのは結婚でも何でもない。お互いに相手を犠牲にして利益を得ようとする商取引みたいなものね」(オースティン『分別と多感』pp.54-5)
[12]【「多感」なマリアンの理想の男性はこんな感じ】
「趣味がぴったり一致する男性とでなければ、私は絶対に幸せにはなれないわ。何もかも私と同じ感じ方をする人でなければだめ。同じ本や同じ音楽に、ふたりで一緒に夢中になれなくてはだめ」(オースティン『分別と多感』p.27)
[13]【マリアンが理想の男性ウィロビーに出会う場面。マリアンは妹のマーガレットと散歩に出たのだが……】
突然上空が黒雲で覆われ、激しい雨がふたりの顔を叩いた。ふたりは驚き、残念だがしぶしぶ引き返さなくてはならなかった。わが家より近くには雨宿りの場所もないのだ。でもひとつだけ慰めがあった。ふだんならお行儀が悪くてできないが、緊急事態だから許されるだろう。自宅の庭の入り口までまっすぐに伸びている丘の急斜面を、全速力で駆けおりるのだ。
ふたりは駆け出した。最初はマリアンが先頭だったが、突然つまずいて転倒してしまった。マーガレットは姉を助けようにも止まることができず、そのまま全速力で駆けおりて、無事に丘のふもとに到着した。
マリアンが転倒したとき、二匹のポインター犬を引き連れた、銃を持った紳士が丘をのぼってきた。マリアンが倒れた場所から数メートルと離れていなかった。紳士は銃を置いて彼女を助けに駆け寄った。マリアンは地面から起き上がったが、転んだときに足をくじいて立つこともできなかった。紳士は助けを申し出たがマリアンは断わった。ひとりで立つこともできないのに、乙女の恥じらいから断わったのだと見て取ると、紳士はためらうことなく彼女を抱き上げて丘をくだり、マーガレットが開け放しにしてあった木戸を入って庭を通り、マーガレットが着いたばかりの家の中へと、マリアンを抱いたまま運びこんで居間の椅子に座らせた。(オースティン『分別と多感』p.60)
[14]ウィロビー氏の男性的な美貌と溢れるような気品は、たちまちダッシュウッド一家の称賛の的となった。彼の騎士道精神によって救われたマリアンはみんなから冷やかされたが、彼がたいへんな美男子であるために、みんなの笑い声もいちだんと活気づいた。じつはマリアンは、みんなほど彼の容姿をよく見ていなかった。彼に抱き上げられたときに、顔が真っ赤になるほどうろたえて、家に入ってからも、まともに彼を見ることができなかったからだ。それでもちらっとは見ていたから、みんなの称賛の声に加わることはできたし、マリアンらしい熱のこもった賛辞を呈することはできた。ウィロビー氏の容姿と態度は、マリアンが愛読する物語の主人公から想像したイメージとぴったりだった。(オースティン『分別と多感』pp.61-2)
[15]マリアンを会話に引き込むには、趣味の話をすればいい。趣味の話になったら彼女は黙っていられないし、はにかみも遠慮も忘れてたちまち夢中でしゃべりだす。ふたりともダンスと音楽が大好きだということがすぐにわかり、しかもうれしいことに、ダンスについても音楽についてもおおむね意見が一致した。マリアンはこれに勇気を得て、さらに彼の意見を知りたくなり、こんどは本について質問した。マリアンは自分の好きな詩人たちの名前をあげて熱っぽく語った。二十五歳の青年としては、それまでその詩人に興味がなかったとしても、よほど鈍感でないかぎり、それらの詩のファンにならないわけにはいかなかった。(オースティン『分別と多感』p.67)
[16]ウィロビーはこうしてことごとくマリアンヌの趣味に自分を合わせていくわけだが、マリアンヌは二人は最初から好みがぴったりと一致していると思い込み、ウィロビーをまさに自分が求めていた、運命の人だと思っている。オースティンはこのように、マリアンヌとその恋愛について、かなりからかい気味である。こうして相思相愛となる二人は、他の人がいる前でも、平気で二人の世界を作り上げてしまうようになる。(新井『自負と偏見のイギリス文化』p.37)
[17]ウィロビーがいるときは、マリアンはほかの人間には目もくれなかった。彼のすることはすべて立派で、彼の言うことはすべて正しかった。[…]。ダンスになると、いろいろな人と踊るのが礼儀なのに、ふたりはほとんどいっしょに踊った。いっしょに踊れないときがあると、ふたりで部屋の隅に立って、ほかの人たちとはほとんど口もきかなかった。こういう振る舞いはもちろん物笑いの種になったが、みんなから笑われても、ふたりは恥ずかしいとも思わないし怒りもしなかった。(オースティン『分別と多感』p.76)
[18]【マリアンとウィロビーが婚約しているのではないか、という噂が立つが、エリナーには信じられない。】
たとえ婚約してもすぐには結婚できないかもしれないということは、エリナーにも容易に想像できた。ウィロビーはいちおう経済的に独立しているけれど、あまり裕福とは思えないからだ。[…]ウィロビーの地代収入は年六、七百ポンドくらいらしいが、彼の生活ぶりは明らかにその収入以上であり、実際、ウィロビー本人がたびたび経済的苦しさをこぼしていた。(オースティン『分別と多感』p.102)
【愛しいエドワードから引き離されているエリナーは、妹の傍若無人なアツアツぶりを批判的に見ている。しかも礼儀や常識を重んじる「分別」の持主であるエリナーには、派手で軽薄なウィロビーよりむしろ、地味で重厚なブランドン大佐が好ましく見える。】
[19]エリナーは心配しながら成りゆきを見守った。三十五歳の無口な男に勝ち目はない。相手は二十五歳の元気はつらつとした青年なのだ。エリナーは大佐の成功を祈ることはできないので、大佐がこの恋をあきらめてくれればいいと心から願った。エリナーは大佐が好きだった。重々しくて控えめすぎるが、なぜか気になる人物だ。態度はいかめしいけれど、どこかやさしい感じがするし、あの控えめな態度は、生まれつきの暗さというよりも、何かの挫折感から来ているような気がする。(オースティン『分別と多感』p.71)
【ところが、みんなでブランドン大佐の義兄の屋敷を見物に行こうとしていた日、謎の手紙を受け取った大佐は、理由も告げぬままロンドンへ旅立つ。それを批判していたウィロビーも、ある日急によそよそしい態度でエリナーの一家に別れを告げ、デヴォン州を去ってしまう。突然の別れに泣き崩れ、その後も毎日泣き暮らすマリアン。】
【マリアンの悲しみが少し治まったころ、エドワードがひょっこりエリナーたちの家を訪れる。上流社会の雰囲気に馴染めないエドワードは牧師になりたいのだが、派手好きの姉ファニーや母フェラーズ夫人からは、牧師などという地味な職に就かずに軍人や弁護士になれと勧められ、結局何にもなれずにぶらぶらしているのだという。】
[20]「ぼくもみんなと同じように、ほんとに幸せになりたいと願っています。でも、誰でもそうだと思いますけど、自分が望んだ幸せでなければなりません。ぼくは出世して偉くなっても、幸せにはなれません」
「なれたら不思議よ!」マリアンが大きな声で言った。「富や出世は、幸せとは関係ないわ」
「出世はともかく、富は幸せと多いに関係あるわ」とエリナーが言った。
「お姉さまったら、そんなこと言って恥ずかしくないの!」とマリアンが言った。「お金が幸せをもたらすことができるのは、お金以外に幸せをもたらすものがない場合だけよ。私の場合は、普通に生活できるお金があればそれでいいの。それ以上お金があっても、ほんとうの幸せは得られないわ」
「たぶん私たちは、同じことを言っているのよ」エリナーが笑みを浮かべて言った。「つまり、あなたの言う『普通に生活できるお金』と、私の言う『富』は、たぶん同じものだと思うわ。そしてそのお金がなければ、いまの世の中では、人並みの幸せは得られないと思うわ。この点も意見が一致するはずよ。あなたの考え方が、私よりすこし高尚なだけよ。あなたの言う『普通に生活できるお金』って、どれくらいなの?」
「年収千八百ポンドから二千ポンドね。それ以上はいらないわ」
エリナーは声を上げて笑った。「年収二千ポンド! 私の言う『富』というのは、年収千ポンドよ! ほらね、そんなことだと思っていたわ」
「でも年収二千ポンドなんて、ものすごく控えめな収入よ」とマリアンが言った。「それ以下の収入では、一家をちゃんと養うことなんてできないもの。私の要求はぜんぜん贅沢ではないはずよ。召使が数名、馬車が一台か二台、猟犬が数匹。これを養うには、二千ポンド以下じゃとっても無理よ」(オースティン『分別と多感』pp.128-9)
[21]【他人の性格を正しく見抜くのは難しい。エリナーですら誤解することが多いと言う。】
【エリナーの台詞】「マリアンはけっして陽気な人間じゃないわ。何をするにも熱心で、真剣で、ときどきすごく饒舌になるし、いつも元気いっぱいだけど、ほんとに陽気なときってあまりないわ」
「そうですね、そのとおりですね」とエドワードが言った。「でも、ぼくはいままで、なんとなくマリアンさんを陽気な人だと思っていました」
「私もそういう思い違いをすることがよくあるの」とエリナーが言った。「人の性格を完全に誤解してしまうことが。誰かを実際より陽気だと思ったり、暗いと思ったり、利口だと思ったり、馬鹿だと思ったり。そういう誤解がどこから生まれるのかはわからないけど。本人の言葉に左右されることもあるし、他人の言葉に左右されることもあるわ。自分でよく考えて判断しないから、そういう誤解をすることになるのね」
「あら、お姉さま」とマリアンが言った。「他人の意見に左右されるのが正しいのかと思っていたわ。世間の人たちの意見に従って判断をするのが、正しいのかと思っていたわ。それがお姉さまの教えじゃなかったかしら?」
「いいえ、ぜんぜん違うわ、マリアン。他人の意見に従いなさいなんて言った覚えはないわ。私があなたに注意したのは、あなたの振る舞いのことよ。私の言ったことを誤解しないで。たしかに私はあなたにたびたび注意したわ。私たちの知り合いにたいしてもっと礼儀正しく振る舞いなさいって。でも大事な問題に関して、みんなと同じような考え方をしなさいとか、みんなの意見に従いなさいとか言った覚えはないわ」(オースティン『分別と多感』pp.132-3)
【お節介焼きのジェニングズ夫人は、遠縁のスティール姉妹をバートン屋敷に招き、エリナーたちに紹介する。】
[22]エリナーとマリアンは、約束どおりバートン屋敷を訪れて、スティール姉妹に紹介された。姉のアンはもう三十歳近くて、不器量で、頭も悪そうで、いいところは何もなかった。だが妹のルーシーはまだ二十二、三歳で、かなりな美点が認められた。美しい顔立ちで、機敏そうな目をして、とても利口そうな感じで、ほんとうの優雅さや気品はないけれど、その容姿はたいへん人目を引いた。ふたりの態度はとても丁重で礼儀正しかった。エリナーは、ふたりが絶えず気をつかってミドルトン夫人に気に入られようとしているのを見て、ある種の分別を持った人たちだと認めた。(オースティン『分別と多感』p.168)
[23]もともとマリアンは、無礼、下品、無能、そして自分との趣味の違いにさえ我慢できないのだが、とくにいまの精神状態では、スティール姉妹を気に入るはずはなく、彼女たちからいくら話しかけられても仲良くする気はまったくなかった。エリナーは、自分がスティール姉妹から好かれるのは、マリアンがいつも彼女たちに冷たい態度で接して、彼女たちの親しくなろうとする努力をいっさい受けつけないからだと思った。エリナーへの好意は、スティール姉妹の言動にすぐ表われ、とくにルーシーは、あらゆる機会を逃さずエリナーに話しかけ、自分の気持ちを気軽に正直に話してなんとか親しくなろうとした。
ルーシーは生まれつき頭は良いほうだった。彼女の言うことはしばしば正しくて面白いし、三十分くらいの話し相手としては楽しいとエリナーは思った。でも残念ながら、その生まれつきの能力は教育によって磨かれたことはなく、ルーシーは無知で無教養だった。いくら自分をよく見せようとしても、ルーシーの知的訓練の不足と、常識的な事柄に関する知識不足は、エリナーの目には隠しようがなかった。教育によって立派なものになったかもしれない才能が粗末に扱われているのを見て、エリナーは気の毒に思った。(オースティン『分別と多感』p.178)
【ルーシーはエリナーに衝撃の告白をする。なんとルーシーは、エリナーの恋人であるはずのエドワード・フェラーズと、秘密の婚約を交わしているというのだ。】
[24]エリナーはしばらく無言だった。聞かされたことへの驚きが大きすぎて、最初は言葉が出なかったのだ。でもやっと気力をふりしぼって、驚きと不安をなんとか隠して、慎重に口をひらいてこう言った。
「失礼ですけど、婚約なさってどれくらいになるのかしら?」
「婚約して四年になります」
「四年!」
「はい」
エリナーはさらに大きな衝撃を受けたが、相手の言葉がまだ信じられなかった。
「ついこの間まで、あなたたちがお知り合いだということさえ知らなかったわ」
「でも私たちのおつきあいは、もうずいぶん長いんです。[…]。私の叔父が彼の家庭教師をしていて、彼は、プリマスの近くのロングステイプルに住む私の叔父の家に四年間いたんです。姉と私はよく叔父の家に泊まりに行っていたので、私たちはそこで知り合ったの。婚約したのもそこよ。[…]。わかっていただけると思うけど、彼のお母さまに知らせもせずに、お許しも得ずに婚約するのは、私は気が進みませんでした。でも私はまだ若かったし、彼をとても愛していたので、もっと慎重になるべきなのにそれができなかったの」(オースティン『分別と多感』pp.182-3)
[25]エドワードの側では婚約は若気の至りで行ったことであり、今やすでに彼は後悔しており、彼が後悔していることもルーシーは承知している。しかし、この時代においては、一度取り決めた婚約を、男性の側から解消することは、少なくとも紳士にとっては、タブーであった。それを知っているからこそ、ルーシーは意地でも婚約を解消せず、さらに、ライバルのエリナーにあえて事情を打ち明けたのである。(新井『自負と偏見のイギリス文化』pp.44-5)
[26]【エリナーがエドワードの置かれた状況に思いをはせる。】
彼はルーシー・スティールと結婚してすこしでも幸せになれるだろうか。私への愛情は別にしても、彼のような誠実さと、繊細さと、教養豊かな知性を持った青年が、ルーシーのような無教養で、狡猾で、自分勝手な妻に満足できるだろうか。
十九歳の青年がのぼせあがって、ルーシーの美貌とやさしさに目がくらんだとしても無理はない。しかしその後の四年間が——まともに過ごせばたいへんな知性の向上がありうる四年という歳月が——彼の目を開かせて、ルーシーの教育上の欠陥に気づかせたにちがいない。[…]。
仮にエドワードが私との結婚を望んだ場合、母親の反対が大きな障害になるとしたら、ルーシーとの結婚の場合は、母親の反対はさらに大きな障害になるだろう。ルーシーは親戚の点でも財産の点でも、明らかに私より劣っているからだ。(オースティン『分別と多感』pp.191-2)
[27]ルーシーがエリナーに婚約を打ち明けたということが、彼女がエリナーに嫉妬している何よりの証拠なのだ。つまりルーシーは、エドワードにたいする自分の優先権をエリナーに知らせ、今後いっさい彼に近づくなと警告するために、エドワードとの婚約をエリナーに打ち明けたのだ。ほかに理由が考えられるだろうか。ルーシーのこうした意図を見抜くのは、エリナーにはそうむずかしいことではなかった。そしてエリナーは、ルーシーにたいしてつねに名誉と正直さを忘れずに振る舞い、エドワードに対する自分の愛情を抑え、できるだけ彼に会わないようにしようと固く決意した。しかし一方で、自分の心はまったく傷ついていないということをルーシーにはっきりわからせて、せめて自分を慰めたかった。(オースティン『分別と多感』pp.194-5)
【秘密の婚約の件は誰にも言わないでくれ、とルーシーに頼まれたため、エリナーは誰にも悩みを打ち明けられない。】
【そんなときエリナーとマリアンは、お節介焼きのジェニングズ夫人から、一緒にロンドンで冬を過ごそうと誘われる。エリナーは断わろうとするが、ロンドンに行けばウィロビーに会えると思ったマリアンが行きたがったため、結局誘いを受けることになる。】
[28]エリナーはジェニングズ夫人の馬車に同乗し、夫人の保護のもとに、しかも夫人の客としてロンドンへ向かう自分を見て、つくづく自分の立場の不思議さを思わずにはいられなかった。ジェニングズ夫人とはついこのあいだ知り合ったばかりだし、年齢的にも性格的にもぜんぜん合わないし、つい数日前には、このロンドン行きにあんなに反対していたいのだ。だがその反対意見も、マリアンと母が共有する若い情熱に負けて無視されてしまった。それにエリナーは、ウィロビーの誠実さにはときどき疑問を抱いてはいるけれど、マリアンが恍惚として期待に胸をふくらませて、目を輝かせているのを見ると、それに比べて自分の前途がいかにむなしく、自分の気持ちがいかに暗いかを痛感せずにはいられなかった。マリアンと同じような不安な状況に身を置いて、同じような胸のときめきを感じて、同じような希望を持つことができたらどんなにうれしいだろうと、つい思わずにはいられなかった。(オースティン『分別と多感』p.217)
【ロンドンでマリアンはウィロビーに手紙を書くが返事はない。しかし姉妹はやがてウィロビー本人に出くわす。】
[29]こうして椅子に落ち着いてからまもなく、エリナーはなんとウィロビーの姿を認めた。ほんの数メートル先に立って、とても洗練された感じの若い女性と熱心に話し込んでいるのだ。エリナーがすぐにウィロビーの視線をとらえ、彼はすぐに会釈をしたが、エリナーに話しかえようとはせず、また、マリアンの姿が見えないはずはないのに、マリアンのほうへ来ようともせず、その洗練された女性とそのまま話しつづけていた。エリナーは、マリアンはまだ気づいていないのかと、思わず横を向いてマリアンを見た。マリアンはちょうどそのときはじめてウィロビーに気づき、突然の喜びに顔じゅうを輝かせた。エリナーが服をつかんで止めなかったら、すぐに彼のほうへ飛んでいったことだろう。
「まあ! マリアンが大きな声で言った。「彼がいるわ! あそこにいるわ! なぜ私を見ないのかしら? なぜ彼と話してはいけないの?」
「お願い、落ち着いて!」とエリナーが言った。「人前で自分の気持ちをさらけ出さないで。たぶん彼は、まだあなたに気がついていないのよ」
でもそんなことは、エリナーにも信じられなかった。それに、こんなときに落ち着くなんてマリアンにはできっこないし、そんなことを望むほうが無理だ。マリアンはいらだち、顔じゅうに苦悶の表情を見せて座っていた。
やがてウィロビーがまた振り向いて、ふたりを見た。マリアンはさっと立ち上がり、愛情たっぷりに彼の名を呼びながら、彼のほうへ手を差し出した。ウィロビーはとうとうこちらへやってきたが、まるでマリアンの視線を避け、彼女の振る舞いを見まいと決意したかのように、マリアンではなくエリナーに話しかけ、「お母さまはお元気ですか?」とあわてたように言い、「いつからロンドンにいらっしゃるのですか?」と聞いた。突然そんなあいさつをされて、エリナーはすっかり心の平静を失って何も言えなかった。だがマリアンの感情はたちまち爆発した。顔じゅうを紅潮させて、感情をむき出しにして言った。
「ウィロビー! これは一体どういうこと? 私の手紙を受け取っていないの? 私と握手もしてくれないの?」
ウィロビーはそう言われて握手をしないわけにはいかなかったが、マリアンの手に触れるのが苦痛であるかのように、ほんの一瞬手を握っただけだった。(オースティン『分別と多感』pp.240-1)
[30]【ウィロビーがマリアンに宛てた、あまりにも冷酷な手紙が届く。】
あなたさまご一家にたいする私の敬愛の念は、うそいつわりのない真実であります。しかし、万一不幸にも、私が感じていた以上のものを、あるいは、私が意図していた以上のものを、皆さまに感じさせてしまったとすれば、敬愛の念の示し方に慎重さが足りなかった私を責めるほかありません。私があなたさまご一家にたいして敬愛の念以上のものを抱くことなどあり得ません。それは、私がずっと以前よりほかの女性と婚約しており、数週間後には婚礼の運びになるという事実を見れば、おわかりいただけると思います。(オースティン『分別と多感』p.249)
[31]【お節介焼きのジェニングズ夫人は、ウィロビーと一緒にいた婚約者の身元を突きとめる。】
「あちらのお嬢さんは大金持ちで、マリアンさんは財産がほとんどないとなると、美人もへったくれもないのね!」
「するとその方は——ミス・グレイとおっしゃいましたね——すごいお金持ちなんですか?」とエリナーが言った。
「五万ポンドはあるそうよ。お会いになったことある? とても現代的な垢抜けたお嬢さまだけど、あまり美人ではないらしいわね」(オースティン『分別と多感』pp.264-5)
[32]【ジェニングズ夫人はマリアンをいろいろ慰めるが、夫人を軽蔑しているマリアンはそれが気に食わない。】
「ジェニングズ夫人には思いやりの気持ちなんてこれっぽっちもないわ。彼女の親切は思いやりから出たものではないわ。彼女の善意はやさしさではないわ。彼女が欲しいのはゴシップだけよ。彼女がいま私を気に入っているのは、私がいまゴシップを提供できるからよ」
エリナーはこの言葉を聞くまでもなく、他人にたいするマリアンの意見がしばしば公平さを欠くことをよく承知していた。マリアンは神経過敏な繊細な心を持ち、鋭敏で繊細な感受性や、洗練された気品のある態度などをあまりにも重要視するために、他人にたいする評価がきびしくなりすぎるのだ。もしこの世の半数の人たちが賢くて善良だとすれば、マリアンはその半数の人たちと同様、すばらしい能力と性格に恵まれているのに、残念ながら、理性的でもなければ公平でもなかった。たとえば彼女は、他人が自分と同じ意見や感情を持つことを期待し、他人の行動が直接自分に及ぼす影響——つまり自分がこうむった痛手——によって他人の行動の動機を判断した。(オースティン『分別と多感』pp.274-5)
[33]マリアンヌの言動には多分にロマン主義のイデオロギーに感化されたところがあって、その言動の錯誤はすべてロマン主義に由来すると云っていい。彼女の心を捉えているのは、不純と卑俗を嫌い、飽くまでも己れの純粋な感情と情熱に殉じようとする一種の理想主義である。また彼女には自分の繊細な感情と鋭敏な感受性と高尚な趣味を密かに誇るところがあって、その点で自分は世の俗物達とは違うのだと云う気位がある。自分を突離して眺めることが出来ないから、ユーモアはない。抑制や控目と云うことを知らないから、とかく感情表現が過度になり、ひとたび躓[つまづ]くとやたらに感傷的になり、孤独を託[かこ]つ。まあ、これだけのことなら、一つの個性として認めればいいことかも知れないが、マリアンヌに致命的なのは、生理を異にする他人をも公平に眺めて、一つの個性として認める視点が欠けていることである。(大島『ジェイン・オースティン』p.155)
[34]エリナーは、人間は社会を離れては生きられず、社会とは他人から成るものであり、他人は皆がみな尊敬出来る人や好感の持てる人とは限らないことをよく知っている。従って他人との調和を図りながら己れの心を守るためにはどうしても二枚腰の態度が必要であり、ときには内心の理解や判断とは喰違った社交辞令も云えなければならない。エリナーの根本にあるのは清濁併せ呑むしたたかな現実主義である。(大島『ジェイン・オースティン』p.157)
[35]エリナーは社交辞令が「礼儀上止むを得ず吐く嘘」であることを自覚している。当然そこには或る種の痛みが伴う訳で、この痛みが自覚されている限り、エリナーが不誠実な偽善者になることはない。マリアンヌとて現実には他人から成る社会を離れては生きられないのだが、それでも「心にもないことは云えない」と自己の純粋と誠実を保っていられるのは、いつも一緒にいる姉の痛みに助けられ、支えられているからである。しかしマリアンヌにはそこのところが見えていない。(大島『ジェイン・オースティン』p.159)
【そんなとき、ブランドン大佐がエリナーを訪ねてきて、ウィロビーがいかに卑劣な男であるかを語る。】
【そもそもブランドン大佐がマリアンに惹かれるのは、自分がかつて愛していた女性にそっくりだからなのだ。その女性は17歳でブランドン大佐の兄と結婚したが、妻をまったく顧みない夫に絶望して不倫に走り、離婚されて、窮乏の果てに肺病で死ぬ。ブランドン大佐は、彼女の忘れ形見イライザを実の娘のようにかわいがって面倒を見ていたのだが、イライザはある男に誘惑されて駆け落ちしてしまう。なんとその男がウィロビーだったのだ。】
【ブランドン大佐がお屋敷見物を中止して急遽ロンドンに向かったのは、ロンドンからイライザ本人からの手紙を受け取り、ウィロビーの子を身ごもったまま捨てられたイライザの消息がやっと判明したからだった。】
[36]「ウィロビー氏は、遠出を中止させた私の無作法を非難するように私を睨みつけました。彼がひどい目にあわせたかわいそうな娘を救うために、私が呼ばれて駆けつけるのだとは、思ってもいなかったでしょう。しかし、たとえ彼がそれを知っていたとしても何の役に立ったでしょう。マリアンさんに愛されて得意絶頂の彼が、そのためにすこしでも暗い気持ちになったり落ち込んだりするはずがない。あの男はすでにひどいことをしたのです。他人にたいする同情心がすこしでもあればとてもできないような、じつに卑劣なことをした男なのです。あの男は、若い純真な娘を誘惑して捨てたのです。イライザはまともな住まいも、援助も、友達もなく、あの男の住所さえ知らされずに置き去りにされて、貧窮のどん底に突き落とされたのです。ウィロビーは戻ると約束しながら戻りもせず、手紙も書かず、助けもしなかったのです」(オースティン『分別と多感』p.286)
【ブランドン大佐はウィロビーに決闘を申し込み、決闘は行われたが、幸いふたりとも無傷に終わる。】
[37]マリアンにとっては、ウィロビーの愛を失ったことよりも、彼が卑劣な人間だとわかったことのほうがショックだったのだ。ウィロビーがイライザ・ウィリアムズを誘惑して捨てたこと。捨てられたイライザのあまりにも悲惨な末路。そして、ウィロビーは同じような下心を持ってマリアンに近づいたのかもしれないという疑惑。それらのことを考えると、マリアンは胸がつぶれる思いであり、自分の気持ちをエリナーにさえ話す気にはなれなかったのだ。そしてエリナーにとっては、ひとりでふさぎこんで悲しむマリアンの姿を見るのは、ところかまわず嘆きの言葉を聞かされるよりも何倍もつらかった。(オースティン『分別と多感』pp.290-1)
[38]【エリナーは異母兄ジョン・ダッシュウッドと再会する。彼は相変わらず金のことばかり考えている。】
「ジェニングズ夫人のような知り合いは、ほんとに大切にしないといけないな。住まいや暮らしぶりから見て、相当な収入がありそうだ。彼女とのつきあいは、いままできみたちに大いに役立っただけでなく、最後にたいへんなご利益があるかもしれない。きみたちをロンドンに招いてくれたということは、ものすごく明るい材料だ。きみたちにものすごく好意を持っているようだから、たぶん亡くなるときも、きみたちのことを忘れないと思う。彼女の遺産は相当なものだと思うね[…]。じつはファニーは、ジェニングズ夫人を訪問するのをためらっていたんだ。でもそれも無理はない。なにしろジェニングズ夫人は、成り上がりの商人の未亡人だからね。それでファニーもフェラーズ夫人も、ジェニングズ母娘との交際は避けたほうがいいといいう意見だったんだ」(オースティン『分別と多感』pp.309-12)
【エリナーはジョンとファニーの夫婦に招かれ、エドワードの母であるフェラーズ夫人と対面することになる。エドワードを金持ち貴族の娘と結婚させたいフェラーズ夫人は、邪魔なエリナーをあの手この手で傷つけようとする。】
[39]フェラーズ夫人は、やせっぽちの小柄な女性で、堅苦しいほど姿勢がよくて、意地悪なほど真面目くさった顔をしていた。[…]。口数は少ないほうだった。ふつうの人と違って、自分が考えたことしか口にしないからだ。おまけに、その口から漏れたわずかな言葉のうち、たったのひと言もエリナーには向けられなかった。フェラーズ夫人は、なんとしてもエリナーを嫌い抜いてやるという決意をもって、エリナーを睨みつけるだけだった。[…]。フェラーズ夫人はエリナーをさらにいじめるために、スティール姉妹にむかっていやに愛想のいい態度を取ったが、そのあまりに露骨な態度の違いも、エリナーにはただ滑稽なだけだった。ルーシーとエドワードの秘密の婚約という事実を知ったら、フェラーズ夫人もファニーも、ルーシーをいちばんいじめたいはずなのに、そうとは知らずにそのルーシーにいちばん愛想よくしているのだ。そして、エドワードとはもう何の関係もなくなって、フェラーズ家に何の痛手も与えるはずのないエリナーを、当てつけがましく露骨に無視しているのだ。エリナーはただただ笑うしかなかった。しかし、その見当違いなお愛想を笑いながらエリナーは、そんな行動に出るフェラーズ夫人とファニーの心の卑しさを思い、そしてそのお愛想をさらに得ようと浅ましいほどの努力をするスティール姉妹の姿を見ると、その四人を心の底から軽蔑せずにはいられなかった。(オースティン『分別と多感』pp.318-9)
【だが、やがてルーシーがエドワードと秘密裏に婚約していたことが明るみに出てしまう。ジェニングズ夫人は、ファニーとルーシーの間に起った修羅場の状況を伝え聞いてエリナーに報告する。】
[40]「エドワード・フェラーズさんが、なんと私の親戚のルーシーと、一年以上も前から婚約していたらしいのよ! ほら、びっくりしたでしょ? […]。ああ、かわいそうなルーシー! ほんとにルーシーがかわいそう! ものすごくひどいことを言われたんだと思うわ。お義姉さん【ファニー】が鬼婆みたいな形相で罵ったので、ルーシーはすぐに失神してしまったそうよ。アン【ルーシーの姉】はその場にしゃがみこんでわんわん泣くし、お義兄さん【ジョン・ダッシュウッド】はどうしていいかわからなくて部屋をうろうろするばかり。それからお義姉さんが、『ふたりとも、いますぐこの家から出て行きなさい! 一分たりとも居てはなりません!』ってわめき出したものだから、お義兄さんがひざまずいて、『せめて、衣類の荷造りがすむまで居させてあげようよ』ってお願いすると、お義姉さんがまたすばらしいヒステリーを起こしたの」(オースティン『分別と多感』pp.351-2)
[41]【エリナーはマリアンに、エドワードとルーシーの婚約のことを話す。】
「ただひとりの人を一生愛しつづけるというのは魅力的だし、人の幸せはひとりの人だけを愛することにかかっているというのも一理はあるけど、絶対にそうでなければいけないというわけではないし、絶対にそうだと言うのは間違ってるし、だいいちそんなことは無理な話よ。エドワードはたぶんルーシーと結婚するわ。容姿も頭も人並み以上の女性と結婚するのよ。時間がたって生活環境が変われば、自分が別の女性に惹かれていたことなんか忘れてしまうわ」(オースティン『分別と多感』p.358)
[42]【ジョン・ダッシュウッドは、エドワードがフェラーズ夫人に勘当された顛末[てんまつ]を語る。】
「すぐに婚約を解消するようにと、フェラーズ夫人が必死に説得したし、もちろん私もいろいろ言ったし、ファニーも必死に頼んだが、まったく効果はなかった。人間としての義務も愛情もすべて無視された。エドワードがあんなに頑固で薄情な人間だとは思ってもみなかった。フェラーズ夫人は、彼がミス・モートンと結婚すればどれだけの財産を与えるか、その気前のいい案を説明した。つまり、ノーフォーク州の土地を分与するというのだ。地租を払っても、年にたっぷり千ポンドの収入になる土地だ。しかし、それでもエドワードがどうしても返事をしないので、それじゃ千二百ポンドにしてあげようとまで、夫人はおっしゃった。逆に、もしこの説得を断わって、ルーシー・スティールのような身分の低い女性と結婚したら、どんな貧乏生活になるか説明してやった。つまり、彼の財産はいま持っている二千ポンドだけで、あとは何もあげないし、二度と顔も見たくない。いかなる援助もしないどころか、もし彼が生活のために何か職業につこうとしたら、どんなことをしても邪魔してやると、夫人はそうおっしゃった」(オースティン『分別と多感』p.363)
[43]【ルーシーの姉、アン・スティールが、エドワードの取った行動をエリナーに語る】
「で、エドワードは、ルーシーにそんな貧乏生活をさせるのは耐えられないので、『もしきみにその気があれば、すぐに婚約を解消しよう、自分はひとりで何とかやっていくから』と申し出たの。[…]。でも、もちろんルーシーはそんな話には耳を貸さずに、すぐにこう言ったの。[…]。『婚約を解消する気はまったくありません。[…]。どんなに貧しくても、あなたと暮らせるならそれで満足です』とかなんとか。すると彼はすごく喜んで、これからどうするかについて、ふたりでしばらく話し合って、こう決まったの。彼がすぐに聖職について、結婚は、彼が聖職禄を得られるまで待つことにしようって」(オースティン『分別と多感』p.373)
【「聖職禄」とは英国国教会の教区牧師の職、およびその職に伴う財産のこと。ある教区の聖職禄を誰に与えるかを決める権利は、その土地の大地主が持っていることが多かった。聖職禄を得ると、牧師館の居住権が得られるとともに、教区民が教会維持のために所得の十分の一を納める「十分の一税」や教会畑地による一定の年収が保障される。】
【ブランドン大佐が、エドワードに自分の地所の聖職禄を提供してくれることになった。エリナーはエドワードにこの良い知らせを——しかしエドワードとルーシーの結婚を確実にする報せを——伝える。】
[44]「つい十分ほど前まで、ブランドン大佐がここにいらしたのですが、あなたにこう伝えてほしいとおっしゃいました。『エドワード・フェラーズ氏が聖職につくつもりだと聞いたので、よろしければ、ちょうど空席になったデラフォード【ブランドン大佐の地所】の聖職禄を提供したい。あまり立派な聖職禄ではないので申し訳ないが』と、そうお伝えくださいとのことでした。私からもおめでとうを言わせてください。あんな見識のある立派なお友達をお持ちで、ほんとうによかったですね。ただ、大佐もおっしゃるように、その聖職禄は年収二百ポンドくらいだそうですが、もっと立派なものならいいのですが。あなたがすぐに……つまり、ただの仮住まいではなくて……あなたの幸せをすべて実現させるようなものであれば、もっといいのですが」[…]。
「ブランドン大佐がぼくに聖職禄を! そんなことってありうるのかな!」
「あなたはご家族からあんな不当な仕打ちをされたので、どこで友情に出会ってもびっくりなさるのよ」
「いや、違う」エドワードは突然はっと気づいたように言った。「相手があなたなら驚きません。そうです、これはすべてあなたのおかげです。あなたのご親切のおかげです」[…]。
こうしてふたりは別れたが、別れぎわにエリナーは、「あなたの境遇がどう変わろうと、いつもあなたの幸せをお祈りしています」と心をこめて言った。エドワードも同じ気持ちを述べようとしたが、言葉に出すには至らなかった。
「こんどお会いするときは、ルーシーのご主人になっているのね」彼が部屋を出てドアが閉まると、エリナーは心の中で言った。(オースティン『分別と多感』pp.394-7)
【エドワードにはロバートという傲慢な性格の弟がいる。勘当された兄に代わって長男の地位を手に入れたロバートは、エリナーからエドワードが教区牧師になると聞いて馬鹿笑いする。】
[45]「兄貴もかわいそうに! これで一生台無しだ。ほんとに気の毒だ。だって、兄貴はものすごく心のやさしい人間なんだ。あんなに気のいい男はめったにいませんよ。ミス・ダッシュウッド、兄貴のことを、わずかなつきあいで判断しないでくださいね。ほんとにかわいそうに! 人前に出たときの兄貴の態度はたしかにぱっとしない。でも、人間はみんながみんな、同じ能力と器用さをもって生まれついているわけじゃない。かわいそうに! 知らない人たちの中にいるときの兄貴の態度ときたら! ほんとにぶざまで情けない! でもほんとの話、イギリスじゅう探しても、あんなに心のやさしい男はめったにいませんよ。[…]。かわいそうに! 兄貴はもうおしまいだ! 上流社会から永遠に追放だ!」(オースティン『分別と多感』p.409)
【ロンドンを去ったエリナーとマリアンは、ジェニングズ夫人の娘に誘われ、彼女の嫁ぎ先であるサマーセット州のクリーヴランド屋敷を訪れる。マリアンは雨が止んだばかりの敷地を散歩して、そのまま不注意にも濡れた靴と靴下のままでいたのがもとで、ひどい風邪を引いてしまう。マリアンは高熱を発し、一時は命が危ぶまれるようになる。】
[46]ジェニングズ夫人はきっぱりとこう言った。「私はマリアンさんの病気が治らないうちは、クリーヴランドから一歩も動きませんよ。私がマリアンさんを母親から引き離してここへ連れてきたのですから、私が母親代わりになって、しっかり看病するつもりよ」と。エリナーはそのやさしい言葉に感激し、心からジェニングズ夫人を好きになった。実際ジェニングズ夫人は、看護の疲れをエリナーと分かち合ってくれて、あらゆる場面で積極的かつ活動的に協力してくれたし、看護にかけてはエリナーより経験豊富なので、ほんとうに大助かりだった。(オースティン『分別と多感』p.421)
【おしゃべりでお節介焼きの人迷惑なおばさん、として描かれていたジェニングズ夫人が、ここでは細やかな気遣いに長けた尊敬すべき女性として肯定的に描かれる。これまでエリナーが夫人の性格を見誤っていた、とも言えるが、実は「お節介焼きの女性」こそはオースティン文学の根幹にかかわる重要な存在なのだ。】
[47]おせっかいやきとは気遣いのひとつの在り方ではないだろうか。ただそれが、状況との関係において期待される適切性を欠くということではないだろうか。[…]。たとえ作者本人がその何かに名前を与えていないとしても——やさしい思い遣りとして、余計な思い込みとして、おせっかいやきとして現象するこの対人構造こそ、オースティン文学のいたるところに偏在する何かではないだろうか。階級、ジェンダー、年齢、知性などのさまざまな軸にそって、何らかの優劣関係を、つまり段差を前提にして成りたつ気遣いという関係こそ、その文学の人間関係の根本にあるものではないのだろうか。(富山「ケアの散乱」p.117)
[48]あるいは、おせっかいやきが、あからさまに優劣関係を前提とした、さらにネガティヴなかたち【=いじめ】に変化してゆく事態も、この作家の視野の中にはあった。[…]何らかの優劣関係から来る段差によって誘発される気遣い、心遣いが何らかの差別に変形してゆくのがそれである。(富山「ケアの散乱」p.132)
[49]彼女の作品に次々と登場してくるおせっかいやきの女たちは、ある意味では気遣いという関係のもちうる負の部分を引き受けて作品の中を動きまわり、その中心に純粋なかたちの思い遣りと気遣いが生まれるのを助けているようにも考えられる。言うまでもなく、その中心に浮上してくるはずの純粋な気遣いの関係とは結婚であった。更に言えば、オースティンはそのような結婚における気遣いを保証するものとして、例えば人種やジェンダーやセクシュアリティの違いではなく、階級の違いという段差に頼るのが歴史的に一番自然な時代に生きた作家であった。(富山「ケアの散乱」p.117)
【ジェニングズ夫人にせよ、フェラーズ夫人やファニーにせよ、エリナー自身にせよ、オースティン作品のお節介焼きの女たちは、それぞれ自分の家族や友人が今の階級に留まれるように、懸命にお節介を焼き続ける。妹が自分たちの階級にそぐわない下品さを示せば注意して改心させ、息子が低い階級の女に誘惑されればその女をいじめて排除し、息子が階級に見合った結婚をするように促す。】
【オースティンの作品世界はそうした〈排他的な階級に留まるための気遣い〉に満ちているのだ。じつはオースティンが「分別」と呼んでいるものの正体は、この〈排他的な階級に留まるための気遣い〉なのかもしれない。】
[50]彼女【オースティン】の小説の舞台は、自分が所属する、今ではアッパー・ミドル・クラス【中流階級の上層】と呼ばれる階級の紳士、淑女の世界であり、その下の商人や農民も描かなければ、最も上の上流階級を描くこともなかった。(新井『自負と偏見のイギリス文化』p.48)
【オースティンの人物たちは、アッパー・ミドル・クラスの地位を守るためにお互いを監視し合い、お節介を焼き合っている。なぜならこの地位は、常に必死で守っていなければすぐにずるずると滑り落ちてしまうような、流動性の高いものだからである。】
[51]じっさい、細かい階層から成り立っているイギリスの社会は、一方では他国の人々に驚かれるほど、階級間の動きが可能であった。商人が富を築いて土地を買って貴族の仲間入りをすることも可能ならば、また一方では、長子相続制の結果、貴族の次男、三男が職業についたり、あるいは商人に弟子入りするという、逆方向の動きもあった。(新井『階級にとりつかれた人びと』p.10)
【欲望のままに行動する「多感」な人々が階級のルール違反を犯しがちなのに対し、「分別」を備えた人々は階級のルールを守り抜くことを自分にも周囲にも求めている。そしてオースティンにおいては常に「分別」が勝利するのだ。】
【マリアンの病状が安定して生命の危機を脱したころ、マリアン危篤の報せを聞いたウィロビーが、寒い嵐の晩にエリナーの前に現れ、自分の過去の行為を悔いて長い弁明を始める。】
[52]「ぼくはたいした財産もないのに、昔から金づかいが荒くて、いつも自分より収入の多い連中とつきあってきました。成年に達して以来、いやその前から、ぼくの借金は年々増えるいっぽうでした。あの年老いた親戚のスミス夫人が亡くなれば、借金は全部返せるはずですが、それはいつになるかわからないし、遠い先のことかもしれない。だからぼくはしばらく前から、財産のある女性と結婚して生活を立て直そうと考えていたのです。ですから、妹さんとの結婚は考えてもいませんでした。つまりぼくは、彼女の愛情に応えるつもりがないのに彼女の愛情を得ようとしたのです」(オースティン『分別と多感』p.439)
[53]【イライザとの駆け落ち事件が発覚したときの回想】
「ぼくが助かる方法がひとつだけありました。善良なスミス夫人は高潔な心を発揮して、もしぼくがイライザ・ウィリアムズと結婚すれば、過去の過ちは許すと言ってくれたのです。でもぼくにはそれはできません。というわけで、ぼくはスミス夫人から絶縁され、アレナム屋敷から追放されたのです。[…]。ぼくはその夜、この先どうすべきか必死でいろいろ考えました。心の葛藤は大変なものでしたが、あっけないほどすぐに終わりました。ぼくのマリアンにたいする愛情も、彼女に熱烈に愛されているという確信も、貧乏生活にたいするぼくの恐怖心を打ち消すことはできなかったのです。[…]。一方でぼくには、ある女性にプロポーズすれば——現在の妻ですが——必ず結婚できるという確信がありました。だから、ふつうの分別を働かせれば、ぼくの取るべき道はそれしかないと観念したのです」(オースティン『分別と多感』p.443)
[54]【ロンドンでマリアンの手紙を読んだときの回想】
「でもあの手紙を読んで、ぼくは自分の気持ちと自分のしたことがはっきりとわかりました。マリアンはぼくにとって世界中の誰よりも大切な女性なのに、ぼくは彼女にほんとうにひどい仕打ちをしたのです。それがはっきりとわかったのです。でもちょうどあのころ、ぼくとミス・グレイとの縁談がすっかりまとまりました。もう後戻りはできません」(オースティン『分別と多感』p.448)
[55]【マリアンたちと出くわした夜の回想】
「なんと苦しい一夜だったことか! 一方では、天使のように美しいマリアンが、美しい声で『ウィロビー』とぼくを呼んでいる! ぼくのほうへ片手を差し出し、あの魅惑的な瞳で、切々と訴えるようにぼくを見つめて説明を求めている! そしてもう一方では、悪魔のように嫉妬深いソフィア【金持ちの婚約者ミス・グレイ】がその一部始終を見つめている」(オースティン『分別と多感』pp.449-50)
[56]【ウィロビーが去ったあと、エリナーはウィロビーの人生に思いをはせる】
世間が彼を虚栄心の強い浪費家にしてしまい、その虚栄心と浪費癖が、彼を冷酷な自己中心的な人間にしてしまった。虚栄心ゆえに、人の心を傷つけてまで愛の手柄を追い求めるうちに、ほんものの愛へと深入りしてしまった。だが浪費癖ゆえに、少なくともそれがもたらした貧乏ゆえに、そのほんものの愛をあきらめなければならなかったのだ。[…]。彼は自分の名誉と感情とあらゆる利益を犠牲にして、表面上はマリアンへの愛をあきらめたが、もはや許されぬ今になって、その愛が彼の心を支配している。そして、彼がためらうことなくマリアンを不幸のどん底へ突き落として勝ちとったミス・グレイとの結婚が、今は彼にとって、不治の病のごとき癒しようのない不幸の源になろうとしているのだ。(オースティン『分別と多感』p.455)
[57]【最終的な打撃がエリナーを襲う。】
ある朝、ダッシュウッド家の下男がエクセターに使いにやられた。そして戻ってから、食事の給仕をしながら、ダッシュウッド夫人の質問に答えて使いの報告をしたあとで、ついでにこんな報告をした。
「奥さま、ご存じかと思いますが、フェラーズさまが結婚なさいました」
マリアンはぎょっとして、思わずエリナーに目をやり、姉の真っ青な顔を見ると、発作を起こしたように椅子にぐったりとなってしまった。(オースティン『分別と多感』p.487)
[58]【失意のどん底にいたエリナーの前に、エドワード本人が現れる。】
エリナーは自分の声が震えるのではないかと心配だったが、思いきってこう言った。
「フェラーズ夫人はいまロングステイプル【ルーシーの叔父の屋敷】にいらっしゃるのですか?」
「ロングステイプル?」エドワードはびっくりしたように答えた。「いいえ、母はロンドンにいます」
「いいえ」とエリナーは、テーブルからやりかけの刺繍をとりあげて言った。「私がおたずねしたのは、エドワード・フェラーズ夫人のことですわ」
エリナーは顔を上げられなかった。でも母とマリアンは一斉にエドワードに目を向けた。
エドワードは顔を赤らめ、当惑したような、不審そうな顔をして、ちょっとためらってからこう言った。
「それはたぶん……弟の……つまり、ロバート・フェラーズ夫人のことではないですか?」
「ロバート・フェラーズ夫人!」マリアンと母がびっくり仰天しておうむ返しに言った。エリナーは口はきけなかったが、同じようにびっくり仰天して、じれったそうにエドワードを見つめた。エドワードは椅子から立ち上がって窓辺に歩み寄った。どうしていいかわからないのだ。それでそこにあったハサミをとりあげて、ハサミのケースを切り刻んでハサミもケースも台無しにしながら、早口でこう言った。
「たぶんまだご存じないでしょうが……まだお聞きになっていないでしょうが、私の弟が最近結婚したのです。お相手は……つまりその……ミス・ルーシー・スティールです」
エリナー以外の全員が、言いようのない驚きをこめてその名前をくり返した。[…]。
エリナーはもうその場に座っていられなかった。走るようにして部屋を出て、ドアが閉まったとたん、うれしさがこみあげてわっと泣き出した。この涙は永遠に止まらないのではないかとさえ思った。(オースティン『分別と多感』pp.496-7)
[59]彼はどれくらい歩いて決心したか、そのあとどれくらいしてその決心を実行したか、どんなふうに自分の思いを打ち明けたか、そしてプロポーズはどんなふうに受け入れられたか——そういうことを事細かに説明する必要はないだろう。これだけ言えば十分だろう。すなわちエドワードは、バートン・コテッジに来てから約三時間後の午後四時に、みんなでテーブルの席についたところで、エリナーから結婚の承諾を得、ダッシュウッド夫人の同意を得、恋する男の有頂天の言葉としてだけでなく、理性的かつ客観的な事実として、世界一幸福な男のひとりとなったのである。(オースティン『分別と多感』p.498)
[60]【婚約した二人が、ルーシーの不可解な行動の理由を考える。】
「母に勘当されて孤立無援の状態になったとき、ぼくはまずこう思った。ぼくの気持ちはさておいてまずルーシーに、婚約を続けるかどうかの選択の自由を与えるのがぼくの義務だと。ぼくはあんな境遇に落とされ、ぼくにはもう人間の貪欲や虚栄心をそそるようなものは何もなかったはずなのに、彼女はあんなに真剣に熱烈に、この先どうなろうとぼくと運命を共にすると言ってくれた。彼女の気持ちには無私無欲の愛情以外は何もないと、ぼくが思ったのも当然でしょう。彼女がどんな動機で行動したのか、ぼくはいまだにわからない。ぜんぜん好きでもなく、全財産がたった二千ポンドの男と運命を共にして、どんな得になると考えたのかさっぱりわからない。ブランドン大佐がぼくに聖職禄を提供してくれるなんて、彼女には予想もできなかったはずだし」
「そうね。でも、あなたにとっていいことがそのうち起きるかもしれないし、あなたのご家族の怒りもそのうち和らぐだろうと、彼女は思っていたかもしれないわ。いずれにしても、彼女は婚約を続けても何も損はしなかったのよ。今回のロバートとの結婚で証明されたように、あの婚約は彼女の気持ちも行動も束縛してはいなかったんですもの」(オースティン『分別と多感』p.507)
[61]さて、ふたりが解決しなければならない問題、克服しなければならない難題が、あと一つだけあった。[…]。エドワードは二千ポンド、エリナーは千ポンド、それにデラフォードの聖職禄を加えたものが、ふたりの全財産だった。ダッシュウッド夫人がエリナーに財産の前渡しをするのは不可能だからだ。ふたりがいくら愛し合っていても、利子と聖職禄を合わせた年収三五〇ポンドでは、安定した楽しい生活を送れると考えるわけにはいかなかった。(オースティン『分別と多感』pp.509-10)
【幸い、のちにフェラーズ夫人は二人の結婚を認めてエドワードの勘当を解き、彼に1万ポンド(ほぼ1億円)を与えるので、二人の経済基盤は安定する。】
[62]【ルーシーはその後、巧みなお世辞によってフェラーズ夫人に取り入り、見事に彼女のお気に入りとなる。】この一件におけるルーシーの一連の行動と、有終の美を飾った最後の勝利は、われわれにとってはたいへん励みになるお手本になるかもしれない。人間というものは、自分の利益だけを考えてうまずたゆまず努力すれば、たとえ途中で挫折したかに見えても、時間と良心を犠牲にしただけで、最後にはあらゆる幸運をつかむことができるのだというお手本に。[…]。たしかに【義理の姉妹となった】ルーシーとファニーの間には、絶えず嫉妬と敵意が渦巻いていたし、もちろんそれぞれの夫も妻たちのいがみ合いに参加したし、それにロバートとルーシーの間には、一年じゅう夫婦喧嘩が絶えなかったけれど、それらを別にすれば、フェラーズ夫人と両夫婦の仲むつまじさはまさに羨ましいばかりだった。(オースティン『分別と多感』p.520-2)
【「分別」を得たマリアンは19歳になってブランドン大佐の愛を受け入れ、大佐と結婚して大地主の奥様となる。】
[63]マリアンにどんな抵抗ができただろう? 自分にたいしてそのような家族の同盟が結ばれており、大佐が立派な人物だということもよくわかっており、大佐が自分を愛してくれていることも——みんなはずっと前から気づいていたことなのだが——自分にもやっとはっきりとわかったのだ。いったいどんな抵抗ができただろう?[…]。
ブランドン大佐は幸せになって当然だと、彼を敬愛する人たちはみんな思っていたが、大佐はいまそのとおりの幸せを味わっていた。マリアンを妻に迎えて、過去のすべての苦悩は癒された。マリアンに愛され、マリアンと共に暮らして、大佐は昔の元気と明るさを取り戻した。大佐を幸せにすることが自分の幸せだとマリアンは思っていると、彼女を見ている誰もが確信して喜んだ。マリアンは中途半端に愛することなどできない。だから彼女の心は、かつてウィロビーに捧げられたように、やがてすべて夫に捧げられるようになった。(オースティン『分別と多感』p.523-5)
[64]【小説の最後は「夫婦は末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし」で締めくくられる。】
バートン【ダッシュウッド夫人とマーガレットが住む】とデラフォード【ブランドン大佐の屋敷とエドワードの牧師館がある】の間には、強い家族愛で結ばれていたので当然だが、絶えず手紙のやりとりや行き来があった。また、エリナーとマリアンは姉妹でもあり、お互いに目と鼻の先に住んでいたが喧嘩ひとつせずに、夫同士の間が冷ややかになることもなく暮らせたというのは、ふたりの無視できない美点と幸せとして、最後にぜひつけ加えておきたいことである。(オースティン『分別と多感』p.526)
[65]オースティンの人生観は十八世紀的な、「道徳的かつ現実主義的人生観」だと、デイヴィッド・セシルという人が言っている。簡単に言うと、「お金のために結婚するのはよくないが、お金がないのに結婚するのは愚かなことだ」と考える人生観である。つまり、人間は自分の欲得ばかり考えてはいけないが、きれいなことや立派なことばかり言って現実を無視するのは馬鹿だというのである。この健康的な人生観が、たぶんオースティンの小説の風通しのよさにつながっている。(オースティン『分別と多感』p.354、中野康司「訳者あとがき」より)
[66]田舎町のアッパーミドルクラスの生活を、愛情と皮肉をこめてコミカルに、しかし節度をもって描き出すのが、英国小説のもっとも輝かしい部分であるとするなら、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』【や『分別と多感』】から[…]エドワード・モーガン・フォースターの第一長篇小説『天使も踏むを恐れるところ』(一九〇五)にいたる一連の作品こそ、飛び切りの読書体験を保証してくれる、もっともはずれの少ない小説群だということになりそうです。[…]。『高慢と偏見』から『天使も踏むを恐れるところ』へと続く名作群の主題は、「お嬢さんはいかにして愚行を免れるか」という問題にあるとも言えます。(千野『世界小娘文學全集』pp.70-1)
【「お嬢さんはいかにして愚行を免れるか」の答えは、〈排他的な階級に留まるための気遣い〉に守られることだ。】
===============================================================================
【引用した文献】
●ジェイン・オースティン作、中野康司訳『分別と多感』(ちくま文庫、2007年)[原著1811年]
●新井潤美『階級にとりつかれた人びと——英国ミドル・クラスの生活と意見』(中公新書、2001年)
●新井潤美『自負と偏見のイギリス文化——J・オースティンの世界』(岩波新書、2008年)
●大島一彦『ジェイン・オースティン——「世界一平凡な大作家」の肖像』(中公新書、1997年)
●千野帽子『世界小娘文學全集——文藝ガーリッシュ 舶来篇』(河出書房新社、2009年)
●富山太佳夫「ケアの散乱——ジェイン・オースティン再考」『英文学への挑戦』(岩波書店、2008年)107-35ページ
(c) Masaru Uchida
2009
ファイル公開日: 2009-4-22
[いつか晴れた日に(分別と多感)] [デビッド・コパーフィールド] [ハワーズ・エンド] [ダロウェイ夫人] [つぐない(贖罪)]
講義資料「翻訳で読む18世紀イギリス小説」へ /講義資料「文化を研究するとは、たとえばどういうことか」へ / その他の授業資料へ