「藪の中」と「真実は一つ」

 黒沢明監督の名画「羅生門 」は私の好きな映画のうちの一つですが、これは芥川龍之介の小説「藪の中」をもとに創られたと言われています。唯一存在したはずの過去の出来事が、関与した人たちの見方によって全然違った出来事として解釈ができる、というもので、人の内面まで探っていくと、過去に起こった唯一の出来事はたとえ一つであっても( 真実は一つ)、その関与した様々な人たちの解釈では善悪が正反対になることもある(藪の中)、ということを、素晴らしい映像で示した名画でした。あの映画は、印象としては、今のようにぎらぎらとした 真夏のような、人間にちょっと狂いをもたらしそうな、そんな季節のもとでの話だった気がします。アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい 」の映画も、「太陽がいっぱいでまぶしかったので」殺人を犯した、などという不条理な世界を描いていました。

 それにしても、昨年と同様、この 7月下旬から 8月上旬の暑さは尋常ではないですね。昨年、この 雑記でも心配して書いた ように、今年から 7 月下旬まで当大学では試験期間になっていたので、もしかしたら倒れる学生も出るのじゃないかな、と心配していましたら、案の定、私のやる午後2時半からの試験の直前に、一人男子学生が倒れて(失神)入院する羽目になりました。睡眠不足や過労、ということだったそうですが、それでも翌日には退院し、翌週には追試をやることができました。もっと学生はちゃんと栄養摂らんといかんね、特に男子学生の細いのが気になる。

 こんな猛暑だから、人間の精神状態にも狂いが生じるのは仕方ないのかもしれませんが、変な事件を起こすのもいるんですね。喩えて言うと、次のような事件とも考えられることが、起きました。

『昔、ある村のある家の庭に、美味しい柿の実のたくさん成る木があったそうな。その家から少し離れたところで子供達が10人くらいで遊んでいる時、その中の一人がふと柿を食べてみたいと思い立って、塀などの防備の無いその庭に入り込んで木に登って、柿を数個手にして戻ってきた。他の子供達には、「柿が手に入ったから一緒に食べよう。」と誘った。少しお腹がすいていた子供達の何人かは一緒に柿を分けて食べた。そこへ、その柿の木の持ち主が通りかかって、一目でうちの柿だと判って、子供達を問い詰めて、誰が最初に柿を取ってきたか、誰と誰が柿を分けて食べたか、は子供達が正直に白状してよく判った。』

 これだけではそれほど変な事件とは思われないかもしれませんが、さて、あなたがこの柿の木の持ち主だったら、このような場合、誰にどのような罰を与えますか ?

 また、レベルはだいぶ違いますが、以前に国家試験問題漏洩事件というのがありました。

「奥羽大学を舞台にした歯科医師国家試験の問題漏えい事件で、…検察側は「国家試験の公正を害し、医療制度全体についての社会的信頼を失わせた責任は重い」と指摘し、…懲役十月を求刑した。」これはある新聞記事の一部です。この場合は、問題を漏らした大学の教官に重い処分がなされました。その理由は、「試験の公正さと制度への信頼」を踏みにじったから、ということです。しかし、一番益を得たはずの、授業という正式な制度の中でその問題情報をキャッチして受験した学生には、処分はありませんでした。

 この、試験にまつわる不正というのは、カンニングにせよ目を盗んで行う行為は、「公正さと信頼」を台無しにすることによって、罪と見られて処罰される、というのが普通の考えです。試験は公正に行われなければ、「能力の差」を評価しようが無いので、「公正さ」は第一義的に重要です。また、信頼は、社会制度的な観点から重要なわけです。

 先の「柿事件」では、最初に人の持ち物である柿を無断で取ってきた子供は社会制度的には罪ははっきりしているので、それなりの罰が与えられるでしょう。ただ、戸惑うのは、その柿を分けて食べた他の子供達には、どのように言うべきか、という事かもしれません。その食べた子供達の心の中をのぞいてみることができれば、「しめた、と思って食べた」とか、「無断で取って来た柿と知って、悪いなと思いつつも食べたい欲求には勝てずに食べた」とか「落ちていた柿をもらっただけだと思って食べた」とか「あまり柿は好きじゃなかったけど薦められたので仕方なく食べた」とか、、、。色んな心の「色模様」が見えてくるに違いありません。

 心の奥まで踏み込めば、「藪の中」のような事態になります。私は、将来子供達がこのようなことにニ度と関わらないように、罠にはまらない賢い市民になるために、教育的に対処する、のが良いと思います。(#うちの子供だったら、私は「おしりぺんぺん」はしただろうな。)

 あなたなら、どうしますか?

たぶんこの場合も、その人の性格によって、かなり厳しい考え方(関与した子供全体を処罰)から、相当に優しい考え方(子供は罰しないで庭の管理を怠り欲望を誘発したとして持ち主だけを処罰)まで、色んな「心模様」が見えてくるはずです。「正解」は「神のみぞ知る」ですが、人間の社会制度的には「バランス」に基づく判断が「正解」に最も近い解だと私は思いますし、司法はそのように対処することを期待されているはずです。

お盆休暇に入って(今年も節電対策で長期休暇中!)、前に話題に上っていた映画「タイムマシン」を観てきました。もう上映も最後の方だったので、観客も少なく寂しいものでしたが、古くからあるテーマを最新の SFX技術で映像化し、結構想像力を掻き立てられました。上の「柿事件」ような変な事件は過去のことですが、「もし、…ならば」ということがタイムマシンで可能になったなら、事件を起こす数分前にワープして起こす予定の子に「あとで面倒なことになるので止めときや」と肩をたたいてあげたのに、とやはり卑近な例に発想が飛んでしまうのは、面白くないなぁ(;;)。タイムマシンでは、「真実は一つ」という過去が、そうでもなくなるという「矛盾」を含むことになるので、「藪の中」以上に複雑にはなりますね。映画「 Back_to_the_future」でも、このような矛盾に対しては冷や汗ものの屁理屈(?多世界論とか)で対応していましたが…。こういう映画では、50万年後とか、何億年後、とか、凡人には想像を絶する世界を、映像化して見せてくれるのは(論理は貧弱だが!)うれしいものです。あの、「猿の惑星」のリメイク版といえなくもないですが、情景のモーフィングを使ったダイナミックな変化には、さすが DreamWorks!と楽しめました。

それから、先日今までなかなか行く時間が取れなかった、うなぎ屋の「 二文字屋 」にも行って、「ひつまぶし」を頂いてきました。さすが、370年以上続くという、江戸時代の初めからあるという由緒あるお店だけあって、鰻自体の美味しさは言うまでもありませんが、その「秘伝の垂れ」には感激いたしました(といっても垂れがそんなに長く受け継がれているとは思えませんが、、、)。考えようによっては、大昔の「垂れ」がタイムマシンに乗って現在にやって来た、と思えなくもないですが、しかしこれだったら「熟成」というがなくなるのでだめかも…。また、そこに飾ってあると言われていた左甚五郎作の木彫りの彫刻は、どこか親戚のものが持っていって返してもらっていない、とお店の人がおっしゃっていたので、この時は見れなかったのは、残念でした。

話変わって、また、試験にまつわることですが、試験のやり方で「なんでも持ち込み可」という試験があります。私もやったことはあります。こういうときは、どんな参考書にも答えはなく、結構よく考えないといけない難しい問題や、再度勉強させるのがねらいでまとめる能力を見るような問題を出すことがあります。このような試験の時は、どのような行為は不正となるでしょうか?言っておくことは、別の人とは相談してはいけない、ぐらいでしょうか。

しかし、もう記憶は曖昧ですが、私が三十X年ぐらい前、大学1年だったか2年だったときにあったある数学の試験(永田雅宜さんのだったかな?)は、「何を見ても、隣と相談してもよい(しかしうるさくしてはならない)」というものだった気がしますが(たぶん正確じゃないけど、でもすごく自由な試験があるものだと感心した記憶だけが残っている)、殆どの人は自尊心が許さないのか誰も隣と相談する人はいなかったような朧気な記憶があります。だれかできた人が居たのかも定かではありませんでしたが、思考過程を書かせる問題なので、あまり相談する必要も無かったとは思います。ただし、近頃の学生には、そのような「自尊心」がちゃんと活きているようには思えなくなったので、そのような「自尊心」をくすぐるやり方は有効ではないかもしれません、残念ですが。

それから、「なんでも持ち込み可」の試験の場合は、これからやるんだったら、パソコンもインターネットに繋げる状態で持ち込みをできるようにしておかないと、あまり学生には恩恵のあることではないかもしれませんね。でも、結局、そういう場合って、内容にもよりけりですが、調べることだけに時間ばかり掛かってあまり良い情報は見つからず、結局は 自分の脳みそでじっくり考えた方が良い、ってことが分かるはずですよ。それが結局、試験実施者の望んでいることですから。だから、普段から考える習慣を付けておいた方がいいんです(言うまでもないことですが、こういうことを言わないといけないところがつらい)。

まあ、世の中には、いろんな形態の試験が考えられます。


 

上の話は、あまり楽しい話じゃなかったので、ちょっと前の綺麗な画像でも貼り付けておきましょう。7月27日と8月3日の土曜日の夜には、岐阜市長良川沿いで、大花火大会が開かれました。毎年の行事ですが、今回デジカメのAutoでどれくらい撮れるか、みてみましたら、まあまあだったので、下に置きます。これは、8月3日の方の花火の一部です。 (私のマンションの部屋の窓からカメラ固定のAutoで撮影;カメラはCamediaC-700) この花火の時間帯には、テレビでSoccerJ1の面白い試合の実況をやっているところなので、ビール片手に両方観ながらというちょっと贅沢な90分でした。 (下の画像は、著作権フリーにしますので、もし必要だという奇特な方がおられましたら、私に断り無く自由に使って頂いて結構です。)

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2002.08.15