春も駆け足で去り
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月に入り、いつものように授業が開始され、新入生への顔見せなどの通常業務が始まりました。昨年は教務担当で、もう4月の最初から色々と忙しい日が続きま
したが、今年は副学科長=就職担当でいくらか時間的には余裕が出ています。学生の就職活動も今が盛り、ですが、昨年までより短期間で集中しているので、就
活中の学生さんにとっては苦しい日々が続いているようです。良く考えて、対象企業を絞って活動せざるをえないので、より計画的にしっかりと対応していって
ほしいものです。
季節は春ですが、結構寒い日が多く、例年より桜の開花が遅かったようです。
しかし、4月後半は暖かい日も多く、岐阜ではあっという間に桜は満開になり、そして散ってしまい、春は駆け足で去っていった、という感じになりました。
ゴールデンウィークは、4月28日から始まりましたが、福島・伊達市の実家のほうで29日に法事関連の行事が行われたこともあって、ついでに28~30日に福島桜見旅行をしてきました。例年より1週間ほど遅い満開の桜を、幸い連休の期間に観ることができました。
まず、28日には、最近つとに有名になった三春の滝桜を、午後観ました。岐阜根尾谷の薄墨桜(10年程前に行った時)
とならんで日本三大桜の一つとして有名ですが(もう一つは山梨の山高神代桜)、一応福島生まれなのに直接見るのは今回が初めてでした。豪華さという点で
は、この滝桜が一番かも知れません。小高い丘の中腹に、それはほぼ満開の状態で私達を待っていてくれました。その姿に、ただ感動。。。しかし、気温が28
度ぐらいあり、人も多く、少し山登りもあって、暑いこと暑いこと。右写真は、横から撮ったもので、正面からよりはその広がりの大きさが分かりますし、右下
に人々が写っていますので、その木の大きさが実感できます。樹齢千年と謂われていますが、7本の木からできているそうで、周りに住んでおられる桜守の人た
ちの連綿とした維持作業の賜物でしょう。実は、満開になって1日ぐらい遅く見たものなのですが、花びらの色はピンクに少し薄墨が入ったような、落ち着いた
色合いでした。最近は、この近くの避難所に住んでおられる原発事故の被災者の人たちもその維持作業に関わっておられるとか。この桜は、人々になにかの強い
エネルギーを与えているように思います。
その後、福島市に行って、夕方、市内にある花見山を
タクシーの運転手さんの案内で見てきました。ここも、10年くらい前から有名になっているようで、桜や花桃などの様々な鮮やかな色に覆われた山(個人の所
有らしい)を遠くから観ました。この辺りは、放射線量がわりと高く、その時も0.86マイクロシーベルト、という表示がしてありましたが、今年は山の養生
という名目で観光入山は制限されているそうです。こんな原発から60数キロも離れたところにも、影響が強く出ています。
29日は、午後行事を済ませ、会津に行きました。午後7時頃、ホテルを出て、鶴ケ城の夜桜見物に出かけました。鶴ヶ城を訪れるのは小学校以来。ここもほぼ満開の桜でしたので、かなり雰囲気が出ていました。月も半月ですが出ていて、月と桜とお城、という絶好の撮影スポットが至るところにありました。(右図は月の無い絵) そして、翌日30日も、朝早く出て、再びお城の桜を見物に。夜とは違って桜の豪華さが迫ってきます。お城の瓦の色が最近変わったそうで、若干赤みがかっていました。千利休の子・少庵が作ったとされる茶室(麟閣)が、お城の中にあり、良い雰囲気を出していました。ここが表千家や裏千家の源流なのだそうです。大きなお堀の周りは満開の桜で、実に見事でした。2013年のNHK大河ドラマはこの辺りが舞台になる、「八重の桜」だそうで、今から楽しみです。このお城の近くにある建物が現在、原発の大熊町の役場の避難場所になっている、ということをタクシーの運転手から教えられました。
会津というのは、日本の歴史の中で福島県の悲哀と強さの象徴なんです。そのことを肌で感じることができた2日間でした。
こうして、福島の桜を満喫したあと、郡山までの鉄道の旅の途中、猪苗代に寄って、野口英世記念館を見てきました。小学生の頃、修学旅行で見に行って以来の
野口記念館で、記憶の中にあるものとはだいぶ違って、立派になった展示物を見てきました。野口英世のロボットもあり、上手に演技していました(会津大学の
人が協力したのかな、なんて思ったり)。野口博士って身長153cmだったというのは、初めて気づいたことでした。野口博士については、私の兄も最近こんな論文を発表しています。あとで、野口博士の千円札を使って喜多方ラーメンを食べてお昼にしました。
ここ十数年間、ゴールデンウィークに観光に行くということはほとんどありませんでしたが、今回は存分に福島の桜を飽きるほど鑑賞してきて楽しみました。と
同時に、福島では、海のものも、山のものも、土地全てのものが放射能汚染の風評被害にあっており、笑い顔の中に哀しみ有り、これは時間が経ってもなかなか
解決できず、その心の葛藤と哀しみを感じてもきました。今後どのようにフクシマに関わって行ったらいいのか、考えさせられました。
(2012.05.02)