秋の憂鬱

  10月21日以来、比較的穏やかな、寒くない日が続いていて、紅葉もまだかな、といった風情で、秋の深まりの楽しみももう少し先のような気がします。この一月ほどで、ハロ ウィーン、マイナンバー配布、岐大祭、MRJ初飛行、などいくつ話題かありましたが、何といっても11 月13 日金曜日のパリの無差別テロが衝撃でした。これ以外でも、来年度から就活の(昨年よりも)前倒しの6月解禁にすると経済界から発表 があった ことも、注意しておくことでしょう。どうせなら以前のように4月解禁のほうがまだましなのではないか、と思っていますが。。。

 パリでの無差別テロの報道を聞いて、すぐ25年前のパリ留学の事を思い出しました。記録はここに。
 あの時も、1991年の1月に湾岸戦争が始まって、1月末にパリ市内(3区新聞社)でも爆弾テロがありましたし、イラクから毒ガス攻撃があるのではないか、 という噂が広まったりしてガスマスク着用の訓練をしてみたり、メトロに乗っても変な人はいないか見回して結構緊張しながら通勤していたものでした。その憂鬱感 がよみがえってきます。考えてみれば、このイラクを巡る戦争で最終的に排除されたフセイン派の残党が今のISの中核をなしているといわれていますので、今回の パリテロも、あの9.11も、始まりは25年前の戦争であったといって良いと思います。戦争の連鎖は続いているわけで、むしろグローバルに拡大しています。終 わらない戦争、断ち切れない恨みの連鎖。憂鬱。ヴィオロンのため息。黙祷。
 今でもパリ市内に住んで留学している日本人は多いと思うので、今回の事で相当心配になっていると思います。

 25年前当時、パリの11区、ヴォ ルテール広場の近くに住んでいました。まさに今回のテロが起こったヴォルテール通り辺りが通勤経路でしたので、襲撃の報道があってすぐにどの場所 にあるレストランやホールなのか、地図で確認しました。その広場には25年前にもあったワイン屋さん、カメラ屋さん、小さなスーパーが今もあることを地図の上 で確認できます。25年前とほとんど変わらない風景のようです(ストリートビューで確認できます)。たくさんの犠牲者が出たバタクラン劇場は当時住んでいたと ころから800mぐらいの距離にありました し、襲撃を受けたレストランのほとんどがヴォルテール通り沿いにありましたので、恐らく車で大通りを走りながら、あるいは交わっているパサージュに入りながら 打ちまくったのでしょう。
 それにしても、なぜこの地域が襲われたのか、ヴォルテール通りのレストランがなぜターゲットになったのか、謎です。25年前もそうですし、フランス革命の時 からそうだったのですが、この10区、11区あたりというのは労働者や一般市民が多く住む街と言われていました。以前ですと、テロの対象となるような新聞社や 雑誌社、 金融機関、政府機関などはもっと中心部の3区、4区にあり、また外国からの観光客ももっと中心部に多いはずなので、25年前は11区あたりがテロの対象になるとは考えら れませんでした。その意味で今回のテロは、まさに一般のパリ市民がターゲットだった、ということになります。たぶん恐怖を与えるということが主目的だったので はないかと思います。
 でもこの襲撃は、パリ市民のこころに火をつけたのではないか、と思われます。フランス革命当時、文豪V.ユーゴーが言っているように、「パリ人は名誉のためには」人が変わったように戦うと いうことであれば、パリ人は理不 尽な無差別テロには断固とし て戦うのでは ないか、と思っています。
 しかしながら、これがあの9.11のように間違った戦争の引き金になるのでは、と考えるととても憂鬱になります。
 これではしばらくは退職後の海外旅行ではフランスは対象から外さざるを得ませんね。
 
(2015.11.17)