植物分子生理学研究室
Lab for Plant Molecular Physiology, Fac Appl Biol Sci, Gifu University
学生に求めるもの
岐阜大学に赴任して14年経った。これまで出会ったことのないようなタイプの学生に遭遇したのは、経験値が上がってよかったのか知らずに人生終わった方がよかったのか。立場上受け入れ不可としたい人物もタイプファイして認識できるようになってしまった。思えば 神戸理研の笹井芳樹先生は全く免疫のないタイプに出会ってしまったのだなと思う。残念なことである。
さて、研究室運営者として新人学生に何を求めるか。希望を言い出すときりがないが、ひとつだけ求めるなら、責任感を挙げたい(慎ましい希望である)。
責任感がないというのは恐ろしい。 まず、研究指導は超困難である。できなくはないのだろうが、私にはムリ。研究室メンバーと実験設備への被害も想定しておかなくてはならない。卒業時社会に送り出す際には将来を期待する気持ちになれず、チームワークや信頼のない殺伐とした未来が待っているのだな、と内心思うことになる。逆に考えると、これさえあればたとえ仕事が遅くても理解力が低くても社会人として十分生きていける。
考えてみると、責任感というものは社会へ出て活躍すべき大学生の資質として最重要項目であるものの、専門教育を旨とする大学の教育案件には入っていない。ついでに言えば次に重要なのは「主体性」もしくは「バイタリティ」であるが、これも案件外(たぶん)。
近年台頭しているのが「失敗せずスマートに生きたい」タイプの学生であるが、この性向はバイタリティの育成とは相性が悪いようである。慎重な態度はアドバンテージになりはするのだが、経験値が上がらないので十代後半の学生としては伸び悩むことになる。他人からの評価に対して敏感になっているのも気になる。窮屈ではないのだろうか。
「スマート」の対極にあたるのは興味が向いたら何でも気軽にトライして寄り道ばかり、というパターン。子供のネイティブな傾向(本能)であり、この行動様式からいろいろサバイブ術を習得することになっている。ヒトだけでなく動物でも同じことである。
本能のことを言うなら、大人は新しいことを習得するフェーズにはいない。子供=学習(発見)、大人=実践、である。大人は学習期間が終わっているので価値観や行動様式はもう変化しない。大人の視野が狭いのもネイティブな傾向であり、必要なものが特定できていてそれだけを見ているのだから効率的である。学習したモデルが現実と合わなくなった時には大人には対応できない。科学者は大人なのに子供のフェーズから外れるとやっていけないので本能の観点からいうと無理がある。
かのケンブリッジ大学では入試の合格者に対して入学前に1年間の休学を勧めるそうである。高校終了までは受け身の勉強が中心だが大学では受け身の姿勢は捨て主体的に活動をして欲しい、そこで目標発見とモチベーション獲得を狙っての休学の勧めらしい。これで主体性が上がるのならよい制度である。大学はノーコストという点も見逃せない。
39年前に私が通っていた大学では何もしなくてもいくらでも単位をもらえた(注1)。すると、「休学しなくても休学中並みに自由に活動できる」状況が生まれるのである(注2)。当然大多数の学生はこの状況を歓迎していた。とはいえ、この教育活動を放棄したかのような大胆な手法はバイタリティの低い学生には効果がない、というより逆効果になる。今思い出したが逆効果の例は多々あった。パチンコか麻雀が上手くなっただけ、爛れた生活スタイルが定着、社会性の喪失、コミュ障が重症化、必然性のない引きこもり。
無自覚に休学状態になだれ込むよりは意図的に期間を決めて休学する方が制度としては優れている。今の時代なら目的をもう少しはっきりさせて単位化するのがよいかも知れない(ひとりごとです)。単位化すれば「全員必修」という大技を繰り出すこともできる。「奥飛騨の農家で1ヶ月住み込みボランティア」、「山岳ボランティア1ヶ月」、「中山道踏破」、「知人を100人作る」、「砂金1g採集」、「菊花石採集(注3)」、「隕石を見つける」、「ブンゲン鉱山跡を探し出し巨大水晶採集(注4)」、「インドで宝石採集」、「中国澄江で化石採集」、「ニセ化石収集(注5)」、「カラスを手懐ける」、「イワハタザオの生息地を10カ所見つける(注6)」、「カミキリムシ30種採集」、「深海の微生物採集」、「光秀埋蔵金を探しだす(注7)」。。。
なんだか夏休みの自由研究みたいになってしまったが、上に挙げたようなことなら休学しなくてもできる(中高生でもできる)。グループを組むと依存したり決断する役がこなかったりで効果が薄くなるので単独でやるのがベスト。主体性を持って行動したという経験自体が以後の主体性を高める。単独行動は今も昔も小中高では褒めてもらえないようだが(逆に集団行動へ誘導されてしまう)、どんどんやるといいと思う。やったことの結果は100%自分の責任になるが、そういうところもよい。自分で判断して自分で責任をとるのだ。あたりまえのことではあるのだが、それを体で理解しておく、というのが将来的にも重要になる。(注7)
単位(甘口)
注1)テストでカレーの作り方を書いたら数学の単位が貰えた、という話があったが決して伝説ではなかった。「カレーの作り方書いたのに落とされた」という学生もいたが、それは作り方の記載に不備があったからではないか、と言われていた。「ちゃんと書けば必ず貰える」みたいな。
注2)関東方面には「休学せずに休学中並みの自由活動をしたのち中退して作家か役者になる」という履修モデルを持つ大学もあるらしい。
注3) 菊花石は昭和16年に国の天然記念物に指定され(現在は特別天然記念物)主要な産地であった岐阜県根尾村初鹿谷(はじかだに)は採集禁止。 上大須ダム・川浦ダム工事(昭和52年〜平成7年)の際に道路が整備されたのをきっかけに赤倉山(初鹿谷の奥の林道が迷走しているあたり、採集禁止エリアからは外れている)から良モノが多数掘り出されたが、取り尽くされて(!)平成14年頃に採掘終了。その後は流通も下火になった。私が岐阜大に赴任した平成21年には根尾近くの谷汲山華厳寺(西国三十三所めぐりの最後の札所、岐阜大から車で30分)の参道では菊花石を売る石屋がまだそこそこ並んでいて、大物は百万円とかで売っていたのだが、令和の今はだいぶ寂しくなってしまった。
生成の過程は以下の通り:石灰岩(海洋の浅瀬に生物由来の沈殿物が堆積してできた岩で主成分は炭酸カルシウム。根尾の石灰岩は古生代ペルム紀の化石を含む。)の上を熱々のマグマが樋状に流れ出しながら石灰岩を溶かしてダマ状に抱き込む。マグマが冷えて固まる際に溶けた石灰岩が先に結晶化して菊の花のようになる。その後石灰岩の部分(というか方解石というか)が石英(玉髄)に置換される場合がある。産出地は世界的にも限られ、国内では根尾が最も有名。
上記の説明は1970年に牛丸周太郎(岐阜大)が考察したものに沿っている。ポイントは、花の部分は炭酸カルシウムでできており、外殻はあられ石の形状になっている、というところ。最初はあられ石として結晶化し、その後内部のみ方解石に転移して仮像化した、と考察している。
ちなみに、ネット上では生成過程について諸説出回ってしまっている。①菊の花の化石、②母岩が冷える際に溶けた石灰岩の小塊が圧力を受け「弾けた」、③外側の溶岩が冷える際に亀裂ができて、そこを溶けた石灰岩が埋めた。③については1941年に坪井誠太郎(東大)が発表した説で、ネット上で生き残りエコーしている。花が結晶様の形状をしているのは実物を見れば一目瞭然だと思うのだが。。。
根尾の薄墨温泉のロビーにある立派な菊花石(高さ1m)
注4)ブンゲン鉱山(正式には北伊吹鉱山)は岐阜県西端にある貝月山花崗岩地帯の超巨大晶洞。1953年頃から10~20年(?)稼働したらしいが位置がよくわからない。ネット検索、グーグルアース、聞き取り調査、ソーシャルハッキング(注9)等々を駆使して探し出す、というミッションになる。場所の見当がついたらGPSと登山用ロープを持って現地入り。吸血ヒルと熊と猟師がいるので要注意。
注5)ニセモノを見分けるには本物の化石についての知識が必要。ミネラルショーとかに行くと出会える。モロッコや中国では大胆な作品が多々作られている。
注6)最初に漁るのは論文、標本の採集地情報、インターネット(ブログやTwitterも)と、森長真一先生(現帝京科学大)に教わった。新規の生息地を探す場合は、既知の生息地の共通項からニッチを絞り込んでおく。ハクサンハタザオは日あたりがよい(林縁、道端、崖)水場の近くを探した。イワハタザオ探しで役に立ったのは産総研の地質図<link>で、生息地はアルカリ土壌に偏っていた。
注7)安土城から奪った財宝が行方不明。
話はそれるが、私は京都山崎育ちである。山崎の合戦の光秀本陣は私の家から徒歩2分のところにあった(サントリービール京都工場の近く)。 地元の小学校では、光秀は落武者狩りで山崎の農民に竹槍で突かれて殺された、と聞かされてきた(山崎はタケノコの名産地でありつじつまはあう、というより小学生には刺激の強すぎる話)。ところが、今の地元岐阜の山県(やまがた)では「山崎で死んだのは影武者で、光秀は生きのびて故郷の山県で隠棲していた」という話になっている。ちゃんと墓(桔梗塚)も山県にある。マルチバース?
注8)学生全員に責任感があり主体性に満ち溢れているのなら、「新人学生にひとつだけ求めるなら、それは先読みする力」とかいう話に変わるのかも知れない。その次は論理構成力?継続力?。専門知識やコミュニケーション能力はまだまだ出てこない。
世間的には大学は専門教育を受けるところと思われているかも知れないが、高校生のメンタリティ(受身の勉強モード)のまま専門知識だけ増やして卒業すると、社会の即戦力にはなってもそのうち知識が古びてフィットしなくなる。私の場合は、一生成長できるような伸び代を作って、自立的に成長できるような姿勢を身につけてもらう、ということを目標にしている(のだと思う、自覚はあまりない)。知識を増やす作業は本人がひとりでする、その際ガイドがいれば役に立つがアシストは求めるべきではない(と考えているのだと思う、多分)。
注9)真に受けないように。
2023.8.25
Highly Cited Researchers of Gifu University