山の暮らし

 

都会と山の暮らしはだいぶ違う。


山では自然に合わせて行動する。天気に合わせてその日の作業を決める。大雨になったら川の氾濫と崖崩れを心配する。クマに出くわしたら、怒っているのかリラックスしているのか見定めてこちらの行動を決める。食糧の採集生産の面でも自然に合わせていくことが必須であり、それがそのまま生活していくということになる。


一方都会の暮らしは信号を見て歩いたり止まったり、本屋や喫茶店で休んだりとか。万年筆のインクを買うなら東急ハンズか伊東屋へ行けば選択肢が多い、というのは購入のためには必須の情報である。おいしいカレーパンはどこで買えるか、スタバでのコーヒーの頼み方、等々。地下鉄に乗るならそのための知識(路線、乗り入れ、各停快速急行準急特別快速、切符、ゲート、自動ドア、混雑する時間帯、優先席、痴漢対策、痴漢に間違えられないための対策、等々)も必要である。


さて、山に入って数日過ごした後都会へ出ると、頭の使い方が全く変わることに気がつくことになる。


都会では天気の変動をそれほど気にしなくても構わない。まずは遭難の恐れがないのであり、その日の予定が天候に左右されることはない。クマはいないが大型動物としては人間がたくさんいる。でも、彼らがどんな感情にあるかは気にしない。どうして気にしないかといえば襲ってこないからである。人は法律で縛られているため襲わないのであり、危険はないのが前提である。道を横断する際に車に轢かれる心配をしなくていいのも同じ理由による。信号を守るのも道の左側を歩くのも地下鉄の切符を買うのも人が作った仕組みや決まりに従っていることになる。つまりは人が作った仕組みの中で生きていくのが都会暮らしということになる。特に消費者としての側面はかなり大きく、所持金の量により行動の自由度が決まる。


逆に山の暮らしでは、クマも川も落石も天気も法律には従わない。動物の生理や物理法則に従って行動や現象が生じるのであり、その原理を理解することが予測に繋がり生活していくことに繋がる。物品や食料の入手は山で採れるものならタダである。山中で現金を見せても松茸は購入できないが、生えている場所を知っていてそこへ取りに行くことができれば入手できる。ということは、街中のお金に対応するものは山では知識プラス体力、になるのかも知れない。


ということなので、都会と山とでは用いるべき知識体系がまるっと異なっており、街では人が作った規則や設備、組織についての知識、山では自然に対する知識を用いる。価値観も違う。オーバーラップは少ない。都会と比べると田舎には10年遅れで新しい物事がやってくると言われることがあるが、文化的な差異は100年経っても埋まらない。


最近思うのは、街で育った子供と山で育った子供とは感性や物の見方、考え方が全然違うのではないか、ということである。非常に重要そうな視点であるが、何に繋がる話なのかはちょっとわからない。


2022.4.20


端的に言えば縄文人 vs 東京人という話になるのかも知れない。山彦街彦である。自然科学者はまた別の人種で、山彦から見れば「いろいろ知ってるわりには大して役に立たない」ということになる。



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