片岡浩介さん (奈良先端科学技術大学院大学助教授・分子生物学)

 前回(を含めてこれまで)のフォーラムの感想です。

 できれば毎回フォーラムに参加したいと思いながらも、ときどきしか岐阜に行けていません。参加してないときは行けないときなのです。毎回行きたくなって
しまう芸術フォーラムって、いったいなんなのでしょう。何をおいても行きたくなる半定期的イベントなんて、世の中にそうそうあるもんではないですよね。
あるとしても、たいていは中毒と禁断症状を伴うようなものばかりのような気がします。中毒患者は同じ種類の増大する刺激を求めますが、芸術フォーラムは
中毒にはけしてならないところが大きく違うように思います。参加者は毎回、これまで使われてなかった脳みその回路の存在に気付き、新しい配線のつなぎ替えを試みようとし、そして、フォーラムの前と後で知らずしらずのうちに自分自身が変化してしまっているのではないでしょうか。いやまてよ、毎回違う回路を刺激するなんて、これぞ究極の麻薬?

 芸術フォーラムの、あの、他にはない曰く言いがたい、ゆるやかな、緊張感のある、いいかげんで真剣な雰囲気を言い表すのはものすごくむつかしいのです
が、敢えてひとことで言うならば、「優雅」ではないかと思います。

 そういう「雰囲気」のようなものを敢えて言語化するのは、なんとも難しいことだと思うのですが、参加された皆さんがいつも、とてもよく雰囲気の伝わる感想を書いておられるのには感心しています。もしかしたら、繋ぎ替えが起きてしまった脳みその配線の具合を確かめるためには、言語化というプロセスがどうしても必要なのかもしれませんね。

 そして、芸術フォーラムの最中でも、そこにある「何か」を、参加者の皆さんがなんとか言語化してとらえよう、伝えようとされている姿勢にも毎回感心します。前回のフォーラムでもそうでした。ヒポワークの皆さんも、音楽療法の沼田さんも、なさっている仕事はもちろんですが、その姿勢がとても力強く、頼もしく感じられました。僕自身は芸術に関わる仕事をしているわけでもないので、真剣に取り組んでおられる方々から見れば「まあどっちだっていいや」的な参加の仕方なのかもしれませんが、まあ、「自分のことは棚に上げる」ところからものごとや対話は進むわけで、今後も大目に見て下さい。「肩のちからを抜く」「真剣にやらない」というのも大事な(こともある)わけですし。

 こうやって文章にする作業には、また別の脳みその回路を使うわけで、これも芸術フォーラムの「遅効性の効能」ですね。そして何かが定着され、何かがこぼ れ落ちてゆき、こぼれ落ちた何かがとてもいとおしく思える。うーん。芸術だ!