佐藤雄二さん(朝日新聞記者)

 件名に「御礼と感想」と打ち込むつもりだったのに「間奏」となってしまい、直そうと思いましたが今後都合が許す限り参加していこうと思っている私にとってはまさに「間奏」のような感想文でもあるので、そのままにしました。な〜んていきなりかっこつけましたが、とりあえず長いのは避けて自分の頭を整理するのに役立たせるために短くまとめます。

 取材者の立場を忘れて楽しめました。会場に着いたのは午後4時過ぎで、それまでどんな出し物や話し合いがあったのか知りませんが、私にとっては「片岡祐介さんと片岡由紀さんによる演奏2曲」が最初の出し物でした。それぞれの曲を聴いていてヨーロッパの風景やら私の田舎の風景を思い出した話は酒を飲みながら話したのでここでは割愛します(と言いながら書いているのですが)。ルー・ハリソンの名前も死去を伝えた新聞記事をも知らない自分のことを本来なら大いに恥じるべきかもしれませんが、最近はぜ〜んぜん、恥ずかしさも感じません。だってしょうがないじゃん、音楽は近くで流れていれば聴く程度だし、新聞だってあまり読まないし……。だから今回も流れてきたから聴いたのであって、それはそれでとても居心地の良い時間を私は過ごしました。
 2番目の出し物「片岡祐介さんの即興演奏による小足有紀さんの即興舞踏」。良かったね。これも服部先生の作ってくれた極うまカレーをすっかり空にしたころに話した気がするけど、音楽としてよりも単なる音(文字通りあれは物音でした)と言葉一つ発しない舞踏は暗闇と小糠雨、それに宇治山田直行(私はこの仮設即興芸術家の名前をまじめに受け止め記憶したいと思っています)の舞台と相まって十分に神秘的でした。つまり、沈黙が支配すればするほど、小足さんの動きを通して、祈りやら怨嗟やら、哀しみ、そしてわずかの希望か喜びか、といったもろもろの言葉があふれているような気がしたのでした。これは、あの日あの夜あの場所で、あの時のような心のコンディションであった私が味わった体験であって、別の機会であれば、また別の感じを受けたことは間違いないだろうと考えます。つまり、ついてたなボクっていう感じだね。蛇足ですが、私は自分のことを、ああいうの見ると衣装の下の体のことなんかばかり考えてしまう人間だと思っていた気がするのですが、あの夜はまったくそのてのことは想像しませんでした。
 出し物3番目。「平松伸之さんとジャガ一郎さんによる……(済みません。何といったら良いのでしょう)」。一昨年、蓼科高原にライカ同盟のスケッチ旅行に付いていった時、三人三様の制作過程をのぞくことができて面白かったのですが、今回も、一つの表現行為をまるごと見ることができたことに意義を感じました。私の感想がとりとめないせいかだんだん書くのに疲れてきました。伊尾森朗さん、ごめん。伊尾さんの「惑星のしゅうふく(修復?)」は酔っぱらった頭でも素晴らしく感じました。心眼で見たからかな、なんちゃって。それにしても片岡さん、よく即興でできますね。

 まあ、いずれにしても私はあの夜しゃべりすぎた感じがするので、次の機会にはひとの話に耳をかたむけるようにしようと少し反省しております。といいながらこうやって書いてるんだから、しょうがないね。では野村先生をはじめみなさまがた。またお会いしましょう。