高山葉子さん(愛知県立芸術大学院生)
先日も、前回に引き続き楽しい時間を有り難う御座いました。
まだたった2回だけですが、参加させて頂く度に、色々なことを考える「種」を戴いて帰っています。
野村幸弘さんの「場所からの発想」には、非常に共感するものがあります。
例えば良く見かける民族音楽のコンサート、冷たいホールの舞台の上に、リンべやディジュリドゥを持って来て演奏するのは、もちろんそれなりの価値があることですが、どこか違和感を覚えるものです。
それは、その音楽の背景に当然あるべき景色、音、匂い、温度、などがそこにないからであって、そういった演奏会を聴きに行って感じるのは、音楽が自分の故郷を懐かしがっているような・・・印象、
のびのびと音楽がそこに鳴り響く、というのとは少し違う・・そんな印象です。
そういう意味では、野村さんは逆に「場所」に出向いて、その「場所」に隠れている「音楽の種」をすくい上げているのでしょうね。
だから、びっくりするほど音楽がその場ではしゃぐ、のびのびと歌う、聴いている私も、自分自身までもその音楽の一部であるかのように自然体でいられる、のだと、思いました。
5月8日のフォーラムでも、片岡さんのサンバ講座(?)で、皆で輪になってサンバ・リズムを練習していた時、誰かが偶然落としたヤクルトの容器が、石畳の上で跳ね転がる音が、
『ソロみたいだ!』
と心の中で思った瞬間、
片岡さんも
『ソロだ!』
と言って、たちまち皆で『サンバ・デ・ヤクルト』状態。
子供のようにはしゃいでいたのですが、あれだって、青空の下で、緑の香りを含んだ風の中で、岐阜大学の美術棟の石畳の上で、拾い上げた「音楽の種」であったから、
あんなにも生き生きと鳴り響いたのかもしれません。
なんだか、芸術フォーラムは、自分が作曲を始めた子供の頃を思い出させてくれます。
自分が居る部屋で、ぼ〜っとしながら、窓からの光やカーテンが揺れるのや、
隣の部屋で母親が電話してるのを聴くともなし聴きながら、ピアノで何時間も即興遊びしていた時のようなリラックスした気持ちになります。
リラックスしすぎて、時々とんでもなく間抜けな発言をしてしまうのには反省しきりですが・・・こんな未熟者ですが、これからもお仲間に入れてやってください。
次回は、お酒持参で参ります♪
「音楽の種」。いい言葉ですね。それをミレーやゴッホが描く「種まく人」みたいにあちこちに蒔いて、それが発芽して成長して、面白い音楽がどんどん育って行くというイメージが浮かびました。(野村幸弘)