飯田茂実さん(詩人・小説家)
岐阜大学芸術フォーラム、面白く育っている感じですね。先日、舞台キュレイターの花光潤子さんという方とお会いしたとき、関西に、そこから何かが起こって・何かが育つような集いの場、ジャンルから外れた集いの場を作れないか、という話がでて、岐阜大学芸術フォーラムを例に挙げさせて頂きました。ポイントは、「集まる人の出所が雑多で、一見、正体不明」というほかに、「交流時間がたっぷりあって、深夜まで語り合ったり、セッションしたり、騒いだりできる」というところ。たいていの企画ワークショップなんかは、せっかく面白い人たちが集まっても、ゆるーっとした交流時間が用意されていなくてもったいないのです。ほかにもGoodなのは、「長息(ナガイキ)な感じがするところ」。やっぱり長い目で見て、何かを続けてゆくようなやり方がよいです。
野村幸弘さんの岐阜大学芸術フォーラム、1年経っても、ちゃんと、同じ場所で行われている、得体がしれないくらいに、自由な雰囲気がある、これはいいな、すごいことだなと思います。僕は今年から「ぱふぉーまんすが生まれます」という一連のワークショップを始めました。総合パフォーマンス・ワークショップとでもいうのでしょうか、ダンス・音楽・うた・詩・人交わり方法などを含む、即興アクションのワークショップです。レッスンじゃないです。これまで、京都芸術センター、枚方メセナ、大阪インターメディウム研究所で、さまざまな年齢層の参加者と、これを試してみました。すごく面白いパフォーマンスが生まれました。今月末からは、松山に10日滞在して、地元アーティストたち約20人と、これを試してみます。
「ぱふぉーまんすが生まれます」のなかには、この何年か、僕がいろんな人たちと試してきた「ポエ採りアクション」というのが含まれています。ただ1人でノートに詩を書く、書いた詩を活字にして発表する、書いた詩を1人で人(人々)に朗読して聞かせる、そういうところから外出するような「詩」のやりかた。ザリガニ採りとか、アケビ採りとかいう感じの、詩の愉しみ方。その場で、そこにいる人たちと、実際に、詩を生みだすアクション。詩って、すごく多彩で面白いアートなのに、ひっそりとした活動をする人が多いせいか、アートからのけ者にされている感じがあって、残念なのです。古本臭い文学研究というコトもあるけれど、やっぱり、現在進行形の、生きた文学活動っていうのは、美の術で、一種のパフォーマンスで、アートだと思うのです。
僕はひと頃、観光地、河原、路上、大学などで、見知らぬ人たちに話しかけて、自分の書いた本を紹介して歩いていました。全国11都府県+外国で、話しかけた人は3000人あまり、これは、試行錯誤を繰り返すうち、本を仲立ちとした、かなり面白いパフォーマンスになってゆきました。こういうのも、れっきとした文学活動だと思うのです。
言葉のアート全体に、何かぴたっとくるネーミングはないものでしょうか?
ポエ採りアクションも、始めのうちは、ネーミングを求められると、集団詩とか、即興対話詩とか、身体詩とか、中身とそぐわないような、しかめつらしい呼び方をしてしのいでいました。外国では、「コミュニケーション・ポエトリー」とかいうと、何となくわかってくれるみたいです。
久しく個人的に・仲間内でひっそり愉しんでいたポエ採りアクション、去年あたりから、劇場にも登場するようになりました。京都国立美術館で、ベルリンのアート・フェスティバルで、たくさんのお客さんに囲まれてやったポエ採りアクションは、大繁盛というのか、集まった人たち大喜びでした。なんか噂が伝わったらしく、来年、僕は、講義とポエ採りアクションの招待を受けて、マルセイユ国際詩学センターへ行くことになりそうです。言葉が通じにくい人たちと、ポエ採りアクションをするのは楽しみです。
18日には、このポエ採りアクションを、フォーラムに集った人たちと一緒にやってみたいと思います。せっかくなので、初めてやるようなことを試してみたいです。3人から30人くらいのあいだなら、何人でもできると思います。参加者はみんな、自動的に、ポエ人(poet)です。ボディも、声も、できたら楽器も使います。時間は30分くらいでしょうか。もし、集った作曲家・音楽家の人たちと一緒に、展開させられたら、+15分くらいになるかもしれません。・・・でも、時間も、内容も、その時になってみないとわかりません。」
以上は、前回のフォーラム開催前の飯田さんのメッセージですが、フォーラムの後、再び次のようなメールをいただきました。
岐阜大学芸術フォーラム、参加できて、よかったです。ありがとうございました。
ああしたポエ採りアクションをさせてもらえたのも、場所の雰囲気、集まった人たちの持ち味のおかげだと思います。人がつどう場所っていうのは、つどった全員がそれぞれ、ムード・メイカーになっている。
集いといってもいろいろあって、集いによっては、つい、ぼく、宮澤賢治の『政治家』という詩を想い出したりします。「あちもこっちも/ ひとさわぎおこして/いっぱい呑みたいやつらばかりだ」というフレーズ。
愉しくわいわい騒ぎたいわけではないんだ、幸弘さんは、美しいこと、を求めているんだと感じました。今までも、ずっと、美しいことを求めてきて、なにか、ささやかでなことも、美しいことが、人のあいだに、起こってほしいのだ、と。
大学の場を活用して、本当にしたいような集いができるなら、教授会もムダではないのかもしれない、なんてぼくは勝手に思ってしまいました。へんなこと、すみません。
一見、動機や、欲求の素をとらえにくいような、不思議なことに熱中している人に、ぼくはすごく惹かれます。事象のミクロな構造だとか、他の人に説明しにくいイメージとか、一見、何の実利にもつながらないような、抽象的なことに熱中している人。少数派というか、虚数派というか、どうにも大衆化しにくいような人。そういう人を見ると、「この人は一体・・・何を見ているのか?」と感動します。(このあいだのフォーラムでも、そういう発表があったなあ・・・と)そういう人に会うと、世の中が一気に住みやすく感じられて幸せになります。
ぼく、次回のフォーラムの頃は沖縄にいるはずです。その後は春まで、あちこちへ公演ツアーにでかけたりして、しばらく過密スケジュールが続くと思います。自分が参加できない時にも、あの場でああいう集いが行われていると思うと、なんか、気になる・・・。
また、次に、芸術フォーラムでお会いできる時を、愉しみにしています。
その時にも、また、ポエ採りアクションを試してみたいです。
少数派というより、虚数派。このネーミング、なかなかいいですね。2乗してマイナスになるというのは、ちょっと気になりますけど。でもこのマイナス、ベクトルじゃなくて、スカラーと取ると、捨てたもんじゃありません。飯田さん、1年後?の再々登場、美術棟の中庭でお待ちしています。(野村幸弘)