内田勝さん(岐阜大学地域科学部助教授・英文学)
幻想工房の野村さんへ:内田勝です。遅くなりましたが、芸術フォーラムのビデオの感想です。
高校のころ吹奏楽部に入っていて、練習場所はかつて図書館だったという古い木造平屋の建物だったんですが、練習のない日の放課後の旧図書館は暇な部員たちの溜まり場になっていて、コンクールの課題曲とは縁のない、妙なセッションというか一発芸のようなものが日ごと繰り広げられる場所でもありました。「チューバ2本による不気味な松田聖子メドレー」とか「バリトンサックスによる、テレビゲームの電子音の物真似」とか「フリージャズ・セッションごっこ」(ただし本当にデタラメに吹きまくるだけ)とか「昼と夜」(足踏みオルガンの白鍵だけを「ひるーっ!」と叫びながら弾き、「よるーっ!」と叫びながら黒鍵だけ弾く)といったものです。今から思えば、課題曲の練習なんかより、常日頃ヘンテコな演奏を聴いたりやったりしていたことのほうが貴重な体験で、そういう体験を通じて自分はいっそう音楽の魅力にはまり込んでいったようです。
『岐阜大学 芸術フォーラム【第1回−第10回】』のビデオを観ていて、そんな高校時代のことを思い出しました。岐阜大学教育学部美術棟の中庭には、まるで放課後の吹奏楽部の部室みたいに、妙ちきりんだけど気持ちのいい音楽が、月に一度の割で漂っているのですね。
第1回のビデオはこのフォーラムの活動を象徴しているようで、もっとも感動的です。冒頭で、輪になって椅子に座った参加者が一人ずつ音を加えていくところ、最初のうちはぎこちなくて、よそよそしくて、音もショボいんですけど、そんな恥ずかしい、ちょっといたたまれないほどこわばった空気から、音の数が増えるにつれて、じわじわと音楽が形を成してくる。一人一人は基本的に同じ音を繰り返しているのだろうけれど、そのうちに各自が自分の音を少しずつ変えて遊び始めるあたりで、氷が融けるみたいに音楽が一気に動き出します。あとはラヴェルの「ボレロ」みたいに、ずんずん興奮の度合いが高まっていく。参加者がすっかりくつろいで、ざわざわと楽しげな私語が目立ち始めるころから、俄然音の活気が増しますね。やがてクラリネットの旋律がチンドン屋めいてきて、参加者の誰かが「お祭りみたい」と言う声が聞こえるころになると、演奏者たちのワクワクした気持ちは空気に溶けて、美術棟の外へあふれだします。最後の場面、カメラが美術棟中庭からだんだん離れてゆき、同時に音が周囲の建物や野山に反響しながら広がっていくところをマイクが捉えているぁw)吏・w)は、このフォーラムのやりたいことを如実に伝えていて秀逸だと思いました。
第2回は「しょうぎ作曲」の発案者である野村誠さんをはじめ、この作曲法の遊び方をあらかじめ十分わかっている人たちによる、ある意味で完成された演奏なので、安心して聞いていられますし、シングルカットするならこの曲だ、といった感じの名曲に仕上がっています。最後に片づけられていく楽器たちが、片づけられながらもまだ音楽を奏で続けているところがすごいです。
「片岡祐介音楽講座」は毎回刺激的でためになります。テレビの「課外授業 ようこそ先輩」みたいで、参加者はまるで、異形の先輩にそそのかされるままに半信半疑で作業を始めながらも、結果的にとんでもなく面白いパフォーマンスをやらかしてしまう子どもたちのようです。芸術フォーラムの会場が学校なのはダテじゃないなと思いました。目指すところはやはり教育であり学習なのですね。ただし昼間の教室で先生が生徒に行う教育ではなく、放課後の部室で部員同士が行なう類のものですけれど。
第6回も好きな回です。「モノクローム・サーカス」のダンサーたちが哀愁の鍵盤ハーモニカに乗せて小粋な踊りを披露し、秋の午後の切ない日差しの中で矢野顕子か何かをほのぼのと歌っていたかと思えば、夕暮れが近づくにつれて徐々に放課後の部室的な悪ノリ度が増していき、「空手黒猫のタンゴ」から悪夢のような「般若心経オルガン」、そしてついには狂乱の「絶叫異邦人」に至るというとんでもない展開。ついにベールを脱いだ芸術フォーラムの立役者たちのB級パワー炸裂に、見ているこちらも狂喜してしまいました。林加奈さんの乱れ方が最高です。そんなふうに中庭を阿鼻叫喚の巷と化した白熱のセッションのあと、日暮れに岡野勇仁さんがしっとりとピアノで奏でる「見上げてごらん夜の星を」が、なぜか傷んだレコード盤みたいに同じフレーズを繰り返してしまうところで終わるのも人を喰っていて、気に入りました。
渋いところで第8回も、好きですねえ。まるでムーミン一家のいないムーミン谷の住人を描いた『ムーミン谷の十一月』みたいに、いつもの主要登場人物が前面に現れず、CDプレーヤーから彼らの曲が流れるだけという特殊な回です。執拗にCDプレーヤーと電源コードのリールばかりが繰り返し映されることからもひしひしと伝わる主役不在の現場の退屈さは隠しようもなく、それでも参加者たちの多少わざとらしい演技と晩秋の光を浴びた大学周辺の雄大な自然と編集の力技とによって、そこそこ感動的な映像作品を仕上げてしまうあたりは、ただものではありません。低予算のプロモーション・ビデオのようでもあり、30年前の前衛映画のようでもあります。体にトイレットペーパーを巻き付けた女性たちが粗大ゴミをガンガン打ち鳴らして演奏する場面が、小気味よくて好きです。レゲエでありながら派手な行進曲でもある曲に乗って枝に絡まり風にたなびくトイレットペーパーの映像という、空虚なくせに勝利感あふれるエンディングもたまりません。
といった感じで、どの回のビデオもそれぞれ新鮮で、現場に参加しなかった人間が覗き見ても十分楽しめました。今後の芸術フォーラムの活動およびそのビデオ化にも、ますます期待してしまいます。
それではまた。それにしてももうそろそろ幻想工房ホームページの情報を更新してくださいね。