ヨーロッパ美術の中に表現されている人物のポーズをもとに振り付けしたダンス公演「波のイコン」


夜の神社の境内にやって来る吹奏楽団ー第8回幻聴音楽会


空き地を客席、通りを舞台にして、繰り広げられる日常のドラマ、「エンプティ・シアター」。

神社の神門や石段を舞台に見立て、日本美術の中に表現されている過去の日本人の姿をもとに、ダンスの振り付けを行った伊奈波神社でのダンス公演。

 幻想工房とは

野村幸弘

 幻想工房は、野村幸弘が主宰するアーティスト集団で、画家、彫刻家、建築家、オブジェ作家、工芸家、写真家、映像作家、作曲家、演奏家、文筆家、デザイナー、舞踏家、俳優など、創造行為に携わる人たちによるコラボレーション=協同制作により、場所の特性を生かした芸術活動を行っています。1994年に結成し、これまでダンス公演「失われた形態のための習作」「波のイコン」や、「幻聴音楽会」と題したアート・パフォーマンスを神社、空き地、コンクリート工場、廃屋ビル、養老天命反転地、木曽川河川敷の草原、繊維問屋街、公園、駅など、年2〜3回のペースで開催してきました。現在、映像プロジェクト「場所の音楽」シリーズを制作、また「岐阜大学芸術フォーラム」を毎月1回開催して、異なるジャンル間の交流とその場所から生み出される独自の表現を追求しています。


幻想工房の意味

幻想工房は、画家、彫刻家、デザイナー、オブジェ作家、写真家、映像作家、
作曲家、演奏家、文筆家、ダンサー、俳優など、創造行為に携わる人たちの
コラボレーション=協同作業を目的としています。何を行うかで集まるメンバ
ーはそのつど変わり、ダンス公演ならダンサーが、コンサートなら作曲家、
演奏家たちが集まります。そういうふうに固定した実体がないので「幻想工
房」と呼んでいます。そして宣伝用のポスター、チラシはデザイナーが、セット
は美術家が、公演のドキュメントは写真家、映像作家、文筆家がそれぞれ行
い、「幻想工房」の名のもとにすべてがトータルに構想されています。人は実
際の風景だけでは満足せず絵を求め、日常生活に飽きたらず物語やドラマ
を欲しがります。芸術には私たちに必要な虚構や幻想を生み出す役目があ
るのです。「幻想工房」にはそういった意味も込められています。

場所からの発想

幻想工房の活動は、何よりもまずある特定の場所から出発します。ふつう
なら作品があってそれを画廊や美術館に展示し、曲があってそれを音楽ホ
ールで演奏します。そうではなくて逆なんです。まず最初に場所を決める。
それから、その場所にどういう作品を置けばいいのか、どういう音や音楽を
鳴らせばいいのか、どういう身体表現をすればいいのか、どういうことをす
ればその場所の力を最大限に引き出せるだろうか。そういうふうに発想す
るのです。

場所を決めるために、私は暇を見つけては岐阜の街を中心にあちこち見て
回ります。そうして魅力的な場所をいくつか発見するのです。特に気に入っ
たのは神社です。岐阜に限りませんが、地方都市にはものすごい数の神社
が点在しています。森の木立に囲まれ、水が流れ、橋が架けられ、階段が
つけられ、ひっそりとたたずむ鎮守の社。こんなところは世界のどこにもあり
ません。神社はすばらしい舞台なのです。私は神社空間のオリジナリティに
今さらのように気がついたのです。

神社はしかし、すでにそれ自体が芸術です。あまりにも自然に作られている
ので、とりたてて芸術だなんて言いませんが、実は自然を巧みに作り変えた
環境芸術なのです。だからもうこれでいいじゃないか。別に何もしなくてもこ
こに来てしばらくたたずんでいればいいじゃないか。一度はそう思いました。
だけど…。ふだんは空気の存在なんて気にしませんが、団扇であおぐと涼風
として空気を実感します。そういう団扇のようなはたらきができるのではない
か。そう考えて神社でダンス公演や「幻聴音楽会」と題したコンサートを開く
ことにしたのです。

日常の再発見

神社に行くと、木漏れ日が参道をまだらに染め上げ(光の芸術)、植林が施
され(庭園芸術)、清流の音や木の葉のさやぎ、鳥の鳴き声などが聞こえ
(音の芸術)、拝殿が建てられている(建築芸術)。当然のようにしてあるも
のが、実はこのように詩にみちみちていること。日常の何でもない風景や
出来事に詩が隠されていること。それを意識し、再認識するための仕掛け
を作ることが幻想工房の目的なのです。たとえば神社で開かれる「幻聴音
楽会」では、森の木立の暗闇から音や音楽を流すのですが、そうすることで
私たちはすでにそこに存在していた豊かな音に敏感に反応するようになる
のです。

また日常の空間を芸術空間に転化させることも幻想工房のねらいです。コ
ンクリート工場を舞台にした「幻聴音楽会」(コンクリート・コンサート)では、
プラント全体が巨大な音響装置に変貌し、繁華街の廃屋ビルの中で行われ
た演奏会(アーケード・ミュージック)によって、建築サイズのジュークボックス
が出現したのです。木曽川河川敷の大草原で行われた「草原の音楽」では、
その場所いったいが映画のロケシーンに早変わりしました。

現代ではさまざまな芸術が商品として世界中に流通し、美術館や音楽ホー
ル、文化会館、市民会館などを飛び交っています。ですが、私は飛び交わ
ないもの、つまり岐阜なら岐阜という地域の土壌に根ざした、その土地、そ
の場所でしか味わえない、音や空気や風、光、温度、湿度のなかで生み出
される芸術に関心があるのです。