● Researches

 分子生物学の革新的な研究手法が森林、草原、海洋などを対象としたフィールド科学の研究分野にも取り入れられ、種の分化、浸透交雑、分布変遷、交配様式、遺伝子流動など従来のフィールドリサーチでは見えなかった部分も明らかにされてきました。
 この研究方法は今後ますます発展し、フィールド科学における様々な課題の解決につながる研究成果を生み出すと期待されます。

 私たちの研究室は、樹木個体群の遺伝的構造、樹木の繁殖の仕方、環境への適応や環境変動に対する応答のメカニズムなどについて理解することを目的として、遺伝子DNAの構造解析のみならずゲノム科学(遺伝子地図の利用)や、生理生態学をフィールドリサーチに取り入れた総合的なアプローチを行っています。

 また、将来的には、生物多様性保全、森林生態系の生産力維持、森林生態系の健全性と活力維持など現実課題の解決に繋がるように研究を展開したいと考えています。

具体的には以下のようなアプローチを行っています。

1. DNAの構造解析(自家不和合性遺伝子の変異)

 樹木の中には自身の花粉では受精できない「自家不和合性」という性質を持つ種があります。代表的なものはリンゴ、ナシ、サクランボなどのバラ科の樹木です。
 これらの樹木の花では柱頭や花柱に存在するS-RNaseと呼ばれるタンパク質が自家花粉と他家花粉の認識や自家花粉の花粉管の伸長停止に働いています。S-RNaseをコードする遺伝子S-RNaseはバラ科の果樹で同定されているので、野生種であるサクラの仲間でも簡単に分析することができます。
 これまでに、オオシマザクラやマメザクラなど野生のサクラが保有しているS-RNaseの数、頻度などを調べた結果、野生の個体群内での交雑を制御する仕組みの一端を分子レベルで理解することができました。また、S-RNaseの数や頻度はそれ自体個体群の繁殖能力を決定する大きな要因であるため、将来、保全計画に利用するためのモデルケースにもなると思います。
 さらに、自家不和合性が機能するとS-RNaseには平衡淘汰と呼ばれる強い自然選択が働くと予想されますが、樹木のような長寿命で個体サイズの大きな生物種での解析例はありません。S-RNaseの数や頻度、対立遺伝子間のアミノ酸配列が異なる程度を調べることによって遺伝子の機能と変異およびそこに作用する自然選択を関連付けた分析が可能になります。

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2. ゲノム科学的アプローチ

 DNAの変異を利用すると樹木のように寿命の長い生物種でも遺伝子地図を作成することができ、今迄予想もできなかった新しいアプローチが可能になります。
 ブナやコナラの仲間はドングリ(堅果)を作りますが、自家受粉すると健全な堅果ほとんどはできません。この原因には虫による食害など外的な要因に加えて、内的な要因として上述した自家不和合性や自家花粉で受精した場合に有害突然変異がホモ接合になって発現する「近交弱勢」が関わっていると考えられます。
 堅果は母樹のすぐ近くに散布される場合が多いので、近くに存在する個体は遺伝的にも近縁である可能性があります。
 天然林に生育する近隣個体間で人工交雑を行い、できた堅果を遺伝子地図を利用して分析することにより「近交弱勢」に関連する遺伝子座を見つけることができます。天然林で「近交弱勢」に関連する遺伝子が何個存在し、頻繁に交雑が行われる個体間でどの程度共有しているのかを調べることによって、将来、森林の遺伝的な健全度を評価することも夢ではないと考えています。
 また、種の分化や地域個体群の遺伝的分化にどのようにかかわっているのかを理解することを目指して、開花開葉時期、冬芽形成時期、成長量など環境適応や種間の交雑不和合性に関連する遺伝子を見つける試みを行っています。

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3. 生態生理学的アプローチ

 樹木が生育する環境は時間的、空間的に大きく変化しますが、樹木は移動できないため、形態や生理機能を変化させることで環境に対応します。樹木が環境変化に対してどのような応答をしているのかを色素やタンパク質など分子の変化及びそれらと密接に関連する生理機能の両方から解析しています。
 具体的には、落葉広葉樹林の林床に生育する常緑植物が、光環境の季節変動に対して形態、色素、タンパク質などの組成を変化させ、夏は林床に届く弱い光を有効に利用し、上層木が落葉し強い光が到達する秋には強い光による障害を回避していることを明らかにしてきました。
 また、スギやヒノキなどの針葉が晩秋から冬にかけて緑色から赤褐色に変化することに着目し、針葉色の変化を引き起こす色素(ロドキサンチン)は針葉の表面に蓄積し、強すぎる光を吸収することによって針葉内部に到達する光を弱め針葉内部が強い過ぎる光によって障害を受けるのを防ぐ役割があることを証明しました。ロドキサンチンの蓄積量や蓄積するタイミングは、針葉の表と裏から斜面の方向、標高まできわめて広いレンジで変化することや樹木が受けたストレスの程度と深い関連があることもわかってきました。
 今後、造林木のストレス評価や造林地の立地の環境の評価指標に利用することを視野に入れて研究を展開したいと考えています。

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