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山のでき方、こわれ方:付加体造山論と山体重力変形地形

小嶋 智(第3部連携会員:岐阜大学工学部教授)

(1)山のでき方
 「山は何故高い?」 私が高校生の頃、この素朴な疑問に対する科学的な答えは地向斜造山論という体系であった。地殻のある部分が(何故か)薄化し、沈み、地向斜と呼ばれるその窪みに多量の砂や泥が厚く堆積し、その後、(何故か)そこが上昇を始め高い山脈を造るという。私が学んだ高校の地学の教科書にもそう書かれていた。高校の教科書に書かれているピタゴラスの定理や運動量保存の法則を疑う高校生がいないのと同様、私も地向斜造山論を、その証明や論理的な演繹がないことを訝しく思いながらも信じた。
 大学に入って理学部地球科学科に進むと、既に、地向斜造山論を信じている人はある特定のスクールに限られていることを知った。世はプレートテクトニクスの時代である。ユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートが衝突することによりヒマラヤが上昇するということも論じられていた。しかし、自分が調査している日本の造山帯(例えば私は美濃から飛騨の山々を調査した)ができたのは1億年以上前の話である。それが、現在の地球科学現象を支配するプレートテクトニクスと関係があるのかないのかは、いくら沢を詰め、岩を攀じ、薮を漕いでもわからなかった。
 その頃(1980年)、大阪市立大学のグループが岐阜・愛知県境の木曽川河床を調査し、放散虫という1mmにも満たない微生物の化石を用い、画期的な発見をした。厚く繰り返し堆積したと思っていた、放散虫の遺骸からなるチャートや泥岩・砂岩といった地層は、実は、薄い(数百メートル)1枚の地層に過ぎず、それが何度も断層で繰り返すことにより見かけ厚い(数千から数万メートル)地層をつくっているというのである。そのためには、海洋プランクトンである放散虫が堆積する広い海と、その地層を大陸縁まで移動させ、陸からもたらされた砂や泥と一緒に畳み込まれるように繰り返す作用、つまり地向斜造山論のように地層を上下に動かすだけではなく、側方に何百km、何千kmと移動させるような運動が必須なのである。この発見により日本の地質学者は(少なくとも私は)、日本の造山帯は海洋プレートの沈み込みにより形成されたという確信を得、その後、日本各地から同様な発見が相次ぎ、付加体造山論が確立された。
 付加体造山論は、造山帯の形成過程を次のように説明する。海洋プレートは海嶺で生まれ両側に拡大し、大陸に向かって移動する。その過程で海洋プレート上に堆積できるものは、プランクトンの死骸・大陸から風に乗って飛んでくるごく細粒の泥や火山灰・宇宙から降る宇宙塵くらいのもので、その結果、プランクトンの死骸を主成分とするチャートが形成される。途中、ハワイのような火山ができれば、玄武岩やそれを覆う礁を起源とする石灰岩も堆積する。数千万年かけてこの海洋プレートが大陸縁辺の海溝に達すると、陸から多量の土砂が供給され砂岩や泥岩が堆積する。こういった堆積物をのせた海洋プレートがそのまま地殻の下にあるマントルの中へ沈み込んでいけば何事も起こらない。現に、東北地方の日本海溝に沿って、付加体は形成されていない。しかし、条件が整えば、これらの堆積物は海洋プレートからはぎ取られ、楔形の大陸プレートの下に付加する。さらに同じことが続けば、次に形成された付加体は、既に付加した付加体を下から押し上げる。これが何千万年も続けば、やがて古い付加体は下から次々と押し上げられ、陸化し、山脈をつくるようになる。
 このような現象が見られるのは日本だけに限られるのであろうか? 海洋プレートの沈み込みは何千kmも続く海溝に沿って、何千万年も続く現象である。もし付加体造山論が正しいのであれば、日本列島の付加体と同様な地質体は日本の北あるいは南にもあって、然るべきである。私は、日本列島の北方延長と考えられる地域を調査することにした。1986年から、水谷伸治郎先生の助けを借り、中国やロシアを毎年のように調査した。その結果、日本列島の付加体は、中国東北部のナタハタ山地やロシア沿海州のハバロフスク、さらにはその北方へ、延々と1,000km以上も続くことが明らかになった。
 アルプスやヒマラヤといった大山脈は、前述のように大陸プレートと大陸プレートが衝突して形成される。しかし、衝突以前には、衝突する大陸の前面に広がっていた海洋プレートが沈み込んでいたはずである。そうであれば、ヒマラヤ山脈にもインド亜大陸が衝突する前に形成された付加体があるに違いない。そのような確信のもとに、パキスタンやインドで、両プレートの境界(インダス縫合帯と呼ばれる)の調査も行った。パキスタンのインダス縫合帯には、やはり付加体がみられた。しかし、インドヒマラヤのインダス縫合帯では、その名残しか見つけることができなかった。インドヒマラヤは北上するインド亜大陸の真正面に位置し、それまでに形成された付加体は激しい衝突のために失われてしまった、あるいは高度変成作用を受けて、もともと付加体であったかどうか解らなくなったのであろう。
 付加体造山論も、地向斜造山論と同じく一つの仮説である。深海掘削船により世界各地の海溝陸側斜面で掘削調査が行われ、現在も付加体が形成されていることが明らかにされている。しかし、あくまでも仮説である。学生巡検では、常に事実と仮説を区別して説明するように心がけている。私が巡検で案内した若い学究の誰かが、また別の新しい仮説を提唱することを期待して。

(2)山のこわれ方
 「上昇するヒマラヤ」という言葉はよく耳にするし、そういうタイトルの本もある。ヒマラヤの高峰はどこまで高くなるのであろうか。教科書にはよく、風化・浸食・削剥作用により山は削られて低くなるという記述がある。この記述から我々は、ひじょうに長い時間をかけてほんの僅かずつ山が削られていくような、とても静的な作用を連想する。確かに、今から2億年ほど前には現在のヒマラヤ山脈と同様、二つの大陸の衝突によってできた大山脈であったと考えられるウラル山脈も、今日では平均標高1,000m程度の丘陵に過ぎない。
 北アルプスや南アルプルの高峰には二重山稜と呼ばれる地形があり、昔から登山者が迷いやすい地形として知られていた。高峰にあるために、周氷河地形の一種と考えられたこともあったが、最近では、山が重力的に不安定になり崩壊していく前兆現象(他の同様な地形とまとめて山体重力変形地形と呼ばれる)の一種と考えられるようになった。しかし、それはアルプスのような高山に特徴的な地形と考えられることが多かった。
 これまで我々が調査に使用していた地形図は国土地理院発行の25,000分の1の縮尺の地形図が主流で、それよりも小縮尺の地形図を用いたとしても、微地形はわからなかった。それは、地形図をつくる元になるデータ(主として航空写真)がその程度の精度しかないからである。ところが、近年、航空レーザ測量という技術が発達し、それによってつくられた地形図は、1mメッシュ、50cmメッシュというような精度の標高値を与えてくれる。自分が調査したい地域の標高値が、50cm四方に一つずつあるなどということは、今まで想像もできなかった。疑い深い私は、最初この地形図の精度を信用しなかったが、どこを歩いても地形図通りの微地形が確実に存在することを確かめるに至り、その精度に舌を巻いた。そして、この地形図は地理学・地質学に変革をもたらす可能性があると感じた。
 航空レーザ測量によりつくられた高精度の地形図をみると、美濃山地のような標高1500m程度の山々にも山体重力変形地形が至る所に普遍的にみられるのがわかった。今まで注目されなかったのは、このような低山には登山道もなく薮に覆われ調査が困難であったためであろう。私は、過去数年、こういった地形を探し求めては調査している。まだその特徴を完全に把握する所にまでは到底及ばないが、これらの地形をさらに精査することにより山のこわれ方が明らかになるのではないかと夢想している。例えば、南面に顕著なチャートの急崖をもつ、奥美濃の冠山というピーク付近の二重山稜は、最終氷期直後の湿潤温暖気候のもとで形成が始まったことや、同じく奥美濃の花崗岩からなる能郷白山周辺の山体重力変形地形は、深層崩壊により次にこの山が崩れると期待される場所に集中して形成されていることなどが明らかになりつつある。山は、それをつくる岩石の特徴に応じて弱点をもち、その弱点から崩れていくようにみえる。そしてそれは、風化・浸食・削剥作用により少しずつ徐々に低くなっていくのではなく、造山帯の形成や断層活動、気候変動などによる影響を受けながら、時には急速に、時には緩慢に、ダイナミックに崩れているのではなかろうか。そんな印象をもっている。今後明らかにしていきたい課題である。

(3)おわりに
 この散文にまとめはないので、何故私が「山」に拘るかを書いて、筆を置きたい。私は、大学時代山岳部に所属し、年間100日ほど(当時の山岳部員としては平均的な日数である)を草の褥で過ごした。若き私にとって山は母であり恋人であった。いつになっても乳離れできず、初恋を忘れることができないのである。

(日本学術会議中部地区会議ニュース,No.134, 2013 より転載)