ルビ部分を吉越里美(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。


小公子。       若松しづ子

   第八回  (甲)

此次(このつぎ)の日曜(にちよう)に、モドント氏(し)の説教(せつけふ)を聞(きか)ふとて、集(つど)ふた聴衆(てふしう)は平常(へいぜう)よりも、余程(よほど)、多数(たすう)で、モドント氏は、礼拝堂(れいはいどう)に嘗(かつ)て是程(これほど)に群集(ぐんしゆう)したことの有(あ)つたのを、殆(ほと)んど、記臆(きおく)されなかつた位(くらい)で、平常(へいぜい)、教師(けふし)の説教(せつけふ)を聞(きゝ)に来(き)たことの無(な)い者(もの)まで、此日(このひ)には席(せき)に臨(のぞ)んで居(お)り升(まし)た。
それのみか、モドント氏(し)の受持(うけもち)でない、隣村(となりむら)からまで、人(ひと)が見(み)えた程(ほど)でした。
其(その)群集中(ぐんじゆちう)には、気(き)の好(よ)さそうな、日(ひ)に焼(や)けた百姓(ひやくせう)もあれば、頼母(たのも)しそうな、ドツシリして、頬(ほう)の色(いろ)の好(い)ひ、おかみさんも居(お)つて、何(いづ)れも、けふを晴(は)れと、仕(し)まい置(おき)の衣裳(いせう)を着(き)て居(お)り升(まし)た。
そうして、一家内(いつかない)に付(つい)て、平均(へいきん)、六人位(ろうくにんぐらい)は子供(こども)を連(つ)れて来(き)てゐました。
お医者(いしや)夫婦(ふうふ)も来(く)れば、仕立屋(したてや)も来(く)る、代診(だいしん)も来(く)れば、薬種屋(やくしゆや)の丁稚(でつち)も来(く)る、少(すくな)くとも一家族(いつかぞく)から一人(ひとり)はどうしても、見(み)えた様(やう)でした。
前(まへ)の一週(いつしう)の間(あいだ)といふものは、此(この)領内(りようない)にフォントルロイの評判(ひやうばん)のない処(ところ)はない位(くらい)で、殊(こと)に彼(か)の城下(ぜうか)の荒物屋(あらものや)のおかみさんの処(ところ)へ、針(はり)を一本(いつぽん)か、さなだ紐(ひも)を一尺位(いつしやくぐらい)買(かひ)に来(き)ては、其(そ)の話(はな)しを聞(きゝ)たがるので、店(みせ)の戸(こ)につけてある鈴(すゞ)は、往来(わうらい)の烈(はげ)しさに、殆(ほとん)ど、振(ふ)り切(き)れる様(やう)でした。
此(この)おかみさんは、若様(わかさま)のお部屋(へや)はどふいふ飾(かざ)り付(つけ)がしてあるといふこと、新(あたら)しく買(か)つた結構(けつかう)なおもちやの直段(ねだん)がいくら\/といふこと、美事(みごと)な、栗毛(くりげ)の小馬(こむま)と、夫(それ)相応(さうおう)に形(なり)の少(ちい)さい馬丁(べつとう)まで揃(そろ)へて備(そな)へてあるといふ事(こと)、又(また)其外(そのほか)に、銀製(ぎんせい)の馬具(ばぐ)が着(つ)いた、少(ちい)さな馬車(ばしや)も拵(くし)らへてあるといふことまで、一々(いち\/)委細(いさい)に承知(しやうち)してゐて、若様(わかさま)の御到着(ごたうちやく)の当夜(たうや)、下部(しもべ)どもが一目(ひとめ)見(み)た処(ところ)で、若様(わかさま)のことを、何(なん)と申(まう)したといふこと、又(また)お婢(はした)たちは、あの可愛(かわ)いヽお子(こ)を、おつかさまの手(て)から離(はな)すとは、余(あま)り、むごたらしいことだと、一同(いちどう)気(き)の毒(どく)がつたといふこと、又(また)自分(じぶん)が本当(ほんたう)に尤(もつとも)だと思(おも)ふといふこと、そうして、其(その)お子(こ)がお祖父様(ぢいさま)が入(いら)つしやる書斎(しよさい)へ、タツタ、一人(ひとり)で遣(や)られた時(とき)は、みんなが、冷(ひや)\/した、なぜといへば、侯爵様(こうしやくさま)がどんな取扱(とりあつか)ひ様(やう)をなさるかしれぬ、平生(ひだん)から、子供(こども)はさて置(お)いて、自分(じぶん)たちの様(やう)な、随分(ずいぶん)好(い)い年(とし)をした者(もの)でさへも、こらへ切(き)れぬほどひどい癇(かん)だから、といつて居(いた)といふことを一々(いち\/)聞(きゝ)伝(つた)へたまヽ、人毎(ひとごと)に話(はな)して聞(き)かせ升(まし)た。
荒物屋(あらものや)さんが二人(ふたり)来(き)てゐた中(うち)、一人(ひとり)のおかみさんに向(むか)ひ、

一寸(ちよつと)、ヂェンスのおかみさん、タマスどんがそういひ升(まし)たよ、
可愛(かわい)そうに、あのお子(こ)は、何(なん)にも知(しら)ないで、御前(ごぜん)を見(み)て、ニコ\/して、生(うま)れ落(をち)た時(とき)から、心安(こゝろやす)くした人(ひと)かなんぞの様(やう)に、御前(ごぜん)にヅン\/お話(はなし)をしたので、御前(ごぜん)の方(はう)が却(かへ)つて後(おく)れが来(き)て、眉毛(まゆげ)の下(した)から、ヂツト、見詰(みつ)めたまんまで、たゞ、其(その)話(はなし)を聞(きい)てお出(いで)でしたと、

といつて、忙(いそ)がしそうに、又(また)一人(ひとり)に向(むか)ひ、

それからネ、お聞(きゝ)なさいよ、ベーツのおかみさん、
タマスどんが、御前(ごぜん)は心(こゝろ)の底(そこ)では、悦(とろこ)んで、自慢(じまん)して入(いら)つした様(やう)だつた、
それも、尤(もつとも)だ、
今時(いまどき)の子供(こども)の様(やう)でこそないが、器量(きりやう)といひ、行儀(ぎやうぎ)といひ、あんな子(こ)、見(み)たことがないからつていひ升(まし)たよ。

それから又(また)、ヒツギンスの話(はなし)も出(で)たのでした、
モドントさんが家(いへ)へ帰(かえ)つて、食事(しよくじ)の時(とき)に、家族(かぞく)の者(もの)に話(はな)して居(い)た処(ところ)を、小遣(こづかひ)が聞(きい)て居(い)て、台処(だいどころ)で話(はな)すと、それから其(その)噂(うはさ)が、野火(のび)ほど足速(あしばや)に四方(しはう)へ広(ひろ)がり升(まし)た。
それから、市日(いちび)になると、ヒツギンスが町(まち)へ出(で)て来(き)たので、四方(しはう)、八方(はつぱう)から、其(その)事柄(ことがら)を尋(たづ)ねる。
それから、どふいふ始末(しまつ)で有(あ)つたと質問(しつもん)されるので、ニユーウィツクも、二三人(にさんにん)の人(ひと)たちに、フォントルロイ殿(どの)の名(な)の記(しる)してある手紙(てがみ)を出(だ)して見(み)せ升(まし)た。
そこで、百姓(ひやくせう)どもは、渋茶(しぶちや)を呑(のみ)により合(あふ)時(とき)も、買物(かひもの)に出掛(でかけ)る時分(じぶん)に、話(はなし)をする種(たね)が沢山(たくさん)出来(でき)て、思(おも)ふ存分(ぞんぶん)余(あま)す処(ところ)なく、聞(きい)ては伝(つた)へ、聞(きい)ては伝(つた)へしたので、間(ま)もなく、其(その)評判(ひやうばん)が領分(りやうぶん)一杯(いつぱい)になり升(まし)た。
さて待(まち)まふけた日曜(にちえふ)になれば、此(この)女(をんな)たちはいち早(はや)く、教会(けうくわい)へ歩(ある)いて行(い)くか、さもなければ、夫(をつと)に勧(すゝ)めて、小馬車(こばしや)を駆(かつ)て貰(もら)ひ升(まし)た。
又(また)夫(をつと)とても、追(をつ)ては、大殿(をゝとの)の跡(あと)を継(つ)いで、地主(ぢぬし)にならうといふ若君(わかぎみ)がどの様(やう)な人物(じんぶつ)かと、見度(みたい)と思(おも)ふ心(こゝろ)がなくも有(あり)ませんかつた。
侯爵(こうしやく)は平常(へいぜい)、教会(けうくわい)へ出席(しゆつせき)なさるるなどは、極(ご)く稀(まれ)でしたが、併(しか)し此時(このとき)は殊更(ことさら)、フォントルロイを伴(ともな)つて、ドリンコート家(け)の定(き)まつた席(せき)へお臨(のぞ)みになり升(まし)た。
此朝(このあさ)に限(かぎ)つて、人々(ひと\゛/)は会堂(くわいだう)へ直(す)ぐ這入(はい)らず、会堂(くわいだう)の裏(うら)や、通道(とほりみち)にも、物待顔(ものまちがほ)にブラ\/して居(い)る者(もの)が大勢(をゝぜい)有升(ありまし)た、門(もん)にも、入口(いりくち)にも、あちらにも、こちらにも、一塊(かたま)りづヽ、人(ひと)が集(つど)つて居升(をりまし)て、大殿(をゝどの)が御出席(ごしゆつせき)にならうか、なるまいかと頻(しき)りに評議(ひやうぎ)して居升(いまし)た。
其(その)評議(ひやうぎ)が最(もつと)も熾(さか)んになつた時分(じぶん)、何(なに)か俄(にわ)かに声(こえ)をたてヽ、かう云(い)つた女(をんな)が有升(ありまし)た、

アレ\/、あれはキツトおつかさまだろうよ、
マア若(わか)くつて、器量(きりやう)の好(い)いこと!

こふ聞(きい)た者(もの)は、誰(だれ)も彼(かれ)も一時(いちじ)に、振向(ふりむ)いて、こちらへ歩(ある)いて来(く)る、黒(くろ)づくめの服装(なり)をした、柔和(しなやか)な姿(すがた)に眼(め)をつけ升(まし)た。
喪服(もふく)についた顔蔽(かほおほい)は、ズツト後(うしろ)へ跳(はね)て有(あつ)て、眼鼻(めはな)だちの美(あて)やかで、尋常(じんじやう)な処(ところ)も、小供(こども)のほど柔(やわら)かで、艶(つやゝ)かな髪(かみ)が、黒(くろ)い質素(しつそ)な帽子(ぼうし)の下(した)から見(み)えて居升(をりまし)た。
エロル夫人(ふじん)は辺(あたり)に集(あつま)つて居(い)る人々(ひと\゛/)には気(き)も付(つか)ず、頻(しきり)にセドリツクのこと、セドリツクが自分(自分)に逢(あひ)に来(き)た時(とき)のことをおもふて、新(あたら)しひ小馬(こうま)を貰(もらつ)たのを嬉(うれし)がり、ツイ其(その)前日(ぜんじつ)これ見(み)てといはぬ斗(ばかり)の顔付(かほつき)をして、さも悦(よろこ)ばしそうに、戸口(とぐち)まで乗(のつ)て来(き)た時(とき)、鞍着(くらつけ)も大層(たいさう)チヤンとして立派(りつぱ)で有(あ)たことなど、考(かんが)へ\/、歩(ある)いて来(き)升(まし)たが、人々(ひと\゛/)が自分(じぶん)に眼(め)をつけて居(い)て、自分(じぶん)が通(とほ)ると見(み)て、何(なに)やら、人気(にんき)がさわだつて来(く)る様(やう)なのに、フト気(き)がつき升(まし)た。
最初(さいしよ)、其事(そのこと)に気(き)がついたのは、華美(はで)な上着(うはぎ)を着(き)た老母(らうぼ)が、頻(しきり)に自分(じぶん)に辞儀(じぎ)をした時(とき)で、それから又(また)、モウ一人(いちにん)も顔(あたま)を下(さげ)て、「奥様(おくさま)の為(ため)に幾久(いくひさし)く御幸福(ごかうふく)を祈(いの)り升(ます)」と祝(いはつ)てくれ升(まし)た。
それからといふものは、自分(じぶん)が通(とほる)のを見(み)て誰(たれ)も彼(かれ)も皆(みな)帽子(ぼうし)を脱(ぬい)で礼(れい)をし升(まし)た。
暫時(ざんじ)、何故(なにゆえ)かと、訳(わけ)が分(わか)りませんかつたが、フォントルロイの母(はゝ)だといふ処(ところ)で、敬礼(けいれい)を表(ひやう)して呉(くれ)るのと心(こゝろ)づいては、少(すこ)し恥(はづか)しく、顔(かほ)の赤(あか)らむのを覚(おぼ)へツヽ、ニツコリ笑(わら)つて、自分(じぶん)も辞儀(じぎ)をし、祝(いわ)つて呉(くれ)れた老母(ろうぼ)に「有りがたう」と優(やさ)しひ声(こえ)で答(こた)へ升(まし)た。
是(これ)まで雑踏(ざつとう)を極(きわ)めた米国(ベイコク)の都会(とくわい)に人知(ひとし)れず住(す)んで居(お)つたものが、この通(とほ)り質朴(しつぼく)に真心(まごゝろ)から礼儀(れいぎ)を表(ひやう)されたは、大層(たいそう)物珍(ものめづ)らしく、始(はじ)めは少(すこ)し間(ま)がわるい様(やう)でしたが、到底(つまり)、人情(にんぜう)の温(あたゝ)かな処(ところ)に感心(かんしん)して、自(おのづ)から其(その)風俗(ふうぞく)をも好(この)む様(やう)になり升(まし)た。
夫人(ふじん)が石造(せきぞう)の入口(いりくち)を通(とほ)つて、会堂(くわうどう)へ這入(はい)るや杏(いなや)、人々(ひと\/)が待(まち)ち設(まう)けたに違(たが)わず、勇(いさ)ましい馬(うま)や、揃(そろひ)の服(ふく)の付添(つきそ)ひを従(したが)へた、お城(しろ)の馬車(ばしや)が轟々(どう\/)の音(おと)を先(さき)にたてつヽ、角(かど)を曲(まが)り、緑(みど)りの生垣(いけがき)の間(あひだ)を通(とほ)つて来(き)ました、立並(たちな)らんでゐる人々(ひと\/)はロ々(くち\/)に、

ソラー、来(き)たぞ!

といふ中(うち)に、はや、馬車(ばしや)は止(とま)つて、タマスは先(ま)づ馬車(ばしや)を下(お)り、戸(と)を開(あ)けると、黒天鳶鵞(くろびろうど)の服(ふく)を着(き)た少(ちい)さな男(をとこ)の児(こ)が、フツサリして、キラ\/して居(い)る髪(かみ)を後(うし)ろへ波打(なみうた)せて、先(さき)に飛(と)び下(お)り升(まし)た。
スハと男(をとこ)も女(をんな)も、小供(こども)も一同(いちどう)に瞳(ひとみ)を据(す)へて見(み)て居升(をります)と、フオントルロイの父(ちゝ)を見知(みし)つて居(い)た者は申(まう)し合(あわ)せた様(やう)に、

イヤ、カプテンを其(その)まヽだ、
カプテンに丸(まる)で、生写(いきうつ)しだ!。

といつて居升(いまし)た。
フォントルロイは、タマスが殿(との)を助(たす)けて馬車(ばしや)からお下(を)ろし申(まう)す側(かたわ)らに、親(した)しい大事(だいじ)な人(ひと)の為(ため)に、さも気遣(きづか)わしいといふ様子(やうす)をして、ワザ\/日向(ひなた)に立(た)つて居升(いまし)た。
そうして、自分(じぶん)が役(やく)に立(た)つ時分(じぶん)と思(をも)ふと、直(す)ぐ、手(て)を出(だ)し、肩(かた)を進(すゝ)めた処(ところ)は、六尺(ろくしやく)の男子(だんし)に凝(ぎ)して居(を)り升た。
ソコデ見(み)て居(い)る人々(ひと\/)は、他(ほか)の者(もの)は兎(と)も角(かく)、孫(まご)どの丈(だけ)にはトリンコート侯爵(こうしやく)も恐(おそ)ろしがられて入(いら)つしやらないことを始(はじ)めて悟(さと)り升(まし)た。
其(その)孫(まご)どのは、こふいつて居升(いまし)た、

お祖父(ぢい)さん、僕(ぼく)にヅツト、寄(よ)りかヽつて入(いら)つしやいよ、
みんながお祖父(ぢい)さんを見(み)て、どうも嬉(うれ)しがつてることネ、
そうして、誰(だれ)でもお祖父(ぢい)さんを知(し)つてる様(やう)だことネ!、

侯爵(こうしやく)は、

フォントルロイ、貴様(きさま)帽子(ぼうし)を脱(ぬ)がないか、
貴様(きさま)に辞儀(じぎ)をして居(い)るではないか!、

ナニ、僕(ぼく)にですか、

と、フォントルロイは急(いそ)いで、帽子(ばうし)を脱(ぬ)ぎ、パツチリした眼(め)で不審(ふしん)そうに群集(ぐんじゆ)した人々(ひと\/)の方(ほう)を【目永】(なが)めて、一どきに、みんなに礼(れい)をしようとして、あせつて居升(いまし)た。
前(まへ)に夫人(ふじん)に物(もの)をいつた、よく頭(あたま)を下(さ)げる、華美(はで)な上着(うはぎ)を着(き)た老母(ろうば)は又(また)、

若様(わかさま)に神様(かみさま)の御祝福(ごしゆふく)を祈(いの)り上升(あげます)、
幾久(いくひさ)しく、お栄(さか)へ遊(あそ)ばせ

といひ升(ます)と、フォントルロイは、

おばあさん、有難(ありが)とうよ!

と答(こた)へて、それから直(す)ぐ礼拝堂(れいはいどう)へ這入(はい)つてからも、両側(りようがは)に人(ひと)の居並(いな)らんだ間(あひだ)を通(とほ)つて、褥(しとね)や、掛(か)け幕(まく)の立派(りつぱ)に備(そな)へてある定席(ぜうせき)に着(つ)くまで、人(ひと)の眼印(めじ)るしになつて居升(いまし)た、(以上、『女学雑誌』第二七九号)



小公子。       若松しづ子

   第八回  (乙)

さて、フォントルロイが、とう\/席(せき)に着升(つきまし)てから見(み)たことで、二(ふた)ッ嬉(うれ)しいことが有升(ありまし)た。
一(ひと)ッは、会堂(くわいどう)の向(むか)ふの方(ほう)で、自分(じぶん)の見(み)て居(い)られる処(ところ)に母(おつか)さんが坐(すわ)つて入(いら)つして、自分(じぶん)を見(み)て、ニツコリして下(くだ)すつたこと。
モ一(ひと)ッは、自分(じぶん)たちの腰(こし)かけてゐた、長椅子(ながいす)の奥(おく)の方(ほう)の壁(かべ)に、面白(おもしろ)そうな石(いし)の彫物(ほりもの)が有(あつ)たことでした。
これは、二人(ふたり)の異様(いやう)な人(ひと)が、向(む)き合(あつ)て、脆(ひざまづ)いて居(い)る姿(すがた)でした。
二人(ふたり)の間(あいだ)には、石造(せきぞう)の経本(けふほん)を二(ふた)ッ載(の)せた、丸柱様(まるばしらやう)の物(もの)が有(あ)つて両人(りようにん)とも祈念(きねん)に凝(こ)つて居(い)る処(ところ)と見(み)えて、双(さう)の手(て)を合(あわ)せて居升(おります)。
服装(ふくそう)は余程(よほど)古代(こだい)の物(もの)らしく、下(した)の碑(いしぶみ)に、書(かい)てある字(じ)を漸(やうや)くに拾(ひろ)ひ読(よみ)いたし升(ます)と、「第一世(だいいつせい)、ドリンコート侯爵(こうしやく)、グレゴレ、アルサ并(ならび)に夫人(ふじん)、アリソン、ヒルデガードの墳墓(ふんぼ)といふことが記して有升た、古文(こぶん)の事故(ことゆえ)、綴字(つゞりじ)は、今(いま)と多少(たせう)、趣(おもむ)きが変(かわ)つてゐて、たとへば、今(いま)、i(アイ)を遣(つか)ふ処(ところ)にy(ワイ)の遣(つか)つてあるのはhis,wifeなどがhys,wyfeと書(か)いてある類(るい)で、又(また)字(じ)の終(おわ)りに、益(やく)にもたヽぬと見(み)えるe(イー)の文字(もじ)が付(ふ)してあるのは、body,Earlとあるべきをbodye,Earleと書(か)いてある類(るい)でした。
フォントルロイは、不審(ふしん)が晴(はらし)たくて、堪(たま)らぬ様(やう)で、とう\/思切(おもひき)つて、老侯(ろうこう)の耳(みゝ)に口(くち)をよせて、

お祖父(ぢい)さん、ソツト耳(みゝ)こすりしても好(い)いですか?

何(な)んだ?

アノ、此人(このひと)たちは誰(だれ)なんです?

あれか?
あれは貴様(きさま)の御先祖(ごせんぞ)で、幾百年(いくひやくねん)も昔(むか)しの人(ひと)なんだ。

フォントルロイは、今度(こんど)は、勿体(もつたい)なさそうに、眺(なが)めて、

そうですか?
それじや、僕(ぼく)の綴字(つゞり)は、此人(このひと)たちに似(に)たのかも知(し)れません、ネイ。

それからは、礼拝式(れいはいしき)の書物(しよもつ)を開(ひら)き升(まし)たが、音楽(おんがく)が始(はじ)まり升(ます)と、起立(きりつ)して、ニコ\/しながら、母(はゝ)の方(ほう)を眺(なが)めて居(を)り升(まし)た。
フォントルロイは、唱歌(せうか)が大好(だいすき)で、母(はゝ)と一処(いつしよ)に、度(たび)\/歌(うた)つたことが有(あ)つたのでしたから、讃美(さんび)の歌(うた)が一斉(いつせい)の時(とき)は、自分(じぶん)も人(ひと)と同(おなじ)じ様(やう)に、歌(うた)ふて居(お)り升(まし)たが、其(その)声(こえ)の清(きよ)く、可愛(かわ)いく、高(たか)い処(ところ)は、宛(さな)がら鳥(とり)の歌(うた)ふ様(やう)に、冴渡(さえわた)つて居(お)り升(まし)た。
自分(じぶん)も、其(その)歌(うた)の楽(たの)しさに、己(おのれ)を忘(わす)れて居(お)り升(まし)たが、侯爵(こうしやく)さまも、掛幕(かけまく)の深(ふか)みに居寄(いよ)つたまヽ、孫(まご)に見惚(みほ)れて、自分(おのれ)を忘(わす)れて居(い)られ升(まし)た。
セドリツクは、手(て)に、大(おほ)きな讃美歌(さんびか)の本(ほん)を持(も)つて、勢一杯(せいゝつぱい)に歌(うた)ふて居(お)り升(まし)たが、悦(よろこ)こばしげに少(すこ)しく、顔(かほ)を擡(あ)げた処(ところ)へ、一條(いちぜう)の光線(かうせん)がコツソリ、映(えい)じ入(い)り升(まし)て、染玻璃(そめがらす)の金色(きんいろ)の者を斜(なゝめ)に横切(よこぎつ)てフサ\/と幼(おさ)な顔(がほ)へ垂(た)れかヽつた髪(かみ)をきらめかせ升(まし)た。
此(この)趣(おもむき)きを向(むか)ふから間視(かいま)見(み)た母(はゝ)は、愛情(あいぜう)に迫(せまつ)て、身(み)が震(ふる)へる心地(こゝち)で、同時(どうじ)にいとも切(せつ)なる、祈念(きねん)を献(さゝ)げ升(まし)た。
それは、幼子(おさなご)の純潔(じゆんけつ)、単一(たんいつ)なる心(こゝろ)の幸福(よろこび)が何卒(なにとぞ)、永遠(えいえん)に続(つゞ)く様(やう)にといふことと、不思議(ふしぎ)にも出逢(であ)ふた幸運(こううん)が、人(ひと)にも我(われ)にも禍(わざわい)を来(きた)さぬ様(やう)にといふことでした。
いとゞ優(やさし)い母(はゝ)の心(こゝろ)を、此頃(このごろ)又(また)千々(ちゞ)に砕(くだ)く事(こと)許(ばか)り有升(ありまし)た。
其前(そのまへ)の夜(よ)も、我子(わがこ)を抱(いだ)きしめて、暇(いとま)を告(つ)げてゐながら、

アヽ、セデーや、セデーや、
わたしはおまへの為(ため)許(ばか)りにでも、どふぞして発明(はつめい)になつて、色(いろ)\/為(ため)になることが云(いつ)て聞(きか)せて遣(や)り度(たい)と思(おも)ふよ!
ダガネ、おまへ、心掛(こゝろがけ)を好(よ)くし、正(たゞ)しい道(みち)を守(まも)り、いつも深切(しんせつ)と信実(しまこと)とを尽(つく)しさへすれば、それで好(よい)ので、さうさへすれば、一生(いつせう)、人(ひと)の害(がい)になることは決(けつ)してなく、多(おは)く人(ひと)を助(たす)けるといふ立派(りつぱ)なことも出来(でき)るのだよ、
このかあさんの少(ちいさ)い子(こ)が、生(うま)れた為(ため)に、広(ひろ)い世界(せかい)の人(ひと)が、いくらか、善(よく)なるかも知れないのだよ、
それでね、セデーや、
モー、それに越(こ)したことはないのだよ、
一人(ひとり)の人間(にんげん)が世(よ)に出(で)て、其人(そのひと)の為(ため)に、世(よ)の中(なか)の人(ひと)の少(すこ)しでも、ほんの\/少(すこ)し斗(ばか)りでも善良(よ)くなつたといふのが、何(なに)より、かより、結構(けつこう)なものだよ。

謹(つゝし)んで教(をしへ)を承(うけたまわ)つたフォントルロイが、お城(しろ)へ帰(かへつ)てから、お祖父様(ぢいさま)に其通(そのとほり)をいつてお聞(き)かせ申(まう)し、其(その)上句(あげく)に、こふ云(い)ひ升(まし)た。

それからネ、かあさんが、そういつた時(とき)、僕(ぼく)、お祖父(ぢい)さんのこと考(かんが)へたんですよ、
ダカラ、僕(ぼく)、云(い)つたんです、
なんでも、お祖父(ぢい)さんが世(よ)の中(なか)へ入(いら)つしたんで、よつぽど、人(ひと)がよくなつたにちがひないつて、
それから、僕(ぼく)も其(その)真似(まね)をする積(つも)りだつて。

御前(ごぜん)は、少(すこ)し安(やす)からぬといふ様(やう)な面(おも)もちで、

そこで、お袋(ふくろ)が、なんと答(こた)へた?

それは結構(けつこう)なこつたから、なんでも、人の好(い)い処(ころ)を探(さが)し出(だ)して一処懸命(いつしよけんめい)で、それに做(なら)はなくつちやいけないつて、いひ升(まし)たよ。

此(こ)の時(とき)、老侯(ろうこう)は、赤幕(あかまく)の垂(た)れ間(ま)から、眼光(がんこう)を放(はな)ちながら、前(まへ)の事柄(ことがら)を考(かんが)へて入(いら)つしたのかも知(し)れません。
老侯(ろうこう)は、多(おほ)くの聴衆(てうしう)の頭(あたま)を越(こ)へて、向(むか)ふに、我子(わがこ)の嫁(よめ)が独(ひと)り坐(すわ)つて居(お)つた方(ほう)へ眼(め)を放(はな)つて、勘当(かんどう)受(う)けたまヽ没(ぼつ)した人(ひと)の愛(あい)した、美(うつく)しい器量(きりやう)と、今(いま)、自分(じぶん)の側(そば)に坐(すわ)つて居(い)た、子供(こども)に好(よ)くも似(い)た、眼付(めつき)とに、気(き)を留(と)めて居(い)られ升(まし)たが、心(こゝろ)の中(なか)は矢張(やは)り、執念(しうね)く、頭固(がんこ)で有(あ)つたか、或は少(すこ)しは柔(やわ)らいで居(お)つたか、其(その)辺(へん)は甚(はなは)だ知(し)り悪(にく)いことでした。
老侯(ろうこう)の一行(いつこう)が会堂(くわいどう)を出(で)られると、礼拝式(れいはいしき)に預(あづか)つた者(もの)の中(なか)で、多(おほ)くお通(とほ)りを待(まつ)て、立(た)つて居(お)り升(まし)た。
門(もん)に近(ちか)づいた頃(ころ)に、手(て)に帽子(ぼうし)を持(も)つて、立(た)つて居(い)る人(ひと)が、一歩(いつぽ)前(まへ)へ進(すゝ)んで、尚(なほ)躊躇(ちうちよ)して居(お)り升(まし)た。
此人(このひと)は、壮年(そうねん)過(す)ぎた、百性(ひやくせう)らしい者(もの)で、浮世(うきよ)の苦労(くろう)に面痩(をもやつれ)して居升(をりまし)た。
侯爵(こうしやく)は、早(はや)くも、

どふだ、ヒツギンス?、

フォントルロイは、急(きう)に振(ふ)り向(む)いて、彼(かれ)を見(み)升(まし)た。
そうして、

アヽヽ此人(このひと)がミストル、ヒツギンスですか?、

侯爵(こうしやく)は、冷淡(れいたん)な調子(てうし)で、

そうだ、大方(おゝかた)、新(あたら)しい地主様(ぢぬしさま)のお目通(めどほり)に出(で)て来(き)たのだろう。

ヒツギンスは、日(ひ)に焼(やけ)た顔(かほ)を、赤(あか)らめつヽ、

御前(ごぜん)、其通(そのとほ)りで御ぜい升(ます)、
ニユークィツク様(さま)のお言葉(ことば)に、若様(わかさま)が、此(この)下郎(げろう)のことをとりなして下(くだ)さつした、といふことで、御ぜい升(まし)たから、御免(めん)の蒙(こうむ)つて、一度(いちど)、御礼(れい)を申(まうし)たいと存(ぞん)じて、ヘイ‥‥‥

思(おもひ)掛(が)けなく、自分(じぶん)の大難(だいなん)を救(すく)つて呉(く)れた者(もの)が、この通(とほ)り誠(まこと)に幼(おさな)い子(こ)で、運(うん)に拙(つた)ない自分(じぶん)の子供(こども)と違(ちが)つたこともなく、威張(いば)る処(ところ)などは、少(すこ)しも観(み)へず、あどけない顔(かほ)をして、自分(じぶん)を見(み)て居(お)られる様子(やうす)に、少し驚(おど)ろいて、

フォントルロイに向(むか)ひ、若様(わかさま)、誠(まこと)に、お礼(れい)の申様(まうしやう)も御ぜいません、
誠(まこと)に、有難(ありがたう)う存(ぞん)じます、
アノ‥‥‥

フォントルロイは、其(その)言葉(ことば)を遮(さへぎ)り、

ナニ、僕(ぼく)は、たゞ手紙(てがみ)を書(か)いた斗(ばかり)ですよ、
それを為(な)すつたのは、お祖父(ぢい)さまです、
ダケレド、お祖父(ぢい)さまは、いつでもなんですものネ、
誰(たれ)にだつて、好(い)いんだもの、
細君(さいくん)はモウ好(よ)くなり升(まし)たか?

ヒツギンスは、少(すこ)し気後(きおくれ)れがした様子(やうす)でした。
此人(このひと)も亦(また)、大殿(おほどの)が美徳(びとく)を積(つ)んだ、慈善的(じぜんてき)の人物(じんぶつ)の如(ごと)くに称(たゝ)へられるのを聞(き)いて、多少(たせう)驚(おど)ろき升(まし)た。
いま答(こたへ)をしよふとして、少(すこ)し訥(ども)りながら、

アノ、ナニ‥‥‥若様(わかさま)其通(そのとほ)りで御ぜい升(ます)、
かヽも心配(しんぱい)がなくなつて、大(おゝ)きに宜(よろ)しくなり升(まし)た、
病(やまい)よりも苦労(くろう)の方(はふ)で、弱(よわ)つて居(い)たもんで‥‥‥へイ。

それは、好(よ)かつたこと、
僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さまも、あなたの子供(こども)が、腸(てふ)チブスだつて、大変(たいへん)気(き)の毒(どく)がつて、僕(ぼく)も気(き)の毒(どく)でしたよ、
お祖父様(ぢいさま)も、子供(こども)が有(あ)つたんですからネ、
僕(ぼく)はお祖父(ぢい)さまの子(こ)の又(また)子(こ)ですよ、
知(し)つてませうネ?

こふ聞(き)いて、ヒツギンスは、たまげて倒(たほ)れそうになり升(まし)た。
併(しか)し、気(き)を利(き)かせて、侯爵(こうしやく)さまのお顔(かほ)をなる丈(たけ)、見(み)ない様(やう)にして居升(おりまし)た。
侯爵(こうしやく)さまの、親子(おやこ)の間(あひだ)がらの疏(うと)いことは、年(ねん)に二度位(にどくらい)しか息子(むすこ)供(ども)にお会(あ)ひなさらぬ程(ほど)で、又(また)其折(そのおり)も、ヒヨツト子供(こども)の病気(びようき)といふ様(やう)なことが有(あ)れば、医師(いしや)や、看護人(かんごにん)がうるさいとて、早速(さつそく)、ロンドンへお立退(たちの)きになつて仕(し)まい升(まし)たほど故(ゆえ)、此事(このこと)を知(し)るヒツギンスは、気(き)の毒(どく)さに堪(た)へませんでした。
果(はた)して、侯爵(こうしやく)は、其通(そのとほり)で、他人(たにん)が腸(てう)チブスを患(わずろ)ふのを、意(い)に介(くわい)することなどがあるかの様(やう)に云(いはれ)て、間(ま)が悪(わる)く例(れい)の太(ふと)い眉(まゆ)の下(した)から鋭(するど)い眼光(がんこう)が輝(かゞや)いて居升(をりまし)た。
侯爵(こうしやく)は見事(みごと)に、渋(しぶ)い笑顔(わらいがほ)を見(みせ)て、

ヒツギンス、此通(このとほ)り、貴様(きさま)だちはおれの人物(じんぶつ)を誤(あや)まつて居(おつ)たんだ、
フォントルロイ丈(たけ)は、おれを本当(ほんとう)に見(み)て居(おる)のだからおれの性質(せいしつ)等(など)に付(つい)て、確実(くわくじつ)な所(ところ)が知(し)りたくば、こヽへ来(き)て尋問(じんもん)するが好(い)いぞ、
サア、フオントルロイ、馬車(ばしや)へ乗(の)れ。

フオントルロイは速(す)ぐと、飛(と)び込(こ)み升(まし)た。
そして、馬車(ばしや)は縁(みどり)の生垣(いきがき)をゴロ\/と轟(とゞろ)かせ、走(はし)り升(まし)たが、大道(だいどう)に出(で)る所(ところ)の角(かど)を屈(まが)つてからも、老侯(ろうこう)の、渋(しぶ)そうな笑顔(えがほ)は、まだ失(う)せませんかつた。
(以上、『女学雑誌』第二八〇号)