ルビ部分を石丸憲子(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。------------------------------------------------------------------------

小公子

  第四回  (上)   若松しづ子



次(つぎ)の週間(しゆうかん)の内(うち)にセドリツクハ侯爵(こうしやく)になる利益(りえき)をます\/知始(しりはじめ)ましたが然(しか)し何事(なにごと)でも自分(じぶん)の望(のぞ)む通(とほ)り殆(ほとん)ど叶(かな)へられぬことはないといふことは中(なか)\/セドリツクの心(こヽろ)に呑込(のみこ)めぬ様子(ようす)で、いつまでも充分(じゆうぶん)には合点(がつてん)が行(ゆか)なかつたのでした。
併(しか)しハ氏(し)と段々(だん\/)話(はなし)をする中(うち)に、差当(さしあた)り自分(じぶん)の望(のぞ)むことは皆(みな)叶(かな)へられるといふこと丈(だけ)はやう\/呑込(のみこ)めて来(き)た様子(やうす)で。
又(また)セドリツクの望(のぞみ)の単純(たんじゆん)なことと其(その)満足(まんぞく)しての悦(よろこ)びを見(み)ることとは、ハ氏(うじ)に取(と)つて余程(よほど)の娯楽(なぐさ)みでした。
英国(エイこく)へ向(む)けて出帆(しゆつぱん)する前(まへ)の一週間(いつしゆうかん)には色\/(いろ\/)珍(めづ)ら敷(しき)ことが有(あ)り升(まし)たがある朝(あさ)、ハ氏(し)はセドリツクを同伴(どうはん)して彼(か)のヂツクを訪問(ほうもん)に下町(したまち)へ出(で)かけたこと、又(また)同日(どうじつ)の午後(ごヾ)には彼(か)の門閥家(もんばつか)なる林檎売婆(りんごうりばヾ)の露店先(みせさき)へ立(た)つて天幕(てんまく)と、火鉢(ひばち)と肩掛(かたかけ)と婆(ばヾ)には莫大(ばくだい)に思(おも)はれた金円(きんゑん)とを遣(や)るといふて肝(きも)をつぶさせたこと、是(これ)皆(みな)ハ氏(し)が奇異(きゐ)の余(あま)りに久敷(ひさしく)記臆(おぼへ)て居(お)つたことどもでした。
セドリツクは可愛(かあい)らしく彼(か)の女(をんな)に事(こと)の様(わけ)を説明(ときあか)していひ升た、

ダツテ僕(ぼく)はイギリスへ行(い)つて華族(かぞく)になるんだもの、そうしてね、僕(ぼく)、雨(あめ)が降(ふ)る度(た)んびにお婆(ばあ)さんの骨(ほね)のこと考(かんが)へるのは嫌(いや)だもの、僕(ぼく)の骨(ほね)なんかはネ、ちつとも痛(いた)くはないのだよ、だから、僕(ぼく)はどんなに痛(いた)いんだか知(し)らないけれど、僕(ぼく)はお婆(ばあ)さんが気(き)の毒(どく)でネ、早(はや)くよくなれば好(いヽ)と思(おも)ふんだよ。


さて露店(ろてん)のあるじは余(あま)りのことに自分(じぶん)に思(おも)はぬ果報(くわほう)の向(む)いて来(き)たことは合点(がてん)行(ゆか)ず、アツケにとられて開(あい)た口(くち)も閉(ふさ)がらぬ中(うち)に両人(りやうにん)ははや立帰(たちかへ)り升(まし)た。
セドリツクは、

アノ林檎(りんご)やのお婆(ばあ)さんは大変(たいへん)好(い)い人(ひと)ですよ。
先(せん)にネ僕(ぼく)がころげて膝(ひざ)をすりむいた時(とき)、たゞで林檎(りんご)を呉(くれ)たんですもの、それから僕(ぼく)は始終(しじゆう)アノお婆(ばあ)さんのこと覚(おぼ)へてゐ升(ます)よ。
誰(だれ)だつて深切(しんせつ)にしてくれた人(ひと)忘(わす)れられませんネイ。


と云升(いひまし)たが、其(その)正直(しようじき)、質朴(しつぼく)なる心(こヽろ)には人(ひと)の深切(しんせつ)を忘(わす)れるものが世(よ)には数多(あまた)あることは思(おも)ひもよりませんかつた、ヂツクとの応接(おうせつ)も亦(また)中々(なか\/)面白(おもしろ)いことでした。
ヂツクはジエークといふ朋輩(ほうばい)と何(なに)かいさかひをした処(ところ)で、気(き)のなさそうな顔(かほ)をして居(お)り升たが、セドリツクが大(たい)した金子(きんす)を出して後(のち)の禍(わざはい)を悉(こと\/)く追除(おひのけ)て遣(やら)うと云(いふ)のを聞(き)ゐて、物(もの)も云(い)へぬほど仰天(ぎようてん)し升(まし)た。
フォントルロイ殿(どの)が来意(らいゐ)を述(のべ)られた様子(ようす)は誠(まこと)に淡泊(たんぱく)、無造作(むぞうさ)で側(そば)に聞(きゐ)てゐたハ氏(し)は殊(こと)に感腹(かんぷく)した塩梅(あんばい)でした。
ヂックは自分(じぶん)の朋友(ほうゆう)と思(おも)ふてゐた人(ひと)が、何々殿(なに\/どの)いふ位(くらい)に登(のぼ)つて、それから命(いのち)さへあれば侯爵(こうしやく)に飛登(とびのぼ)るのだといふ話(はな)しを聞(き)ゐて、ヂックは眼(め)をむき、ロ(くち)を開(あ)いてギヨツトした拍子(ひやうし)に、帽子(ぼうし)を落(おと)して仕(し)まいました、それを拾(ひろ)ひながら妙(めう)なことを云升(いひまし)たが、ハ氏には不思議(ふしぎ)に聞(きこ)へ升(まし)た。
併(しか)しセドリツクには其(その)意味(いみ)が分(わか)つたのでした。

なんだ!
かつがふたつて知(し)つてるよ!


若侯(じやくこう)は是(これ)を聞(き)いて正(まさ)しく避易(へきえき)した様子(ようす)でしたが、大胆(だいたん)にも気(き)を取(と)り直(なほ)して、こふいふて説明(せつめい)いたし升(まし)た。

アノネ、誰(だれ)だつて始(はじ)めは本当(ほんとう)じやないかと思(おも)ふんだよ。
ホッブスおぢさんなんかも僕(ぼく)が霍乱(かくらん)してるのかと思(おもつ)たんだよ。
僕(ぼく)も始(はじ)めは嫌(いや)でたまらなかつたけれど、今(いま)はモウ慣(な)れてよくなつたんだ。
今(いま)の侯爵様(こうしやくさま)はネ、僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さんで、何(な)んでも僕(ぼく)がし度(たい)様(よう)にしろつて、大変(たいへん)深切(しんせつ)な人(ひと)で、そうして本当(ほんとう)の侯爵(こうしやく)なんだよ。
それからハヴィシヤムさんに預(あづ)けて金(かね)をたんと僕(ぼく)によこして呉(く)れたんだから、ジエークの方(かた)をつける様(よう)に君(きみ)に少(すこ)し持(も)つて来(き)てやつたんだネイ。

事(こと)の結局(けつきよく)はヂックがジエークの方(かた)を附(つ)けて、一手(いつて)に客(きやく)をとる様(よう)になり、其上(そのうへ)新(あたら)しい刷(はけ)や非常(ひじやう)に眼(め)にたつ看板(かんばん)と服(ふく)が出来(でき)たことでした。
然(しか)るに彼(か)の門閥家(もんばつか)の林檎屋(りんごや)と同然(どうぜん)で、一寸(ちよつと)には自分(じぶん)の果報(くわほう)が真(まこと)と信(しん)じられぬ様子(ようす)で、夢(ゆめ)の中(うち)に辿(たど)つてゐる人(ひと)の様(よう)に、恩人(おんじん)なる若侯(じやくこう)の顔(かほ)をヂツト見詰(みつめ)めて、何時(いつ)眼(め)がさめるかと思(おも)ふてゐる塩梅(あんばい)でした。
そうして、セドリツクが暇乞(いとまごひ)をしやうとて手(て)を出(だ)した迄(まで)は、丸(まる)で無感覚(むかんかく)の様(よう)でした。


それならモウ失敬(しつけい)!。
これから繁昌(はんじやう)したまへ。
僕(ぼく)は君(きみ)と別(わか)れて行(ゆ)くのは嫌(いや)だけれど、僕(ぼく)が侯爵(こうしやく)になつたら又(ま)た来(く)るかも知(し)れないよ。
君(きみ)と僕(ぼく)は親友(しうゆう)だから手紙(てがみ)をよこしてくれ玉(たま)へ。
これは手紙(てがみ)をよこす時(とき)の所書(ところがき)だよ。
そうして僕(ぼく)の名(な)はセドリツク、エロルじやないよ。
フォントルロイ殿(どの)といふんだよ。
失敬(しつけい)!

と何気(なにげ)なく云(い)わふとしても声(こえ)が少(すこ)し震(ふる)へて、そうして例(れい)の大(おほ)きい茶色(ちやいろ)の眼(め)を妙(めう)に眼叩(まばた)きさせてゐました。
ヂックも眼(ま)ばたきしてゐて、睫(まぶた)の辺(ほとり)が湿(しめ)つぽい様(よう)でした。
此(この)靴磨(くつみがき)は教育(けういく)のない子(こ)でして、自分(じぶん)の心(こヽろ)に感(かん)じたことを云(い)ひ現(あら)はすことが出来(でき)ませんので、云(い)ひ現(あら)はそうともせず、たゞ眼(め)をパチつかせて、咽喉(のんど)へ上(のぼ)つて来(き)た塊物(かたまり)を漸(ようや)くに呑込(のみこ)んでゐました。
やがてカス\/した声(こえ)で、


行(い)つちまわなけりや好(い)いナア、

と云(い)つてハ氏(し)に向(むか)ひ、会釈(えしやく)しながら、


旦那(だんな)、どふも色々(いろ\/)有難(ありがた)う。
逢(あひ)に連(つ)れて来(き)て下(くだ)すつて有(あり)がたう。
どふも妙(めう)な子(こ)で、大変(たいへん)可愛(かあい)くつて、ヘイ、エイ‥‥‥其(その)威勢(いせい)の好(い)い奴(やつ)で、エー‥‥‥エー‥‥‥妙(めう)な子(こ)で、

とロ篭(くごも)りながら云(い)ひ升(まし)た。
そうしてセドリツクの威勢(いせい)の好(い)い姿(すがた)が、背高(せたか)く、武張(ぶば)つたハ氏(し)に伴(ともな)つて行(ゆ)く跡(あと)を、立(たつ)たまヽボツトして見(み)てゐましたが、眼(め)の中(なか)の曇(くも)りと咽喉(のんど)の塊物(かたまり)はまだ去(さ)り兼(か)ねてゐました。
さて出立(しゆつたつ)の其日(そのひ)まで、若侯(じやくこう)は間(ま)を見(み)てはホッブスの店(みせ)へ行(い)つて居(ゐ)ました。
近頃(ちかごろ)ホッブスは兎角(とかく)気鬱(きうつ)になり勝(がち)で、セドリツクが置形見(おきがたみ)の金時計(きんどけい)と鎖(くさり)を大勢(おほいきほひ)で持(もつ)つて来升(きまし)た時(とき)などは、ろく\/挨拶(あいさつ)も出来(でき)ぬ位(くらゐ)でした。
其箱(そのはこ)を自分(じぶん)の膝(ひざ)の上(うへ)へ乗(の)せたまヽで、幾度(いくど)も\/烈(はげ)しく鼻(はな)をかんでゐました。
セドリツクは、


おぢさん、なんか書(か)いてあるよ、箱(はこ)の中(なか)に、僕(ぼく)が、書(か)いてくれつて頼(たのん)だんです。
ネイ「ホッブス氏に呈(てい)す、旧友(きゆうゆう)フォントルロイより」でせう、

ホッブスは又(また)烈(はげ)しく鼻(はな)をかみました。
そうしてヂックの様(よう)なカス\/した顔(かほ)で、


わしは忘(わす)れやしないが、おまへも英国(ゑいこく)の貴族(きぞく)の中(なか)へ這入(はい)つて、わしを忘(わす)れちや困(こま)るよ。


僕(ぼく)、だれの中(なか)へ這入(はい)つたつておぢさんを忘(わす)れるものかね、僕(ぼく)はおぢさんとゐた時(とき)が一番(いちばん)嬉(うれ)しい時(とき)だつたもの。
いつかおぢさん僕(ぼく)に逢(あ)ひに来(き)て下(くだ)さいな。
僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さんはキツト大変(たいへん)嬉(うれ)しがり升よ。
僕(ぼく)が行つておぢさんのこと話(はな)せば、おぢさんにお出(いで)なさいつて手紙(てがみ)をよこすかも知(し)れませんよ。
おぢさん‥‥‥おぢさんアノ僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さんが、侯爵(こうしやく)なの、かまやしないネイ?
アノ若(も)しお出(いで)なさいつて云つたら、侯爵(こうしやく)だから嫌(いや)だなんて云(い)やしないネイ?

ホッブスは寛大(くわんだい)らしく、


よし\/、そうしたら逢(あひ)に行(ゆか)ふ。

と云(いひ)まして、そこで侯爵殿(こうしやくどの)からドリンコート城(じよう)に暫時(ざんじ)来遊(らいゆう)あれと鄭寧(ていねい)なる招待状(しようだいじやう)の来(く)ることがあれば、ホッブスが共和主義(きようわしゆぎ)の僻見(へきけん)を捨(すて)て旅仕度(たびしたく)をするといふ條約(じようやく)がこヽに出来(でき)ました。(以上、『女学雑誌』二三六号)




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小公子
  第四回  (下)   若松しづ子
遂(つい)に、旅仕度(たびしたく)も悉(こと\゛/)く整(とヽ)のひ、荷物(にもつ)を蒸気船(じようきせん)へ運(はこ)ぶ可(べ)き日(ひ)も来(きた)り、其中(そのうち)馬車(ばしや)も戸口(とぐち)へ止(とま)り升(まし)たが、セドリツクは此時(このとき)妙(めう)に淋(さび)しい心持(こヽろもち)になり升(まし)た。
暫(しば)らく自分(じぶん)の部屋(へや)に閉篭(とぢこも)つて居(お)つた母(はヽ)が、下(した)へ降(お)りて参(まい)り升(まし)た時(とき)、母(はヽ)の眼(め)が大(おほ)きく濡(ぬ)れて居(お)つて、愛(あい)らしい口元(くちもと)は震(ふる)へてゐ升(まし)た。
セドリツクは思(おも)はず側(そば)に寄(よ)り升(まし)て、母(はヽ)が屈(かヾ)んだ処(ところ)へ抱(だ)き附(つ)いて、共(とも)にキスをしました。
何故(なにゆへ)とは分(わか)らねど、両人(りやうにん)とも裏悲(うらかな)しひ心持(こヽろもち)になつてゐたのを、セドリツクは先(ま)づ承知(しやうち)して、萎(しほ)らしひおもひを、口(くち)へ出(だ)してこふ云升(いひまし)た、


かあさん、ふたりとも此家(このうち)好(すき)だつたんですネ?、
いつまでも好(すき)になつてゐませうネイ?。

母(はヽ)は低(ひく)い優(やい)しい声(こへ)で、


セデーやほんにそうだよ。

それから馬車(ばしや)に乗(の)り移(うつヽ)た時(とき)も、セデーは殊(こと)さらに近(ちか)く母(はヽ)にすり寄(よ)り、母(はヽ)がなごり惜(をし)そうに馬車窓(ばしやまと)から振(ふ)り返(かへ)つて見(み)てゐ升(まし)た時(とき)、セデーは母(はヽ)の顔(かほ)を窺(のぞ)いて、そうして母(はヽ)の手(て)を撫(な)でながら、シツカリ握(にぎ)つてゐ升(まし)た、そうこうする中(うち)、間(ま)もなく、恐(おそ)ろしひ混雑(こんざつ)の中(うち)に蒸気船(じようきせん)へ乗(の)り移(うつ)り升(まし)た。
客人(きやくじん)を乗(の)せた馬車(ばしや)は、頻(しき)りに往復(わうふく)して、其(その)客人(きやくじん)は荷物(にもつ)の遅(おそ)くなるのに気(き)をいらつてゐ升(まし)た、大(おほ)きな櫃(ひつ)や箱(はこ)を投(な)げ出(だ)しては引(ひき)づり廻(まわ)る者(もの)が有(あ)れば、船頭(せんどう)たちは縄(なわ)を解(とい)て、こヽかしこに奔走(ほんそう)してゐ升(まし)た。
貴婦人(きふじん)や紳士(しんし)、子供(こども)や守(も)りは、追々(おひ\/)と乗込(のりこ)んで来(き)て、笑(わら)つて嬉(うれ)しそうな貌(かほ)つきの者(もの)が有(あ)れば、口(くち)を閉(と)ぢて悲(かな)しそうな様子(ようす)の人(ひと)もあり、其中(そのなか)に二三人のひとは泣(なき)ながらハンケチで眼(め)を拭(ぬぐ)つてゐました、セドリツクには何処(どこ)を見(み)ても面白(おもしろ)くないものはなく、縄(なわ)の積(つみ)や、捲(ま)いた帆(ほ)や、殆(ほとん)ど蒼(あほ)い炎天(ゑんてん)を突(つく)かとおもふ程(ほど)高(たか)い帆柱(ほばしら)などを見(み)るにつけ、船頭(せんどう)たちに話(はなし)かけて海賊(かいぞく)といふもののことを聞出(きヽだ)そふといふ心算(しんさん)が、モウ心(こヽろ)に浮(うか)びました。
最早(もはや)出立(しゆつたつ)の極(ご)く間際(まぎわ)になつて、セドリツクが甲板(かんぱん)の手欄(てすり)に寄(よ)り掛(かヽ)りながら、船頭(せんどう)や波止場人足(はとばにんそく)の騒動(そうどう)を面白(おもしろ)く思(おも)ひ乍(なが)ら、最後(さいご)の準備(ようゐ)を見(み)て居(ゐ)る時(とき)に、自分(じぶん)に遠(とほ)からぬ一群(ひとむれ)の中(なか)に、何(なに)やら少(すこ)し込(こ)み合(あ)ふ様子(ようす)のあるに気(き)がつき升(まし)た。
誰(たれ)か其(その)群集(くんじゆ)の中(なか)をくゞり抜(ぬ)けて自分(じぶん)の方(ほう)へ来(く)ると見(み)れば、手(て)に何(なに)か赤(あか)い物(もの)を持(もつ)た男児(だんじ)であつて、よく\/眼(め)をすへると、イキセキセドリツクの方(ほう)へ近(ちか)よるものは、まがひもないヂツクでした。


イヤア、駈(かけ)つ通(と)ふして来(き)たんだよ、おまへに逢(あほ)ふと思(おも)つて。
大変(たいへん)な繁昌(はんじやう)でネ、昨日(きのう)の儲(もうけ)で之(これ)を買(か)つたんだ。
おまへヱライ人(ひと)のとこへ行(い)つたら持(もつ)て、歩(あ)るくが好(い)い。
下(した)で上(あ)げねへちうもんだから、おれが騒(さわ)ぐ内(うち)に、包(つヽ)み紙(がみ)がどつかへ行(い)つちまつたんだ。
ソラ、ハンケチだぞ。

とのべつに言(い)つて、セドリツクが何(なん)とも返事(へんじ)の出来(でき)ぬうちに合図(あいづ)の鐘(かね)の鳴(な)るのを聞(き)いて、又(また)一飛(ひととび)に駆(かけ)て行(い)つてしまいました。
行(ゆ)く前(まへ)に息(いき)を切(き)りながら、


さいなら!
エライ人(ひと)のとこへ行(い)つたら、持(も)つて歩(あ)るきねへよ。

といふ声(こえ)を残(のこ)して影(かげ)は見(み)へなくなり升(まし)たが、間(ま)もなく、込(こ)み合(あ)ふ中(なか)をくぐりぬけて、下(した)の甲板(かんぱん)へ下(くだ)り、波止場(はとば)へ足(あし)をかけるかかけぬに、桟橋(さんばし)は船(ふね)へ引上(ひきあが)つて仕(し)まいましたが、波止場(はとば)に立(た)ち止(とま)つて頻(しき)りに帽子(ぼうし)を振(ふ)つて居(を)り升(まし)た。
此方(こちら)にはセドリツクが、今(いま)貰(もら)つたハンケチを手(て)に持(も)つて、向(むこ)ふを眺(なが)めて居(お)り升(まし)たが、見(み)れば、紫色(むらさき)の馬靴(うまぐつ)と馬(うま)の頭(かしら)が飾(かざり)に附(つ)いた、真赤(まつか)な絹(きぬ)のハンケチでした。
其中(そのうち)一層(いつそう)ひどひ混雑(こんざつ)の中(なか)に輾(きし)る音(おと)や引張(ひきはつ)る音(おと)が惨(すさ)ましくなつて来(き)まして、波止場(はとば)に立(た)つ人(ひと)は、船(ふね)の上(うへ)の人(ひと)を望(のぞ)んで叫(さけ)び、舩(ふね)の上(うへ)の人(ひと)は送(をく)つて呉(く)れた朋友(ほうゆう)に叫(さけ)んで暇乞(いとまごい)をする其声(このこえ)が、


さよなら!
皆(みな)さんさようなら!
忘(わす)れては嫌(いや)ですよ!
リヴアプールへ着(つい)たら、手紙(てがみ)をおよこしなさい!
さよなら!
さよなら!。

と誰(たれ)云(い)ふとも知(し)らず、暫(しば)らく鳴(な)りも止(や)まずきこえました。
フォントルロイ殿(どの)は欄干(らんかん)へ寄(よ)つて、ずつと前(まへ)へ身(み)を伸(のば)しかヽり、大威勢(おほゐせい)に、


ヂツクや、さよなら、有難(ありがた)うよ、ヂツクや、さよなら!。

と呼(よば)はつて居ました。
スルト大(おほ)きい蒸気船(じようきせん)は静(しづ)かに動(うご)き出(だ)し人々(ひと\/)はまた大声(をほごえ)に呼(よば)はり、セドリツクの母(はヽ)は覆面(かほおほひ)をことさらに眼(め)の上(うへ)へ垂(た)らし、海岸(かいがん)では大(たい)した混雑(こんざつ)でしたが、ヂツクはフオントルロイ殿(どの)のパツチリした可愛(かあ)いらしい顔(かほ)と、きら\/光(ひか)つて、風(かぜ)に吹(ふ)き流(なが)されてゐる頭(かみ)の髪(け)を、ながめて居(お)つて、他(た)は一向(いつこう)に夢中(むちゆう)でした。
フオントルロイ殿(どの)は精一杯(せいいつぱい)な幼(おさ)な声(ごえ)で、


ヂックや、さよなら!。

と呼(よばは)つて居(おり)ましたが、汽船(きせん)の徐(しづ)かな進行(すヽみゆく)と共(とも)にフオントルロイ殿(どの)は故郷(こけう)を離(はな)れて、まだ知(し)らぬ先祖(せんぞ)の国(くに)へ旅立(たびだち)いたしました。
此(こ)の船旅(ふなたび)の間(あいだ)に、セドリツクの母(はヽ)は、自分(じぶん)の住居(すまゐ)とセドリツクの住居(すまい)とが、別々(べつ\/)になるのだと云(い)ふことを始(はじ)めて云(い)つてきかせました。
セドリツクがそれと漸(やうや)く合点(がてん)の行(ゆき)ました時(とき)、驚(おどろ)き歎(なげ)くことが非常(ひじやう)でしたから、ハ氏(し)も母(はヽ)を切(せ)めて近(ちか)い処(ところ)に住(す)まはせて、折々(をり\/)対面(たいめん)の出来(でき)る様(やう)にした、老侯(らうこう)の取斗(とりはか)らひに感服(かんぷく)した位(くらい)でした。
さもなくば、到底(たうてい)母(はヽ)と引別(ひきわ)けることは為(な)し難(がた)い様(やう)に思(おも)はれました。
併(しか)し母(はヽ)の慈愛(じあい)を篭(こ)めた優(やさ)しいなだめにより、左程(さほど)に遠(とほ)く離(はな)れるではなく、誠(まこと)の離別(りべつ)ではないといふことが分(わか)つて、漸(やうや)く少(すこ)し慰(なぐさ)めを得(え)た様子(やうす)でした。


セデーや、わたしの家(いへ)といふのは、お城(しろ)から大(たい)して遠(とほ)いのではないよ、少(すこ)ふし斗(ばか)りしか離(はな)れてゐないから、おまへが毎日(まいにち)馳(か)けて来(き)て逢(あへ)る位(くらい)なのだよ、それからおまへが色々(いろ\/)かあさんに話(はな)すことが出来(でき)るだろうし、いくら嬉(うれ)しいか知(し)れないよ、ネイ?
お城(しろ)といふのは、大層美(たいそうヽつく)しい処(ところ)だつて、とうさまがよくお話(はな)しをなすつたつけよ。
とうさんは、大層(たいさう)そこがお好(すき)だつたが、おまへもキツト好(すき)になるよ。

と其話(そのはなし)が出(で)る度(たび)に、かう申(まうし)てはなだめました。
セドリツクは、大歎息(おほたんそく)で、此話(このはなし)を聞(き)き、


ソウ、それでも、かあさんも一処(いつしよ)なら尚(な)ほ好(すき)になるは。

と云(いひ)ました。
子供心(こどもごヽろ)に、母(はヽ)と自分(じぶん)とを別々(べつ\/)の家(いゑ)に引別(ひきわ)けるといふ不思儀(ふしぎ)な取斗(とりはか)らひが、どふいふ訳(わけ)かと思(おも)ひ惑(まど)はずに居(お)られませんかつた。
実(じつ)は何故(なにゆゑ)かういふ都合(つがふ)になつたかのこと訳(わけ)は、セドリツクに知(し)らせぬが却(かへ)つて好(よ)かろうと母(はヽ)が思(おも)つたので、ハ氏(し)に対(むか)つて此(こ)の通(とほ)りに云(い)ひました、


わたくしはどうも云(い)つて聞(き)かせぬ方(はう)が好(いヽ)かと思(おも)ひ升(ます)よ、聞(き)かせました処(とこ)ろで、よく分(わ)かりもし升(ます)まいし、却(かへ)つて驚(おど)ろいて心持(こヽろもち)をわるくする斗(ばか)りで御座(ござ)いませうから。
それから又(また)、お祖父様(ぢいさま)がわたくしをそれ迄(まで)にお嫌(きら)ひ遊(あそ)ばすといふことを承知(しやうち)いたさぬ方(はう)が、そつくり其(そ)のまヽお懐(な)つき申(まう)さうかと存(ぞん)じます。
セデーはこれまで、凡(およ)そ憎(にく)しみとか不人情(ふにんじやう)とかいふことを、一切(いつせつ)見聞(みきヽ)いたしたことが御座(ござ)りませんから、だれかわたくしを憎(に)くむ者(もの)があるなどヽ申(まう)したら、それこそ大(たい)した驚(おど)ろきで御座(ござ)りませう。
あの通(とふ)り優(や)さしい子(こ)でござい升(ます)のに、わたくしを思(おも)ふて呉(く)れ升(ます)のが亦(また)一通(ひとヽほ)りならず深(ふか)いので御座(ござ)りますから。
どふしても、ズツト年(とし)をとり升(ます)までは、申(まう)して聞(き)かせぬ方(はう)が、自分(じぶん)の為(た)めのみか、侯爵(こうしやく)さまのお為(た)めにも、宜(よろ)しかろうと存(ぞん)じられます。
若(も)しさもなくば、セデーがあの通(とほ)りな子(こ)でも、矢張(やは)りお祖父様(ぢいさま)との間(あいだ)に隔(へだ)てが出来(でき)ようかと存(ぞん)じます。(以上、『女学雑誌』二三七号)