ルビ部分を石丸憲子が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。
小公子 若松賤子
第一回
セドリツクには誰も云ふて聞せる人が有ませんかつたから、何も知らないでゐたのでした。
おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこと丈は、おつかさんに聞ゐて、知つてゐましたが、おとつさんの歿したのは、極く少さいうちでしたから、よく記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、眼が浅黄色で、頬髯が長くつて、時々肩へ乗せて坐敷中を連れ廻られたことの面白かつたこと丈しか、ハツキリとは記臆てゐませんかつた。
おとつさんがおなくなりなさつてからは、おつかさんに余りおとつさんのことを云ぬ方が好と云ことは子供ごヽろにも分りました。
おとつさんの御病気の時、セドリツクは他処へ遣られてゐて、帰つて来た時には、モウ何も彼もおしまいになつてゐて、大層お煩なすつたおつかさんも漸く窓の側の椅子に起き直つて入つしやる頃でしたが、其時おつかさんのお顔はまだ青ざめてゐて、奇麗なお顔の笑靨がスツカリなくなつて、お眼は大きく、悲しそうで、そしておめしは真ツ黒な喪服でした。
かあさま、とうさまはモウよくなつて?。
と、セドリツクが云ましたら、つかまつたおつかさんの腕が震へましたから、チゞレ髪の頭を挙げて、おつかさんのお顔を見ると、何だか泣度様な心持がして来升た、それからまた、
かあさま、おとうさまはモウよくおなんなすつたの?。
と同じことを云つて見ると、どういふ訳か、急におつかさんの頚に両手を廻して、幾度も\/キスをして、そしておつかさんの頬に、自分の軟かな頬を推当て上なければ、ならなくなり升たから、その通りして上ると、おつかさんが、モウ\/決して離ないといふ様に、シツカリセドリツクをつかまへて、セドリツクの肩に自分の顔を推当て、声を吝まずにお泣なさい升た。
ソウだよ、モウよくお成りなすつたよ、モウスツ‥‥スツカリよくおなりなのだよ、ダガネ、おまへとわたしは、モウふたり切になつてしまつたのだよ、ふたり切で、モウ外に何人もいないのだよ。
と曇り声に云れて、セドリツクは幼な心の中に、アノ大きな、立派な、年若なおとつさんは、モウお帰りなさることがないのだといふことが、合点が行ました。
他のことでよく聞く通り、おとつさんはお死になすつたのだろうと分りはしたものヽ、どふいふ不思議な訳で、こふ悲敷有様になつたのか、ハツキリと会得が出来ませんかつた、自分がおとつさんのことを云ひ出せば、おつかさんはいつもお泣なさるから、コレハ余り度々云ないほうが好いのだろう、いふまゐと内々心に定めて、そうして、暖室炉のまへや、窓の側に、ヂツト黙つて坐つて入つしやる様な時には、打遣つて置てはいけないといふことも分りました。
おつかさんと自分の知人といふは、極く僅かなので、人に云せれば大層淋敷生涯を送てゐたのですが、セドリツクは、少し大きくなつて、なぜ人が尋ねて来ないといふ訳が分る迄は、淋敷ことも知りませんかつた。
大きくなつてから、おつかさんは孤子で、おとつさんがお嫁にお貰なさるまでは、此広い世界にタツタ一人で、身寄も何もなかつたのだと始めて知りました。
おつかさんは、大層な御器量好しで其時分ある金持の婦人の介添になつて入つした処が、其婦人といふが意地悪な人で、ある日のこと、カプテン、ヱロルといつて、後にセドリツクのおとつさんになつた人が、丁度その家へ来合せてゐた時、何かことがあつた末、おつかさんが睫毛に露を持たせながら、急いで二階へお上りなさる処を、其お方が御覧なすつて、可愛らしく、あどけなく、痿れかへつた其姿を忘れることが出来ず、色々不思議なことが有て、互に心を知合ひ、愛し合つて、とう\/婚姻をなさる様になつたのでした。
さて此婚姻に付ては、さま\゛/の人にわるく思われたのでしたが、其中で、一番に腹をたてたのはカプテン、ヱロルの爺さまで、是は英国に住んでゐて、お金の沢山ある豪儀な華族さまでしたが、癇癪持で、アメリカとアメリカ人が大のお嫌でした。
此方は、カプテン、ヱロルの上に、二人の息子をお持でしたが、英国の法律で、家に属する爵位も財産も、何も彼も、皆長男が受継で、若し長男が死ねば、次男が跡を譲り受ることに諚つて居り升たから、此お方は大家に生れはしたものヽ、三男のことで、ひどく有福になる見込はありませんかつた。
然るに、カプテン、ヱロルは、二人の兄たちの生れ付ぬ天才美質を備て居升た、美麗なる其容貌、屈強なる其姿、生々したる其笑、華やかななる其音声、其大胆で、慈悲深きこと、人に接て柔順なる挙動は、多くの者の敬愛を一身に集ました。
さて二人の兄は、是に反して外貌も美しくなく、何の才も持ず、心に美質を備ても居ませんかつた故、イヽトンなる邸内に在ても人に怡ばれす、大学に修学する折も、学問は大嫌で、其処に居間只時日を無益に消費する計で、朋友もろくに出来ませんかつた。
父なる侯爵殿は此二人の息子には非常に失望し、失望のみならず常々 大層迷惑の体でした。
自身の世を譲る嫡子は先祖の家名に光沢を添へぬ耳か、男らしく、凛然敷性質は一も備へず、只自身の欲を恣まヽにし、つかひ払ふことを知つてゐる計りで、世に何の益なき人物でした。
然るに産も位もなかるべき末子が、他の二人に欠て居る伎倆も、徳も、美貌も、兼備へて居るとは、此人にとつて如何にも残念千万のことどもでした。
時としては巍々たる其位爵、壮麗なる産業に付属す可き美質をば、他に与へずして独り占したる此若年が、反つて父の心には憎くなりました。
併しまた傲慢頑固なる其心の底には、此末子を大に寵愛せずに居られず、二つの情は互ひに戦つて居ましたが、或る時此忌々しさが癇癪となつてムカ\/と、外に発し俄かに三男を米国へ旅行に遣はしました。
是は二人の放蕩不頼な息子の挙動に困じ果て、末子に比較しては腹を立てるから、末子を暫く遠ざけて見よふと思付たからでした。
然るに六月たヽぬ内にはや淋しさを感じ始めまして、密かに末子の顔が見たくなり、直ぐ文通して帰国を命じました。
其手紙と引違つて着したカプテン、ヱロルの書状に米国で出逢ふたある妙齢の婦人のことと是と婚姻する決心をしたことが書て有ました、侯爵殿が此手紙を読まれた時は夫こそ立腹でした。
生来癇癪持では有升たが、此時程其癇癪をひどく起したことは無い位ひでしたから手紙の来た時丁度居合せた給事が其時の様子を見て御前はヒヨツト卒中でもお発しはなさらぬかと心配した程でした。
凡そ一時間も猛虎の如くに哮り立ち、其あげくに、一通の端書をカプテン、ヱロルに認め遣はし、以後邸に近寄ることは一切ならぬ、又親兄弟にも文通を禁ずる、今後如何様なる暮しを為すとも何処に果てやうとも、一向かまはぬ、ドリンコウトの家よりは永遠に切離したものと見做して、父の存命中は、何の補助もせぬものと心得よ、と申送りました。
カプテン、ヱロルは此手紙を一読して愁歎に堪ませんかつた。
此人は故郷も懐かしく、自身の生れた美麗な家も至つて恋しく、癇癪ある老父にも親しんで居つて、是まで父が色々失望したことを気の毒におもふて居りましたが、此文通があつてからは最早親子の間に何の好みもないといふことを泣々覚悟致しました。
始はどうしよふかと方向に迷ひ升た。
是迄の育ちが育でしたから働て活計を立ることには慣ず、事務上の経験も有ませんかつたが、併し勇気も決断力も充分でしたから先陸軍士官の株を売却してしまい、様々の困丹の末漸くニユーヨウクの都会で、勤め先を見つけ、間もなく婚姻を致し升た。
偖大英国某侯爵家の若殿とも云れる身分が、斯く落ぶれての生計は昔しに比らべて非常な懸隔でしたが、併しまだ年は若く、世の中の面白みも多いのでしたから、勉励せば何事か成らざらんと、頻りに前途を楽しんで居り升た。
住居といふは物静かな町のちんまりした家で、そこで男子が一人生れてからは質素ながら物事総べて珍らしく、愉快でしたから、只余りの愛らしさに思ず思を寄せ、其人にも愛されて人の介添といふ身分のものを妻にしたのを後悔したことはたゞの一度もありませんかつた。
此婦人といふは、如何にも愛らしい人物でしたから、生れた男子も両親によく似て居りまして、此通り偏卑な安つぽい家居に生れたには似ず、其果報は誰にも劣らぬほどでした。
第一、此子は、いつも壮健でしたから誰にも面倒を掛ませんかつた。
第二に気立が柔和で誠に可愛らしい子でしたから、人毎に嬉しがられました。
第三に器量の好いことは画に書た様で、頭には赤子によくある禿の様なもの少しもなく、生れた時から軟かくつて細い金色の髪が沢山で、六ケ月たつ中にくる\/と可愛らしくちゞれました、眼は大きく茶色の方で、睫毛は長く、顔は極く愛嬌ある質でした、筋骨は珍しく逞しい方で、八ケ月たつと、急に歩く様になり升た。
其上大層人なつこく、小さい手車に乗つて、市街を運動して居る時分、誰でも近寄つてあやす者があれば、例の茶勝な眼で、ヂツトまじめに見つめるかと思ふと、直ぐ可愛らしく笑ひかけて、雑作もなくお近付になつてしまいました。
此通りゆえ、此物静な町の中で、此子を見て、あやすのを楽しみにせぬものとては、一人もなく、向ふ角の万屋の亭主で、世に癇癪持とはあの人と云はれる位の人まで、此子には眼がないのでした。
(以上、『女学雑誌』第二二七号
第一回
段々月日が経つに随つて、奇麗に可愛らしくなりましたが、稍成人して、短かい着物を着、大きな帽子を冠り、少さな車を引つぱつて、姆と外を歩いてゐる処は実に見物で、よく往来の人の足を止めました。
姆が家へ帰つては、今日馬車へ乗つた貴婦人が、坊ッちやまを見るとつて、態々馬を止めさせ、坊ッちやまに言葉をおかけなさいましたよ、そうして、坊ッちやまが臆面なく、先ッからのお友だちかなんかの様にお話しを遊ばすので、大層嬉しがつて行ましたよ、などとセドリツクの母に話すことは度々でした。
殆んど不思議と迄に思はるヽ程の、此子の愛矯は、多分、少しも恐気なく、極く気軽に人に懐く処ろに在るのですが、これは生れ付、人を信ずる質で、人を思ひ遣る親切な心の中に自分も愉快に、人も愉快にし度と思ふ天性に起るものと、思はれます。
それで、人の気を見てとることが大層早い方でしたが、是は両親が互に相愛し、相思もひ、相庇ひ、相譲る処を見習つて、自然と其風に感染したものと見え升。
家に在つては、不親切らしい、無礼な言葉を一言も聞たことはなく、いつも寵愛され、柔和く取扱かわれ升たから、其幼な心の中に、親切気と温和な情が充ち満ちて居り升た。
例へば、父親が母に対して、極物和らかな言葉を用ゐるのを自然と聞覚へて、自身にも其真似をする様になり、又父が母親を庇ひ、保護するのを見ては、自分も母の為に気遣ふ様になり升た。
それ故、父がモー帰らないことになつて、母がそれを悲しんでゐる塩梅を見てとると同時に、サアこれからは、自分が一処懸命に慰なければならないのだといふことを覚悟して、其心持になり升た。
まだ年は行ず、赤ん坊の様なものでしたが、母の膝へ攀登つて、キスをして、、ちゞれ頭を母の頚へすり寄せる時や、自分のおもちやや絵草紙を持つて来て見せたり、長い倚子の上に横になつてゐる母の側へソツトゐ寄つて、猫の様にまるくなる様な時でも、必ず其心持が有つたのでした。
年の行かぬ身には、為す術も知りませんかつたから、出来る丈のことをしてゐたのでしたが、自分のおもふよりは、結句充分の慰めが出来たのでした。
いつか母が、旧くからゐる雇女のメレといふのに、「アノ、メレや、あの子は、子供心にわたしを慰める積りでゐるのだよ、キツトそふだろうよ、時々可愛いヽ、不審そうな顔付をして、気の毒そうに、わたしを見て居ると思ふと、側へ来て、わたしに甘へつくとか、何か見せるとかするもの、ほんとうに成人の様な処があるから、今度気を付て御覧よ」と云つたこともありました。
一つ宛年を重ねる中に、此子の如何にも可愛いヽ風采が大層に人を嬉しがらせました。
母にとつては、此上もない好いお合手で、母は外に朋友を求めぬ位でした。
それ故散歩するも、話しするも、遊ぶも、皆一処でした。
極く少さい時から、本を読むことを習つて、少し読める様になつてから、夜暖室炉の前の毛皮の上に横になつては、さま\゛/のものを声高に読々しました。
其読ものヽ中には、子供の悦ぶ談話もあり、時々は成人の読そうな書物も稀には新聞も有ました。
そうして、さういふ折には大層妙なことをいふので、奥さまが面白そうにお笑ひなさる声をメレが台所で聞々しました。
それをまたメレが万やの亭主にこふ云つてはなしました、
ほんとうに、だれだつて笑はずにゐられやしませんよ、あんな愛くるしひ様子をして、妙なことをお言なさるのだものを、マア聞ておくんなさい、此間大統領さまの撰挙があつた跡で、台処へ来て、両手をポツケツトへ突つ込んで、火の前へお立なすつた処は、丸で絵にでも書度様でしたがネ、何をおいひなさるかと思へば、マアこうなんですよ、メレや、僕は共和党だよ、かあさまもそうなんだよ、おまへもそうかへ?、とおつしやるから、わたしが、イヽへ\/、どふいたしまして、メレは民権党の堅まりですよ。といふと、それは\/気の毒そうな顔付をして、そうかへ、それは大変だよ、国が亡びるよ、民権党はいけないんだから。といつてそれからといふものは、わたしを共和党にするとつて、毎日の様に議論にお出なさるじやありませんか。
メレは此子が大好で、そうしていつも大自慢でした。
元セドリツクの誕生の頃から居るので、主人がなくなつてよりは、お三どんも、小間遣も、児守も、何も彼も一人で兼て居升た。
此女はセドリツクの文優で屈強な体つきと愛らしひ様子振が自慢なので、殊に額の辺に波打つて、肩へ垂れかヽつて、一層の愛嬌を添へる艶かな頭髪が大自慢でした。
それ故、朝は早く起き、夜は夜なべまでして、セドリツクの小裁の着物の仕立や、修繕を手伝ました。
サウサ、あれが本当の品とでもいふのだらうよ、大家の坊様だつて、うちのの様な器量や、推出しの好のは、ほんとうにありやしない、奥さまの旧いおめしを直して、拵らへたのだけれど、アノ黒びろうどの服を着て、外を歩るいてゐらつしやろうもんなら、どんな男だつて、女だつて、子供だつて、ほんとうに振り返つて見ないもんなんかないから、丸で華族様の若様の様だ。
と人に云々しました。
セドリツクは自分が若様のやうだか、様でないか知りませんかつた。
全体若さまといふものがどんなものかといふことさへ、知らないのでした。
自分の一番の友だちといふは、角の万やの亭主で、音に聞えた癇癪持でしたが、セドリツク丈には一度も怒つたことがないといふ評判でした。
名はホッブスといひましたが、セドリツクは此人を大層尊敬してゐまして、彼の人は余程の金持で、エライ人物だと思つてゐました。
なぜかといふと、其人の店先には、杏子、無花菓、密柑、ビスケツトと、種々雑多の品物が並べてある上に、馬と荷車が置てあつたからです。
セドリツクは、牛乳やも、麺包やも、林檎やのおばあさんも好でしたが、中で此ホッブスといふ人ほど好な人はなく、例へば毎日逢に行つて、対ひ会つては、其時\/の事をいつまでも話てゐたといふ丈でも、どの位懇意だつたといふことが分ります。
二人が寄れば、いつも話しが尽なかつたといふことは、実に不思議な様でした。
先七月四日の独立祭の事などです、独立祭の話しが始まれば、実に切がない様でしたが、ホッブスは英人といへば大の反対で、或る時革命の話をすつかりセドリツクにして聞せましたが、其中には、敵の姦悪、身方の勇士の功名などに付て、随分異様に聞える愛国的の談話が雑つてゐました、其の上独立の宣告文まで言つて聞せました。
セドリツクが此話を聞てゐる間は、眼が光り、頬が赤くなり、髪がビタ\/に汗になるほど、一処懸命でして、家へ帰つて、母に話をするのを、御膳の済まで待てない位でした。
セドリツクが政事のことに注意する様になつたのは、全たく最初、ホッブスの仕込の故であつたのでした。
さて、ホッブス氏は、新聞を読のが大好でしたから、ワシントン府にある事柄などは、いつも精しく話して聞かせました。
それでセドリツクはコウ\/で、大統領が義務を尽してゐることの、又コウだから義務を尽さないのだといふ話しをも、感服して聞てゐました。
一度撰挙があつたときなどは、セドリツクは大層夢中になり、何でも豪勢なもんだと思ひ、自分とホッブス爺さんがゐなければ随分国の安危にも関らうかといふ威勢でしたが、ホツブスがある時セドリツクを連れて、たいまつの行列を見に行ましたが、行列の人の中には、其時ガス灯の側に立つてゐる、肥つてヅングリとした人の肩車に乗られた少さな奇麗な男子が大声に万歳を呼ながら高く帽子を振つてゐたことのあるのを記臆して居ましよう、忘れないでしよう、夫がセドリツクです。
丁度此撰挙騒の直ぐ跡で、セドリツクの七歳と八歳の間の頃でしたが、此子の生涯に大変動を起した一大事がありました、然してまた丁度此日にホツブス氏が英国や、英国女王の話をしてゐて、米国には例のない貴族といふものの講釈をして、大層烈敷ことを云ひ、殊に侯爵とか伯爵とかいふものに対して、非常に憤ほつてゐましたが、跡で思ひ合すれば、此日は実に不思議なことでした。
其日は朝から大層暑くつて、セドリツクが友だちと一処に兵隊の真似をして遊んでゐて、恐ろしく熱しましたから休息しようと思つて、ホツブスの店へ這つて行きましたらホツブスは折節朝廷の儀式の図のやうなものが這つてゐるロンドンのある絵入新聞を読んで大そう、すさまじい顔をしてゐ升したが、
よしいまの中、さんざ高上りをして、下々の人を踏つけるが好い、今に見ろ、踏つけた人たちに、イヤといふほど飛し挙られるからわしのいふことに間違まちがはない、みんな眼めを開あいて見みてゐろ。
と言いひました。
セドリツクは此時このときいつもの通とほり、高たかい倚子いすにチヨンボリ腰こしかけて、ホツブス氏しに敬礼けいれいを表ひようする為ため、帽子ぼうしを後うしろへ推遣をしやり、両手りようてをポツケツトの中なかへ突込つきこんでゐましたが、ホツブス氏しに向むかひて、かふ尋たづねました、
おぢさんは、侯爵こうしやくだの、伯爵はくしやくだのといふ人ひと、たんと知しつてゐるノ?
ホツブスは少すこし腹立気味はらたちきみに、
そんな奴やつ知しつてゐてたまるものかよ、わしの店みせへでも這はいつて見みるが好いい、どうしてやるか。
弱よわいものいぢめをする圧制貴族あつせいきぞくめ、こヽらの明箱あきばこへなんぞ腰こしをかけさせてたまるものか?。
と四方あたりを睨にらまへながら大威張おほいばりに自説じせつを陳のべて、汗あせでポツ\/と湯気ゆげだつ額ひたひを、拭ぬぐつてゐました。
セドリツクは訳わけは分わからぬながら、どふか不仕合ふしあわせらしく聞きこえる其侯伯そのこうはくたちが、ひどく気きの毒どくになり、
おぢさん、夫それは何なんにも知しらないもんだから、侯爵こうしやくなんぞになるんでせう?。
といひました。
スルト、ホッブスが、
どふして\/、大威張をほいばりなのさ、ナニ生うまれ付ついての分わからずやなんだ、不埒千万ふらちせんばんな奴等やつらだ。
と話はなしの真最中まつさいちうに、下女げじよのメレが顔かほを出だしました。
セドリツクはお砂糖さとうでも買かひに来きたのかと思をもひましたが、そうでもなく、何なにかビツクリしたといふ様子やうすで、少すこし面色かほいろが変かはつてゐました、
坊ぼッちやま、お帰かへりなさいよ、かあさまが御用ごようですよ、と云いひました。
セドリツクは彼かの高たかい倚子いすから滑すべり降くだり、
ソウカへ、かあさんと一処しよにどつかへ行ゆくのかへ?
おぢさんさよなら、又また来きますよ。
と云いつてメレと一処しよに出でかけ升ましたが、メレが肝きもがつぶれて、物ものがいへないといふ面付かほつきで、自分じぶんをヂツト見みてゐるのを、何故なぜかと思をもひ、引ひッ切きりなしに首くびを振ふつてゐるのに不審ふしんをうちました。
メレや、どふしたんだへ?
あついのかへ?。
と尋たづねました。
イヽへ、ですがね、どふも不思議ふしぎなことになつて来きたと思をもつてゐるんです。
ナニカへ、かあさんがひなたへ出でて、頭痛づつうがなさるのかへ?
と心配しんぱいそうにきヽました。
併しかし、そうでもなかつたのでした。
うちへ帰かへつて見ると、戸との外そとに小馬車こばしやが留とめてあつて、誰たれか小坐敷こざしきにおつかさんと話はなしをしてゐたものがありました。
メレは二階かいへと自分じぶんを急いそがせて、白茶しらちやフラネルの余処行よそゆきの着物きものに華はでなへコ帯そびを〆しめさせて髪かみのもつれを櫛とかして呉くれました。
メレは口くちの中なかで、
へン、華族くわぞくだつて、上うへッ方がただつて、しよふがあるもんカ、侯爵こうしやくだとへ、マアとんでもない‥‥‥とぶつ\/言いつてゐました。
セドリツクは何なんだか不思儀ふしぎでたまりませんが、母はヽの処ところへ行いつたら、何なにごとも話はなして貰もらわれると信しんじ、メレが頻しきりに不束ふそくらしく口小言くちこごとを云いつてゐるのを、黙だまつて聞きいてゐて、何なにも尋たづねませんかつた。
さて仕度したくも済すんで、下したへ走はしり下くだり、坐敷ざしきへ這はいり升ますと、背せいの高たかい、優やさしげな、鋭敏えいびんらしい、年としとつた紳士しんしが、安楽倚子あんらくいすに腰こしかけてゐて、其側そのそばに母はヽが是これも少すこし面かほの色いろを変かへて、坐すはつてゐましたが、見みれば眼めには涙なみだが溜たまつていた様やうでした。
オヤ、セデーかへ‥‥‥
と声こゑをたて、走はしり寄より、両方りようほうの腕うでで子供こどもをかヽへ、キスをした様子やうすが、何なにか驚をどろいたことか、心配しんぱいなことでもありそうでした。
丈せいの高たかい紳士しんしは倚子いすを離はなれ、彼かの鋭するどい眼めで、セドリツクを眺ながめ、眺ながめながら、痩やせた頬ほうを骨ほねつぽい手てで撫なでてゐましたが、先まづ満足まんそくせぬでもないといふ面付かほつきでした。
やがて緩々ゆる\/した調子ちようしで、
サヤウカ、そんなら、これがフォントルロイ殿どので御坐ござるか、
と云いひました。
(以上、『女学雑誌』第二二八号