ルビ部分を石丸憲子佐藤ゼミ・4年生入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。

小公子 若松賤子

第一回


セドリツクにはたれふてきかせるひとありませんかつたから、何
なに
らないでゐたのでした。
おとつさんは、イギリス人だつたと云ふことだけは、おつかさんにゐて、知つてゐましたが、おとつさんの歿ぼつしたのは、極さいうちでしたから、よく記臆きをくしてませんで、たゞ大をほきなひとで、眼浅黄色あさぎいろで、頬髯ほゝひげながくつて、時々とき\/かたせて坐敷中ざしきぢうまはられたことの面白をもしろかつたことだけしか、ハツキリとは記臆おぼえてゐませんかつた。
おとつさんがおなくなりなさつてからは、おつかさんにあまりおとつさんのことをいはほうよいいふことは子供こどもごヽろにもわかりました。
おとつさんの御病気ごびようきとき、セドリツクは他処よそられてゐて、帰かへつてときには、モウなにもおしまいになつてゐて、大層たいそうわづらひなすつたおつかさんもやうやまどそば椅子いすなをつていらつしやるころでしたが、其時そのときおつかさんのおかほはまだあをざめてゐて、奇麗きれいなおかほ笑靨ゑくぼがスツカリなくなつて、おおほきく、悲かなしそうで、そしておめしはくろ喪服もふくでした。
かあさま、とうさまはモウよくなつて?。
と、セドリツクがいひましたら、つかまつたおつかさんのうでふるへましたから、チゞレかしらげて、おつかさんのおかほると、何なんだか泣度様なきたいやう心持こヽろもちがして来升きました、それからまた、
かあさま、おとうさまはモウよくおなんなすつたの?。
をなじことをつてると、どういふわけか、急きうにおつかさんのくび両手りようてまはして、幾度いくたびも\/キスをして、そしておつかさんのほうに、自分じぶんやはらかなほう推当をしあてあげなければ、ならなくなりましたから、そのとほりしてあげると、おつかさんが、モウ\/決けっしてはなさないといふやうに、シツカリセドリツクをつかまへて、セドリツクのかた自分じぶんかほ推当をしあてて、声こゑおしまずにおなきなさいました。
ソウだよ、モウよくおりなすつたよ、モウスツ‥‥スツカリよくおなりなのだよ、ダガネ、おまへとわたしは、モウふたりきりになつてしまつたのだよ、ふたりきりで、モウほか何人だれもいないのだよ。
くもごゑいはれて、セドリツクはをさごヽろうちに、アノおほきな、立派りつぱな、年若としわかなおとつさんは、モウおかへりなさることがないのだといふことが、合点がてんゆきました。
ひとのことでよくとほり、おとつさんはおになすつたのだろうとわかりはしたものヽ、どふいふ不思議ふしぎわけで、こふ悲敷かなしい有様ありさまになつたのか、ハツキリと会得えとく出来できませんかつた、自分じぶんがおとつさんのことをせば、おつかさんはいつもおなきなさるから、コレハあま度々たび\/いはないほうがいのだろう、いふまゐと内々ない\/こヽろめて、そうして、暖室炉ストーブのまへや、窓まどそばに、ヂツトだまつてすはつていらつしやるやうときには、打遣うちやつてをいてはいけないといふこともわかりました。
おつかさんと自分じぶん知人しりびとといふは、極わづかなので、人ひといヒせれば大層たいそう淋敷さびしき生涯しようがいおくつてゐたのですが、セドリツクは、少すこおほきくなつて、なぜひとたづねてないといふわけわかまでは、淋敷さびしきこともりませんかつた。
おほきくなつてから、おつかさんは孤子みなしごで、おとつさんがおよめにおもらひなさるまでは、此このひろ世界せかいにタツタ一人ひとりで、身寄みよりなにもなかつたのだとはじめてりました。
おつかさんは、大層たいそう御器量好ごきりようよしで其時分そのじぶんある金持かねもち婦人ふじん介添かいぞへになつていらつしたところが、其婦人そのふじんといふが意地悪いじわるひとで、ある日のこと、カプテン、ヱロルといつて、後のちにセドリツクのおとつさんになつたひとが、丁度ちようどそのいへ来合きあわせてゐたとき、何なにかことがあつたすへ、おつかさんが睫毛まつげつゆもつたせながら、急いそいで二階かいへおあがりなさるところを、其そのかた御覧ごらんなすつて、可愛かわいらしく、あどけなく、痿しほれかへつた其姿そのすがたわすれることが出来できず、色々いろ\/不思議ふしぎなことがあつて、互たがひこヽろ知合しりあひ、愛あいつて、とう\/婚姻こんゐんをなさるやうになつたのでした。
さて此婚姻このこんゐんついては、さま\゛/のひとにわるくをもわれたのでしたが、其中そのうちで、一番ばんはらをたてたのはカプテン、ヱロルのおやぢさまで、是これ英国エイこくんでゐて、おかね沢山たくさんある豪儀ごうぎ華族くわぞくさまでしたが、癇癪持かんしやくもちで、アメリカとアメリカじんたいのおきらひでした。
此方このかたは、カプテン、ヱロルのうへに、二人の息子むすこをおもちでしたが、英国エイこく法律はうりつで、家いへぞくする爵位しやくい財産ざいさんも、何なにも、皆みな長男ちようなん受継うけついで、若長男ちようなんねば、次男じなんあとゆづうけることにきまつて升たから、此このかた大家たいけうまれはしたものヽ、三男なんのことで、ひどく有福いうふくになる見込みこみはありませんかつた。
しかるに、カプテン、ヱロルは、二人ふたりあにたちのうまつか天才美質てんさいびしつそなへ居升をりました、美麗びれいなる其容貌そのようぼう、屈強くつけうなる其姿そのすがた、生々いき\/したる其笑そのわらひ、華はでやかななる其音声そのこはね、其大胆そのだいたんで、慈悲深じひふかきこと、人ひとせつし柔順じゆうじゆんなる挙動きよどうは、多おほくのもの敬愛けいあい一身しんあつめました。
さて二人ふたりあには、是これはんして外貌ぐわいばううつくしくなく、何なんさいもたず、心こヽろ美質びしつそなへてもおりませんかつたゆゑ、イヽトンなる邸内ていないあつてもひとよろこばれす、大学だいがく修学しゆうがくするをりも、学問がくもん大嫌だいきらひで、其処そこ居間をるあひだたヾ時日じヾつ無益むゑき消費しようひするばかりで、朋友ほういうもろくに出来できませんかつた。
ちヽなる侯爵殿こうしやくどのこの二人の息子むすこには非常ひじやう失望しつぼうし、失望しつぼうのみならず常々つね\゛/ 大層たいそう迷惑めいわくていでした。
自身じしんゆづ嫡子ちやくし先祖せんぞ家名かめい光沢くわうたくへぬのみか、男おとこらしく、凛然敷りヽしい性質せいしつ一も備そなへず、只たヾ自身じしんよくほしひまヽにし、つかひはらふことをつてゐるばかりで、世なんえきなき人物じんぶつでした。
しかるにさんくらひもなかるべき末子ばつしが、他二人ふたりかけ伎倆ぎりようも、徳とくも、美貌びぼうも、兼備かねそなへてるとは、此人このひとにとつて如何いかにも残念千万ざんねんせんばんのことどもでした。
ときとしては巍々ぎヽたる其位爵そのいしやく、壮麗そうれいなる産業さんぎよう付属ふぞく美質びしつをば、他あたへずしてひとじめしたる此若年このじやくねんが、反かへつてちヽこヽろにはにくくなりました。
しかしまた傲慢頑固ごうまんぐわんこなる其心そのこヽろそこには、此末子このばつしおほい寵愛ちようあいせずにられず、二つのじやうたがひにたヽかつてましたが、或とき此忌々このいま\/しさが癇癪かんしやくとなつてムカ\/と、外そとはつにわかに三男なん米国アメリカ旅行りよこうつかはしました。
これ二人の放蕩不頼ほうとうぶらい息子むすこ挙動きよどうこうて、末子ばつし比較ひかくしてははらてるから、末子ばつししばらとふざけてよふと思付おもひついたからでした。
しかるに六月むつきたヽぬうちにはやさびしさをかんはじめまして、密ひそかに末子ばつしかほたくなり、直文通ぶんつうして帰国きこくめいじました。
其手紙そのてがみ引違ひきちがつてちやくしたカプテン、ヱロルの書状しよじよう米国アメリカ出逢であふたある妙齢めうれい婦人ふぶんのこととこれ婚姻こんいんする決心けつしんをしたことがかいありました、侯爵殿こうしやくどの此手紙このてがみまれたときそれこそ立腹りつぷくでした。
生来せいらい癇癪持かんしやくもちでは有升ありましたが、此時程このときほど其癇癪そのかんしやくをひどくおこしたことはくらひでしたから手紙てがみとき丁度てうど居合ゐあはせた給事きうじ其時そのとき様子やうす御前ごぜんはヒヨツト卒中そつちうでもおはつしはなさらぬかと心配しんぱいしたほどでした。
およ一時間じかん猛虎もうこごとくにたけち、其そのあげくに、一通つう端書はがきをカプテン、ヱロルにしたヽつかはし、以後いごやしき近寄ちかよることは一切せつならぬ、又また親兄弟おやけうだいにも文通ぶんつうきんずる、今後こんご如何様いかやうなるくらしをすとも何処どこてやうとも、一向こうかまはぬ、ドリンコウトのいへよりは永遠えんゑん切離きりはなしたものと見做みなして、父ちヽ存命中ぞんめいちうは、何なん補助ほじよもせぬものと心得こヽろえよ、と申送まうしおくりました。
カプテン、ヱロルは此手紙このてがみ一読どくして愁歎しうたんたへませんかつた。
此人このひと故郷ふるさとなつかしく、自身じしんうまれた美麗びれいいへいたつてこひしく、癇癪かんしやくある老父ろうふにもしたしんでつて、是これまでちヽ色々いろ\/失望しつぼうしたことをどくにおもふてりましたが、此文通このぶんつうがあつてからは最早もはや親子たやこあひだなんよしみもないといふことを泣々なく\/覚悟かくごいたしました。
はじめはどうしよふかと方向はうかうまよました。
是迄これまでそだちがそだちでしたからはたらい活計くらしたてることにはなれず、事務上じむじやう経験けいけんありませんかつたが、併しか勇気いうき決断力けつだんりよく充分じうぶんでしたからまづ陸軍士官りくヾんしくわんかぶ売却ばいきやくしてしまい、様々さま\゛/困丹こんたんすへやうやくニユーヨウクの都会とくわいで、勤つとさきつけ、間もなく婚姻こんいんいたました。
さて大英国だいエイこく某侯爵家ぼうこうしやくけ若殿わかとのともいはれる身分みぶんが、斯をちぶれての生計せいけいむかしにらべて非常ひじよう懸隔けんかくでしたが、併しかしまだとしわかく、世なか面白おもしろみもおほいのでしたから、勉励べんれいせば何事なにごとらざらんと、頻しきりに前途ぜんとたのしんでました。
住居すまゐといふは物静ものしづかなまちのちんまりしたいへで、そこで男子だんし一人ひとりうまれてからは質素しつそながら物事ものごとべてめづらしく、愉快ゆくわいでしたから、只たヾあまりのあいらしさにをもはをもひせ、其人そのひとにもあいされてひと介添かいぞへといふ身分みぶんのものをつまにしたのを後悔こうかいしたことはたゞの一度もありませんかつた。
此婦人このふじんといふは、如何いかにもあいらしい人物じんぶつでしたから、生うまれた男子だんし両親りようしんによくりまして、此通このとふ偏卑へんぴやすつぽい家居いへゐうまれたにはず、其果報そのくわほうたれにもをとらぬほどでした。
だい一、此子このこは、いつも壮健たつしやでしたからたれにも面倒めんだうかけませんかつた。
だい二に気立きだて柔和にうわまこと可愛かわいらしいでしたから、人毎ひとごとうれしがられました。
だい三に器量きりよういことはかいやうで、頭かしらには赤子あかごによくある禿はげやうなものすこしもなく、生うまれたときからやわらかくつてほそ金色こんじき沢山たくさんで、六ケげつたつうちにくる\/と可愛かわいらしくちゞれました、眼おほきく茶色ちやいろほうで、睫毛まつげながく、顔かほ愛嬌あいきようあるたちでした、筋骨きんこつめづらしくたくましいほうで、八ケげつたつと、急きうあるやうになり升た。
其上
そのうへ
大層たいさうひとなつこく、小さい手車てぐるまつて、市街しがい運動うんどうして時分じぶん、誰たれでも近寄ちかよつてあやすものがあれば、例れい茶勝ちやかちで、ヂツトまじめにつめるかとをもふと、直可愛かあいらしくわらひかけて、雑作ざうさもなくお近付ちかつきになつてしまいました。
此通このとほりゆえ、此物静このものしづかまちうちで、此子このこて、あやすのをたのしみにせぬものとては、一人ひとりもなく、向むかかど万屋よろづや亭主ていしゆで、世癇癪持かんしやくもちとはあのひとはれるくらひひとまで、此子このこにはがないのでした。
(以上、『女学雑誌』第二二七号



   第一回

段々だん\/月日つきひつにしたがつて、奇麗きれい可愛かあいらしくなりましたが、稍やヽ成人せいじんして、短みじかい着物きもの、大おほきな帽子ぼうしかぶり、少さなくるまつぱつて、姆もりそとあるいてゐるところじつ見物みもので、よく往来わうらいひとあしめました。
うばいへかへつては、今日けふ馬車ばしやつた貴婦人きふじんが、坊ッちやまをるとつて、態々わざ\/うまめさせ、坊ッちやまに言葉ことばをおかけなさいましたよ、そうして、坊ッちやまが臆面をくめんなく、先せんッからのおともだちかなんかのやうにおはなしをあそばすので、大層たいそううれしがつてゆきましたよ、などとセドリツクのはヽはなすことは度々たび\/でした。
ほとんど不思議ふしぎまでおもはるヽ程ほどの、此子このこ愛矯あいきやうは、多分たぶん、少すこしも恐気おじけなく、極気軽きがるひとなつところにるのですが、これはうまつき、人ひとしんずるたちで、人ひとをも親切しんせつこヽろうち自分じぶん愉快ゆくわいに、人ひと愉快ゆくわいにしたいおも天性てんせいをこるものと、思をもはれます。
それで、人ひとてとることが大層たいそうはやほうでしたが、是これ両親ふたをやたがひ相愛あいあいし、相思あいをもひ、相庇あひかばひ、相譲あいゆづところ見習みならつて、自然しぜん其風そのふう感染かんせんしたものとます
いへつては、不親切ふしんせつらしい、無礼ぶれい言葉ことば一言げんきいたことはなく、いつも寵愛ちようあいされ、柔和やさし取扱とりあつかわれましたから、其幼そのをさごヽろうちに、親切気しんせつぎ温和おんわじようちてました。
たとへば、父親ちヽをやはヽたいして、極ごく物和ものやわらかな言葉ことばもちゐるのを自然しぜん聞覚きヽおぼへて、自身じしんにも其真似そのまねをするやうになり、又またちヽ母親はヽをやかばひ、保護ほごするのをては、自分じぶんはヽため気遣きづかやうになりました。
それゆゑ、父ちヽがモー帰かへらないことになつて、母はヽがそれをかなしんでゐる塩梅あんばいてとると同時どうじに、サアこれからは、自分じぶん一処懸命しよけんめいなぐさめなければならないのだといふことを覚悟かくごして、其心持そのこヽろもちになり升た。
まだとしゆかず、赤
あか
やうなものでしたが、母はヽひざ攀登よぢのぼつて、キスをして、、ちゞれあたまはヽくびへすりせるときや、自分じぶんのおもちやや絵草紙ゑそうしつてせたり、長なが倚子いすうへよこになつてゐるはヽそばへソツトゐつて、猫ねこやうにまるくなるやうときでも、必かなら其心持そのこヽろもちつたのでした。
とし行かぬ身には、為すべりませんかつたから、出来できだけのことをしてゐたのでしたが、自分じぶんのおもふよりは、結句けつく充分じゆうぶんなぐさめが出来できたのでした。
いつかはヽが、旧ふるくからゐる雇女やとひをんなのメレといふのに、「アノ、メレや、あのは、子供心こどもごヽろにわたしをなぐさめるつもりでゐるのだよ、キツトそふだろうよ、時々とき\゛/可愛かあいいヽ、不審ふしんそうな顔付かほつきをして、気どくそうに、わたしをるとをもふと、側そばて、わたしにあまへつくとか、何なにせるとかするもの、ほんとうに成人おとなやうところがあるから、今度こんどつけ御覧ごらんよ」とつたこともありました。
一つづヽとしかさねるうちに、此子このこ如何いかにも可愛かあいヽ風采ふうさい大層たいそうひとうれしがらせました。
はヽにとつては、此上このうへもないいお合手あいてで、母はヽほか朋友ともだちもとめぬくらひでした。
それゆゑ散歩さんぽするも、話はなしするも、遊あそぶも、皆みな一処しよでした。
さいときから、本ほんむことをならつて、少すこめるやうになつてから、夜よる暖室炉ストーブまへ毛皮けがはうへよこになつては、さま\゛/のものを声高こわだか読々よみ\/しました。
其読そのよみものヽ中うちには、子供こどもよろこ談話はなしもあり、時々とき\/成人おとなよみそうな書物しよもつまれには新聞しんぶんありました。
そうして、さういふ折には大層たいそうみやうなことをいふので、奥をくさまが面白おもしろそうにおわらひなさるこゑをメレが台所だいどころ聞々きヽ\/しました。
それをまたメレがよろづやの亭主ていしゆにこふつてはなしました、
ほんとうに、だれだつてわらはずにゐられやしませんよ、あんなあいくるしひ様子やうすをして、妙みやうなことをおいひなさるのだものを、マアきいておくんなさい、此間このあひだ大統領だいとうりようさまの撰挙せんきよがあつたあとで、台処たいどころて、両手りようてをポツケツトへんで、火まへへおたちなすつたところは、丸まるにでも書度様かきたいやうでしたがネ、何なにをおいひなさるかとをもへば、マアこうなんですよ、メレや、僕ぼく共和党きやうわとうだよ、かあさまもそうなんだよ、おまへもそうかへ?、とおつしやるから、わたしが、イヽへ\/、どふいたしまして、メレは民権党みんけんとうかたまりですよ。といふと、それは\/気どくそうな顔付かほつきをして、そうかへ、それは大変たいへんだよ、国くにほろびるよ、民権党みんけんとうはいけないんだから。といつてそれからといふものは、わたしを共和党きようわとうにするとつて、毎日まいにちやう議論ぎろんにおいでなさるじやありませんか。
メレは此子このこ大好だいすきで、そうしていつも大自慢だいじまんでした。
もとセドリツクの誕生たんじようころからるので、主人あるじがなくなつてよりは、お三どんも、小間遣こまづかひも、児守こもりも、何なに一人ひとりかね居升ました。
此女このをんなはセドリツクの文優しなやか屈強くつきやうからだつきとあいらしひ様子振やうすぶり自慢じまんなので、殊ことひたいへん波打なみうつて、肩かたれかヽつて、一層そう愛嬌あいきやうへるつやヽかな頭髪かみのけ大自慢おほじまんでした。
それゆゑ、朝あさはやき、夜なべまでして、セドリツクの小裁こだち着物きもの仕立したてや、修繕つくろひ手伝てつだいました。
サウサ、あれが本当ほんとうひんとでもいふのだらうよ、大家たいか坊様ぼうさまだつて、うちののやう器量きりようや、推出をしだしのいヽのは、ほんとうにありやしない、奥をくさまのふるいおめしをなをして、拵こしらへたのだけれど、アノくろびろうどのふくて、外そとるいてゐらつしやろうもんなら、どんなをとこだつて、女をんなだつて、子供こどもだつて、ほんとうにかへつてないもんなんかないから、丸まる華族様くわぞくさま若様わかさまやうだ。
人に云々いひ\/しました。
セドリツクは自分じぶん若様わかさまのやうだか、様やうでないかりませんかつた。
全体ぜんたいわかさまといふものがどんなものかといふことさへ、知らないのでした。
自分じぶん一番ばんともだちといふは、角かどよろづやの亭主ていしゆで、音おときこえた癇癪持かんしやくもちでしたが、セドリツクだけには一度をこつたことがないといふ評判へうばんでした。
はホッブスといひましたが、セドリツクは此人このひと大層たいそう尊敬そんけいしてゐまして、彼ひと余程よほど金持かねもちで、エライ人物じんぶつだとおもつてゐました。
なぜかといふと、其人そのひと店先みせさきには、杏子あんず、無花菓いちヾく、密柑みかん、ビスケツトと、種々雑多しゆ\゛/ざつた品物しなものならべてあるうへに、馬うま荷車にぐるまをいてあつたからです。
セドリツクは、牛乳ちヽやも、麺包ぱんやも、林檎りんごやのおばあさんもすきでしたが、中なかこのホッブスといふひとほどすきひとはなく、例たとへば毎日まいにちあいつて、対むかつては、其時そのとき\/のことをいつまでもはなしてゐたといふだけでも、どのくらひ懇意こんいだつたといふことがわかります。
二人がれば、いつもはなしがつきなかつたといふことは、実じつ不思議ふしぎやうでした。
まづ七月四日の独立祭どくりつさいことなどです、独立祭どくりつさいはなしがはじまれば、実じつきりがないやうでしたが、ホッブスは英人エイじんといへばだい反対はんたいで、或るとき革命かくめいはなしをすつかりセドリツクにしてきかせましたが、其中そのうちには、敵てき姦悪かんあく、身方みかた勇士いうし功名こうみやうなどにつけて、随分ずゐぶん異様いやうきこえる愛国的あいこくてき談話はなしまじつてゐました、其うへ独立どくりつ宣告文せんこくぶんまでつてきかせました。
セドリツクが此話このはなしきいてゐるあひだは、眼ひかり、頬ほうあかくなり、髪かみがビタ\/にあせになるほど、一処懸命しよけんめいでして、家いへかへつて、母はヽはなしをするのを、御膳ごぜんすむまでてないくらゐでした。
セドリツクが政事せいじのことに注意ちういするやうになつたのは、全まつたく最初さいしよ、ホッブスの仕込しこみせいであつたのでした。
さて、ホッブスは、新聞しんぶんよむのが大好だいすきでしたから、ワシントンにある事柄ことがらなどは、いつもくわしくはなしてかせました。
それでセドリツクはコウ\/で、大統領だいとうりよう義務ぎむつくしてゐることの、又またコウだから義務ぎむつくさないのだといふはなしをも、感服かんぷくしてきいてゐました。
一度撰挙せんきよがあつたときなどは、セドリツクは大層たいそう夢中むちうになり、何なんでも豪勢ごうせいなもんだとをもひ、自分じぶんとホッブスおぢさんがゐなければ随分ずゐぶんくに安危あんきにもかヽはらうかといふ威勢いせいでしたが、ホツブスがあるときセドリツクをれて、たいまつの行列ぎようれつゆきましたが、行列げうれつひとなかには、其時そのときガスとうそばつてゐる、肥ふとつてヅングリとしたひと肩車かたくるまのせられたさいさな奇麗きれい男子をとこのこ大声をほこゑ万歳ばんざいよびながらたか帽子ほうしつてゐたことのあるのを記臆きおくしてましよう、忘わすれないでしよう、夫それがセドリツクです。
丁度ちようど此撰挙騒このせんきよさわぎあとで、セドリツクの七歳と八歳の間あひだころでしたが、此子このこ生涯しようがい大変動たいへんどうをこした一大事だいじがありました、然そうしてまた丁度ちようど此日このひにホツブス英国エイこくや、英国女王エイこくによわうはなしをしてゐて、米国ベイこくにはためしのない貴族きぞくといふものの講釈かうしやくをして、大層たいそう烈敷はげしいことをひ、殊こと侯爵こうしやくとか伯爵はくしやくとかいふものにたいして、非常ひじやういきどほつてゐましたが、跡あとをもあはすれば、此日このひじつ不思議ふしぎなことでした。
其日そのひあさから大層たいそうあつくつて、セドリツクがともだちと一処しよ兵隊へいたい真似まねをしてあそんでゐて、恐をそろしくねつしましたから休息きうそくしようとをもつて、ホツブスのみせはいつてゆききましたらホツブスは折節をりふし朝廷ちようてい儀式ぎしきのやうなものがはいつてゐるロンドンのある絵入新聞ゑいりしんぶんんでたいそう、すさまじいかほをしてゐ升したが、
よしいまのうち、さんざ高上たかあがりをして、下々
しも\/
ひとふみつけるがい、今いまろ、踏ふみつけたひとたちに、イヤといふほどとばあがられるから是は暴徒ぼうと、ダイナマイトのるいわしのいふことに間違まちがはない、みんなあいてゐろ。
いひました。
セドリツクは此時このときいつものとほり、高たか倚子いすにチヨンボリこしかけて、ホツブス敬礼けいれいひようするため、帽子ぼうしうしろへ推遣をしやり、両手りようてをポツケツトのなか突込つきこんでゐましたが、ホツブスむかひて、かふたづねました、
おぢさんは、侯爵こうしやくだの、伯爵はくしやくだのといふひと、たんとしつてゐるノ?
ホツブスはすこ腹立気味はらたちきみに、
そんなやつつてゐてたまるものかよ、わしのみせへでもはいつてるがい、どうしてやるか。
よわいものいぢめをする圧制貴族あつせいきぞくめ、こヽらの明箱あきばこへなんぞこしをかけさせてたまるものか?。
四方あたりにらまへながら大威張おほいばり自説じせつのべて、汗あせでポツ\/と湯気ゆげだつひたひを、拭ぬぐつてゐました。
セドリツクはわけわからぬながら、どふか不仕合ふしあわせらしくきこえ其侯伯そのこうはくたちが、ひどくどくになり、
おぢさん、夫れはなんにもらないもんだから、侯爵こうしやくなんぞになるんでせう?。
といひました。
スルト、ホッブスが、
どふして\/、大威張をほいばりなのさ、ナニうまついてのわからずやなんだ、不埒千万ふらちせんばん奴等やつらだ。
はなし真最中まつさいちうに、下女げじよのメレがかほしました。
セドリツクはお砂糖さとうでもかひたのかとをもひましたが、そうでもなく、何なにかビツクリしたといふ様子やうすで、少すこ面色かほいろかはつてゐました、
ッちやま、おかへりなさいよ、かあさまが御用ごようですよ、といひました。
セドリツクはたか倚子いすからすべくだり、
ソウカへ、かあさんと一処しよにどつかへゆくのかへ?
おぢさんさよなら、又またますよ。
つてメレと一処しよかけましたが、メレがきもがつぶれて、物ものがいへないといふ面付かほつきで、自分じぶんをヂツトてゐるのを、何故なぜかとをもひ、引きりなしにくびつてゐるのに不審ふしんをうちました。
メレや、どふしたんだへ?
あついのかへ?。
たづねました。
イヽへ、ですがね、どふも不思議ふしぎなことになつてたとをもつてゐるんです。
ナニカへ、かあさんがひなたへて、頭痛づつうがなさるのかへ?
心配しんぱいそうにきヽました。
しかし、そうでもなかつたのでした。
うちへかへつて見ると、戸そと小馬車こばしやめてあつて、誰たれ小坐敷こざしきにおつかさんとはなしをしてゐたものがありました。
メレは二階かいへと自分じぶんいそがせて、白茶しらちやフラネルの余処行よそゆき着物きものはでなへコそびを〆しめさせてかみのもつれをとかしれました。
メレはくちなかで、
へン、華族くわぞくだつて、上うへがただつて、しよふがあるもんカ、侯爵こうしやくだとへ、マアとんでもない‥‥‥とぶつ\/言つてゐました。
セドリツクはなんだか不思儀ふしぎでたまりませんが、母はヽところつたら、何なにごともはなしてもらわれるとしんじ、メレがしきりに不束ふそくらしく口小言くちこごとつてゐるのを、黙だまつてきいてゐて、何なにたづねませんかつた。
さて仕度したくんで、下したはしくだり、坐敷ざしきはいますと、背せいたかい、優やさしげな、鋭敏えいびんらしい、年としとつた紳士しんしが、安楽倚子あんらくいすこしかけてゐて、其側そのそばはヽこれすこかほいろへて、坐すはつてゐましたが、見ればにはなみだたまつていたやうでした。
オヤ、セデーかへ‥‥‥
こゑをたて、走はしり、両方りようほううで子供こどもをかヽへ、キスをした様子やうすが、何なにをどろいたことか、心配しんぱいなことでもありそうでした。
せいたか紳士しんし倚子いすはなれ、彼するどで、セドリツクをながめ、眺ながめながら、痩せたほうほねつぽいなでてゐましたが、先満足まんそくせぬでもないといふ面付かほつきでした。
やがて緩々ゆる\/した調子ちようしで、
サヤウカ、そんなら、これがフォントルロイ殿どの御坐ござるか、
ひました。
(以上、『女学雑誌』第二二八号