いわゆる習作。若いときに書いたものです。勢いで書いてしまったとの印象もあり、その割りには言いたいことを言い切ってない面も。
批判的な論文も出ているようなので、改めて論じる必要を感じています。それは、なぜ、中古の文学作品全体ではなく『源氏物語』に限定したのか、そしてまたその判断の正当性を述べつつ、言語資料の扱い方(ことに『源氏物語』を特殊なものと見ることを恐れないという態度)を論じる予定でいます。
源氏物語における「対面(す)」について
佐藤 貴裕
一
「対面(す)」は、従来の研究によれば、いくつかの点で特徴的な漢語であることが知られる。
中古仮名文の漢語語彙のなかでは、大量の用例が認められ、不可欠の語であることは周知の通りである。さらに次のような指摘が見られる。
二字の漢語は女性の会話において、「御覧」「対面」の二語、および特殊な状況を表現するための語、すなわち「案内」「加階」「加持」などを除いて使用されていないと考えられる。(佐藤武義「中古の物語における漢語サ変動詞」〔『国語学研究』3 昭38〕)
「対面(す)」は、二字漢語でありながら、女性の使用した例が豊富にみられるのである。この特殊性から、曾田文雄は次のように述べ、研究上の指針を示している。
ともあれ、この「対面」という語については、他の漢語とは様相を異にした面が窺われるわけであるから、もしかしたら、この「対面」と他の漢語との間には一線を画して考えていくのが正しいことになるのかもしれない。(「宇津保物語の漢語」〔『滋賀大国文』5 昭43〕)
また、「対面(す)」は、客体敬語の一つとして扱われることがある。
「対面」は謙遜語で「お目にかかる」意。(今泉忠義『源氏物語 語法編』桜楓社 昭52 四〇四頁)
「対面す」はこのままで謙遜語なのだから、「対面し奉り給はず」などとはいはない。(同 三二六頁)
たいめん【対面】(名・サ変)お目にかかること。お目にかかって話すこと。(今泉忠義他編『古語辞典 新訂版』旺文社 昭50)
さらに、柏谷嘉弘は『日本漢語の系譜──その摂取と表現──』(東宛社昭62)において「対面す」と「見奉る・見ゆ・会ふ」の用法を比較し、「対面す」の敬意は「見奉る」より低く「見ゆ・会ふ」より高いという指摘をするに至っている。
一方で、大久保一男は、「対面(す)」の非客体敬語的用法(後述の用例ヤ15など)があることに着目し、次のようて見解を示した。
以上、「対面(す)」には、それを客体敬語とすることに適合する例と、適合しない例とがあることを見、敬うべき人を客体とする場合の「対面す」に客体敬語の補助動詞が下接しない理由を模索してみたが、以上を踏まえて「対面(す)」の敬語性について推定するならば、客体敬語とすることに適合する「対面(す)」は敬語性を帯びているのであり、客体敬語とすることに適合しない「対面(す)」は敬語性を帯びていないのである、ということになる。つまり、客体敬語とすることに適合する「対面(す)」はそれを客体敬語として認識して用いたのであり、客体敬語とすることに適合しない「対面(す)」はそれを客体敬語として認識することなしに用いたのである、ということである。(「『対面(す)』の敬語性」〔『国語研究』47 昭59〕)
このように、中古の仮名文学における「対面(す)」は、種々の点で問題のある漢語であることが知られる。本稿では、『源氏物語』における「対面(す)」の用法を名詞・動詞に分けて検討し、また、語義のうえで対応する和語「会ふ」の用法と比較し、次の点を中心に私見を述べることとする。
なお、テキストには、日本古典文学大系本を用い、適宜他本を参照した。ただし、用例を掲げる際に、仮名を漢字に直した部分がある。
筆者も「対面(す)」の敬語的用法と非敬語的用法の存在を認めるが、大久保氏の説明では、なにゆえにこの二つの用法が一つの作品の中に共存しうるのかという点についての説明が明快ではないように思われる。
中古の仮名文や和歌などでは、漢語の使用が低く抑えられているようである。その一方では、外来の事物や仏教語などをはじめとして、「御覧ず・奏す・啓す」などの待遇表現にも漢語が認められる。また、一応は和語として認められる「白雪・白波・白雲」などについても、漢語を和訳した可能性が考えられている。このように、和語を主体とした仮名文や和歌にも、漢語は陰に陽に影響を与えている。
二
『源氏物語』では、名詞「対面」に、「御」を冠した例と冠しない例とが認められる。この二つの形式は、次のような分布を示している。
┌───┬──────┬────────┐
│ │ 地の文 │会話・心中・消息│
├───┼──────┼────────┤
│対 面│ 1 │ 42 │
├───┼──────┼────────┤
│御対面│ 20 │ 2 │
└───┴──────┴────────┘
無敬語の「対面」は会話・心中・消息に集中し、「御対面」は地の文に集中する傾向がある。まず、それぞれの少数例を見ておきたい。「対面」の地の文の一例は、次のようなものである。
1「なぞ、あやし」と〔源氏が〕御らんずるに、院の御文なりけり。見給へば、いとあはれなり。〔寿命は〕けふかあすかの心ちするを、たいめむの心にかなはぬことなど、こまやかにかかせ給へり(横笛・朱雀帝が女三宮に面会)
この例は、地の文の例であるが、「けふかあすかの心ちするを、たいめむの心にかなはぬ」の部分は、朱雀帝から女三宮への消息の内容を示したものである。しかし、「心ちする」などのように敬意を伴わない表現となっていることから、朱雀帝の消息の表現をある程度忠実になぞったもののようである。つまり、この「対面」は、消息中の例に準じて考えてよいものと思われる。したがって、純粋に地の文における「対面」の例は皆無とすることができる。
会話中の「御対面」二例は次のようなものである。
2「なに事ありつるならむ、珍しき御たいめむに、いと御気色よげなりつるは」(行幸・供人A豪汾lB・内大臣が源氏に)
3「いと、かたはらいたき事かな。此日頃、むげに、いとたのもしげなくならせ給ひにければ、御たいめんなどもあるまじ」(若紫・取次の女房轟ケ氏の使・母尼が源氏に)
この二例は、「対面」の当事者以外の人々の発言であり、その話者は供人や女房である。すなわち、この二例は、貴人の行為を叙述する際には、常に敬意を払わなければならない人たちの叙述である。このような叙述の立場は作者と同じだから、「御対面」の二例は、地の文と同様の環境にあると考えられ、地の文の例の場合と等しく扱うことができるものと思う。
したがって、無敬語の「対面」は会話や消息などにあらわれ、「御対面」は地の文にあらわれることになり、両者の相補的な分布は一層はっきりする。言い換えれば、「対面」が地の文で用いられる場合(あるいは、非貴人が叙述する場合)には、必ず「御」が付されるということになる。このことから「対面」という語の性格を考えると、その行為主体が貴人(=地の文において敬意を払われる人物)であることが認められる。
つぎに、地の文における「対面」(=御対面)の客体の階層を確認しておく。一主体が同時に複数の客体に面会する例には*を付した。
源氏に 尼上(若紫)、右大臣(花宴)、朧月夜(賢木)、大宮・*大后(乙女)、内大臣(行幸)、朱雀院・朧月夜(若菜上)、冷泉院(鈴虫)
明石姫君に 玉鬘(初音・*胡蝶)、紫上(御法)
紫上に 玉鬘(*胡蝶・若菜下)
六条御息所に 源氏(賢木)
藤壷に 源氏(明石)
花散里に 源氏(初音)
夕霧に 玉鬘(藤袴)
内大臣に 源氏(行幸)
秋好中宮に 紫上(梅枝)
明石上に 紫上(藤裏葉)
玉鬘に 「まゐりなどし給」う人々(若菜上)
朱雀帝に 大后(乙女)
弘徽殿女御に 近江君(常夏)
このように、「御対面」の客体も敬意を払われる人々であることが知られる。したがって、「御対面」は「貴人が貴人と面会すること」という意味を有していると考えられる。
さて、地の文に現れる「対面」が、ほぼ例外なく「御対面」となることから、会話などの例で無敬語の「対面」が現れるのは、「対面」の主体の発話の例ということになるはずである。これに反する例──すなわち、「対面」の主体でない第三者が無敬語の「対面」を用いる例──は次の二例だけである。
4大宮の御文あり。「六條のおとゞの、とぶらひにわたり給へるを。(略)こと\/しう、かう聞こえたるやうにはあらで、渡り給ひなんや。たいめむに、きこえまほしげなる事もあなり」ときこえ給へり。(行幸・大宮酷熨蜷b・源氏が内大臣に)
5車をぞ引き入るるなるに、「あやし」と〔尼君が〕おもふ折に、「尼君に、たいめん賜らん」とて、この、近き御庄の預りの名のりを、せさせ給へれば、戸口にゐざり出でたり。(東屋・供人酷君・近き御庄の預りが尼君に〔実は、薫が尼君に〕)
4の例は、源氏との面会を内大臣に促す大宮の文の例である。ここでは、源氏が主体で内大臣が客体ではあるが、大宮の文の受け手が内大臣であるから、「御」を付さなかったということであろうか。あるいは、非貴人の叙述では必ず「御」を付したことから逆に推測すれば、大宮は内大臣(頭中将)の母で、貴人の一人だから、「御」を用いて叙述するに及ばなかったとも考えられる。また、5の例は面会を求める供人の口上で、供人は「対面」の当事者ではないが、薫の側に立って述べたものとも、面会を求める口上の常套句であるともとれる。したがって、これら二例は、本来の意味での例外とは考えないほうがよいものと思われる。
以上のことから「対面」という語は「貴人が貴人に、あるいは貴人同士が面会すること」という意味を担っていると考えられる。
では、当事者の会話の例ではどうか。会話おいては、当事者が眼前にいるかどうかを考慮する必要があるが、おおむねは地の文と同様のものと考えられる。すなわち、面会の客体が聞き手である場合、聞き手への敬意の現れとして「対面」が用いられることになる。したがって、客体が貴人でなくとも「対面」が用いられる例も認められる。
6「また、〔君との〕たいめんあらむことこそ、思へばいとかたけれ。かゝりける世を知らで、心やすくもありぬべき月頃をさしも急がでへだてしよ」(須磨・源氏穀納言の君)
7「侍従といひし人は、〔私が〕ほのかにおぼゆるは、五つ六つばかりなりしほどにや『にはかに、胸をやみて失せにき』となむ聞く。〔君との〕たいめむなくは、〔私は〕罪重き身にて過ぎぬべかりけること」などのたまふ(橋姫・薫黒ル尼)
また、会話においては、主体・客体ともに貴人でない例もみられる。主体は、客体に敬意を払っていると認められる。次例では、「聞こゆ」を用いていることからもそのことが知られる。
8良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて文などやりけれど、返り事もせず。父の入道ぞ〔良清に〕「きこゆべきことなむ。あからさまにたいめむもがな」と言ひけれど、うけ引かざらむものゆゑ、行きかかりて空しく帰らんもをこなるべしと屈じいたうて行かず(須磨・入道漉ヌ清)
以上のように会話の例でも、客体への敬意が払われていることが認められる。
「対面」は、地の文においては、「御対面」として現れ、主体も客体も貴人であることが知られた。また、会話の例は、地の文と全く同列には扱えないが、面会の客体である聞き手に対して敬意を払っていることが確認された。
三
動詞「対面す」についても、名詞「対面」と同様に、無敬語表現と「給ふ」が下接する敬語表現の別に調査すると、次のような結果となった。
┌─────┬───────┬────────┐
│ │ 地 の 文 │会話・心中・消息│
├─────┼───────┼────────┤
│対 面 す│ 5 │ 14 │
├─────┼───────┼────────┤
│対面し給ふ│ 53 │ 0 │
└─────┴───────┴────────┘
名詞「対面」の場合とほぼ同様の結果が見られる。すなわち、地の文では主体への敬意を示す「給ふ」の下接した例が多く、会話などでは無敬語のままの用例が多いのである。
まず、この表から検討すべきことは、地の文で無敬語の「対面す」である。「給ふ」が下接していない例が地の文に存在するということは、非貴人の面会行為も「対面す」で表せることになり、名詞「対面」が地の文において「御」を冠せられて用いられることと齟齬することになるからである。
地の文の「対面す」五例のうち、二例は次のようである。
9姫君〔=末摘花〕は、「さりとも」と、まち過ぐし給へる心もしるく、〔源氏の来訪は〕嬉しけれど、いと恥づかしき御有様にて、たいめんせんも、いと、つゝましくおぼしたり(蓬生・末摘花が源氏に)
10〔中君は〕「よろずのこと、憂き身なりけり」と、慎ましくて、まだ、〔薫に〕たいめんして、物なども聞こえ給はず(総角)
二例とも、「対面す」の後には主体に対する敬意が払われているから、「給ふ」が付されなかったのは文中であるからと考える余地がある。しかし、残り三例の主体は貴人ではない。
11文など作りかはして、〔相人が〕今日・明日かへり去りなむとするにたいめんしたるよろこび、却りては悲しかるべきこころばえを、〔詩に〕おもしろく作りたるに(桐壷・相人が源氏に)
12〔源氏が〕まゐり給へれば、命婦・中納言の君・中務などやうの人々たいめしたり。(紅葉賀) 13宣旨〔源氏に〕たいめむして、〔朝顔の〕御消息はきこゆ(朝顔)
これらの例の主体は、高麗の相人や女房たちで、地の文では敬意が払われない人々である。しかし、例外として扱うにはやや例が多いようであるから、「対面す」は、主体が非貴人の場合でも使用される表現であると考えるのが妥当のようである。
名詞「対面」のもう一つの特徴であった「客体は貴人である」という点はどうか。「対面す」の客体を次に示す。なお、数字は例数を示すものである。
対面し給ふ(地の文)
源氏(若紫・紅葉賀・花宴・葵・賢木3 *・須磨・蓬生・朝顔)
夕霧(藤裏葉・若菜下・柏木3・横笛・夕霧・幻〔大将の君など〕・宿木)、匂宮(椎本・総角2)薫(竹河・椎本・総角5・早蕨・宿木3・東屋・浮舟2)、蛍兵部卿宮(幻2〔「御はらからの宮たち」として1〕)、葵上(葵)、帥宮・三位中将(須磨)、王命婦(薄雲)、朝顔(乙女)、雲居雁(乙女2)、髭黒(真木柱)、明石姫君(若菜上)、女三宮(若菜上)、落葉宮(柏木)、柏木(匂宮)、弘徽殿女御(夕霧)、例入り給ふ人々(蜻蛉)、中将(手習)妹尼、(手習)
対面す(地の文)
源氏(桐壷・紅葉賀・蓬生・朝顔)、薫(総角)
以上のように、王命婦を除けば(後述)、他はすべて敬意を払われる人々である。この点については名詞の用法と同様であることが知られる。
そこで、「対面す」は、地の文を見る限り、客体が貴人となっていることから、客体敬語として認められそうである。面会の当事者の発話などの例では、非貴人同士が面会する場合や貴人が非貴人に面会する場合にも「対面す」を用いる例がある。しかし、このような例も、「対面す」の客体が聞き手(もしくは、聞き手の側に属する人)である例がほとんどであって、いまみた地の文の例に反するものではないと考えられる。
しかしながら、次のような例も存在することから、客体敬語としては認められない面もあることになる。
この例では、心中文の主である内大臣が、「対面す」の客体である。なお、この例について、大久保は先の論文で「内大臣に対する作者の待遇的配慮が介入した」可能性を提示している。また、次のように考える余地もありそうである。前節の名詞「対面」の用例を検討すると、地の文や非貴人の叙述では必ず「御」を冠せられたから、「対面」の主体は貴人であると考えられた。このような名詞の用法が背景にあれば、「対面す」の客体敬語的用法が多くとも、主体敬語的側面を重視した「対面す」の使用が可能だったのかもしれない。「対面す」が、そのように、ある程度の幅を持つ表現であることは、次のような例があることからも支持されるものと思う。この例では、主体が源氏であるのに対し、客体は、敬意を払われない王命婦なのである。
別の箇所で源氏が王命婦に面会するときには、次例のように、
と、「対面す」は用いられず、「会ふ」が用いられている。
このように、「対面す」の用法は、敬語的用法がある一方で、非敬語的用法も存在するような、幅のある用いられ方を示している。なぜ、このように用法に幅があるのかを、以下に検討していくことにするが、その前に、「会ふ」の用法を検討しておく必要がありそうである。つまり、「会ふ」と「対面す」とが自由に言い換えられる語であるかどうかということを確認しておく必要があるものと思われるのである。
四
和語動詞「会ふ」の用法を検討し、「対面す」の用法を解釈するための手掛かりとしたい。ここで用いた「会ふ」の例は、人との面会を表すものに限り、世・時・災難などとの遭遇を意味するものは除いた。また、和歌や和歌を下敷きとしている文脈の例もはぶいた。複合動詞の例も、他の意味が混入して「会ふ」本来の用法が捉えにくいとも考えられるので除くこととする。
「会ふ」の分布は次表のようである。
┌────┬──────┬────────┐
│ │ 地の文 │会話・心中・消息│
├────┼──────┼────────┤
│会 ふ │ 10 │ 12 │
├────┼──────┼────────┤
│会ひ給ふ│ 4 │ 2 │
└────┴──────┴────────┘
まず、「給ふ」が下接する例があるので、「会ふ」の主体が貴人の場合もあることが知られる。では、客体についてはどうか。前節の検討から「対面す」の客体はごく少数の例を除けば貴人であったが、「会ふ」の客体は次のようである。数字は例数を示す。数字のないものは一例のみのものである。
会ひ給ふ 命婦(紅葉賀)・小侍従(乙女)・弁御許(橋姫)・疎き人(=不特定の人々 *・蜻蛉)
会ふ 少納言の乳母(若紫)・明石入道(明石)・乳母(若菜上)・右近(浮舟・蜻蛉)・内舎人(浮舟)・従者(浮舟)・時方(蜻蛉2)・兄の阿闍梨(手習)
このように、「会ふ」の客体は、おおむね、地の文において敬意を払われない人々であることが知られる。したがって、「会ふ」と「対面す」との差は、客体が貴人であるか否かにあるものと考えられる。
このような「会ふ」の用法は、会話などでもほぼ同様と考えられる。しかし、地の文の用法ほどには厳密ではない例も見られる。次に、会話の例の客体と主体をまとめて記す。
会ふ
主体 客体 文体・話し手黒キき手 巻
イ式部 博士女 会・式部轟ケ氏 帚木
ウ良清 明石入道 会・源氏漉ヌ清 明石
エ近江君 内大臣 会・内大臣豪゚江君(娘) 常夏
オ源氏 明石入道 会・源氏克上 若菜上
カ匂宮 浮舟 会・右近刻ュ将君(二例) 東屋
キ時方 侍従 会・匂宮克桾(二例) 浮舟
ク薫 小宰相 心・薫 蜻蛉
ケ浮舟 誰か 会・妹尼黒oM 手習
コ浮舟 横川の僧都 心・浮舟 手習
サ薫 横川の僧都 心・薫 手習
会ひ給ふ
シ浮舟母 仲信 会・仲信轟O 蜻蛉
ス八宮 大君中君 会・宇治阿闍梨国蛹N中君 椎本
例外的なものについて検討をしてみる。まず、カの例は次のものである。
この例は、藤原伊行『源氏釈』で歌を下敷きとしたものとしている箇所であるから、本稿の対象ではないと思われる。が、現行のテキストでは、この『源氏釈』の指摘に対して必ずしも肯定的ではないので取ることとした。とはいえ、右近の立場からすれば、「対面す」を用いてよいところである。あるいは、匂宮・浮舟を単に男と女として捉えた表現とも思われる。このように考えられれば、歌中の例とほぼ同様の解釈をすることができる。
また、18コ19はどうであろうか。
18はづかしくとも、〔僧都に〕あひて「尼になし給ひてよ」といはむ。(手習・浮舟の心中)
19〔浮舟の〕住むらん山里はいづこにかあらむ。僧都にあひてこそは、たしかなる有様も聞き合わせなどして(手習・薫の心中)
僧都は地の文において主体敬語で待遇される人物だが、貴人の会話などでは無敬語となる例があるから、例外とはならないようである。
また、20は、客体の人物を特定できない場合の例である。
この例は、客体敬語の「聞ゆ」が「会ふ」に下接した唯一の例である。また、「聞こゆ」が普通、心のはたらきを表す動詞に下接しやすいという原則にも当てはまらないから、あるいは「会ふ」に本動詞「聞ゆ」が下接した例であるのかも知れない。
また、親子の面会を「会ふ」で表した例もある(エの例)。
この例は、親子の対話で、「会ふ」の主体も客体もその二人である。また、場面も、途方もないことを早口で言う娘・近江の君を、父・内大臣がもてあましているところである。隔てる心なく「会ふ」を用いたと考えられる。
が、22の例は、面会にあずからない第三者の叙述であるのに「対面す」を用いないものである。
22「いまさら、なでふ、さることか侍るべき。〔拙僧は〕日頃も『また、〔姫達=貴女たち〕あひ給ふまじき』ことを、〔八宮に〕きこえ知らせつれば、今はまして、かたみに御心とどめ給ふまじき御心づかひを習ひ給ふべきなり」
この例は、本来ならば、「習ひ給ふ」と平行させて、面会の客体であり聞き手でもある大君中君に敬意を払い、「対面す」を用いるべきところであろう。異例的な用い方である。なお、青表紙本諸本の多くは「あひ見給ふ」とし、河内本諸本の多くも「あひ見奉り給」としている。
以上のように、会話ではやや例外的なものが多いようである。しかし、多くの例において、「会ふ」の客体が非貴人であることは認められるものと思う。
四
以上のことから、ごく少数の例外を除けば、「対面す」の客体は貴人であり、逆に「会ふ」の客体は非貴人であることが知られる。このことは、地の文や面会の第三者の叙述において、より明確に認められた。このような「対面す」と「会ふ」の使い分けの背景には、両者に「奉る」「聞ゆ」などの客体敬語の補助動詞が下接しないという事象も関与しているものと思われる。つまり、客体敬語の補助動詞が下接しない、もしくは下接できないから、面会の客体に対して叙述者が敬意を払う場合に「対面す」を用い、そうでない場合には「会ふ」を用いるという関係が成り立っていると考えられるからである。また、「対面す」にこのような用法があることが了解されれば、「二字漢語であるのに女性の会話にも多く現れる」という疑問にも回答が与えられよう。同様に女性の用例の多い「御覧ず」とともに、敬語語彙であるから、多数の用例が認められるのだと考えられるからである。
「対面す」を客体敬語として用いた例が多数認められ、さらに、「対面す」と「会ふ」とが敬語・非敬語の対をなすと考えられた。しかし、その一方で、15のように、敬語性のない「対面す」の例も認められる。このことは、「対面す」の用法にそれだけの幅があることを示すものである。しかし、なにゆえ、そのような幅のある表現が可能であったのか、非敬語的な用例の存在は他の「対面す」の敬語性をそこなうことはなかったのか、といった疑問が出てくることになる。以下、この点について考察していきたい。
現代語において、漢語はあらたまった場合の表現として用いられることがある。このことは我々が日常頻繁に経験していることであろう。たとえば、「お宅にいらっしゃいますか」よりも「御在宅ですか」の方にあらたまりがあり、それは、聞き手や聞き手の側に属する人に敬意を払っていることを示している。ただし、あらたまりは、敬意を示すだけに用いられるとは限らない。「むし(虫)」「しずく(雫)」よりも「昆虫」「水滴」の方があらたまった表現であるが、これらのあらたまりは、聞き手とのあいだに距離をおく場合をはじめとして、公式・非公式の別を示したり、場合によっては滑稽味をかもしだしたりする場合にも利用される。すなわち、漢語のもつあらたまりが、種々の方面に転用されるのである。やや乱暴な議論かもしれないが、同種のことが、「対面す」にも当てはまる点があるのではないだろうか。
このように考えられれば、先の、源氏が王命婦に面会する例も解釈できよう。15の例は、源氏が、冷泉帝出生の秘密を父帝がさとってしまったのではないかと恐懼し、秘密漏洩の事実を確認するために、王命婦を訪ねるという場面である。このときの面会は、源氏にとって、貴人との面会と同等、あるいはそれ以上に心理的な負担が大きいものであったのではないか。この心理的負担を表現するために、作者は「対面す」の持つあらたまりを転用したとは考えられないだろうか。
仮に、15の用法がこのように解釈されれば、「対面す」の用法は、敬語的用法も非敬語的用法も「会ふ」の語義にあらたまりが付与されたものとして統一できることになる。中古の読者にも、「対面す」のあらたまりは容易に受け取られたものと思われる。「対面す」のあらたまりは、多く客体敬語として受け取られ、これに当てはまらない少数の用法については文脈に応じて理解していったと考えられる。いずれにしても、あらたまりの存在は意識されているので、「対面す」の敬語的用法と非敬語的用法とを混同することはなかったと推測される。残された問題は、なにゆえに、「対面(す)」のあらたまりが、非敬語的方面にも利用されるのかということに絞られる。
まず、通時的な観点から、「意味価値の擦り切れ」によることが考えられる。大久保は先の論考で次のように述べている。
「対面(す)」に、敬語性を帯びたものとそうでないものとの両様があるということは、国語の中において「対面(す)」は本来客体敬語であったが時代を下るにしたがって非敬語としての用例を生じさせていったのか、あるいは、国語の中において「対面(す)」は本来敬語性を帯びることと帯びないことがあったのか、のいずれかであったわけだが、そのいずれであったかはさだかではない。ただし、中古における「対面(す)」の用例をかいま見た限りにおいては、前者であった可能性が濃いということになろうか。
ただ、15は、敬語的用法ではなくとも「対面す」のあらたまりは失われていないと考えられた。したがって、「擦り切れ」は、あらたまりの利用を敬語的側面に限るという制約にだけ及んだと解釈したい。
また、あるいは、「対面す」が漢字二字の漢語動詞であることに原因があるとも考えられる。先学の論考にもあるように、一字漢語動詞は広く使用されるのに対し、「対面す・御覧ず」を除けば、二字漢語動詞の使用は限られていた。したがって、一字漢語の方が二字漢語よりも、国語への定着が進んでいた、あるいは、定着しやすかったと考えられる。このような国語への定着の差から、一字漢語と和語との関係は緊密であって、二字漢語と和語との対はそれよりも劣るものであると考えられる。ならば、和語との対応関係があってより強く発揮される「漢語のあらたまり」も、この対の緊密さに左右されることになる。つまり、対の緊密さに応じて、あらたまりの強弱やあらたまりの利用に対する限定の強弱が生じる可能性がある。それが、「対面す」においては、あらたまりの利用が敬語的方面に限られないという形で現れたと推測できるのではなかろうか。もちろん、「対面す」は多用され、国語への定着も早かったと考えられるから、こうした考察が妥当でないともいえる。しかし、一方では、名詞「対面」があるために語幹部の独立性が意識され、「対面す」が一語の動詞として認識される度合いは一字漢語動詞ほどではないと考えられ、このような考え方が認められる可能性はあろう。
また、当時の客体敬語表現の多くは、補助動詞「たてまつる・きこゆ」などを用言に下接させる分析的・明示的なものであった。これに対して「対面(す)」は非分析的・複合的な表現であり、その敬意も明示的ではないと考えられる。こうしたことにも「対面(す)」の持つ敬語性、あるいは、あらたまりを敬語的用法だけに振り向ける制限が弛緩し失われていった、もしくは、もともと有しない要因として考えられよう。
以上、「対面(す)」にごく少数の非敬語的用法が存在する理由をいくつか提示してみた。これらは互いに排他的ではないから、これらの要因がかさなりあいつつ、徐々に敬語性が失われていったとも推測できよう。本稿でみた中古の仮名文学作品では非敬語的用法はごく少数であったから、「対面(す)」の敬語性が失われだすころのものと考えられる。あるいは、敬語的用法と非敬語的用法との混在が「対面(す)」のもともとの用法であるのかも知れないが、今後、「対面(す)」の敬語性が消滅していく過程を、
1 地の文に現れた無敬語の名詞「対面」
2 客体が非貴人である例
3 「会ふ」との使い分けの崩壊
の諸点がいつごろから現れ、そしてどのような事象として捉えられ、一般化していくのかを時代にそって追っていく必要があるものと思う。
注
1ただし、『古語辞典 新版』(昭54)では、客体敬語的な語釈は取られていない。
2『紫式部日記』に次のような例があり、「対面す」と「会ふ」の使い分けが、あまり厳密ではなかったことも考えられる。「宮の太夫まゐり給ひて、〔中宮に〕啓せさせ給ふべきことありける折に、いとあえかに児めい給ふ上臈たちは、〔太夫に〕たいめんし給ふことかたし。また、あひても何事をか、はかばかしのたまふべくも見えず」。これは、『紫式部日記』が『源氏物語』よりも私的な要素が強いため、用法に厳密性を欠いたものとも考えられる。
参考文献
辻村敏樹編『講座国語史 第5巻 敬語史』大修館書店 昭46
伊藤和子「源氏物語にあらわれた『御覧ぜられる』と『見奉る』」(『西京大学学術報告人文』4 昭29)
西端幸夫「漢語の位相(上・中・下)」(『滋賀大国文』12・13・14 昭49・50・51)
中西宇一「『聞ゆ』と『奉る』──その助動詞としての意味──」(『女子大国文』78 昭50)
田村忠士「『御覧ぜさす』と『見せ奉る』──源氏物語を中心に──」(『解釈』 昭51─4)
宮田裕行「平安時代和文における漢語を構成要素にもつ語彙について」(『東洋短期大学紀要』7 昭51)
『国語論究』2(明治書院 199●)所収
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