*学術的なオリジナリティはありませんが、言葉の世界を知ってもらうために書きました。


方言が時折「ブーム」になるのは?   

佐藤 貴裕    

 昨年の秋ごろからだろうか、方言がブームだと言われだした。私自身はあまり実感がないが、ブームという言葉自体、「マイブーム」のようにも使うから範囲が広くなくても熱烈に支持されていればよいのだろう。
 それにしても方言がブームになるのはどういう場合なのだろうか。ブームは唐突にやってくるから、なかなか共通した理由や条件を言いあてるのはむずかしい。とりあえず、思いつくところを記してみる。

違いに敏感な人間
 私たちは他との違いに敏感である。自分と他との違いが大きくなると修正する。だから逆に、価値観の異なる若い人たちの奇抜な髪の色や髪形に眉をひそめたり、破れたジーンズをはく気持ちが理解できなかったりする。
 その程度ならよいが、時に「違い」が価値判断にすりかわることがある。褐色の肌をめざして日焼けサロンに通う人は「違い」に「良さ」を認めたわけだが、逆にマイナスに向かう場合もある。肌の色の異なりが人種差別につながることがあるのである。
 言語・方言でも同様である。フランス語の響きにあこがれる人もいれば、石原慎太郎氏のように数を数えられない言語だとさげずむ人もいる。また、田中克彦『言語の思想』によれば、あるロシア語講師の茨城方言を聞いて「アクセントもイントネーションも、私たち自身が恥ずかしくなる」と記したエッセイを公けにした学者もいたという。
 すべての言語は、長い時間と無限に近い量のコミュニケーションを経て築かれる。その貴重な営為に参加できなかった人々は、その言語を無条件に尊重すべきであろう。が、教養の豊かな人でも尊重することができないように、言葉の違いをマイナスに評価する態度は抜きがたいもののようである。
 とすると、方言がブームになるには、厄介な価値付けの問題を乗りこえることがまず必要になる。「違い」をプラスに評価してもよいし、問題を飛び越える、あるいは気にかけないというのでもよい。ではそれがどのように実現されるのか、そのあたりに注目することでブームの理由が見つかるように思う。

カワイイ方言
 昨年からの方言ブームは『ちかっぱめんこい方言練習帳!』(主婦と生活社)によって拡大されたという。そこに掲げられた方言単語を女子高校生らが仲間うちで使うのだという。
 こうした言語行動は、一時取りあげられた、奇抜な新語の多用に通じそうである。暗号のように限られた交遊関係のなかで使うから、仲間意識を深める役割もあったらしい。ただ、新語といっても多くは在来語の短縮だったから種がつき、新たな供給源として方言に目が向けられたとも考えられる。
 『ちかっぱ〜』の編者が「かわいい方言で日本を幸せにする会」を名乗るように、単なる暗号ではなく、かわいい言語表現であることが優先するのかもしれない。会話のあちこちに使って、かわいい発話に仕上げるわけである。
 いずれとも決めがたいが、暗号性と装飾性という二つの効果を方言に見つけることはできる。どちらの場合も方言の「違い」を活用したわけである。
 またこの例では、方言を理解するだけでなく使用する段階まできているのが興味深いが、もとの方言から切り離して使うのだから、体系としての方言は考慮されていない。切り花を飾るような使い方である。

体系として使う
 寛文年間(一六六一〜七二)の武士を揶揄した「寛文年中江戸武家名尽時ノ逸物」に次の一節がある。
   先年頃の かた\/は 立身せんと 朝公儀 
  三河言葉を にせ廻り 空いんぎんの きつとば
  る(大田南畝『一話一言』巻四一(巻二九)所掲)
 出世のために、徳川家地元の三河方言がまねられたという。切り花のようではなく、ネイティブ・スピーカーのように話そうとしたのであろう。内容の濃いブームではあるが、その理由が功利的・現実的であるのは、現代女子高生のとは対照的というべきか。
 一方、純粋に方言を学ぼうとする気持ちが起こることもあろう。生まれた土地の方言を徹底して学ぶのでも、他の地方の方言を学ぶのでもよい。陣内正敬「方言の年齢差」(『日本語学』二五−一)によれば、首都圏出身の学生には、地方出身者の方言を羨ましく思う人がいるという。筆者も埼玉県川口市出身のためか、その気持ちは分かる気がする。自分の言葉がテレビやラジオで聞かれる、ありふれたものでしかないことを味気なく思うのではないだろうか。そうした心情が、純粋な態度で方言に向かわせることはありえよう。
 CD『今すぐ使える新潟弁』が売れているという。外国語講座を模した構成や語り口が人気のようだが、右のような心情もいくぶんか反映していようか。ただ、一足飛びに方言使用にまでいかず、理解して楽しむ段階のブームかもしれない。

理解・鑑賞される方言
 理解といってもさまざまである。テレビ番組で、タレントが出身地の家族・友人に電話し、いかに方言を話さずに済ませるかというのがある。ときに方言蔑視に近いような「笑い」が起こることがあって、好んで見ることはない。
 ただ、蔑視の笑いというのは酷で、タレントの口から方言が出た瞬間の、自分たちと同じように地についた言語・生活があることを確認できた安堵の表現ともいえる。自分には理解不能な方言が日本にあり、コミュニケーション・ツールとして十全に機能していることに驚く、その反応としての笑いもあろう。
 一方、自分たちの方言を味わう、噛みしめるということもある。一〇月二三日は津軽の方言詩人・高木恭造の命日で、毎年「津軽弁の日やるべし会」が記念イベントを行う。津軽の人たちが津軽方言でつづった詩や川柳・体験記などから優秀作品を選んで発表するのだが、テレビで放映されたり、カセットテープ・CDとして販売されたりもしている。
 筆者が聞いた録音では、毎年登場する伊奈かっぺいのキャラクターもあってか、笑いに満ちた、和気藹々としたイベントになっている。嘲笑・失笑にちかい反応もあるが、そこはそれ、同じ津軽人だから許しあっているのだろう。作品によってはしんみりしたり、忘れた方言を呼びおこさせられたりと、方言を慈しむというに近いものになる。
 二〇〇六年で第一九回を迎えるという。「ブーム」からははずれる例だが、長く続く理由にはブームの理由と重なる部分もあろうかと紹介してみた。実は「津軽弁の日」は筆者のマイ・ブームでもあった。方言を中心にした様々なやりとりから人々の思いに近づけるような気がして、一時期、ずいぶん愛聴したものである。

研究される方言
 方言の「違い」がやすやすと乗り越えられる例として、研究的な視点で対する場合がある。何も最近のことではなく、平安時代にも類例がある。歌論書では古歌の解釈に方言を援用するのは珍しいことではないし、社会的辺境ともいうべき庶民層の言語も参照された。『石山寺縁起』(一四世紀)の伝える源順(九一一〜九八三)の説話がそれで、『万葉集』の戯訓「左右」をマデ(助詞)と解読するくだりにみられる。
   大津の浦にて物負せたる馬に行(き)逢ひたり
  けるが、口付の翁、左右の手にて負せたる物を押
  し直すとて「己がどち、までより」といふことを
  言ひけるに、はじめてこの心をさとり侍(り)け
  るとぞ。(『日本絵巻大成』18)
 江戸時代最大の方言辞書、越谷吾山編『物類称呼』(一七七五)には次の一節がある。何とも心あたたまる配慮である。
   たゞ他郷を知らざるの児童に戸を出ずして略万
  物に異名ある事をさとさしめて遠方より来れる友
  の詞を笑はしむるの罪をまぬかれしめんがために
  編て物類称呼となつくる事になんなりぬ(序)
 ここには方言の「違い」に拘泥するそぶりすらない。方言差はすでに存在して動かないものとして在る。それにどう対処すればよいのか、思考の発達していない児童にはどう教えればよいか。そうしたスタンスを読みとることができそうである。
 ところで現在では、方言学者はもとよりそうだが、現代語文法の研究者たちも、より多くの事例を求めるべく方言に注目している。そのまなざの熱さを重視してブームといってもよいように思う。

補償する方言
 重要な事例を落としたり、他に見るべき事例があるようにも思うが、紙数の都合もあるのでこの辺でまとめておこう。
 それぞれの形ではあるが、方言の「違い」を乗りこえていたことは分かった。そして、ならべてみて一つの共通点にも気づく。それは、言葉の上で、現状では満足な対応ができないとときに方言に助けをもとめる、ということである。この点は、女子高生にも、首都圏の出身の学生にも、現代津軽人にも、あるいは源順にもあてはまることであろう。
 ありきたりな結論かもしれないが、いま言えることは、方言は、その豊かな多様性のゆえに、これからも私たちが言葉のうえで行き詰まったときに、温かな手をさしのべてくれるものと思う。

  補記 『石山寺縁起』について、藤田保幸氏より教示をえた。記して感謝申し上げます。

*『国文学 解釈と教材の研究』51巻4号(2006年4月)所掲