*学術的なオリジナリティはありませんが、言葉の世界を知ってもらうために書きました。


言葉を学ぶワケ   

佐藤 貴裕    

 国際化時代という言葉も聞き慣れてきました。が、国際化とはどういうことなのか、何をすればよいのか、改めて問われると、即答しにくいですね。とりあえず英語でも話せるようになりたい、と言う人もあるでしょう。
 ただ、外国語を話せても、日本語や日本について何も知らない、ともすると「曖昧な言語です」「野蛮な国です」などと、卑下したり嫌ったりしそうです。それが、国際化時代の日本人の姿なのでしょうか。
 それは違うでしょう。日本人だからこそ知ることができる日本の言語・社会・歴史・思考傾向などなどを、長所短所も熟知しつつ、諸外国に提供すること。逆に諸外国の長所短所もしっかり理解すること。その作業を通して人類共通の課題を解決する智恵を求めること。それが国際化の意義でしょう。一言でいえば、各国の個性を出し合うこと、となりますから、日本人にまず必要なのは、今まで以上に日本について知ることだと思うのです。
 そして、諸外国の文物を理解する心構えも求められます。見慣れぬものに接すると、人間は、警戒感をもつことがあります。たとえば、最近では見慣れましたが、初めて茶髪の若い人を見たときのことを思いだしていただければよいかと思います。こうした反応は、防衛本能のようなもので仕方ない面もありますが、それが嵩じて、不必要に敵意をいだいたり、差別的な言動に走ったりすることがあります。が、これでは、国際化どころではありません。心の働きをコントロールする術を身につけることが望まれるゆえんです。
 こうしたことは、本当の意味で言葉を学ぶことで、獲得できる部分がありそうです。
 アメリカの言語学者B・L・ウォーフ(一八九七〜一九四一)は、北アメリカ大陸の先住民の言語を、すなわち、彼にとって異質な言語を研究することで独創的な言語観を築きました。その底に流れる思想には、大いに学ぶべきものがあり、現代の国際化の意義と同じ考えをみることすらできるのです。

 言語についての知識は、数多くの異なった見事な論理分析の体系についての理解を可能にしてくれる。これまでは異質なものと考えていた他の社会グループのさまざまな視点に立つことによって、世界は新しい姿で理解できるようになる。異質的と思っていたものは、新しい、そしてしばしば理解の助けとなるようなものの見方に変じる。(言語と精神と現実)

 また、日本語を素材にして具体的に説いてもいます。「象は鼻が長い」のような形容詞文を、資格の異なる二つの主語が一つの述語に集約する美しい表現だと言うのですが、そのまえに次の一節を置いているのです。

 日本政府の政策からわれわれが表面的に受けとる限りの日本人の考え方というのは、とても兄弟愛とは結びつきそうもないものである。しかし、彼らの言語を美的に、そして科学的に味わうという態度で日本人に接すれば、様相は一変する。そうすることはとりも直さず、世界共同体というレベルの精神で親近関係を認識するということである。(同)

 この論文が発表されたのが日米開戦の年であり、ウォーフがアメリカ人であることを思うとき、深い感動をおぼえます。そして、その感動は、心ある読み手の脳裏で、言語を知り学ぶことへの勇気と希望に昇華することでしょう。
 こうしたウォーフの考え方は、外国語・外国文化にかぎらず、異質と捉えがちなもの──方言・若者言葉・古典語や、それらに関わる文化──に接し、理解しようとするときには、不可欠な態度でしょう。是非、身につけたいものです。
 *参考 ウォーフ著・池上嘉彦訳『言語・思考・現実』講談社学術文庫

小学館『国語展望』108 2001年11月 掲載