(校正中)
大戦後の東洋に於ける国語問題
文学博士 上 田 万 年
一、独逸失敗の教訓、二、常備兵に対する義勇兵の勝利、三、国際同盟の成立と平和的戦争、四、西比利亜に於ける米国の発展、五、支那に於ける米人の教育事業、六、日本語を軽蔑する日本人、七、東洋に於ける英国の勢力、八、いろは順とアイウエオ順との優劣、九、英語と支那語と露語とに通ぜよ
一 独逸失敗の教訓
本日の記念大会に私にも一席の講演をしろと云ふ御頼みを受けまして、喜んで御受けを致した次第であります。私
の今日諸君の前に御話をして諸君の御参考に供したいと思ひますのは、此処に掲げてございます東洋に於ける国語問
題と云ふことに就て考へた所を申上げて見たいと思ふ。其国語問題に入ります前提として今日の欧洲の大戦乱のこと
に就て少し申して見たいと思ふのであります。
私は欧洲の大戦の結果は聯合軍の勝利に帰すると云ふことを前提として御話をしたいと思ふ。是は勿論のことであ
りまして、吾々日本人も聯合軍の一部分になつて居るのでありまして、此聯合軍が勝たなければ吾々は負けることに
なる。さう云ふことは開戦以来苟も心ある日本人は少しも考へないことで、我帝国及聯合軍の執つた方針と云ふもの
は必ず勝利に帰すると云ふことは始めから信じて居つた所であります。現に今日の有様を見ましても独墺軍は仏蘭西
の西部戦争に於て段々と上利に帰し、東に於ては勃牙利が降伏をする、土耳古が苦んで議和を申出るとか、申出ぬと
かと云ふ有様になつて居ります。墺地利匈牙利の国内は紛乱を極めまして、匈牙利は独立をしやうとして居る。チエ
ック民族は御存知の通りチエック、スローヴック民族の独立を図ると云ふやうな運動を始めて居るやうな訳であります。
又独逸其者を御覧になつても、国内に非常な上安が生じて来て、憲法を改正するとか、内閣が度々代るとか、又諸君
も御存知の通り独逸から亜米利加の大統領に向つて講和の申込があると云ふやうな事実を御覧になりましたならば、
諸君は今日と雖も吾々帝国始め入つて居る聯合軍が最後の勝利を得ると云ふことに就ては大体の御見込が付くことで
あらうと思ふ。
私は此聯合軍が勝利を得まして独墺の国を圧伏して、然る後に起つて来る其有様を少し申上げて見たいと思ふ。此
戦争に於て独逸の採つた方針の為に独逸が戦敗を招き、其上から吾々は幾多の教訓を得たることであらうと信ずる。
例へば独逸の軍国主義、普通に諸君の理解される軍国主義といふものは普魯西のミリタリズムであつて、此ミリタリ
ズムが非常に危険なものであるといふことは独逸以外の他の国民許りでなく、独逸の国民も今度は気付いて憲法を改
正しまして、攻撃的の戦争抔の場合には議会の決議を経なければならぬと云ふやうな条項を入れたと云ふことでも分
る。軍国主義の独逸自らが此点に就ては目が覚めて、以来斯う云ふことのないやうにと云ふ改革を企てたと云ふこと
でも分るのであります。又普魯西の軍国主義の此大戦争に就て示しました所の総ての発動はどの点からも世界各国民
の反感を買つたのでありまして、非常に倨傲、倣慢の態度を以て他の国民、他の民族に接すると云ふやうなことは非
常な悪感を起させたのであります。単に他の国民は独逸の文明よりも低い文明の国民であるとして之を見下げたと云
ふ許りでなく、戦争を始めましてからも掠奪を致す、或は国家の貴重な保存物を壊すとか、多くの罪のない所の女、
子供を殺すと云ふやうな罪悪、是は独逸の方から言ふとインティミデーシヨン プリンシプルと云つて、敵をして恐れ
しめる、独逸人は怖いものである、インティミデートすると云ふ主義の本から行つた政策であると云ふ訳でありますが、
其上義上倫たることは世界の他の国民は等しく認めて、非常に独逸に対して悪感情を持つやうになつたのでありま
す。
又戦争前に独逸が採りました所謂スパイ システム、各国に間諜を出して各国の秘密を探るとか、各国に色々騒動
を起させると云ふやうなことは正義な国民から指弾されるやうになつたのであります。詰り軍国主義の側から言ひま
すと、目的の為には方法を選ばぬ、戦争に勝つと云ふ大きな目的の為には如何なる手段を執つてもそれは恕すべきで
ある。国民が勃興して行く為に戦争をする時分に、其戦争と云ふものゝ上に幾多の上義なことが起らうとも、或は惨
酷なことが起らうとも、是は国を興すと云ふ大きな目的から言ふと皆付属的のことである、小さいことである、支那
人の言ふ大行は細瑾を顧みずで、是は皆細瑾として宜いと云ふ考を以て進んだ、新う云ふ目的の為には手段を選ばぬ
と云ふ方法も各方面に於て非常な悪感情を持つやうになつたのであります。此目的の為に手段を選ばぬと云ふことは
戦をする時には何処でも考が浮ぶのでありませうが、戦争の影響を受けた普通の社会でも知らす識らず斯う云ふ悪影
響を蒙ることがある。諸君は此学校に勉強して御出になる。日本の社会でも日露戦争の後を受けて矢張斯う云ふ影響
が学生間にもあつた。例へば試験に及第さへすれば宜い。及第すれば宜いと云ふことを目的とする為に試験の時に少
し位狡猾なことをしても差支ない。御互にノートの見せくらをして差支ない。それは手段であると云ふ。是は日露戦
争後許りでない、吾々の子供の時分からあつたことでありますが、さう云ふやうなことが行はれる。又卒業証書を貰
へば宜い、或は学士号を取れば宜いと云ふ為にノートを諳誦して、さうして其ノートに書いてあることを自分の力と
して、自分の今後立身して行く上の能力として噛分けると云ふことを知らないで、ノートを諳誦して行つて試験をパ
ツスして良い点を取れば宜いと云ふやうな考の人も随分ある。又自分が社会に於て良い地位を取らうと云ふ為には高
位顕官の人の所へ行つて取入つて旨いことをやる。或は富豪のお婿さんになつて見やうと云ふやうな考を持つ青年が
ある。是等は皆手段方法を選ばず、自分が社会に出て時めく人になれば宜いと云ふ考でのみ進むから斯う云ふことに
なる。
独逸のはさう云ふ遣方のモツと規模の大きいのでありまして、自分が世界を統一して各国民を自分の指揮の下に置
けば、各国民も幸であるだらうし、自分も栄耀栄華を極められると云ふやうな考から進んだのでありますが、其考の
間違つて居ることは今度能く証明された、中々思つたやうにさう云ふことは行はれないと云ふことが証明されたので
あります。それから又他の側に於ては世界各国の同情を得ることなしに一国の自儘気儘なる戦争行為と云ふものは到
底成功するものでないと云ふことが証明せられた。如何に常備軍が多くても、如何に文化が高くても世界各国の国民
が認めて正義であるとし、又道理のあることゝして進むのでなければ到底実行することの出来ないものであると云ふ
ことを証明したと私は思ふ。即ち世界各国の人々の同情なしに一国若くは二三箇国が聯合して戦争を開きましても、
其結果と云ふものは世界に於ては孤立の地位に立つて仕舞つて、軍事上許りでない、経済上、物質上の打撃を受けて
遂に自ら疲弊して仕舞ふと云ふやうな実際の経験を吾々に示して呉れたと云ふことが申されるのであります。
二 常備兵に対する義勇兵の勝利
それから次に吾々の受けました教訓は独逸のやうな軍国主義で上断から多数の軍隊を養成して居る、常備軍の多数
を有つて居る国であつても上断常備軍の少ない国に対して戦争をした場合に是が直に常備軍の多数の者が勝利を得る
と云ふことが出来ないと云ふことを吾々に示した。例へば戦の始まりました千九百十四年の八月初めには独逸の政治
家の考では、少なくとも九月十日には巴里を取ると云ふ位な計算で進んだやうに承知して居ますが、又上断の軍備の
計算上から言ひますと、白耳義を通つて巴里に攻入ることは一ケ月半位で出来る計算であつたのでありませうが、実
際戦になつて見るとさうは行かない、中々一ヶ月半どころでない、一年半掛つても巴里に行かれない、五年掛つても
巴里へは行かれないと云ふやうな今日の状態であるのであります。それは常備軍の少ない国を能く理解しない、例ヘ
ば英吉利のやうな国は常備軍、即ち陸軍と云ふものは甚だ少ない国でありまして、上断は二十万足らずの常備軍のや
うに承知して居りますが、其英吉利が戦が始まると同時に百万の兵を募る、キチナー将軍の計画に依つて百万の兵を
募り、それでも足りなければ、又次に百万の兵を募ると云ふやうにした。英吉利のやうな国では迚も軍隊は多く出来
ないと思つて居つた。所で大戦争を目の前に控へて兵隊を訓練して、あれだけの兵を送ることにしたのであります。
例へば亜米利加の如きでも常備軍と云ふものは極めて少ない、又兵隊の素質と云ふものは必ずしも良いとは申され
ない。其亜米利加が一度開戦に臨むと云ふ覚悟を極めました後はどうかと云ふと、全国の壮丁が皆義勇奉公で軍隊に
赴きまして、現に今日では二百万の兵隊が欧羅巴に送出されて居る。尚三百万の兵隊を今後募つて出すことが出来る
と云ふやうな有様になつて居る。
斯う云ふことになりますと、吾々の受ける教訓と云ふものは常備軍の数の多い少いと云ふよりも、国民全般の中に
戦ふことの出来る資格のある者が多いか少いかの問題が却て重要な問題になつて来る。独逸抔の目から見ると英吉利
の兵隊の如きは殆ど頡頏するに足らぬものゝやうに思つて居りますが、短かい間に訓練された英吉利の陸軍が時には
独逸軍から攻められて破れたこともありますが、併ながら一般の戦線を維持して今日のやうな優勢な攻撃を執るやう
になつたのは何であるかと云ふと、それは兵隊自身の素質が良いと云ふことに帰するのであらうと私は思ふ。さうし
て見ますと兵隊と云ふものに三年間の訓育とか云ふやうな独逸流に訓育しなくても義勇奉公の精紳に富んで居る所の
壮丁が数多くあり、又身体の強健なる所の壮丁が数多くあり、又兵士に対する所の国家の優遇が極めて能く行届き、
兵士の食糧のやうなものから、衣朊のやうなものを始めとして、兵士が妻子を持つて居れば兵士の妻子には扶助料を
やるとか、兵士の父母には扶助料をやると云ふやうにして、何等の後顧なく戦場に出ることの出来るやうにしてやり
ます国家は最も力ある兵士を素人の中から求め得ると云ふことが証明された。斯う云ふのが所謂今日の英米の義勇軍
と云ふものでありまして、欧羅巴に於て戦つて居る所の英国兵、米国兵の多数は此種の兵士であるのであります。訓
練した所の兵隊は戦争又戦争の為に段々減つて行く、後から補充して来る所の兵隊になると軍国主義の独逸の兵隊と
雖も決してもう訓練を受けたやうな兵隊ではなくなつて来る。従つて其兵力と云ふものは亜米利加や英吉利から出て
行きました所の素人から成上つた所の兵力とどうしても径庭ないことになつて来るのでありますから、長い時を維持
することが出来、長い時を維持すると云ふのは軍備の上から言ひましても、軍需品の上から言ひましても、絶えず供
給の出来る所の者が勝利を得ると言ふことを今度は吾々に教訓して呉れたのであります。
三 国際同盟の成立と平和的戦争
偖さう云ふやうに見て参りますと、此欧羅巴の戦争が終りました後に世界の大勢はどうなるか。所謂平和と云ふも
のゝ為に今後は戦争を成るべく避ける方針を採るやうに列国は考を持つやうになるのは分り切つたことである。聯合
軍が勝ちました暁は丁度英吉利と亜米利加と云ふものは御維新の際に於ける議長のやうなものになると私は思ふ。軍
国主義の独墺諸国を平げて世界の大平和を招いた所の最も殊勲のある国民は誰であるかと云ふと英米の両国民である
と云ふことになると思ふのであります。続いて仏蘭西であるとか、白耳義であると云ふやうな戦争に於て非常に功労
のある国民と結付いて玆に世界の平和を維持する所の所謂国際同盟なるものが起つて来るのではないかと私は考ヘ
る。此国際同盟が出来ますと今後は斯う云ふ形勢になるのであります。若し一国若くは数箇国が兵を動かさうと云ふ
時には国際同盟の承認を経なければならぬ。国際同盟国と云ふものが世界平和の鍵鑰を握るやうになりまして、此国
際同盟と云ふものから没交渉に戦争を開くことは絶対的に禁ずると云ふやうな方針を採りはせぬかと思ふ。例へば世
界の各地方に於ての国々の兵数であるとか、或は武器の数量と云ふものに対して国際同盟なるものが其上に干渉をす
るやうなことが起つて来はしないかと考へるのであります。さう致しますれば、英米の両国、若くは今度講和する所
の独逸民族も或は一緒になりまして、国際同盟の中に入るかも知れませぬ。さう云ふ国際同盟と云ふものが世界の主
権者になると云ふやうな傾向を持つて来るのではないか。其処迄進んで来るのには余程長い各国間の交渉を経るので
ありませうが、大勢はさう云ふやうになつて来るのではないかと云ふことを申上げて、是は諸君の御参考に供するの
であります。
さう云ふ機運の向いて来ることはウイルソン大統領の最近述べて居る所でも、亦英吉利の前の外務大臣のグレーの
述べましたものが二、三日前の新聞にありますが、夫等の人の述べた所から見ても推察することが出来るのでありま
す、さう云ふやうになつて参りますと世界の大勢と云ふものは平和を主とする所の国際同盟、其中での最も有力なる
所の英米国と云ふものゝ勢力範囲になつて来ると云ふことは今日から考へても宜からうと思ふのであります、其暁に
は世界各国が徒に多くの金を費し、多くの人を殺して今日見るが如き戦争をすると云ふことは当分防げることゝ私は
考へる、是が五十年続くか、百年続くか先のことは分りませぬが、少なくも戦争と云ふものをさう云ふ力で防ぐことが
出来るであらうと云ふことだけは考へられるのであります。其代り今後の社会と云ふものは所謂平和的の戦争になり
ます。平和的の戦争と云ふのは貧富の上からの議論、資本者と労働者との開係からの議論、或は貴族と平民との議論、
或は教育を受けた者と教育を受けない者の議論と云ふやうな側からの社会問題が起つて、戦争には違ひないけれども
血を流す所の戦争でない、精神的の戦争が玆にどうしても起らなければならぬ。さう云ふ結果から見ますれば一つの
国民として最も健全なる体力を有つた国民、最も発達した智力を有つた国民、又事物に当つて総てを処理して行くの
に最も確乎たる意志を有つた国民、又高潔な道徳を有つた所の国民、而して物質的に於ては最も経済的の力を有つた
国民と云ふものが優者の地位に立つて、斯る力の少ない所の国民と云ふものは劣者の地位に置かれると云ふことは是
は申すまでもないことであらうと思ふ。新う云ふ風にして世界各方面の国民が平和的の戦争に優勝劣敗を競ふと云ふ
ことになるのであらうと考へるのであります。是迄は唯私の戦後の有様に就て考へましたことであつて、誠に詰らぬ
考であるかも知れない。諸君の中には反対の方があるかも知れぬ。上田の奴が宜い加減な法蝶を吹くと仰しやつても、
私は少しもそれに対して議論はしない。唯私が新う思ふと云ふことだけを申上げて聞いて戴けば宜い。
四 西比利亜に於ける米国の発展
偖て斯う云ふ潮流になると、是から申述べて見たいのは東洋に於ける国語問題のことであります。東洋に於ける国
語問題のことになると私は少し出鱈目として聞いて載きたくない。自分自身の研究上此点に就ては聊か自信があつて
諸君の前に申上げたいと思ふ、又諸君の為に申上げたいと思ふ所であるのであります。
右のやうに世界の大勢が進んで参りますと、日本を中心としての此東洋、東洋と云ふのは広く言ひますれば、太平
洋の東に在る所の亜米利加から始まつて日本を中心として西比利亜、支那、全印度を含んだ是等の東洋諸国に於て起
つて来る所の有様を少し申上げて見たいと思ふ。併し其中でも特に申上げて見たいと思ふのは西比利亜及支那に関す
る問題であります。亜米利加の事抔に対して日本が今日何を企てませうとも是は中々容易に進むものでない。今日以
後の日本の努むぺき所は寧ろ太平洋の東よりも太平洋の西海岸を主としての東洋に向つて全力を注がなけれはならぬ
と思ふのであります。
所で此西比利亜及支那と云ふやうな日本から云ふと隣国でありますが、前に申しました世界の大勢の赴いて来る所
の結果どうなるか、是も私は幾分推察することに困難しないと思ふのであります。例へば西比利亜の如きは諸君も御
存知の通り白令海峡と云ふものに依つてアラスカと西比利亜が岐れて居るのでありまして、白令海鋏と云ふものを連
鎖すれば亜米利加と亜細亜は一貫して仕舞ふのであります。亜米利加がアラスカに向つて手を着けたことはもう既に
古いことで、今度の戦争が始まりましてからもアラスカから堪察加に亙つて亜米利加人の探検に従事したことゝ云ふ
ものは中々多い。水産業のやうなもの、又は例の猟虎抔を猟ります所の毛皮業のやうなもの、さう云ふやうなものに
向つて学者を出し、実業家を出して調査したことは日本人抔の迚も及ばぬ位に調査をしたのであります。堪察加の東
の端から今日では西比利亜を通じて亜米利加人は探検に従事して居る。単に利権を取る為に探検して居るのでありま
せず、先達て東京帝国大学へ訪ねて来ました所の亜米利加のコロンビア大学教授の如きは西比利亜地方の露西亜人、
彼の部落の人に真正のガヴアーメント、本当の政治と云ふものはどう云ふものであるか能く説いて聞かせやうと云ふ
為に何千枚と云ふ活動写真を持つて来まして、活動写真で以て亜米利加の民主的政治の長所と云ふものを説明してや
る。露西亜の愚昧なる民族と云ふものに何がベスト ガヴアーメントであるかと云ふことを教へてやらうと云ふ目的
を持つて渡航すると云ふ前に私の所へ来て話をしたのでありますが、其仕事の如きは亜米利加で百万弗、二百万円の
金を投じて露西亜民族の開発と云ふ為め、全く情けの上から露西亜人を助けてやらうと云ふ事業を始めて居る。それ
は唯一つの例でありますけれども、露西亜に行けば白金があるとか、金があるとか、石炭があるとか云ふ儲け事で露
西亜を探検すると云ふ意味でない。モツと良い意味に於て、人間を造つてやると云ふやうな意味に於て露西亜の各地
方へ行つて露西亜人の為に尽して居る亜米利加人が沢山居るのであります。
斯う云ふやうにして亜米利加人が今でも既に西比利亜地方には非常に多くの仕事をして居る。戦争が済んだ後に紐
育を起点として西比利亜を直通して彼得倶羅土へ行く所の鉄道が架る抔と云ふことは、是は少しも想像するに困難で
はないので、大平洋を十四日も掛つて汽船で以て往復するやうなことが寧ろ無くなつて、亜米利加の方では鉄道をア
ラスカの方へ敷いて行つて、アラスカから堪察加を通りて浦塩に来ると云ふやうな鉄道が出来ることは何でもないこ
とである。さう云ふやうに亜米利加人の手に依つて亜米利加と亜細亜とを結付ける所の鉄道が出来る。それと共に西
比利亜内地に於て露西亜民族に向つて各種の方面から之を助けると云ふやうなことは今でもしつゝあるのであります
から、戦争が済んだ後にはより一層盛になると云ふことを考へても差支ないと私は考へる。
五 支那に於ける米人の教育事業
支那でも同じことでありまして、今日支那を歩いて見ますと支那の内地には亜米利加人の施設して居ります所の学
校.病院、協会の如きものは非常に多いのであります。是は迚も日本人の今日して居る所と比較にならぬ程向ふは盛
であつて、さうして教育の仕方抔を見ましても、亜米利加人が支那人を子供の中から教育して行く所の教育制度抔を
見ても如何にも整然たるものがあるのであります。例へば一例を申して見ますと、北京に精華学校と云ふ学校があり
まして、是は団匪事件で亜米利加が取りました所の何千万弗と云ふ償金を支那政府へ返して、さうして支那人の手で
経営させて居る学校でありますが、学校其物は亜米利加の精神に依つて成立つて居る。精華学校と云ふのには中学校
と高等学校がありまして、中学校へ入る所の者は小学校に於ての優秀な者を選んで入れる、其中学校の卒業生と、支
那各省の優秀なる中学卒業生を高等学校へ入れる、高等学校を卒業した所の優秀なる者は留学生として之を亜米利加
大学へ送ると云ふやうに順序が如何にも立派に整うて居る。さう云ふ仕組の下に亜米利加へ年々選出す所の支那留学
生と云ふものは数百吊宛である。日本から外国へ留学生を出して居りますが、文部省で出すのでも二十人とか四十人
百人とは出せない、支那の精華学校の仕組でありますと、何百吊と云ふものが亜米利加の大学へ送られるやうになつ
て居る。斯う云ふ制度を立てゝ支那の人才を亜米利加的に教育する云ふことを始めて居るのであります。
是は北京に於ての学校でありますが、南京にも亦学校がある。金城大学と云ふ大学が南京にはあるのであります。
さう云ふやうに支那の要所々々へ大学を置いて支那の人才を亜米利加流に教育すると云ふやうなことが現に始まつて
居る。又一方慈善事業の側を見ますれば大きな病院を開いて支那人を収容して、支那の上幸なる病人と云ふものを救
済して行くと云ふやうな方法が講ぜられて居る。其最も大きな計画はロックフェラーの寄付に依つて北京大学に医科
大学を拵へました。此医科大学の規模と云ふものは北京の学校の中では一番大きな規模になつて居ります。学校に於
て支那人の中から良い医者を造ることを始めて居る。看護婦を造ることを始めて居る。さうして支那人の病人を癒す
と云ふやうなことをして、其経営と云ふものは実に驚くべきものであるのであります。是は亜米利加だけが今日支那
でして居る所の著しい例を一、二挙げて諸君に御話するのでありますが、戦争の終つた後、所謂世界の大権を取ると
云ふやうになりました亜米利加としては中々こんなことで私は満足しないのであらうと思ふ。
鉄道の如きも仏蘭西の資本あり、独逸の資本あり、白耳義の資本があつて今日迄出来掛つて居る鉄道抔も戦争の為
に蹉跌して居りますが、此鉄道の完成抔と云ふやうなことも英米の資本家に依つて完成されるのでないかと云ふこと
を私は考へる、又今日では欧羅巴戦争の為に大きな船舶が東洋へ参りませんから、支那の場子江沿岸の貿易と云ふも
のは欧米各国とも余り振はない。日本の日清汽船が独り権力を占めて居るのでありますが、戦争が熄んだ後に世界の
運送船の船腹が非常に余るやうになりました時に夫等のものが東洋へ向つて来るやうになる。大船舶が支那の各港に
集まる時には其影響を受けて揚子江を上る所の小船舶の如きも今後は益々多くなると云ふことを考へて差支ない。即
ち東洋に於ての船舶の交通政策抔と云ふことも大々的に模様替をして進んで来るやうになると考へなければならぬ。
六 日本語を軽蔑する日本人
偖さう云ふやうに考へて見ますと大戦の後でありますから、夫々の国々が皆一時戦争中に使つた金を幾らか回復し
やうと云ふことをする遑もありませうが。併ながら国運を回復しやうと云ふ機運が東洋へ向つて進んで来て、東洋に
於て激烈なる経済戦の行はれると云ふことは今日より考へて宜いことでないかと私は思ふ。詰り東洋と云ふものは英
米の国民が発展する結果、言葉の上から申しますと英語と云ふものが非常な勢力を持つやうになつて来る。斯う云ふ
所から見て私は今日の若い諸君に向つて警告したい、今日以後の日本と云ふものは英語をより一層モツと力強く修養
して使用することの出来る国民にならなければならぬ、低い所の仕事ならば必ずしもさうでないと云ふことが言へる
か知れませぬが、高い所の仕事に進んで行かうと云ふ時には、例へば上海へ行つても、天津へ行つても、哈爾賓へ行
つても浦塩へ行つても、少し大きい人と話をしやうと云ふ時には、もう英語を話さなければ相手にならぬと云ふ機運
が玆に湧きつゝあると云ふことを私は認めるのであります。
併して御互日本人として考へて見たならばどうでありますか。東洋に於て日本の地位と云ふものは優秀の地位を有
つて居るのでありますが、日本語と云ふものがどれだけの権威を持つかと云ふことを考へて見ると真に情けない地位
にあると云はなければならぬ。日本語を話して支那の何島へ行つても大きな顔をして歩ける。日本語を話して露西亜
のどの部分へ行つても用が便ずると云ふやうなことは迚も今日望むことが出来ないのであります。それは私に言はせ
ると、日本国民自身が日本国語と云ふものに対して何等の考を持たない、国語と云ふものは英語が今日世界に於て有
力なる言語であるやうに力を有つた言葉に日本語をしやうと云ふ考が国民にないのである。国民は五箇国、六箇国の
言葉を話す人々の間に入つて行つて日本語で意志の発表をしやうと云ふやうな歴史に出遭はない。亜米利加へ行けば
亜米利加語を話し.独逸へ行けば独逸語を話し、独逸人が来れば日本で独逸語で話し、英人が来れば日本で英語で話
す、英人が来たならば日本で日本語を話させると云ふやうな考は日本人は持たない。
先達コンノート殿下が御出になつた時でも日本人が心から殿下の御出になつたことを喜んで祝文を奉ると云ふ時分
に.英語の翻訳文がないから是は受付けない。お役人様がさう云ふ考である。日本人が日本語で以て日本人の真心を
書いた手紙を殿下に差上けるのに翻訳文が付いて居ないから受取らない抔と云ふことは聞捨ならぬことである。又今
日でも独逸の捕虜が日本に来て居りますが、独逸の捕虜には日本の役所で通弁を付けて居る。日本人が月給を払つて
独逸の捕虜に通弁を付けて居る。そんな国が何処にありますか。向ふは捕虜で、西洋ならば捕虜自身が金を出して通
弁を雇ふ、それが当然の話である、それを独逸人だ気の毒だと云ふやうな訳で日本人は非常に親切で通弁の月給迄払
つてやつて居る。そんなことをする必要は少しもない。是は日本の今日迄の歴史にも依るので、漢文を書き、漢文を
読むは非常に尊いもの、支那人の文章を見れば非常に尊い、字でも、文章でも日本人の大和言葉で書いた物よりも漢
文の方が宜い、漢文の方が立派だと云ふ感じがある。それは外国人を宜くしてやると云ふ考もありますし、幾らか外
国人の方が偉い、自分よりも文明の者だと云ふやうな考が王朝以来今日迄ずつと続いて居る。日本人でも西洋語の話
せる人の方がどうも偉いと云ふやうな感じがあるのであります。
けれどもそんなことではいけない。西洋語を話すことも一つの善いことには違ひないけれども、国民としては自分
の言葉を何処迄も押通すと云ふだけの自発力を持たなければならぬ。さう云ふことが今日迄ない。例へば御互に今日
使つて居る日本の文章を見ましても、此文章と云ふものは言葉から離れたものである。吾々が考へる如く話し、話す
如く書くと云ふプリンシプルで進んで行けば、ウイルソン大統領の宣言の如きも十分か十五分で出来るか知れない。
若くは一時間で出来るか知れぬ。けれども考へる如く書かせ、又書かせたものを翻訳させると云ふやうなことで、総
理大臣の祝辞と云ふものは秘書官が書くとか、大臣の祝辞は文書課長が拵へると言ふやうに、皆手を掛て作るやうな
文章と云ふものと、言葉と云ふものとを分離した社会になりますと、有の儘と云ふことが出て来なくなる、考の儘が
出て来なくなる。日本人は此処迄考へ直さなければならぬ。御互の考へて居ることは言葉で話し、話したことを其儘
書いて宜いと云ふ所迄考へ直して、此歴史的に囚れ来つた所の仮吊遣のやうなものであるとか、文法のやうなものに
就ては是は専門的のことゝして宜いけれども、現在の社会の要素としてのものとしては、一つ改正すると云ふ考を持
たなければならぬ。
此点に就て申して見ますると諸君は今日英吉利語をやつて、英吉利語のスペルリングの為には八釜敷い教育を受け
て居る。スペルが一つ違ふと点数を減らされて居る。日本の文章を書いてスペルが間違つた時分に点数を減らすと云
ふ先生は少ない。入学試験の時には減らす人がある、で入学試験の時に減らす先生でも仮吊遣の出来ると云ふものは
少ない。総ては出来ない、と云ふのは仮吊遣其物に非常な長い歴史があつて、其歴史を心得なければ本当のことは出
来ない。所が其歴史と云ふものは容易に覚えられないものであります。先年文部省で吾々が寄つて終つて仕舞ひまし
たけれども、仮吊遣の改良位のことは少なくもしなければならぬ。日本の文字を羅馬字にしろと云ふ論は是は私の主
張する所であつて、大隈侯爵抔も非常に御賛成のやうでありますけれども、是は無論さうせなければならぬ。併し明
日からしろと云ふことは是は中々出来ぬことである、中々準備の要ることである。けれども国民は自分の国の言葉と
云ふものを標準として進むと云ふ位な考がなければならぬ。何十年と掛つた学者でなければこなすことの出来ないと
云ふやうな因襲に囚れて居つて.さうして一方に於て子供を健全に発達させて行かう抔と云ふことは迚も望んで出来
ることでないと私は思ふ。
是に於て今日の社会は極めて杜漏で、仮吊遣はどんなことをしやうとも怒る人はない。新聞雑誌抔を御覧になつて
も仮吊遣抔と云ふものは極めて乱雑である。乱雑でも漢字があれば用を便じて行くと云ふやうな誠に支離滅裂な文章
を使つて居る。さうして吾々は甘んじて居ると云ふやうな有様である。こんな文章を以て吾々が今後の子孫を教育し
て行くことも、亦さう云ふ文章を世界各国の人に習はせやうと云ふことも迚も望んで出来ることでないと思ふ。吾々
は英語を習ひ、独逸語を習ふ。少し器用な人ならば一年掛れば大抵なことは出来る。殊に西洋へでも行きますれば一
年掛つて語学を研究すれば一通りのことは出来るやうになる。日本へ西洋人が末て何年居たら一通りのことが出来る
やうになるかと云ふと、迚も十年や十五年では一通りのことは出来ない。日本人の有つて居る言語、言語は簡単であ
りますが、文章と云ふものになると是は世界中の一つの謎である、西洋人に言はせると日本人と云ふものは我儘な国
民である。吾々の方の文物制度を見るのは楽に見えるやうになつて居るから、楽に西洋の文物制度を見て置きながら、
自分の所の文物制度を西洋人に見せる時にはどうかと云ふと、何だか全然訳の分らぬやうなことにして置く、さう云
ふやうなことで、日本人が世界の競争場裡に立つて彼等の権利を主張することは出来ぬと云ふやうなことを言ふ人も
ある。其考の一端は元日本に居りましたチヤンバレンと云ふ人が書きました小さい論文がありますが、それに出て居
るから諸君は読んで御覧になると宜い、さう云ふやうに日本人自身がもう少し日本の言葉を簡単に早く学べるやうに
しなければならぬ。
例へば小学校で申してもさうである。今日の小学校の読本抔と云ふものは定価から見ても実にプーアである。五銭
である、亜米利加で言ふと二銭半で、吾々の子供が小学校で半年掛つて教はる所の読本が五銭の読本、そんなプーア
の読本では迚も良い教育の出来る訳のものでない。又小学校で子供に言葉を教へるのでも例へばアイウエオ、いろは
にほへとの仮吊を教へるのに半年掛る。仮吊に半年掛る抔と云ふことは真に馬鹿気た話である。少し気の利いた子供
ならば家庭で知つて居る。国語の尊ぶべきことを覚り、国語の教授方法を改良して行きますれば今日の小学校の国語
抔と云ふものは六年掛るものは少なくも五年で行くと思ふ。或はもう一歩進めたならば四年で行くと思ふ。教科書抔
も五銭でなくモツと良い物にして効果のあるやうにして行けばモツと良いことが出来る。
是は一例でありますけれども、日本人が日本の言葉と云ふものをどんなものだと云ふことを知らない、若し知ると
云ふ人があれば亜米利加へ行つて見るとか、支那へ行つて見るとか、浦塩へ行つて見るとか、外国人の居る所へ行つ
て一人で投出されて見ると能く分る。それは言葉の通じないこと程上愉快なものはない。さう云ふ訳で、日本人が日
本の子供の為に日本語を整理する、西洋人の為に――私の言ふのは西比利亜に居る露西亜人であるとか、支那に居る
所の支那人と云ふやうな人に日本語を一年、二年で教へるやうな方法を講ずると云ふことが極めて必要なことであり
ます。唯今の所では甚だ遺憾でありますけれども、日本語だけで支那へ行つても用を足し、露西亜へ行つても用を足
すと云ふ所迄日本の文化の程度は進んで居ないと云ふことを申上げるより外ないのであります。
七 東洋に於ける英国の勢力
是は別な話でありますけれども、日本の為替制度、貨幣制度のことであります。是抔は御互日本に居ると金貨本位
で少しも上自由なく思つて居るのでありますが、一度支那へ行つて見ると実に馬鹿々々しく感ずる。例へば支那へ行
くと日本の金貨一円が今日では向ふの銀貨の五十三銭に当る。私が支那へ旅行して居る時分には天津で一円替へると
九十銭、それから北京で替へると八十七銭、漢口で替へると八十五銭と云ふやうに段々と銀貨が高くなつて金貨が安
くなつて行つた。今日では金貨の一円が銀貨の五十三銭である。さうして其九十銭とか、八十五銭と云ふ相場は何処
で極まるかと云ふことを聞いて見ると倫敦で極まる。支那の天津とか、上海とか云ふ重な港で正金銀行の支店長と云
ふものが毎朝倫敦からの電報を見て其日々々の銀貨の値段を変へて行く。日本に中心があるのでない。日本の金であ
りながら銀貨に換算される時分には其標準は倫敦にある。倫敦と云ふものが世界各国の金融の中心になつて居る。日
本抔の金融は総て倫敦へ行つて始めて決算されるやうな訳になつて居る。是は世界各国倫敦を中心として居るのであ
りまして、仕方がないと云へば云ふものゝ、一体日本自身が発達して来れば東洋の金融と云ふものは日本銀行なら日
本銀行が其権利を取つて宜いと思ふのでありますが、情けないことにさう云ふやうな訳である。
是は貨幣の問題だけでない。外交の問題でもさうである。少し大きな問題が起ると皆倫敦へ行く、日本の外務省で
自決するよりも寧ろ倫敦を通りて来てから決すると云ふ今日の有様になつて居る。天文のやうなものも日本の暦はど
うして出来るかと云ふと、毎年グリンニツチで出ます所の暦を日本の東京の緯度に換算して始めて日本の暦が出来
る。日本の天文者が望遠鏡で観測して拵へて居るものと吾々は思つたのでありますが、さうではない。英吉利の暦を
数学上換算して日の出が何時何分抔と割出す。
そんな有様でありますから、言葉だけが世界各国の間に大手を振つて歩ける言葉になると云ふことは中々求め難い
けれども。御互に東洋に於ては日本語が英米語と同じやうな地位にまで尊敬される、又使用される言葉になつて行く
と云ふことを頭に置かなければならぬ。是は今日此処に御出になるやうな有為な方々がさう云ふ考になつて行かなけ
ればならぬ。もう吾々年輩、慶応以前.もう少し前の人には迚も分らぬ問題である。
八 いろは順とアイウエオ順との優劣
是は別の話でありますが、字引でもさうで、いろは順が宜いか、アイウエオ順が宜いかと云ふ論が帝国大学の食堂
抔で起つて来る。所が慶応年間を以て判断が別になる。度応以前の人はいろは順が宜い、明治の人間はアイウエオ順
が宜いと云ふ、いろは順、アイウエオ順の統計を取つて見るとさう云ふ割になつて居る。電話帳抔はいろは順になつ
て居りますが、彼れは多分電話帳を作る所の局長さんが古い人であつたからいろは順になつたのでありませうが、今
日字引其物を研究して見て多くの言葉の排列を掌つて居る学者の目から見るといろは順とアイウエオ順の優劣抔は問
題外である。アイウエオ順の方がどの位システマチツクで、どの位便利であるか分らないのであります。けれどもさ
う云ふことを知らない人になるといろは順の方が宜いと云ふが、字引抔で言葉を排列して行く、例の結付の関係抔を
見ると五十音の方が遥に宜い。是は図書館で図書目録を編成する人でも、字引を拵へる人でも、総て斯う云ふ分類の
方に携つた人はもう今日論のないことである。けれども大学抔に於て学術を代表して居る博士連が寄つて議論して見
ても、先づ半分位はいろは順の人が居る。停年に近い方がいろは順であるかも知れない。そんな訳でありまして斯う
云ふ問題になりますと中々一朝一夕に変へて仕舞ふと云ふことは出来ないのでありますが、併し大勢の赴く所はもう
分り切つて居る。今の字引抔でもさうです、総ての目録、索引の如きものはアイウエオ順になつて行くと云ふことは
もう明かなことであらうと思ふ。
偖自国の言葉と云ふものを尊重する為には改良もしなければならぬ。又教育の方法も変へなければならぬと云ふや
うにして、今後の日本人は自国語の為に大に尽力すると云ふことにして進んで行きますれば此言葉は東洋に於て他日
有力なる言葉になると云ふことが申されるかも知れませぬが、若し今日迄の儘で宜いと云ふことで愚図々々して居り
ましたならば、此言葉といふものは長い間には京都の御公卿さんと同じやうに権力のない、段々と影を隠して行く所
の言葉になつて仕舞ふと云ふことを予言して宜からうと思ふ。
九 英語と支那語と露語とに通ぜよ
偖日本語が今日東洋に於てよく行はれないと云ふことならば、今後吾々は国語問題に就てどう云ふやうにするが宜
いかと云ふことを諸君の御参考の為に玆に申上げて見たいと思ふ。私は先程英語が東洋の普通語になると云ふことを
申上げた、英語を奨励しなければならぬことはもう申すまでもない。其次に是は誠に情けない話でありますけれど
も、日本語が英語だけの勢力を持たぬものとすれば吾々日本人は新う云ふ態度を以て進まなければならぬと思ふ。即
ち今後の東洋の各方面に於て実際の事業をする人は英語と支那語を併せ学ぶことである。若くは英語と露西亜語を併
せ学ぶことである。此二つの言葉をマスターすると云ふ覚悟を若い御方は持つて戴きたい。是は知らぬ者は支那へ行
つて事業する人は支那語が出来れば宜いと云ふ人があるかも知れせまぬが、支那へ行つて事業しやうとしても主なる
仕事になると接触する所の人は皆世界的の英語を話す所の人々である。支那の言葉だけで用が足ると云ふことは寧ろ
比較的小さい仕事に属する。
で今後東洋に於て活動しやうと云ふ諸君.殊に大学抔に於て勉強為さらうと云ふ所の諸君は英語と支那語が同じや
うに話せる所の人にならなければならぬ。例へば西比利亜へ行つて仕事をしやうと云ふ所の人は英語と露西亜語を理
解することの出来る人でなければならぬ。是が日本人の長所になる。
英吉利人や亜米利加人は支那へ参りましても中々支那語を習ふと云ふ人は殆どない。亜米利加の学者抔でも支那の
文字程酷いものはない。是は早く廃めて仕舞はう、大学抔では使はせないやうにしやうと云ふことを言つた人がある
さうでありますが、西洋人が支那の文字、支那の言葉をマスターすることは中々容易でない。日本人は比較的易い、
でありますから英米人の短所とする所の支那語、支那文を日本人はより多く学んで自分の力として置かなければなら
ぬ。同じやうに西比利亜へ行つて仕事する亜米利加人も露西亜語を研究する人もありませうが、大勢から言ふと寧ろ
露西亜語は付随的のものになつて仕舞つて.英語本位で総ての仕事をするかと私は思ふ。日本人は之に対して英語も
出来同時に露西亜語も出来る.露西亜人に接すれば露西亜語でやり、露西亜へ行つて色々な事務を執る所の英語を話
す人に向つては英語で話が出来ると云ふやうに、英語と露西亜語を並べて学んで之を自分の力とすると云ふ覚悟を持
たなければならぬ。さう云ふ日本人独得の力を有つた所の人が尊敬を払はれるやうになつて来るのであらうと思ふ。
今日は戦争の結果一方に於ては理化学の学問が非常に必要なことゝして青年諸君の為に説かれるやうになりました
が、其理化学の知識と同じ位な値打に於て外国語を二つ、出来れば三つでも宜いのでありますが、外国語を多く自分
の力とすると云ふことを奨励しなければならぬ。其力を有つた人が所謂各方面に於ての有力者となるのであります。
独逸人が戦争の始まる迄優越なる地位を取つたのは理化学の点もありませうが、私に言はせると語学をマスターする
力、英吉利へ行けば英吉利語を話し、仏蘭西へ行けば仏蘭西語で何の職業でも出来ると云ふやうに、独逸人特得の語
学の力を利用したと云ふことが一つの大なる力であると云ふことを認める。日本人も今後は英語なら英語だけで引込
んで仕舞ふやうな吝な考でなしに、英語と同時に支那語をやる、さうして余裕があれば露西亜語をやると云ふやうに
して、語学と云ふものに於ての伎倆を養はなければならぬ。日本でやつて居る和学であるとか、漢学であるとかと云
ふやうな単に教科書で教はつて.読んで理解して居らぬと云ふやうな語学では何にも役に立たぬ。語学の後ろには無
論諸君の新らしい最近の学問と云ふものが潜んで居なければならぬ。最近の新らしい学問が語学に依つて現はされる
ことになつて始めてそれが光を放つのであります。私は通弁を作ると云ふ意味に於て語学を奨励するのでない。諸君
が一つの学問を自分の力として社会に立つて行く時分に各方面の人に接する時に其交通の機関として日本語を話す如
く英語が話せる、英語が話せる如く支那語が話せると云ふ力を養成されなければならぬと云ふことを申上げるのであ
ります。
私の玆に申上げたることは先づ此位のことで、一方に於ては日本語を東洋の中心語にさせたいと云ふ理想は持ちま
すけれども、又御互にそれを理想として進む積りでは居りますけれども、今日中々其処迄行かない、どうしても是は早
晩決行しなければならぬことであるので、諸君の力に俟つことが多いのでありますが、差詰の問題から言ふと諸君が
戦後東洋に於て事業をしようと云ふ考を持たれる時分には此英語、それへ露西亜語とか、支那語と云ふものを結付け
て自分の力を養ふ、其力と云ふものが支那に行きましても、露西亜へ行きましても非常に利益が多からうと云ふこと
を申上げる次第であります。
長いことを申し上げまして筋道に就て御分りにならぬことなどもありましたらうし、間違つた点もありませうが、
さう云ふ点はどうぞ諸君に於て御宥恕あらんことを希望する次第であります。(校閲を経ず)(大正七年十月二十七日早稲田大学創立第二十五年紀念講演)
*『早稲田叢誌』第一輯による。旧かな新字体表示。
*上備があるかと思います。ご指摘くだされば幸いです。
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