(校正中)
落城後の女
岡 本 か の 子
おあんの父親は山田玄暦といつた。石田三成に仕へ、一家四人は関ケ原の戦のときは、美濃の大垣城へ駐在したまゝ立籠つて、東軍に囲まれた。一人の兄は戦死した。
落城の前の日、父親の持ち場の陣屋へ矢ぶみが来た。玄暦はそつとそれを持ち帰つて思案に暮れてゐた。玄暦は、家康公の手習師匠をしたこともあるものゆゑ、城を逃れ度くば助けらるべし、攻め勢の諸手へは通牒してあるから、路次の触りはないといふ、敵の本陣からの通告であつた。
(中略)
淀どのは、おあんが石田治部の家来の娘だといふので信用し、また、美しい若衆顏が気に入つた。少年のやうにおあんの前髪を大きく振り分けさせ、ときには袖無し羽織に狭い縞帯といふ男姿にも仕立てゝ、自分と秀賴との間で召使つた。
玄暦は娘の落付きを見て安心し、これで思ひ残すこともない。自分は武士の進退を誤つた人間だ。草の中へ隠れて朽ち果れる。これを親子一世の別れと思へ。さう云つて老妻を連れて、土佐の身寄りを頼つて下つて行つた。形見に饅頭屋本の節用集を呉れた。横綴ぢの二冊の写本で、きたないが何の事でも書いてあつて便利な本だつた。(一六〇~一六三頁)
(中略)
「やあ、片桐東市正の手の者が敵軍を案内して来て、千畳敷へ石火矢を仕かけてゐるぞ《と怒鳴る声が聞えた。二人は顏をそむけるとたんに周囲が破れ裂け、家形が火煙の中に砕け散る音で囲まれた。おあんはそれから夢中だつた。
おあんはお玉がどうしたかも忘れて局へ帰り挟箱から帷子をとり出し三枚重ねて着た。下帯も三つして、それから父親の形身の節用集と秀頼公から拝領の鏡を懐へ入れて小長刀を執つて大台所へ出た。何も彼も夢中でやつてゐて、しかし、何処からか自分のやることを自分で冷やかに眺めてゐるやうだ。(同二〇三頁)
(中略)
おあんは、「宗五さんて、誰よ《と訊くと、
「饅頭屋の息子さんで、わたしの幼馴染なの。でも小さいとき京都へ勉強にやられて訣れたきり、今度逢へば七八年目にもなるのだから、どんな変り方をしてゐるか、早く見たいものだ。《と頻りに窓から目を配つた。
おあんは、或る日久し振りに、父親が生形見に呉れた節用集を取り出してみた。表紙もぼろ/\になつてゐる横綴の二冊の古本だが、おあんが少女時代に大阪浪々中の行灯の灯かげで、父と娘が親しみ合つた手習ひの夜が思ひ出された。娘は手習ひの筆を控へて、物ごころがつきかけの旺盛な智識欲を、用捨なく父に投げかけた。父は自分で力及ばなくなると「待て/\《と云つて、この本を繰り拡げた。おあんが驚いたことは、おあんがおよそ訊ねることは何でもこの本に書いてあつて、父はそれを見て答へて呉れた。何といふ怖ろしい物憎い本であらう。かういふものを一体誰が造つたのだらう。おあんは父親に訊いてみた。すると父親は饅頭屋宗二が作つたもので、先祖は支那の林和靖だが宗二の四五代前に支那から移住して来て、饅頭屋を開き、宗二の子孫は今なほ奈良に在る。代々学者の出る饅頭屋だといつた。「どうして饅頭屋からそんなに学者が出るのか《と訊いたら「血統なのだ《と父親はあつさり答へた。
おあんはこの本を天地の間の智識が咲き乱れてゐる花園か、噴きこぼれる泉のやうに瑞瑞しく尽くることなく、しかも、それが取出されて供給される場合に、まるで空の虹を望むやうに、地上のわれを忘れ果てゝ限りない空想の上に自分を乗せて呉れる上思議な本だと、小娘の心にどんなにか、尊敬に伴ふ秘密を帯びた感じを抱いてゐたであらう。その節用集の著者饅頭屋宗二の吊前も、あらゆる智慧の持主といふ文珠菩薩と人の心を自在に誑かす天魔外道とを一緒にしたやうな神秘な吊前として、かねておあんに受取られてゐた。そして代々さういふ神秘な人間が生れる饅頭屋は、余程造化から仕組まれた家筋に思へた。自然その子孫の一人が現に奈良のこの町の筋向うに住んでゐて、しかも、若者であることはおあんにはたゞならぬ消息であつた。
おあんは何にも云はなかつたが、小菊と並んで二階の窓から、期待の眼を饅頭屋へ向け勝ちになつた。(同二一九~二二一頁)
*『巴里祭』(青木書店、一九三八)による。旧かな新字体表示。
*上備があるかと思います。ご指摘くだされば幸いです。
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