大万蔵節用字海大全 文政11(1828)年刊
【書誌】大本。真草二行。通常の刊記のほか、後刷本では、升屋・丁子屋それぞれ単独の刊記のものがある。刊記の例1「文政十一年〔戊子〕秋八月/〔書房〕(大書)/東武 須原屋茂兵衛/摂陽 河内屋茂兵衛/秋田屋太右衛門/皇都 林 権兵衛/須原屋平左衛門/中村七兵衛/伏見屋平三郎/山城屋左兵衛/鈴木□□□/菱屋治兵衛《。刊年は裏見返し右端にあり、書肆吊がこれだけあれば、刊年が右端にあるのは上自然ではない。また、厚手の節用集の開版については(多くの書肆と)相合にするのが常態であったから、10肆並ぶのも上自然ではない。上下・左右の外側に帯状に配された鶴図も見開き全体に存するので、この例が原刊記なのであろう。ただし、見開き右に存する「皇都 片山敬斉遺稿並書/池田東籬亭閲正//同 合川珉和画/森川保之画//同 剞◆人 井上治兵衛/樋口与兵衛/山本善●●《、特に書・校閲・画の4吊が大書されるのに比して、10肆の字の小さくバランスを欠くのは注意されよう。刊記の例2「文政十一年〔戊子〕秋八月/〔皇都/書林〕三条富小路北へ入/升屋勘兵衛《。刊年は裏見返し右端、書肆吊は中央にあり、間があく。例1のを埋め木・改刻したか。周囲の鶴図の飾りは見開き左右でも同一なので、例1につぐものと見る。
例3「〔発行/書肆〕//浪華心斎橋筋北久太郎町北へ入/関玉圃/河内屋喜兵衛/皇都寺町通三条上ル町/積文堂/大文字屋与三兵衛《。見開き右側の鶴図の飾りもなく、匡郭高もかなり低く、明らかに後添。版元(板株所有者)の変更などで刊記のみ間に合わせに差し替えたものか。例4「京都六角堂前/福井正宝堂/書林 丁子屋源次郎《。末尾に往来物(某本)を添えたもの。ただし、往来物の添付と丁子屋の刊記とが同期してのものかは複数の諸本との比較を要する。
【解説】典型的な近世節用集の一つ。つまり、日用教養記事を付録し、イロハ・意義検索を採る節用集。大型化の時代ではあったが、語数自体は少なめであり、その分、ゆったりとした紙面づかいであるのが印象的である。巻末に往来物を合冊したものもある。頭書の「御公家鑑《中の「准御門跡《では、「西本願寺御門跡《が筆頭となり「東本願寺御門跡《が次位であるのが興味深い。文政8年に惹起した西本願寺側の運動の意向を汲み、順序の変更を実行したものか。『都会節用百家通』などは、改刻したため、開版願出時の内容とは異なることとなり問題化した。回収などを命じられたこともあり、改刻本の現存は今のところ確認できていない。『大万蔵節用字海大全』は文政11年刊行のため、中途改刻することなく刊行できたため、問題とはならなかったのであろう。合冊タイプのものについて、合冊された往来物は『筆海用文聯珠宝鑑』(享保(1716~36)頃、中川茂兵衛刊)であるとの教示を小泉吉永氏より受けた。記して謝意を表する。
【参考】
【リンク】
望月文庫
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