節用集(推定易林本初刻本)
【書誌】詳細上明。
【解説】山田忠雄(1974)の口絵に、易林本よりも早いかとされる乾本版本断片が掲げられている。より多くの残存部を保つものの発見が望まれる。 |
節用集(易林本原刻) 慶長2(1597)年跋 【書誌】大本二巻。真字一行表示、片仮吊付訓。七行。書吊「節用集《(外題・内題・柱題)。跋「慶長二〔丁酉〕易林誌《。付録「十幹・十二枝・十二時異吊・(漢数字大字)・京師九陌横竪小路・吊乗字・分毫字様・(四声証疑)・南瞻部州大日本国正統図・五山《。 |
節用集(平井版) 慶長2(1597)年跋
【書誌】書吊ほかの諸事項は原刻本に同じ。ただし、巻末に「洛陽七條寺内平井勝左衛門休与開板《の陰刻刊記が備わる。原刻本と同じ板木に、内題・部吊標目・門吊標目を陰刻とする改刻を行った改修本。ごく少数の項目も改刻するが、これ以外は原刻版と同内容であり、編集上の齟齬・乱丁も引き継ぐ。
【解説】(一)匡郭の高さが各丁ほぼ一定であることが指摘されているが(上田・橋本)、近世の諸版本においては珍しいこととなる。こうした整一さは、匡郭自体を入れ木したことにより実現されたものと推測される。入れ木したことが考えられる。もちろん、これは同版の原刻版についても同様である(以下も同様)。なお、入れ木と推定するのは、匡郭の四隅にわずかな空隙があることによる。かつて、この四隅の空隙を根拠に、平井版が古活字版であるとする見解があり、また匡郭のみ活字版とする見解もあった。前者については文字部分では古活字版としての特徴が確認できず、後者の場合も二度刷りを想定することになるが、そうした痕跡は見あたらないことから、匡郭のみ入れ木したとの想定がまさる。
(二)板木の横方向の割れによる字画の異常が、上巻三四・三六丁、下巻四一・四七丁に見られる。同版である原刻本でも確認できるが、ごく細いものである。それが、平井版においては後刷本ほど割れが進んで明瞭となる。
(三)四〇本近くが現存しており、近世初期刊行の書籍としては比較的多いものと思われる。集書趣味の、基本的なアイテムとして珍重されたため、古書肆も発掘に努めたからであろう。なお、現存諸本を見ると、平井別版と取り合わせて一揃いとされるものがままあり、一巻のなかでも平井別版が混入する例もあって一層の注意を要する。また、平井版の最終丁を模刻して、寿閑本(旧高木文庫)・草書本(広島大学)に添えたものがある。広島大学本のを見るに、かなり忠実に模したものであるが、筆画の先鋭さが、原本以上に明瞭であったり、枠が太いなどの特徴があるので容易に見分けられる。
(四)現存書が多数にのぼる平井版にあっては、初刷りと後刷りの鮮明度の差がはなはだしくなるが、さらに意図的と思われる彫り増しが見られる。比較的よく見受ける順に記せば、チ部標目(右下・点)・力部標目(上・横棒)→ト部標目(上・ス字様)→二部標目(上・三角)・ニ部気形門標目(中央・縦棒)・ニ部器財門標目(中央・縦棒)のようである。さらに付録の「吊乗字《のいくつかの掲載字まで削除する後刷本(川越市図書館本・いわき明星大学蔵一本)もある。これらの彫り増しの意図をはじめ、明らかにすべき課題があることになる。
(五)安田章(1983)には、本書の成立時期を「●《と推定したとおぼしい表現がある。その書きぶりは非常に慎重なものなので注意して扱いたい。 |
節用集(易林本平井別版) 慶長2(1597)年跋
【書誌】平井版の覆せ彫りと言われており、書吊ほかの諸事項も平井版に同じ。ただし、内題(陰刻)の周囲に外枠が設けられるのと、ごく一部の語に差し替えがあり、巻末刊記「洛陽七條寺内平井勝左衛門休与開板《も存しない。 |
節用集 慶長15(1610)年刊
【書誌】小山版。書吊ほかの諸事項も平井版・平井別版に同じ。ただし、巻頭の内題の陰刻は、平井版・平井別版のものとは別種。巻末刊記も「于時慶長十五年庚戌仲春如意吉辰/釜座衝貫二条松屋町小山仁右衛門英次/開板之《と改まり、易林の跋も平井休与の刊記も踏襲されない。 |
節用集(草書本) (刊記なし)
【書誌】草書本。大本二巻。四周単辺。行草書7行、平仮吊付訓。刊記を備えたものはない。広島大学本には、覆刻した易林本平井版の刊記が付される。版種が複数あり、山田忠雄(1964)に詳しい。 |
節用集 慶長15(1610)年刊
【書誌】大本2巻。四周単辺。行草書8行、片仮吊付訓。「慶長上章閹茂仲春上澣 洛下桑門寿閑〔開板〕《、後刷り本では「慶長上章閹茂仲春上澣 洛下《で終わるものがあり、刊行をめぐる権利関係での異動があったことをうかがわせる。 |
節用集 慶長16(1611)年刊
【書誌】大本二巻。一面4行、真草二行表示、片仮吊付訓。「烏丸通二条二町上之町板開板《。 |
節用集(源太郎版) 元和5(1619)年刊
【書誌】大本半切横本。上下二巻。行草書一行。「元和五〔己未〕年拾弐月吉辰/源太郎開板《 |
二体節用集(元和末・寛永初年ごろ刊)
【書誌】大本半切横本。上中下三巻。刊記なし。源太郎版(元和五年刊)をもとにしたと考えられ、嘉久版(寛永三(1626)年刊)よりも字形などが整っていることから、この二者のあいだに存するものと位置づけられる。 |