近藤清春画作狂歌絵本の東国語的文法特徴


佐 藤 貴 裕
    

一 はじめに

 本稿は、享保(一七一六〜三五)期の江戸の浮世絵師・近藤助五郎清春の狂歌絵本の台詞について、東国(関東)語的文法特徴の現れる度合いを検討することで、言語資料としての性格をかいまみようとするものである。
 享保ころの赤本では昔話・浄瑠璃の翻案物が多く、その絵も浄瑠璃・歌舞伎など舞台芸術の影響下にあるものが少なくない。ために、登場人物の台詞が記されていても、浄瑠璃・歌舞伎の台詞の影響が懸念されるが、清春の狂歌絵本では、多様な人物の日常が主題になっているため、その台詞には享保期の江戸語が相応に反映されていることが期待される。もちろん、これまで先学諸家が、清春の狂歌絵本を積極的に分析されなかった背景には相応の理由があろう。台詞を一読しても歌舞伎台本を思わせる箇所もあり、絵も日常的な場面を主題としつつも見えを切ったようなものもあって、他の作者の赤本同様、言語の写実性に不安を感じられたのであろう。また、挿絵中の台詞なので、短いものが多く、十全な言語使用がうかがえないという面もあろう。
 しかしながら、近世前期の江戸の口語資料が研究に困難を来すほど少ないことを思うとき、清春の狂歌絵本の台詞が、いささかなりとも江戸の言語を表しているかに見えるのは貴重である。また、享保ころを江戸語の成立過程の上で重視される向きもあり、かつて『和漢音釈書言字考節用集』(享保二刊)に東国語の混入を論じた佐藤としても注目したい時期の資料である。おそらく今後も清春の狂歌絵本による本格的な江戸語研究がなされる見込みは少ないであろうが、そこにあらわれた言語がどのようなものかを明らかにすることは、かならずしも価値のないことではなかろう。
 以上のような次第で、清春の狂歌絵本の言語について検討することとした。注目点としては、時期的にも近い後期江戸語へのつながりを見るのが、今後の研究の展開のうえでも有利かと思われる。そこで、一つの視点として、清春の狂歌絵本の東国語性ないし江戸語性をはかることとし、上方と関東で異なる文法事象──ワア行五段(ハ行四段)活用動詞の音便形・形容詞連用形・指定の助動詞・打消の助動詞──を調査し、明和期洒落本の言語使用との共通点・相違点をみていくこととする。ただし、今後の研究のあしがかりとして、また、把握のしやすさなどを考慮して東国語的文法特徴の使用率を主にみることとした。

二 作者と資料(作品)

 近藤助五郎清春と本稿で用いる資料について概略を記しておく。
 近藤助五郎清春は、江戸で活躍した浮世絵師・筆耕で、生没年未詳ながら享保末に没したとかという。宝永(一七〇四〜一〇)後半ころから享保末ころまでが活動期で、「六段本・歌謡音曲の正本・仮名草子・赤本・噺本・評判記
・細見等の版下や挿絵制作に活躍し、一枚絵の作品もわずかながら作」(『日本古典文学大辞典』「近藤清春」)り、一説によれば中村座の絵看板を描いたともいう。作風としては「諧謔味と童心の存する画風。小人物の群像を、小画面中に描き込む技倆にすぐれている」とされる(同)。
 本稿で資料とするのは『どうけ百人一首』『今様職人尽百人一首』『江戸名所百人一首』(以下、それぞれ『どうけ』『職人』『名所』と略記)の三作品である。いずれも稀書複製会叢書所収本により、浅野秀剛解題『どうけ百人一首三部作』(太平書屋 一九八五)を参照した。成立時期は、刊年等がないので明確ではないが、浅野氏は、『どうけ』を享保中期刊、『職人』を同一四年ころ刊、『名所』を同一六年ころ刊と推定されている。
 構成は、三作品とも小倉百人一首のもじり歌一〇〇首と挿絵を収め、挿絵内の登場人物には発話が記される(図版参照)。これらが二五丁二段組で配されており、現代の一コマ漫画集というに近い。内容は、『どうけ』が多く庶民層の日常風景に、『職人』は諸職人の作業現場に、『名所』は神社仏閣などの名所に取材するものである。
 台詞のある登場人物は三作品全体で七〇〇人近くになる。青年男性が七割近くを占めるが、年齢上は幼児から老人までと広がりを見せる。また、階層上でも、区分がはっきりしない点があるけれども、中層町人を中心に、上下層町人・農民・漁師・武士・奴・職人・商人・僧・乞食・遊女などと広範囲に及んでいる。参考までに、登場人物の年齢別の人数を掲げておく。区分の境界付近の人物では判断に迷うものもあったが、御了解を乞う。
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│年齢別│幼 児│少 年│青 年│中 年│老 人│合 計│
├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───┤
│ 男 │   │ 三一│四六三│ 七〇│  七│   │
├───┤  四├───┼───┼───┼───┤六九四│
│ 女 │   │ 一三│ 六〇│ 三五│ 一一│   │
└───┴───┴───┴───┴───┴───┴───┘
 台詞の言語上の傾向は、浄瑠璃・歌舞伎を思わせる点もないではないが、一方で、写実的な面も見られる。たとえば、幼児の「かゝ(母)まゝ(飯)、ふをうは」(どうけ第1首挿絵。以下、狂歌番号で用例の所在を記す)の「ふをうは」は「食おうわ」を喃語的に記したものかと思われ、「ふたぶれた、うゝ」(名所79)は疲労のあまり「くたびれた」がくずれたことを示していよう。こうした意欲的な表記からは、清春の狂歌絵本に享保当時の言語使用が相応に反映されることが期待されるのである。

三 言語事象の検討

 検討に先立って、注意点などを記しておく。
 清春の狂歌絵本の台詞では、「晩は会だが、おれは柱暦をかたるが、声が立てばよいが」(職人87)のように長いものや、「随分と意見を申(し)、酒を一すいもたべさせませぬ。お使いなされ下されませ」(どうけ19)のようにやや込み入った内容のものもある。が、多くは、日常の一こまにふさわしく短いものであり、表現の詳細が知られないおそれはある。このように言語資料として不完全な面があるので、それに配慮しながら検討していく。
 対照に用いる明和期の洒落本は『遊子方言』『辰巳之園』『廓中奇譚』(以上、洒落本大成所収)の三作品とした。
ただし、清春画作本では遊女・禿の登場数が極端に少ないので、それらの発話は対象としない。
 用例を掲げる際には、適宜、仮名書きを漢字に改めることがある。ただし、問題としてとりあげた語については、元の表記のままとした。句読点については、清春の狂歌絵本ではまったく記されないので、適宜ほどこした。濁点もおぎなった。なお、以上の方針は、右に引用してきた部分にもあてはまるものである。

 ワア行五段(ハ行四段)活用動詞連用形の音便
 まず、買ウ・思ウ・酔ウなどのワア行五段活用動詞に助詞テ・タなどが接続するときに、買ッタ・思ッタなど東国語的な促音音形を使うか、買ウタ・思ウタなどの上方語的なウ音便形をとるかをみてみる。
 調査結果は次表のようである。なお、明和期洒落本のこの文法事象については、小松寿雄氏『江戸時代の国語 江戸語』(東京堂 一九八五)の調査結果が、全登場人物の使用状況が掲げられているので利用させていただいた。ただし、本稿の方針により遊女の発話分は除いた。
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 │清 春│どうけ│職 人│名 所│ 計 │ 百分率││明和洒落│ 百分率│
 ├───┼───┼───┼───┼───┼────┤├────┼────┤
 │促音便│  四│  一│  一│  六│二四・〇││ 二七 │五八・七│
 ├───┼───┼───┼───┼───┼────┤├────┼────┤
 │ウ音便│  七│ 一〇│  二│ 一九│七六・〇││ 一九 │四一・三│
 └───┴───┴───┴───┴───┴────┘└────┴────┘
 清春の狂歌絵本では、ウ音便例が圧倒的であり、明和期洒落本では促音便がわずかながらまさることになった。
 個々の用例を検討すると、清春の狂歌絵本にしても明和期洒落本にしても、考慮しなければならない点がある。まず、清春の狂歌絵本の内訳を示せばつぎのとおりである。
  促音便 酔ウ四例 シマウ・買ウ各一例 
  ウ音便 シマウ六例 思ウ三例 食ウ・言ウ・買ウ各二例 縫ウ・揃ウ・酔ウ・違ウ・使ウ各一例
 促音便の六例のうち四例が酔ウであってかたよるけれども、さらに問題なのはこの四例が『どうけ』に集中することである。また、ウ音便のシマウ六例は、五例が『職人』に集中した。このようなかたよりは、「どうけ」にふさわしい場面を酔った状況にもとめたり、職人の作業現場に題材をもとめたため作業を終わらせる状況が描かれがちだったことが考えられる。つまり、資料(作品)の内容が台詞に反映したおそれがあることになる。促音便・ウ音便全二五例のうち九例も問題となりそうな例があるとなると、検討にも注意を要しよう。もちろん、そのような資料の別によるかたよりと、音便の種類の違いとは別の次元のことと捉える立場もありえよう。
 一方、明和期洒落本では、発話者のかたよりが注意される。小松氏は「いわゆる半可通は、侠者に近く、促音便の方が多い」(前掲書)とされる。そこで、通り者(促音便一四/ウ音便一。遊子方言)と如雷(同四/一。辰巳之園)を除くと、全体では促音便九に対しウ音便一七となって、促音便率は三四・六%と低下し、ウ音便の使用率が高い清春の狂歌絵本に近づく。ただし、ここでも全用例が二六例と少なくなるのが気になるところである。
 以上のように、ワア行五段活用の音便形の種類については、清春の狂歌絵本・明和期洒落本ともに似たような傾向が認められる反面、用例の少なさに注意も必要だと知られた。

 形容詞連用形
 形容詞連用形に、赤ク・美シクのように東国語的な原形をとるか、赤ウ・美シウ(シュウ)のように上方語的なウ音便をとるかをみた。ただし、後接する語など文法的な環境によって原形か音便形かが決まりやすいものは除いてある。すなわち、敬意の高いゴザリマス・存ジマスやオ〜クダサル・オ〜ナサルなどはさみこみ型の敬語を直下に接続する例や、ゴザイマス等の省略が考えられるあいさつ語、格助詞などを下接して体言に準じる用法などは対象としなかった。また、形容詞出自の副詞のうち、ヨクは対立するヨウがあるので含め、トウニ(疾うに)は対立形がないので除外した。なお、明和期洒落本で二人以上の登場人物が同時に発話する例は一とした。
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 │清 春│どうけ│職 人│名 所│ 計 │ 百分率││明和洒落│ 百分率│
 ├───┼───┼───┼───┼───┼────┤├────┼────┤
 │原 形│ 一〇│  四│  一│ 一五│三四・一││  六八│九四・四│
 ├───┼───┼───┼───┼───┼────┤├────┼────┤
 │ウ音便│ 一〇│ 一五│  四│ 二九│六五・九││   四│ 五・六│
 └───┴───┴───┴───┴───┴────┘└────┴────┘
 清春の狂歌絵本ではウ音便が優勢であって、明和期洒落本とはかなり対照的な使用状況であることが知られる。まず、例外的な明和期洒落本のウ音便についてみておく。
  いや名代には、ふかい、意味のある事じや。はやう、いこうく (遊子方言 平 武士)
  賑で、どうふもいへぬ。面白う成た(遊子方言 「宵の程」の客 平と同一人か)
  でもあまり、おもしろ、ないぞ今来るか(遊子方言 平 武士)
  御影ヶで、おもしろふ、芝居を、見やした(辰巳之園 小花屋の女)
 武士かと思われる例が三例あり、階層上の特色と見られる。一方で、彼らは原形も使用しており、むしろそちらの方が多い(客、面白ク二例。平、早ク五例・遅ク一例)。そこで、面白ウが二例を占めること、さらに小花屋の女の例も面白ウであることから、当時、面白イがウ音便化しやすかったことが疑われる。たとえば、語幹末の母音では、上方語での調査ながら、矢島正浩氏「近松世話浄瑠璃における形容詞連用形のウ音便化について」(『国語学』一四七)は、語幹末母音u・oの語が他のものよりも音便化しやすいという。面白イはこれにあてはまる。また、音便化は語形の変化をきたすので、語の同定が困難になる可能性がある。とすれば、語幹部が長ければ、語形のくずれは相対的に低く、同定もしやすいものと思われる。結局、語幹部を四拍分有する面白イは音便化しても不都合の少ない語であり、また、音便化しやすい条件も備えていたと考えられる。
 このように明和期洒落本では特殊な場合にウ音便形をとるようだが、清春の狂歌絵本では、用例数からも予想されるように、自由にウ音便形が現れる。
  長いわく 、あつふてうまいぞ(どうけ3 女・青年)
  七兵衛、かもふな。あぶなふて寝られぬ(どうけ96 男・青年)
  此の朱色はきつふくろんだ(職人27 男・青年)
  伝七、はやふしまや。切りを見に行かう(職人46 男・青年)
  今日はよふ食ふぞ(名所65 男・青年)
 ただし、後三例の各語には原形使用もあり、原形をとるかウ音便をとるかの基準は、はっきりしない。
  きつく思い入れだ。彫り込んだの(どうけ40 男・青年)
  はやく帰りませう(名所17 女・青年)
  よく鳴くのもあげてください(どうけ91 女・青年)
 こころみに語幹末母音ごとのウ音便率を示せば次のようであり、語幹末母音にo・uを有する語がウ音便化かやすい傾向はうかがえた。
  i ウ音便形〇/原形四 〇・〇%  e 該当なし  a 四/四 五〇・〇% 
  o 七/三 七〇・〇%   u 一七/四 八一・〇%
 ただし、語幹末母音uの語の例については注意が必要のようである。それは、一七例中一三例までが、『職人』におけるキツウの例で占められ、そのうちの一〇例は「金にきつふなまりがある」(同44)・「この竹はきつふ編みにくい」(同44)のように材料の不具合を述べる例である。つまり、『職人』の内容上の特徴が台詞にも反映された可能性があるのである。ただ、この一〇例を除いてもウ音便七・原形四でウ音便率は六三・六で比較的高率ではある。

 指定の助動詞ダ/ジャ
 指定の助動詞ダ/ジャの検討は終止形にかぎることとした。これは、明和期洒落本でもダの活用形が十分に発達しておらず、また、清春の狂歌絵本では短い発話が多いので種々の活用形が現れにくいと判断されるからである。なお、
「大事じや」(職人50)・「夜が明けそうだ」(どうけ30)・「粗削りのようだ」(職人69)などの形容動詞・助動詞などの類、事ダの訛形コッタも含めた。
 清春の狂歌絵本ではダの使用率が高く、明和期洒落本に近い傾向となった。ただ、明和期洒落本のうち、大方の傾向に反してダよりもジャを多用する平(ダ一/ジャ一七、遊子方言)・客(一/七、遊子方言)・大名用人(〇/二、
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 │清春│どうけ│職 人│名 所│ 計 │ 百分率││明和洒落│ 百分率│
 ├──┼───┼───┼───┼───┼────┤├────┼────┤
 │ダ │ 二九│ 三四│ 一七│ 八〇│七五・五││ 一六六│八四・三│
 ├──┼───┼───┼───┼───┼────┤├────┼────┤
 │ジャ│  六│ 一〇│ 一〇│ 二六│二四・五││  三一│一五・七│
 └──┴───┴───┴───┴───┴────┘└────┴────┘辰巳之園)の分を特殊とみて除けば、ダ一六四/ジャ九で、ダの使用率は九七・〇%になる。
 少数であるジャについて、小松寿雄氏は「船頭やかごかきのような下層民、息子(遊子方言)のような若い人でもヂャを使用」(前掲書)する、と使用者の広がりを指摘する一方、明和期洒落本三作では女性の使用が認められないとされる。これらの点、清春の狂歌絵本ではどうだろうか。子供の台詞に「さてく 大きなものじや」(どうけ10)の例があるので年齢上の広がりは指摘できる。階層については、かごかき・船頭は現れるがジャの発話はない。が、針師の「鉄芯はどこのあつらいじやへ」(職人76)、付け木師の「此硫黄はよいはなじやの」(職人86)などが下層の例として挙げられようか。女性の使用では、武家ないし上層町人かと思われる女性の「よしやれ、し損ないじやに」
(どうけ5)、老女の「おゝ、あそこじや」(江戸00)が認められた。明和期洒落本で同様の人々の発話がないので正確な比較にはならないが、清春の狂歌絵本でもジャが広く薄く使われていることが確認できることになる。

 打消の助動詞ナイ・ヌ(ン)
 打消の助動詞ナイとヌ(ン)について検討する。ただし、清春の狂歌絵本では発話が短いため、すべての活用形が現れにくいと思われるので、終止形・連体形にかぎることとした。また、丁寧の助動詞の下にはヌ(ン)が現れやすいので、この種の例も対象としなかった。
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 │ 清春 │どうけ│職 人│名 所│ 計 │ 百分率││明和洒落│ 百分率│
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 │ ナイ │  一│  〇│  二│  三│ 五・四││  二九│四二・六│
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 │ヌ(ン)│ 一八│ 二五│  八│ 五三│九四・六││  三九│五七・四│
 └────┴───┴───┴───┴───┴────┘└────┴────┘
 清春の狂歌絵本ではほとんどナイが認められないという結果になった。これがどのような要因によるのかは明らかにできない。わずかに見られた三例を次に掲げる。
   これ長太郎、泣かないものだ(どうけ49。上層町人・男・青年)
   今日は売れないぞ。亀戸へ行こうか(名所55。行商・女か・青年)
   いや、口明けもせない(名所55。行商・男・青年か)
 行商人を下層とみて東国語の反映とみることができるかもしれない。が、どうけ49の男の例は単純ではない。挿絵の背景に大和絵風の屏風が描かれるなど上層の町人とおぼしい(本稿冒頭の図版を参照)。けれども、この人物の別の台詞には「大神楽をミろ」と一段動詞のロ語尾命令形も見え、助動詞ダも使用するなど、東国語的特徴がよく現れている。したがって、ナイについては、ごく少数ながら上層でも使われたと見た方がよさそうである。
 ヌの訛形ンについて、小松氏の調査によれば『遊子方言』ではヌ一八例に対しンが三〇例認められるという。この点、清春の狂歌絵本では「いや天王もしぶさ。一矢も当たらん」(名所89 行商・男)の一例が確認できる。数量的には少ないが、すでに訛形ンが芽生えていたことが知られる。

四 総合的な検討

 右の四つの文法事象を総合的にみたとき、清春の狂歌絵本はどのようなものと捉えられるだろうか。
 次のグラフは、四つの文法事象それぞれの東国語的特徴の割合をみたものである。上段は、これまでに掲げた表の数値をそのままグラフにしたもので、下段は、四つの文法事象を検討した際に、問題となった用例を除いた数値によったものである。なお、各文法事象の配列は、見やすさを考慮して、清春の狂歌絵本において高率のものからとした。

****先に提示済みの文法事項検討の表をグラフ化したものが入ります****〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
〓■清春狂歌絵本 ■ 明和期洒落本 
                                  〓〓
                                  〓〓                 指定
ダ/ジャ                     指定ダ/ジャ   〓〓
                                  〓〓                 形容
詞連用形                     形容詞連用形   〓〓                 原形
/ウ音便                     原形/ウ音便   〓〓
                                  〓〓                 ワア
行五段                      ワア行五段    〓〓                 促音
便/ウ音便                    促音便/ウ音便  〓〓
                                  〓〓                 打消
ナイ/ヌ                     打消ナイ/ヌ   〓〓                 
                             
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 このグラフからは興味深いことが読み取れるように思う。明和期洒落本において八〇%以上(修正値ではほぼ一〇〇%)である指定の助動詞と形容詞連用形の東国語率は、清春の狂歌絵本でも高率である。指定の助動詞では七五%を超えるし、形容詞連用形でも五〇%を超えないものの、ワア行五段動詞の音便形や打消の助動詞よりは高いのである。逆に、明和期洒落本において東国語率が低いワア行五段動詞の音便形や打消の助動詞は、清春の狂歌絵本においてもやはり低くなっているのである。大変おおまかではあるが、ひとことで言えば、清春の狂歌絵本における各文法事象の東国語率は、明和期洒落本の東国語率とほぼ相似の関係にあるということになろう。
 別の言い方をしてみよう。明和期洒落本の東国語率だけからも、過去のある時点での言語使用を大まかながらも推測できる。江戸語の成立過程において上方語的特徴の衰退が注目されるが、それにしたがえば過去へさかのぼれば東国語率が低くなろう。そして、明和の時点で東国語率が高い文法事象ならばさかのぼっても東国語率は相応に高く、低い事象はやはり相応に低いことが予想される。そのような予想の、一つの具体的な形として、清春の狂歌絵本のごとき状態を認めることは、さほど無理ではないように思われる。
 このことは、清春の狂歌絵本の言語使用にいくぶんなりとも当時の江戸語の反映があると考える立場にとっては有利であろう。清春の狂歌絵本にみえる登場人物の言語使用が、少なくとも明和期江戸語の母体ないし過去の姿としての必要条件をそなえていると認められるからである。

五 おわりに

 以上のように、清春の狂歌絵本の言語は、明和以前の江戸語の状態としてありえたであろう状態を反映しているとの見通しが得られた。今後、これを端緒として、内的再構法などを援用し、より確実性の高い推論を行なっていきたい。たとえば、用例の拡充という点では、清春の他の作品もとりあげる必要があろう。また、のりこえるべき問題は多いだろうが、享保期の上方口語資料に現れる東国者の言語との比較なども考えられようか。一方では、東国語的文法特徴にかぎらず、注目したい点もあるが、いずれにしても別稿に譲ることとする。

〔注〕
1 安藤正次氏『国語史序説』(刀江書院 一九三六)や杉本つとむ氏『近代日本語の成立』(桜楓社出版 一九六一改訂新版)など。
2 小松氏は、明和期洒落本三作品においては、「オ…下サリマスとかオ…ナサレマスのような、はさみこみ型の高い敬語を修飾する場合は、ほとんど音便形をとる。音便形九に対して、原形が二」と報告されている。
3 「平」は武士とされる。たとえば、和田博通氏「『遊子方言』小論」(『国語と国文学』一九八二─六)には「『遊子方言』には、「通り者」・「むすこ」、それに「平」と呼ばれる武士客の三人が、主要な人物として登場する」と明確に述べている。また、土屋信一氏「遊子方言の客人「平」の言葉」(『中田祝夫博士功績記念国語学論集』勉誠社 一九七九)は、『遊子方言』の「客」の発話を「平」のものとして扱われている。
4 小松氏は、明和につぐ安永期の洒落本『南閨雑話』(安永三)に、非敬語につらなるウ音便形を二例指摘されるので、明和期の状態がかならずしもウ音便の終末期の様相を示すとはかぎらない。なお、指摘された例は
「よう口がまわる事ッさネ」(材木屋息子)のほか「おもしろふもない」(大尽)であって、語彙的な条件で面白イが音便化しやすいという予想は有効かと思われる。
5 あるいは武士の用例として一括することも考えられるか。注3参照。
6 他に、職人でジャを用いるものに、足袋縫い・天蓋屋・碁盤屋・具足師などがある。
7 これにはマスのほかヤスなども含む。なお、遊女のンスなどにナイが接続した例も見られるが、本稿では遊女の発話は対象としないので除かれる。
8 ただし、妻の方は「よい子だ。あも(餅)かふて(買うて)やろぞ」と東西の特徴を備える。
9 具体的には、清春の狂歌絵本では、ワア行五段活用の酔ウの促音便四例とシマウのウ音便例五例を、形容詞連用形では『職人』に集中したキツイのウ音便形七例を除いた。明和期洒落本では、ワア行五段活用で通り者と如雷の例(促音便一八例/ウ音便二例)を、形容詞連用形では面白ウの三例を、指定の助動詞ダ/ジャで
『遊子方言』の平・客と『辰巳之園』の大名容認の例(ダ二例/ジャ二六例)を除いた。
10 小松氏の言われる江戸語の第二次形成(江戸共通語の形成)にあたる時期を念頭においている。小松氏によれば、「方言雑居の状態を脱して、一つの有力な言語を徐々に弘通させ、やがてこれを江戸共通語に仕立てあげる過程で」ある。この時期を超えてさかのぼれば、「方言雑居」(各地方出身者がそれぞれの方言を話してる状態)に踏み込み、江戸語として捉えることはできない。

〔参考文献〕(本文・注において触れたものは除く)
  小田切良知 明和期の江戸語について(一)〜(三)(『国語と国文学』二〇─八・九・一一 一九三三)
  小松寿雄 近代の文法II(江戸篇)(『講座国語史4文法史』大修館書店 一九八二)
  武井睦雄 江戸語打消表現についての一報告(『国語研究室』四 一九六五)
  寺島浩子 近世後期上方語における指定の『じゃ』(『近代語研究』六 武蔵野書院 一九八〇)
  中村通夫 江戸語における打消表現について(『中央大学文学部紀要 文学科』七 一九五九)

佐藤武義編『語彙語法の新研究』明治書院(1999・9)所収