案内
 江戸時代の節用集の有りようをよりよく記述するために、どのような視点がありうるかを提示しようと思いました。この論文は、その最初のものです。
 まず、節用集を、形式的側面(「型」)と本文系統(「系」)の2点から把握できるものと捉えます。この2つの座標軸を用いて諸本を位置づけようということです。ただし、形式的側面自体、変化するものなので、座標軸として採るまえに、十分に検討しておく必要があります。

 そこで、形式的側面の変化を捉えるのに、まず「変化」とは、旧形式の消滅と新形式の誕生と捉え直し、この「消滅」と「誕生」を説明する手段として「対立」の有無を検討することにします。一方で、旧形式と新形式とが併存することもあるので、この場合は「棲み分け」の有無を検討することとしました。「対立」と「棲み分け」によってどこまで節用集史が説明できるのか、改良すべき点はないのか、といったことが当面の課題になります。(併存するもの同士の関係に「対立」を見るのが普通ですから、別の用語にした方がよかったかと反省しています)。


近世節用集の記述研究への視点

形式的特徴をめぐって


佐藤 貴裕    
 キーワード   節用集  検索法  版権  辞書史

はじめに

 近世において節用集は、初期こそ易林本の改変本がおこなわれたものの、寛文年間(1661−73)以降、語・用字を増補したものをはじめ、頭書を導入したもの、教養記事を併載したもの、検索法を改めたものなど、種々の異本を生み出していく。また、おびただしいほどの諸本が刊行されたので、一見、混沌としたもののように見える。研究にあっては、それらを分類・整理することからはじめなければならない。もちろん、単に分類のための分類であってはならず、その背後にはたしかな目的が必要になろう。この点、筆者は、諸本の位置づけという目的をかかげたい。その際、近世的な性格を考慮し、言語資料としての側面と商品としての側面に注目したい。それぞれ具体的には、本文の系統や収載語の異同に関することがらへの注目であり、検索法をはじめとする判型・書名・付録など形式的な特徴への注目ということになろう。
 このように2つの面から迫るのが、近世節用集への唯一のアプローチとはかぎらないだろう。事実、近世前期のもののように、本文の異同と検索法の異同とが相応ずることが多い場合、二面性を認めるには及ばないこともあろう。また、この二面が、種々の形でかたく結びつくことも考えられる。営利をもとめるために、本文を改良し、そうした本文を広く提供するために形式的な面でも努力や工夫をおこなうことも考えられなくはないのである。
 しかし、一方では、積極的に二面性を認めなければ位置づけられない異本もある。本文の系譜と検索法とにかぎれば、『三才全書誹林節用集』(元禄13〈1700〉)は、イロハ(部)・意義分類(門)引きという古本以来の検索法を持つものだが、本文は門部引き(合類型)の『合類節用集』(延宝8〈1680〉)によるものである。(注1) また、『〈宝暦新撰〉早引節用集』(宝暦2〈1752〉)はその本文を部門引きの『蠡海節用集』(延享元〈1744〉)によっており、(注2) その小改編本『〈増補改正〉早引節用集』(宝暦7〈1757〉)も同様である。(注3) また、『いろは節用集大成』(文化13〈1816〉序)も早引節用集の1本と把握されるべきものだが、その本文は門部引きの『和漢音釈書言字考節用集』(享保2〈1717〉)によるのである。(注4) これらを、仮に、本文の系譜にかかわる特徴を「系」、形式的な特徴を「型」と称するならば、それぞれつぎのように把握されるべきものと考えられるのである。
  『三才全書誹林節用集』 合類節用集系・部門引き型
  『〈宝暦新撰〉早引節用集』   蠡海節用集系・早引型
  『〈増補改正〉早引節用集』     〃
  『いろは節用集大成』  書言字考節用集系・早引型(ただし門引きあり)
 同様の例は、研究が進めば他にも挙げられることとなろう。
 また、従来、近世節用集が営利的に出版されたことは注意されてきたが、その点を主にとりあげたり、商品的な側面に注目して立論されることは少なかったように思われる。今後、近世節用集を論ずるにあっては、このような視点を重視する必要があるものと思う。そのためにも、一度は、本文の系統などの問題と切り離して、商業的側面すなわち形式的側面から見直すことも価値のあることと思われる。18世紀後半に新たな検索法が種々考案されるが、その原動力は書肆の営利追求であり、またそのために正常でない発展をとげてしまったことは、すでに論じたとおりである。(注5) また、同じころ、節用集を教養全書・作法書と見る傾向が人々のあいだに起こりはじめるが、これは本文の内容よりは付録などの形式面が深くあずかるところであろう。(注6) このような面を認めなければ、近世人の生活のなかに節用集を定位することは困難になるものと思われるのである。
 本稿では、右のような状況にかんがみ、商品性が端的にあらわれると期待される形式上の特徴に注目し、筆者なりに、この面での研究の方向づけをおこなおうとするものである。

1 形式的特徴の展開

 近世節用集をみると、書名・体裁・組織・レイアウトなど、形式面に目がいきやすい。このことは、供給する書肆の側も同じだったのではないか。購買者をひきつける工夫がもっとも効果を発揮するのは、やはり目のいきやすい形式面におけるものだからである。その著しい例が書名であろう。『国書総目録』の「節用集」の項を1覧すれば、18世紀以降、奇抜で大仰なものが目につくようになるが、これもそのような工夫の一端であろう。いま、一々の書名をとりあげる余裕がないので検討は別稿にゆずることとし、本稿では別の点に注目したい。
 近世節用集を通覧すると、ある特徴ごとに年次上のまとまりを見せることにも気づく。いいかえれば特徴にはやりすたりがあるということだが、それに注目して、諸本を整理することも考えられよう。これを、こころみに図示したのが次図である。(注7) 注目した特徴は@からIまでとなった。各項から直下に降ろした線は行われた時期のおおよそを示し、太さで量を示してみた。(注8) 枝分かれする点線は類似ないし派生をしめすものだが、確実なものから可能性が考えられるというにとどまるものもある。なお、複数の特徴にまたがる本やどの特徴にもあてはまらないものがあることをお断りしておく。

                     @付録僅少本     1600
                       ┃        │ 
  :‥‥‥‥:‥‥‥‥‥‥‥‥:‥‥‥‥‥‥┃        │ 
  :    :        :      │        │ 
  :    :     A頭書付録本    │        │ 
C合類型 B大増補本      ┃      :   E小型本 │ 
大増補本   │   :‥‥‥‥┃      :     :  1700
  │    │   :    │            :  │ 
  :    : D付録増補本 │            :  │ 
  :    :   ┃    │    :‥‥‥‥‥‥‥:  │ 
  :        ┃    :    :       :  │ 
  :        ┃    : F早引節用集     :  │ 
  :        ┃         ┃       :  │ 
  :        ┃         ┃‥‥‥:   :  │ 
  :        ┃         ┃   :   :  │ 
  :‥‥: :‥‥‥┃         ┃ G新検索本 :  │ 
  :  : :   ┃         ┃   ┃   :  │ 
  : H付録付き  ┃         ┃   │   :  1800
  :  大増補本  ┃         ┃   │   :  │ 
  :   │‥‥‥‥│‥‥‥: :‥‥‥┃   :   :  │ 
  :   │    │   : :   ┃   :   :  │ 
  :   ┃    │  I大増補   ┃   :   :  │ 
  :   ┃    │  早引節用集  ┃   :   :  │ 
  :   ┃    │    │    ┃   :   :  1868


 10項に分けた理由や各項間の関係などを簡単に記せばつぎのようである。

@付録僅少本 Bに比して付録が著しく少なく、CDに比して語数も少ない。初期のものをのぞき、真草二体を示す。大本が多いが、初期には半切横本も行われた。例、易林本諸板・節用集(慶長16)・二体節用集(元和寛永頃板)・真草二行節用集(寛永15)など。
A頭書付録本 頭書(本文上欄)に用語解説を掲載。語数は@に似る。真草二体を示すのが普通。例、頭書増補二行節用集(寛文10)・頭書大益節用集綱目(元禄3)など。
B大増補本 語数の多いもの。原則として、付録は少なく、頭書も採らない。真草二体を示す。例、新刊節用集大全(延宝8)・広益二行節用集(貞享3)など。
C合類本 門をさきに立てる。原則として、語数は多く、付録は少ない。頭書や真草二体を示すものは少ない。例、合類節用集(延宝8)・広益字尽重宝記綱目(元禄6)・和漢音釈書言字考節用集(享保2)など。
D付録増補本 Aに教養全書風の付録を増補したもの。頭書の付録もそのようなものに変化していく。また、付録が巻頭にくるようになる。原則として真草二体を示す。例、大益字林節用不求人大成(享保2)・永代節用大全無尽蔵(宝暦2)・大万蔵節用字海大全(文政13)など。
E小型本 判型小さく、付録・語数とも少ないもの。行草体だけを示すものが多い。例、万倍節用字便(享保4)・蠡海節用集(延享元)・俳字節用集(文政6)など。
F早引節用集 部の下を仮名数で分けるもの。付録はわずかで、原則として半切以下の大きさ。例、〈宝暦新撰〉早引節用集(宝暦2)・〈増字百倍〉早引節用集(宝暦10)・大全早引節用集(天明8)など。
G新検索本 従来にない検索法を考案したもの。付録はわずかで、半切以下の本が多い。例、早字二重鑑(宝暦12)・広益好文節用集(明和8)・大成正字通(天明2・享和2)など。
H付録付き大増補本 体裁はDに似るが、付録・語数とも増補された大部のもの。真草二体を示す。例、都会節用百家通(寛政13)・倭節用集悉改嚢(文政元)・永代節用無尽蔵(天保2)・江戸大節用海内蔵(文久3)など。
I大増補早引節用集 早引節用集の検索法をとる、語数の多い本。門を有するものや、付録を大幅に増やしたものもある。例、いろは節用集大成(文化12序)・〈早引〉万代節用集(嘉永2)・〈増補音訓〉大全早引節用集(嘉永4)など。

 まとめかたは右のものに限らないし、各項内部でも分かれることもある。たとえば、@では、真草二体かいなかで二分され、それぞれ1項が立てられよう。が、いま、この程度の大きなまとまりで考えておきたい。

2 消長の説明

 近世節用集は、特徴ごとに右のようなまとまりを見せるが、それを示しただけで記述研究が終了するとは考えられない。これを出発点として諸特徴の消長を説明することがなければならないだろう。それをどのように行うかが次の問題となろう。
 特徴の消長は新旧の交替だが、より言えば新旧の対立と淘汰の結果であろうことは容易に想像できる。その意味では、図に示した枝分かれの点線は、類似よりも対立を示した方がよかったかもしれない。ただ、後から出たものは、結局それまでのすべての特徴と対立するとも考えられるので、示さないでおいたに過ぎない。一方では、より鋭く対立する特徴のペアを明らかにすることで、消長の要因をより的確に説明できることが考えられる。たとえて言えば、語形変化を説明するように消長を説明できないか、ということである。語形変化の要因はさまざまだが、たとえば旧語形の不足不備を改めるために新語形が登場するタイプは、節用集において従来の特徴を超克するために新たな特徴が起こるのに似る。この場合、新語形の登場は旧語形の急速な廃語化をまねくが、節用集でも新特徴が旧特徴を駆逐することが考えられよう。たとえば、@とA、AとDではこの説明があてはまろう。2つの関係とも、語数・検索法・判型の点で類似するので、付録の有無・ありようだけが鋭く対立することになり、それがそのまま@AD諸本の消長のきっかけと考えられるからである。
 別に、語形変化には、新語形と旧語形とが、用法やニュアンスの差を構成したため、それぞれに存在価値が生じ、併存する場合もある。これは、D付録増補本とF早引節用集の併存に比すことができる。それぞれの特徴の要点は次のようになる。
    検索法   付録     判型     語数
  D 部・門   日用教養・多 美濃判    ┐
                        │ほぼ等しい
  F 部・仮名数 僅少     美濃半切以下 ┘
 Dは、付録の内容と量のため、辞書を中心とした総合的な教養書というに近いものである。これに対して、Fは、付録はわずかしかなく、検索法もより分かりやすいものになっており、その意味では字引に徹したものといってよい。このようにDとFは対立点が多いので、対立するというよりも次元の異なった存在になっている。このようなとき、それぞれに固有の価値を持つので、たがいに棲み分けることになると考えられるのである。
┌────┬───┬───┐
│    │語数少│語数多│
├────┼───┼───┤
│付録僅少│(@)│BC │
├────┼───┼───┤
│頭書付録│ A │   │
├────┼───┤ X │
│付録増補│ D │   │
└────┴───┴───┘
 このように、近世節用集の形式上の特徴は、ある特徴が個々別々にあるのではなく、先行する特徴と何らかの関係をもちつつ、存在するもののよう思われる。ただし、このような関係のあり方に拘泥するあまり、他の要因を見落としてはならないだろう。たとえば、上図のようにBCとADは対立しており、その意味で、両者はたがいに関わりがあるものと見える。たしかに、BCが登場する契機としてAへの超克があったことが考えられよう。しかし、衰微する要因としてDの付録の方が購買者にとって魅力だったということも考えられるが、BCが大部なために経費も売価も高く敬遠されがちだった、つまり、衰微の原因がそれ自体にあったことも考えられよう。(注9)
 また、このような関係を確認しておくと、新たな視点と問題の発見にもつながるように思われる。たとえば、右の図のように1700年前後にはB(C)とDが現れているので、いずれは両者の特徴を兼ね備えたxの現れることが考えられる。実際にはこの時期には現れないが、それは、BCの衰微に見られるように大型本が購買者に敬遠されがちだったからと推測されることになる。このことは、XにあたるH付録付き大増補本の登場が19世紀初頭までくだることの一因とすることも考えられよう。さらに、そのようなHが現れるには、相応のきっかけなり刺激なりが必要だったことをも意味しよう。それがどのようなことであったのかを考察するのも、近世節用集研究の重要な課題であるはずである。
 以上のように、種々の特徴は、対立を基本として互いに関係しあうもののように思われる。任意の特徴間で、そのような関係の有無やありようを明らかにすることで、単に年次順に並べるだけにとどまらない、いわば有機的・動的な近世節用集の記述研究ができるのではないかと思われるのである。

3 未確認の異本をめぐって

 その基礎として、より正確な見取図を作ることが必要であり、そのために異本の発見などにつとめなければならない。ただし、これには相当の労力がかかる。まず、どれほど未発見の本があるかわからず、際限がないということがある。この点では、当時の書籍目録・広告・本屋仲間の記録類などで把握することも考えられ、場合によっては刊行の有無や内容についても、未発見書の像をえがくことも可能な場合がある。(注10) が、その逆の場合の方がむしろ多いようであり、右の資料はそれぞれに欠点や限界がある。書籍目録では刊行時期は大まかになるし、掲げられた書名も実際のものと小異するものが少なくない。広告も刊行時期はおおまかになってしまうし、極端な例だが刊行されなかったことを証しうるものもある。(注11) 本屋仲間の記録のうち、江戸の「割印帳」は「印刷本が行事に提出された時点で記載されたもの」(注12)といわれるものなので、刊行年の点では他の資料よりは正確な情報が手に入れられることになる。が、これも享保12(1727)年から文化12(1815)年までに限られており、その間に出版されたものでも記録されないものもある。また、よく利用される大坂の「開板御願書扣」はその名のとおり、開板免許を受けるための書類の写しであって、原則としては刊行の有無や刊行年は知られないとみた方が安全なものなのである。
 そこで別に、版権(板株)に注目することが考えられる。版権は、刊行の利益を保証する独占権であり、取得するには新たな特徴を付与することが必要だった。つまり、書肆の利益と新たな特徴を結びついたものが版権であり、諸特徴の消長を説明する根拠として恰好のものなのである。
 その例の最たるものは、G早引節用集とH新検索本とにおけるものであろう。早引節用集の板元は、有用性の高い新検索本をつぎつぎに模倣書とし、刊行できないようにしていったのである。(注13) このこと自体両者の対立を示すわけだが、ひいてはHがGに触発されて出てきたことを証する面があろう。似たようなことは、判型にも版権が認められていたことから、E小型本のいくつかにもあてはまる。(注14) また、C合類型でも検索法を主とした問題がおこっており、やはり版権が認められていたことが知られる。(注15) D付録増補本にあっては、付録をめぐる問題が目立ち、付録の内容で新味を出そうとしていたさまがうかがわれるのである。(注16) これらの紛議は、現存本によるだけでは容易に把握できないものである。その意味で、近世節用集の研究にとって、版権への注目とその根本資料である本屋仲間の記録類は、欠かすことのできないものなのである。
 しかし、これにも限界がある。1つは、版権問題がおこらなければ、どのような点が版権の要点となる特徴なのかわらかないということがある。大坂本屋仲間の場合、板株台帳や開板御願書扣が残っていて、かなりのことが知られるのだが、版権の要点は原則として記されておらず、京都・江戸の場合はそれすらも残っていないのである。2つには、版権の概念の確立時期が不明確なことである。制度としては元禄11(1698)年に京都・大坂でそれぞれの町奉行に重板(無断複製)・類板(模倣書)の禁令をださせたことにはじまるとしてよく、江戸については上方書肆の出店や販売をうけおう書肆を中心に上方の禁令に準じるようになったと見るのが妥当のようである。が、それ以前に出版されたものをもって版権を行使した例もある。たとえば『合類節用集』ではいくつかの版権問題が認められるから、その刊行された延宝8(1680)年までさかのぼらせることができると見られる。それ以前では、記録に残されたものがないので現存書をたよりに推測するしかない。『頭書増補二行節用集』(寛文10〈1670〉)が頭書を導入したが、版権までにいたったかどうかといえば両様が考えられる。まず、版権の要点は、節用集にかぎれば頭書の導入であり、後発のB大増補本やC合類型大増補本が原則として頭書を導入しないのも、これを版権と認めたためかと見える。しかし、頭書のある節用集はのちに種々の書肆から出版されることになり、版権として確立していなかったとも見られるのである。
 このように未確認の本については、当然のことながら、限界をわきまえて扱わなければならない状況である。

4 特徴の内部へ

 以上、@からIにいたる形式的特徴の相互間での問題を中心にみてきた。ついで、特徴の内部に目を向けてみたい。ただし、すべての特徴についてみることはできないので、C合類型大増補本とG新検索本について例示する。前者では、特徴の内部でも対立と棲み分けの関係が認められることを、後者では細部の特徴をみることでよりゆたかな記述ができることを示したい。
 『合類節用集』は、10巻500丁におよぶ大部のもので、見出し表記は楷書であった。当時の実用的な書体は行草書であり、節用集においても真草二体を示すのが普通になっていたので、『合類節用集』は規模・表記の点で一般性にとぼしく、敬遠されがちだったと思われる。が、やがて、頭書付録を備え行草体も示す『鼇頭節用集大全』(貞享5〈1688〉)や、行書表記の小型本『広益字尽重宝記綱目』(元禄6〈1693〉)が現れる。前者はAの体裁を襲ったものであり、後者は縮刷判というべきもので、より受け入れられやすい形式をとるものだった。(注17) これらは『合類節用集』の板元・村上勘兵衛とは異なる書肆が刊行したのだが、のちに村上が版権を支配することになる。一方で、村上は、大型の『和漢音釈書言字考節用集』を刊行する。楷書表示で語数も多く、語によっては詳細な漢文注がつくものである。おそらく、当時の節用集の概念からはかけ離れた存在であり、『合類節用集』以上に敬遠されたであろう。しかし、それだけに学術的色彩が濃く、随筆などにもしばしば援用されるほどの水準をもつものだった。このように『合類節用集』は、その内容を受けつつも判型・書体・体裁で対立する異本と、内容の充実の点で対立する異本とに引き継がれたとみることができる。このため、『合類節用集』の存在価値は小さくなって再板されることなく、一方では補うかのように『広益字尽重宝記綱目』『和漢音釈書言字考節用集』が再板されていったと解釈されよう。
 このように、合類型の諸本間の検討から、先にみた対立と棲み分けの関係が特徴内の異本間においても適用できることが知られるのである。
 ついでH新検索本をとりあげよう。ここでは特徴内のより小さな特徴に注目してみたい。 大坂の吉文字屋(鳥飼家)・堺屋(高田家)は、イロハ引きと意義分類のほかに、濁音・長音・撥音をあらわす仮名の有無を利用する検索法を考案し、一連の節用集を刊行した。このうち、『急用間合即坐引』(安永7〈1778〉初板、米谷隆史氏蔵。天明6〈1786〉再板、亀田文庫蔵)(注18)・『大成正字通』(天明2初板、亀田文庫蔵。享和2再板、架蔵)をとりあげよう。近世後期では仮名遣いが一般に流布していないこともあって、拗音・長音・4つ仮名などでは多様な仮名表記がありえた。右の諸本では検索時の便をはかって、このような語を読みごとに1所に集めている。たとえば、『大成正字通』再板本では「字のよみはじめ 字の繰出し様」として次のように例示する。

   くわう      こうぢやう
 光 こう    口上 くわうぜう
   かふ       かふじやう
   くわう  
 かやうの字ハ「ク・コ・カ」いづれの部ニ有之候哉しれがたく候間、別に「こう」〔くわう/こう〕と申部を出し申候 (*陰刻は鍵括弧で包み、句読点を補った。)

 さらに、これを活かすため、表紙・巻頭に「丁付合文」を付し、目当ての語の丁を示している。同じく再板本の1・2行めを示せば次のようであり、他の節用集のイロハ引きとの隔たりは明らかである。

 イ一 イウ三百五 ロ十九 ロウ廿三 ハ廿四 ハウ五十四 ハフ五十四 ニ四十一

 これ以前の諸本で丁付け目録を備えるものもあるが、本文自体、単に語頭のイロハで配列するだけなので、さほど必要性はなかったものと思われる。(注19) が、右に示した「丁付合文」は変則的なイロハ順をとる関係で必然的なものであろう。(注20)
 さらにこの効果をあげるためか、板心にも工夫が認められる。普通、板心の文字はその中央に配されるが、これに袋とじの折り目が重なるので、文字は丁の表裏にわたってしまい見づらくなる。が、右の諸本では、文字を左よりに配し、折り目を右よりにずらして文字全体を見せるのである。(注21。Web版だけの画像 2つの点で通常とは異なるので明らかに意図的にしたものと思われ、周到な工夫と評せるものである。
 しかし、このために丁付けは各丁裏の右端にくる。丁付けを確認するには、丁の裏をみるか、見開き右端の丁付けが1丁減じていることを確認しなければならない。こうしたわずらわしさは、偏心の方向を右にすれば表左端に文字がくるので解決するし、その方が通念としても自然であろう。なぜ二重に不自然な方に配したのだろうか。この場合も不自然だからこそ、編者・書肆の意図が反映しているものと思われる。以下、この点について推測してみたい。
 板心文字の偏心は、『大成正字通』再板本によると、付録部分にないか目立たず、本文とそれ以前の部分では明らかなので、やはり字を引くための措置と考えられる。そこで、実際に字を引くとき、ことに手の動きに注目してみたい。丁付合文で目当ての丁付けを確認し、それよりもやや多めの箇所に右手親指の腹をあてて開き、目当ての丁まで親指の力をぬいて丁を送る。1丁ずつ送ってもよいが、目当ての丁まで1度に過不足なく送ることができればなおよい。そのためには、開かれている丁の丁付けと送るべき丁の数あるいは目当ての丁付けを把握したうえで、親指の位置・力を加減することになる。このとき、丁付けが各丁裏右端にあるので、各々の丁と丁付けと親指の位置関係が1目で把握できることになる。つまり、目の動きを最小限に抑えることになり、ひいては検索に集中できることにもなるのである。こうしてみると、板心文字の偏心はエルゴノミクスの領域に踏み込んだ考案であり、それを彫刻・製本の通念をまげて実現したものということになる。意外にも、高度で細心な配慮と英断の産物だったと思われるのである。(注22)
 右の推測を考え過ぎだと思われる向きもあるかもしれないが、新検索本の多彩さをみれば了解されよう。新検索本については以前にもみたが、(注23) さらに2種を追加しておきたい。1つは、片仮名総画数引きを導入した『〈早引捷径〉画引節用集』(のち『〈画引節用〉懐宝早字引』と改題)である。(注24)

 此節用は日用取扱文字不残あつめ、門部分、傍に真字を付、引やうは片かなの画にて引べし。たとへば休の字を見るには、ヤスム合して6画と成る。言語門やノ部六画ニあり。又鱈の字を引ニはタラ五画と成る。気形門たノ部五画ニあり。いづれも此例に引べし。紙数を繰るニ及ばず、引字即席に出至て早し。(傍訓は省略。表示法を改めた部分がある。)

 現存は確認されないが、門・部・片仮名総画数の順に引くものだったことが知られる。和玉篇などの画数引きからの発想であろう。
 もう1つは、北田宣卿撰『〈類字新撰〉字引節用集』(安永2〈1773〉。亀田文庫蔵)である。(注25) 本体は部・門引きの節用集だが、新機軸として「熟辞挽」(題簽添書)、すなわち、部首から漢字を検索し、ついでそれを頭字とする熟字(世話字・難字を多く含む)を引けるようにしたものである。「偏冠早見目録」(部首検索)の指示をたよりに「1字之部」で漢字をひき、そこで指示する箇所で熟字を引くことになる。この2つの目録にも工夫があり、「偏冠早見引様」にあるように、丁の表裏だけでなく行まで示している。
  下二ノ七
  イ かくのごとく右に丁付有バ二丁めの表の七くだりめといふ事なり
  頁 かくのことく左に丁付有バ三十六丁めの裏の六くだりめの事なり
  上三十九ノ六
 本文は、部・門引きの節用集の内部に熟字集を埋めこんだ形になっている。たとえば、キ部草木門の「木」を頭字とする部分は次のようである。

木耳(きくらげ)。ー芙蓉(きはちす)。〔木瓜(もくくは)。木李(ぼけ)。木履(ぼくり)。木刀(ぼくたう)。木虱(だに)。木兎(づく)。木蓼(つるたで)。木舞(こまい)。木屋(こや)。木実(このみ)。木立(こだち)。木口(こぐち)。木曽(きそ)。木通(もくつう)。木犀(もくせい)。木香(もくかう)。(略)木欒子(むくろうじ)。木兎(みゝつく)。木工頭(もく)。木目漬(きのめづけ)。木乃伊(みいら)。木■子(もくげんじ)。木綿襷(ゆうだすき)。木綿付鳥(ゆうつけどり)。木蠹(しみ)〕

 割行部分が熟字引きの本体だが、その配列は、部分的にイロハ順となるものの、原則として読みや意義の別には配慮がない。このような熟字引きは、凡例の1節でうたうように、漢字を読むためであることが知られる。

 今著ス所ハ訓音ヲ以字ヲ索ル而已ニアラズ、俗間通用ノ書翰証文等及ビ凡和流ノ草書ニ読ガタキ字アレバ其画ヲ以シ、又其筆法ノ似ヨルモノヲ以、速ニ能読事ヲ得セシム。

 世話字・難字を書くためには、すでに17世紀後半に世話字集があり、節用集にも本文や付録として組み込むものがあった。が、逆にそれらを読むための書も必要だったと思われるが、なかなか現れなかった。その意味で、本書は固有の位置をしめるものと思われる。(注26) なお、本書の工夫は、漢字の音(読み)を知るためのものなので、漢字の形を知るための節用集とは検索法が根本的に相違するのは当然であり、厳密には新検索本のなかに入れるべきではなかろう。また、このような工夫を節用集にほどこした意図がどこにあるのか、その有効性はどうだったかなど、今後検討すべき問題もある。が、いま、読むための辞書まで節用集本文に織り込んだ点を重視し、『画引節用集』とともに新検索本の多彩さを例示するものとしておきたい。
 このような状況を念頭におけば、『大成正字通』の板心文字の偏心に対する推測も現実味を帯びようし、新検索本開発の過熱ぶりをしめす好例と位置づけられることになろう。つまり、この例は、細部の特徴が、より大きな新検索本という特徴の指向するところと相応じており、また、両者相まって18世紀後半における節用集の動向の1つを物語るものとなっているのである。

おわりに
 
 結局、以上で述べてきたのは、同じレベルの特徴間、あるいは異なるレベルの特徴間において、いかに有機的な関係をみつけだし、相互に意味づけていくかということであった。その基本的な考え方が「対立」と「棲み分け」なのだが、これは歴史学で言えば史観にあたるものとなろうか。その意味では、人によっては容認できないとするものもあろうし、また筆者自身、これに必要以上に固執することがあってはならないと考えている。
 なお、本稿で、諸本を分類する指標として付録の多寡とその内容の相違を用いた部分があるが、今後、この点については詳細を検討することも必要かと思う。すでに旧稿(注27)で指摘したように、付録の内容の異なりでDに属する節用集を複数購入したとおぼしい例があるからである。ただ、古本節用集における付録と近世節用集における付録とはその性格を異にし、文章作成に資するようなものはむしろ少数である。すなわち、そのようなものに対する詳細な検討とは、場合によっては、国語学の埒外のものともなりうるのである。節用集の付録については、横山俊夫や塚本学など文明史学・近世史学からも検討や言及がなされるようになってきている現在、国語学のなかにおいて、どのようにあつかっていくべきか、考えなければならない問題であるものと思う。


1 小川武彦(1984)参照。
2 佐藤(1990a)参照。
3 佐藤(1987)参照。
4 山田俊雄(1991)・佐藤(1992)参照。
5 佐藤(1990a)参照。
6 佐藤(1993b・1994b)参照。
7 山田忠雄(1961)を基礎資料とし、これに東北大学附属図書館・同狩野文庫・国会図書館亀田文庫・東京学芸大学望月文庫・玉川大学附属図書館・東京大学総合図書館・同文学部国語学研究室・国語研究所・米谷隆史氏(大阪大学大学院生)の各蔵書および架蔵書などでの調査を加味した。なお、図中の「増補」とは単に語数の多さをいい、特定の1本に語を追加補充したことを必ずしも意味しない。なお、影響関係をしめす点線も、必ずしも本文の系統と1致するものではない。
8 厳密には市場占有率などを割り出すべきだが、その把握はほとんど不可能なので、筆者の印象を参考までに 記したものである。
9 Cについては語・用字の性格を考慮する必要を感じるが、いま、Bと同じ特徴を重視しておく。
10 たとえば、後述の『画引節用集大成』の場合がこれにあたる。
11 天明元(1781)年以降の早引節用集諸本には、「安見節用集・二字引節用集・五音引節用集」と称する新検索本の内容紹介つきの広告が見えるが、この3本を早引節用集の板元が刊行できなかった背景は佐藤(1990a)で触れ、さらに佐藤(1993a)では刊行する意志すらないと推測された。
12 多治比郁夫(1984)参照。
13 佐藤(1990a)参照。
14 たとえば宝暦2(1752)年の『字典節用集』と『懐宝節用集』(大阪府立中之島図書館(1983)) や、宝暦13年の『安見節用集』と『懐宝節用』(同(1981))におけるもの。
15 佐藤(1995a)参照。
16 佐藤(1995b)参照。
17 佐藤(1994a・1995b)参照。
18 両本とも題簽ほか書名を伝えるものはないが、検索法や刊年などから『急用間合即坐引』と同定しておく。なお、再板本については高梨信博(1988)参照。
19 これは、丁付け目録を付した書肆の配慮を無視するということではなく、その実際上の効果を評したまでのことである。なお、佐藤(1994b)参照。
20 このような丁付け目録の変遷をめぐっては、その原形にさかのぼって説き起こすことが可能であり、検索の迅速性や新検索本の発生とも関わる問題として説かれるべきかと思われる。その際、イロハのみを掲げる『節用集』(寛永12〈1635〉)や、門名とその説明を付す『二体節用集』(寛永9)などが注意される。本文の前という位置にこだわらなければ『節用集』(慶長16〈1611〉)で、上巻末にイロハと意義分類名を陰刻するのも目をひく。丁付けまで示すものでは『鼇頭節用集大全』をはじめとする合類型に注目することになろうか。その後、部・門引きの『頭書増補節用集大全』(元禄13〈1700〉。亀田文庫本。表紙)や『大富節用福寿海』(享保18〈1733〉。亀田文庫本。見返し)などにおよぶことになろう。
21 類似の先例に楫取魚彦『古言梯』(明和2〈1765〉)がある。柱題は板心中央に、部名は右(各丁表左端)に、丁付は左(各丁裏右端)に配する。なお、本文直前にかかげられた五十音図は、目録の機能も兼ね、丁付けを施している。これは、「あ  い  う  ゑ  を  」●●画像にて表示●●と、丁付を右左に配するが、これはその丁の表裏に対応する。なお、部名のみの偏心には『蠡海節用集』(延享元〈1744〉)・『早引節用集』(宝暦2〈1752〉)などがあり、いずれも板心左(各丁裏右端)へよせている。また、左右に部名を配し
たものに、早く『真草増補節用集』(延宝3〈1675〉。国会図書館蔵)がある。
22 ただし、検索時に、丁数を逆算したり、各丁裏からみる不自然さが欠点となるかもしれない。が、以上のような想定をしなければ、偏心の意図は説明できないであろう。
23 佐藤(1990a・1993b)参照。
24 のちの検索法の説明もふくめ高梨信博(1990b)による。なお、大坂本屋仲間の出勤帳に「〈新撰捷径〉画引節用集大成」(7番天明4年5月11日)・「画引節用」(同5月20日・9月20日)・「画引節用集」(同11番寛政4年9月20日・10月8日)とみえるのが本書であろうか。なお、改題については「出勤帳」18番享和元年5月15・16日に関係記事がある。また、江戸本屋仲間の「割印帳」寛政4年12月25日割印分に「画引節用集」の名が見えるので、実際に刊行されたものと思われる。
25 早く山田忠雄(1981。54ページ)に紹介がある。
26 なお、これと同趣の目的で編纂され、同様の引き方をするものに『〈読字字尽〉扁引重宝字考選』(安永3〈1774〉。亀田文庫蔵。いま『大広益字尽重宝記綱目』との合冊本による)がある。部首ないし起筆の画と意義分類で世話字・難字の類を引くものとなっている。
27 佐藤(1994b)参照。

参考文献
江戸本屋仲間(1980〜82)『江戸本屋出版記録』ゆまに書房
大阪府立中之島図書館(1975〜93)『大坂本屋仲間記録』1〜18 清文堂
小川武彦(1984) 『青木鷺水全集 第1巻 三才全書誹林節用集』ゆまに書房
高梨信博(1987〜91)「近世節用集の序・跋・凡例(1)〜(5)」(国語学 研究と資料 11〜15)
 同  (1990b)「近世刊本付載蔵版目録中の節用集」(東洋短期大学紀要 22)
多治比郁夫(1984)「本屋仲間」(日本古典文学大辞典 第5巻 岩波書店)
塚本学 (1992) 「都市文化との交流」(日本の近世 8 中央公論社)
山田忠雄(1961) 『〈開版〉節用集〈分類〉目録』私家版
 同  (1981) 『近代国語辞書の歩み』上下 三省堂 
山田俊雄(1991) 『ことばの履歴』岩波書店
横山俊夫(1990) 「日用百科型節用集の使用態様の計量化分析法について」(人文学報 66)
佐藤貴裕(1987) 「早引節用集の分類について」(文芸研究 115)
 同  (1988) 「冒頭に「意」字を置く早引節用集二種」(文芸研究 118)
 同  (1990a)「近世後期節用集における引様の多様化について」(国語学 160)
 同  (1990b)「早引節用集の流布について」(国語語彙史の研究 11 和泉書院)
 同  (1992) 「『和漢音釈書言字考節用集』の一展開」(国語学研究 31)
 同  (1993a)「近世節用集の類板」(岐阜大学国語国文学 21)
 同  (1993b)「書くための辞書・節用集の展開」(月刊しにか 4−4)
 同  (1994a)「節用集の版権問題」(月刊日本語論 2−4)
 同  (1994b)「早引節用集の位置づけをめぐる諸問題」(岐阜大学国語国文学 22)
 同  (1999)「『合類節用集』『和漢音釈書言字考節用集』の版権問題」(近代語研究 10 武蔵野書院)
 同  (1995b)「近世節用集版権問題通覧──元禄・元文間──」(岐阜大学教育学部研究報告・人文科学 44−1)

国語語彙史研究会編『国語語彙史の研究』十五(和泉書院 1996)所収