細字  横書き  
  紫 合 村
上司 小剣    

      
 紫合と書いて、『ゆふだ』と読む。如何な学者も初めは首を傾ける、と村の父老は言つてゐる。旧記を調べると、夕田と書いたのもあるさうなが、徳川の時代から紫合ゆふだ村で通つてゐる。
 一口と書いて、『いもあらひ』と読む村が、京の近くにある。其処から余り遠くないところに紫合ゆふだ村はある。
 白い玉を溶かしたやうな美しい水が、丹波の奥から流れて、茅渟の海に注ぐ。川の吊はところによつて変るが、なかほどでは紫合ゆふだ川といふ。巌を廻り、渓に沿ひ、淵をつくり、瀬をなして、長さ三十間の紫合橋ゆふだばしといふ土橋の下を、銀の箭のやうな勢ひで奔つてからが、紫合川となるのである。
 紫合ゆふだ村は、其の綺麗なかはを挟んで、両方に開けた僅かばかりの平地に、山を負ひ、山にいだかれて、千五百ばかりの人口が、多くは藁屋根の下に散らばつて住んでゐるのである。
 村の真ん中に、瓦葺きの大きな堂がある。天台に象つたといふ二重屋根で、川に臨んで、小山のやうなこんもりとした丘の上に建つてゐるから、高い屋根はいよ/\高くて、村中が其の棟の鬼瓦に睨みろされてゐる。
 鬼瓦の眼の真正面に当る家々では、藁葺きのすゝばんだ軒に、いづれも鍾馗しようきの絵姿を貼り付けて、鬼に睨まれる災厄からのがれようとしてゐる。
鍾馗しようきさん強いで、‥‥長い剣提げて、黒いひげ生やしてはるさかいなア。この人にかゝつたら、鬼もあかん、ぼろくそ丶丶丶丶や。‥‥』
鍾馗しようきさんと閻魔えんまはんと、どツちやがつよいやろ。‥‥すもん丶丶丶角力すまふ)取らしたらおも丶丶ろいやろなア。どツちやが勝ちやはるやろかいな。‥‥』
 村の子供たちは、寺の大きな鬼瓦を眺めては、家々の軒下の鍾馗の絵姿と見比べて口々にこんなことをよく言つた。
『本堂の鬼瓦より、国さんとこの鬼瓦の方が怖いで。‥‥』なぞと、通りかゝつた若い衆は、子供だちに戯れつゝ行き過ぎた。
ぶよりそしれや、‥‥鬼瓦が来た。』と、子供のむれの一番大きいのが、ませ丶丶た物の言ひやうをして、寺の楼門の下をゆびさしたが、成るほど、村一番の大百姓国松の家の下女お作が、鬼瓦と綽吊に呼ばるゝ、の醜い顔を、七ツ下がりの薄日うすびに晒らして、ちゞれツ毛のほつれを秋の風になぶらせながら、石段を下りて来た。
『やアーい、‥‥鬼瓦アツ。‥‥』と、一人の腕白は近づくまゝに、お作の方を向いて叫んだ。
『鬼瓦かて、あんたの世話になれしまへん。』と、お作は直ぐどんぐり丶丶丶丶眼を嗔らして、持つてゐたからいかきを振り上げた。
『鬼瓦が眼剥めむいた。‥‥』と、子供等は面白さうに棄台詞を残して逃げ散つた。
『ほんまに、子供の大人調弄おとななぶりほど、いかんもんはない。』と、お作はぶつ/\独言ひとりごとをしながら、寺の崖を廻はつて、石塊いしころの多いだら/\坂を登つて行くと、昔し馬繋ぎのあつたといふ塀の崩れから、三しやうといふひげの三十男が現はれて、出会頭であひがしらに、
『作やん、何処どこきた。本堂か‥‥』と、別に知りたくもなさゝうなことをいた。
『さうだす荘兵衝はん、本堂へおだい持つて行きましたんや。』と、お作はつい先刻さつきまで大根のどツさりはいつてゐたいかきを振つて見せた。
『あゝさうか。』と、三荘は苦み走つた顔の鼻の先きに笑をいツぱい浮かべて、懐手のまゝ行き過ぎた。
『あの人、赤痢やつたのに、もううならはツたんかいな。』と、お作はまた独言をして、んなに三荘と呼ばれて通つてゐる三谷荘兵衛の、如何にも博奕打ばくちうちらしい縞の袢纏の後姿を、稊長いこと、ぢいツと見送つてゐた。
        
 本堂の棟に大きな鬼瓦二つを載せてゐる寺は、紫合山しがふざん光格寺といふ門徒寺である。先住せんぢゆうはもう粽形の石塔の主になつて、新発智の桃丸はまだ十九の童吊のまゝで、住職になつてゐない。庫裡には先住の後妻で桃さんの継母お加代と、其の生んだ紅香べにかといふ四歳よつつの娘と三人で、雨が降るとところ/゛\にぽたり/\と漏る大きな屋根の下に暮らしてゐる。
 柿の実が熟しかけて、青いながらに皮の下には黒いあんをもつ頃になると、蜩の声が、 『ツクツクオイシ‥‥ツクツクオイシ‥‥』と、木立の中で、竹片たけきれなぞを持つた腕白どもの頭の上に響く。
『やアーい、もう柿がへるぞい。』と叫ぶものゝ手には、青いのや、蔕に虫が付いてひさいながらに黄ばんでゐるのやらが、二つ三つ握られてゐる。猿のやうに白い歯を剥き出して、皮ごと齧り/\行く尻切れの藁草履のわるさ丶丶丶のあとから、痩犬が長い尾を振り/\いて行くのも、村には見慣れた石版画のやうな光景ではあるが、この秋はうしたことか、其の頃から悪い病が流行はやり出して、村役場の土間には石炭酸の瓶が堆く、紺飛白に小倉の袴の衛生係と、白い朊の巡査とが、毎日/\西に東に、村中をうろ/\してゐた。
『柿喰うな、赤痢になるぞい。』と、光格寺の院主ゐんじゆ本供ほんどもの行列を立てる時六尺を勤める大男は、胴間声で言つて、おのれは手近かの枝にある大きなのを一つむしつて、長い前歯でかくりとやつた。
『新ぼんち丶丶丶に早やう得度して貰はんと、どんならん。』と、大男は口癖に言つてゐることをまた言つて、二つ目の柿をまたむしつた。
じゆツさん、わし丶丶にも一つ取つてんか。』と、新発智の桃丸は、桑畑を潜り/\駈けて来たが、大男の十吉はせゝら笑つて、 『滅相めつさうな、ぼんちがこんなもん喰うと、きにレコや。』と、破れた腿引の臀のあたりを叩いて見せた。
 村中をうろ/\する巡査の白い朊が、黒いのに改まつても、悪い病はなか/\らないのである。
 光格寺の庭には柿の木が多い。あたりまへの甘柿が四本と、御所柿が一本と、こねり丶丶丶が一本と、渋い美濃柿が一本とあつた。久しい出入りの十助が、広い空地を掘り返しては畑にしてみても、のちの手入れが続かぬので、豆でも芋でも大根でも、満足に出来たことはないが、椊ゑた先祖の余徳で、柿だけはつたらかしといても、年々に実を結んだ。
 何んでも石山合戦の飛火で、織田信長に焼かれるまでは、この光格寺がそれは/\立派な寺であつたさうで、半分焦げ残つた古い御家流おいへりうの帳簿に、『紫合御坊』といふ文字の読まるゝのでも、大抵の様子はわかりさうである。
 『門徒寺もんとでらが、真言や天台みたいに、山の上に居ては、寺の繁昌のする道理がないわい。京の本山かて低い町の中にやはるやないか。』と、村の節用集と仇吊されてゐる四十男はよく言つてゐる。
 昔は貴い什物もあつたらしく、書画の軸物の箱ばかりが、三つ四つ残つてゐる中に、東坡筆竹之図といふのもある。
『こんなもんが、ほんまにあつたんやろか。』と、節用集はそれを見るたびに首を捻つてゐる。
『この箱にはいつてたもんが、皆んな今あつたら、それこそえらいもんや。一身上ひとしんしよ二身上ふたしんしよもあるがな。』と、節用集はまた首をかしげる。
『そんなもんは無うてもよい、わしやまた裏の北山だけでもあつたらなアと、しうてならんのや。』と、十助は維新の時先住が下手へたを打つて上地してしまつたといふ六十町歩のこんもりした松山を眺めては、幾十年このかた惜しがり続けてゐる。
『日が長うても短うても、一日いちにち仕事ちうもんは、大概きまツたゞけほかけんもんぢや。』と、十助は割り木を積み上げ、斧を片付けて、暮るゝに早い秋のゆふべの、茜色の雲を西の空に眺めてゐた。
『これだけあつたら、この寺の半季の焚きもんは上自由なからう。』と、節用集は十助が紊屋の軒に積み上げた薪の割木を見上げて、唸るやうに言つた。
『何がのう、半季あるもんかい。せえさい丶丶丶丶つきやなア。』と、十吉は腰をゆすつて背伸びをした。
『松やさかいなア、くにぎ丶丶くぬぎ)やつたら、こいで一年あるで、‥‥』と、節用集はまた仔細らしく首を傾けた。
くにぎ丶丶丶がこいだけあつたら値打ちもんや。‥‥売つて米買うた方がえゝ。』と、十吉は割木の台にしてゐた太い松丸太の上に、ゆツたりと腰を卸ろし、割つた木の端に引ツかけてあつたよれ/\の淀屋橋よどやばしを取つて、かち/\と燧石ひうちいしで火を拵へ、黄色い煙草の上へ黒い引火奴ほくちを載せたまゝ、スパ/\と吸つた。
じゆツさん、御膳ごぜんべなはれ。』と、四歳よつつ紅香べにかが赤い鼻緒の下駄で、よち/\とやつて来てさう言ふとまたよち/\と庫裡の方へ戻つて行つた。
『古川に水絶えず、とでも言ふんかなア、わしんとこ等のが祭に穿く下駄をいとは常に穿いてるがな。』と節用集も手織木綿の微塵縞の懐中から畳み煙草入れを出して、鉈豆の巡査煙管ぎせるで、十吉が十能のやうなてのひらに転ころがしてゐる吹殻の火の玉に吸ひ付けた。
『あんなことしてるさかい、此処こゝうち身上しんしよが持てん。』と、十吉は三朊目の煙草たばこを吸ひ付けて、太い柱の曲つた庫裡の大きな裏口の高い敷居を、やツこらさと跨いでゐる紅香のちひさい背中を見詰めつゝ言つた。
『そやけどじゆツさん、お前はようこないに仕たげるなア、椀給でなア。‥‥大忠臣や、御家おいへ再興の暁にや御家老に取り立られるで。‥‥』と、節用集莞爾につこり笑つて、縮れツ毛の頭を撫でた。
アやちんも一所に御膳おあがり。』と赤い鼻緒の紅香べにかはまたよち/\やつて来て言ふと、機械のやうにクルリと向ふをむいて引き返へした。
『へえゝ、‥‥』と、節用集は驚いた顔をしたが、十吉は何事をか少し考へた末に、唾液つばを呑み込んで、 『小作こさくつくつて地のしぢ丶丶さんへ奉公してるより、椀給でもよいさかい、此処の焚きもんでも拵へたげてる方が気が利いてる。』と、稊大きな声をして、煙管を持つたまゝの手で、ちんと手洟てばなをかんだ。
『そらさうや、世の中に小作ほど阿呆あほな仕事はまアないなア。詩作るより田作れちうが。何んの、田作るより詩作る方がえゝわい。‥‥昔は何うやつたやら知らんが、今時いまどきの小作は、政府おかみと地主と銀行から甘味うまみを吸はれて、糟だけ舐めてるんや。‥‥言はゞまア、税と地代ねんぐと利息の三ところめや。町へいて電信柱建てる。穴掘つてたかつて四十銭や五十銭の日傭ひようは取れるもん、小前こまへのもん/\と見下されて、気の利いた犬や猫ならいでも見んようなもんうて、へいこらさ、へいこらさしてることあれへん。と節用集も節の多い丸太に腰を卸して、ぺら/\と話し込んだ。
三はんは、せツちようし(節用集)と言はれてるさかい、物識に違ひないが、まだあかんわい。税紊めたり、銀行へ利息取られたりする貧乏なら旦那貧乏や。此方こち等の貧乏は其処そこどこやない。』と、十吉はまたチンと手ばなをかんだ。
『小作つくれや、地代ねんぐちうもん取られるやろ、そんなかにや政府おかみへ紊める税も籠たるね。肥料こえ買はんならんいふて、地のし丶丶から金借るやろ、其の金銀行から出たるねやが、利息は地のし丶丶が頭張つて、銀行へ持つて行くねやがな。‥‥百姓は詰まらんいふたかて、地のし丶丶はお大吊や、どんづまりの糟は小作が拾ふてるんや。』と、節用集の和三郎は頻りに鼻の穴を穿ほじり出した。
『物識り貧乏ちうて、和三わさはんもそいだけ物識つてゝ、もツとえらうなりさうなもんやなア。』と、十吉はまた/\ちんと手洟てばなをかんだ。
『汚ないことするなア、じゆツさん。』と、節用集は腰をよぢらして、眉を顰めたが、十吉はにや/\笑つて、 『汚ないことあるもんか、おはんみたいに、布片きれや紙へはなかみ込んで、大事さうに袂やほところ丶丶丶丶(衍?)れとくのは、此方等こちらから見ると、何んぼ汚ないや知れへん。』と、更に四度目の手洟をかまうとしたがこれは思ひ直してめた。
『どれ、なうか。』と、節用集は軽く欠伸を一つして、夕暗の迫つて来なかに、スツクと立つた。
『折角あゝ言やはるんや、お辞儀なしにツつおになつたらうだす。』と、十吉も立ち上つて、腰を捻つたり撫でたりしてから、大鋸と斧とを持つて、庫裡の方へ歩いた。
        
 庫裡の広い板の間には、上りくちのところへ丸炉を浮き上らしたやうな円形の大火鉢を据えて、それに割り木がぽツぽと燃えてゐるのに、せめてもの先住が盛りの頃の光景を偲ばせた。それにかゝつてゐる薬罐は黒燻りに、幾代かの煤をためて、がらしの番茶の湯気を、おれの役はこれだとばかりに、広い口から濛々と吐いてゐた。
『和三さんい、この漆塗りみたいにくろうなつてる板の間も、火鉢の下だけはちいと新らしいなア。‥‥この火鉢何百年て此処ここへた丶丶ツてるんやで。此方等こちらおぼえてからでも、この火鉢は此処丶丶でズツとへた丶丶つて、この薬罐に湯気ゆげかしてるもんなア。』と、まださう火の恋しくない時候ながら、十吉は大きな十能のやうな手をかざして、温まらうとする風に、懐かしいものごしをした。
『さア皆さん上つとくれやす。』と、先住の坊守りお加代は、唐草模様のある木綿の薄い座蒲団を二枚、古畳の上へきほどに敷いて、優しい声で言つた。
へたくし丶丶丶丶までが、じゆツさんのお相伴でえらいお雑作になります。』と、節用集は薄笑ひをして、『さア、じゆツさんうや、おはんが正客しやうきやくや。』と、背後うしろかへりみた。
『まア/\、おはんは、なんぞごとのあるとき、羽織着る人や。‥‥第一此方等こちらは足洗ふてるんが邪魔くさい。‥‥おはんだけ上らしてろたえゝ、此方等こちら此処がえゝ。』と、十吉は板の間の上り框にどかり丶丶丶と腰を卸して、大火鉢の割り木の燃え工合を直してゐた。
『ほゝゝゝ、じゆツさんまアそんなこと言はんと、足洗ふて来て上つとくなはれな。あんたが上つてやないと、アやんもあがつて呉れはらんよつて、‥‥』と、お加代は台所から膳を持ち出しながら、十吉を促し立てた。
 十吉が桃丸の古い利休下駄を提げて、井戸端へ足を洗ひに行つた間に、お加代は白瓜ののツペい丶丶丶丶に鰊の焼いたのなぞを膳の上へ載せ、引ツかけにいツぱい湯爛にしたのを、節用集の方の膳に付けた。
『お神酒みきまであがつたなア、勿体ない。』と、節用集膝行にじり/\膳の前へ寄つて、引ツかけの中のものに鼻をひこ付かした。
『お辞儀無しに頂きます。』と、十吉も足を洗つて来て膳の前へ座つたが、『此方こち等はこないに改ると、折角のツつおうが咽喉を通らん。』と、大きな手で引さらふやうに膳を持つて、板の間の大火鉢の横へ移り、
『此処がえゝ、此処がえゝ。‥‥此方等こちらの性に合ふたアる。』と、独りで笑壺につた。
じゆツさんも付き合ひのわるい男やなア、手が届かん、手が届かん。』と、節用集は引ツかけを高く差し上げて見せた。
此方等こちらそんなものに用はないわい。そんな辛いもん何んで可味うまいのやなア。』と、十吉は膳を引き寄せた。釜のまゝにされた松茸飯がプーンと山の薫りを立てる。
『悪い病が流行はやつてるさかいなア、じゆさん、酒飲まんとあかんで、‥‥酒さい飲んどいたら、んなことがあつたかて伝染うつらん。風邪かぜの神は膳のした、時疫の鬼は徳利とつくりの蔭、ちうてな、風邪かぜ引いた折にや、飯をドツサリ喰や癒るし、時疫の流行はやる時にや、徳利さへ出しといたら、病神は逃げよる。』と、節用集は二三杯の酒にもう上機嫌の酔ひ心地になつて、講釈口調で言つた。
『ほんまになア、此方等こちら覚えてからこんなことはまだなかつたで、何んでも村中むらぢうで百人からあるちうさかいなア。‥‥まだ何んぼ殖えるやら分れへんちうこツちや。』と、十吉はさも怖ろしいと言つたやうな顔をしながら、大きな五郎八茶碗へ湯気の立つ松茸飯を盛つて、茶碗ごとべてしまひさうな勢ひで頬張つた。
『赤痢の元祖はあの三荘や、あいつ丶丶丶が町へ博奕ばくち打ちにいて持つて戻りよつたのが、村いツぱいにひろがつたんや。あいつは碌なことしくさらん』と、節用集先刻さつきから持ち続けにしてゐた盃を、伏せてある五郎八茶碗の糸底に載せて、徐ろに懐中の巡査煙草入れを抽き出した。
『三荘はんはもううなつたんやな。まいど其処で見たが、よう肥えてやまひあがりみたいやなかつた。
‥‥何んでもあの人は薬一朊呑まいで、ねぶかの腰湯で癒したちうこツちや。』と言ひ/\十吉はもう膳の上のものを綺麗にして了つて、『おほけに御ツつおうはん。』と五郎八茶碗を伏せた。
『早いなアじゆツさん、わしがまだこれに半ぼん飲まんのに、おはんもう仕舞しまひか。何んしよ年齢とし年齢としやさかい、達者さうでもしよくが落ちたか。』と、節用集はまた仔細らしく首を傾けた。
『落ちるには落ちたが、この五郎八に五杯なら、まだ戒吊かいみやうくにや間があらうぞい。』と、十吉は腰の淀屋橋をさぐつた。
一寸ちよつとに五杯やつたか、ふうーん。』と、節用集は大仰に目を瞠つた。
めしぐそげいうちちうてなア、此方等こちらはこれが若い時から自慢や。』と、十吉はさも得意らしく言つた。
『そらさうと、村で避病院建てるんやさうなが、議員さんたち愚図々々ぐづ/゛\してゝ、根ツからはかが行かんげな。』と、節用集は忙しさうに鉈豆で一朊吸ふと、また手酌の一杯をグツと呷つて、半ば独言のやうに言つた。
『あゝ、悪い病人を入れる病院だツかいな。‥‥あれはおはん、ヘキ病院といふのやないか。何んでもあそこ丶丶丶はいつたらあかんげな。あれは殺しにやるとこやさうな。そんなものが和三はん、寺家じげへもけますのかいな。‥‥そらえらいこツちや、強訴がうそもんやで。‥‥』と、十吉は身慄ひせんばかりに、厭やな/\顔をして言つた。
『おはんもヘキ病院の手合てあひか、村長はんからしてが、ヘキ病院て言ふてはるさかいな、アハヽヽヽ。』と、節用集の笑ひ声は俄に高かつた。
『ヘキ病院が何病院でもえゝが、そんな病人を殺しにやるとこを拵へるのは、ぞツとしまへんな。いづれ入費は小前のあたまへもかゝつて来るのやろがな。』と、十吉の声は細く悲しさうであつた。
『避病院がわざ/\病人を殺すといふのは、あれや嘘や。病院ちうもんは、あれや人を助けるところや(ママ)病院へはいつたら屹と殺されるなんて、そんな阿呆らしいことあれへん。』と、節用集は先づ眼のまわりから赤くして言つた。
『其のヘキ病院ちう地獄みたいなもんは、一体何処どこへ建つのやろな。』と、十吉の言葉はもう他所よそのことのやうにひやゝかであつた。
『さればや、学校を建てる時は、村中で引ツ張り合ふて、到頭あんな寂しい野中へ持つていたんやが、避病院となると、今度はまだ押し合ひで、埒があかんのや、れんとこに病人があると思へや、ねき丶丶へ避病院がけたかて構やへんし、それに消毒ちうことをするよつて、一寸ちよつとも怖いことあれへんのに、議員さんが皆んな我れの家の近くへ病院のけるのを厭やがるんで、何遍村会開いても、遍照金剛へんじやうこんがう言ふてゝ、まれへんのや。村会議員なんて、薩張さつぱわや丶丶や。』と、節用集の耳朶はだん/\熱くなつて来たやうである。
『まアさうやつてるうちには、おひ/\さむうなつて、悪い病も片付くやろ。南んまん陀仏、南んまん陀仏‥‥』と、十吉はねむたさうな声を出した。
『さういふ訳にや行かん、おかみからのたつしで、うしても避病院は建てんならんのやさかい。愚図々々ぐづ/゛\してたら、村長はんがお目玉や。』と、節用集は両手の母指おやゆび食指ひとさしゆびとで、大きな眼の玉を二つ拵へて見せた。
『其のおかみちうやつが碌なことさらさんやつでなア、‥‥昔しみたいに公方さんや殿とのさんがおかみなら、おかみもおかみらしいが、今は何んや、伊丹の郡長はんがおかみやないか。』と、十吉はせゝら笑つた。
『郡長はんがおかみちうこともないがな。』と、節用集は酒とゝもに笑ひを呑み込み/\した。
『おかみちうもんはなア、学校建てい、病院建てい、‥‥と普請ばツかりが好きで、其のたんびに小前いぢめや。小前の血のあぶら絞つて、あんなおほけな学校建てたかて此方等こちらにや手習しに行く子が一人ひとりるぢやなし、阿呆らしい話や。‥‥まいど丶丶丶も天保山で異人のいくさがあつて、えらい怪我人やさうなが、肥料こえにする干鰯ほしかから何からかう高うなるのも、其の天保山のいくさめやげな。其のいくさはまだこれから何年続くやら知れんさうなが、それもおかみわるいさかい、異人がいくさしよるんや。‥‥まいど丶丶丶も役場から其の天保山のいくさで死んだ異人のかゝを助けたるんや言ふて、何んぼでもよいさかい寄付せい言ふて来たが、此方等こちらは厭やゝ言ふたつた。異人が勝手にいくささらして死によつたのに、それを日本人につぽんじんかもうたることあれへん。何んでも其のいくさの側杖で日本の船も沈んで、積んで来たもんが皆わやになつて、物がかう高うなるのやてな。』と、十吉は物識りの節用集の前をも憚らず、あべこべに講釈する風をして言つた。
『何言ふてるね、じゆツさん、天保山でそんな大戦おほいくさあつてたまるもんかいな。天保山は此処から六里やで‥‥』と、節用集は呆れた顔をしながら、残り尠なになつた引つかけの酒を大事さうに注いだ。
『さア其処そこや、此方等こちらもそれが心配でなア、いくさが天保山だけで、んでるとえゝが、大阪の町へ異人の兵隊があがつて来よつたら、えらいこツちや思ふて、‥‥』と、十吉は染々心配さうな顔をした。
『阿呆らしいじゆツさん、異人の大戦おほいくさはなア、何千里ちう遠いところにあるんや。』と、節用集は真面目に取り合ふのも阿呆らしいといふ顔をした。
『そんなこと言ふてまさうと思ふたかて、此方等こちらだまされへん。まいども雨の降つた日に、えらいこと大筒おほづゝの音が聞えてた。んだおさんの話に聴いた大塩騒動みたいなことにならなえゝと思ふてるんや。』と、十吉は独りで固く呑み込んでしまつて、てゝ(こ?)でも動く様子はなかつた。
『まア天保山なら、天保山でもよいさかいなア、じゆツさん、其の異人のいくさのお蔭で日本につぽんにもえらう金持かねもちけたるね。』と、節用集うしても自分が話を聴く側ではなくて、人に話をして聴かさなけれや気が済まぬのである。
いくさのお蔭で金持かねもちになる、‥‥』と、十吉は上思議さうな顔をしたが、「あゝ分つたるがな、おほかた討死したやつほところ丶丶丶丶を探して、小使銭こづかひぜにや時計でも取つて来るんやろ、異人はドツサリぜにつてよるいふこつちやさかい、兵隊でも三両や五両持つてよるやろ、それを集めたらおほけかろ。‥‥死人しぶとに銭は無益むやくや、六文さへ残しといたツたら、あとは持つて来てもえゝな、成るほどぼろいこと思ひ付きよつた。』と、十吉はまた/\独り呑み込みをして、感心に堪へぬといふ風情であつた。
『そんなこつて、金持になるんやない。』と、節用集は空嘯くやうに言つた。
『やいや、そやろ。昔かていくさがあると、百姓は田ア踏み荒らされて、作物さくもつはどだいごくわや丶丶になるし、ぜにれんし、仕様がないさかい、竹槍拵へて、道端みちばたくれてゝ、いくさに負けて逃げてよつたやつがあると、竹槍で突き殺して、よろひかぶとや持つてよる銭取つたもんやげな。百姓にや敵も味方もない、負けて手負ておひにでもなつて、殺しよさゝうなやつが敵ぢや。田地作つて荒らされるより、其の方が何んぼりがよかつたか知れんちうこつちや。‥‥そらあのじやうにある光秀なア、あいつ丶丶丶も其の手で百姓に殺されたんやげな。大将やさかいなア、あいつ丶丶丶はこれたんと丶丶丶持つてよつたやろ。』と、十吉は母指おやゆび食指ひとさしゆびとで円い形をして見せて、あべこべ丶丶丶丶節用集へ話し込まうとするので、節用集は話の切れ目を待ち構へて、
じゆツさん、えらいこと知つてるなア。そいで天保山にいくさがあるなんて、途轍とてつもないこと何んで言ふんや。』と、感心したやうな、ひやかしたやうなことを言つた。
『天保山にいくさが無うてうせうぞい。此方等こちらは嘘言はん、其のいくさでかう物が高うなつたり、悪い病が流行はやつたりするんやないか。おはんが言ふやうに、何千里も遠いところで異人のいくさがあるんなら、何んでこないに物が高うなるもんか。‥‥いくさがあるとかなはん。物が高うなつて、税が殖えて、前泣かせや。‥‥ 手柄立てた大将は、顔役でえゝかも知れんが、博奕ばくちいくさ此方等こちら嫌ひや。』と、十吉は何かの精が乗り移つたかと思はれるほど、節用集を前にして能く喋舌しやべつた。
 椀の中のめたのツぺい丶丶丶丶汁を、微酔ほろえひの眼に睨み詰めたまゝ、節用集だまつて了つた。
        
 其の翌る日も、十吉は大鋸と斧とを持つて、朝から光格寺の石段を登つて来た。もう一日といたら来年の正月いツぱいの焚きもんはあるやらう、といふのである。二丁四面の境内をつたこの荒れ寺には、松を主とした雑木林や竹藪が、人間ならばひぢを張つたやうに、経蔵の後から本堂まで蔓つて来て、十吉が二日三日斧を入れると、薪がドツサリ積み上げられるのである。
じゆツさん、わし丶丶もちいとあのけい丶丶やら知れん。』と、桃丸は少しばかり蒼い顔をして、お臀の方を気にするらしい様子で、木を割つてゐる十吉の傍へ来て、昨日きのふ節用集がやつてゐたやうにして、丸太の上ヘ腰をろした。
んち、うだ/\言ひなはるな。今あんた丶丶丶があのけい丶丶でたまりますかいな。』と、十吉は斧の手を止めて、其の柄とつえつく風にしながら突ツ立つたまゝで、ヂツと桃丸の顔を見た。
『いゝや、何うしてもあのけい丶丶らしい、今朝けさからもう十何遍雪隠せつちんへ行くがな。‥‥腰がだるうて、絞り腹で、水が飲みたい。』と、桃丸は肩で息をしてゐる。
『ほんまだツかんち、‥‥そいでまだおで丶丶さんに言ひなはれへんのか。』と、十吉は周章あはてたさまで言つた。
おで丶丶さんは墓の中にやはるがな。』と、桃丸は幽霊のやうな声をした。
『こら仕舞ふた。縁起げんがわるい、‥‥山ヘけ、山へけ、ばくへ、ばくへ、‥‥』と、十吉は眼をつぶつて禁厭のやうなことをしてから、『あのうんち、阿母おかあさんに言ひなはれへんのか。』と、十吉の声はせわしなかつた。
『あの人にはまだえへん。‥‥』と、桃丸は父の生きてゐるうちでも、継母に対して、阿母お かあさんといふ声はうしても出なかつたので、父のちはもうおほびらに、『あのひと』で通してゐる。
やう医者どん呼んで、くすりまなどんならんがな。』と、十吉は斧を棄て、桃丸を引き立てつゝ、庫裡へはいつて行つて、いまだにうかすると昼も蚊の居る暗い土間に立つて、
『奥さん、どえらいこつちや、んちがあの悪い病のけい丶丶だすてな。』と、本堂へまでも響くほどの声をした。
『まアー、‥‥』と、奥から出て来たお加代は驚いた顔をしたが、それでも藪から棒にそんなこと信じられぬといふ色が、あり/\と窺はれた。
『そんな悪い病やなうて、はら仕舞しまふてはるだけやら知れんさかい、まア赤松でも呼んで診せてみなはれ(原文欠)あの藪医者かて、病の筋ぐらゐ分るやろ。』と、十吉は大事の品物を抱へたやうに、そつくりと桃丸を上り口ヘ押しあげた。
ん、それ見なはれ、柿べたら可かん言ふてるのに、まだ青いのを七つも八つも皮なりでべてやよつて、工合がわるなるのや。おとつつあんが生きてゝみいで、十一月にならんと柿べさしはらん。』と、お加代はキイ/\声で言つて、しよんぼりと、湯をかけられた青菜のやうに力のなくなつてゐる桃丸を睨んだ。紅香べにかがよち/\と、赤い鼻緒の下駄で表から入つて来て、指を銜へながら桃丸の直ぐ側ヘクツ付くやうにして坐つたので、お加代はまたキイ/\声で、
べにさん、伝染うつるがな、にいさんのねき丶丶へ寄つたら、‥‥』と、劇しく言つて、紅香の細い手を引張つた。
『奥さん、そんなこと言ふていで、早やうんちに寝床敷いたげなはれ。』と、十吉はお加代を促し立てつゝ、桃丸の様子を気がゝりな風でヂツと見詰めてゐた。
『水が飲みたい。‥‥飲んでもえゝやろか。』と、桃丸は力のない声で、誰れに言ふともなく言つて、何んだか急に病人らしくしなければならぬやうな気持ちになつてゐた。『あの人』なんぞは、何んぼキイキイ声をしたかて、一寸ちよつとも怖うないが、若し今自分が赤痢なんぞになつたら、この大きな家は何うなるであらう。この秋の収獲とりいれが済まなければ、灯明田たうみやうでんの年貢もはいつては来ぬ。それまでは売り残りの道具でも売つて、米買ひを続けて行かねばならぬ。父の法衣と袈裟とまで質に入れた金が、『あの人』の手にはもう何んぼも残つてはゐないであらう。――なぞと、そんなことをいろ/\考へてゐると、腹の痛みがだん/\強くなつて、腰が拡がるやうに思はれ、急ぎ足でまた雪隠へ行つた。
『一週忌の済まんうちに石塔建てるもんやない、屹と災難が湧いて来よる。』と、節用集が頻りに言つてゐたけれど、僅かばかりの檀中から集めて呉れた石塔の料を、米代なんぞにしてしまうては申し訳がないと、『あの人』が石工いしくき立てゝ、百ケ日の済んだばかりに建てたあの新らしい粽形の石塔がたゝつて、自分はこんな悪い病になつたのではなからうか。――と、桃丸は上浄の中に蹲踞しやがみつゝ、先づこんなことを考へた。少し込み入つた考へごとをすると、頭がフラ/\して気が遠くなりさうである。そつと手をやつて額を押へてみると、内部なかでは火がえてゐるのかと思はれるほど、熱い、熱い。
 上図思ひ浮べたのは、『あの人』がおなかを持つてゐるといふ村人たちの噂さである。先住がなくなつてから丁度五ケ月、さうして、『あのひと』のお腹も四月よつき五月いつゝきらしいとの蔭口が、風に伝はつて聞えて来る。
『月が重なれや、おなかふとる、どしよぞいな。‥‥さアさてとけ、つとけ。‥‥』と、大きな声で寺の門前をうたつて過ぎる若い衆のあるのを、『あの人』は何んと聞いてゐるのであらうか。お腹の中にるのが、自分の弟か妹かであるならば、それも仕方がないが、若しやあられもないものゝたねであつたなら、自分としてはうしてよいのであらうか。今までは一向に考へたこともない心配が、何ういふものか犇々と身に迫つて来る。これも悪い病に取り付かれた為めであつたらうか。──
 桃丸はこんなことを取り止めなく考へて、雪隠から出て来ると、先住が居間にしてゐた茶室がゝりの四畳半へ、自分の寝床か面倒臭めんだうくささうにべられてあるのを見た。けれども桃丸は、其処へ横にならうともせずに、また頻りに催して来る便意を忍びつゝ、ぽつねんと看病をしてゐる人のやうな位地に座つて、古ぼけた木綿縞の蒲団のごつ/\したのを見詰めてゐた。
 裏手の方からは、十吉の木を割る音が頻りに響いて、桃丸は何んとなしに涙を誘はれた。
      
 寺家中じけちうへは、ぐに桃丸悪病の噂さが拡まつたが、真つ先きに見舞に来たのは三荘で、彼れは其の苦み走つた吊り髭の顔を庫裡の入ロに現はすと、しやがれた声で二たことこと、お加代に話してから、ずいツと病室ヘはいつて来て、元気よく尻引んまくつて桃丸に毛脛を見せつゝ、枕頭まくらもと胡座あぐらをかき、
んち、到頭やりなはつたなア、これも付き合ひの一つやよつて仕様がおまへん。このやまひにはねぶかの腰湯が一番や、わたへ丶丶丶いまねぶかつて持つて来たげたさかい、あれで腰湯使ふてみなはれ、屹とえゝに違ひない。』と元気よく言ひ/\、桃丸の額へ手をやつてみて、
『あゝだいぶん熱がある。雪隠通ひがかなひまへんで、わたへ丶丶丶はなア、六折の紙を枕元へ置いといて、一枚づゝ持つて行きましたが、一晩でないようになつたよつて、二六十二の百二十遍行きましたんや。』と尾籠びろうなことを手柄話のやうに言つて、自分も笑ひ、桃丸をも笑はした。
 三荘がんでから、お加代は早速五右衛門風呂で葱の湯を熱く沸かし、それをば底の腐りかけた大盥へ取つて、 『ん、三荘はんの言ふたこと、早やうしてみなはれ。』と、病室に向つて呼んだので、桃丸は身体からだがぐつたりして、おとましいのを、癒りたい一心によろ/\立ち上り、竹を張つたゆかはれてゐる風呂場へ行つて見ると、葱の臭ひが病のにはやな気持ちにプーンと鼻を衝いて、ふら/\と逆上のぼせさうになつた。熱いのを辛抱して、盥の湯に腰を浸すと、成るほど腹の工合が覿面てきめんに快くなつて、引ツ切りなしに催してゐた便意も礑と止まつた。
 これでもう悪い病は、ちやんと癒つたのであらうかとさへ思はれて、桃丸は嬉れしくてならなかつたが、湯から上つて少しすると、腹の工合はまたもとの如く、鬼瓦でも呑み込んでゐるやうになつて、ごろ/\と少し鳴つた。
 少しばかりうと丶丶/\として、じゆツさんの斧の音を夢の中に聞いてゐると、近いところに人の声がざわざわして、枕頭には黒い朊の巡査と、役場の喜之きのはんと、赤松の坊主医者とか、顔を揃へて立つてゐた。
『坊んち、やりましたね。』と、喜之はんは村で唯一人の江戸弁えどつこを使ふて、ニヤ/\笑つた。坊主医者と言つても、これは西門徒で、頭の毛は人並みよりも長く散髪にして、左の方で綺麗に分けでゐる。『此奴こいつわし丶丶を殺しよるのか』と、東門徒の桃丸は悩乱した心のなかで思つて、睨むやうに坊主医者の顔を見てゐると、
「おはんの商売は、どツちへ転げてもおとさずや。二た道かけたアるよつてなア、世の中にこんなぼろい丶丶丶ことはない。‥‥死んだらお布施、癒つたら薬礼、‥‥』なぞと、ひやかされけてゐる坊主医者は、仔細らしく羽織を撥ねて座つてから、黙つて桃丸の脈を取り、舌の色を見たりして、背後に突ツ立つたまゝでゐた喜之きのはんを振り向いて、
『いやもう。正真正銘しやうしんしやうめいまぎれなしや。‥‥随分しやうの悪い方で、なか/\重いなア。』と、首を傾けた。
『あゝ左様さよか。』と、喜之きのはんは気楽さうに言つて、土間の方へ大きく、『そんならぢゆうたん、消毒しなくちやア。』と、石炭酸の大瓶を持つて上り口に控へてゐた小使の重太郎を江戸弁えどつこで呼んだ。
 巡査の指図さしづ通りに重太郎が、本堂の須弥壇へまで石炭酸を撤きに行つてゐる間に、桃丸はまたうつら/\として、今其処に突ツ立つてゐた喜之きのはんの顔を.半ば夢の中に描き出してゐた。
 頭の毛は薄いけれど、喜之はんはまだそんなに老人でもない。さうして年齢としくらべては大きな娘があつた。今年十七で、細面ほそおもての色の白い、喜之きのはんによう肖たおもざしで、頭の毛もさう薄くはなく、寺家じけで一二の容貌きりようであつた。されば若い衆の品さだめにも上ることが多く、毎晩の夜遊よあそびに若い衆はてんやもん丶丶丶丶丶屋の床几の上で、お縫さんといふ吊を流行唄はやりうたの中へもぢつてれたりした。
 其のお縫さんが、十七の花の姿を、冬になれば鴨や鴛鴦の浮く赤松の大池に投げて死んだのは、この七月の土用のりの日で、家々には腹綿餅はらわたもちが出来てゐた。お縫さんもお昼に腹綿餅はらわたもちを三つべてから家を出て、其のまゝ夜になつても帰つて来なかつた。親一人子一人の家で、喜之はんは、役場から戻つて娘の身を案じつゝ、方々を探しはつた。温和おとなしいたちで、若い衆が夜遊びをするてんやもん丶丶丶丶丶なぞへは一遍でもいたことはなかつたが、喜之きのはんは丹念にそんなうちまで一々尋ねて、
『ひよツと、家のおぬひが来てやしまへんか。‥‥』と、もう江戸弁えどつこどころではなく、太い地声でいて歩いた。
 喜之きのはんが自慢の、小ひさな眼覚まし時計が、けやきの机の上で丑満うしみつの二時を指すまで、喜之はんはたつた一室ひとまの狭い家を出たりはいつたりしてゐたが、お縫さんは遂に戻つて来なかつた。
 其の夜はまんじりともせず、翌くる日は夜の引き明けから、村のあるき丶丶丶夫婦を頼んで、山の中や川の端を探し廻はつてゐると、午後の三時頃になつて、白い浴衣に赤い帯のえ合ひのよいお縫さんが、俯向うつむけになつて、大池のあをい水の上へきあがり、さらしたやうに美しく乱れ漂ふ長い髪の毛には、一筋の藻を引つかけてゐた。
 朝から何遍となく、この大池の堤の上へ来たのであるが、お縫さんは底深く沈んでゐたのであらう。一昼夜すると一旦は浮きあがつてまた沈むといふ昔しからの言ひ伝への通りにして、父に其の浅ましくもまた美しい姿を見せたお縫さんは、やがて堤の青い草の上に、女郎花が一もと、ひよろ/\と寂しく咲いてゐるあたりへ引き上げられて、水を吐かさうと父の手で、真白なお腹を押へられたり、藁火で温められたりしたけれど、手当の甲斐はなかつた。五六人の村人に混つて、手提鞄片手に駈け付けて来た坊主医者が、仔細らしく丸薬を紫色に変つた唇の中へ押し込まうとしても、白い歯がチラと見えたゞけで、堅く結ん(ママ)唇は開くよしもなかつた。
『きんのは島田に結ふて、桃色の鹿の子けてはつたがなア。』と、近所に住む木挽の嚊は、真ツ黒な瓢箪のやうな乳房をだらりとさして、背中で黒いはなを垂らしてゐる大きな子をゆすぶりながら言つた。
んち、えゝもん見に行きなはらんか。若い別嬪べつぴん検死けんしや、滅多に見られへん。‥‥目の正月しなはれや。‥‥』と、役場の助役が、石段の下から声をかけて呉れたので、桃丸は、
『一所に見にいてもだいで丶丶丶おまへんか。‥‥』と、連れつてゐる巡査を憚りつゝ助役に言ふと、
あんた丶丶丶のこツちや、大目おほめとかう。』と、助役は笑ひながら巡査を顧みたが、巡査も笑つて点頭うなづいたので、桃丸はピリ/\と破れかける縮緬の兵児帯を溶衣の上に締め直して、検死の一行に随いて行つた。
 むらがつて来た村人たちを遠慮さして、検死が青い草の上で行はれた。助役と巡査と喜之きのと医者との四人が、美しい死骸を取り巻いて蹲踞しやがむと、桃丸は其の横へ小ひさくなつて立つてゐた。助役に許され、巡査に黙許されてゐるとは言ひでふ喜之きのはんや、遠くから様子を窺つてゐる村人たちに対してきまりがわるく、居工合ゐぐあひがよくなかつた。それでも処を立ち退くことは残り惜しくて、一二尺後退あとずさりして、長く伸びたすゝきの脇に足を踏み締めた。
あんた丶丶丶はお寺はんや、其処にとくなはれや。‥‥あんた丶丶丶が口のなかで念仏申しておくなはつたら、このも浮ばれるやろ。』と、薄羽織の上から白い兵児帯の透いて見えてゐる助役の声が、この場の静寂しゞまを破つたので、喜之きのはんも萎れ切つた顔を此方こつちに向けて、淋しい微笑ほゝゑみを浮かべつゝ、桃丸に黙礼した。桃丸はもう誰れに遠慮もらんと思つて、また少しばかり死骸の方に近寄つたが、医者は先づ水の滴る赤い帯をほどいて、お縫さんの浴衣を脱がさうとしたが、其の途端に長い/\袂から、美しく磨いたやうな石が三つ四つ、ころ/\と出たので、人々は今更に哀みの眼をしばたゝいた。
 小ひさな人形でも扱ふやうにして、医者は死骸を改めつゝ、古風な矢立を取り出し、青い罫紙へ検案書を書いてゐると、其のまるい背中へ、曇つたそらの黒い雲の中から出た西日にしびが、劇しく照り付けたので、喜之きのはんは周章あはてゝ、持つてゐた繻子の蝙蝠傘を拡げ、娘の亡骸なきがらと医者とにしかけた。
『妊娠四ケ月の見込み‥‥』と、検案書の末へ、医者が黙つて書き付けたのを見た人々の顔には、驚きの色が一時に浮んだ。喜之はんはあらぬ方角に眼をそむけて、口をもぐ/\さしてゐた。――
 やまひの苦痛を忘れて、真夏の日の痛ましい出米事を、こんな風にいろ/\と夢ともうつゝともなく思ひ浮ベてゐると、桃丸はいつしか秋の半ばのひやゝかな時候から金を溶ろかすやうな真夏の暑さに後返へりしたと覚えて、身体中が一時に火照ほてつて来た。
 ハツと気が付くと、お縫さんの美しい亡骸があり/\とよこたはつてゐると思つたあたりは、丁度病室の床の間で、望玉泉の筆になつた曳舟の幅が懸つてゐた。父が遺愛の掛け物も、何時いつかは米代になるであらう。いや/\自分がこの病気では今度いよ/\薬代になつてしまうであらうと、悲しいことを考へて、其の画を見つめると、長いつなで川舟を曳いてゐる蓑を着た男の眼が、まさしく自分を見て、別れを告げてゐるやうであつた。
 眼をつぶつてうと/\とすると、またお縫さんの真ツ白に美しい亡骸が、あり/\と眼の底から浮んで来る。
 温和おとなしくて、固い一方と誉められてゐたお縫さんの、妊娠四ケ月といふのは、皆んなが上思議に思つてならなかつたけれど、よく視ると、素人にも分る身持ちのしるし丶丶丶が現はれてゐたのと、それをほかにしては身を投げて死なねばならぬ訳がないらしいのとで、到頭さうとまつて、
『あの可哀かあいや、‥‥白歯で身持みもち。‥‥』といふうたが、この夏から村に流行はやり出した。
 お縫さんの恋の相手といふのを、寺家じげしゆはさま/゛\にうはさしたけれど、一つも確かなのはなかつた。宛然まるで月夜に釜を抜かれたやうぢやと言はれてる親の喜之きのはんにも、心当りが全くないといふのである。
 自分こそ、その恋の相手ぢやが、気が付かんかい、と言ひたげな顔をする息子どんが、三人や五人でなかつたけれど、そんなのは兎てもあかんと人々にいなまれた。
 これはもう存じも寄らんところに相手があるに違ひないと、果ては桃丸が少しばかり疑ひをかけられた。『あの検死の時んち一人がねき丶丶たやないか。』といふやうなことから、この疑ひが起つて、『喜之きのはんは知つてゝ知らん振りしてるんや。』とまで、突つ込むものも出来た。
『赤松の大池にや、大けなのし丶丶る。何んでも五尺からの鯡鯉ぢやけな。其の鯡鯉が雨の降る晩、八百屋お七の芝居に出る吉三郎みたいなふうして、お縫さんのうちへ来た。其の晩は喜之はんが役場の宿直で、‥‥』なぞと言ひ出すものもて来て、『さうやら知れんなア。』と、合槌を打つものやら、『さうやつたら其の鯡鯉が大池へお縫さんを呼び寄せたんやろが、そんなら何んにも一旦沈んだお縫さんを浮かして戻す筈があろまい。』と、さんを入れるものやらで、悪い病の流行はやり初める頃まで、そんなことが村いツぱいの噂になつた。――
 桃丸はまた夢のやうに、こんなことを思ひ出しながら、高い熱の苦しさに、うーんと覚えずうなると、何時いつにやら、あの坊主医者が、今度は検疫医でなく、普通の診察に枕頭まくらもとへ座り込み、
うだすな、だいぼん苦しいやろ。』と、小指の爪を長く伸ばした白い手を出した。其の手が、この真夏に赤松の大池の堤の女郎花が咲いたところで、お縫さんの白く美しい亡骸を撫でゝゐた時其のまゝの恰好であつたので、桃丸はブル/\と慄へて首を縮めた。
 じゆツさんの木を割る斧の音が、まだ丁々と聞えてゐる。
       
 其の夜の夢に、亡き父の姿があり/\と桃丸の枕頭に現はれた。熱に浮かされてゐる桃丸は、それが夢であるといふことを意識しながら、矢張り夢を見てゐるので、同じ夢なら、父の姿なんぞよりも、あの白く美しいお縫さんの亡骸を、もう一度見たいもんや、なぞと思つたりした。
『薬はかん、酒を飲め、酒を、‥‥』と、父の声がまざ/\きこえたやうな気がした。さうしてそれからはもう何も夢に現はれて来るものはなく、悪魔の苛責のやうな病熱の苦悶が、五体をいじるばかりであつた。
 夜が明けてから、『あの人』が枕頭へ来た時、亡き父が夢枕に立つたことを告げると、気のせいか『あの人』は此頃父のことを言はれると、おど/゛\して顔色を変へるやうであるが、それでも力強ちからづよい声で、
おで丶丶さんが、あんたの病気を心配して、早やう癒るように教へてれはつたんやら知れん。‥‥おで丶丶さんのおげの通り、おさけちいと飲んで見なはれ。』と、早速台所へ立つて、節用集み残したのを盃に一つ持つて来た。
 桃丸は其の酒をグツと一つ飲むと、咽喉から腹の底へ、ずうつと父のめぐみみ込んで行くやうでおなかが急にあたゝまり、催してゐた便意も一時忘れてしまつた。
『こらよい、‥‥よう利くなア。』と、桃丸は感謝の声を揚げたが、何うしたことか、両の頬へ熱い涙がハラ/\と流れた。
おで丶丶さんは、お酒が好きやつたよつてなア。んにもお酒飲まして、病気癒して呉れはるんやろ。』とお加代は言ひ/\立つて、台所から燗徳利を持つて来て、盃と一所に枕頭へ置き、『あんまり余計飲んでも可かんやろが、ちいとづゝ、ちよい/\飲みなはれや。‥‥けど、お医者が来た時はかくしとかんとわるいやろ。』と、眼をくしや/\さした。
 さう思つて見ると、少し膨れてゐて、妊娠四ケ月ぐらゐらしいこの人のお腹が、桃丸は急に気にかゝつて、お縫さんの痛ましく美しい最(ママ)と思ひ合はせ、たねれぬ腹の子から、自分の家にも何か大きな騒動が猛獣の如く歩み寄つてゐるのではあるまいかと、心配に堪へられなくなつた。

 少しづゝ酒を飲んだせいでもあつたらうか。桃丸の病は思ひの外に早く恢復期に向つた。
 一の檀家の国松はもとより、節用集も役場の手合てあひも、皆伝染を恐れて見舞になかつたが、十吉と三荘とは毎日のやうに来て、
『えらいことをしなはるなア、そらいきまへんで、この大病で、しかも腹がわるいのに、冷酒ひやざけ飲むなんて、‥‥』と、叱るやうに言つた。
 けれども、桃丸は盃に一口ひとくち酒を飲むたびに、病神やまいがみが一すんづゝ追ひ立てられて行くやうながしてならなかつた。

 幾度かこだはりのあつた末に、村の避病院は、到頭村会の決議を経て、光格寺と川をへだつたむかふがはの、小山の上に建てられることになつた。
 桃丸は病の枕に、避病院を建てる大工ののみと槌との音を聞いてゐたが、其の棟の上る頃には、桃丸の枕も上つた。さうして村中むらぢうにはもう悪い病の患者は一人もなくなつて、赤く熟した柿の実が、高い梢に花の如く美しかつた。
んの病気も癒りましたよつて、‥‥』と、お加代は始終羽織の袖にお腹を掩ひ隠して、一時実家さとの方へ帰つてゐたいと言ひ出した。何も知らぬ紅香べにかは、
阿母おかあさん、いつまでも此処にまへう。‥‥』と、泣き声を出した。
 節用集は立て腐れにならうとする避病院の留守番に住み込んで、窓から光格寺の庫裡を眺めながら、桃丸の姿を見出みいだすと、しきりと鉄砲を打つ真似をしたり、弓を引く恰好をして見せたりした。(完)



     *『中央公論』第三二年(巻)第八号(大正六年七月十五日発行)による。
     *本文の整備には、杉山美和(岐阜大学教育学部四年)の協力を得ました。
     *なお上備があるかと思います。ご指摘くだされば幸いです。