そんなことが! 
節用集も、人が作るものですからミスもあります。故意すらあるかも。
節用集版、珍プレー集。
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◆欠陥商品? 先駆者の懊悩?
 左図は草書本『節用集』。「節用集・伊・乾坤」のように文字の周囲に墨を乗せる(文字を彫りとる)のを陰刻と言い、文字に墨を乗せる(文字部分を彫りのこす)のを陽刻と言います。

 近世節用集の祖・易林本節用集の原刻本はすべて陽刻でした。さすがに所持してませんので示せませんが、左図にマウスを持っていくと擬似的に体験できます。

 すっきりしますが、イロハや意義分類は目印なんだから、一見して分かった方が便利なはずです。全部を陽刻にすると、目印部分か辞書本文か、見きわめが面倒ですね。

草書本+陽刻化+加朱=疑似天理図書館本

 実際、現存する四本の原刻本は、イロハや意義分類を目立たせる工夫が手書きでなされているそうです(安田章氏)。天理図書館本の例を草書本に適用すると左図のようです。

 原刻本は、写本と同じ感覚ですべて陽刻にした、ところが思った以上に使いにくい、意義分類(例:乾坤)なぞ、小さな字なので目印なのか注なのか分からない……

 そこに気づいて改めたのが平井版などの易林本なのでしょう(筑波大学蔵本)。これなら、白黒二色刷りでも分かりやすい。これ以降の近世節用集では、目印項目を陰刻表示することが引き継がれていきました。
 *ただし、古本節用集にも目印の工夫をほどこしたものはありました。

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◆これはミスでしょう

架蔵の『大全早引節用集』文化2年版。6丁目が7枚もあります!

 初めて気づいたとき、めくってもめくっても同じ丁なので、「ああ、いま、夢を見てるんだな」と思ったことでした。

 刷った用紙に折り目をつけ、各丁ごとに「山」にします。複数の山から順次1丁(1枚)ずつとって1冊にするのですが……

 そのとき、意識せずに順次1枚ずつ取るのでしょうが、頭で「1・2・3……」と数えて順序を確かめながら取ることもありそうです。それが何かの拍子で枚数にすりかわり、6丁めをさらに6枚取ってしまった。あるいは「次は7丁目だね」と思いながら7枚取ったのかもしれません。一種の「時蕎麦」(招笑亭さん)です。

 逆に6丁めが欠けている本に出会わないかなとちょっとだけ期待しています。なお、製本の仕方は黄表紙『的中地本問屋』(東京都立図書館)にも描かれています。

部分的に拡大しました
 表示法は、漢字字典の一つ、 倭玉篇にそっくりです。書名の「字彙」も漢字字典の名前です。

◆一つの究極?

『字彙節用悉皆蔵』(文化8・1811年再版本)。付録も多い本ですが、たくさんの読みを併記するのも特徴です。

○漢字の形を知るのが節用集で、漢字の意味・読みを知るのが漢字字典。正反対の辞書の融合…… 「来るところまで来た」姿かもしれません。

○しかし、熟語(例:陰陽)のあいだにも読みが示されるので見づらいですね。どこまでが当該の見出しで、どこからが次の見出しなのか、はっきりしません。ここまで来ると、いかに目新しさを出すかで頭をひねったかを、ただただしのぶばかりです。

◆なんじゃ、こりゃ?!

『いろは字引節用集』(寛政元・1789年刊)。一見、現代の3段組ですが……

 上段には大きく「て」、中段には「字の繰出し様」とあって使用法の説明、下段は「か」ではじまる「格式」などが見える…… 一枚の面なのに、内容は飛び飛びになっています。なぜ??

 実は、本文全体を初め・中ほど・終わりに3等分し、それぞれを中段・下段・上段に配したのです。ある丁の上段の続きは、中段ではなく、次の丁の上段になります。上中下それぞれに記事が展開します。

 しかしなぜこんなことになったのか。

 まず1枚ずつ刷っていき、変則3段組のまま順序よく重ねて仮綴じします。これを横長に3っつに裁断し、順序よく積みあげて1冊できあがり(左図参照)。はみだした余白は綺麗に裁ち直します(化粧立ち)。これが当時の「三つ切り」と呼ばれる判型の製本法(の一つ)だったのでしょう。

 本当はそのようにするはずのものを、三つに切らなかったのが上の図版なのでしょう。はじめて手にしたときは極度に混乱しました。まさか、こんなものまであるとは思わなかったものですから。

 書名は『いろは字引節用集』ですが、実は他の本と合冊されていて全体の名は『錦嚢万家節用宝』。上に「寛政元年刊」と記したのも合冊本の刊行年です。本来の姿、すなわち3っつに裁断された横長本は『急用間合即座引』(天明6年再版)の名で売られていました。んん、何だかパズルような作り方ですね。


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