卒論を書くとは「調べてまとめる」ことではない!(論文なら主張しろ!)

2010年2月14日 内田勝


「あるテーマについて、調べてまとめる」のが卒論だと思っている人がけっこう多いですが、それは違います。「あるテーマについて、何らかの主張を補強するために、調べてまとめる」のが卒論です。

卒論やレポートなど広い意味での「論文」とは、あるテーマについて、著者が「私はこう思う」「私はこう考える」という主張を行う文章です。自分の見解を明確に表明し、読者を説得するための文章です。

確かに論文において著者が自分の主張に説得力を持たせるためには、そのテーマについて「調べてまとめる」作業は必要です。しかし「調べてまとめる」のは、主張を補強するための手段であって、決してそれ自体が目的ではありません。そのことが分かっていない人が、多いのです。

なお、著者の主張や見解は、それほど独創的なものである必要はありません。「このテーマに詳しい研究者の××がこう言っているのは正しいと私は思う」といったものでもいいのです。

たとえそんなふうに他人の主張を追認するだけの主張であってもいいので、論文には必ず何らかの「主張」が必要です。「主張」がないと、論文を論文として成り立たせる「論旨」(論理の筋道)が存在できないからです。「論旨」が存在しない文章は、「何が言いたいのか分からない文章」に他なりません。

教員として学生のみなさんのレポートや卒論草稿を読んでいると、著者がそのテーマについて自分でも何を主張したいのか分からないまま、そのテーマに詳しい人の文章をだらだらと引き写している原稿が多いのです。読者としては筆者が何を言いたいのか分からないまま、いたずらにそのテーマに対する細々とした知識だけを大量に提供されることになります。

みなさんが卒業後に何か調べ物をするとき、「何が言いたいのか分からないまま調べてまとめる」という作業をすることはごくまれです。おそらくそんな気楽な作業は、自分の道楽として興味のおもむくままに調べ物をする場合のみと言っていいでしょう。仕事で調べ物をする場合、それはほぼ確実に「何らかの主張を補強するための調べ物」です。ある事業を中止した方がいいか継続した方がいいか、あるいは現在抱えている問題に対してどのような対抗策を取ればいいか、そういう重大な決断を下す根拠として、調べ物が必要になるのです。

卒論の執筆作業は、間接的にはそういう「仕事上の調べ物」を効率的に行う能力の訓練になっています。だからこそ卒論では、「あるテーマについて何らかの主張を補強するために調べてまとめる」という作業を心がける必要があります。たとえ執筆開始の段階では自分でも何が言いたいのか分からないとしても、完成した段階では明確な主張を表明するものになっていなければいけません。むしろ、「明確な主張」を発見するために書くのだ、という言い方もできるかもしれません。
(c)内田勝(uchida.masaru.m7@f.gifu-u.ac.jp) 更新日: 2015-4-13

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