引用の作法について
2007年10月4日 内田勝
人文科学のレポート・卒論において他人の文章を引用する必要があるのは、大きく分けて次の二つの場合です。
(1)自分の言葉に権威づけをして、情報が正確であることを主張したい場合。「私がここに書いたことは、専門家の××さんが言ってることですから、本当ですよ」ってな感じで。
(2)他人の興味深い意見を紹介したい場合。「ほんとかどうか知らないけど、こんな面白いこと言ってる人がいますよ」ってな感じで。
(1)のように「権威づけ」のための引用をする場合の鉄則は、できる限り信頼性の高い資料を選べ、です。匿名の個人サイトの文章と専門書の文章が選べるなら、もちろん後者を選ぶべきです。匿名の個人サイトに参考資料として専門書が挙げてあるのなら、その専門書を探してきてそこから引用・参照を行なうべきです。
ここでウィキペディアについて考えてみましょう。ウィキペディアでは、誰でも——あなたも、私も——匿名で記事を執筆できるし、すでに書かれた記事を書き換えることも簡単にできます。わざと嘘を書くことだって簡単です。多くの人の目に触れる記事なら誰かが直すでしょうが、当該分野に詳しい人があまり見ないような記事だと、嘘がいつまでも残ってしまったりします。そういう性質を考えるとき、ウィキペディアの信頼性というのは、匿名の個人サイトと同じレベルだと見なさなければなりません。記事によっては非常に充実した良質なものもありますが、本質的には信頼性の低いサイトなのです。
私は卒論などの学術論文でウィキペディアを引用するのがいけないとは思いません。(2)の「他人の興味深い意見を紹介する」タイプの引用の場合、大いに活用できると思います。もちろんこの(2)の場合は、匿名サイトであろうがブログであろうが使いたいだけ使ってかまわないと思います。また(1)の「権威づけ」の場合でも、たとえば「めったに上映されない戦前の外国アニメ作品のあらすじ」なんていう、他ではどうしても手に入らない情報がウィキペディアで手に入るのであれば、信頼性が低いことは分かったうえでウィキペディアに頼るしかないこともあると思います。
さて、引用をした以上は、必ず出典を明記しなければなりません。しかしブログにせよウィキペディアにせよ、出典が明示されないままの他人の文章の引き写しは、今のインターネットにあふれています。いけないことなのですが、おそらく大多数の人はそのことに罪悪感を感じていないのだと思います。
われわれは、きれいな活字体の文字で書かれた文章を見ると、そこに書かれた内容が「普遍的な真実」であるかのように誤解しがちです。「地球は太陽の周りを回っている」とか「水の沸点は摂氏100度である」とかいった普遍的な真実なら、人類の共有財産みたいなものですから、自分の文章にそのまま組み込んでも何の問題もないはずで、われわれはついつい「他人の意見」を「普遍的な真実」と誤解して、そのまま引き写してしまうのだろうと思います。
たとえば百科事典に「レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェの近郊ヴィンチ村で1452年4月15日に生まれた」といった記載があったとして、それはおそらく専門家の間で認められた「普遍的な真実」と見ていいものでしょうから、そのまま自分の文章の中に引き写してもかまわないのかもしれません。
しかしダ・ヴィンチの作品「モナリザ」について「穏やかな視線と内省的な表情、豊かな胸や両手のしぐさには、人間が宿す奥深い知性と感性、そして不思議な官能の表現がみられる」(上平貢「モナ・リザ」『日本大百科全書』電子ブック、小学館、1996年)といった記載があれば、これはもう誰か個人の意見ですね。みんなが同じように思うわけじゃないし、同じ絵を見て「邪悪な薄笑いを浮かべた傲岸不遜な表情が、人類全体への悪魔的な軽蔑を表している」と思う人だっているかもしれないですからね。こうなると、たとえ百科事典の記事であっても出典を表記する必要が出てきます。
出典を明記する必要性は、「あなたに文章をパクられた側の人があなたの文章を見たときの気持ち」を想像すれば、理解しやすいと思います。「これ、ほんとはこいつじゃなくて俺が考えたことなんだけどなあ……」という悔しさを想像できれば、どういう場合に出典を明記しなければいけないかは自ずと明らかになるはずです。
もちろん、あなたが参考にした文章の著者が実際にあなたのレポートや卒論を目にする可能性はまずないわけですが、卒論・レポートは学問的な文章を書くための訓練なのですから、学問のルールに従う必要があります。「他人の意見を紹介するときは必ず出典を明記する」というのは、人文科学のみならず学問の基本ルールの一つです。
文学・文化研究などの人文科学は、「普遍的な真実」より「誰かの意見」を扱うことのほうが格段に多い学問分野です。基本的には「〜についてAさんは…と考えBさんは…と考えている。しかし私は…という根拠から…と考える」といった構成で研究論文が書かれる分野です。だからこそなおさら、レポートや卒論を書く際には「自分の意見」と「他人の意見」とを明確に区別する必要があるのです。
(c)内田勝(uchida.masaru.m7@f.gifu-u.ac.jp) 更新日: 2015-4-13
「内田セミナー(文学・文化研究)関係資料」へ戻る