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タ イ ト ル 更新年月日 タ イ ト ル 更新年月日
 食糧安保と石油 2002/01/04  生ビールの友・エダマメの将来 2002/06/03
 カーネーションの価格 2002/01/19  ディズニーランドの不思議 2002/06/17
 小学校の給食と農産物の輸入 2002/01/25  新たなバラの楽しみ方 2002/06/27
 スーパーの食料品店のようなガーデンセンター 2002/01/31  マイナスイオンを発生するサンスベリアの功罪 2002/06/30
 園芸店は農産物展示即売所 2002/02/06  オランダの国際花き戦略 2002/07/08
 チョット高級な園芸店 2002/02/14  「サービス業としての農業」のすすめ 2002/07/19
 消費者は、欲しいものが買えない! 2002/02/27  バラの香り 2002/07/27
 寒冷地農業の利点 2002/03/11  農家の自家用野菜は無農薬 2002/09/18
 日本の農業に未来はあるか 2002/05/08  農業のブーメラン現象 2002/09/23
 静岡メロンと夕張メロン 2002/05/13  人生のヨロコビ 2002/10/07
 花を楽しむ心の胃袋は無限 2002/05/24  バージンパルプとリサイクルペーパー 2002/10/21
 輸入野菜の変化 2002/05/30  農業は商品提供産業 2002/11/16
 商社の無責任が日本の悪評をもたらす? 2002/06/03    


★農業は商品提供産業(2002/11/16)

 農産物は「商品」か「原材料」か、の論議をよく耳にします。私は、少なくとも園芸農産物は商品であると考えています。しかし、原材料としか思えないものも多くあるのも事実です。商品にはそれ自身が持っている「商品としての魅力」があるはずですが、それを追求していない園芸生産農家がいます。原材料であれば「価格は安い方がよい」という論理が働き、商品であれば「商品の魅力に等価価値があれば価格は関係ない」という論理が働きます。例えば、パソコンの中には数多くの部品(原材料)がありますが、その中のIntel社のPentium4プロセッサーはLSIでありパソコンの中の部品(原材料)の1つです。しかし、Intel CeleronプロセッサやAMD Duronプロセッサが入ったパソコンは「安いけれども何か機能が悪いような気持ち」になってしまいます。すなわち、「Intel社のPentium4プロセッサー」は原材料ではなく商品として認知されているということができます。
 赤いバラは、フラワーアレンジメントや盛り花の素材ということができます。しかし、『岐阜県が生み出した「ロゼビアン」はフランス語の「赤(ロゼ)」と「最高の(ヴィアン)」を表す名前で「最高の赤いバラ」という意味です。花持ちがよく、切花で長く楽しめ、最後まで開花します』と言われると「少々高くても買ってみようかな」という気持ちにさせてくれます。同じように、これから園芸店に並ぶシクラメンは定番商品ですが、赤やピンクのシクラメンの価格は素人には基準が判らず、ついつい高値と安値の中間程度のものを買ってしまいます。しかし、淡いピンクのシクラメンの名前が「ショパン」と聞かされて、この他にも「バッハ」や「シューベルト」といった作曲家の名前のシクラメンを見せられると、何故かしら高級品に見えてきて、少々値段が高くても「ショパン」を買ってみようかという気持ちにさせてくれます。
 商品には「魅力」が無くてはいけないし、それに関わる情報を提供し、宣伝をしないと商品とは言えないでしょう。バラの花1本1本に簡単に取り外せるタックを付けて、品種の由来やこだわりの栽培方法、家庭での楽しみ方などが掲載されている生産者のホームページアドレスを書いてみてはいかがでしょうか。100円の「のど飴」にも会社の住所、電話番号、ホームページアドレスが印刷されています。花屋さんで買う1本200円のバラに、せめてホームページアドレス程度の情報を付けることは必要ではないでしょうか。そうでないと「原材料」としてのバラ生産の土俵で、低価格の中国産のバラと価格競争をすることになってしまいます。国内のバラ生産農家はこの価格競争に勝てる自信がありますか?


★バージンパルプとリサイクルペーパー(2002/10/21)

 10年程前に小学校のPTA役員をしていたときに、PTA活動の収入源として廃品回収をすすめるために「再生紙に対する消費宣伝」を行いました。その時は再生紙の普及率も低く、「再生紙は品質も悪く、値段も高いので、とても使う気になれない」という意見が大半を占め、困った記憶があります。
 現在の状況は、トイレットペーパー(12ロール)の通常販売価格は、バージンパルプ製品498円に対して古紙リサイクル製品は298円となっており、古紙リサイクル製品は、バージンパルプ製品の約6割の価格になっています。スーパーなどの売り場面積はバージンパルプ製品と古紙リサイクル製品の割合が半々で、恐らくこれが古紙リサイクル製品のシェアーを表しているのではないでしょうか。あるアンケート調査では、バージンパルプ製品を選択する人の理由は、60%が品質の良さを挙げているのに対して、古紙リサイクル製品を選択する人の60%が環境に対する問題を挙げているそうです。バージンパルプ製品に比べて古紙リサイクル製品の価格が安いにもかかわらず、価格が大きな選択基準になっていないことにビックリしました。この10年間にある程度の価値観の転換が始まったようです。
 さて農業問題に目を移した場合、「見栄えの良さ(品質)」を追求して農薬を使用する生産農家と「人体や環境に対する影響を考えて有機・減農薬栽培」に取り組む生産農家がいます。現状では10年前の再生紙の評価と同様に「有機・減農薬農産物は値段が高く、見た目(品質)も悪いので、とても買う気になれない」という評価が大半でしょう。環境問題先進国のドイツでも有機農産物の普及率は農産物全体の3〜5%とのことでした(ドイツの有機農産物生産会社「Engemann」「Goettingen」の青空市場)。しかし、トイレットペーパーやティッシュペーパーは日用品で、古紙リサイクル製品の選択基準として環境問題に対する意識が価格を上回っていることを見ると、農産物に対しても近い将来同様な「価値観の転換」が始まると考えることができるのではないでしょうか。


★人生のヨロコビ(2002/10/07)

 私が愛読しているビックコミックオリジナルの黄昏流星群という漫画のなかで、熟年の男性が調理学校に通って料理に目覚めたときの言葉です。「料理の楽しみは自分の作ったものを他人(ひと)が感動して食べてくれるということ。誰かの役に立つということが大きな喜び。企業で働いていると、そんな根本的なことすら判らないまま、仕事に追われる。」
 私もサラリーマンの1人として、いたく心に響きました。金のために働いているとは思っていませんでしたが、毎日の業務の中に埋もれ、商品(大学では学生?)が作られていくのを仕事としてこなしていく。仕事を卒なく的確にこなして毎日が過ぎていき、それが評価されていると思いこんでいたかもしれません。ついつい頭の中から「誰かの役に立つことが大きな喜び」という観念が消えてしまい、会社の論理が先走って、最後には社会で本当に必要な倫理観すら見えなくなってしまう。
 私ももう一度「人生のヨロコビ」という原点に戻って、これからの自分の人生を考えてみようと思います。教育者として、研究者として、大学人としての本当のヨロコビを味わえるような人生設計を立ててみようと思います。
 大きすぎる夢かもしれませんが、園芸に携わっている人間として「日本の園芸、いや世界の中での日本の園芸がどうあるべきか」を『熱き思い』を込めて考えてみたいと思います。


★農業のブーメラン現象(2002/09/23)

 農水省の方々との中で出てきた話です。日本はJICA(国際協力事業団)をはじめ国、都道府県、民間など様々な方法で開発途上国に対して農業技術指導を行ってきています。その中で、近年の中国に代表されるように、支援対象国の農業技術が発達し始めた結果、支援対象国からの農業生産物が日本に輸出され始め、国内の農業を圧迫し始めている現象(これをブーメラン現象と呼ぶそうです)が起きています。これに対して、国際農業技術支援事業を中止しようとする動きが出ているとのことです。実際に「中国や中南米の諸国に技術指導に出かけた技術者を急遽呼び戻す」といったことが起きているとのことでした。
 確かに国内の農業を保護することは大切なことであると考えていますが、この問題と国際的な農業技術援助を中止することとは別の次元の問題ではないかと感じます。これまで日本が歩んできた道を振り返ると、資源小国の日本が現在のような先進国の仲間に入ることができた理由として、工業界を始めとしてアメリカやヨーロッパなどからの様々な技術支援があったからではないかと考えます。同様に日本の施設園芸の発達にはヨーロッパやアメリカで開発された技術が大いに貢献しています。現在、岐阜大学にもアジアやアフリカ各地からの多くの留学生が学んでおり、今後も増加する傾向を見せています。
 日本が国際的な関係の中でどのような役割を持つ必要があるかを考えたとき、目の前のデメリットに目を奪われて国際関係の中で孤立する道を選ぶのか、国内の産業基盤を立て直すことから始めて国際的協調路線を選択するのかという重要な岐路にさしかかっているのではないかと感じます。今の花生産業界では、「10年以内に1/4程度の生産農家がつぶれる淘汰の時代に入る」といわれており、「残った生産農家は規模拡大をして国際的競争力を持つようになる」といわれています。護送船団方式で、「すべての農家が生き残れる時代」は終わったと考えています。


★農家の自家用野菜は無農薬(2002/09/18)

 朝日新聞の9/7の夕刊地方版の投書欄に載った内容です。『「農家は自分たちの食べる野菜は無農薬で栽培し、出荷する野菜には農薬をいっぱい使っている」とのうわさ話でもちきりだ。こんな「自分さえよければ」という理屈は許されない。ただのうわさ話ならいいが、本当なら不安でたまらない。』
 この話は私も聞いたことがあります。実際に、このうわさを逆手にとって「安全な農家の自家消費野菜を直販で販売」といったキャッチフレーズで客寄せしている農産物直販所もみたことがあります。いったい農業者は産業従事者としてどのような倫理観を持っているのでしょうか。このようなことが新聞の投書欄に載ること自体が、産業としての日本の農業を滅ぼすことになることに気が付かないのでしょうか。産業としての農業のお客さんは消費者であり、消費者が不安を感じていることを逆手に取った農産物直売所があること自体も問題ではないでしょうか。「消費者の信頼と的確なニーズ」に答えることが、これからの農業に望まれていることだと考えます。自社の利益のみを追求して農水省の狂牛病対策費を食い物にした食品会社と、「産業に従事するものとしての倫理観の欠如」という観点から同じ次元ではないでしょうか。
 このようなうわさが蔓延すると、本当の意味で真面目に無農薬に取り組んでいる中国の野菜生産会社が日本の消費者の心をつかんで輸出を始め、日本国内での農業が崩壊することになるのではないかと危惧しています。中国での緑色植物(有機栽培の意味)、無公害野菜(無農薬の意味)は素晴らしい技術集積を行っていることを実際に見てきた者として感じます。  『中国の有機栽培』


★バラの香り (2002/07/27)

 切りバラ生産者との会話です。バラの将来を語るなかで、バラの香りが話題となりました。「バラの香りはない方がよい」という主張でした。その理由として、@香りが強いと花屋さんで他の花の香りと混在して好ましくない、A欧米人に比べて日本人は香りに対して好意的ではない、Bバラはあくまでも花の形を主張するべきで副次的なものに頼るのは邪道である、といったものでした。
 @については、生花店の現状をみると、異なる強い香りの花がたくさんある場合には確かに好ましくない状況を招くことはあると思います。しかし、生花店に香りのあるバラの高い商品性を伝え、新しいジャンルを開拓して、香りのある花の売り方を新たに考えれば問題とはならないでしょう。Aについては、欧米人との比較では確かに当たっているでしょう。しかし、日本人が必ずしも香りに否定的であるとはいえず、バラを楽しむ人たちは必ずといって良いほど花に顔を近づけて香りを確認します。このような光景はバラ園に行くとよく見かける光景ではないでしょうか。Bについては、バラの新たな楽しみを開拓することでバラの需要を拡大し、バラ産業を発展させることができると考えます。バラがなかなか売れないという状況で、現状を維持し守ろうとする姿勢は必ずしもバラの明るい将来をもたらすものではないと考えます。
 現状の問題点を挙げて変化を否定するのではなく、積極的に問題点を解決する方策を考える姿勢を持つことが、産業を将来的に発展させることに繋がるのではないでしょうか。
 以前、中国野菜が導入された頃に、「日本人は野菜に対して保守的で、中国野菜は日本人には受け入れられない」といった意見に反して、料理研究家(料理専門学校など)と協力して中国野菜の食べ方をPRすることで、一気にブームを巻き起こして定着した事例もあります。前向きな気持ちを持って取り組む姿勢を維持し続けることが大切ではないかと考えます。


★「サービス業としての農業」のすすめ (2002/07/19)

 近郊農業の定義は「都市近郊で農業を営み新鮮な農産物を供給するための農業」ということができますが、2種類の形態があります。1つは都市の市場に生産者が出荷する形態と、都市住民が生産地を訪れて購入する形態です。都市の市場に生産者が出荷する形態は園芸農業の延長線上にあり、交通手段が発達したことに伴う園芸農業から近郊農業への変化を支えてきた農業形態です。これに対して都市住民が生産地を訪問して購入する形態は、いわゆる「産地直売」であり、新鮮な農産物を購入するだけではとどまらない+αを都市住民が要求していることを示しています。
 「産地直売」で客が来てくれる意義は何があるかを考えてみると、@生産地を見ることによる生産過程に対する安心感、A農業者とのふれあい、を挙げることができます。
 50年前の日本人口のほとんどは農業者でした。近代工業の発達によって農業人口が減少し、工業勤労者へと変化していきました。田植機やコンバインは誰のために作られたか?というと、実は農業の発展のためではなく、農業の機械化によって余剰労働人口を生み出し、工場生産労働者を確保するための政策だったということができます。実はこれが以前の農業基本法の主旨であり、工業成長が頭打ちとなってきたことによって農業政策を変更せざるを得なくなって、新農業基本法が新たに制定されたという歴史があります。
 それはさておいて、日本人の心の原点はやはり「農村」であり、農業へのあこがれが「市民農園」や「家庭菜園」、「ガーデニング」、「プランター園芸」、最近では「キッチンガーデン」や「サラダガーデン」等というものまででてくるようになりました。
 いずれも共通点は「土に親しむ」ことであり、「擬似農業体験」「ふるさと回帰の農村体験」ということが出来ると思います。すなわち、産地直売型の農産物販売は都市住民が農業(あるいは農村)を少し味わうために、そして新鮮な農産物を「副産物」として購入するために生産地を訪れる、といえます。一種の『サービス業としての農業』という農業形態が新たな農業の方向として見えてくるのではないでしょうか。
 当然「サービス業としての農業」ですから、生産農家の論理で生産することが成功に結びつかないことは当然のことです。「サービス業」ですから、来てくれるお客さんのニーズを理解し、提供することが成功の鍵であると思います。お客さんのニーズを無視した経営が失敗を招く例を「スナックとカラオケ(2001/12/11)」で以前紹介しました。『産地直売』での成功をもくろんでいる生産者の皆さん、消費者の気持ちの判る「サービス業としての農業」を考えてみませんか。消費者の信頼を得れば、リピーターとして何度も購入してくれますし、少々価格が高くても喜んで購入してくれるのではないでしょうか。


★オランダの国際花き戦略 (2002/07/08)

 オランダ農業・水産・自然管理省の方からオランダの将来の花き園芸の将来像についてお話を聞くことができました。
 「5年後の将来像」です。私がオランダのバラ生産会社「Fukui Flora International」の社長だったとしましょう。私の妹は「Fukui Flora International」のスペイン農場の農場長です。私の従兄は「Fukui Flora International」のケニア農場の農場長です。オランダ本社農場、スペイン農場、ケニア農場ともに、いずれも「Fukui Flora International」の農場です。スペイン農場やケニア農場からバラがFukui Flora International本社に『輸送』された場合、同じ会社の中の輸送ですから一般の『輸入』とは少々異なります。オランダ農場、スペイン農場、ケニア農場のすべてのバラはオランダに本社のある「Fukui Flora Internationalのバラ」としてアールスメール花き市場に出荷され、ヨーロッパ(EU)全土に販売されていきます。
 「10年後の将来像」です。ケニア農場からアメリカのニューヨークに切りバラが輸出されます。しかし、伝票はオランダのFukui Flora International本社を経由しますので、商品は「オランダのFukui Flora Internationalのバラ」として取り扱われ、代金の決済はオランダの本社を通じて行われます。
 オランダはアフリカやイスラエルなどからの切花輸出攻勢を受けて切花価格の低下を招き、大変厳しい状況をむかえています。これを打開する手段として、@オランダでの育種の推進(オランダからの新品種の発信:品種の差別化)、A品質向上による差別化、B生産会社の国際化、を挙げてきています。この10年間にバラの育種会社は11社に達し(世界のバラ育種会社の半数を占める)、「オランダのバラ」は「ヨーロッパのバラの代名詞」になろうとしています。同様にオランダの切りバラ品質は近年格段に向上してきており、2002年6月に訪問したアールスメール花き市場でのオランダ産の切りバラ価格はアフリカ産の2倍で取り引きされています(オランダCultra社の紹介)。このようにオランダは「高付加価値戦略」と「生産会社の国際化」で後進国からの切りバラ輸出戦略に対抗しようと考えているようです。
 日本のバラの価格が韓国やインド、中国の輸出によって急激に低下し始めていますが、オランダのようなそれに対抗するための長期戦略を聞いたことがありません。このままの状況が進めば、コロンビアやエクアドルに駆逐されてしまった「アメリカのバラ産業」の二の舞を演ずることになるでしょう。『アジアの中の日本』という意識を持つことが日本のバラ産業を発展させる一つの方向であると思います。


★マイナスイオンを発生するサンスベリアの功罪 (2002/06/30)

 2002年1月27日の「発掘!あるある大辞典」で、サンスベリアがマイナスイオンを大量に発生させ空気清浄効果が高いと放映されて、一気に消費者の関心が高まり、観葉植物のなかでは地味な部類に入るサンスベリアが一躍脚光を浴びました。岐阜県内の大手サンスベリア生産者「澤部農園」でもひっきりなしに注文の電話がかかり、対応に大変だったとのことです。この1大ブームのお陰で国内のサンスベリアが消えたといわれており、現在は中国、タイ、マレーシア、インドネシア、ブラジルなど世界各地から輸入されたサンスベリアが販売されています。
 5月中旬にスーパーの園芸店に行ったところ、やはりサンスベリアが売られていました。お客さんが鉢につまずいてサンスベリアの鉢を倒してしまいました。すると、鉢から「根のないサンスベリア」が棒のように抜けて飛び出してしまいました。サンスベリアは気温が高くなれば、適度に水と肥料を与えるとすぐに発根して大きく生長しますが、この鉢には「育て方」も書いてありませんでした。
 鉢花物は、本来、ある程度まで生産農家が育てて商品として販売されるものと思います。需要が高いからといって、育て方も示さずに輸入したものを鉢に植えてそのまま販売することは、消費者の立場を中心に考えるべき花き園芸業界にとって大きな問題と考えます。このようなサンスベリアを購入した消費者は、もう二度とサンスベリアを買うことはないかもしれません。いや、観葉植物を買うことを躊躇することになるかもしれません。一時的なブームに踊らされて、消費者の立場からの商品提供を忘れた結果、業界自体の将来の発展の道を閉ざしてしまうことは、「ガーデニングブーム」で懲りたのではなかったのでしょうか。お客さんである消費者からの反感が怖い!と感じた光景でした。


★新たなバラの楽しみ方 (2002/06/27)

 バラの育種の歴史は4000年以上前にさかのぼるといわれています。しかし、現代バラの改良に使われた原種は7種と少なく、現代バラは近親交配による末期症状に近づいているといわれています。確かに毎年新しく数十品種が登録されていますが、どこかでみたことのあるものばかりで新品種と感じるものは意外と少ないものです。
 最近になって、イングリッシュローズのような「オールドローズタイプ」のバラや「スプレーバラ」に加えて、丸弁や単弁のバラが出てきたのですが、やはり美しいバラの代名詞は「高芯剣弁」ということになるようです。
 近年の景気後退の影響でバラの価格が低迷し、バラの生産農家の所得も低下しています。加えて韓国やインド、最近は中国からも切りバラが輸入されるようになり、国内のバラ農家の状況は極めて厳しい状況となっています。需給バランスから、供給量が増加すれば需要が増大しない限り価格は低迷します。
 発想を切り替えて、新しいバラの需要を開拓する試みはいかがでしょう。
@トゲを楽しむバラ: 野生種のRosa pimpinellifoliaは葉の緑と対照的な数pの真紅の大きな刺を持ち、トゲを観賞するバラとして適しています。花を着けない切枝出荷が可能です。
Aトゲを利用するバラ: ハマナス(Rosa rugosa)は初夏から秋まで開花する周年開花性を持っていますが、恐ろしく沢山のトゲがあります。ハマナスが植わっている所には誰も足を踏み入れたいとは思いません。これを利用して、道路の中央分離帯や公園と道路の境界などにハマナスを植えれば、花も楽しめて、無骨な柵で仕切るよりオシャレではないでしょうか。公共緑化としての利用が広がります。
B実を楽しむバラ: バラの果実の形は丸型、ヒョウタン型、扁平型など様々で、色も朱赤、オレンジ、黄、黒など多様です。秋から冬にかけて果実の形や色を愛でるバラの楽しみ方があります。実付きのバラの切枝の出荷も面白いと思います。バラ の果実はビタミンCを豊富に含み、その量はレモンの10倍とも20倍とも言われています。庭で楽しむ場合には、ジャムを作って食用にする楽しみもあります。
C葉色を楽しむバラ: 野生のバラは初夏に1回しか開花しない1季咲のものが多くあります。しかし、「葉の斑入り」を楽しめば、庭での鑑賞価値が増します。花のみに気をとられると「斑入り」は邪道ですが、最初から「斑入りの植物」としての価値観を見いだすバラがあっても良いと思います。銅葉のバラに白い花が咲いたら綺麗でしょうねえ。紅葉が綺麗なバラもあります。
D風にそよぐバラ: バラは高芯剣弁で茎がしっかり立っていることが基本です。しかし、コスモスのような「風にそよぐバラ」があっても良いと思いませんか。「スプレーウィット」などはこれにかなり近いバラだと思います。
Eドライフラワー専用のバラ: バラはドライフラワーに良く使われる花です。しかし、ドライフラワーにすると褐色が混じって色が悪くなります。ドライフラワーにしても色が悪くならず、生花の色がそのまま表現される特性を持った「ドライフラワー専用のバラ品種」があっても良いと思いませんか。


★ディズニーランドの不思議 (2002/06/17)

 ディズニーランドは年々入場者数を増やし、2000年度は1730万人の入場者を記録し、2001年度はTDL(東京ディズニーランド)とTDS(東京ディズニーシー)を合わせて2200万人の入場者だったそうです。赤ちゃんから老人まで含めた1億2千万人の日本人の5.5人に1人の割合でディズニーランドを訪れたことになります。全国のテーマパークの中で「一人勝ち」の状態です。データによると、驚くべきことに2000年の入場者の97.3%が2回以上の来園者(リピーター)で、そのうち30回以上の来園者の割合は16%にのぼるそうです。確かに3年前に家族でディズニーランドに行きましたが、私の子供達は『今年ももう一度行きたい』と言っています。無骨な私には判らない魅力があるのでしょう。来場者のニーズを的確につかみ、毎年100億円を投資して新たなアトラクションを追加しているとのことです。
 バブル期に色々なテーマパークが全国各地にできましたが、そのほとんどが経営に苦しみ、幾つかが既に閉鎖をしました。多くのテーマパークでの入場者増加対策として、「旅行業者との提携」や「TVなどでのコマーシャル」に力を入れているようですが、なかなか成果が現れてこない状況です。一度来園したお客さんが『もう一度行ってみたいと感じる魅力』が不足しているのでしょう。
 さて園芸業界全体を見回すと、消費の低迷や低価格安定と不況の真っ直中にいますが、テーマパーク業界と同じような現象が起きているようです。2002/5/13のコラムに書いた「静岡メロンと夕張メロン」の話は、「旅行代理店=仲卸」、「リピータの確保=消費者の高い評価」といった類似点があるように思います。農産物は毎年継続して生産が行われるものですから、「一度限りの購買」に頼っていては生きていけません。『もう一度買いたいと感じる商品の魅力』を感じさせるための「的確な消費者ニーズの把握と戦略」がキーワードではないでしょうか。花の生産者のなかには、流行を追い求めて毎年のように作目を変える生産者がおられますが、これからの21世紀の園芸業界で生き残っていくためには、リピーターを確保する「ディズニーランドの戦略」が重要になると考えます。


★生ビールの友・エダマメの将来 (2002/06/03)

 暑くなってくるとビアガーデンで「生ビール!」という機会が増えてきます。生ビールには「取りあえずエダマメ!」でしょう。国内のエダマメの作付面積は12,800ha、収穫量は80,000t前後ですが年々減少しています。主産地は、作付面積では新潟の1,420haを筆頭に、群馬、千葉、山形、秋田となっており、収穫量では千葉、新潟、群馬、埼玉、山形の順です。東京都中央卸売市場の入荷量をみると、6月から9月の4ヶ月で年間の9割が集中し、夏の季節野菜として取引されています。地域品種も多く、山形県の「ダダチャマメ」や新潟県の「黒崎茶豆」「ゆうなよ」「1人娘」、宮城県の「青ばた」、京都の「紫ずきん」などがあります。
 エダマメは、国内生産量が減少するなかで輸入の増大によって国内供給量(国内生産量+輸入量)が増大している品目で、輸入エダマメは国内消費量の60%に達しています。また国内のエダマメ生産が季節性を示すのに対して、冷凍エダマメとしての年間安定した輸入が増加しており、農林水産政策研究所の調査によると、エダマメを取り扱っている小売業者の75%が輸入冷凍エダマメを周年販売しており、外食産業では97%が輸入冷凍エダマメを周年取り扱っています。
 生鮮エダマメとしての輸入も増加しており、2001年の国内産との価格差が1/2であったものが2002年には1/5と差が広がっています(1999〜2002年の輸入野菜と国内野菜の価格変化)。2002年2月にタイ北部を訪問した際には広大なダイズ畑があり、全量がエダマメとして日本へ輸出されるとの説明を受けました(写真:タイのエダマメ畑)
 台湾、中国、タイでのエダマメ生産は明らかな開発輸入であり、このような状況は近い将来、国内のエダマメ産地に大きな問題を提起することになるでしょう。国内のエダマメ産地が生き残っていく戦略として、「居酒屋などで食べる『普通のエダマメ』との明確な区別性と差別化」を挙げることができます。輸入相手国の低人件費や広大な栽培面積を考えると価格で対抗することは不可能です。「ダダチャマメ」や「紫ずきん」に代表されるような『銘柄ブランド形成』を戦略として掲げる必要があると考えます。
 岐阜市周辺は関西市場向けのエダマメ産地ですが、収穫期が5月〜10月という特性を活かして、『5/11〜10/15に開催される長良川の鵜飼』との連携を図りながらブランド化を図る戦略をとることが出来ると思います。


★商社の無責任が日本の悪評をもたらす? (2002/06/03)

 一時騒がれた開発輸入が鳴りを潜めています。「輸入野菜の変化(2002/5/30)」のコラムに書いたように、スーパーでの輸入農産物が激減しています。
 中国山東省では日本の商社が中心となって日本国内で販売されている野菜の主力品種の種子を持ち込み、栽培や出荷調整の技術指導を行い、全量を日本向けに輸出することを前提に産地開発を行ってきました。同じような事例を2月に訪問したタイでもみることが出来ました。しかし、今年のスーパーでの野菜の販売状況をみると、セーフガードあるいは狂牛病や食肉のニセ表示の影響を受けて、産地が明記された国産野菜の評価が高まり、輸入農産物が激減しています。輸入農産物の減少は、開発輸入を持ちかけられて大量に生産を始めた中国や東南アジアで極めて大きな社会問題となってきています。ニュージーランドやオーストラリア、アメリカのように輸出を前提とした生産体制が確立している国々は、日本への輸出が減少すれば輸出先を他の国々に振り分けることが出来ますが、開発輸入のように輸入国が話を持ちかけて農産物を生産させた場合には、自国内消費や他の国への振り分けが難しく、大きな社会問題へと発展していきます。
 全量購入することを前提に委託生産した場合には、その買い取りが難しくなった場合のリスクは委託者が受けることが当然であり、販売不振を生産地にしわ寄せすることは、これまでも問題となってきていることです。消費者の輸入農産物に対する不信感という理由で平然と輸入をキャンセルする商社の倫理観は、中国や東南アジアに対する奢り以外の何ものでもないと感じます。日本が60年前にこれらの国々に対して行ってきたことを、今再び形を変えて行おうとしていることに、いささか憤りを感じざるを得ません。利益追求しか考えない自己中心的な商社の考え方は、将来に大きな遺恨を残すことになるのではないかと危惧しています。


★輸入野菜の変化 (2002/05/30)

 昨年(2001/05/22)に続いて、岐阜県および愛知県のスーパーにおける輸入野菜の現状調査を行いました。輸入相手国は、中国、アメリカ、ニュージーランドなど12カ国におよび輸入品目数は42品目でした(輸入相手国と品目数および品目名)。輸入野菜と国内産野菜の平均価格差をみると、平均で国内産が輸入品の1.9倍で、価格差が大きかったものはニンニク5.8倍、エダマメ4.6倍などがありました(輸入野菜の価格と国内産価格の比較および品目毎の輸入相手国)。トウモロコシでは4カ国、アスパラガスでは3カ国、エダマメ、オクラ、カボチャ、タマネギ、レモンでは2カ国から輸入されていました。この調査は1999年から継続しているので、この間の変化を解説します。
 輸入相手国の変化をみると(輸入相手国と品目数の変化1999〜2002)、1999年には13カ国から輸入されていたものが2001年には18カ国に増加しました。しかし2002年には12カ国と減少しました。同様に品目数をみると、1999年の57品目が2001年には65品目に増加しましたが、2002年では42品目に減少していました。この変化には、昨年吹き荒れたセーフガードの嵐に加えて、狂牛病などに端を発した消費者の海外農産物に対する不信感などが関係しているものと考えます。私自身、昨年と比べて今年のスーパーに並ぶ輸入農産物の激減を感じていましたし、調査した学生の多くが「思ったより輸入農産物が少なかった」と指摘していました。
 輸入品と国内産の価格差をみると(1999〜2002年の輸入野菜と国内野菜の価格変化)、1999年から2001年にかけて輸入と国産との格差が大きくなりましたが、2001年と2002年では平均値では差がみられず、輸入品の価格低下が収まってきたように見えます。しかし個別にみると、エダマメ、キウイーフルーツ、ゴボウ、サヤエンドウ、ショウガ、セルリー、トウモロコシ、ニンニクなどは1999年から年々格差が広がる傾向があり、再び農業団体からのセーフガードの圧力が高まる可能性が推定されます。昨年セーフガードで騒がれたシイタケやネギは昨年と価格差に変化がみられませんでした。
 調査した学生が「この不況のなか、母親はついつい安い野菜を手にするようです」と指摘しているように、価格で勝負する限り、海外からの輸入品と勝負することは難しいと思います。国内の生産農家は、『消費者の信頼』に重点をおいた戦略を考える必要があるのではないでしょうか。


★花を楽しむ心の胃袋は無限 (2002/05/24)

 梶原拓岐阜県知事の講演の要約を紹介します。平成10年7月の日本ばら切花協会通常総会での講演の一部です。『電気冷蔵庫だ、あるいはテレビだとか、かって三種の神器といわれた時代がございました。自動車もそうですが、国内販売額がほぼ頭打ちという状況で、どこの家庭でも新しいものを作っても入れる場所がない。置く場所もない。腹の方の胃袋もいっぱいになってきて、日本は一億二千万人分の胃袋しかありませんので、国内の食糧生産額も頭打ちの状況です。一方、花のように心を豊かにするもの、いうなれば心の胃袋を満足させるものはいくらあっても多すぎるということはない。私の家内も花が大好きで、沢山花を貰うときもあるんですが、そんなときに少しは誰かに分けたらどうやというふうに思うんですが、欲張りで花はなんぼあってもいいと言ってなかなか手放さないんです。なるほど花とはそういうもんかなあと思うんですが、他のものですと家に置く場所がないといって人にあげるんですが、花だけはなかなか手放さない。なるほどこれは普通のものと花とは違うんだなあというふうに理解できます』
 確かに花を楽しむ心の胃袋は無限のようにも思います。食べ物は、何かを食べれば別のものが食べられなくなり、同じパイの取り合いをしているようにも思いますが、シクラメンをもらったからポインセチアはいらないとは思いません。梶原知事が言われるように無限ともいえるでしょう。ただし、心の胃袋はすぐに贅沢を覚えます。心の胃袋は「量を満たす」ことではなく、「質を満たす」ことが要求されます。


★静岡メロンと夕張メロン (2002/05/13)

 温室メロンといえば「静岡温室メロン」といわれる程、静岡は有名なメロン産地です。静岡メロンの生産技術は門外不出で、一子相伝といわれる特殊な栽培技術が受け継がれてきました。またその流通経路は特殊で、仲卸との緊密な関係を保ちながら「クラウン印」「ダイヤ印」「クイーン印」「フジ印」などのブランドを築き上げてきました。このように静岡メロンの基盤は盤石と思われていたのですが、1991年に270億円あった静岡温室メロンの販売額が1999年は170億円にまで減少し、振興産地の「夕張メロン」に温室メロンのブランドが取って代わられ始めています。その原因として、主な静岡メロンの販売網であるデパートや果実専門店の不振、新たな販売戦略の失敗、消費宣伝不足、生産組合の力関係によるブランドの統一化の失敗などが挙げられています。
 一方、夕張メロンの戦略は、静岡メロンの青肉に対する赤肉メロンでの区別化、原種保存と品種の統一、一元集荷、共同選果、「夕張メロン」「夕張キングメロン」の商標登録、宅配のギフトや郵パック進出と全国CM放送、テレビ局にメロンを送り番組で放映、ゼリーやお酒などの関連商品の開発など、多岐にわたる消費宣伝、販売戦略を積極的に実施してきました。また、一般に「産地10年」と言われるのに対して40年近く続いてきた原因として、徹底した品質管理があります。不良品の出荷には廃棄・罰金の処分を行い、消費者からの苦情に対応する体制を整備し、不良品に対しては良品を返送しています。例えクレーム品がニセ夕張メロンであっても、本物の夕張メロンを知っていただくために夕張メロンを送っているそうです。
 消費者の顔を見ないで旧態然とした流通経路にこだわっているのではなく、直接消費者と対話する方法を夕張メロン産地は提示してくれているのではないでしょうか。産地が今後生き残っていくためには、大きな意識の改革が必要となってきています。しかし、夕張メロン産地ができたことが他の産地でも出来ないわけはないと思います。夕張メロン産地には、広大な長期販売戦略の企画・立案者がいて、それを受け入れた人達がいたということではないでしょうか。


★日本の農業に未来はあるか (2002/05/08)

 4月下旬に愛知県渥美郡の渥美農業懇話会で講演をしました。与えられた演題は「渥美の花・野菜に未来はあるか?」でした。へそ曲がりな私は、講演の最初、「未来はない!」という内容から話を始めました。
 渥美半島は戦後の日本の園芸を一貫してリードしてきた地域です。輪菊、アルストロメリア、バラなどの切花、メロン、トマト、キャベツなどの野菜、ユッカやポインセチアなどの観葉植物・鉢花物・・・。この地域が全国に誇れる園芸作物は数多くあります。全国に先駆けて、大正末期から温室園芸が発達し、全国屈指の集団施設園芸産地を形成してきました。豊川用水の水不足に対応して養液栽培を普及させ、半島特有の労働不足への対応から省力化技術を積極的に導入し、共選・共販体制の確立と大規模産地化を進めてきました。「渥美」の産地ブランドは業界人なら誰もが知るトップブランドで、市場では常に一番ゼリを確保する有力産地です。
 高度経済成長の大量消費時代には、市場を占有して大量出荷する産地は急速に成長していきました。産地の名前は市場関係者に認識されていれば充分でした。
 景気の先行きは不透明とはいいながら、日本人の大半は国際的にも中流以上を維持し、量より質を望む購買意識に変化してきた現在、今までの戦略が通用しない状況になってきています。
 渥美半島が全国屈指の産地であるにもかかわらず、消費者の渥美半島に対する認識度は高くありません。スーパーでキャベツを買っても「愛知産」のラベルはありますが、「渥美産」とは書いてありません。切花に至っては「愛知産」の文字すらありません。消費者が「渥美半島」を認識する手段すらないのが現状です。
 「消費対策=市場対策」の構図を「消費対策=消費者ニーズの把握」に大きく転換する時期に来ているのではないかと考えます。農業関係者は「消費者のニーズを把握する方法が判らない」といいますが、ファッション業界は昔からその手法を確立しています。UNI QLOが消費者ニーズを把握して急成長したことは記憶に新しいと思います。
 消費者の顔を正面から見ようとしない農業には未来はないといえるでしょう。


★寒冷地農業の利点 (2002/03/11)

 一般に寒冷地で農業を営むのは、暖地に比べて不利であるといわれています。冬は寒くて雪に閉ざされて栽培すらできない。年間の有効栽培期間は暖地の半分だとの話です。露地裁倍では確かに不利です。暖地では二毛作が可能ですし、葉菜類などでは周年生産も可能です。しかし施設園芸ではどうでしょう。
 先日、山形県の切りバラ生産者と話す機会がありました。彼らは「暖地に比べて山形は有利だ。暖地のバラ生産者は夏は暑くてバラが切れない。バラを収穫するためには秋から春まで暖房費を使わないといけない。これに対して山形では初夏から初秋まで暖房費がいらない無加温でバラが収穫できる。冬は確かに暖房費はかかるが、全くバラが切れないわけではない。暖房費とトントンで充分だ!」
 よくよく考えてみると確かにそうですね。暖地では暖房経費を上回る収穫を上げないと収益があがりません。しかし、冬季は日射量が不足しがちで切花本数は少なく、実質上秋と春で収益をあげている状況です。これに対して山形では、自然の恵みを最大限に受けて(経費をかけないで)収益をあげられる期間が約5ヶ月間あるわけです。冬はどのみち稼ぐ必要もなく、暖房経費とトントンであれば株はそれなりに充実して、翌年の夏の切花本数を増加させる効果が期待できます。暖地の夏は暑すぎて、株はむしろ消耗してしまいます。地球温暖化によってこの傾向は今後さらにひどくなるでしょう。寒冷地の生産者の皆さん、これからはあなたの時代です。暖地の生産者の皆さん、生産体系をもう一工夫しましょう。


★消費者は、欲しいものが買えない! (2002/02/27)

 NHK趣味の園芸の講師をされておられる杉井明美さんとお話しする機会がありました。
 「消費者は、欲しいものが買えないのよ!今、花屋さんにあるものは生産者が『消費者はキットこんなものを欲しがっているだろう』といって生産したものを買わされているんです。本当はもっと違うものが欲しいんだけれど、売っていないから仕方がなく買っています。でも、そうすると花屋さんや生産者は、『やっぱりこういうものを消費者は望んでいるんだ!』と勝手に思いこんでドンドン作り始める。でもこんなことを繰り返しているとどこかで消費者が反乱を起こし始めますよ!」
 園芸生産業界の問題点を鋭く指摘されたような気がしました。園芸生産業界の人達は情報収集というと、いつも市場関係者に「何が売れていますか?」と聞いているような気がします。本当に質問するべき相手は市場やヒョッとすると花屋さんでもなく、消費者に直接質問をしなくてはいけないのではないでしょうか。それも『本当に欲しいものが花屋さんで売っていましたか?』と。


★チョット高級な園芸店 (2002/02/14)

 前回紹介した「スーパーの食料品店のようなガーデンセンター」と「園芸店は農産物展示即売所」に対して、「チョット高級な園芸店」について考えてみましょう。
 私の母親は園芸歴50年のベテランです。過去にはサツキも楽しみ、オモト、クレマチス、ツバキやヒバも経験し、クリスマスローズや宿根草も庭に植わっています。毎週欠かさずNHKの趣味の園芸を見る熱烈なファンです。技術も高く、家の周りを常に花で飾り、通る人にほめられるのを楽しみにしています。10年前のガーデニングブームで参入した人達を表面的には受け入れていますが、「本当の園芸愛好家とはいえない」と本心では眉を曇らせています。とにかく園芸に関してはプライドも高く、技術の高い人達で集まろうとして、少々排他的なところもあります。花を買う園芸店はほとんど固定していて、滅多に浮気はしません。花の価値を見極める目もあり、少々高くても納得して買います。花にお金を掛けることに一種の楽しみを覚えている節も感じられます。このような人達は地域には必ず何人かいて、花を楽しむ人達のリーダーでもあり、良品を生産する農家やそれを販売する園芸店のサポーター的存在といえるかもしれません。
 さて、「NHKの趣味の園芸」は90万部を発行する雑誌ですが、これを日本の人口で換算すると7.5%、13人に1人が購入していることになり、5世帯のうち1世帯は園芸好きということになります。趣味の園芸の支持者は40歳代後半以上の年齢層が主体で、1ヶ月に5000円以上の園芸関連の買い物をするそうです。
 園芸を楽しむ人を独断と偏見で大きく分類すると、以下のようなことが考えられます。
(1)パンジーやハーブを楽しむ初期ガーデニング導入者で、安価で育てやすい植物を楽しむ人々。子育て真っ最中の年齢で、家族の食欲を満たすために、ついついスーパーの食料品コーナーのタイムサービスで野菜を買ってしまう年齢層。この年齢層の要求を満たす販売店は主にホームセンターが担っており、「物としての花」を提供しています。
(2)家庭菜園や寄せ植えを楽しみ、鉢花を購入する年齢層で、園芸を楽しむ習慣がある程度定着しており、花に対する知識欲が旺盛です。一般にマイホームを購入する年齢層で、食べ物では健康食品に興味があります。この年齢層の要求を満たす販売店は、主にガーデンセンターや園芸店が担っており、「花にまつわる情報」を商品と共に提供しています。
(3)珍品や人に見せるための園芸、こだわりの園芸を楽しむ人々で、植物には金の糸目をつけない年齢層。食事は少量だが美食家で、充足感を満たすことに楽しみを覚える年齢層です。この年齢層の要求を満たすのは園芸専門店で、「こだわりの提供」をモットーとしている園芸店といえるかもしれません。
 今後も花き園芸を発展させるためには、(1)(2)(3)のいずれの人々も重要な人々です。(1)の人々を常に新たに園芸の世界に参入させるための啓蒙活動と導入活動を行う必要があり、その後、彼らを園芸の世界に定着するための教育プログラムを提供し、さらなる興味と充足感を満たす素材を提供し続けることで、園芸業界が今後とも大きく発展し続けることになると思います。
 これを読んでいる園芸店の皆さん。貴方はどの園芸店を目指していますか?


★園芸店は農産物展示即売所 (2002/02/06)

 岐阜県の切りバラ生産者との会話の中で出てきた話です。生花店は切花をキーパーに陳列して売っているけれども、売る商品は花束やブーケ、アレンジなど店の技術・工夫を凝らして販売をしています。これに対して園芸店はどうでしょう。市場で仕入れた鉢花をただ並べ替えて、ひどい場合には生産者の出荷したトレーそのままの状態で販売しています。切花のように手を加えることはほとんどありません。これではどこかの農協の農産物(野菜)販売所とどこが違うのでしょうか?農産物陳列即売所であれば、当然値段は安くて当たり前でしょう。農産物陳列即売所は薄利多売が本来の目的であるはずですし、新鮮・安心・低価格をねらい目にしなくてはいけないでしょう。あるいは●●スーパーのように『そこそこの品揃えで超安値販売』がモットーの客引き商売でしょうか。
 私は「園芸は文化だ」と思っています。「文化でメシが食えるか!」という声が聞こえてきそうですが、そうであれば真剣に儲かる農産物陳列販売所を指向してはいかがでしょう。園芸店はもっと探すべき本質的な道があるのではないでしょうか。中途半端な態勢でホームセンターと同じ土俵で争っていると、農産物展示即売所以下になり下がってしまいますよ。


★ スーパーの食料品店のようなガーデンセンター (2002/01/31)

 スーパーの食料品店の方から聞いたことですが、「商売の原点はお祭りの営業」だそうです。デパートの地下食品売り場でも同じですが、タイムサービスでお客さんの気持ちを煽って販売し、売り切り販売を基本としてロスをなくすることが重要だとのことでした。
 私の住む岐阜市にも安売りスーパーがあり、毎日多くの主婦で混み合っているようです。午後2時になると「タイムサービス」が始まるそうです。店員があちらこちらの商品に「半額」の札を貼り、それにむけて主婦が殺到するとのことでした。このスーパーで売られている野菜は少々ものは落ちるけれどもとにかく安い。品質や鮮度は低いので1週間冷蔵庫で保たせることはできないけれど、2〜3日で食べ切るなら何も問題はありません。並んでいる野菜の産地は、当然中国産もありますし東南アジアもあります。大産地ではないけれども近場の産地のものも並びます。おそらく市場の底値の商品をふんだんに仕入れて販売する戦略でしょう。低価格で利益は薄いのですが、大量のお客さんを呼ぶことで、経営的には順調とのことでした。
 このことはガーデンセンターにも共通する点があると思います。タイムサービスや曜日サービスあるいは素人セリで、傷み始めた花を売り切ってロス率を下げる。物を販売する点においては基盤は同じといえるかもしれません。私の住む岐阜市周辺にも、この方針で営業しているホームセンターの園芸コーナーやガーデンセンターがあることに気が付きます。当然、切花は海外からの輸入品や規格落ち品が大量に格安で並んでいますし、パンジーなどの苗ものも品質は悪いのですが、特価で売られています。品揃えもそこそこあって、何時行っても沢山のお客さんで賑わって活気があります。これは園芸業界のスーパーといえるかもしれません。


★小学校の給食と農産物の輸入 (2002/01/25)

 私達の年代は、給食でパンを食べることがうれしかった時代です。食べ物が豊富でなかったので、給食が楽しくて仕方がありませんでした。給食で食べていたパンや牛乳はアメリカが無償援助で供給してくれていたことは、かなり大きくなってから知りました。そのお陰で私達は「パン食」に違和感を覚えることのない食生活をしています。私の両親は「ご飯を食べないと食べた気がしない」と言いますが、私はそう感ずることはありません。その結果、次第に米を食べなくなってアメリカから輸入した小麦や肉製品で生活をするようになってきました。日本の最大の農産物輸入国は中国ではなくアメリカなのです。
 10数年程前から給食にご飯が出るようになりました。今の大学生は米飯給食を当然のこととして体験してきたからでしょうか、「ご飯が大好き」です。私の両親のように「ご飯を食べないと食べた気がしない」と言います。学生と一緒にファミリーレストランで食事をすると、私はパンを注文し、学生はご飯を注文します。
 アメリカは、戦後の食糧危機の時にパンや牛乳を無償で援助してくれた有り難い国ですが、本当の意味は「日本への農産物輸出を促進する戦略の一環」であったのではないかと思います。子供の頃の体験は、大人になっても変わることなく継続され、食生活を始め、様々な生活習慣を変化させます。
 全国各地の生産者団体は、「母の日や父の日に花を贈ろう」と街角で花のプレゼント作戦を展開しています。アメリカの戦略をマネして、無料で花をプレゼントする相手を小学生にしませんか?生産者が所属する小学校に児童の数だけ無償で花を配り、「家に帰ったらお母さんやお父さんに花をプレゼントしてね」といって渡すことを15年継続すれば、必ず将来には『恥ずかしがらないで花を購入してプレゼントしてくれる良きユーザー』に成長してくれることでしょう。消費拡大は長期戦略で考えるべきです。どこかのテレビで「みの●んた」に放送されることを願うのではなく、地に足をつけた消費拡大戦略を立てましょう。数年前に放送されてブームになった「ココア」を店頭で今でも見かけることがありますか?


★カーネーションの価格 (2002/01/19)

 岐阜県のカーネーションの鉢物生産者とゴールデンウィーク直前に愛知県の市場を訪問したときの話です。母の日直前ということもあって大量のカーネーションの鉢物が出荷されていました。セリ価格を見ていると、高値の500円以上から安値の100円まで様々です。一緒に見ていた生産者は「自分のは安値の100円よりは高い」とか、「○○園芸より安い」と口々に感想を述べ合っていました。そのうちに「価格の当てっこをしよう」という話しになり、セリ画面を見ながら買参人になったつもりで値を付け始めました。最初は全く大ハズレだったのが、30分も経過して後半にもなると結構的中率が高くなってきます。「これは蕾が固すぎるので150円」「咲き過ぎなので120円」「徒長してバランスが悪いので100円」というように商品価値を価格で判断できるようになってきました。そこでF君いわく「俺が今まで良いと思っとったのはだいぶ方向が違うなあ」、M君は「僕は蕾が固い方が日持ちが良いと思っとったけど、来年から出荷時期の判断を変えないといかんなあ」。
 生産者はついつい思いこみの価値判断で商品を作っていることが多いのではないでしょうか。一緒に参加した彼らの今年の母の日は、きっと大儲けができるでしょう。
 でも、本来こういうことは情報流通をつかさどる市場がしっかりやるべき仕事ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。


★食糧安保と石油 (2002/01/04)

 農業問題、特に海外からの農産物の輸入が問題となると必ず出てくる論議が「食糧安保」です。日本の食料自給率は、供給熱量自給率40%、主食用穀物自給率59%、穀物(食用、飼料用)自給率27%となっています。これに対して、フランス143%、米国113%、旧西独94%、英国73%、スイス65%(年度は異なる)のように主要先進国の自給率は高く、食糧安保論が台頭してきます。
 食糧を自給することは国家として重要であることは理解していますが、資源のない日本が今後発展するために重要なことは、「食糧安保」をとなえて近隣諸国と対峙することではないと考えます。園芸生産に関与する人間として常々感じることですが、現在の農業生産において最も重要なものは『石油』です。石油資源がなければ、田植機もコンバインもカントリーエレベータも動きません。当然、ビニールハウスはできないでしょうし、冬の施設園芸生産はなくなります。ましてや一般の生活に目を向けると、電気、水道、ガス、と生活の至る所に石油が関与しており、「食糧」よりも「石油」の方が重要になっているようにも思えます。
 食生活自体も多様になってきており、米を主体とした食生活からパンや麺類の占める割合が高まり、肉や野菜が主体になり、「主食」の概念も崩れ始めている現状を考えると、果たして食糧安保を声高に主張することにどのような意味があるのか疑問に思えてくることさえあります。また、農政としては減反政策が進められており、本来農業を担うべき専業農家を対象とした農政ではなく、兼業農家を優遇するような農政が進められています。日本全体を考えると、食糧だけが重要ではなく、石油資源の確保も同じ、いやそれ以上に重要ではないでしょうか。
 今、日本がするべきことは、「食糧安保」だけを取り上げて唱えることではなく、資源小国日本が将来にわたって発展するためにも、「国際社会の中で協調を保つ役割を演ずる」ことではないかと考えます。過去の農政で保護された農業が健全な成長を遂げた事例は極めて少なく、本当に食糧安保が必要であると考えるのであれば、市場原理を踏まえた「足腰のしっかりした産業としての農業」の育成が必要ではないかと考えます。