福井の Home に戻る

新宿御苑 菊花壇展
 (東京都新宿区)

2011年11月12日に新宿御苑の菊花壇展を訪問しました。
日本にキクが渡来したのは奈良時代末期から平安時代といわれており、江戸時代には武家社会の発達に伴って様々な古典菊が発展しました。
新宿御苑では新宿御苑で育成された菊品種を毎年11月に公開展示しています。

丁字菊

関西地方で育成された古典菊の一つで、外側の花弁は平弁やサジ弁で、内側の筒状花が異常に発達して盛り上がり特異な美しさです。海外にわたって「アネモネ咲き」として新しい品種が育成されています。
日本の遺伝資源が、ヨーロッパで高く評価された事象の一例です。

   
   

嵯峨菊

京都府嵯峨野で育成されたといわれる古典菊で、嵯峨天皇の御愛の菊として京都の大覚寺に植えられたものが始まりといわれています。古典菊の中でも最も古い系統で、一重咲きで花びらは平弁ですが、次第に花弁が捻れて立ち上がって伸長し、独特の箒状の花型を持っています。花色は白、黄、紅、濃いピンク、淡いピンクなど豊富で、独特の風情を持っています。

まさに、新しいスプレーギクの世界を創出できる貴重な遺伝子資源の一つではないでしょうか。

    

  

  

伊勢菊

嵯峨菊から育成されたといわれており、三重県松坂市と津市を中心とした伊勢地方で現在も栽培されています。咲き始めは嵯峨菊のように立ち上がるものの、花弁の伸長が旺盛で、次第に捻れながら垂れ下がり、優雅な花型を示します。花心がみえないほど八重咲きになったものほど伊勢菊の本来の姿といわれています。花色は嵯峨菊と同様に白、黄、紅、濃いピンク、淡いピンクなど豊富です。

一見「モジャモジャ君」のようにみえます。こんな切り花があったら、飾った場所の雰囲気は一変するでしょうねぇ・・。必ず見た人は触ってみたくなります!

 
   

    

  

  

 

肥後菊

肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後山茶花と共に肥後六花の一つとして知られる肥後菊は、熊本県熊本市で発達した古典菊です。
嵯峨菊や伊勢菊とは異なり清楚で凛とした風情を醸し出しています。

花びらの形が異なる2つの品種、管状の花びらの「陽の木」と平らな花びらの「陰の木」を1株11輪と12輪に枝分けして仕立て、鉢のまま植え込んでいきます。

「風にそよぐ菊」の作出資源です。日本人の心を揺さぶる「わび、さびの世界」です!

   

  
  

  
  

江戸菊

江戸時代に江戸(東京)に居住する武士の間で育成された古典菊で、中輪菊の系統です。一度平らに咲いた後に立ち上がり、捻れて花弁が様々に変化するのが特長で、咲き始めから咲き終わりまでの花型の変化を楽しみます。別名、狂い菊、舞菊、芸菊とも呼ばれます。また、花弁の表裏の花色が異なるものもあり、開花に伴って色が変化します。

切り花で、「飾っている最中に花の形が大きく変化する」なんて、魅力的だと思います。
篠作り: 新宿御苑では「篠作り」と呼ばれる仕立て方で展示しています。篠作りは、1本の苗を2〜3回摘芯して9〜15本立てとし、 各枝に支柱を立てて茎に一輪づつ花を咲かせます。

 

  

  

  

 

大作り菊

大作りは1本の苗から仕立てて数百の花を開花させる技術で、千輪作りが有名です。各花の大きさが同じで、同時に開花するように環境調節して栽培します。大作りができる品種は樹勢が旺盛であることが重要で、仕立てられる品種は限られます。ドーム状に半円形に整然と仕立てる方式は新宿御苑独自の技術です。

下を覗いてみると、確かに1株からできていることが判ります。

 

管物菊

すべての花弁が管状花で構成されており、花弁が細い細管物菊です。細く長く伸びた花弁が優雅な花型を作っています。



  

一文字菊

一文字菊は一重咲きで、花びらが平たく幅広く伸びるのが特徴です。この菊は御紋章菊ともよばれています。



  

大菊

まさに、最近市場に出荷され始めた「フルブルーム・マム」そのものです!

手綱植え: 「手綱植え」とは、黄・白・赤の順で、明治天皇の神馬の手綱に見立てて配色していて新宿御苑独特の様式です。

  

   

懸崖菊

菊栽培所(バックヤード)

菊花壇展を鑑賞している最中に、名古屋園芸の小笠原左衛門尉亮軒(旧名、小笠原亮氏)とお会いし、新宿御苑菊栽培所に連れて行って頂きました。
小笠原氏は、園芸文化協会主催の「新宿御苑菊花壇展・観菊会〜菊を語る〜」の案内・解説を終わって、園芸文化協会の方と菊栽培所を表敬訪問される途中でした。

宮内省での菊の栽培は皇室の紋章が菊に制定された明治以降のは明治11年(1878年)が最初で、丸山仕立て場(今の大宮御所の一画)で行われていました。その後、明治37年(1904年)から新宿御苑でも菊栽培が始まり、大正14年(1925年)には栽培所がすべて新宿御苑に移設され、展示用菊のすべてが栽培されるようになりました。
それ以降、新宿御苑では明治以降に築き上げられた宮内省独自の栽培技術の伝承や、品種の伝統的保存と改良がすすめられると共に、全国各地から優良品種が収集されました。
第2次大戦中(昭和12年〜23年)は観菊会が中止され、栽培所は開墾されて食料生産用の農耕地となり、残されたわずかな田畑で品種の保存が行われました。
戦後、新宿御苑の復興整備と共に菊の品種の収集および育種が再開され、明治以来の伝統を受け継いだ菊の栽培技術が新宿御苑の職員によって受け継がれています。
新宿御苑菊栽培所は一般立ち入り禁止ですが、古典菊の大家の小笠原さんの案内で入ることができました。約5haほどの面積に雨除けハウスが8棟と露地栽培圃場がありました。雨除けハウスと露地栽培圃場はすべて野球場のネットのような鳥害防止用の網で被われていました。

   

大菊、管物菊、一文字菊などの展示用菊のバックヤードです。なかには3mほどに伸びきってしまって展示用に不適な個体などがあり、菊花壇展にきれいに展示されている裏側には想像もできないほどの多数の個体が栽培されていることを知り、職員の方々の日々の努力の結晶のたまものであることを実感しました。

   

大作り菊のバックヤードです。最後まで仕立てられなかった個体がありました。
潅水は自動潅水でしたが、栽培の鉢は昔ながらの竹カゴでした。確かに、竹カゴは通気性、排水性共に優れた栽培容器であると思います。

  

来年用の大作りの菊栽培が始まっていました。この時期から電照栽培を行って大株に仕立て上げられているのを拝見し、並々ならぬ高度な栽培技術の伝承が引き継がれていることを実感しました。

江戸菊の「篠作り」は、1本の苗を2〜3回摘芯して9〜15本立てとして開花させます。展示されている菊を見ている限りは、それほど感動を覚えませんでしたが、確かにシュートの長さを同じにして同時に開花させるためには、大変な努力がその背後に隠されていることを実感しました。展示株を作り上げるためには、数倍の株の栽培が必要とのことでした。まさに「優雅に水面を泳ぐ白鳥の水面下では必死の水かきが行われている」のと同じです。
ここでも栽培容器は竹カゴが使用されていました。

 

懸崖菊の残され物です。確かに栽培したすべての物が鑑賞に堪えられるわけではないですから・・。

 

露地圃場では伊勢菊、嵯峨菊、肥後菊の交配が行われていました。

菊は宿根草ですので、冬至芽などを挿して品種を維持することができます。いわゆる栄養繁殖です。
「古典菊」と言われるほどですから、嵯峨菊は平安時代から、肥後菊や伊勢菊、江戸菊は江戸時代に育成された昔からの品種を栄養繁殖で脈々と維持しているものと思っていました。

案内頂いた小笠原氏から「古典菊は品種の維持ではなく、遺伝子資源としての集団維持が原則」であることを教えていただきました。
品種(個体)を長年維持していると、ウィルスの感染などが原因で個体の劣化が起きて生育が悪くなってきます。さらに、肥後菊や伊勢菊、江戸菊などの古典菊は、中国から渡来した菊起源品種の突然変異個体を選抜したものですので、栄養繁殖で栽培を長年続けると起源品種への先祖戻りが起きて、本来の古典菊の特性が次第に失われてしまいます。

新宿御苑では、古典菊の優良個体(典型的な形質を示す個体)を選抜し、相互に交雑を繰り返して『古典菊品種群』を維持していました。現在、古典菊の産地ではこのような交雑維持が難しくなってきており、次第に品種(個体)の維持しかできなくなっているようで、本来の古典菊の形質が劣化し始めているとのことです。

日本の伝統文化である古典菊を将来に継承していくためには、新宿御苑の存在意義は極めて大きなものと思います。
インターネットを検索してみると、昨今の仕分けではありませんが、新宿御苑の管理業務の入札情報がでていました。「税金を使って・・」という観点からみれば、業務委託入札という発想も出てくるのかもしれませんが、日本の伝統文化を維持することとは別世界の考えではないかと少々違和感を感じました。

  

毎年の交配で育成された個体は、古典菊の形質を評価できる能力を持った職員の手で選抜され、増殖されます。栽培施設には選抜個体が栽培され、特性評価が行われていました。

   

栽培個体には1個体ずつラベルが付されていました。「肥14・30・赤平」は『平成14年に交配された肥後菊のNo.30の個体で赤色の陰(平弁)』の意味で、「肥14・80・赤管」は『平成14年に交配された肥後菊のNo.80の個体で赤色の陽(管弁)』の意味です。

  

露地には露地花壇用の菊が栽培されており、恐らく形が良くなかった物が残されていました。