吉田五郎のおもかげ に寄せて 

父 が2年前に他界して,先日5月 初めに福島県伊達市で法事があったついでに実家に寄った時,以前から見ておきたかった「吉田五郎のおもかげ」という記念誌を借りることができた。

  吉田五郎氏は,私の実家(伊達市田町)のお隣の家の通称「酒屋さん」の倅で,1907年生まれ,福島中学から二 高を経て(19歳 で結婚),東京帝大工学部卒業後,逓信省電気試験所に入った,という人生前半の経歴を持つ。五郎氏は,私の方の吉田家の遠い親戚に当たる方で,五郎氏 の吉 田家は,この伊達市田町の我々も含めた吉田家全体の一番のご先祖様である吉田佐平氏(江戸時代・天明の頃この地に住み着いたらしい)から何世代か後の 分家 した4つの吉田家の一つである。なお,五郎氏の家は,明治の中頃まで造り酒屋をやっていたので「酒屋さん」と呼ばれていたが,造り酒屋は明治の頃に廃 業し その後は養蚕業をやりこの地方の生糸の生産に貢献した豪農であった。私が小さい頃,この「酒屋さん」に遊びに行った時たくさんの蚕棚があったのを覚え てい る。

五郎氏

  五郎氏は,私とは44歳 も違うので会ったことはないのだが,私が若いころ父から五郎氏という工学博士の伝説的な秀才ぶりをたまに聞かされていた。その話の一つに次のようなこ とが あった。五郎氏が偉くなって一度地元に帰られた時に,伊達の小学校の生徒の前で講演をしたことがあって,その講演の中で五郎氏は生徒の前に立って一本 の鉄 の棒を取り出し,みなさん,この金属の棒があれば世界中からいろんな情報をこの棒を通して集めて知ることができるんですよ,というような話をしたそう であ る。要するにアンテナの効用を分かりやすくお話されたわけであるが,この話がなぜか私には大変印象に残っていた。私が大学を出て何年か経って医科大学 に職 を得てからも,この五郎氏の話は記憶にあって,専門分野はだいぶ異なるものの我が吉田家の中で「工学博士」の学位を持っているのはこの五郎氏と私だけ であ る,という関係性からも興味はあった。実は,私が13年 前,大分医科大学から岐阜大学に赴任する前に大分医大で医用工学の「最終講義」をやったことがあり,その時にその五郎氏のアンテナのエピソードを紹介 した ことがある。さらに,私の専門とはあまり関係ないが,医科大学での業務上の必要さから衛星通信業務もできる第一級陸上特殊無線技士の資格をあまり違和 感な くとったのだが,そこにも五郎氏からの間接的な影響があったのかもしれないとも感じている。

  五郎氏の話は,むしろその人生の中盤にあたる電気試験所時代,東京帝大工学部教授時代,そして40代前半の電気通信研究所 (通研)の初代所長時代,の活躍こそ刮目すべきところであろう。五郎氏のことを一言でいうと「NTT研究所の生みの親」という ことになろうか。特に研究内容では「位相弁別式搬送多重通信法の研究」や,現在のNTTの研究所の前身である通研 の初代所長時代の活躍は,戦後日本の電気通信事業発展の礎を築いたということで,現在の携帯電話やスマホの時代にこそ「電気通信研究所」創設の意味を 再評価すべきであろう。

  五郎氏は,アメリカのベル研究所をモデルにして「電気通信研究所」を創ったとされる。そして,当初より研究所のR&D,つまり研究と開発・実用 化の体制確立に大いに取り組んだ。現在では普通に使われている「実用化」という言葉は,実はこの吉田五郎氏が初めて使ったものである,と言われてい る。東京武蔵野にあるその研究所(現在のNTT研 究所)にある記念碑に,吉田五郎氏が書いたことばが刻まれており,「知の泉を汲 んで研究し実用化により世に恵を具体的に提供しよう」にも,実用化のことばがしっかりと残っている。五郎氏によると,R&Dは 「研究と開発」と訳されることも多いが,開発ということばは「少し足りない」言葉であり実用化の五郎のことば一 つ手前という感じであるが,Developmentと いうことばには元々開発から実用化までという意味があるので,実用化(実用できるようにする)を使うほうがいい,ということで使われたそうである。こ のよ うな精神で作られた研究所で,様々な技術が実用化され,そのような背景があり日本は戦後の混乱期を経ても世界でも指折りの通信大国になれたのであろ う。た だ,最近はNTT研 究所の優れた技術開発力はあってもなかなか実用化まで時間がかかり,世界の最先端のICT技術から引き離されている という印象があり,いまこそ原点に戻って,実用化力をさらに一層付けていって欲しいと思う。

  五郎氏は研究所の技術について大変自信を持っておられたのだと思う。それを示すエピソードとして,昭和26年頃の日本最初のテレビ電 波の送信をどうするか,というときに,五郎氏はあの正力松太郎氏やアメリカの企業を相手に論争して民間の日本テレビの開局に対して許可しなかった,と いうことがある。テレビ放送は昭和2821日 のNHKか らの伝送で始まったというのはよく知られているが,その2年 前の昭和26年, 五郎氏が電気通信省の施設局長をされていたとき,正力氏やアメリカ企業が政治家やマッカーサー司令部などを口説き落とし民間のテレビ放送を認めさせよ うと したときに(この背景にこ んなエピソードもあったらしい),最後の砦であった電通省の局長であった五郎氏はそんな古い(中古の)マイクロ波通信方式はだめだ,認め られないとして突っぱねた。そして,そ れから2年 後,通研が実用化を目指している方式でNHKが 最初のテレビ放送に成功した,ということである。そういうこともあって,正力松太郎氏と吉田五郎氏は,長い間ケンカ状態だったらしいが,最後には仲直 りしたらしい。そんなことが結局,日本での放送通信事業における電電公社やNHKの重要な位置付けを決めて いったのだろう。

  五郎氏は長い間電気通信省でそのように頑張って仕事をして,その後50歳で通研を辞め,民間企業 (日本電気精器など)の社長,取締役を歴任したのち,まだ若い64歳で他界された(急性心不 全であったらしい)。

  先に述べた五 郎氏のアンテナのエピソードが私にとって印象深かったという理由として,簡単な金属の棒一本で世界中の情報を集めることができる,というインパクトの 強さ がある。これはインターネットを例えるのに「指先で世界にアクセスする」などというのがあるが,そのような例えに近いのかもしれない。人々はやはり空 手の 醍醐味として謂われる「小よく大を制す」などということが好きである。小さくて簡単なものが,地球を動かせるほどの力を持っていたり,何でもできる機 能を もっていたりすると,みんな欲しがるということになる。私が20年 ほど前から研究している課題として,「小さな棒を人の皮膚にあてると体の状態が分かる」ようなものを開発するということがあるが,この背景にはおそら く五 郎氏のアンテナのような,体に触れただけで体のあらゆる情報を集められる「小さなもの」を作りたいという欲求があるのであろう。五郎氏は,多重通信技 術を 開発して電波と小さな金属の棒で世界の情報を知るシステムの実用化を目指した工学博士だったが,私も赤外線と小さな棒で人間の体内の情報を知るシステ ムの 実用化を目指したいと思っている。似た様なDNAが 働いているのかもしれないが,一つの記念誌から昔の親戚に思いを馳せて温故知新ができて良かったと思う。

(吉 田 敏)2013.05.25