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若井研の提供するエネルギー・環境問題入門


目次 1.エネルギー事情 2.大気汚染 3.乗り切る 4.温暖化 5.原子力・核融合 6.新エネルギー 7.車技術 8.COP3 9.私たち 10.文献,WebSite


|原子力発電|  |核融合発電| |原子力長期計画|

5.原子力(核分裂・核融合)発電の現状



 日本は、エネルギー資源が無いことをみなさん、よく知っていますね。自然エネルギーにしても、狭い国土に高い人口密度だから一人当たりにすると、太陽のエネルギーは他国と比べて優位に立つことはありえません。
 エネルギーだけに限らず、資源に乏しい日本は高い工業技術を維持し、資源を輸入して付加価値を高めて輸出することで、生活を維持しなくてはやっていけないことは明白です。ところが、今元気の良いコンピュータや通信技術は米国にその技術を依存している部分が圧倒的に多い状態にあります。それなら日本独自の技術は有るのでしょうか? そして、今後も世界をリードしてゆける技術は何が残るのでしょうか? 小口なものはもちろんいくつもあります。このホームページの主題である環境を対象とした技術でかなり大きな規模というのも結構あるのですが、世界的に拮抗してきています。車技術もそうですね。ひところは日本車の丁寧な作りが喜ばれ、それに環境技術が優れていて自動車王国米国の自尊心を大きく傷つけたのが80年代です。80年代後半からは、徐々に追いつかれ、90年代中頃はまた拮抗してきたのです。そして、HC, CO, NOx という環境問題ではなく、温暖化という新たな環境問題がクローズアップされるに至って、燃費が問われることになり、電気自動車、GDI、 ハイブリッド車、燃料電池自動車と開発共同が進み、また自動車会社の世界的な再編が進みつつある状況です。日本の会社が生き残るのか、どういう形で生き残るのかということが話題をにぎわしている状況ですね。
 下手をすると、日本の経済を維持してゆけるものは、何も残らないかもしれないのです。ということは工業技術としてもアメリカをはじめとする欧米諸国の属国として、いや今後台頭してくる新興工業国の属国として生きて行く以外方法が残らないというのでは、寂しいですね。
 ところが、大穴が有るのです(この説はしかし、私の勝手な独断ですから、間違っている可能性も大いにありますよ)。「高速増殖炉」と「核融合発電」技術です。高速増殖炉は、最後の砦の一角にあり、原子力(核分裂)利用にかけては世界で最も依存率が高いフランスが最近 (1998年)開発を断念してしまいました。原子力発電を最初に進めたアメリカは、石油があまりに安い国、それに対して原子力燃料も安いことは安いが一度事故が発生するとその保証金は日本の比ではないことから、100基程度を作ったあとその目に見えない負担に恐れをなした 1970年代、スリーマイル島の事故が発生、国民の理解が得られなくなって通常の原子炉さえ長い間新設できなくなっており、ましてや高速増殖炉については、ずっと以前に開発を断念しています。今は、通常の原子炉を他国に売ることでその技術力を維持している感があります(ねらわれているのは、アジア諸国です)。高速増殖炉の開発を否定していない(他国も、選択肢の一つという姿勢は有る)のは、今や日本しか無くなった(フランスのスーパーフェニックスは経済的に見合わないからと
廃炉が決まったけれど、フェニックスは復活したからまだフランスは高速増殖炉開発の意気込みは衰えていない、という論調が有りますが、これは的はずれだと思います)のです。
 一方の核融合発電は、さすがに日本だけが開発しているという訳ではありませんが、一番元気が良いのが日本なのです。後で詳しく述べるように、核融合を現実のものとするための三つの案すべてについて、日本は取り組んでいるのです。その三つのうちの一角のトカマク方式が膨大な予算を必要とする(トカマク方式以外も莫大な開発予算が必要です)ことに対して、一国では無駄が多く負担もきついため、独立に競争原理で進めてもどこもつぶれてしまうことを懸念して ITER 計画という 4極(日本、米国、ヨーロッパ、ロシア)構造で取り組んで来たのに、1998年、米国が一抜けしたのです。この方式の元祖といえるロシア(トカマクという名前はロシア語)は、名前は連ねているものの国家の経済状態からこの計画に予算をつぎ込む余裕はあるはずも有りません。ということは、日本とヨーロッパだけがこの計画を推進しているということになるのですが、この計画の本拠地は日本となっています。日本では六ヶ所村が、誘致に立候補しています。
 そういう訳ですから、将来のエネルギー源として「高速増殖炉」、「核融合発電」のいずれについても、もし日本が開発に成功し、真に安全の保証の元に実用化がなされるなら、これらは「日本のお宝技術」になりうる可能性が非常に高いものです。
 しかし、現実はそう甘いものではありません。当然のことながら、他の国がはじめから諦めたり、途中で断念してしまった技術ですから、日本が成功する確率も相当にというより、非常に低いかもしれません。もちろん、「安全に」という一言が無ければ確率はうんと上がるでしょう。この「安全に」という言葉の定義が、「絶対に安全に」となると、不可能としか言いようがありません。単純な話、よくなされる「隕石が原子炉を直撃したら」という疑問には、誰も答えられないでしょう。どのような隕石にも耐えられる必要は、実はありません。それが落下しただけで人類を滅亡させてしまうような大きな隕石にまでも耐えられる必要は無いのです(こういう発想はしかし、現在の人類のエゴと言われかねませんね)。そのぎりぎりのサイズの隕石の落下に耐えられる深さで、もちろん地震の発生しない岩盤の地下に原子炉を作ったらどうでしょう。詳細な計算をしては居ない(できない)のですが、まず無理です。原子炉を隕石から防護できても、原子力発電所として機能しなくては意味がないからです。こういう話を知りたい人は、山地先生アラン氏 (アメリカ原子力委員会元委員長) の本や、原子力eye 誌をご覧下さい。
 絶対に、ということが言えないとしたら、どこまでなら「安全」と言えるか。どこかに説得力のある安全レベルが設定できるとし、そういう安全の保証が全世界に対して説得力を持つようになれば、高速増殖炉を他国が購入してくれるようになり、日本発の技術として輸出し、それに見合う資源の輸入が可能になるでしょう。同じことが核融合発電技術にも言えます。
 それでは、その可能性はどうでしょう。私も機械工学屋で、しかもエネルギー技術を専門としています。希望的に見解を述べたいのですが、そうは行かない状況が続いています。古くはもんじゅの事故、東海村の核燃料の火災事故隠し、それらは実は人の問題でした。ところが 1999年7月中旬の敦賀原発 2号機の1次冷却水漏れ事故は、相当深刻と思われます。設計段階ではわからなかった事故という可能性が非常に高いから(ただし、設計段階からすでに問題ありと見ていたが、その説は取り上げられなかったと主張する人もあり、それが事実ならやはり原子力には絶対必要な謙虚さを忘れた人の問題だったということになる)。この原発は従来型であって高速増殖炉では無いが、もちろん熱交換器は使うし、もととなる材料・設計技術については同じあるいはそれ以上に複雑になるでしょう。ともかく、専門家が当初予想もしなかったことが発生した(上述の起こりうるという説が正しく導かれた予測であって、それが封じられたとするなら、なお問題は大きいのは当然です)という事実が非常に重いと思います。イギリスでコメットという名のジェット機が開発されたとき、よく落ちた。その原因が分からなかったため、飛行機を沈める特大のプールを作って、そこで機体内に圧力を何度もかけて応力解析をとことん行い、金属疲労という原因を突き止めたというのは有名な話です。わからないことは、謙虚になってとことん突き詰めて安全を確保しなくてはならないですね。本当に信頼できる原発を国民に提供してゆくためには、原子炉を止めてしまう覚悟が必要かもしれません(そのためには、国民や企業に 35%電力消費を削減して下さいと言う必要があります)。でも、同様の熱交換器を使っている原子炉が 5基有ったにもかかわらず、どこも停止しなかった。敦賀原発2号機は一日停止すると 2億円の損というから、ほかの発電所もとても停止する気にならなかったということでしょう。高サイクル熱疲労が直接の原因だということは事故から間もなく明らかにされたものの、どうしてそういう負荷がかかったのかについては、解明に時間がかかりました。それらの発電所は、敦賀の事故から3ヶ月も経過してから、「流れる冷却水量が敦賀と違うから、同様の事故はおこらない」と発表しています。となると、それが判明するまでは同様の事故が起こっても不思議は無いと、発電所サイドも思っていたことになります。そうだとするなら、罪な話です。いや、当事者は「運転していて安全だ」という根拠を他にも持っていたのだというかもしれないけれど、そうだとしても、そんなことは知らない地元の人たちは不安の中におきざりにされていたわけです。地元の人たちの立場に立てば、「流量が違うから他では起こらない」と言われても、すっきりしないでしょう。敦賀2号機でも、事故が起こるまでは事故が起こるべき現象を理解できていなかったのですから、もしまたどこかで事故が起これば、後追いで調べて「原因は判明した、今後そういうことは起こらない」という言い分で「安全宣言」下すことになるのでしょう。
 こうして事故を起こしては、事故の起こったところばかりか他の原子力発電所を抱える地元の信頼を失いつつあります。そして、ついに 9月 30日、原子力関係者も驚くべき事故が起こってしまい、世界中をあきれさせました。これは、日本の原子力行政のあり方が起こしたことで、一企業の問題ではないというのが大方の見方です。これでは、「もんじゅ」の復活は遅れるばかりです。この事故を契機に「原子力は安全」などという概念は捨てて「事故は起こる」という前提で原発を運転すべきだという方向に変わりつつあります。
 今後、高レベル放射性廃棄物の扱いも大きな問題になってくるでしょう。人形峠の有様を見れば、誰もが政府の関係省庁や企業は決して弱者には暖かく無いという印象を持つでしょう。原子力開発の初期に起こしたことであっても、国民の利益になるものとして選んだ道であり、その過程での汚点です。犠牲となった地方があるのだから、動燃のやったこと、とたかをくくっているようでは原子力行政に関わる組織の了見を疑われます。動燃と言っても日本政府が作った組織なのです。銀行が財政不透明になったとき、金融不安が起こっては大変と、責任の所在も曖昧なまま(得をした人をそのままにして)血税でテコ入れを惜しまなかったのに、どうして、この人形峠の現場近くの人たちは放置されつづけなければならないのでしょう。処理に相当の費用がかさむとしても、それは相応の負担をするのが利益を被った国民(電力を使わない人は居ない)の義務であり、税金でそれをまかなうと言っても、銀行に惜しげもなく出した何十兆円とは比べようもない当然のこととして国民に受け入れられると思います。それすらしないで、高レベル廃棄物処理場を「ガラス固溶体で固めれば安全」などと言っていても、一度何か起こっても放置されるかもしれないと、どこも受け入れ拒否するに決まっていますね。そういう意味では、原子力安全委員会としてもそこに安全では無いものが放置されているものについて、何らかの意見を述べるなど態度表明できないのかと疑問が沸きます。原子炉だけの安全を図るのが委員会の役目というのであれば、了見が狭いしいずれ原子力に関する国民の理解という方向には、みすみす不利な方に働くと危惧します。
 さて、一方の核融合発電技術については、まだ相当初歩的な段階 (科学から工学に移行する段階?) ですから事故云々でとやかく言われるような事実は無いけれど、後述するように今表に出ている意見(著書など)には否定的な立場のものが多いですね。一方で、最近核融合の (つまり、核融合発電を肯定する立場の) 解説本がほとんど発行されていないように思われます (古い本はもちろん有りますが、それらは当然、上述の否定的な本が多分無かったり少なかった頃の本なので、それら否定的な意見に対応する記述はありません)。 home page も納得できるものは見あたりません。全く無いとは言いませんが、少ないそれらの例では、否定的な意見に対する反論(否定する意見とは、危険だとか経済的に見合わないなどですから、そういうことは無いと国民を安心させるという意味の記事)の載せられたものを見たことが有りません。否定を甘んじて受け入れているのか、相手にするに値しないということなのか、いずれにしても一般国民には判断基準が提供されていません。
 もし、私が述べたように「日本発のお宝技術」とする気があるのなら、たぶんそれは相当な賭でもあるはず(50年先の技術と言っていることから)です。でも、日本がこの技術を獲得すれば全世界の役に立ちながら、日本は世界で自信を持って生きてゆけるから是非開発をしなくてはならないのです、納得して下さいというように訴え理解してもらってこそ、開発がよりうまく行くのではないでしょうか。それは、本を書くことか今の時代なら home page を出すことでかなり浸透できると思います。
 国民の理解を得ようと言う努力が無いことがいけないというのが、もんじゅの教訓でした。そういうことで、高速増殖炉も、核融合発電技術も、墓穴を掘って完全に赤信号になっているのではないかと思います。
 と、実に偉そうなことを言っていますが、このテーマは若井研の専門ではないため、自ら説明せず、適切なページにリンクするのが妥当でしょうが、上述のようになかなかよいページを見つけられなかったので、乏しい知識の範囲で記しました。間違いが無いとはいえませんので、スキップするか、軽く流す程度に呼んでください。
 放射性物質や放射線の怖さについて、非常に詳しい本が出ています。そちらも是非読破して正しい知識で原発問題をとらえられることを期待いたします。


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1. 原子力発電


放射性物質汚染がどうにも心配ですが?

 海外ではスリーマイル島(アメリカ,1979, TMI 事故と略される)、チェルノブイリ(ロシア,1988)の事故など悲惨な結果を招いた例があり、日本でも大きなものは「もんじゅ」(1995) や「東海村の核燃料廃棄物の爆発・火事」騒ぎ(1997)など、一歩間違えば大事ということがあり、ついには「東海村臨界被ばく事故」(1999)という、人身事故になってしまったということでは TMI 事故とチェルノブイリの間に入る悲惨な事故が、原子炉運転で事故率がほかの国と較べて圧倒的に低いことを誇ってきた日本としては、あまりにも幼稚な原因で発生させてしまいました。それ以上に毎年 8月になると思い出す「原子爆弾の唯一の被災国」でもあり、どうしても原子力アレルギーになりがちですが、現実には 今まで見てきた ように、あるいは下図に示すように今や日本の電気エネルギー供給の 3割以上は原子力に頼っているのです。「原子力は要らない」「贅沢はしたい」、ということは通らないのです。「じゃ、間違ったら末裔まで残る危険物を受け入れて行くのか?」と心配する人もあるでしょう。どうしようも無いジレンマですね。あるいは、電力だと 3割ですが、全消費エネルギーの中で占める割合となると、わずか 12%です。やめてしまって、その分は贅沢を止めようということで国民総意となれば、それも一つの選択肢として可能なことでしょう。ただ、エネルギー消費の12%の落ち込みは、全体に与える影響は圧倒的です。ご存じのように、1996年春、消費税がわずか2%アップしたことが、その後2000年まで続く不況をいっそう深刻なものにし、これが大恐慌の引き金になる可能性までまともに語られ、日本バッシング (本当は日本の重要性を訴えるエールかも) になりました。アジアの不景気風は日本のせいだというわけで、アジアで一人勝ちしてきた日本の立場は、日本だけが独善的に経済を縮小しようとか、政策を誤るというようなことが許されないような状況です。ましてやエネルギー消費の 12% の落ち込みが日本の経済活動、果ては世界の経済にどんな影響を与えるか、想像を絶します。

受益者と被害者が乖離しているのが複雑化する一要因

 さらに、環境問題の難題「受益者」と「被害者」があまりにも乖離しており、「原子力による利益は満喫したい」が「被害には遭いたくない」ということで、一般の人々と原子力発電所や核廃棄物処理場などの近くの住民との間の問題意識の差があまりにも大きいことが一層原子力是非論の難題になっていますね。発電所受け入れを容認するのは、めぼしい産業がなく、都市圏と較べて収入が少なく将来の発展性が低いため若者が定着しない状況で、受け入れればその地方としては莫大な補償金を手にでき、若者に魅力有る町造りができることを期待したものが多かったと分析されていますね (基地は要らないが、それによる経済効果が圧倒的でその恩恵に毒されてしまったため、いまさらそれが無い生活は考えられないグループと、やはり基地のない安全な生活が大事だというグループに分かれてしまったついこの前の南の島の例と、状況は同じですね)。

厄介物は過疎地にとは誰が決めたの?

 原子力発電所に限らず、今問題になっている汚水処理場、ゴミ焼却場、産業廃棄物処理場等々、「厄介な物はともかく過疎地へ!」となっているのはいつから、誰が決めたことなのでしょう? もちろんだれが決めたのでも無いはずですが、自然とそうなってきています。しかし、とくに原子力発電所という、規模が大きなものについては、自然にそうなったとは真には言えません。上述のように、目立った産業が無く人が集まらないところに補償金をつぎ込んできた政策でこれまで進んできたことが、「過疎地に厄介者」という構図を作ってきたのです。少なくとも原発建設中は仕事が増え、人も集まり賑わいが生まれ、活気が増します。
 ところが、大きな工場が撤退した跡地に火力発電所が作られようとしているとき、「どうしてこんな住宅密集地に発電所を?」とか、「幼子の健康、将来が心配です!」などの発言が報道されたことが有ります。同様の事態が起これば他の地でも同様の反応を示したでしょう。一方逆に、産業廃棄物を過疎地に処分することへの反対運動など、各所で起こっていますね。確かに、人口密集地にはゴミ処理場など作る土地は、なかなか無いのも事実です。
 話を原発に戻しましょう。原発が安全なら、過疎地でなく人口密集地に作ったらどうかという意見もあります。電力会社にとって、いくら安全と言ってみても絶対とは言えないわけですから、不安を感じないはずはない、それへの慰謝料的に補償金を用意するとしたら、過疎地なら安く済みますが密集地では人が圧倒的に多く居る以上、補償金も莫大なものとなり採算が合いません。経済的には過疎地にならざるを得ません。過疎地の人から言えば、「採算が合うように電力料金を高くすれば良い」ということになります。逆に言えば、今まで過疎地が原発を受け入れる見返りに補償金を受け取ったから、密集地にもそれに匹敵する補償金を人口あたり同様に出す必要が有るとすれば、経済的には全く無理になっているということですね。
 さらに、もし万が一事故が発生したら被害者(被災者と言うべきかもしれません)への慰謝料の額は過疎地と密集地では比較になりません。チェルノブイリ事故と較べれば相当程度が低かった (原子力事故レベルとしては3段階低い) ものの、実例となってしまった東海村臨界被ばく事故でも、村が損害補償を求めると言うのは当然だろうし、休業を余儀なくされた会社や商店、農業・漁業への影響の補償など、まともに請求が来たら一企業では補償しきれない額になりかねません。チェルノブイリ級の事故であれば、東京電力など大手の電力供給企業であってもとても対応できないでしょう。となれば、特定の銀行の不始末ですらいとも簡単につぎ込まれたと同じように、公的資金を用いて政府(国民)が補償することになります。いえ、東京でそんなことが起こったら、国民の1割が被害を受けることになり、そのほか東京の土地すら使い物にならないので不動産の被害も考えたら、考えるまでもなく日本は完全に第二次世界大戦直後まで後戻りでしょう。
 もちろんこのような分析は一方的、短絡的でしょうが、過疎地に、という根拠の相当の割合にはなっていると思いますし、「安全」が完全ではないという暗黙の了解も有るでしょう。有ってはならないけれど、万が一事故が起こったら、と考えれば、自ずとどちらが選ばれるか決まります。
 原発のようなものでなく、ガスタービン発電所を住宅密集地に作るときに先ほどのような発言があると、人口密集地の人達に「過疎地の人たちは幼児を含め、犠牲になっても良いのだ」という潜在意識が有るとすれば、当然過疎の人たちも受け入れを拒否するようになるでしょう。今でも、過疎の人たちには受け入れを拒否しているグループも有るのは当然だし、賛成とは言えないまでもどこかに作らねばならない事情を勘案すれば、過疎地という考えも受け入れやむなしという消極的受け入れ派の人たちも、これではその気も削がれるでしょう。
 結局、過疎地に厄介物を作るように働く因子は、密集地の人たちがとやかく言うべきことではなく、取扱事業者(原発なら電力事業者、および政府)が条件提示し、過疎地が受け入れたということです。密集地が条件を提示されて受け入れる気になれば良いのであって、過疎地に決めつける理由は何もないのです。
 いやいや、補償金だけではない、密集地は地代が高すぎるから採算は合うわけがない、と思う人が一般の人だけではなく詳しい人にも有るようです。しかし、私の計算では土地価格は大きなファクターでは無さそうです(もちろん、以下の私の計算の方が間違っている可能性もあります)。なぜなら、1章で示した送電損失が大きいからです。過疎地から密集地へ電力を供給すると、せっかく発生した電力の 1 割程度が延々と電線を伝わって行くうちに失われます。それを初めから密集地に作れば損失が無くなります。しかも原発ならウラン、火力発電所なら化石燃料の消費をも1割抑えられるし、火力発電所なら温暖化ガスである CO2をも削減できてしまいます。100万kW級の発電所は控えめに見て1日2億円ほど稼ぎますから、点検日を考慮しても一年で500億円 20年で1兆円稼ぐのです。その1割 1000億円を損しているのです。100万kW級の原子炉を 5基備える中部電力浜岡発電所を例に取ると、年間 5000億円損しています。その面積が160万m2ですから、損失分で土地を購入するとしたら、30万円/m2です。一坪100万円です。東京や大阪都心部は無理としても、郊外になら十分可能性が有ります。最近は原発の寿命を60年としていますから20年という計算はぐんと控えめです。もちろん、原発にせよ火力にせよ、蒸気タービンを回しますからどうしても冷却水が必要です。温度が少し変わっても良い豊富な水が無ければもともと過疎地であっても都心であっても郊外であっても無理です。(膨大な冷却水が必要なのは、原発だけでなく火力発電所も同じです。日本はどの都市も海に近いので発電所は海にある、と短絡しますが、大陸に有る国や都市の発電所は、当然大きな川の近くに立地しています)。

莫大な補償金だけでは受け入れられなくなってきた

 最近では、結局補償金が有っても地元の 若者に魅力有る職場を提供してくれるわけではない、ということと、むしろ若者は核の影響を嫌って離れて行ってしまうという皮肉な状況も起こっていて、受け入れがだんだん厳しい状況になってきているようです。2000年2月にその激震が三重県で起こりました。紀勢町・南島町に予定していた芦浜原発の三重県知事による白紙撤回宣言です。積極推進の紀勢町反対の南島町が真っ向からぶつかったまま冷却期間など修復を狙ったものの解決をみないまま冷却期間を過ぎ、立地の話が始まってから37年も経過、知事は結局地元の合意が得られない場合は立地できないという原則に沿っての白紙撤回でした。中電はこれを強行突破するには地元のことでもあり摩擦が大きすぎるという判断でしょう、それまでは相当強気であった社長の断念宣言も敏速でした。このほか、新潟県巻町の動きも見逃せません。事故が起こらずとも、放射線の影響が有るとうい報道が海外では出ている(多くは核燃料処理施設やウラン採掘現場においてであろう)し、日本でもそういう事実が見られるということを書いている本が有るから、心配 (放射線の影響を受けやすいのは乳幼児であり、これから結婚して子育てをするには危険が多いと判断するから) なのは無理もないこと。この点は国や電力会社、技術者・科学者がデータをもとに真相をきちんと説明し、また事実なら一層安全を図れる技術開発を行う必要があるでしょう。実際、影響が無いとしても、その不安が妊婦や胎児に悪い影響を生むことは否定できません。もちろん、一方では受け入れを容認するところ(志賀原発敦賀原発3,4号機高浜原発5号機)など、揺れているところ(珠州原発など)もあります。ともかく、すでに発電は 30年も前から始まってしまっているのですし、総発電量の 3分の 1 という重みは後には引けず、受益者は知らん顔、地元はいつ被害者になるか分からない、いやすでに被害者になっているかもしれない、という不安な状況を放置していてはあまりにも不公平と言わざるをえません。


国民の世論も原子力に不安を感じている

 下の図は、1999年 2月に総理府が調査した原発の世論調査結果です。

総理府世論調査 (1999.2月アンケート調査 : 8 月発表)


原子力発電に関する安心感
不安 (68.2%) 安心 (25.4%) わからない (6.4%)

不安の理由
事故が起きる可能性がある  69.8%
情報公開が不十分  49.2%
虚偽報告など不祥事続出  43.4%
海外で大きな事故起きた  41.5%
故障・事故報道が有る  35.3%


地球温暖化について
関心がある  87.6%
太陽光発電、風力発電など新エネルギーの導入推進  67.0%
省エネルギーの推進  60.6%
原発の推進  14.4%




本当に原子力を増やさないとだめなの?

 これに対し、このところ続いた高速増殖炉「もんじゅ」の事故、東海村の爆発事故、それらの発表の大幅遅れと虚偽報告、原電工事の核燃料格納容器のデータ改ざんおよびデータねつ造が大きく影響しているのは否めません。いや、この後さらに起こった敦賀2号機の熱交換器の高サイクル熱疲労による亀裂発生水漏れ事故、イギリス BNFL の再処理核燃料ペレットのサイズに関するデータねつ造問題、何度も示す「東海村臨界被ばく事故」など、短い時間に安全性にかかわる問題が多発し、その多くがチェルノブイリ事故を思い起こすまでもなく、原発事故がひとたび起こったら日本ばかりか世界的に被害が広がることを、あまりにも軽視した一部関係者の非常識ぶりが原子力への不信感を募らせる大きな要因となってます。それも、事故ばかりか、事故隠しやデータねつ造が繰り返し発生しており、学習能力の無さが原子力関係者の道徳心への不信感をあおることになってしまっています。これらの結果をさらに経験した後の調査はいっそう原子力への評価を厳しいものにしたのは間違いありません。

原子力開発への不安

今回調査(1999.10.23,24)
非常に不安 有る程度不安 あまり感じない 全く感
じない
分からない
・無回答

前回調査(1999.7.10,11)
非常に不安 有る程度不安 あまり感じない 全く感
じない
分からない
・無回答

 さて、日本政府も電力業界も「原子力を増やさないと今後が危ない」と言います。COP3 のあとも、その対策として原子力発電所を 20基増やす ことを目標にかかげました(その後JCO の事故を受けて、4-13基と後退しました)。本当にそうかどうか、知りたいところですね。でも、これは政府や電力業界が教えてくれたり、ましてや責任をとってくれることではありません。国民一人一人が、今後どういう生活をしたいか、ということに依存します。政府や電力業界は、今の状態を見て今後を先取りすると原子力依存を増やさねばやってゆけないと思っているのでしょう。前述のように、原子力依存は総一次エネルギー供給量の 12% なのだから、まだ止めようとして止められない訳ではないでしょう。もちろん、しばらくか、かなり長期にわたって経済の混乱が起こるでしょう。その混乱によって、どういうわけか得するものも現れるでしょうが、損するものも居て、そのギャップがあまりにも大きいことが想像されますから、その犠牲をどう小さくするかまで考えないと、安易にはできっこありません。問題はさらに複雑だと思います。経済がわからない私に正確なことは言えないのですが、ともかく日本は資源が無い国だから、諸外国から輸入した資源を加工してまた買ってもらわなくてはならない。そのためにはかなり競争力を維持して行かなくてはならない。国民の生活レベルを下げた分、貿易量を減じれば良いのですが、それに伴い、なにがしかの技術開発力の余裕が損なわれ、競争力は低下するでしょう。そういう混乱をきちんと整理するのが、経済学であり政治学だと言いたいのですが、それは期待のしすぎなのは最近の状況を見ればわかります。それでもそういう問題がクリアーできたと仮定しましょう。一方には12%も切りつめた生活は望まない、というグループが居るでしょうから、原発は止めようと言うグループとエネルギー負担割合で半々と仮定し、その半分の人たちがとりあえず容認派を説得するためには最悪 24% 節減を覚悟すれば良い勘定になります(横着な論理とは思いますが)。上記条件が整い、そこまで覚悟すれば、原子力は不要になるかもしれません。
 さて、現在のウランの埋蔵量では、原子力に依存すれば依存するほど、ウランの寿命が縮みます。それで「ウラン-プルトニウム混合燃料=MOX」、いわゆる「プルサーマル」への移行が進められています。これは、核燃料サイクルと言って、結局は燃料のリサイクルになると言っています。日本ではその設備が青森県六ヶ所村に有ります。まだ稼働はしていませんが。それまでは英国やフランスの加工工場に依頼して処理してもらうことになっています。国際的には、たとえばグリーンピースがこの危険(原子爆弾の材料だからテロを心配して)な運搬に反対しています。さて、ウラン235 だけでは、1章で見たように50年程度の寿命しかないのですが、原子炉の中でウラン235 が核反応を起こすときに発生する中性子が、役に立たなかったウラン238に衝突して Pu239 に変わるのです。ウラン 235 自体も、原子炉の中で全部役に立って燃えがらになって始末されるのではなく、まだ燃えなかったウラン235 も相当残っているから再び濃縮して使うのですが、このとき、プルトニウムも取り出すことができます。このように原子炉の中でプルトニウムは自然にできてしまうのですが、このプルトニウムがあると原子爆弾に転用しやすいものだから、世界の警察官を自負する国、あるいは過去に戦争の犠牲になった国々から見ると、戦犯国日本を含め、あやしげな国が原子炉を持つことに非常に神経質な次第なのはご存じのことでしょう。1998年のインドとパキスタンの問題、北朝鮮の問題がその好例です。そのプルトニウムを平和利用することも可能だから、取り締まりたい側としては厄介になるわけです。その平和利用に、ウラン238を上手にプルトニウム239にしつつ使って行けば、相当ウランの寿命が延びることになります。こういう次第で、リサイクルと言っているのです。その点は「もんじゅ」の増殖炉にも言えます。これも、「ウラン」を「ウラン」として使うと寿命が 70年ということですが、最終的な実力としてはウランはその何倍も持っている、ところがその実力を使い切ろうとすると相当危険な状態に陥ることを避ける制御技術を完璧に構築しなくてはならない。それが実際は非常に難しいので、比較的簡単な制御で取り出せるエネルギー部分を利用して、難しい部分はそのまま使わずに棄てているのが通常の原子力利用技術です。通常言っている、核のリサイクルでは、一度に50〜60% 程度の Pu の回収ができるということなので、これを何度も繰り返すと倍ぐらいに寿命が伸びることになります。増殖炉なら、U238 をほとんど Pu239 にするので、数十倍寿命が伸びることになり、寿命から見れば圧倒的に有利なわけです。
 ただし、このプルトニウムの利用に MOX が浮かび上がった真の理由は、リサイクルではないというのが通説です。「もんじゅ」さえうまく行っておれば問題は無かったのですが、高速増殖炉での利用という先を見越して英仏の核処理工場に通常の原子炉から発生する燃えかすを処理してプルトニウムを精製することは契約済み(上述青森県六ヶ所村の施設の稼働はまだ先のこと)、ところが「もんじゅ」事故以来高速増殖炉での利用は先が見えなくなった。濃縮したプルトニウムを備蓄するのは IAEAへの義務違反(爆弾になるから、ある程度以上は蓄えてはいけない)、どうしても国際的には使い切らなくてはならない、となると幸い MOX として燃やすなら従来型の軽水炉で燃すことができる(当然、そういう従来型の原子炉でできた Pu は一部燃えている)。それならば、そこで燃そうという次第です。ただし、従来型の原子炉のまま燃すと制御がしにくいと言われています。
 もんじゅの事故は、機械工学では学部生ですら知っている簡単なことを計算に入れなかった(金属疲労のことで、最初にイギリスのジェット旅客機コメットが墜落した原因としてあまりに有名な現象)ばかりに、「もんじゅ」の温度計の設計がとんでもない事故を発生させ国策を歪め、種々の問題を起こしているのです。最近はこうした日本の関係者のお粗末ぶりに外国までつきあってくれています。すなわち、BNFL のデータねつ造問題です。さらに輪をかけて不思議なことに BNFL がしでかした問題を、当の英国からねつ造された被害者であるべき発注者「関電」にさらにねつ造分が有ることを知らせてもらいながら、しかもその可能性が十分に予測できたためわざわざ調査にでかけながら、「それ以上のねつ造は無かったことを確認した」と発表するという、癒着ではないかという 疑問さえ持たせる事態に至ってしまい、関係者の処分にもなりました。BFNL は日本以外にも問題を起こしています。さらにこの BNFL は高浜用の再処理燃料ペレットにねじやコンクリート片を混入させているという、驚くべきずさんさを暴露してしまいました(そういうものが混入するような設備だからずさんと言っているのではありません、設備は近代的なはずです。恐らく、人為的に入れたのだというのが裏でまことしやかに語られていることですし、充分あり得ることでしょう、処理工場付近では放射線レベルが非常に高いというのが事実を物語っているなら付近の住民の反感は強いだろうし、原発反対派もいくらも居るだろうし)。それが発覚する前には、ドイツへのデータねつ造事件に関連して「今まで事故はなかった」と強気に答弁していたのです。ともかく、この MOX による Pu の燃焼は2000年度には始めると言うことで、原子力 eye 誌にもそれを期待する論文がたくさん出ていたのですが、あちこちの醜態によりあっという間に先行き不透明になってしまっています。日本ばかりか、紳士の国英国ですらその場しのぎの取り繕いで逃げようとする体質を国民は感じ取ってしまったと言っては過言でしょうか。
 事故も、不祥事も、残念ながら続くものです。 (誤解しないで下さい。私は反対派ではありませんから、そういう事態を誇張したり喜んでいるわけではありません、賛成の立場でこのページを公開しているわけでもありません。極力中立を保ち、現状をある意味では素人ながら分析しようとしているだけです。総発電量の30%以上が原発で作られている現状、それに代わる適当なエネルギー資源が世界的にも不透明な状況を勘案し、なんとか安全に、しかも国民がそれにより痛みが発生するとするなら、極力公平にそれを分かち合うべきだという姿勢です。さらには、そういう現状の中で、我が学科からも卒業生が関連した職場に居る、これからも送り出す立場に居るという中での見解を述べている次第です)。


BFNL 問題、JCO 問題後もまだまだ続く事故、不祥事

 2001年9月初め、世界を震撼させて大事件が起こりました。TVで送られてくる映像はまるで映画の一シーンのようでもあり、これが 4月1日だったら、誰も信じなかったというほどの規模のものでした。
 その興奮からまだ覚めやらぬやはり 9月、日本で思わぬ事故が発生しました。浜岡原発事故です。記憶に新しい方も多いでしょう。緊急時のために、原子炉に入っている水の温度を下げるための配管が大きく破断したのです。発生したのは、緊急停止系の点検しようとしていたときです。事故原因は最初、水撃によると予測されました。応力腐食割れという診断をした学者も居ます。最終的に報告書に出されたのは、水素爆発でした。そして、こんなことは思いもよらぬ考えもつかない事故だったと関係者は答弁した。保安院も含めて。
 その思いもよらぬ事故という言葉に、二つ意味がある。一つは、「だから防ぎようがなかった」という弁解的意味。もう一つは、「だから原発は危ない」という意味。思いもよらぬ事故が起こるのだから、万全だと言っても安心できないという。そういう意味では、当事者としても、だからもう原発は止めようという人も居たかもしれない。きっと多くは、「こういう想定外事故は原発に限らず、何ででも発生するのだから、原発だけ非難しても仕方がない。原発事故の重大さを考えるとき、想定外事故が発生してもそれを防ぐ対策で被害を食い止めることとし、それでもくい止められない確率が普通の事故より圧倒的に低ければそれで良しとしなくてはならない」という納得の仕方ではないでしょうか。
 ともかく、そうして事故は起こり、かと言ってその事故自体では放射能漏れが起こったわけではありません。中電とメーカーとは、その爆発原因を半年以上かけて吟味し、水素爆発と断定し、報告しました。原子炉の中では放射線で水が分解して水素と酸素になることは知られていました。その酸素が圧力容器などを腐食するため、水素と白金を混入さえしていたのです。それが災いしました。分解された水素(混入された分も含めて?)と酸素は、徐々にその配管に流れ込み、上部に貯まっていったのです。その配管内圧力は70MPa程度、温度は 300度C程度に達します。その温度・圧力で水素・酸素が爆発するかどうかは、設計段階では知らなかったはずです。なぜなら、我々燃焼屋もそこは想像線で爆発限界を示してはいるものの、実際に実験した例として一般に知られているわけではないのです。恐らくどこにもデータは無いでしょう。むしろ、そんな風にそこにそのガスが貯まることを想定していなかったのです。事故後、中電とメーカーは実験し、その温度では爆発に至らないという結論も得ています。それでも実際爆発したのです。それで、その温度の場に白金など触媒作用が働けば爆発する、という実験もしました。問題は、理想的な混合状態で着火はしなかったが、白金が有れば着火するという事実です。理想的な混合状態だったのか、ということが明確になっていませんし、白金がそこに有ったことまでは調べたようですが、実際触媒作用に貢献できる形で限られた着火しやすい部分に存在していたのか、というところは曖昧です。
 ともかく、事故の条件として想定していなかった、水素と酸素が貯まるという実際には合って不思議ではないことが一因であるとともに、そういうことが事前に想定されていれば検討したであろうけれど、誰も調べたことのない領域での爆発が起こり、しかもそのためには偶然そこに白金が無ければならないという、全体としてはありそうにない偶然で起こったのです。
 1999年の敦賀2号機のときも、そうでした。ある原子力関係の先生は、「設計ミスではない」と新聞にコメントしました。でも、設計ミスでした。恐らく、数値シミュレーションで確認し、大丈夫と結論して製作したのでしょう。それが、温度差が激しい流体の熱交換器が高サイクル熱疲労で破断したのです。上記コメントは、数値計算をし、それなりのモデルで実験もして安全確認しているはずだから、壊れたとするなら製造工程に問題があったという確信があったのでしょう。でも、数値計算は、あくまで仮定があってできているわけで、複雑な場の流れはシンプルな場での実験式をあてはめて解析することが結構あります。それが適用可かどうか、わからないものもたくさんあるはずです。でも、そこに式があるから使ってみる、というのが数値計算コードの根底にあります。使う人がそれの適用範囲を十分知っていればまだしも、いちいちそれを確認していたら仕事にならないのでつい盲目的になるでしょう。とくに不安定現象を予測するコードは一層そういう嫌いがあるでしょう。計算コードを作って、それで良いか、シンプルな場で試し、ほぼ再現されれば可となる。だから、複雑な現象が重なって起こったときなど、それぞれの現象については保証したつもりが、重複したら全く異なる現象になる場合などは、もはや予測できないわけです。そういうことに遭遇すると、その計算コードはそこを見直して改善されるわけです。敦賀 2号機については、結局事故が起こってからその現象を取り込んだ解析をし、実験をして高サイクル熱疲労に間違いないことを確認し、設計のミスであったことが証明され、あらたな計算コードで再設計したものに交換されています。
 そういう設計が各所でなされていると思うけれど、まだ起こっていないだけでこれから起こるべくして起こる、我々には偶然と映る現象(事故?)が待ち受けているかもしれないとは恐れすぎかもしれません。

米国同時多発テロの対象にもなっていた

 一方、事故は予測できなかった現象で発生するかもしれないけれど、テロという厄介なことでも起こりえます。2001年9月の米同時多発テロで、米政府がいち早く原発を守ろうとし、ブッシュ大統領が核燃料廃棄物を方々の原発が管理する状態は危ないからネバダのヤッカマウンテンをその地下埋設地として集中管理すれば守りやすい、として知事の反対を押し切って決定したのも、テロが大きな理由です。後に、実行犯に近いメンバーが、当初狙ったのは原発だったが途中で矛先を変えた、と証言し、どうやら米国政府はそういう計画が有ることも知っていながら対応しなかった節が有ります。だからこそ、即座にブッシュ大統領が原発を武力で守ると、テロ直後に対応したのでしょう。
 原発にファントムやジェット旅客機が突っ込んでも大丈夫という話もあります。が、ニューヨーク貿易センタービルがあのように崩壊することは、実行犯達も予想しなかったことは、主犯といわれるビンラーディンが明言しています。そのことにアルカイダは言及していないと思いますが、イスラム信者も多数巻き込んでしまったのは、誤算だったでしょう。ジェット燃料が火災で高熱を発し、コンクリートを脆くし、鉄骨を溶かしたのが原因です。時間差を持って複数のジェット機が燃料もろとも突っ込めば、原子炉も脆いかも知れない。ましてや、名前を忘れたけれど、米国が開発した削岩機の化け物(アフガニスタンでアルカイダが山中の洞穴に隠れているということで、多用された)を頭に持つ爆弾が有れば、岩盤も数b掘り進むというのだから、原子炉も簡単に穴が開く。そんなものを盗まれて原子炉に突っ込まれたら、為すすべを持たないですね。

日本の原発の問題の核心はどこに?

 2002年月末、今度はシュラウドのひび割れなどに関するデータ隠しが、東電で発覚し、中部電力、東北電力でもそうしたことがあったことが判明。それは東電の点検を請け負った会社で作業に携わった人の告発で分かった。ところが、告発から二年経ってやっと表に出たのです。その理由を、告発を受けた経済産業省原子力安全・保安院は、告発者の名が漏れるのを避けるために遠回しに調査せざるを得なかったから、としていたのが、実は真っ赤な嘘で、その告発の直後に東電に告発者の名前入りどころか、その人の性格をその人の所属する会社では「危険人物」としてマークされていたことまで知らせて、確認したことが判明。これは、偽証罪に当たるわけですね。ところが、まず、その保安院はまだまだ虚偽報告やデータ隠しがぞろぞろ出つつあるうちから、東電の刑事告発をしないことを決めてしまい、世間から批判を受けた上に、さらにその名前を漏らしたという事実を保安院が正直に認めないうちから、経産省が保安院の処分を決めようとして、批判を浴びるという、国民から見たらとんだ茶番劇を演じているし、地元から見たら愚弄するのもいい加減にしてくれという状況だと思われます。
 なぜ、こんなことが起こったのでしょう? 専門家の多くは、原子炉の維持管理は新品と同様の状態でなくてはならないとなっていて、少々の「ひび「で安全性が損なわれるわけでもないのに、新品同様に保つことが義務づけられている、そうした状況では、不要なことまで経費と労力をかけてやらざるをえない。これはたまらない、ということでつい、現場は効率的なことを考えてしまう、と述べている。
 そういうすったもんだの議論の中、一ヶ月経過後の 9/26には、再び東電で今度は重大事故が起こったときには最後の砦とされる格納容器の気密性の検査で十分気密性が保たれていない(基準値を満足しなかった)ことが判明し、ガスを封入して漏れたガスに帳尻を合わせる操作をしたという疑念が出てきました。これもまた、圧倒的に多くが漏れたというわけではないので、考え方によっては安全だ(事実、その後事故に至ったわでではない)と判断して、ごまかしたということかもしれませんが、この検査は重要な項目になっていて、ごまかして済むものでは無いのです。事故というものは初めはちょろちょろと言うことが多いし、だからこそ、安全かどうかのぎりぎりで基準値を定めているはずです。まだ安全な域だから、基準を達成しなかったからと言って原子炉を止める必要は無いという判断は、独断的であり、安全の最後の砦でそんなことを独自判断されたのでは検査自体が無意味になります。
 私は原子力関係から遠くにいる熱工学者ですから、はずれた見解も多いのでそのまま信じていただくと大きな間違いになるかもしれませんが、これについても、曖昧ながら以下のような見解を述べさせていただきます。
 国策として原発が存在することが、実は大きな間違いに至る可能性を秘めていると思います。7章で詳しく述べますが、温暖化問題に世界的に取り組む京都議定書が'97年に採択され、先進国はそれぞれの負担率で温暖化ガス削減目標を設定しました。日本は '98年にその達成を目指して「温暖化対策大綱」を作りました。その大きな役割を原発依存でした。温暖化ガスの主要な部分を占める炭酸ガスを排出する火力発電を減らし、それがほとんど出ない原発を増やすという案であり、50余基ある現有量をほぼ倍増する 20基の増設を組み込みました。でも、これは電力会社も付いて行けない無謀とも言える数値でした。各地で原子力立地が頓挫したりしていました。これを見ても、電力会社が推進したいと言うより、国が推進したいという姿がありありです。
 それでは、京都議定書が出てきたから政府は原発を増やしたいのかというと、そうではなく、以前から 23基増やしたいなど、非常に高い目標を掲げて来ていました。これは長期エネルギー計画を見れば明らかで、原発はぐんぐんとシェアーを伸ばす計画になっていたのです。その背景は、やはり石油の中東依存の高さにあり、中東の政情不安定にあります。生活の基盤であるエネルギーを安定供給できてはじめて政府であり、国の体裁をなすわけです。その責任を全うするためには、石油は不安定すぎるというわけで、原発依存になるわけです。そうして徐々に悪い見方をして失礼ではあろうけれど、原発は御上の意志として不文律ができあがってしまったのでしょう。先に原発ありき、の姿勢ができあがったと思います。そんなときに、東電はトラブルを見つけ、それを報告しては国の威信に関わるというわけでしょう。邪推すれば、東電一社が国策にケチを付けるような、そんなお国の大事にも繋がりかねないことを判断できない、ということで政府のどこか(誰か)に内々打診していても不思議はありません。あるいは、国を背負っているという自負が東電にあったとすれば、思い上がりも甚だしいということでしょう。とにもかくにも、東電も、お目付役の経産省(旧通産省)も、原発推進は絶対の国策という意識があり、仲間意識も圧倒的に強かったとして不思議はありません。そこには、当然大金が動き、その利権にあやかる政治家が居ても不思議はないし、地方はそこで払われる地域振興費などがおいしい。また、メーカーも国防費並みに大金が転がり込み、積極的になるのは当然でしょう。実際そうかどうかは別として、そうあっても不思議ではないわけです。
 そう考えれば、勘ぐりばかりで証拠はないので、お叱りを受けるかもしれませんが、保安院があまり処分に積極的になれないことも、東電に旧エネルギー庁が実名を明かし、その人に張られた企業サイドのレッテルまで教えて真偽を問うたという経緯も納得できます。同じ仲間とすればです。
 そうではないかもしれませんが、国策ということとお目付役が国サイドであることを考えれば、そういう短絡が許されてしまう可能性が否定できないのは事実でしょう。やはり、お目付役である保安院は、推進派であってはならないのではないでしょうか? 保安院にもお目付役ができましたが、これまた原発推進派の大学の先生ということで、結局仲間が仲間を裁くという構図で、どこまで機能するか申し訳ないけれど疑ってしまいます。裁くことが緩くても、事態が深刻にならない道筋ができ、場合によっては(東電などは)原発は止めろという決定権を持つほどの委員会であれば、意味があるでしょう。東電問題が起こって国民が疑念を抱いているのは、その点だと思います。経産相が「それでも原発推進路線は揺るがない」と答弁していますが、これは国民が何と思おうと推進する、というブッシュ流の強権のようにも聞こえます。国民にきちんと説明できてからの答弁ならともかく、真相は過去のことでわからない、ということが多すぎる状態での答弁としてはとくにです。一方でほぼ同時進行している北朝鮮問題では、拉致された人たちの多くのお骨は洪水で流れてしまったなどという曖昧な説明には納得できないと言いながら、こちらはそれで片づく方向なのです。国民としては釈然としないのではないでしょうか。こういうことが、国策なのだと言われると、国策とは何だということになります。

U238を上手に使うなら、やはり高速増殖炉になるの?

 1940年代に原子力が人間の手で平和利用も開始、戦争にも使われたのですがそれから30年後の 1970年代、今から30年前のこと、原子力利用技術では最先端を行っていたアメリカではすでに化石燃料とウランの枯渇が危惧されており、とくに石油も天然ガスもアメリカ本土に埋蔵する量の相当量をすでに掘り尽くしており、残りはわずか(当時半分程度残していた状態が、現在は石油も天然ガスも 10年程度になっている)、さらに第一次石油ショックを経験したばかりの多くの原子力科学者や技術者達は「増殖炉」こそがこの大問題を解決する救いとなることを信じていました(たとえば ローレンス・ロックス/リチャード・P・ラニヨン など)。増殖炉という「増殖」は、言葉の通りだとねずみ算でエネルギーは無限と思いそうですが、「ねずみ講」と同様にいずれ破綻します。「ねずみ講」と違うのは、エネルギーの視点では被害者は居ないし、増殖できる間は人類はその恩恵を受けられるということです。そして、さらに無尽蔵と言っても言い過ぎではない核融合技術につなげば良いと。これは、ローレンス達だけではなく、世界的な期待でした。たとえば 1974年発行のサイエンス特集号「エネルギー」にも、増殖炉はかなり早く実用化されるだろうと期待が述べられているのです。具体的に 1984年に実用化されたなら(アメリカではそれぐらいで実用化するということで予算を獲得しているからです、これだとこの記事の 10年後ですね)、という仮定の話ではあるものの、相当現実味が有る話としての記述が出てきます。そして、核融合もそこに特集されています。ついでに、ここにそのころ研究されていた、あるいは計画されていた増殖炉について表で示しましょう。日本の「もんじゅ」も建設中として示されています。一方、フェニックスはあるものの、スーパーフェニックスはまだありません。日本も常陽やもんじゅが名を連ねています。蒼々たる数ですね。


1974年当時・世界の高速増殖炉の動向

(ドイツ、Cpは当時は西ドイツ、ソ連)

 名  称出 力 (MW)運転開始
電気
運転中 BR-5 51959
DFR 60151959
EBR-11 62.5201964
RAPSODIE 40201967
SEFOR 201969
BOR-60 60121970
建設中 BN-350 1,0001501973
PFR 6002501972
PHENIX 6002501973
BN-600 1,5006001973/75
FFTF 4001974
JEFR(JOYO) 100 1975
計画中 KNK-11 58201972
PEC 1401975
SNR 7303001975
DEMO#1 9753801976
JPFR(MONJU) 750 300 1980
解 体 CLEMENTINE 0.0251946
EBR-1 1−0.2/TH>1951
BR-2 0.11956
LAMPRE-1 11961
FERMI 200661963


 アメリカはかなり顔を出していますし、975MWのものを計画していましたが、直後には経済性を理由にアメリカは原子力依存から撤退に向かい、 5年後の1979年にスリーマイル島の事故を経験して原子力政策が決定的になりました(実は、事故直後の1980年時点でも高速増殖炉の推進をしなければ、という報告も有ります、これはしかも時の大統領・カーター氏の依頼による2000年予測としての調査報告の中ですから、この頃は原子力政策、高速増殖炉政策自体が混乱していたと思われます)。旧ソ連も、さらに後になってチェルノブイリの事故を経験し、ヨーロッパに甚大な被害を残しました。結局、運転中あるいは建設中のものはほとんど運転または建設中止となり、また計画中も実際には作られなかったものばかりです。
 さて、増殖炉を運転するのは非常に制御が難しいのですが、「フェールセーフ」すなわち、失敗しても必ず安全側に事態が進むように装置が作られていれば、悲劇は起こらないことになります。そういう設計ができるかどうかにかかるのです。ところが、原子力先進国アメリカで、不幸なことに熱く期待された増殖炉と較べて圧倒的に制御技術が易しい筈の原子炉の事故が発生してしまった。上述のスリーマイル島の事故です。増殖炉開発をしなくてはならない、と科学者達が声を上げていたまさにそのまっただ中の 1979年のことです。その後しばらくしてアメリカはすでに建築中であったにもかかわらず高速増殖炉(CRBR)の予算を財政の問題も絡んでいたようですが、中止してしまいました。これを機に高速増殖炉どころではなく、経済的理由からすでに沈滞ムードの通常の原子力発電所についても、各電気事業企業は新しく建設しないことを決定的にしてしまいました(下図参照、アメリカの他スウェーデンとドイツが新設を棚上げしています)。
 エネルギー資源としては、日本同様貧乏なフランス(石油無し、天然ガス 24年程度、ウラン少々)は、日本以上に原子力を推進して来ていますが、今後は不透明です(さらに下の表「主要国と世界の発電源割合」参照)。

世界の原子力発電所の現況

 そのフランスは日本と違って、原子力爆弾にも非常に強い未練があることは最近の実験でも皆さんよく知っていますね。当然先行きの暗いウランに頼る通常の原子力では将来性が無いため、増殖炉に強い期待をし、スーパーフェニックスを実証炉(125万kW)として研究を進めて来ました。

原子力政策では日本の先を走っているフランスも高速増殖炉はとん挫してしまった

ところが、やはり安全性に自信が持てず(水と触れると爆発的に反応するナトリウムに空気が混じり、純度が落ちてきたのが問題と言われてもいるし、経済的に見合わないことが明らかになってきたというところもあるようです)、'98年2月に 廃炉を決定しました(実際のところは政権が変わったための政策転換とも言われています)。廃炉にはしたものの、それの解体作業は強い放射線による汚染をしていた炉だけに、莫大な費用がかかるであろうと予想されていますが、予算的に見通しが立っていないため解体がなされるのかどうかさえ見通しが立っていないとも言われています( '98,2月 の発表では、165億フラン{'98.8月のレートで約4000億円}=フランス国民一人平均約7000円負担、ただし、この負担はフランスだけでなくこの計画に参加したヨーロッパ諸国の電力会社も負担するので薄められます)と試算されており、2004年まで前処理、2005年から原子炉本体の解体に入る予定)。ともかく放射性物質の扱いについて、研究しなくてはならないので休止していたフェニックスを再開するということになっています。

廃炉費用は未知数 !!

現在の一般の原子炉にしても、廃炉を考えない発電単価では火力発電所のそれより安い計算になっていますが、これから廃炉、あるいは高レベル核廃棄物の処理について、どういう対策をすべきかわからない状況です(1999年炉の寿命を延ばしたことから発電単価を再試算した中には廃炉費用も高レベル放射性廃棄物処理費用を含んで 5.9円として、これまでの9円より相当安く見積もっているが、実際廃炉したのは東海村の日本初の原子炉のみ、さらには高レベル放射性廃棄物は処分場すら決まらない状態)。ましてやスーパーフェニックスはプルトニウムという一層毒性の強い核燃料を使い、また熱交換媒体に使ったナトリウムはもんじゅでも明らかなように、水分との反応は爆発的に進むので放射線により汚染されていることも考慮しつつ、それの取り扱いも大変なことになります。
 そういうわけで、高速増殖炉は核融合炉以上に期待された熱発生炉でしたが、アメリカは早々と、そしてその後多くが手を引き、フランスも未練を残しつつ最近撤退した今、日本だけが事故を起こしつつ重大事には至らなかったとして一次中断中ではあるものの、今後も開発続行の意志は強い(原子力委員会長期計画策定会議)よう(と言いながら、同じ委員会がわずか2ヶ月でトーンダウンしていて委員会も国民の意思との間で混乱状態?)です。国民の意見を反映するため設置された原子力円卓会議も、最終会議では研究続行に消極的賛成の態度で結びました。また事故後運転停止を要求する訴えに、 裁判所 は安全性については問題ないとの判断を下し、あとは福井県の了解を得られれば研究再開という段取りになっています。なんと、この事故以来、ナトリウムが凝固してしまっては大変なのでと、ずっと加熱を続けていて維持費が相当嵩んでいます。それに経費に耐えるためにも、早期再開が求められているという事情も本音にあるようです。
 なお、データがはっきりしないロシアでは、まだ計画もあるようです。規模が大きな600MWeがベルヤルクス3号機として1980年以来運転中、さらに、4号機800MWeの建設に着手。南ウラルには新たに2基の計画が有るが資金問題が有るといいます。また最近中国でも高速増殖炉建設計画が進んでいます。

世界の発電源割合 <


 さて、日本最初の商業炉である東海発電所 (16.6万kW)は、 '98年3月で運転停止、今度は一転して合理的な廃炉技術を実証する使命を負うこととなっています。その間、287億kWh を発電してきました。廃炉は3年〜4年かけて燃料を取り出し、放射濃物質による汚染の除去・原子炉の放射能の減衰を見極めるのに 15〜20年かけ、解体撤去を完了予定といいます。解体費用は 250億円程度と見積もられていますが、上述の発電単価が通常の2倍かかっている炉であることはさっ引いたとして、原子炉は 9〜10円/kWh(2000年の再試算の 5.9円/kWhは '98年以降建設の炉と断っている) とされていますから、約1割が廃炉費用ということになります。これがこの程度で済めば、電気料金へははねかえってこないでしょうが、ため込んだ使い済み燃料をどうするか、も含めると、高価になるでしょうし、一度でも放射線や放射性物質漏れのような事故を起こせばそれこそ莫大な費用が必要になることは避けられないでしょう。
 こういう費用は、今その恩恵に浴している我々が後から追徴金を払うことになるのではなく、将来のユーザから取り立てる (料金が高くなる)ことになります。たとえば、国鉄時代の借金が数十兆円にも膨れ上がっているものを、誰も払う人が居ないからと、現 JR に払うよう持ちかけても拒否され、税金で払わざるを得ない状況になってきていることと類似します。バブル時代に虚ろな成長を遂げた銀行などが今破綻すべくして破綻し、そのまま破綻させては影響が大きすぎるからと結局は税金を当てにした政策がとられつつあります。住専は既にそういう手が打たれてしまいました。でも、多くは国債に依存していますから子孫につけがまわりますね。環境ホルモンにしても、何十年も前のことが今になって利いてきているという質のものがありますし、ゴミ問題にしてもおそらく今のような埋め立て方式をとってゆくと、あとから困ったことになることは目に見えています。わずか 1mm の厚さのゴムシートを敷いたなら産業廃棄物の投棄が許可されるなど、どんな根拠でそれを良しとしたのか疑いたくなることですね。そんなことは全く効果が無いことがわかっていても、そうでもしないと棄てることができないから「苦肉の策」ということでしょう、本音は。それを非難したくても、それに変わる案があればよいですが、なかなか難しい。先日は名古屋の水道管が破裂し、これも老朽化したものの管理ができておらず、予想だにしなかった類の被害。たかが水道管の破裂ではないかということですが、被害は甚大です。これからこういうことがどこでおきても不思議ではない。経済成長時代に作ったビル、橋、トンネルなど、諸々のものがこれから寿命を迎えるとすると、それらをどうするのか、予算が組まれているとはとても思えない。この原子力に関係した同様の問題として、アメリカや旧ソ連で核兵器を無心に作り続けました。ところが、核兵器もどんどん技術開発が進み古いものを爆発させて焼却するということは全くできず、だからといって永久に安全だというわけでもないから、地下埋蔵も安心してできない、実際、
放射性物質が漏れているところが多いとスクープされてきている、今のところ永久に安全な始末法は見つかって居らず、将来へとつけをまわしてゆくことになっています。旧ソ連は、チェルノブイリで知っての通り、現在も既に不安なものがこれなくしては生活ができないからと同型の原子炉を動かさざるを得ないのです。どの国も八方ふさがりなのを、結局は先送りしています。
 現在を乗り切る(といっても安易なみかけの成長を続けようとする姿勢は崩さないで)のに精一杯なのですから。


わからないことは後回し !! 常に子孫につけがまわる!!

 こういう「つけ」は結局、直接被害に遭う場所の住民か、問題を積み残して時間的に後ろへ追いやり、子孫に払うことを強制することになります。この「子孫へのツケ」は、2002年700兆円(国民一人あたり600万円)という借金とは全く異質の深刻なものです。他でも述べているのですが、借金は形として残るだけで、実際その時点で生産活動は終わっているので、労働力や資源は使ってしまったわけだから、将来労働して返す必要は無いのです。その資金や、労働力に対して払うべき対価を持ち合わせていなかったから、政府は銀行に国債を発行して肩代わりしてもらったわけです。その銀行のお金は国民の労働の証ですから、結局は国民がただ働きをしただけのことです。その時代で閉じた話であって、子々孫々に残るのはその証文だけで、無意味なものです。もし、超デフレ政策をとれば、貯金額は暴落し、せっかくため込んだお金が返ってこないだけです。でも、実は国債という形でかなりの富は形を変えて戻ってきているのです。問題は、貯金しないでそのとき他のものに変えた人たとえば、暴落まえに家を建てたり固定財産に変えていたりした人と、こまめに銀行や郵便局を信じてもう少し貯まったら、家を建てようなどと考えていた人にとっては悲劇です。ですから、結局は富の配分方法がどこまで平等かという問題であって、将来の子孫へのつけにはなりません。返すとしたら、それは貯金した人の子孫に、しなかった子孫が返すことになるわけで、それはそれで閉じた世界です。昔働いた人に返すわけではないのです。
 もし、前世代の人が「つけ」を残すとしたら、不要な道路や不要な建築物で、維持管理が大変なものでしょう。今の世(日本あるいは先進国)は、働かなければ食えないと言うわけのわからない時代です。実際には、十分ものは有り余っていながら。極言すれば、たとえば 100年持つ製品を作ったのでは、その後製品は売れる訳がないので自分の身が危ないから、数年で壊れるものを作らなくてはならない。だから、大規模構造物でも、寿命を短く設定しなくてはならない。実際、どう設計しどう製造しても寿命はそれなりにあるので、すべてがそう言う意図で短命に作られているとは言いませんが。こういう短命で大規模なものを受け渡された場合は、そのお守りに困るわけです。が、一般にはそういうものを「つけ」と言っている訳ではなく、銀行に残された国債という紙切れのことですね。
 以上は、何度も言ってきたことでしかも若井の独断的な考えです。間違っている可能性も否定できません。是非経済学者の意見を聞きたいものです。
 現在生きている、しかも先進諸国の人たちだけの  ともかく、政府の借金は、紙切れであって、実質的に子孫にツケを残しているわけでは無いので、若い人は心配する必要はありません。問題は、老人人口が多くなり若者が少ないので、老人を少人数で支えられるかどうかです。それはでも、工業力が人の役割をしてくれるようにすれば良いわけで、今までもそれが本来の工業のあるべき姿でしたから、必要以上を望まねば、やりくりできてゆくと思います。でも、正真正銘「ツケ」のようなものです。省力化がうまく機能するシステムにできるかどうかにかかっています。
 そういうものと、原発の廃棄物は全く異質なことは言うまでもありませんね。だから、エネルギー問題を左右するという視点からは原発を選択する必要はないはずです。化石燃料(石炭を使い続け、メタンハイドレートが使えるようになれば)でしばらくはエネルギー問題としては安泰でしょう。ところが、これから経済発展してくる国の人たちの分や将来の人たちの分をも安定に供給するためにはと考えると、どうしても化石燃料だけでは不足するし、気候へ与える影響も大きすぎる、だから必要なはずなのですが、一方では放射性物質というやっかいな問題があって、問題が起こるとすれば同じ将来への影響が非常に大きい。そういうジレンマを抱えて進んでいるということになります。


核燃料サイクル開発機構、500〜1000m級の地層処分放射科学研究施設の建設へ!!

 高レベル放射性廃棄物を埋蔵することの是非を調べる研究を行う「地層処分放射科学研究施設(通称クオリティ)」を東海村に建設することにしました。これまでは、「地層処分基盤研究施設(通称エントリー)」で人工バリア周辺の岩石中の地下水の動きや水質の変化の仕組みについて、あるいは人工バリアの性能を放射性物質を使わないで研究してきました。土岐市を当てにしているのはやはり放射性物質を使わない方法です東海村の施設は '99,7 完成予定だそうです(実際完成したかどうか、調べておりません)。今はガラスで固めて原子炉近くに用意されている貯蔵施設で冷却しながら40〜50年保存し、その後、冷却したら高深度貯蔵施設に移すという計画になっています。


放射性廃棄物処理場の立地と原発立地は全く違う覚悟が必要 !!

 土岐市では、今も建設の是非が曖昧です。建設のための調査は開始したようです。北海道幌延町でも、同様の施設の建設計画が有ります。
 今は、処分するとしたら地層深く深くということで、そういうところで何が起こっているかについて研究しようということです。そこで水が流れているとしたら、どこへ行くのか、どれぐらいの速度か、もし放射性廃棄物がしみ出したら周辺に影響が出始めるのにどれぐらい時間を要するのか、というようなことでしょう。そして、非常にゆっくりで放射性が十分減少してから、ということになれば適地と判断することになり、恐らくそのままその地が処分地となるでしょう。それが地元の警戒です。岐阜県知事と科学技術庁長官とのやりとりで、岐阜県が最終処理場を受け入れることは無いとなっていますが、大金をはたく了解を国会で求め、次の候補地を探す余力が政府にあるでしょうか?まず理解を得られないですね。政府は、一応「立候補を期待する」としています。そんなところは無いだろうという質問にも、是非立候補値が現れると信じているとしか言っていません。一方現(2002年時点で)岐阜県知事は、たとえ県内のどこかの市町村が立候補しても、岐阜県として拒否する、としています。他の都道府県も同じでしょう。それでは埋設案は執行できないどころか、現在地下埋設までとして受け入れ、今後もどんどん貯まってゆくことになっている六ヶ所村は、地表でずっと預かることになってしまいます。国は恐らく、行き場所がないから決まるまで預かってくれと、運び出さないでしょう。運び出すところが無いのです。たとえば、石原東京都知事は今安全とされるより小型の原子炉なら東京に作っても良いと発言したとされています(実は真偽を私は知りません)。石原都知事でなくても、他にもそう思う首長が居るかも知れません。都の使うエネルギーは都で解決するという姿勢は、有るべき姿です。それでは、核廃棄物は引き取ってくれるでしょうか?恐らくノーでしょう。こうなると、行き場がありません。原発発祥国で日本並みの原発大国(原発依存度は日本より低いが原発数は倍で国民あたりにすれば同程度)の米国は、核廃棄場をネバダ州・ヤッカマウンテンと確定しました。ネバダ州の反対を押し切って、エネルギー問題は国が決めることということで、決定されたのです。
 日本でも、どうにもならなくなったら、国旗掲揚や君が代問題のようにあっという間に決議することだってあり得ます。
 原発を受け入れているところがたくさんあるのは否定できない事実であり、岐阜県民も平均30%の割合で原発のエネルギーを享受していることも事実(実は中部電力から配電されるものの平均とすれば、ずっと低くなります、中電は浜岡に4基しか原発を持っていません)ですから、一基も原発のない岐阜県だって応分の負担をすべきだ、という考えは当然持つべきでしょう。ただ、原発は止めようとすれば廃炉に持ち込み、高レベル放射性廃棄物を処分地へ持ち込めばそれできれいになります。ところが、廃棄物処理場はそう簡単ではありません。一旦受け入れたら、1000年レベルで放射性が減少するまでずっとそこに置いておく必要があるのです。原発が60年の寿命とすれば、止めようとしたとき最長でも 60年で止められます。処理場は、1000年以上預かる必要があるのです。もはやどんな世界になっているのか、科学技術はどう変貌しているのか、誰も予測もできない先の先まで預かって置かなくてはならないのです。つまり、その地の子孫にずっと負担を強いることになります。それを決めるのは21世紀初頭の住民ということなのです。
 まったく根拠が無い話ですが、岐阜県が首都を東濃の地にと力を入れる一つの理由が、もし首都が来れば、まさかそこには高レベル放射性廃棄物処理場が有るということを国民は望まないだろう、という運動かも知れません。
 確かに、岐阜県が応分の負担をしなくてはならないのは、私も岐阜県人として思います。原子力関連でそれを受け入れる必要はない、他の面で受け入れればよいという考えもあるでしょう。でも原子力は原子力として負担を分かち合うということができれば、わかりやすいですね。それは認めるのですが、もしなんらかの問題が発生したとき、たとえば思ったより早くガラス固溶体が壊れ、放射性物質が浸み出し、しかも流れも地震等で変わってしまって異常に速く拡散が進み、などということが起こったとき、核燃料サイクル機構や政府が迅速にそれに対応してくれるだろうか、と考えるとき、全く否定的にならざるを得ません。それは以下に述べる人形峠の問題を見れば明らかです。そういう意味で、この未来永劫と言って良いほど長期にわたって負担すべき処理場問題は、どこも受け入れ表明しないのではないかと思います。


原子力発電所の寿命 30年から 60年に!!

 これまで、原子力発電所は 30年でした。これが 1999年、60年と決められました。本当に大丈夫なのでしょうか? もちろん、こういうことに踏み切るには許可する政府(通産省・エネルギー庁)も、原発を運転している電力事業者も相当の覚悟がないとできないことです。一時の経済性だけを考えてのことでは決して無いでしょう。しかし、'99年7月に発生した敦賀2号機の熱交換器に発生した亀裂事故は、 '95年の「もんじゅ」の事故とは性質を異にする問題をかかえています。後者は、後から考えれば材料技術者だけでなく、機械工学を学んだ学生でもわかる話でした。もちろん、そういう簡単なことを見落とす人為的ミスが発生しうると言うシステムの欠陥を訴える事故では有りました。一方、前者は「高サイクル熱疲労」として今のところ片づけられた感がありますが、それに至るプロセスについて本当にわかったとは言えません、むしろ専門家がそんなはずは無いとさえ思っている事故だったのです(前述のごとく一部の関係者には、あの熱交換器には問題があることがわかっていたとか)。これは、有る面から見れば各所で起こる可能性を秘めていると言えます。なぜなら、流体熱力学解析プログラム (CFD) は非常に良い精度で現象を予測できるまでに開発され、コンピュータも十分の記憶容量と計算速度を達成し、それらのソフトとハードを用いれば高い解像度でかなりの精度で現象を予測することが可能になっています。ところが、そのソフトには種々の実験式などが必要となるのが一般的であり、その実験式や実験定数には仮定せざるを得ないものが多いのが実状です。そういう仮定値が正しいとすべて証明されて使われれば、それはそれで正しい予測が保証できそうですが、仮定が仮定のままになって忘れられていると、思いもよらないことが起こりうるわけです。それが、今回は疲労という、ある程度時間を経過してから破壊するメカニズムの類のものであった可能性を私は疑うのです。ともかく、このように疲労という現象はすぐには症状を現さないので綿密な点検が必要なのです。30年を 60年にのばすとするなら、隈無く点検をする必要が有るはずです。もし、点検できない場所で、予測しなかった現象が進行していると、大変なことになることは否めません。
 そんな賭を現場がしているとは考えられないのですが、原子力では万事控えめ、謙虚さが必要では無いでしょうか。


原子力は、将来へのつけだけが問題でしょうか?

 ここで、私が思う大きな問題を提起しておきます。もちろん私だけが思うことではありませんが、一般論として言われていることでは無いことです。非常にデリケートな問題でもあります。一つは過去に起こってしまった不祥事とも言えることにちゃんとけじめをつけることです。日本だけではありません、アメリカでも、フランスでもイギリスでも。JCO の被爆事故が起こったのですが、事故が無くても被ばくは日常的に起こっているはずです。原子力発電は、ウランを採掘しなくてはなりませんが、その過程で被ばくします。JCO がそうであったように、危険な作業をする人に十分な情報を与えていないで来て被ばくさせたことが疑われているばかりか、掘り返した残土に高濃度のウランがあるのに放置したままというのも、信じがたい事です。また、航空機同様、原発も一定期間ごとに点検が必要です。火力発電所同様に、タービンもばらして検査します。炉内も同様です。被ばくの程度はその検査場所によりまちまちなのは当然ですが、ともかく被ばくします。さらに、燃料棒の取り出しでも。そして廃炉にあたっても作業員は恐らく相当危険な被ばくを受けるはずです。被ばくの強さによって、作業時間許容時間が大きく変わります。一年で被ばくできる量は決められているから、人によってはほんの少しの作業をしたあとは一年作業ができなくなります。これは不経済です。真偽ははかりかねるものの、この被ばく量を測定するためのフィルムバッジをはずして仕事をしたことがあるとか、データの記入は鉛筆書きだからあとから見ると記入と違った記録になっているとか、不明朗なことがあるという情報が方々にあります。
 こういう背景が本当なら、原発の発電コストは 9(or 5.9)円/kW、火力発電所が 10円/kW と原子力の優位性を訴えるために作業者を犠牲にするようなことをやめて、きちんと対策をし、あるいは起きてしまったことなら補償をするのが当然ですね。原子力作業者に着目した本も有るのですが、残念ながらこういう限界すれすれの作業をしている人たちは電力会社本社の人ではなく、下請けの下のまた下という具合ですが、その本ではせいぜい下請けまでの情報しか無く、必然的に直接の作業者の危険の有無については踏み込んでいません。

 このように見てくると、原子力関係に従事している人たちは普通の神経の持ち主ではないのでしょうか?もちろんそうではありません。昭和30年代に日本で初めて原子力を平和利用しようとしたころの先駆者達は、物理学が与えてくれた本来なら恩恵であるはずの原子の力を、負の苦い経験として第二次世界大戦で味わったものの、それを日本はプラスの方向で利用するのだと希望に燃えていたはずです。アインシュタインの原子力の平和利用の訴えや、それに呼応して始まったパグウオッシュ会議、さらに湯川博士、朝永博士達ノーベル賞受賞学者だけでなくノーベル賞級の日本の誇る原子物理学者(坂田昌二博士ら)が大勢居て、戦中戦後生まれの貧しい時代に育った若者にとって原子工学は非常に魅力的なものでした。私もそういう時代に機械工学としては習わないたとえば原子核工学などを、わからないなりにも読もうとしたものです(今ではすっかり忘れてしまったのですが)。ともかく昭和30年代、40年代はそういう時代でした。後述の核融合発電についてもしかりです。そのころ学んだ人たちが、今大学で教壇に立ち、企業で指導的立場に居るはずです。ただ、恐らくそのころ思っていた以上に安全性の確保が難しいことがわかってきた、しかし安全と言わないと立地もできなかったため絶対的な安全を訴えてしまった、今更引けないということが日本の原子力政策を特異なものにしてしまったということかもしれません。そして、今たとえば電力関係の会社に入ると、一部の人は原子力関係に携わることになる、それは入社のとき思いもしなかったことであったとしても業務命令で断れない、原発賛成とは思っていなかったが考えてみれば化石燃料の持つ負の部分を原子力は補うことができる、さらに電力の30%以上もあがなってしまっている状況では誰かが携わらなくてはならない、たまたまかもしれないが自分がそれに従事することになった、反対する人たちもいるが、現状で必要であることは否定できない、それなら誇りを持って携わろう、という思いで取り組んでいる人たちが多いのではないかと思います。好き嫌いだけで、きれいごとだけで済む問題ではないと。そういう従事者にとって、JCO や敦賀2号機の熱交換機問題、BNFLや原電工事のねつ造問題はやりきれない事件だったに違い有りません。一般国民以上に。もちろん指導的立場に居る人たちだって同じ立場だ、と言うことかも知れません。、です。指導的立場にいる人には奢りがあり得ます。アメリカでの負の歴史を例として紹介しましょう。原発ではなく、原子爆弾にかかわることですが、原発を初めて成功させたフェルミも関わっているとのこと。それは原子爆弾の生みの親、オッペンハイマーが、プルトニウムの毒性について調べておくことが人類にとって大事だということで、弱者を選び出して人体実験を試みたという事件です。致死量の何倍ものプルトニウムを本人にはもちろん内緒で注射して経過を見ただけでなく、追跡調査のためには死体を発掘までして調べたというのです。それは原爆投下より早く始められたのですが、発覚したのは50年の秘密厳守期間を過ぎ、公開になったあとの1990年直前から。少々の犠牲は多数の安全のためにはしょうがないという、戦争と同じ乱暴な発想に基づく実験だったのです。これほど非人道的なことが日本で行われているとは言いませんが(ただし、第二次世界大戦中に核以外ですが日本が他国で忘れてはならない非道を行ったことがあります。その国の人間を勝手にマルタ=丸太と呼び、物扱いして行った、まさに極悪非道の人体実験です。森村誠一氏の著書で、昭和50年代初期だったと思いますが、赤旗に連載されていましたが、最近もTVで報道されていましたね)。
 とにもかくにも、原子力に反対するのは簡単にできるけれど、電力供給量の1/3 は原子力によるという現実を否定することもできない、その恩恵で賛成者も反対者も今の贅沢すぎるといえる生活を維持している。だとするなら、自分の町に原子力発電所は要らない、廃棄物処分場も要らない、とは言っていられません。国民全体で、どうするのが最も良いのか本当は考えなくてはならないのです。国や電力会社はきっと良い答えが出せないですよ。

逆風に負けてついに増設計画縮小!!

 以上で繰り返し引用した、とくに1999年の諸々の原子力発電に関する事故、なかでも二人の犠牲者を出し、現地の住民が避難をせざるを得なかった JCO の事故、それは全く幼稚なものであったことも拍車をかけたとおもわれますが、国民にやはり原子力は恐ろしいという印象を強く与えてしまったことは否めず、そればかりか選挙も近いことをおそらく念頭に置いて政府は原子力政策を見直す方向転換をしました。それまでは 1998年、前年の COP3 の順風を受けて20基程度の新規計画を強気で策定し進めていたのですが、下手すると立地が認められている数基のみで新規立地を場合によっては諦めるほどの変わり身になっています。もちろん、政府全体がそう考えているわけではなく、まだまだ推進派議員も居るのですが、少数派になりつつあるようです。その分、新エネルギーに予算をつぎ込もうという勢力が強くなっているのです。原子力推進派にとっては、1999年の事故、事件は恨めしいできごとだったでしょう。

ドイツも、台湾も撤退あるいは撤退方向!!

 ドイツのシュレーダー政権は、連立政権で環境相には緑の党の党首トリッテン氏を起用している。したがって、当然のことながら反原発で進み、ついに1999年初頭に脱原発炉線を決定。その隣のオーストリアはもともと原発を持たず、2000年の夏ウィーンを訪れたときのタクシーの中で運転手は誇らしげに「オーストリアは原発を持たない」と話していました。ドイツの北のスウェーデンも原発依存国であったけれど、1980年代に国民投票で脱原発を決めているのは前述の通りです。アメリカも英・仏を除く西洋も脱原発が勢いづいています。不思議なのは、ベルギーで、ここも脱原発を決めました。原発シェアーはフランスに近く60%、2025年までに全廃としていますが、至難の業でしょう。ドイツも脱原発と言いながら、バランスが取れなくなってきていることは事実のようです。スイス(日本並み原発依存度)も03年夏、脱原発を諮りましたが、脱原発派が有効な代替案を提出できず、廃案となり、原発続行となっています。スイスももし、脱原発になると、価格上昇もさることながらやはりフランスから買電することになるのなら、無意味ということもあったのではないかと思いますが、証拠無しの想像です。
 そんな中でアジアは原発志向と思われていたのですが、台湾が脱原発にむき始めています。陳総統が当選したとき、脱原発を掲げており、連立政権の一方は推進派であり、ぎくしゃくしています。JCO 事故以来、神経質な日本の一方の方向を後押しする可能性もあるでしょう。
 その台湾も多角的に観察しないと、真の姿が見えないですが、実はヨーロッパは原発縮小方向かというと、チェッコスロバキアはCp製原発を導入しようとしてオーストリアなどから猛反発を受けています。チェッコは安全な炉だからと実施方向です。北欧はグリーンエネルギー(水力・バイオマス)が豊富だから、原発は抑止方向かと思いがちですが、フィンランドは原発導入をします。さらに、実はスウェーデンも原発廃止を国民投票で決めたのですが、そのころまだ子供だった今の若者もその経緯をよく知っていて、「他のエネルギー資源事情に変化が有れば再検討という条件付きだ」と説明してくれます。原発は4ヵ所で10基とまで知っています。日本の若者で原発数を知っている人はあまり多くないでしょう。単に反対というだけではないのです。またドイツも、怪しげな話があります。現政権がつぶれたり、緑の党との連立が崩れたらまた原発は復活さ」というものです。そういう背景をもし知らないで、反原発的な姿勢の根拠に「スウェーデンやドイツを見れば世界はどうあるべきか、わかるだろう」などと言っていると足をすくわれるし、それを聞いて原発推進派は「してやったり」と思うかも知れないですが、ドイツのシュレーダー政権はそういう中で再選され、トリッテン環境相(緑の党・党首)も継続です(ただし、これも裏話が有って、トリッテン環境相は、その年欧州はじめ世界的にで大規模な洪水が発生し、ドイツの損失も莫大な学位上る被害を発生した原因が、地球温暖化だと決めつけ、その運動が功を奏したとの見解もあるのです。大方の科学者は、温暖化の影響はこのように突然現れるわけではなく、何でもかんでも温暖化のせいにするのは危険だと言っています)。


めでたしめでたし!!じゃないですか?

 それでは一般国民にとって、どうでしょう。COP3 の枠組みを順守するということからすると、6章をごらんになれば納得していただけると思いますが、とても新エネルギーで原発新規予定分を購うことなどできようはずがありません。政府が原発に期待していた分を、国民が窮乏する意志がなければ、COP3 の目標値を達成できなかったということで罰金を払うことになります。でも、それで済むわけではありません。原発を増やすことができたとしても、火力を積極的に減らすことは無かったでしょうし、原発が増えないとなったら天然ガス火力を増設するでしょう。クリーンといううたい文句であっても、天然ガスは CO2 は必ず出すことになりますから、1990年比では場合によっては20%程度からそれ以上、温暖化ガスを多く排出することになります。排出権でお茶を濁そうとしても、それほど多くは期待できないでしょう(私自身は、排出権の執行には反対です)。ともかく、COP3の目標値を達成しようとするなら、窮乏しか無いのです。
 世界に目を向けて考えてみましょう。6章で詳しく述べると言いましたが、新エネルギーについて、砂漠があるから太陽光発電で賄える、という見方も有るでしょうが、それはやはり夢です。現実的には簡単な話ではありません。原子力発電が 40年前、夢に近いエネルギーだと思われていたように、核融合発電は真の意味での夢の発電システムとなるはずだったのに、いずれも放射性というだからこそ莫大なエネルギーを放出できるという原理の持つ諸刃のうち他方の刃を制御することができず(核融合は両方ともまだ制御できない)に居ることを考えると、全く安全そうに見える太陽光発電も、たとえば生態系にどう影響するのか、温暖化以上の影響が出たのでは意味がありませんが、それはまだ明らかではありません。風力もしかり、ましてやバイオマスは100億という人口を満足させる実力は、生態系をかなり破壊し、疲弊させない限り無理でしょう。なにせ、パルプのためだけの森林破壊が大問題となったほどですからエネルギーを、となるとその比では無いのです。そう考えると、原子力でもウランだけでは全く風前の灯火。どうしたって高速増殖炉でなければしのげません。私は、おそらく 2200年代には人口は 30億人程度になっていて、それなら技術開発の進んだ太陽光発電など自然エネルギーだけで全てのエネルギーが賄えるようになっているように漠然と思っています。それまですら、地球温暖化を抑制しながら一時的には 100億人にも達する人口を窮乏させることなく養うには当然リスクは高いけれど、高速増殖炉しか残らないと思うのです。リスク無い贅沢を、というのは無理だということです。


制御できないのは、原子炉、核融合炉以上に、人の心であった!!

 20世紀の後半、エネルギー工学が潤沢な産業の原動力を提供し、その結果国民・人類に贅沢な夢を与えてきたのですが、最後の30年間を振り返ってみると人口は何と倍増(30億人が60億人に)しておりまだ加速状態が続き、今後50-100年でまた倍増すると予測されている。そして20世紀末〜21世紀初頭になってはじめてその膨大な人の数の意味と、人の欲の深さに気づいたもののその抑制のすべを知らず、結局21世紀の最初の四半世紀には、申し訳ないのですが有限量の資源を、人類に調和させる役を担うはずの工学はその尽きることのない人類の夢(欲望・贅沢との切り分けができない)を見続けさせる技術を持たず、人々はその「夢という名の欲望」と「現実という名の自然および社会環境の悪化」の狭間で苦しむということになりそうなのです。  

|原子力(核分裂)発電|  |核融合発電| |原子力長期計画|
2. 核融合発電


日本の核融合の研究は世界をリードしている!!

 現在「原子力発電所」 と言っている原子力とは、原子の核分裂(とくにウラン238やプルトニウム)のことを指します。一方、無尽蔵なエネルギー資源を持ち、放射性についてもクリーンといううたい文句で進められてきた(これはしかしずいぶん昔核融合の研究が始められたころのことで今はそんなことを言う人は居ない)核融合技術 はどこまで進んでいるのでしょうか? 水爆 はまさにこの核融合のエネルギーを使っており、すでに相当昔にアメリカと当時のソ連が先を争って開発し、存在することは周知のことですね。やはり軍用は開発が早いのですが、平和利用すなわち発電となると持続的にこの核融合を起こす必要があり、この技術がなかなか進まないのです。兵器の場合は原子爆弾で超高温超高圧を発生して核融合反応を起こさせるのであり、燃料である重水素が無くなれば自然に反応が終息しますから、制御する必要が無いのです。爆弾はもともと制御不能な暴発を起こさせるのです。平和利用のためには、継続的におとなしく核融合を起こさせる「制御技術の完全さ」が絶対です。今から思えば原子力爆弾も水爆も開発された時間的差はそれほど無かったわけですが、原子炉は原子爆弾と時期を同じくして平和利用ができるようになったのに比較し、核融合は水爆実験からすでに40年以上経過したのにいまだに継続的に反応を起こすことができていません(日本のJT-60は最近1.4秒持続した)。この技術については、日本は世界に誇れるものができつつあります。ただ、開発には莫大な予算を伴うため、宇宙開発同様に世界的な共同研究開発がなされないと、どの国も中途半端に終わってしまう事態を招くかもしれません。1955年、第一回原子力の平和利用国際会議がジュネーブで開催された席で議長のバーバ博士(インド)が「20年以内に制御核融合実現の方法が見つかるであろう」と語ったそうですが、まだまだ実証炉を作るのはいつのことかはっきりしていません。


日本原子力研究所と核融合科学研究所が炉を建設して研究

 日本で研究している組織は大きく分けて三つあります。それぞれ、異なる視点から研究を進めています。つまり、1億度近い超高温プラズマをいかに閉じこめるかという技術の確立に種々の方法で迫っているということです。超高温で分子は電離しているので、それなら磁力で閉じこめようというのが最初の二つ、磁力にも方法がいろいろあるうち有望な方法が二つ確かめられているのです。さらに、レーザを用いて閉じこめられないかという方法です。これは、一つではとてもエネルギーが足らないので、たくさんのレーザビームを照射することになります。

  1. 日本原子力研究所 日、米、EU、ロシアの4極国際協力による ITER (国際熱核融合実証炉、青森県が誘致しようとしているようです)を推進。1/40の模型が1992年〜1998年の 6年で楕円形の磁石(4階建てほどの高さ)の一周のうち一部が完成(JT-60)。これを数十個作成して一周させる。これは、トカマク定常核融合炉の実現、つまり核融合エネルギーの科学的および技術的可能性の実証を目指す実証炉。しかし、今後さらに1兆円を必要とするため4極構造でも経済的負担が大きすぎて 3年延長(延期?)することとなった。この3年の間に建設コストを50% 削減する道を探るとのこと。トカマクはロシアが発祥の地で、Tok はロシア語の電流の意味、mak は磁気の意味でロシア語の合成語。核融合炉では、超高温炉心プラズマ(高温になって気体分子の原子核から電子が飛び出した状態)が周囲の真空容器壁に接触すると損傷を与えるとともに不純物も生成して炉に悪影響を与える。JT-60は、これをダイバータ(最外郭磁力線)で特定領域へ導く方法で先進的設計思想である とされている。現在、この炉と同様の装置はヨーロッパの JET (Joint Europian Torus)がある。ロシアはすでに経済的に破綻しているので予算を持ってこの計画に参加しているわけではなく、研究の実績を持つ国として参加、米はつい最近 ITER から降りてしまった。それでも、日本は今後3年間については、進めるとしている。4極構造では負担が大きいから3年かけて設計見直しで半額にするはずであったのに、実質2極構造で今後の見直しをしなくてはならないことは、相当に困難な道と思われる。
  2. 核融合科学研究所 名古屋大学プラズマ研、京都大学ヘリオトロン核融合研究センターの一部、広島大学核融合理論研究センターを統合したもの。大学の共同利用。主力装置は、LHD(Large Herical Device?) で、核融合炉に定常ヘリカルプラズマを生成し、環状プラズマの物理の解明を主テーマとしているという。建設から8年後の'98,3/31には電子温度1000万度のプラズマを60ms 発生させるのに成功している。
    トカマク方式に対して、自立性 (自分で加熱し、自分で駆動する磁場で自分を閉じこめる:太陽はこの例で高温となった内部の核融合反応によりさらに加熱されて高圧になり、圧力膨張しようとするのを重力収縮とバランスして自立) の強い系になれるかどうかが大きな焦点。したがって、プラズマに大電流を流し続けられるかどうか、コイルの性能が問題。ヘリカル方式は、ねじれて閉じた磁力線を作ることにより、トーラス状の磁力場を作る。電流は不要であるが、構造が複雑になるのが問題。日本、ドイツ、ロシア、スペイン、オーストラリア、アメリカなどで同様に研究されている。日本では、9000万〜40000万度を狙うとしている

  3. 大阪大学レーザ核融合研究所 ここでは、プラズマ照射すなわち、慣性閉じこめの一つの方法としてレーザを用いた方法を選択し、 激光 という名の超強力レーザを使って研究している。岐阜大学の 阪上先生 およびそのグループもこのグループに属しているとのこと。
これらの研究につぎこまれている予算を示しましょう。

平成 10年度核融合関係予算概算要求額

最新データは こちら またはその年度の科学技術白書をご覧下さい

区分 事項 平成9年度
予算額 (億円)
平成10年度
予算額 (億円)
備考
科学技術庁 日本原子力研究所 ITER 関係予算 46.0238.90 工学設計活動
建設など準備協議への参加等
JT-60運転等 103.49 103.68 ITER 物理実験 (閉じ込め性能の向上とトカマクプラズマの定常化の実現)
その他核融合研究 40.1637.56炉工学研究開発及びプラズマ物理研究
小計 189.67180.14 対前年度比 -9.53(5.0%減)
国立試験研究機関 金属材料技術研究所 0.45 0.34 超伝導材料の安定性評価、低放射性材料研究開発
電子技術総合研究所 3.083.21核融合反応(ピンチ方式)
レーザドライバーの開発
超伝導マグネットの開発
名古屋工業技術研究所 0.10 0.10材料損傷の測定技術開発
小計3.633.65対前年比 +2(0.4%増)
内局 小計 0.260.26 対前年比 0(増減無し)
合計 193.5618,404対前年比 -9.51(4.9%減)
文部省核融合科学研究所 151.2798.51大型ヘリカル装置の本格運転開始
大阪大学レーザ
核融合研究センター
10.238.78レーザー方式による研究
筑波大学プラズマ研究センター 4.023.42ミラー方式による研究
その他 15.7312.40超伝導トカマク等による研究
合計181.26122.75対前年度 -58.50(32.3%減)
総計374.81306.80対前年度 -88.02(18.1%減)

(日本の大学研究者が自発的に計画する研究のうち学術動向に則してとくに重要なものを取り上げて研究費を助成するものに文部省の科学研究費 があるが、文系から理系まであらゆる分野に対して-もちろん、このなかにエネルギー関係も含まれる-、1100億円程度が配分されている。上記研究費はこれとは別のものであるが、科学研究費の 1/3 の規模の予算が核融合研究に使われているということは非常に重い数字だと思いませんか。)
 2001年8月、4極構造〜3極構造へと米が抜けた ITER がすでに経済的には二極構造になってしまている(露は資金投入ができない)のですが、それを日本に誘致しようとしています。建設には5,000億円が必要で、誘致国は半分負担、10年で作るので一年250億円を投じることになります。実際には建設費以外にも高額を投じる必要があります。だから、反対者も居ます。とくにその実現性が明らかではないからです。


50年後には実用化されるのですか?

 共同開発に入ったとして、技術者が言っている 「50年先には利用可能」であろうという言葉が現実のことになりうるのか(実際、日本原子力研究所のホームページでは、50年後のエネルギーとして紹介されているし、平成10年度の原子力白書でトカマク方式の実用化へのステップとして、実証炉が完成するのが 2050年頃として50年後と言っている(これは、1992年の原子力委員会が策定した第三段階核融合研究開発基本計画の実証炉の完成目標がそうなっているから)し、また Scientific American の翻訳記事を中心とした日経サイエンスでも米国の著者が 1995年に "来世紀の技術" という特集で核融合が50年後に実用化という見通しが語られている、さらに1998年になっても同じサイエンティフィックアメリカンでは 50年という数字を使っている<前述の記事から3年経っても47年とは言っていない>)、本当に燃料は全くクリーンなものだけでできるのかは、怪しいというより、実際研究している科学者もそんなことは50年後どころか相当先まで、あるいは未来永劫人類としては到底無理と思っているでしょう。クリーンではないがともかく核融合としての実用化の時期について、核融合が話題になりはじめたころの前述、1955年のバーバ博士は20年後と言い、その 20年後の 1974年の日経サイエンス特集号では、さらに 10〜50年後の間を期待した表現になっています。これは揚げ足取りになるかもしれないのですが、2000年1月に岐阜県土岐市で開催された国際的な核融合の学会でさらに、「新世紀中に」という表現になっているようでもあります。それから四半世紀後の現在の期待時期がまたまた50年後となっているのですから、先伸びにつぐ先伸び、これではオオカミ少年の例となってしまいそうですが、実際に研究は進行し、それなりの成果は出つつあります。実用化時期はあいかわらず不透明と言えますが。


本当にクリーンな夢のエネルギーを使うのですか?

昔はクリーンな水素に一つ中性子がくっついた重水素=Deuteriumを二つ超高速で衝突させる D-D 反応で良いと考えられていましたが、このためには 6億度程度の超高温が必要であり、一方その重水素一個と陽子一つに中性子が二つくっついた三重水素=Tritiumを衝突させて D-T 反応を起こさせても莫大なエネルギーを開解放してくれるとともに必要な温度は 1億5000万度程度で良いということで、実際に研究されているのは後者の反応です。ところが、D は天然水素のうち 0.014〜0.015% 含まれているから、人類が他の理由で滅亡しても有り余るほどの量が海水中に眠っているのですが、三重水素は天然には微々たる量が宇宙線などで作られる程度であるから存在しないに等しいのです。さらに大きな問題は、これが半減期 12年の放射性核物質であること。トリチウムは、あまり放射性が極端に強いという物質ではないのは事実ですが、運転を開始すれば、連続的にそれを炉に投入しなくてはなりませんからある程度の量を用意する必要があるのも事実で、それはやはり安全とは言えないというわけです。

残念ながら、少なくとも当初は放射性物質を使わなくてはならないことに!

天然には利用できるものが存在しないとすると、作らなくてはならない、それができるのは原子炉の中ということで、ここでも放射性物質を操らなくてはならないことになります。原子炉が安全と言えないなら、核融合も安全ではないということになるのです。
 さて、そういう問題がクリアーされたとして、数億度という温度で反応が起きることを考えなくてはなりません。太陽がそうだし、人類どころか太古の昔から生物が核融合エネルギーを上手に使ってきたのだから、できないはずは無いではないか、と思うかもしれませんね。確かにそうですが、太陽は非常に分厚い水素のマントルがあってその表面から熱が放射されるときには 6000K に下がっています。そこからの熱が光の速さで地球まで 8分もかかって届くものを利用しているのです。人類が利用してきた最も高い温度の熱源とは、溶接で使われるアーク放電など、せいぜい数千度なのです。

数億度の熱源からエネルギーを取り出す技術は人類が経験していない

規模が圧倒的に小さいからとは言え、数億度の熱源からエネルギーを取り出すことはまったく未知の世界です。簡単かもしれないし、初めて遭遇する難題が山積しているのかもしれない。

反応で大量に発生する中性子も、問題と考えられている

今から懸念されているのが、中性子により容器壁が急速に劣化するのではないかと言うことです。中性子は、原子核に潜り込めばその原子の種類を変えてしまうのだから、当然のことです(核反応はまさに中性子がウランをほかの原子に変えているのを思い起こしてください)。
 核融合が人類のため、はかりしれない恩恵を与えることは疑う余地がないでしょうが、それが真にそうなるまでの年月が本当に50年かと言うことには、このように疑問が残るということです。この「50年」という数字は日本の科学者・技術者だけが上げている数字ではありません。世界的にそういう数字が使われています。その根拠が、上記のようにこれから遭遇する未知の問題をはらみながら出された数字とすれば、信じない方が良いでしょう。むしろ早くて 50年と思うべきなのかもしれません。この核融合の可能性について 1970年代アメリカには、研究予算が十分有ればその制御は 5年のうちに可能になると豪語する学者も居たと前述の ローレンスら は述べています。そして数十年は核分裂の方の増殖炉の制御技術は確立できないであろうとそのローレンスらが述べているのです。実際には、増殖炉の実用化実験がローレンスらの予測通り数十年を経て既に始められているにもかかわらず、核融合はいつ実証炉が作られるのか全く目処が立っていないのを見ても、その研究に携わる学者・技術者の表現は期待に満ちた夢である可能性が強いことを理解していなくてはなりません。


そういえば天然に存在しないトリチウムはどうするのですか?

 これも問題が残っていますね。先が短いと言っている核分裂反応炉でできるから最初はそれを頼るとしても、一方の燃料トリチウムがウランとともに枯渇する運命では他方の燃料・重水素がいくら豊富にあっても意味がありません。実は、この核融合反応で生成されるから心配ありません。増殖できるのですよ、と言ってもきちんと条件が合わないと、使うトリチウム以上にトリチウムを作ることはできません。まず核融合をおこし、それが安全に安定して運転できる技術が開発されて、それからトリチウムの安定増殖条件を満足させて行くことになるだろうと思います。やはり、この核融合が利用できるかどうかわかるのに数十年、50年はかかるということになりますね。

それらの心配は、50年後には技術が進んでいるから大丈夫?

 そうかもしれません。とくに核融合研究者はそう言いたいかも知れません。これから50年後の技術は想像できないほど進んでいるはずだからと。でも、もしそうなら、核融合技術自体も科学技術が進んでいるはずのそのころに進めても良いことになります。たとえ話をしましょう。今、コンピュータ技術はすごい速度で進んでいます。ある年に、そのときの英知を集めてある膨大な計算を最新鋭の特別仕立ての並列計算機を構成して始めた。それは数年で答えを出すという予定だった。ところが計算を初めてから予定の数年が過ぎる前に、その計算機より圧倒的に速い計算機が開発され、その新鋭計算機の方が速く答えを出してしまった。これはたとえ話をしているのではありません、本当の話です。これを核融合開発にあてはめると、50年もかかる技術なら、40年ぐらい待ってから始めた方が圧倒的に経済的には負担が少なく、しかも確かなものができる、ということになりかねません。そのときの状況が変わっていて核融合を必要としなくなっているかも知れないし。
 ただし、全面的に止めてしまうのは考え物です。今までの技術の蓄積は書類だけでは引き継げません。これは私たち研究者ならほとんどの人が経験していることだと思うのですが、あるプロジェクトを報告書を作成して終結すると、あとでやり残したことが有って再開しようとしたとき、始めからやるのと同じくらいに労力を必要とするのです。だから、小規模で技術が絶えない程度の継続はした方が良いと思います。きっとアメリカは原子力政策をそいういう立場で行っています。アメリカ国内の事情では原発はもはや新規には作れない、かといってその技術および技術者を維持しないといつ必要になるかわからない。だとするなら他国に技術を売り続けてでも技術力を維持しなくてはならない、というところではないかと想像します。話を核融合に戻しますが、もちろん40年もの間単に技術が絶えないだけのために継続するとなると、これは一度絶えてから40年後に再開しても、今までの技術開発への投資損は一層ふくらむことになるかもしれませんね。ともかく、核融合については上記三つの選択枝を、日本は全て進めているのですが、投資が大きすぎないかと思います。根拠は異なるかもしれませんが、多くの評論家や科学者が、同じように予算が多すぎることを指摘していますし、その中のかなりの人が核融合の研究はやめるべきだとすら言っています。私個人としては、地元に核融合科学研究所がありますし、そこには岐阜大学から人事交流で事務系の方が出入りされているし、しかも卒業生もそこに技術者の立場で勤務していますから、是非人類の役に立って欲しいと熱望しています。

50年先、そのころ生きていない人の方が多い
ひょっとして燃料も?

 さて、この「50年」という数字は、今のまま進めば石炭以外の化石燃料やウラン(増殖炉が実用化できていないとして)の寿命が尽きるころを意味しています(発展途上国の今後の状況では石炭も相当消費されているでしょう)。偶然の一致かどうかは別にして、そのころに真に実用化できていれば化石燃料のハッピーエンド・新燃料のスタートとなるかもしれません。この「50年」という極長年月について、意地悪い見方をさせていただくなら、「50年以上かかる」と言えば、それは「エネルギー源枯渇には間に合わない」と公言することになるし、「50年より相当短い」数字を掲げるような根拠も自信も無い、その期限に完成しなかったときに言い訳をしなくてはならない。「50年」と言っておくのが研究を続けるのに最も無難な数字でもあるのです。もちろん、現在最も若い研究者・技術者も 50年後には研究者としての命をまっとうしているだろうから、実現していなくても、申し開きをする必要も無い。ということになるのです。でも、これはあまりに意地悪な見方ですね (この意地悪い見方は、昔 20年で核融合技術が確立するだろうと言っていたころの石油の寿命もその程度だったので、ついそういう見方もできるということです、もちろん、研究者達はせめてそれまでに開発しないと世の中のエネルギー事情が逼迫して大混乱に陥るからなんとしてもそれまでに、という覚悟の現れととるべきかもしれません)。
 ともかく、個人的には私は「50年で化石燃料やウランに替わる発電能力を確保している可能性は相当に低い」と思っています。50年経ったとき、アメリカとヨーロッパ諸国と日本だけが核融合で電気を起こしていれば良いのではありません。先進国が過去に発展してきたと同じ環境がこれからの発展途上国にも用意され続けるなら、人口大国の中国やインド、あるいはそのほかほとんどの国が経済発展を遂げるに時間的には十分な年月です。先進国がやってきたと同様に環境を悪化させながらも生活を豊かにするため、石炭と、そのころまでには利用技術が確立していると期待できるメタンハイドレートをふんだんに使いさえすれば、そしてその他の貴重な資源については相当リサイクルで寿命を延ばして、ともかくどの国もエネルギー・資源浪費国になっているはずです。しかし、今後の50年はなんとかそのようにやってゆけたとして、それから先は石炭もメタンハイドレートも埋蔵量は急減少の一途をたどります。そのころやっと核融合技術が確立できたとしても、世界的な普及には数十年は必要でしょう。だから、核融合が50年後に確立できても 50年ではなく、100年程度は化石燃料や原子力燃料が残っていないといけないのです。今のままでは、そんな情況には全くありません。資源があっても気候変動すなわち地球の温暖化がそれを使うことを許してくれないでしょう。次章で示すように、新エネルギーだけではとても人類のあくなき欲望を満たすエネルギーを供給することなどできないまま、核融合が期待できるのが 50年後では、間に合わない可能性が結構高いのです。
 そういう暗い想像もできるのですが、こういうシナリオが現実のものになるのは望ましいはずがありません。私としては、核融合技術開発も、世界的に英知を集結して最善の努力をしかるべき(上述したような)規模ですべきと思います。夢を見すぎない、かといって、夢を棄てない程度の状態だと思います。

 核融合の解説本が少なくなってきた!! 
 原子力白書や科学技術白書にもほとんど記述が無い!! 

 私は、そう思うのですが、将来のエネルギーを語る本や記事にあまり核融合の話が載らなくなってきたという心配があります。たとえば 元資源エネルギー庁長官柴田益男編・1988年出版の"転機に立つエネルギー産業-日・米・欧比較-21世紀への挑戦" にも、茅陽一氏らが語る 1994年出版の "九賢人が語る明日のエネルギー" でも、"2010年世界のエネルギー展望" でも、資源エネルギー庁編・1998年出版の "21世紀、地球環境時代のエネルギー戦略" にも、一言も核融合という言葉が有りません。さらに、平成10年度の原子力白書では、予算の割に少々のページがITER 関連に割かれている程度で、ついでに LHD や慣性閉じ込め方式について触れられている程度。同年の 科学技術白書でも、1ページと少々が割かれている程度で、内容はやはり ITER が多く、LHDや慣性閉じ込めについての記述はついで程度。いずれの白書も、高速増殖炉の開発や核燃料サイクルの記述に割かれているページとくらべると核融合のページ数は雲泥の差です。
 私の知っている本で大々的に核融合を記述しているのは、雑誌で指摘しておられます。同じ山地先生は、 "どうする日本の原子力" で核融合に否定的な考えを示しておられます。ほかにも否定的な立場の記事、著書を数え上げればきりがないのではと思うほどです(たとえば "エネルギー3つの鍵、経済・技術・環境と2030年への展望" は増殖炉とともに否定的)。私に真意が読みとれないだけだと思うのですが、山地先生の"核融合は、核分裂も核融合も、単に蒸気タービンのエネルギー源としての利用にとどまる" ことが問題だという意見が言葉通りだとするなら、賛成しかねます。それだからこそ良いことになるのではないでしょうか? 石油のような資源は、化学製品の原料としても非常に価値が高いものですから、枯渇するとなったら、そちらの資源として残しエネルギーは他のもので賄うということになるでしょう。そういう意味では、核のエネルギーは他には何の役にも立たないと言って良いほどなので、エネルギーだけの見地で使うかどうかを決められるのです。やはり、核についての論点は、安全が第一でしょう。

核融合研究者・技術者はもっと丁寧な素人向けの情報発信を !!

 そのあたり(つまり、核融合を実現する上で何が危惧され、それはどう解決されうるのかなど)について、説明を加えたいのですが、当然のことながら当研究室の専門性から考えて、このページには不適切な表現、間違いがふんだんに含まれているかもしれません。実際、こんなページを作ったので非常に迷惑している研究者や技術者が居られることだろうと心配しております。これ以上の説明は遠慮することとして、もっとふさわしいweb.page を探索中です。第 9章にはそれらしいページを 紹介 していますが、なかなかきちんとした解説がみあたりません(前述のように、web.page が無いだけでなく、解説本がほとんど無いのです)。たとえば土岐市にある核融合科学研究所のページで核融合に関する解説記事は所長の挨拶に書かれていますが、それ以外一般の人にわかるページはありません。これではいけないと所内でも話題になっているそうで、やっと近いうちに解説記事をweb で公開することが検討されていると聞いています('99年3月にそんなうわさを聞いたのですが、2000年1月には所長が交代されたために内容が変わったようですが、ここで期待している内容にはなっていないです、現在はどうでしょう?)。50年後にはもはや生きていない人の方が多いのだから、せめて現実性の高い夢を見させてくれるような記事を期待したいものですね。今のところ原子力研究所の方は、やさしい内容です。が、あまりにも簡単な紹介記事で、バラ色のアピール記事という印象です。上述の 大阪大学のレーザ核融合研究センターの web.page の中に やわらかい話・核融合の説明 というものがあった(相当に凝った作りだったと記憶します)のです。多分、お守りしていたのは学生で卒業したのでしょう、引継ができなかったのか、しばらく更新中でした。最近また復活したようですから興味ある人は覗いてみて下さい。このセンターのページでは、激光の音が聞けますから、聞いてみると良いですよ。単純ですが、こういうことで身近に感じるようになるのですね、素人は。
 この大阪大学レーザ核融合研究センターの web.page には、関連のページのリンク集が掲示してありますが、私の探したもの以上には少々というところで、結局はこれだけしか無いのだなということになります。ともかく、まだまだ問題山積みの状態と言った方が良い核融合技術であり、実際50年後に実用化されたとしても私を含み半分以上の人は生きていない可能性がありますから、是非今我々に核融合とは何なのか(たぶん、このことは結構多くの人が知っている)、何が問題でどれぐらいかかって研究を完成させ実用化させようとしているのか、などがわかるやさしい情報を提供してもらえることを期待したいものです。とくに、膨大な予算(トカマク方式、ヘリカル方式ともに毎年数百億円、慣性閉じ込めの予算は不明)を使うのに対し種々の問題点をかかえていてそれを乗り越えられそうにないから止めるべきだという声が多数の本、多くの雑誌記事に出ており、国民が得る情報はむしろこの反対派の意見ばかりといえる状況で、それに答える情報を提供してもらうことがもっとも重要と思われます。このままでは科学者は国民を説得するより官僚・政治家を説得し予算を獲得すればよい、生半可な説明はかえって問題を複雑にするから黙っていた方が得という判断が有るように思われてしまいそうです。是非そうではないところを見せていただきたいものです。
 

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3. 原子力長期計画


 以下は、原子力 eye Vol.45, No.9
('99年9月号)を参考にまとめたものです。
3.1 経緯
 この名の長期計画は昭和30(1955)年に原子力基本法が制定された直後の、昭和 31('56)年に第一回が発表されて以来、ほぼ 5年ごとに更新され、1999年5月で 9回目である。第一回ですでに再処理や高速増殖炉について語られ、また放射線の医療への応用研究にも言及されている。第二回では、原子力船についても言及がある。>第三回ではウラン濃縮を'75に、再処理は '85に年間 1,000トンを民間に期待している。この時期、敦賀など各所で一号機が運転開始し、原子力船「むつ」が起工、進水している。第四回の'72頃には再処理工場の建設工事が始まっている。ウラン濃縮技術も '74に完成。フランスでは高速増殖原型炉「フェニックス」が臨界に達し、日本も新型転換炉や高速増殖炉の建設が進み、高速増殖実験炉「常陽」が '77臨界に達している。大型化により高効率化が可能とし、'80年 3,200万kW、'85年 6,000万kW、'90年 1億kW と見込んでいる。実際には '90で kW で、大幅な希望的見解であった。高速増殖炉についても、'74年臨界に達し、原型炉「もんじゅ」が'78年頃臨界に、実用化は'85〜'95年と見込まれていた。実際には'94年に臨界に達し、'95年にはナトリウム漏れ事故を発生することとなってしまったのと較べると、長期計画と言いながらも、相当に性急な計画であった。
 第五回は '78年、第一次オイルショック後でもあり、原子力の地位が当然高まった時期である。オイルショックの影響で、火力と経済的競争力が有るものとしたが、発電規模は'85年に 3,300万kW、'90年 6,000万kWと第四回と較べて5年相当分下方に修正している。軽水炉から高速増殖炉への路線が基本とし、'95年から2005年を目標とし '90年代前半臨界達成期待は、これまた 12年ほどの後退である。 '82年の第六回では、第二次石油ショックを経験し、エネルギーセキュリティ確保を原子力政策の中枢に置く計画とし、'90年 4,600万kW、2000年 9,000万kW としている。プルトニウム活用は '90代半ば、高速増殖炉は 2010 年の実用化を目指すとして原型炉「もんじゅ」が'85年建設開始した。第七回長期計画では、発電規模を 2000年 5,300万kW、2,030年に 1億kW とし、再処理は年間処理能力 8,00トンの第一工場を 90年半ば運転開始、2010年頃第二工場の建設を期待している。高速増殖炉は技術体系の確立を 2020年から 2030年を目標とし、もんじゅは '92年に臨界に達し、実証炉の建設を '90年代後半としている。
 これら、計画は常に過大なものであり、後退をしてきているが、第八回長期計画は「もんじゅ」が臨界に達した後の '94年になされた。 「エネルギー供給の選択肢」、「地球温暖化防止手段」として位置づけている。発電規模は 2000年 4,560万kW、2010年 7,050万kW、2030年 1億kWと見込んだが、やはり、前回より大幅後退。つまり、当初から長期計画は実際とは相当に過大期待になっている。同様プルトニウム利用も 2000年頃10基、2010年頃数十基程度、MOX 燃料加工工場の必要性を訴えている。
 これらの計画に対し、発電規模が思うに任せないばかりか、高速増殖炉は66万kW の 1号機を2000年代初頭着工、 2030年頃実用化を目指すとしていたが、この計画策定直後の '95年の「もんじゅ」事故で高速増殖炉の将来が不透明となってしまった。さらに新型転換炉計画は、 '95年効率が見合わないとして電力業界が計画を断念。そして、放射性廃棄物については、一時保管量が増えるばかりの状況で、2030年から2040年には事業を発足させなければならないとしていたが、そのために北海道幌延町に計画していた貯蔵工学センターが '98年に計画を取りやめ、改めて深地層試験施設の建設を申し入れる状況となり、一方では原子力推進の核となる「動力炉・核燃料開発事業団」がデータ隠しなどの不祥事の連発により廃止、「核燃料サイクル機構」と代わらざるを得ない事態を招いた。フランスの「スーパーフェニックス」も経済性が成り立たず断念し、廃炉が決まり、日本だけが開発に取り組むことへの風当たりも強くなっている。
 そんななかで、第九回の今回はなんと言っても COP3で気候変動に対する CO2 排出削減のために原子力発電に追い風となった。上述の「もんじゅ」事故や現場のビデオテープ隠し、東海村の爆発事故および報告の大幅遅れなどのネガティブな印象を覆い、温暖化という大義名分を使って政府も 51基の現有に2010年までに半数を加えたいとしている (これは全く夢物語的であることは、) ほどである。一方ではしかし、原電工事の核燃料輸送容器のデータ改ざん事件 で再び原子力関係者への不信が高まることとなり、このページ最初の世論では原子力への不安が募り、新エネルギーへの期待が高まる結果を招いている。第九回はそんななかでの策定作業だったわけである。
 3.2 第九回長期計画の策定にむけて
 まず理念として、 (1) 文明の中の原子力、(2) エネルギーとしての原子力、 (3) 地球環境との調和を図る原子力、 (4) 総合科学技術としての原子力、(5) 国際社会における原子力 を挙げている。そして長期計画のあり方を、
  1. 新たな長期計画は、21世紀に向けての原子力研究開発利用の全体像と長期展望を提示するものとする。
  2. 原子力関係者のための具体的な指針にとどまらず、国民や国際社会に向けたメッセージとしての役割を重視する。
  3. 将来にわたって堅持し、着実に実施しなければならない理念や政策と、情勢の変化によって機動的に対応すべき事項とを区別し、後者については、具体的な課題解決のための様々な選択肢とその評価方法を示す。
  4. わが国全体として限られた資金・人材を最大限に活用する観点から、国と民間の果たすべき役割をふまえ、両者の連携・協力を強化していく。
  5. 現在すでに相当規模で進展している軽水炉にかかわる核燃料サイクル事業と、フロントランナーとして試行錯誤を行いながら進めるべき「将来の研究開発」については、それぞれの特性を踏まえて、両者のよりどころとなる理念を改めて明確化するとともに、全体として整合が図られるようにする。
としている。これはあまりに抽象的で、その意味するところは関係者しかわからない部分が非常に多い。つまり、上記 2 で述べているように、原子力関係者だけの指針にとどまらずといいながら、この「あり方」自体すでにわからないものとなっている。
検討すべき課題としては、「新たな長期計画においては、以下の課題についてより詳細に検討を行うことが必要である」としている。
  1. 原子力と国民 ・社会
    原子力に対する国民の理解と信頼を得るため、情報公開・提供、国民の意見の聴取、原子力に関する教育、立地地域との共生等に関し、内容面及び方法論における今後の課題について検討する。
  2. エネルギーの安定供給を支える軽水炉発電体系
    すでに成熟した技術として実用化されている軽水炉発電を中心に、事業化が進む核燃料サイクル及び放射性廃棄物の処分を含め、軽水炉発電体系のあり方と今後の課題について検討する。
  3. 高速増殖炉及び関連する核燃料サイクル技術の研究開発
    高速増殖炉懇談会報告書を踏まえ、高速増殖炉とこれに関連する核燃料サイクル技術の研究開発の方向性及び今後の課題について検討する。
  4. 未来を拓く先端研究開発
    加速器、レーザー、核融合、研究炉等の分野における先端的研究開発の将来展望と、世界に向けて優れた成果を発信しうる国全体としての研究体制のあり方について検討する。
  5. 国民生活に貢献する放射線利用
    質の高い医療の実現、食料の安定供給といった、国民生活に身近な分野における放射線利用の方向性と今後の課題について検討する。
  6. 新しい視点に立った国際的展開
    多様な政策手段を活用し、包括的・戦略的な政策の展開を目指し、原子力分野における国際協力の将来展望と、国際的な核不拡散の強化に向けた今後の課題について検討する。
 以上の検討事項をながめてみると、やはり国民レベルとしては抽象的である割に、焦点が絞られていないように見受けられる。こういう原子力委員会の策定方針とも言えるものに対して、辛口の批評もなされている。また、この案が出された後、2月に総理府が世論調査したアンケートで国民の原子力への不安(このページの最初の部分で示したが、2月の調査結果が8月末、つまりこの策定案にも相当遅れて発表されたもの)が有ることが明確となった。また上記案では、軽水炉は安定供給と誇らしげに表現していることへの警鐘とも言える事故が7月、敦賀第2号機の熱交換器で発生し、9月には日本が依頼しているイギリスの核燃料再処理会社 (BNFL) が再処理後のペレットサイズに関するデータねつ造するなど、日本国内だけでなく国際的な原子力技術者への不信をも取り返しのつかないほど募らせてしまった。こういう事態を踏まえての策定作業になるわけで、不信感、不安感を払拭するにはいまさら同じことの繰り返しでは済まされないつらい状況といえる。2000年4, 5月あたりには、総選挙対策もあろうかと疑えるが、ついに原発の行方は全く不透明になった。つまり、この長期計画案は相当変更を余儀なくされると予想できる。
 再び核融合発電についてこの策定に向けての検討案で、ほんの一言しか述べていない。この長期計画は第一回以来、20年程度を視野に置いているから 50年先に実用化を目指すという技術である核融合については言及を控えているとも思われるが、第七回では 40年以上後の 2030年の高速増殖炉について言及しているのであるから、予算の投入額に対し、項目 4 のいくつかの技術のうちの一つとしての扱いしかしていないのは、やはり気になるところである。

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執筆・編集責任者:若井和憲
ページ管理担当者:高橋周平

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