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原子力政策では日本の先を走っているフランスも高速増殖炉はとん挫してしまった |
ところが、やはり安全性に自信が持てず(水と触れると爆発的に反応するナトリウムに空気が混じり、純度が落ちてきたのが問題と言われてもいるし、経済的に見合わないことが明らかになってきたというところもあるようです)、'98年2月に 廃炉を決定しました(実際のところは政権が変わったための政策転換とも言われています)。廃炉にはしたものの、それの解体作業は強い放射線による汚染をしていた炉だけに、莫大な費用がかかるであろうと予想されていますが、予算的に見通しが立っていないため解体がなされるのかどうかさえ見通しが立っていないとも言われています( '98,2月 の発表では、165億フラン{'98.8月のレートで約4000億円}=フランス国民一人平均約7000円負担、ただし、この負担はフランスだけでなくこの計画に参加したヨーロッパ諸国の電力会社も負担するので薄められます)と試算されており、2004年まで前処理、2005年から原子炉本体の解体に入る予定)。ともかく放射性物質の扱いについて、研究しなくてはならないので休止していたフェニックスを再開するということになっています。
現在の一般の原子炉にしても、廃炉を考えない発電単価では火力発電所のそれより安い計算になっていますが、これから廃炉、あるいは高レベル核廃棄物の処理について、どういう対策をすべきかわからない状況です(1999年炉の寿命を延ばしたことから発電単価を再試算した中には廃炉費用も高レベル放射性廃棄物処理費用を含んで 5.9円として、これまでの9円より相当安く見積もっているが、実際廃炉したのは東海村の日本初の原子炉のみ、さらには高レベル放射性廃棄物は処分場すら決まらない状態)。ましてやスーパーフェニックスはプルトニウムという一層毒性の強い核燃料を使い、また熱交換媒体に使ったナトリウムはもんじゅでも明らかなように、水分との反応は爆発的に進むので放射線により汚染されていることも考慮しつつ、それの取り扱いも大変なことになります。
そういうわけで、高速増殖炉は核融合炉以上に期待された熱発生炉でしたが、アメリカは早々と、そしてその後多くが手を引き、フランスも未練を残しつつ最近撤退した今、日本だけが事故を起こしつつ重大事には至らなかったとして一次中断中ではあるものの、今後も開発続行の意志は強い(原子力委員会長期計画策定会議)よう(と言いながら、同じ委員会がわずか2ヶ月でトーンダウンしていて委員会も国民の意思との間で混乱状態?)です。国民の意見を反映するため設置された原子力円卓会議も、最終会議では研究続行に消極的賛成の態度で結びました。また事故後運転停止を要求する訴えに、 裁判所 は安全性については問題ないとの判断を下し、あとは福井県の了解を得られれば研究再開という段取りになっています。なんと、この事故以来、ナトリウムが凝固してしまっては大変なのでと、ずっと加熱を続けていて維持費が相当嵩んでいます。それに経費に耐えるためにも、早期再開が求められているという事情も本音にあるようです。
なお、データがはっきりしないロシアでは、まだ計画もあるようです。規模が大きな600MWeがベルヤルクス3号機として1980年以来運転中、さらに、4号機800MWeの建設に着手。南ウラルには新たに2基の計画が有るが資金問題が有るといいます。また最近中国でも高速増殖炉建設計画が進んでいます。
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さて、日本最初の商業炉である東海発電所 (16.6万kW)は、 '98年3月で運転停止、今度は一転して合理的な廃炉技術を実証する使命を負うこととなっています。その間、287億kWh を発電してきました。廃炉は3年〜4年かけて燃料を取り出し、放射濃物質による汚染の除去・原子炉の放射能の減衰を見極めるのに 15〜20年かけ、解体撤去を完了予定といいます。解体費用は 250億円程度と見積もられていますが、上述の発電単価が通常の2倍かかっている炉であることはさっ引いたとして、原子炉は 9〜10円/kWh(2000年の再試算の 5.9円/kWhは '98年以降建設の炉と断っている) とされていますから、約1割が廃炉費用ということになります。これがこの程度で済めば、電気料金へははねかえってこないでしょうが、ため込んだ使い済み燃料をどうするか、も含めると、高価になるでしょうし、一度でも放射線や放射性物質漏れのような事故を起こせばそれこそ莫大な費用が必要になることは避けられないでしょう。
こういう費用は、今その恩恵に浴している我々が後から追徴金を払うことになるのではなく、将来のユーザから取り立てる (料金が高くなる)ことになります。たとえば、国鉄時代の借金が数十兆円にも膨れ上がっているものを、誰も払う人が居ないからと、現 JR に払うよう持ちかけても拒否され、税金で払わざるを得ない状況になってきていることと類似します。バブル時代に虚ろな成長を遂げた銀行などが今破綻すべくして破綻し、そのまま破綻させては影響が大きすぎるからと結局は税金を当てにした政策がとられつつあります。住専は既にそういう手が打たれてしまいました。でも、多くは国債に依存していますから子孫につけがまわりますね。環境ホルモンにしても、何十年も前のことが今になって利いてきているという質のものがありますし、ゴミ問題にしてもおそらく今のような埋め立て方式をとってゆくと、あとから困ったことになることは目に見えています。わずか 1mm の厚さのゴムシートを敷いたなら産業廃棄物の投棄が許可されるなど、どんな根拠でそれを良しとしたのか疑いたくなることですね。そんなことは全く効果が無いことがわかっていても、そうでもしないと棄てることができないから「苦肉の策」ということでしょう、本音は。それを非難したくても、それに変わる案があればよいですが、なかなか難しい。先日は名古屋の水道管が破裂し、これも老朽化したものの管理ができておらず、予想だにしなかった類の被害。たかが水道管の破裂ではないかということですが、被害は甚大です。これからこういうことがどこでおきても不思議ではない。経済成長時代に作ったビル、橋、トンネルなど、諸々のものがこれから寿命を迎えるとすると、それらをどうするのか、予算が組まれているとはとても思えない。この原子力に関係した同様の問題として、アメリカや旧ソ連で核兵器を無心に作り続けました。ところが、核兵器もどんどん技術開発が進み古いものを爆発させて焼却するということは全くできず、だからといって永久に安全だというわけでもないから、地下埋蔵も安心してできない、実際、放射性物質が漏れているところが多いとスクープされてきている、今のところ永久に安全な始末法は見つかって居らず、将来へとつけをまわしてゆくことになっています。旧ソ連は、チェルノブイリで知っての通り、現在も既に不安なものがこれなくしては生活ができないからと同型の原子炉を動かさざるを得ないのです。どの国も八方ふさがりなのを、結局は先送りしています。
現在を乗り切る(といっても安易なみかけの成長を続けようとする姿勢は崩さないで)のに精一杯なのですから。
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わからないことは後回し !! | 常に子孫につけがまわる!! |
こういう「つけ」は結局、直接被害に遭う場所の住民か、問題を積み残して時間的に後ろへ追いやり、子孫に払うことを強制することになります。この「子孫へのツケ」は、2002年700兆円(国民一人あたり600万円)という借金とは全く異質の深刻なものです。他でも述べているのですが、借金は形として残るだけで、実際その時点で生産活動は終わっているので、労働力や資源は使ってしまったわけだから、将来労働して返す必要は無いのです。その資金や、労働力に対して払うべき対価を持ち合わせていなかったから、政府は銀行に国債を発行して肩代わりしてもらったわけです。その銀行のお金は国民の労働の証ですから、結局は国民がただ働きをしただけのことです。その時代で閉じた話であって、子々孫々に残るのはその証文だけで、無意味なものです。もし、超デフレ政策をとれば、貯金額は暴落し、せっかくため込んだお金が返ってこないだけです。でも、実は国債という形でかなりの富は形を変えて戻ってきているのです。問題は、貯金しないでそのとき他のものに変えた人たとえば、暴落まえに家を建てたり固定財産に変えていたりした人と、こまめに銀行や郵便局を信じてもう少し貯まったら、家を建てようなどと考えていた人にとっては悲劇です。ですから、結局は富の配分方法がどこまで平等かという問題であって、将来の子孫へのつけにはなりません。返すとしたら、それは貯金した人の子孫に、しなかった子孫が返すことになるわけで、それはそれで閉じた世界です。昔働いた人に返すわけではないのです。
もし、前世代の人が「つけ」を残すとしたら、不要な道路や不要な建築物で、維持管理が大変なものでしょう。今の世(日本あるいは先進国)は、働かなければ食えないと言うわけのわからない時代です。実際には、十分ものは有り余っていながら。極言すれば、たとえば 100年持つ製品を作ったのでは、その後製品は売れる訳がないので自分の身が危ないから、数年で壊れるものを作らなくてはならない。だから、大規模構造物でも、寿命を短く設定しなくてはならない。実際、どう設計しどう製造しても寿命はそれなりにあるので、すべてがそう言う意図で短命に作られているとは言いませんが。こういう短命で大規模なものを受け渡された場合は、そのお守りに困るわけです。が、一般にはそういうものを「つけ」と言っている訳ではなく、銀行に残された国債という紙切れのことですね。
以上は、何度も言ってきたことでしかも若井の独断的な考えです。間違っている可能性も否定できません。是非経済学者の意見を聞きたいものです。
現在生きている、しかも先進諸国の人たちだけの
ともかく、政府の借金は、紙切れであって、実質的に子孫にツケを残しているわけでは無いので、若い人は心配する必要はありません。問題は、老人人口が多くなり若者が少ないので、老人を少人数で支えられるかどうかです。それはでも、工業力が人の役割をしてくれるようにすれば良いわけで、今までもそれが本来の工業のあるべき姿でしたから、必要以上を望まねば、やりくりできてゆくと思います。でも、正真正銘「ツケ」のようなものです。省力化がうまく機能するシステムにできるかどうかにかかっています。
そういうものと、原発の廃棄物は全く異質なことは言うまでもありませんね。だから、エネルギー問題を左右するという視点からは原発を選択する必要はないはずです。化石燃料(石炭を使い続け、メタンハイドレートが使えるようになれば)でしばらくはエネルギー問題としては安泰でしょう。ところが、これから経済発展してくる国の人たちの分や将来の人たちの分をも安定に供給するためにはと考えると、どうしても化石燃料だけでは不足するし、気候へ与える影響も大きすぎる、だから必要なはずなのですが、一方では放射性物質というやっかいな問題があって、問題が起こるとすれば同じ将来への影響が非常に大きい。そういうジレンマを抱えて進んでいるということになります。
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核燃料サイクル開発機構、500〜1000m級の地層処分放射科学研究施設の建設へ!! |
高レベル放射性廃棄物を埋蔵することの是非を調べる研究を行う「地層処分放射科学研究施設(通称クオリティ)」を東海村に建設することにしました。これまでは、「地層処分基盤研究施設(通称エントリー)」で人工バリア周辺の岩石中の地下水の動きや水質の変化の仕組みについて、あるいは人工バリアの性能を放射性物質を使わないで研究してきました。土岐市を当てにしているのはやはり放射性物質を使わない方法です東海村の施設は '99,7 完成予定だそうです(実際完成したかどうか、調べておりません)。今はガラスで固めて原子炉近くに用意されている貯蔵施設で冷却しながら40〜50年保存し、その後、冷却したら高深度貯蔵施設に移すという計画になっています。
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放射性廃棄物処理場の立地と原発立地は全く違う覚悟が必要 !! |
土岐市では、今も建設の是非が曖昧です。建設のための調査は開始したようです。北海道幌延町でも、同様の施設の建設計画が有ります。
今は、処分するとしたら地層深く深くということで、そういうところで何が起こっているかについて研究しようということです。そこで水が流れているとしたら、どこへ行くのか、どれぐらいの速度か、もし放射性廃棄物がしみ出したら周辺に影響が出始めるのにどれぐらい時間を要するのか、というようなことでしょう。そして、非常にゆっくりで放射性が十分減少してから、ということになれば適地と判断することになり、恐らくそのままその地が処分地となるでしょう。それが地元の警戒です。岐阜県知事と科学技術庁長官とのやりとりで、岐阜県が最終処理場を受け入れることは無いとなっていますが、大金をはたく了解を国会で求め、次の候補地を探す余力が政府にあるでしょうか?まず理解を得られないですね。政府は、一応「立候補を期待する」としています。そんなところは無いだろうという質問にも、是非立候補値が現れると信じているとしか言っていません。一方現(2002年時点で)岐阜県知事は、たとえ県内のどこかの市町村が立候補しても、岐阜県として拒否する、としています。他の都道府県も同じでしょう。それでは埋設案は執行できないどころか、現在地下埋設までとして受け入れ、今後もどんどん貯まってゆくことになっている六ヶ所村は、地表でずっと預かることになってしまいます。国は恐らく、行き場所がないから決まるまで預かってくれと、運び出さないでしょう。運び出すところが無いのです。たとえば、石原東京都知事は今安全とされるより小型の原子炉なら東京に作っても良いと発言したとされています(実は真偽を私は知りません)。石原都知事でなくても、他にもそう思う首長が居るかも知れません。都の使うエネルギーは都で解決するという姿勢は、有るべき姿です。それでは、核廃棄物は引き取ってくれるでしょうか?恐らくノーでしょう。こうなると、行き場がありません。原発発祥国で日本並みの原発大国(原発依存度は日本より低いが原発数は倍で国民あたりにすれば同程度)の米国は、核廃棄場をネバダ州・ヤッカマウンテンと確定しました。ネバダ州の反対を押し切って、エネルギー問題は国が決めることということで、決定されたのです。
日本でも、どうにもならなくなったら、国旗掲揚や君が代問題のようにあっという間に決議することだってあり得ます。
原発を受け入れているところがたくさんあるのは否定できない事実であり、岐阜県民も平均30%の割合で原発のエネルギーを享受していることも事実(実は中部電力から配電されるものの平均とすれば、ずっと低くなります、中電は浜岡に4基しか原発を持っていません)ですから、一基も原発のない岐阜県だって応分の負担をすべきだ、という考えは当然持つべきでしょう。ただ、原発は止めようとすれば廃炉に持ち込み、高レベル放射性廃棄物を処分地へ持ち込めばそれできれいになります。ところが、廃棄物処理場はそう簡単ではありません。一旦受け入れたら、1000年レベルで放射性が減少するまでずっとそこに置いておく必要があるのです。原発が60年の寿命とすれば、止めようとしたとき最長でも 60年で止められます。処理場は、1000年以上預かる必要があるのです。もはやどんな世界になっているのか、科学技術はどう変貌しているのか、誰も予測もできない先の先まで預かって置かなくてはならないのです。つまり、その地の子孫にずっと負担を強いることになります。それを決めるのは21世紀初頭の住民ということなのです。
まったく根拠が無い話ですが、岐阜県が首都を東濃の地にと力を入れる一つの理由が、もし首都が来れば、まさかそこには高レベル放射性廃棄物処理場が有るということを国民は望まないだろう、という運動かも知れません。
確かに、岐阜県が応分の負担をしなくてはならないのは、私も岐阜県人として思います。原子力関連でそれを受け入れる必要はない、他の面で受け入れればよいという考えもあるでしょう。でも原子力は原子力として負担を分かち合うということができれば、わかりやすいですね。それは認めるのですが、もしなんらかの問題が発生したとき、たとえば思ったより早くガラス固溶体が壊れ、放射性物質が浸み出し、しかも流れも地震等で変わってしまって異常に速く拡散が進み、などということが起こったとき、核燃料サイクル機構や政府が迅速にそれに対応してくれるだろうか、と考えるとき、全く否定的にならざるを得ません。それは以下に述べる人形峠の問題を見れば明らかです。そういう意味で、この未来永劫と言って良いほど長期にわたって負担すべき処理場問題は、どこも受け入れ表明しないのではないかと思います。
これまで、原子力発電所は 30年でした。これが 1999年、60年と決められました。本当に大丈夫なのでしょうか? もちろん、こういうことに踏み切るには許可する政府(通産省・エネルギー庁)も、原発を運転している電力事業者も相当の覚悟がないとできないことです。一時の経済性だけを考えてのことでは決して無いでしょう。しかし、'99年7月に発生した敦賀2号機の熱交換器に発生した亀裂事故は、 '95年の「もんじゅ」の事故とは性質を異にする問題をかかえています。後者は、後から考えれば材料技術者だけでなく、機械工学を学んだ学生でもわかる話でした。もちろん、そういう簡単なことを見落とす人為的ミスが発生しうると言うシステムの欠陥を訴える事故では有りました。一方、前者は「高サイクル熱疲労」として今のところ片づけられた感がありますが、それに至るプロセスについて本当にわかったとは言えません、むしろ専門家がそんなはずは無いとさえ思っている事故だったのです(前述のごとく一部の関係者には、あの熱交換器には問題があることがわかっていたとか)。これは、有る面から見れば各所で起こる可能性を秘めていると言えます。なぜなら、流体熱力学解析プログラム (CFD) は非常に良い精度で現象を予測できるまでに開発され、コンピュータも十分の記憶容量と計算速度を達成し、それらのソフトとハードを用いれば高い解像度でかなりの精度で現象を予測することが可能になっています。ところが、そのソフトには種々の実験式などが必要となるのが一般的であり、その実験式や実験定数には仮定せざるを得ないものが多いのが実状です。そういう仮定値が正しいとすべて証明されて使われれば、それはそれで正しい予測が保証できそうですが、仮定が仮定のままになって忘れられていると、思いもよらないことが起こりうるわけです。それが、今回は疲労という、ある程度時間を経過してから破壊するメカニズムの類のものであった可能性を私は疑うのです。ともかく、このように疲労という現象はすぐには症状を現さないので綿密な点検が必要なのです。30年を 60年にのばすとするなら、隈無く点検をする必要が有るはずです。もし、点検できない場所で、予測しなかった現象が進行していると、大変なことになることは否めません。
そんな賭を現場がしているとは考えられないのですが、原子力では万事控えめ、謙虚さが必要では無いでしょうか。
ここで、私が思う大きな問題を提起しておきます。もちろん私だけが思うことではありませんが、一般論として言われていることでは無いことです。非常にデリケートな問題でもあります。一つは過去に起こってしまった不祥事とも言えることにちゃんとけじめをつけることです。日本だけではありません、アメリカでも、フランスでもイギリスでも。JCO の被爆事故が起こったのですが、事故が無くても被ばくは日常的に起こっているはずです。原子力発電は、ウランを採掘しなくてはなりませんが、その過程で被ばくします。JCO がそうであったように、危険な作業をする人に十分な情報を与えていないで来て被ばくさせたことが疑われているばかりか、掘り返した残土に高濃度のウランがあるのに放置したままというのも、信じがたい事です。また、航空機同様、原発も一定期間ごとに点検が必要です。火力発電所同様に、タービンもばらして検査します。炉内も同様です。被ばくの程度はその検査場所によりまちまちなのは当然ですが、ともかく被ばくします。さらに、燃料棒の取り出しでも。そして廃炉にあたっても作業員は恐らく相当危険な被ばくを受けるはずです。被ばくの強さによって、作業時間許容時間が大きく変わります。一年で被ばくできる量は決められているから、人によってはほんの少しの作業をしたあとは一年作業ができなくなります。これは不経済です。真偽ははかりかねるものの、この被ばく量を測定するためのフィルムバッジをはずして仕事をしたことがあるとか、データの記入は鉛筆書きだからあとから見ると記入と違った記録になっているとか、不明朗なことがあるという情報が方々にあります。
こういう背景が本当なら、原発の発電コストは 9(or 5.9)円/kW、火力発電所が 10円/kW と原子力の優位性を訴えるために作業者を犠牲にするようなことをやめて、きちんと対策をし、あるいは起きてしまったことなら補償をするのが当然ですね。原子力作業者に着目した本も有るのですが、残念ながらこういう限界すれすれの作業をしている人たちは電力会社本社の人ではなく、下請けの下のまた下という具合ですが、その本ではせいぜい下請けまでの情報しか無く、必然的に直接の作業者の危険の有無については踏み込んでいません。
このように見てくると、原子力関係に従事している人たちは普通の神経の持ち主ではないのでしょうか?もちろんそうではありません。昭和30年代に日本で初めて原子力を平和利用しようとしたころの先駆者達は、物理学が与えてくれた本来なら恩恵であるはずの原子の力を、負の苦い経験として第二次世界大戦で味わったものの、それを日本はプラスの方向で利用するのだと希望に燃えていたはずです。アインシュタインの原子力の平和利用の訴えや、それに呼応して始まったパグウオッシュ会議、さらに湯川博士、朝永博士達ノーベル賞受賞学者だけでなくノーベル賞級の日本の誇る原子物理学者(坂田昌二博士ら)が大勢居て、戦中戦後生まれの貧しい時代に育った若者にとって原子工学は非常に魅力的なものでした。私もそういう時代に機械工学としては習わないたとえば原子核工学などを、わからないなりにも読もうとしたものです(今ではすっかり忘れてしまったのですが)。ともかく昭和30年代、40年代はそういう時代でした。後述の核融合発電についてもしかりです。そのころ学んだ人たちが、今大学で教壇に立ち、企業で指導的立場に居るはずです。ただ、恐らくそのころ思っていた以上に安全性の確保が難しいことがわかってきた、しかし安全と言わないと立地もできなかったため絶対的な安全を訴えてしまった、今更引けないということが日本の原子力政策を特異なものにしてしまったということかもしれません。そして、今たとえば電力関係の会社に入ると、一部の人は原子力関係に携わることになる、それは入社のとき思いもしなかったことであったとしても業務命令で断れない、原発賛成とは思っていなかったが考えてみれば化石燃料の持つ負の部分を原子力は補うことができる、さらに電力の30%以上もあがなってしまっている状況では誰かが携わらなくてはならない、たまたまかもしれないが自分がそれに従事することになった、反対する人たちもいるが、現状で必要であることは否定できない、それなら誇りを持って携わろう、という思いで取り組んでいる人たちが多いのではないかと思います。好き嫌いだけで、きれいごとだけで済む問題ではないと。そういう従事者にとって、JCO や敦賀2号機の熱交換機問題、BNFLや原電工事のねつ造問題はやりきれない事件だったに違い有りません。一般国民以上に。もちろん指導的立場に居る人たちだって同じ立場だ、と言うことかも知れません。が、です。指導的立場にいる人には奢りがあり得ます。アメリカでの負の歴史を例として紹介しましょう。原発ではなく、原子爆弾にかかわることですが、原発を初めて成功させたフェルミも関わっているとのこと。それは原子爆弾の生みの親、オッペンハイマーが、プルトニウムの毒性について調べておくことが人類にとって大事だということで、弱者を選び出して人体実験を試みたという事件です。致死量の何倍ものプルトニウムを本人にはもちろん内緒で注射して経過を見ただけでなく、追跡調査のためには死体を発掘までして調べたというのです。それは原爆投下より早く始められたのですが、発覚したのは50年の秘密厳守期間を過ぎ、公開になったあとの1990年直前から。少々の犠牲は多数の安全のためにはしょうがないという、戦争と同じ乱暴な発想に基づく実験だったのです。これほど非人道的なことが日本で行われているとは言いませんが(ただし、第二次世界大戦中に核以外ですが日本が他国で忘れてはならない非道を行ったことがあります。その国の人間を勝手にマルタ=丸太と呼び、物扱いして行った、まさに極悪非道の人体実験です。森村誠一氏の著書で、昭和50年代初期だったと思いますが、赤旗に連載されていましたが、最近もTVで報道されていましたね)。
とにもかくにも、原子力に反対するのは簡単にできるけれど、電力供給量の1/3 は原子力によるという現実を否定することもできない、その恩恵で賛成者も反対者も今の贅沢すぎるといえる生活を維持している。だとするなら、自分の町に原子力発電所は要らない、廃棄物処分場も要らない、とは言っていられません。国民全体で、どうするのが最も良いのか本当は考えなくてはならないのです。国や電力会社はきっと良い答えが出せないですよ。
以上で繰り返し引用した、とくに1999年の諸々の原子力発電に関する事故、なかでも二人の犠牲者を出し、現地の住民が避難をせざるを得なかった JCO の事故、それは全く幼稚なものであったことも拍車をかけたとおもわれますが、国民にやはり原子力は恐ろしいという印象を強く与えてしまったことは否めず、そればかりか選挙も近いことをおそらく念頭に置いて政府は原子力政策を見直す方向転換をしました。それまでは 1998年、前年の COP3 の順風を受けて20基程度の新規計画を強気で策定し進めていたのですが、下手すると立地が認められている数基のみで新規立地を場合によっては諦めるほどの変わり身になっています。もちろん、政府全体がそう考えているわけではなく、まだまだ推進派議員も居るのですが、少数派になりつつあるようです。その分、新エネルギーに予算をつぎ込もうという勢力が強くなっているのです。原子力推進派にとっては、1999年の事故、事件は恨めしいできごとだったでしょう。
ドイツのシュレーダー政権は、連立政権で環境相には緑の党の党首トリッテン氏を起用している。したがって、当然のことながら反原発で進み、ついに1999年初頭に脱原発炉線を決定。その隣のオーストリアはもともと原発を持たず、2000年の夏ウィーンを訪れたときのタクシーの中で運転手は誇らしげに「オーストリアは原発を持たない」と話していました。ドイツの北のスウェーデンも原発依存国であったけれど、1980年代に国民投票で脱原発を決めているのは前述の通りです。アメリカも英・仏を除く西洋も脱原発が勢いづいています。不思議なのは、ベルギーで、ここも脱原発を決めました。原発シェアーはフランスに近く60%、2025年までに全廃としていますが、至難の業でしょう。ドイツも脱原発と言いながら、バランスが取れなくなってきていることは事実のようです。スイス(日本並み原発依存度)も03年夏、脱原発を諮りましたが、脱原発派が有効な代替案を提出できず、廃案となり、原発続行となっています。スイスももし、脱原発になると、価格上昇もさることながらやはりフランスから買電することになるのなら、無意味ということもあったのではないかと思いますが、証拠無しの想像です。
そんな中でアジアは原発志向と思われていたのですが、台湾が脱原発にむき始めています。陳総統が当選したとき、脱原発を掲げており、連立政権の一方は推進派であり、ぎくしゃくしています。JCO 事故以来、神経質な日本の一方の方向を後押しする可能性もあるでしょう。
その台湾も多角的に観察しないと、真の姿が見えないですが、実はヨーロッパは原発縮小方向かというと、チェッコスロバキアはCp製原発を導入しようとしてオーストリアなどから猛反発を受けています。チェッコは安全な炉だからと実施方向です。北欧はグリーンエネルギー(水力・バイオマス)が豊富だから、原発は抑止方向かと思いがちですが、フィンランドは原発導入をします。さらに、実はスウェーデンも原発廃止を国民投票で決めたのですが、そのころまだ子供だった今の若者もその経緯をよく知っていて、「他のエネルギー資源事情に変化が有れば再検討という条件付きだ」と説明してくれます。原発は4ヵ所で10基とまで知っています。日本の若者で原発数を知っている人はあまり多くないでしょう。単に反対というだけではないのです。またドイツも、怪しげな話があります。現政権がつぶれたり、緑の党との連立が崩れたらまた原発は復活さ」というものです。そういう背景をもし知らないで、反原発的な姿勢の根拠に「スウェーデンやドイツを見れば世界はどうあるべきか、わかるだろう」などと言っていると足をすくわれるし、それを聞いて原発推進派は「してやったり」と思うかも知れないですが、ドイツのシュレーダー政権はそういう中で再選され、トリッテン環境相(緑の党・党首)も継続です(ただし、これも裏話が有って、トリッテン環境相は、その年欧州はじめ世界的にで大規模な洪水が発生し、ドイツの損失も莫大な学位上る被害を発生した原因が、地球温暖化だと決めつけ、その運動が功を奏したとの見解もあるのです。大方の科学者は、温暖化の影響はこのように突然現れるわけではなく、何でもかんでも温暖化のせいにするのは危険だと言っています)。
それでは一般国民にとって、どうでしょう。COP3 の枠組みを順守するということからすると、6章をごらんになれば納得していただけると思いますが、とても新エネルギーで原発新規予定分を購うことなどできようはずがありません。政府が原発に期待していた分を、国民が窮乏する意志がなければ、COP3 の目標値を達成できなかったということで罰金を払うことになります。でも、それで済むわけではありません。原発を増やすことができたとしても、火力を積極的に減らすことは無かったでしょうし、原発が増えないとなったら天然ガス火力を増設するでしょう。クリーンといううたい文句であっても、天然ガスは CO2 は必ず出すことになりますから、1990年比では場合によっては20%程度からそれ以上、温暖化ガスを多く排出することになります。排出権でお茶を濁そうとしても、それほど多くは期待できないでしょう(私自身は、排出権の執行には反対です)。ともかく、COP3の目標値を達成しようとするなら、窮乏しか無いのです。
世界に目を向けて考えてみましょう。6章で詳しく述べると言いましたが、新エネルギーについて、砂漠があるから太陽光発電で賄える、という見方も有るでしょうが、それはやはり夢です。現実的には簡単な話ではありません。原子力発電が 40年前、夢に近いエネルギーだと思われていたように、核融合発電は真の意味での夢の発電システムとなるはずだったのに、いずれも放射性というだからこそ莫大なエネルギーを放出できるという原理の持つ諸刃のうち他方の刃を制御することができず(核融合は両方ともまだ制御できない)に居ることを考えると、全く安全そうに見える太陽光発電も、たとえば生態系にどう影響するのか、温暖化以上の影響が出たのでは意味がありませんが、それはまだ明らかではありません。風力もしかり、ましてやバイオマスは100億という人口を満足させる実力は、生態系をかなり破壊し、疲弊させない限り無理でしょう。なにせ、パルプのためだけの森林破壊が大問題となったほどですからエネルギーを、となるとその比では無いのです。そう考えると、原子力でもウランだけでは全く風前の灯火。どうしたって高速増殖炉でなければしのげません。私は、おそらく 2200年代には人口は 30億人程度になっていて、それなら技術開発の進んだ太陽光発電など自然エネルギーだけで全てのエネルギーが賄えるようになっているように漠然と思っています。それまですら、地球温暖化を抑制しながら一時的には 100億人にも達する人口を窮乏させることなく養うには当然リスクは高いけれど、高速増殖炉しか残らないと思うのです。リスク無い贅沢を、というのは無理だということです。
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制御できないのは、原子炉、核融合炉以上に、人の心であった!! |
20世紀の後半、エネルギー工学が潤沢な産業の原動力を提供し、その結果国民・人類に贅沢な夢を与えてきたのですが、最後の30年間を振り返ってみると人口は何と倍増(30億人が60億人に)しておりまだ加速状態が続き、今後50-100年でまた倍増すると予測されている。そして20世紀末〜21世紀初頭になってはじめてその膨大な人の数の意味と、人の欲の深さに気づいたもののその抑制のすべを知らず、結局21世紀の最初の四半世紀には、申し訳ないのですが有限量の資源を、人類に調和させる役を担うはずの工学はその尽きることのない人類の夢(欲望・贅沢との切り分けができない)を見続けさせる技術を持たず、人々はその「夢という名の欲望」と「現実という名の自然および社会環境の悪化」の狭間で苦しむということになりそうなのです。
日本で研究している組織は大きく分けて三つあります。それぞれ、異なる視点から研究を進めています。つまり、1億度近い超高温プラズマをいかに閉じこめるかという技術の確立に種々の方法で迫っているということです。超高温で分子は電離しているので、それなら磁力で閉じこめようというのが最初の二つ、磁力にも方法がいろいろあるうち有望な方法が二つ確かめられているのです。さらに、レーザを用いて閉じこめられないかという方法です。これは、一つではとてもエネルギーが足らないので、たくさんのレーザビームを照射することになります。
共同開発に入ったとして、技術者が言っている 「50年先には利用可能」であろうという言葉が現実のことになりうるのか(実際、日本原子力研究所のホームページでは、50年後のエネルギーとして紹介されているし、平成10年度の原子力白書でトカマク方式の実用化へのステップとして、実証炉が完成するのが 2050年頃として50年後と言っている(これは、1992年の原子力委員会が策定した第三段階核融合研究開発基本計画の実証炉の完成目標がそうなっているから)し、また Scientific American の翻訳記事を中心とした日経サイエンスでも米国の著者が 1995年に "来世紀の技術" という特集で核融合が50年後に実用化という見通しが語られている、さらに1998年になっても同じサイエンティフィックアメリカンでは 50年という数字を使っている<前述の記事から3年経っても47年とは言っていない>)、本当に燃料は全くクリーンなものだけでできるのかは、怪しいというより、実際研究している科学者もそんなことは50年後どころか相当先まで、あるいは未来永劫人類としては到底無理と思っているでしょう。クリーンではないがともかく核融合としての実用化の時期について、核融合が話題になりはじめたころの前述、1955年のバーバ博士は20年後と言い、その 20年後の 1974年の日経サイエンス特集号では、さらに 10〜50年後の間を期待した表現になっています。これは揚げ足取りになるかもしれないのですが、2000年1月に岐阜県土岐市で開催された国際的な核融合の学会でさらに、「新世紀中に」という表現になっているようでもあります。それから四半世紀後の現在の期待時期がまたまた50年後となっているのですから、先伸びにつぐ先伸び、これではオオカミ少年の例となってしまいそうですが、実際に研究は進行し、それなりの成果は出つつあります。実用化時期はあいかわらず不透明と言えますが。
昔はクリーンな水素に一つ中性子がくっついた重水素=Deuteriumを二つ超高速で衝突させる D-D 反応で良いと考えられていましたが、このためには 6億度程度の超高温が必要であり、一方その重水素一個と陽子一つに中性子が二つくっついた三重水素=Tritiumを衝突させて D-T 反応を起こさせても莫大なエネルギーを開解放してくれるとともに必要な温度は 1億5000万度程度で良いということで、実際に研究されているのは後者の反応です。ところが、D は天然水素のうち 0.014〜0.015% 含まれているから、人類が他の理由で滅亡しても有り余るほどの量が海水中に眠っているのですが、三重水素は天然には微々たる量が宇宙線などで作られる程度であるから存在しないに等しいのです。さらに大きな問題は、これが半減期 12年の放射性核物質であること。トリチウムは、あまり放射性が極端に強いという物質ではないのは事実ですが、運転を開始すれば、連続的にそれを炉に投入しなくてはなりませんからある程度の量を用意する必要があるのも事実で、それはやはり安全とは言えないというわけです。
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残念ながら、少なくとも当初は放射性物質を使わなくてはならないことに! |
天然には利用できるものが存在しないとすると、作らなくてはならない、それができるのは原子炉の中ということで、ここでも放射性物質を操らなくてはならないことになります。原子炉が安全と言えないなら、核融合も安全ではないということになるのです。
さて、そういう問題がクリアーされたとして、数億度という温度で反応が起きることを考えなくてはなりません。太陽がそうだし、人類どころか太古の昔から生物が核融合エネルギーを上手に使ってきたのだから、できないはずは無いではないか、と思うかもしれませんね。確かにそうですが、太陽は非常に分厚い水素のマントルがあってその表面から熱が放射されるときには 6000K に下がっています。そこからの熱が光の速さで地球まで 8分もかかって届くものを利用しているのです。人類が利用してきた最も高い温度の熱源とは、溶接で使われるアーク放電など、せいぜい数千度なのです。
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数億度の熱源からエネルギーを取り出す技術は人類が経験していない |
規模が圧倒的に小さいからとは言え、数億度の熱源からエネルギーを取り出すことはまったく未知の世界です。簡単かもしれないし、初めて遭遇する難題が山積しているのかもしれない。
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反応で大量に発生する中性子も、問題と考えられている |
今から懸念されているのが、中性子により容器壁が急速に劣化するのではないかと言うことです。中性子は、原子核に潜り込めばその原子の種類を変えてしまうのだから、当然のことです(核反応はまさに中性子がウランをほかの原子に変えているのを思い起こしてください)。
核融合が人類のため、はかりしれない恩恵を与えることは疑う余地がないでしょうが、それが真にそうなるまでの年月が本当に50年かと言うことには、このように疑問が残るということです。この「50年」という数字は日本の科学者・技術者だけが上げている数字ではありません。世界的にそういう数字が使われています。その根拠が、上記のようにこれから遭遇する未知の問題をはらみながら出された数字とすれば、信じない方が良いでしょう。むしろ早くて 50年と思うべきなのかもしれません。この核融合の可能性について 1970年代アメリカには、研究予算が十分有ればその制御は 5年のうちに可能になると豪語する学者も居たと前述の ローレンスら は述べています。そして数十年は核分裂の方の増殖炉の制御技術は確立できないであろうとそのローレンスらが述べているのです。実際には、増殖炉の実用化実験がローレンスらの予測通り数十年を経て既に始められているにもかかわらず、核融合はいつ実証炉が作られるのか全く目処が立っていないのを見ても、その研究に携わる学者・技術者の表現は期待に満ちた夢である可能性が強いことを理解していなくてはなりません。
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そういえば天然に存在しないトリチウムはどうするのですか? |
これも問題が残っていますね。先が短いと言っている核分裂反応炉でできるから最初はそれを頼るとしても、一方の燃料トリチウムがウランとともに枯渇する運命では他方の燃料・重水素がいくら豊富にあっても意味がありません。実は、この核融合反応で生成されるから心配ありません。増殖できるのですよ、と言ってもきちんと条件が合わないと、使うトリチウム以上にトリチウムを作ることはできません。まず核融合をおこし、それが安全に安定して運転できる技術が開発されて、それからトリチウムの安定増殖条件を満足させて行くことになるだろうと思います。やはり、この核融合が利用できるかどうかわかるのに数十年、50年はかかるということになりますね。
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それらの心配は、50年後には技術が進んでいるから大丈夫? |
そうかもしれません。とくに核融合研究者はそう言いたいかも知れません。これから50年後の技術は想像できないほど進んでいるはずだからと。でも、もしそうなら、核融合技術自体も科学技術が進んでいるはずのそのころに進めても良いことになります。たとえ話をしましょう。今、コンピュータ技術はすごい速度で進んでいます。ある年に、そのときの英知を集めてある膨大な計算を最新鋭の特別仕立ての並列計算機を構成して始めた。それは数年で答えを出すという予定だった。ところが計算を初めてから予定の数年が過ぎる前に、その計算機より圧倒的に速い計算機が開発され、その新鋭計算機の方が速く答えを出してしまった。これはたとえ話をしているのではありません、本当の話です。これを核融合開発にあてはめると、50年もかかる技術なら、40年ぐらい待ってから始めた方が圧倒的に経済的には負担が少なく、しかも確かなものができる、ということになりかねません。そのときの状況が変わっていて核融合を必要としなくなっているかも知れないし。
ただし、全面的に止めてしまうのは考え物です。今までの技術の蓄積は書類だけでは引き継げません。これは私たち研究者ならほとんどの人が経験していることだと思うのですが、あるプロジェクトを報告書を作成して終結すると、あとでやり残したことが有って再開しようとしたとき、始めからやるのと同じくらいに労力を必要とするのです。だから、小規模で技術が絶えない程度の継続はした方が良いと思います。きっとアメリカは原子力政策をそいういう立場で行っています。アメリカ国内の事情では原発はもはや新規には作れない、かといってその技術および技術者を維持しないといつ必要になるかわからない。だとするなら他国に技術を売り続けてでも技術力を維持しなくてはならない、というところではないかと想像します。話を核融合に戻しますが、もちろん40年もの間単に技術が絶えないだけのために継続するとなると、これは一度絶えてから40年後に再開しても、今までの技術開発への投資損は一層ふくらむことになるかもしれませんね。ともかく、核融合については上記三つの選択枝を、日本は全て進めているのですが、投資が大きすぎないかと思います。根拠は異なるかもしれませんが、多くの評論家や科学者が、同じように予算が多すぎることを指摘していますし、その中のかなりの人が核融合の研究はやめるべきだとすら言っています。私個人としては、地元に核融合科学研究所がありますし、そこには岐阜大学から人事交流で事務系の方が出入りされているし、しかも卒業生もそこに技術者の立場で勤務していますから、是非人類の役に立って欲しいと熱望しています。
50年先、そのころ生きていない人の方が多い
ひょっとして燃料も? |
さて、この「50年」という数字は、今のまま進めば石炭以外の化石燃料やウラン(増殖炉が実用化できていないとして)の寿命が尽きるころを意味しています(発展途上国の今後の状況では石炭も相当消費されているでしょう)。偶然の一致かどうかは別にして、そのころに真に実用化できていれば化石燃料のハッピーエンド・新燃料のスタートとなるかもしれません。この「50年」という極長年月について、意地悪い見方をさせていただくなら、「50年以上かかる」と言えば、それは「エネルギー源枯渇には間に合わない」と公言することになるし、「50年より相当短い」数字を掲げるような根拠も自信も無い、その期限に完成しなかったときに言い訳をしなくてはならない。「50年」と言っておくのが研究を続けるのに最も無難な数字でもあるのです。もちろん、現在最も若い研究者・技術者も 50年後には研究者としての命をまっとうしているだろうから、実現していなくても、申し開きをする必要も無い。ということになるのです。でも、これはあまりに意地悪な見方ですね (この意地悪い見方は、昔 20年で核融合技術が確立するだろうと言っていたころの石油の寿命もその程度だったので、ついそういう見方もできるということです、もちろん、研究者達はせめてそれまでに開発しないと世の中のエネルギー事情が逼迫して大混乱に陥るからなんとしてもそれまでに、という覚悟の現れととるべきかもしれません)。
ともかく、個人的には私は「50年で化石燃料やウランに替わる発電能力を確保している可能性は相当に低い」と思っています。50年経ったとき、アメリカとヨーロッパ諸国と日本だけが核融合で電気を起こしていれば良いのではありません。先進国が過去に発展してきたと同じ環境がこれからの発展途上国にも用意され続けるなら、人口大国の中国やインド、あるいはそのほかほとんどの国が経済発展を遂げるに時間的には十分な年月です。先進国がやってきたと同様に環境を悪化させながらも生活を豊かにするため、石炭と、そのころまでには利用技術が確立していると期待できるメタンハイドレートをふんだんに使いさえすれば、そしてその他の貴重な資源については相当リサイクルで寿命を延ばして、ともかくどの国もエネルギー・資源浪費国になっているはずです。しかし、今後の50年はなんとかそのようにやってゆけたとして、それから先は石炭もメタンハイドレートも埋蔵量は急減少の一途をたどります。そのころやっと核融合技術が確立できたとしても、世界的な普及には数十年は必要でしょう。だから、核融合が50年後に確立できても 50年ではなく、100年程度は化石燃料や原子力燃料が残っていないといけないのです。今のままでは、そんな情況には全くありません。資源があっても気候変動すなわち地球の温暖化がそれを使うことを許してくれないでしょう。次章で示すように、新エネルギーだけではとても人類のあくなき欲望を満たすエネルギーを供給することなどできないまま、核融合が期待できるのが 50年後では、間に合わない可能性が結構高いのです。
そういう暗い想像もできるのですが、こういうシナリオが現実のものになるのは望ましいはずがありません。私としては、核融合技術開発も、世界的に英知を集結して最善の努力をしかるべき(上述したような)規模ですべきと思います。夢を見すぎない、かといって、夢を棄てない程度の状態だと思います。
核融合の解説本が少なくなってきた!!
原子力白書や科学技術白書にもほとんど記述が無い!! |
私は、そう思うのですが、将来のエネルギーを語る本や記事にあまり核融合の話が載らなくなってきたという心配があります。たとえば 元資源エネルギー庁長官柴田益男編・1988年出版の"転機に立つエネルギー産業-日・米・欧比較-21世紀への挑戦" にも、茅陽一氏らが語る 1994年出版の "九賢人が語る明日のエネルギー" でも、"2010年世界のエネルギー展望" でも、資源エネルギー庁編・1998年出版の "21世紀、地球環境時代のエネルギー戦略" にも、一言も核融合という言葉が有りません。さらに、平成10年度の原子力白書では、予算の割に少々のページがITER 関連に割かれている程度で、ついでに LHD や慣性閉じ込め方式について触れられている程度。同年の 科学技術白書でも、1ページと少々が割かれている程度で、内容はやはり ITER が多く、LHDや慣性閉じ込めについての記述はついで程度。いずれの白書も、高速増殖炉の開発や核燃料サイクルの記述に割かれているページとくらべると核融合のページ数は雲泥の差です。
私の知っている本で大々的に核融合を記述しているのは、雑誌で指摘しておられます。同じ山地先生は、 "どうする日本の原子力" で核融合に否定的な考えを示しておられます。ほかにも否定的な立場の記事、著書を数え上げればきりがないのではと思うほどです(たとえば "エネルギー3つの鍵、経済・技術・環境と2030年への展望" は増殖炉とともに否定的)。私に真意が読みとれないだけだと思うのですが、山地先生の"核融合は、核分裂も核融合も、単に蒸気タービンのエネルギー源としての利用にとどまる" ことが問題だという意見が言葉通りだとするなら、賛成しかねます。それだからこそ良いことになるのではないでしょうか? 石油のような資源は、化学製品の原料としても非常に価値が高いものですから、枯渇するとなったら、そちらの資源として残しエネルギーは他のもので賄うということになるでしょう。そういう意味では、核のエネルギーは他には何の役にも立たないと言って良いほどなので、エネルギーだけの見地で使うかどうかを決められるのです。やはり、核についての論点は、安全が第一でしょう。
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核融合研究者・技術者はもっと丁寧な素人向けの情報発信を !!
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そのあたり(つまり、核融合を実現する上で何が危惧され、それはどう解決されうるのかなど)について、説明を加えたいのですが、当然のことながら当研究室の専門性から考えて、このページには不適切な表現、間違いがふんだんに含まれているかもしれません。実際、こんなページを作ったので非常に迷惑している研究者や技術者が居られることだろうと心配しております。これ以上の説明は遠慮することとして、もっとふさわしいweb.page を探索中です。第 9章にはそれらしいページを 紹介 していますが、なかなかきちんとした解説がみあたりません(前述のように、web.page が無いだけでなく、解説本がほとんど無いのです)。たとえば土岐市にある核融合科学研究所のページで核融合に関する解説記事は所長の挨拶に書かれていますが、それ以外一般の人にわかるページはありません。これではいけないと所内でも話題になっているそうで、やっと近いうちに解説記事をweb で公開することが検討されていると聞いています('99年3月にそんなうわさを聞いたのですが、2000年1月には所長が交代されたために内容が変わったようですが、ここで期待している内容にはなっていないです、現在はどうでしょう?)。50年後にはもはや生きていない人の方が多いのだから、せめて現実性の高い夢を見させてくれるような記事を期待したいものですね。今のところ原子力研究所の方は、やさしい内容です。が、あまりにも簡単な紹介記事で、バラ色のアピール記事という印象です。上述の 大阪大学のレーザ核融合研究センターの web.page の中に やわらかい話・核融合の説明 というものがあった(相当に凝った作りだったと記憶します)のです。多分、お守りしていたのは学生で卒業したのでしょう、引継ができなかったのか、しばらく更新中でした。最近また復活したようですから興味ある人は覗いてみて下さい。このセンターのページでは、激光の音が聞けますから、聞いてみると良いですよ。単純ですが、こういうことで身近に感じるようになるのですね、素人は。
この大阪大学レーザ核融合研究センターの web.page には、関連のページのリンク集が掲示してありますが、私の探したもの以上には少々というところで、結局はこれだけしか無いのだなということになります。ともかく、まだまだ問題山積みの状態と言った方が良い核融合技術であり、実際50年後に実用化されたとしても私を含み半分以上の人は生きていない可能性がありますから、是非今我々に核融合とは何なのか(たぶん、このことは結構多くの人が知っている)、何が問題でどれぐらいかかって研究を完成させ実用化させようとしているのか、などがわかるやさしい情報を提供してもらえることを期待したいものです。とくに、膨大な予算(トカマク方式、ヘリカル方式ともに毎年数百億円、慣性閉じ込めの予算は不明)を使うのに対し種々の問題点をかかえていてそれを乗り越えられそうにないから止めるべきだという声が多数の本、多くの雑誌記事に出ており、国民が得る情報はむしろこの反対派の意見ばかりといえる状況で、それに答える情報を提供してもらうことがもっとも重要と思われます。このままでは科学者は国民を説得するより官僚・政治家を説得し予算を獲得すればよい、生半可な説明はかえって問題を複雑にするから黙っていた方が得という判断が有るように思われてしまいそうです。是非そうではないところを見せていただきたいものです。