ルビ部分を大島理代・渡辺晴美(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。
*(丁)以降が渡辺の担当。



小公子     若松しづ子
   第十一回(甲)

フオントルロイが、老侯(ろうこう)と共(とも)に広野(ひろの)の方(ほう)から見(み)ては、如何(いか)にも画(ゑ)に書(か)いた様(やう)な景色(けしき)と思(おも)つた小村(しやうそん)の中(うち)へ、近(ちか)く立入(たちい)つて、貧民(ひんみん)どもの有様(ありさま)を視察(しさつ)したエロル夫人(ふじん)は、見(み)ること、聞(き)くことに哀(あわ)れを感(かん)じることが多(おほ)く有(あり)升(まし)た。
どの様(やう)なものでも、近(ちか)くで見(み)れば、遠方(ゑんほう)で見(み)たほど全備(ぜんぴ)しては居(お)らぬもので、此(この)村内(むらうち)にも、人々(ひと\/)が其(その)業務(げふむ)に勉(はげ)めば、自然(しぜん)、衣食住(いしよくぢう)も満(み)ち足(た)る可(べ)きに、万事(ばんじ)に鈍(にぶ)く、怠惰(たいだ)に陥(おちい)つた結果(けつくわ)には、貧困者(ひんこんしや)が多(おほ)く見当(みあた)り升(まし)た。
暫(しばら)くする中(うち)に、此(この)エールボロといふ村(むら)は其(その)近辺(きんぺん)で最(もつ)とも疲弊(ひへい)した評判(ひようばん)の村(むら)といふことが分(わか)りました。
夫人(ふじん)は内情(ないぜう)の困難(こんなん)なことと救済(きうさい)の道(みち)の殆(ほと)んど絶(た)へて居(お)つたことを、モドント教師(けうし)からも聞(き)き、自分(じぶん)にも発明(はつめい)し升(まし)た。
村長(そんてう)を撰挙(せんきよ)するにも、侯爵(こうしやく)のお気(き)に入(い)りさうなのを撰(え)らんだので、小民(せうみん)どもの貧困(ひんこん)に堕落(だらく)した有様(ありさま)を矯正(けふせい)するものは、一向(いつかう)に有(あり)ませんかつた。
況(ま)して軒(のき)は傾(かた)ぶき、住民(ぢうみん)は意気地(いくぢ)なく、宛(さな)がら半病人(はんびようにん)の如(ごと)き者(もの)斗(ばか)り居(お)るエールス、コートの哀(あわ)れな有様(ありさま)は、侯爵家(こうしやくけ)にとつても、外聞()な程(ほど)でした。
夫人(ふじん)が始(はじ)めてこヽへ行(い)つた時(とき)などは、実(じつ)に戦栗(みぶるい)する様(やう)でした。
場処(ばしよ)の醜猥(しゆうわい)なことと人々(ひと\/)の遣(や)り放(ばな)しなることと極貧(ごくひん)のことなどは、田舎(いなか)は都(みやこ)より又(また)一層(いつそう)甚(はなはだ)しい様(やう)に思(おも)われ升(まし)た。
ソコデ都(みやこ)は兎(と)に角(かく)、田舎(ゐなか)ではかふいふことは仕方(しほう)のつけ様(やう)がある筈(はづ)と思(おも)ふにつけ、罪悪(ざいあく)の中(うち)に畜生(ちくせう)ほど、投(な)げやりに育(そだ)つ穢(きたな)らしい子供(こども)を見(み)、壮麗(そうれい)な城内(ぜうない)に王子(わうじ)の如(ごと)くに保護(まも)られ、侍(かしづ)かれて、布望(のぞみ)とて叶(かな)へられぬことはなく、富裕(ふゆう)、安楽(あんらく)、美麗(びれい)でないことは見(み)聞(きヽ)もせぬほどの境界(さかい)にある我子(わがこ)を思(おも)ふて居(ゐ)る中(うち)に、恰悧(れいり)に優(やさ)しい母心(はヽこヽろ)の中(うち)に、フト勇毅(おしきつ)た目論見(もくろみ)が起(おこ)り升(まし)た。
さて子供(こども)にとつては大幸(おほしあはせ)にも、不思議(ふしぎ)なほど侯爵(こうしやく)のお気(き)に入(い)つたことは、人(ひと)も見(み)、又(また)母(はヽ)にも段々(だんゝ)分(わか)つて来(き)升(まし)た。
さうして、子供(こども)の望(のぞ)む処(ところ)は、何(なに)ことでも侯爵(こうしやく)の拒(こば)み玉(たま)ふことは、殆(ほと)んどないと云(いう)ことも分(わか)つて来(き)升(まし)た。
それ故(ゆゑ)、モドント教師(けふし)に、

侯爵(こうしやく)さまは、セデーの気随(きずい)な望(のぞ)みまでも叶(かな)へてお遣(やり)なさらぬことは御(ご)座(ざ)りませんものを、そのお与(あた)へなさる自由(じゆう)を、他人(たにん)の為(ため)に用(もち)ゐたとて、何(なん)の障(さわ)りが御(ご)座(ざ)りませうか、
この事(こと)は是非(ぜひ)、手前(てまへ)がひとつ心配(しんぱい)いたして見(み)ませう。

優(やさ)しい幼(をさ)な心(ごヽろ)を知(し)りぬいてゐる母(はヽ)は、エールス、コートの話(はな)しを篤(とく)として聞(き)かせなば、申(もふ)さずともセデーは、祖父(そふ)に其(その)話(はなし)を持(も)つて言(い)つて伝(つた)へるは必定(ひつぜう)、さうすれば、望(のぞ)み通(とほ)りの結果(けつくわ)があるだらうと待(ま)つて居(をり)升(まし)た。
然(しか)るに、思(おも)つた通(とほ)り、好(こう)結果(けつくわ)の有(あ)つたことは、人々(ひと)\/が怪(あや)しむほどでした。
侯爵(こうしやく)を動(うごか)すに預(あづか)つて大(おおい)に力(ちから)あるものは、孫(まご)息子(むすこ)が自分(じぶん)に対(たい)する心(こヽろ)置(おき)なき信任(しんにん)でした‥‥‥即(すなは)ち、セドリツクが、お祖父(ぢい)さまは、いつも、仁義(じんぎ)のある処(ところ)をお行(おこなひ)なさるといふことを堅(かた)く信(しん)じて居(お)つたことでした。
侯爵(こうしやく)さまは、自分(じぶん)の心(こヽろ)には、人(ひと)に対(たい)して慈善(じぜん)を施(ほどこ)し度(たい)心持(こヽろもち)は一切(いつさい)なく、善悪(ぜんあく)などに係(かヽ)はらず、いつでも自分(じぶん)の思(おも)い通(とほ)りにし度(たい)のだといふ内実(ないじつ)を、介(かま)わず孫(まご)息子(むすこ)に悟(さとら)れる気(き)にはどふもなれませんかつた。
人類(じんるい)にとつての大恩(たいおん)ある人(ひと)、又(また)は総(す)べて高尚(こうせう)なるもの理想(りそう)の如(ごと)くに崇(あがめ)られて居(ゐ)る心(こヽろ)に得(う)る楽(たの)しみは、格別(かくべつ)な者(もの)故(ゆゑ)、優愛(ゆうあい)に満(み)ちた茶勝(ちやかち)な眼(め)で、ヂツト見詰(みつめ)られながら、「おれは勝手(かつて)、乱暴(らんぼう)な不埒(ふらち)な者(もの)で、一生涯(いつせうがい)、人(ひと)に慈善(じぜん)を施(ほどこし)たことの覚(おぼへ)もない老人(ろうじん)、エールス、コートも、貧民(ひんみん)も、介(かま)ふものではない」と明(あから)さまに言(いわず)とも、矢張(やはり)そういふと同一(どういち)な結果(けつくわ)になることを言(いつ)て快(うれ)しいとはどふしても思(おもへ)ませんかつた。
金色(きんいろ)の愛嬌毛(あいけうげ)を房(ふさ)つかせて居(ゐ)る小息子(こむすこ)の可愛(かあい)さには、例(れい)に戻(もど)つて、たま\/は慈善(じぜん)的(てき)なことをしても仕方(しかた)がないと断(あきら)める様(やう)にもなり升(まし)た。
それ故(ゆゑ)、自分(じぶん)で、自分(じぶん)が可笑(をかし)い様(やう)でしたが、少(すこ)し考(かんが)へたあとで、ニウーヰツクを呼(よ)びに遣(つか)わし、コートのことを長(なが)\/と談議(だんぎ)し、必竟(つまり)、彼(か)のボロ\/長屋(ながや)を取(と)り崩(くづ)して、新(あら)たなのを建築(けんちく)することに諦観(きま)りました。
例(れい)の淡泊(たんぱく)な調子(てうし)で、

ナニ、実(じつ)はフォントルロイの建議(けんぎ)で、是非(ぜひ)にと主張(しゆてう)するのだ、始終(しじゆう)は為(ため)に好(よろ)しいといつてナ、
店子(たなこ)どもにもフォントルロイの発議(はつぎ)だといつて聞(き)かせるが好(よ)かろう。

言(い)ひながら、毛革(けがわ)の上(うへ)に横(よこ)になつて、ダガルと遊(あそ)んで居(ゐ)る若侯(じやくこう)を見下(みお)ろして居(ゐ)られ升(まし)た。
例(れい)の大犬(おほいぬ)は、此(この)小供(こども)の始終(しじゆう)の友達(ともだち)で、歩行(ほこう)の時(とき)は、厳然(げんぜん)として威儀(いぎ)正(たヾ)しくて闊歩(くわつほ)して跡(あと)に随(してが)ひ、馬(うま)や、馬車(ばしゃ)の上(うへ)ならば、凛然(りんぜん)其(その)後(うし)ろを追(お)ふて走(はし)り升(まし)た。
田舎(ゐなか)の人(ひと)も、町(まち)の人(ひと)も、借屋(かりや)改築(かいちく)の噂(うはさ)を早(はや)くも伝(つた)へ知(し)り升(まし)て、始(はじ)めはそれを事実(じじつ)と信(しん)ぜぬものが多(おほ)くあり升(まし)た。
併(しか)し、一(ひ)と揃(そろ)ひの職人(しよくにん)が来着(らいちやく)して、踉(よろめ)いてゐる様(やう)な見(み)すぼらしい借家(かりや)を引倒(ひきたほ)し始(はじ)め升(まし)た時(とき)に人々(ひと\/)はまたもフォントルロイどののお蔭(かげ)で、こふいふ結構(けつこう)なことにな頑是(がんぜ)ない執成(とりなし)でエールス、コートの醜聞(しゆうぶん)も消(き)へることと漸(やうや)くに分(わか)り升(まし)た。
フォントルロイは此(この)人々(ひと\/)が行(ゆ)く処(ところ)に自分(じぶん)の噂(うわさ)をなし色々(いろ\/)に賞(ほ)めたて、生立(おひたち)の上(うへ)は成(な)し遂(と)げるだろうといふ、大(たい)したことの預言(よげん)を聞(きヽ)升(まし)たならば、嘸(さぞ)驚(おどろ)くことでしたろう。
併(しか)し自分(じぶん)はこふいふことがあらうとはサツパり知(し)りませんかつた。
矢張(やは)り、相(あい)変(かわ)らず淡泊(たんぱく)で、気軽(きが)るな子供(こども)らしい生涯(せうがい)を送(おく)り升(まし)た。
樹苑(じゆえん)に跳(は)ね廻(まわ)つたり、兎(うさぎ)を追廻(おいまわ)して穴(あな)へ追(お)ひ詰(つめ)たり、柴生(しばふ)の木影(こかげ)に横(よこ)たわつて見(み)たり、書斎(しよさい)の毛革(けがわ)の上(うへ)へ寝(ね)て見(み)たり、珍奇(めづら)しい書物(しよもつ)を読(よ)んで、お祖父(ぢい)さまにも又(また)母(はヽ)へも其(その)話(はな)しをしたり、ヂツクやホツブスに長(なが)い手紙(てがみ)を書(か)いて、それ相応(そうおう)な返事(へんじ)を貰(もら)つたり、お祖父(ぢい)さまと一所(いつしよ)か、又(また)はウィルキンスを供(とも)に連(つ)れて、馬(うま)に乗(の)つてあるいたりして居(ゐ)升(まし)た、
人(ひと)が市(いち)に集(あつ)まる町(まち)を通(とほ)る時分(じぶん)に、人々(ひと\/)は振(ふ)り反(かへ)つて見(み)ては脱帽(だつぼう)して礼(れい)をする時(とき)大層(たいそう)悦(よろこ)ばしさうなのに、気(き)が付(つ)き升(まし)たが。これは全(まつた)く、お祖父(ぢい)さまと一処(いつしよ)だから、みんなが、悦(よろこ)こぶのだと思(おも)ひ升(まし)た。
一度(いちど)は例(れい)のさえ\゛/した、笑(わら)ひ顔(かほ)で、御前(ごぜん)のお顔(かほ)を見(み)ながら、

どふも、みんながお祖父(ぢい)さま好(すき)だことネ、
お祖父(ぢい)さまみると、あんなに嬉(うれ)しがつてゐるの御覧(ごらん)なさいよ、
こんだ、僕(ぼく)もあんなに好(すき)になつて呉(く)れると好(いヽ)けどネイ、
一人(ひとり)なし皆(み)んなに好(すき)がられヽば大変(たいへん)好(いヽ)でせうネ、

といつて、左程(さほど)に珍重(ちんちやう)され、愛(あい)せられる人(ひと)の孫(まご)だと思(おも)へば、大(おヽ)威張(ゐば)りだと考(かんが)へ升(まし)た。
貸家(かしや)を建(た)て始(はじ)め升(ます)た時分(じぶん)には、フオントルロイはお祖父(ぢい)さまと一処(いつしよ)に見(み)に行(ゆき)\/し升(まし)て、フォントルロイは大層(たいそう)熱心(ねつしん)でした。
自分(じぶん)の小馬(こうま)を降(お)りて、職人(しよくにん)と知己(ちかずき)になりに行(ゆき)升(まし)て、建築(けんちく)のことや煉瓦(れんぐわ)の並(なら)べ方(かた)に付(つい)て、色々(いろ\/)質問(しつもん)したり、米国(べイこく)でのことを話(はな)して聞(きか)せたりし升(まし)た。
二三度(にさんど)もかふいふ話(はな)しをしてから、家(いへ)に帰(か)へる道(みち)すがら、煉瓦(れんぐわ)置(おき)の秘訣(ひけつ)を侯爵(こうしやく)に教(おし)へることが出来(でき)る位(くらい)でした。
そうして、後(あと)でこう言(い)ひ升(まし)た。

僕(ぼく)はかふいふことが聞(き)いて知(し)つて居(おり)度(たい)んですよ、
ダツテ人(ひと)はいつどんなになるか知(し)れないつてネ。

(以上、『女学雑誌』第二八五号)


小公子     若松しづ子
    第十一回(乙)

フォントルロイが行(い)つてしまい升(ます)と、職人(しよくにん)たちの仲間(なかま)で噂(うは)さをしては、妙(めう)なあどけない言葉(ことば)を笑(わら)ひ\/し升(まし)た。
此(この)人(ひと)たちも、フォントルロイが好(すき)で、手(て)をポツチツトの中(なか)へ入(い)れ、帽子(ぼうし)をチゞレ髪(け)の下(さが)つてゐる後(うし)ろの方(ほう)へ推(お)し遣(や)り、幼(おさ)な顔(がほ)を仔細(しさい)らしくして、立(たち)ながらの話(はな)しを聞(き)くことが大好(だいすき)でした。
さうして互(たがひ)に、

あんなヽアめつたにねへナア、
それにハキ\/物(もの)をいつて、心持(こヽろもち)が好(いヽ)ワ、
いけねへ奴等(やつら)(貴族(きぞく)を指(さ)す)の種(たね)ダタア思(おも)へねへやうだナア。

といひ\/しましたが、それから又(また)家(いへ)へ帰(かへ)つて、其(その)話(はな)しを女房(にようぼう)どもにして聞(きか)せる。
女房(にようぼう)どもは亦(また)他(た)の女(をんな)たちに話(はな)しをして聞(き)かせるので、フォントルロイの若君(わかぎみ)がどふして、かふしての話(はな)しを、何(なに)かしら聞(き)いて知(し)つてゐない者(もの)はない位(くらゐ)になり升(まし)た。
さうして、追々(おい\/)には、侯爵(こうしやく)どのヽわるがとう\/可愛(かわい)がるものが出来(でき)たといふこと、頑固(ぐわんこ)、隠嶮(いんけん)な老人(らうじん)の心情(しんじやう)を動(うご)かし、暖(あた)ためるものが漸(やうや)くに見付(みつ)かつたといふことを、誰(たれ)も知(し)らぬものヽない様(やう)になり升(まし)た。
併(しか)し其(その)心(こヽろ)がどの位(くらゐ)暖(あたた)まつたかといふと、此(この)老人(らうじん)が生涯(しやうがい)に始(はじ)めて信用(しんよう)されて見(み)て其(その)子供(こども)に心(こヽろ)の覊(きづな)が日(ひ)に\/堅(かた)く結(むす)びつけられるのを御(ご)自分(じぶん)でも、それ程(ほど)と、分(わか)らぬ位(くらい)といふことを、とくと知(し)るものは有(あ)りませんかつた。
侯爵(こうしやく)はセドリツクが美事(みごと)成人(せいじん)して血気(けつき)盛(さかん)んな若者(わかもの)となり、前途(ぜんと)の望(のぞみ)が遥(はる)か向(むか)ふにある時分(じぶん)を追想(ついさう)して見(み)て、今(いま)に異(こと)ならぬ優愛(いうあい)な心(こヽろ)を持(も)つて、人(ひと)に望(のぞみ)を属(ぞく)されたらば、どの様(やう)な手柄(てがら)をたてるであらう、自分(じぶん)についた資力(しりよく)、権力(けんりよく)をどの様(やう)に働(はたら)かせるだらうかと、頻(しき)りに想像(さうざう)され升(まし)た。
子供(こども)が暖室炉(すとうぶ)の前(まへ)へ横(よこ)になつて、何(なに)か大(おほ)きな書(しよ)に眼(め)をさらして、余念(よねん)もない処(ところ)へ、光線(くわうせん)が映(えい)じ入(い)つて、風情(ふぜい)を添(そ)へてゐるのを御覧(ごらん)じてゐて、お眼(め)はさゑ\゛/とし、お顔(かほ)の色(いろ)が、いつもになく色(いろ)づくことが有(あり)ました。
さういふ時分(じぶん)には、心(こヽろ)の中(うち)に、

この子(こ)ならば、何(なに)をさせても出来(でき)る、出来(でき)ないことといふはあるまい。

といつて居(ゐ)られ升(まし)た。
併(しか)し、セドリツクに対(たい)する自分(じぶん)の情愛(じやうあい)のことなどに付(つい)ては、口(くち)へ出(だ)して何(なん)とも人(ひと)に仰(おつしや)つたことは有(あり)ませんかつた。
何(なに)かの拍子(ひやうし)で、人(ひと)にセドリツクのことをいふことが有(あ)れば、態(わざ)と例(れい)の渋(しぶ)さうなホヽ笑(え)みを見(み)せて居(ゐ)られ升(まし)た。
然(しか)るに、フォントルロイはお祖父(ぢい)さまが自分(じぶん)を愛(あい)して下(くだ)さつて、いつも、側(そば)に居(を)るのをお好(この)みなさるといふこと、例(たと)へば、書斎(しよさい)に居(を)れば、お祖父(ぢい)さまのお席(せき)近(ちか)く、食卓(しよくたく)に着(つい)てならば、お祖父(ぢい)さまのまん向(むか)ふに、馬(うま)や、馬車(ばしや)に乗(の)るとか、手広(てびろ)い物見(ものみ)で晩景(ばんけい)、逍遥(せうえう)するとかの時(とき)には、お側(そば)近(ちか)くゐるのがお好(す)きといふことを直(ぢ)きに知(し)る様(やう)になり升(まし)た。
ある時(とき)、セドリツクが彼(か)の毛革(けかは)に横(よこ)になりながら、見(み)て居(ゐ)た書物(しよもつ)から眼(め)を挙(あ)げて、

お祖父(ぢい)さん、僕(ぼく)が来(き)た始(はじ)めての晩(ばん)、二人(ふたり)仲(なか)が好(よ)くなきやアつて、いつたの覚(おぼ)へて入(いら)つしやるの?
お祖父(ぢい)さんと僕(ぼく)ほど仲(なか)の好(い)い人(ひと)はどこへ行(いつ)たつて有(あ)りやアしませんわネ、

サウサ、随分(ずゐぶん)仲(なか)の好(い)い方(はう)だらうな、
一寸(ちよつと)、こヽへ来(こ)い。

フォントルロイは掻(かき)たくる様(やう)に側(そば)へ寄(より)升(まし)た。
スルト侯爵(こうしやく)様(さま)が、

貴様(きさま)、まだ何(なに)か不足(ふそく)があるか、ないもので、欲(ほ)しいものが?

此(この)時(とき)、子供(こども)は彼(か)の茶勝(ちやかち)な眼(め)を大(おほ)きく開(あ)け、言(いひ)度(たく)て、言(いひ)兼(かね)るといふ塩梅(あんばい)に、お祖父(ぢい)様(さま)を見(み)詰(つ)め升(まし)た。
そして、

アノ、たつた、ひとつ有(あ)るんです、

それは又(また)何(な)んだ?

フォントルロイは又(また)暫時(しばし)躊躇(たゆた)ひ升(まし)た。
そして独(ひと)り屡(しば\/)思(おもひ)屈(くつ)して居(ゐ)た故(ゆゑ)で、余程(よほど)仔細(しさい)の有(あり)さうな様子(やうす)でした。
侯爵(こうしやく)は復(ふたヽ)び、催促(さいそく)して、

何(な)んだ、\/

フォントルロイは、漸(やうや)くに、

アノかあさんです、

老侯(ろうこう)は少(すこ)しくたゆたつて、

ダガ、貴様(きさま)、毎日(まいにち)の様(やう)にお袋(ふくろ)に逢(あ)ふじやないか、それでも、まだ足(た)りないのか。

デモ、先(せん)には、いつでもかあさん見(み)てゐ升(まし)たもの、
夜(よ)る寝(ね)る時(とき)「お休(やす)み」いひに行(い)けば、キスして呉(く)れたし、朝(あさ)起(お)きて見(み)れば、いつでも、そこに居(ゐ)たし、それから、取置(とつとか)ずに、何(な)んでも、話(はな)しつこ出来(でき)たんですもの、

此(この)時(とき)両方(りようほう)沈黙(ちんもく)で眼(め)と眼(め)とを見合(みあは)せ、侯爵(こうしやく)の方(ほう)では、稍(やヽ)眉(まゆ)を顰(ひそ)められました、そして、

貴様(きさま)、そんなら、お袋(ふくろ)のを忘(わす)れたことは一切(いつせつ)(言葉(ことば)に力(ちから)を入(い)れ)ないのか?

エー、決(けつ)してないんです、さうして、かあさんも、僕(ぼく)決(けつ)して忘(わす)れないんです、
ダツテ僕(ぼく)、お祖父(ぢい)さんと一処(いつしよ)に居(ゐ)なくなつたつて、矢(や)つ張(ぱ)り忘(わす)れやしないじや有(あり)ませんか、ネイ?
僕(ぼく)なほ、お祖父(ぢい)さんのこと考(かんが)へ升(ます)ワ、

老侯(ろうこう)は、猶(なほ)暫(しば)らく、ヂツト考(かんが)へて、

イヤ、こりやアさうだらう、さうに違(ちが)ひあるまいナ、

全体(ぜんたい)フォントルロイが、母(はヽ)を慕(した)ふことに付(つ)ては、多少(たせう)羨(うらや)ま敷(しく)思(おも)われて居(ゐ)られる処(ところ)、かう聞(き)いて、一層(いつさう)其(その)感(かん)じが強(つよ)くなつた様(やう)でした、
これは固(もと)より老人(ろうじん)が子供(こども)を寵愛(ちやうあい)されることが、いよ\/深(ふか)くなつた故(ゆゑ)でした。
然(しか)るに、幾程(いくほど)もたヽぬ内(うち)に、まだ\/忍(しの)び憎(にく)い心痛(しんつう)の事件(じげん)が起(おこ)り升(まし)て、暫(しば)らくは、嫁(よめ)が憎(にく)いといふことさへ忘(わす)れる程(ほど)でした。
さて其(その)事(こと)の起(おこ)りといふは、亦(また)至(いた)つて不思議(ふしぎ)なことで、実(じつ)にこれらが青天(せいてん)の雷電(いかづち)とでも、いひさうな事柄(ことがら)でした。
エールス、コートが落成(らくせい)する前(まへ)、ある夜(よ)、ドリンコート城(じやう)に大(だい)宴会(えんくわい)が有(あり)升(まし)た。
かふいふ会合(くわいがふ)は、此(この)城(しろ)にも近年(きんねん)稀(まれ)な位(くらゐ)のでした。
其(その)数日(すじつ)前(ぜん)には又(また)、サア、ロリデールが、夫人(ふじん)ども\゛/此(この)城(しろ)へ来遊(らいゆう)され升(まし)たが、此(この)夫人(ふじん)といふは老侯(らうこう)の一粉(ひとつぶ)の姉妹(しまい)で、此(この)時(とき)の来遊(らいゆう)は、怪有(けう)のことで、市中(しちう)などでは、殊(こと)に大(おヽ)評判(ひやうばん)で、例(れい)の荒物(あらもの)やの呼鈴(よびりん)が夢中(むちう)にガラ\/と鳴(な)りも止(や)まなかつた訳(わけ)はロリデール夫人(ふじん)は三十五(さんじゆうご)年(ねん)といふ昔(むか)し結婚(けつこん)して此来(このかた)、ドリンコート城(ぜう)へ只(たヾ)一度(いちど)の外(ほか)は絶(た)へて訪問(ほうもん)されたことがないからでした。
此(この)婦人(ふじん)は白髪(しらが)がよくも風采(ふうさい)を装(よそ)ほふて、頬(ほう)には愛嬌(あいけふ)の笑窪(えくぼ)と桃色(もヽいろ)の去(さ)りやらぬ立派(りつぱ)な老(ろう)夫人(ふじん)で、人品(ひとがら)も中々(なか\/)好(い)い方(かた)でしたが、兄弟(けふだい)の欠点(けつてん)を非難(ひなん)することに於(おい)ては、世(よ)の人(ひと)と異(かわ)つたこともなく、それ已(のみ)ならず、確乎(かくこ)とした説(せつ)を立(た)てヽ、遠慮(ゑんりよ)なく之(これ)を主張(しゆてう)する性質(せいしつ)てしたから、自然(しぜん)、老侯(ろうこう)と屡々(しば\/)論(いさかい)することもあり、随(したが)て多年(たねん)疎遠(そゑん)になつて居(お)り升(まし)た。
この通(とほ)り、兄妹(けいまい)の間(あいだ)が隔離(へだヽ)つて居(お)る中(うち)に、夫人(ふじん)は侯爵(こうしやく)に付(つい)て快(こヽろよ)からぬ風説(ふうせつ)を聞(き)くことも度(たび)\/でした。
第一(だいいち)妻(つま)に対(たい)して、優(やさ)しくないこと、続(つヾ)いて同人(どうにん)が不幸(ふかう)な生涯(せうがい)を終(おわ)つたこと、侯爵(こうしやく)が子供(こども)に付(つい)て無頓着(むとんちやく)なこと、総領(そうりよう)、次男(じなん)が人好(ひとずき)のせぬ上(うへ)に、荏弱(じんじやく)、無頼(ぶらい)で、為(ため)に父(ちヽ)にも家(いへ)にも名折(なおれ)だといふこと、此(この)二人(ふたり)に取(と)つて此(この)夫人(ふじん)は叔母(をば)ながら、一度(いちど)も対面(たいめん)したことがないのでした。
然(しか)るにある時(とき)、十八歳(さい)斗(ばか)りの丈(たけ)高(たか)く、歴気(れつき)とした、立派(りつぱ)な壮年(そうねん)が邸(やしき)へ尋(たず)ねて来(き)て、夫人(ふじん)の姪(おい)セドリツク、エロルと名乗(なの)り、母(はヽ)の話(はな)しに聞(き)いた叔母(をば)さまに、一度(いちど)おめに掛(かヽ)り度(た)さに、近隣(きんじよ)を通(とお)つた幸(さいわ)ひ、お尋(たづ)ね申(まう)すと云(い)ひ升(まし)た。
ロリデール夫人(ふじん)は、此(この)若人(わかうど)を見(み)て、いとゞ、懐(なつ)かしさに、万(よろ)づを忘(わす)れ、強(し)ひて一週間(いつしゆうかん)程(ほど)引(ひき)止(と)め、こよなき者(もの)の如(ごと)くに寵愛(ちやうあい)し、饗応(もてな)して帰(か)へし升(まし)た。
此(この)若人(わかうど)は気立(きだて)も優(やさ)しく、快濶(くわいくわつ)で、其上(そのうへ)有為(ゆうゐ)の気象(きせう)が見(み)えて居(お)るので、帰(かへ)つた其後(そのヽち)も頻(しきり)に顔(かほ)が見(み)度(た)く思(おも)つて居(お)り升(まし)た。
然(しか)るに其後(そのヽち)は、打絶(うちた)へて茲(こヽ)を訪(と)ふたことのないといふ訳(わけ)は、エロルが帰城(きぜう)した時(とき)、折(おり)あしく、父君(ちヽぎみ)が不機嫌(ふきげん)で、ロリデール、パアグへ再(ふたヽ)び足(あし)踏(ぶ)みすることを固(かた)く禁(きん)じられたからでした。
併(しか)しロリデール夫人(ふじん)はエロルを思(おも)ひ出(だ)す度(たび)に、心(こヽろ)に優(やさ)しい情(ぜう)を起(おこ)し、米国(ベイコク)の結婚(けつこん)は向(むか)ふ見(み)ずな処業(しよげふ)と思(おも)ひはしても、父(ちヽ)が断(だん)じて家(かへ)から切(き)り離(はな)して、何処(いづこ)の果(はて)に、どの様(やう)な暮(く)らしをしてゐるか分(わか)らぬと聞(き)いた時(とき)、怪(け)しからぬ次末(しまつ)と、ひどく慍(いか)り升(まし)た。
其中(そのうち)死去(しきよ)した噂(うわさ)を聞込(きヽこ)み、続(つヾ)いて、不思議(ふしぎ)に他(ほか)の二人(ふたり)も卒去(そつきよ)したので、米国(ベイコク)生(うま)れの子供(こども)を尋(たづ)ね出(だ)して、新(あら)なるフォントルロイ殿(どの)として、迎(むか)へるのだといふことが又(また)聞(き)こえ升(まし)た。
其(その)時(とき)夫人(ふじん)は、夫(おつと)に向(むか)つて、かふいひ升(まし)た。

大方(おヽかた)、他(ほか)の子供(こども)と同然(どうぜん)、怪(け)しからぬ人間(にんげん)にされてしまふのでせうよ、
それとも、お袋(ふくろ)が立派(りつぱ)な人物(じんぶつ)で、正当(せいとう)な教育(けういく)が出来(でき)る丈(だけ)の確乎(しつかり)した処(ところ)が有(あ)れば好(よ)う御座(ござ)い升(ます)が。

然(しか)るに、其(その)母(はヽ)をば子供(こども)と引別(ひきわ)けるのだと聞(き)いた時(とき)は、又(また)も言葉(ことば)もない程(ほど)に残念(ざんねん)に思(おも)い升(まし)た。
そして、かふいつて歎(なげ)き升(まし)た

どふも怪(けし)からん、一寸(ちよつと)、あなた考(かんが)へて御覧(ごらん)ん遊(あそ)ばせ、
そんな年(とし)の行(いか)ない小供(こども)をお袋(ふくろ)の手(て)を離(はな)して、私(わたし)の兄弟(きやうだい)の様(やう)な人間(にんげん)の合手(あいて)に致(いた)すつて、マア飛(とん)でもない事(こと)じや御座(ござ)いませんか?
それこそ、子供(こども)をみぢめに扱(あつか)ふか、さもなければ、途方(とほう)もないもて余(あま)し者(もの)にする迄(まで)に吾侭(わがまヽ)放(ほう)だいをさせ升(ます)よ、手紙(てがみ)でも遣(や)つて忠告(ちうこく)して詮(せん)が有(あ)ればですが‥‥‥

さうするとサア、ロリデールが、

ナニ、おまへそんなことが益(やく)に立(た)つものか?

エー、どうも無益(むえき)でせうよ、
ドリンコート侯(こう)はそれが益(やく)に立(た)つ様(やう)な人物(じんぶつ)ならば結構(けつこう)ですが、
併(しか)し、どふ考(かんが)へても、無法(むほう)な処置(しよち)ですよ。

(以上、『女学雑誌』第二八六号)


小公子     若松しづ子
   第十一回(丙)
小(しよう)フォントルロイの噂(うわさ)をした者(もの)は、貧民(ひんみん)や、百姓(ひやくせう)たち斗(ばか)りでなく、まだ外(ほか)にも伝(つた)へ聞(き)いたものが有升(ありまし)た。
其(その)評判(ひようばん)する者(もの)が多(おほ)く、又(また)其(その)容色(きりよう)の好(い)いこと、気立(きだて)の優(やさ)しいこと、人望(じんぼう)のあること、候爵(こうしやく)を左右(さゆう)する権力(けんりよく)のあつたことなどに付(つい)て一口話(ひとくぢばなし)の世間(せけん)に流布(ひろ)まつてゐることが多(おほ)いので、其(その)噂(うわさ)が田舎(ゐなか)住(ずま)ひの紳士(しんし)の耳(みヽ)へまで這入(はい)り升(まし)て、其(その)名(な)の遠(とほ)く及(およ)んだことは、英国(エイコク)中(ちう)の一群(いちぐん)一郷(いちきやう)に限(かぎ)られませんかつた。
宴会(えんくわい)の席(せき)には人々(ひと\/)が其(その)話(はなし)をし合(あ)ひ、婦人(ふじん)たちは其(その)母(はヽ)を憫然(びんぜん)と労(いた)わり、其(その)子(こ)が評判(ひようばん)ほど容色(きりやう)が好(いヽ)かなどヽ心配(しんぱい)し、男子(おとこ)たちの方(ほう)で侯爵(こうしやく)の平常(へいぜい)を知(し)つてゐる者(もの)は、其(その)息子(むすこ)が御前(ごぜん)の慈善心(じぜんしん)を信(しん)じ切(き)つて居(ゐ)る話(はなし)をしては、抱腹(ほうふく)しました。
ある時(とき)、アツシヤウ、ホールのサア、タマス、アツシといふ貴族(きぞく)が、エールボロを通(と)ふり掛(かヽ)つて、フト侯爵(こうしやく)が孫息子(まごむすこ)とも\/馬(うま)に乗(の)つて居(ゐ)らるヽに出逢(であ)ひ、乗物(のりもの)を止(と)めて、挨拶(あいさつ)をして御血色(ごけつしよく)の打(うつ)て変(かわ)つて好(よ)くなつたこと、酒気症(しゆきせう)の平癒(へいゆ)をしたことを悦(よろこび)びに申(もう)し升(まし)た。
あとで此人(このひと)が其時(そのとき)の話(はな)しを人(ひと)に語(かた)つて、

イヤ、其時(そのとき)、御老人(ごろうじん)も余程(よほど)天狗(てんぐ)になつて御座(ござ)つた。
併(しか)し、さうあらう筈(はづ)ですよ、孫(まご)どのがあの容色(きりよう)と品格(ひんかく)じやア。
僕(ぼく)などもあヽいふのはとんと見(み)た覚(おぼ)へは御座(ござ)らんからネ、
骨柄(こつがら)の立派(りつぱ)なこと、そして小馬(こうま)に跨(また)がつた塩梅(あんばい)は、丸(まる)で、騎馬武者(きばむしや)かなんぞの威勢(ゐせい)でネ、

この通(とほ)り故(ゆゑ)、ロリデール夫人(ふじん)も追(おひ)\/に其(その)子供(こども)の話(はなし)を聞込(きヽこみ)み升(まし)た。
其(その)話(はな)しの内(うち)には、彼(か)のヒツギンスのことや、跛(ちんば)の息子(むすこ)のこと、エールス、コートのこと、其外(そのほか)に尚(なほ)さま\゛/有升(ありまし)た。
それ故(ゆゑ)、どふかして、其(その)子供(こども)を一度(いちど)見度(みたい)と思(おも)つて居(ゐ)た処(ところ)へ、突然(とつぜん)、城主(ぜうしゆ)から、良人(りようじん)とも\゛/ドリンコートへ御来遊(ごらいゆう)あれといふ書状(しようぜう)を得(え)て、並(なみ)\/の驚(おどろ)きでは有(あり)ませんかつた。

誠(まこと)に夢(ゆめ)の様(やう)ですこと、あの小息子(こむすこ)がとんと魔法(まほう)でも遣(つか)つたかの様(やう)に物事(ものこと)も変(か)へたといふ話(はな)しでしたが、これを見(み)ると本当(ほんとう)かと思(おも)ふ様(やう)ですネ。
私(わたし)の兄弟(けうだい)は子供(こども)に夢中(むちう)で、少(すこし)の中(うち)も見(み)ずに居(ゐ)られない程(ほど)だと人(ひと)が申(まう)し升(ます)よ、
さうして、余程(よほど)の自慢(じまん)ださうですから、矢張(やつぱ)り、私(わたし)どもにも見(み)て貰度(もらひたい)のでせうよ。

といつて、早速(さつそく)招待(せうたい)に応(おう)ずる旨(むね)を申(まうし)送(おく)り升(まし)た。
さて夫(をつと)と共(とも)にドリンコート城(ぜう)へ達(たつ)し升(まし)た時(とき)は、はやタ日(ゆふひ)が西(にし)に入(い)る頃(ころ)でしたから、直(す)ぐ用意(ようい)の間(ま)へ通(とほ)り、兄弟(けうだい)に逢(あ)はぬ中(うち)に、装服(みなり)を繕(つくろ)ひ、客間(きやくま)へ這入(はい)り升(ます)と、暖室炉(ストーブ)の前(まへ)には侯爵(こうしやく)の厳(いかめ)しい姿(すがた)が見(み)え升(まし)た。
其側(そのそば)に黒(くろ)天鵞絨(びろうど)の服(ふく)に、立派(りつぱ)なレースの襟飾(えりかざ)りを着(つ)けた小(ちい)さな児(こ)が坐(すわ)つて居升(おりまし)た。
この小息子(こむすこ)の丸(まる)いさえ\゛/した顔(かほ)が殊(こと)に見事(みごと)で、夫人(ふじん)に向(む)けた眼(め)がいかにもあどけなく、美(うつく)しかつたので、驚(おど)ろきと嬉(うれ)しさで、思(おも)はず声(こゑ)をたて升(ま)した。
それから、侯爵(こうしやく)と握手(あくしゆ)する時分(じぶん)に、ともに子供(こども)であつた時分(じぶん)から、絶(た)へて用(もち)ゐたことのない幼(おさ)な名(な)を呼(よ)び升(まF)した。

オヤ、モリノーさん、あれがお話(はな)しの子(こ)ですか?

イヤ、カンスタンシヤか、その通(とほ)りだ、
これ、フォントルロイ、貴様(きさま)の大(おほ)伯母(をば)のロリデール夫人(ふじん)だぞ。

すると、フォントルロイが、

サウ、大(おほ)伯母(をば)さん、御機嫌(ごきげん)はいかゞ?

いひ升(ます)と、ロリデール夫人(ふじん)は、其(その)肩(かた)へ手(て)を載(の)せ、暫時(しばし)上(うへ)へ擡(また)げた顔(かほ)を眺(なが)めてから、大層(たいそう)可愛(かあい)いといわぬ計(ばかり)にキスをし升(まし)た、

わたしは、おまへのカンスタンシヤをばだよ、
おまへのおとうさまは、わたしの秘蔵(ひぞう)だつたが、おまへは亦(また)大層(たいそう)よふ似(に)ておいでだよ、

僕(ぼく)、とうさんに似(に)てるつて、いわれるの大好(だいすき)ですよ、
ダツテ、みんなとうさんが好(すき)だつた様(やう)ですもの、
かあさんとおんなじこつてすよ、みんなに好(す)かれて、丸(まる)でかあさんの通(とほ)りですネ‥‥‥
カンスタンシヤをばさん、(と少(すこ)しロ篭(くちごも)つて)

ロリデール夫人(ふじん)は大(おほ)悦(よろこ)びでした。
又(また)も一度(いちど)下(した)を向(む)いて、キスをし升(まし)て、その時(とき)からは、両人(りようにん)が誠(まこと)に親(したし)くなり升(まし)た。
あとで、兄(あに)に向(むか)つて、人知(ひとし)れず、かふいひ升(まし)た、

マア、モリノーさん、こちらで注文(ちうもん)したつて、これに越(こ)したことはありませんネ、

侯爵(こうしやく)は、いつもの浮(う)かぬ調子(てうし)で、

おまへのいふ通(とほ)りだ、
中々(なか\/)見処(みどころ)のある奴(やつ)で、大分(だいぶ)おれとは仲(なか)よしだ、
おれを此上(このうへ)もない気(き)の好(い)い、慈善家(じぜんか)だと思(おも)つて居(ゐる)のさ、
それはさうと、カンスタンシヤ、おれが言(いは)ずと、キツト知(し)ることだから、先(さき)へ白状(はくぜう)して置(おく)が、実(じつ)はおれも、あれにかけては、いくらか、子供(こども)返(がへ)りのした老翁(おいぼれ)になりさうなんだ、

ロリデール夫人(ふじん)は例(れい)の卒直(そつちよく)な調子(てうし)で、

それで、あのお袋(ふくろ)はあなたをなんと思(おも)つて居(を)り升(ます)。

侯爵(こうしやく)少(すこ)しく顔(かほ)を顰(ひそ)めながら、

まだそんなことは、尋(たづ)ねて見(み)たことはなしだ。

さうですか、先(まづ)遠慮(ゑんりよ)のない処(ところ)を始(はじ)めつから申上(まうしあげ)て置升(おきます)がネわたくしは、どうもあなたの御処置(ごしよち)に不同意(ふどうゐ)ですよ。
デ、わたくしは早速(さつそく)エロル夫人(ふじん)を訪問(ほうもん)する積(つも)りですから、若(も)しあなた御異存(ごゐぞん)があるなら、おつしやつて頂戴(てうだい)したう御座(ござ)い升(ます)よ。
どうも評判(ひやうばん)を聞升(きヽます)と、子供(こども)の人(ひと)となりも全(まつた)くあの婦人(ふじん)の教育(けういく)ひとつで、あの通(とほ)りだと思(おも)はれる様(やう)ですし、御領内(ごうりやうない)の民(ひと)たちも神様(かみさま)か何(なに)かの様(やう)に尊敬(そんけい)してゐるといふ噂(うわさ)が、ロリデール、パークに居(ゐ)てさへ聞(きこ)え升(ます)もの。

侯爵(こうしやく)は腮(あご)でフォントルロイの居(ゐ)た処(ところ)を指(さ)し示(しめ)して、

ナニ、此(こ)れを崇拝(そうはい)してるのだ、
併(しか)しエロル夫人(ふじん)も一寸(ちよつと)美人(びじん)で、其(その)容色(きりやう)を子供(こども)に遺伝(ゐでん)した丈(たけ)は忝(かたじけな)く思(おも)つて居(ゐ)るのだ、
おまへいつて逢(わ)ふなら、差支(さしつかへ)の有(あ)る筈(はづ)もない。
たゞコート、ロツヂに引込(ひきこ)んで居(を)つて呉(く)れて、おれが対面(たいめん)することさへ、御免(ごめん)蒙(かふむ)れば、それで構(かま)ひはないのだ。

と仰(おしや)つて、また少(すこ)し眉(まゆ)を顰(ひそ)められ升(まし)た。
夫(おつと)に向(むか)つて此後(このご)かふいひ升(まし)た。

併(しか)しネ、先(せん)ほどはあの婦人(ふじん)を憎(にく)んで居(ゐ)ない様(やう)ですよ、
わたくしにそれ丈(だけ)は分(わか)つて居(お)り升(ます)。
そしてネ、あの人(ひと)も多少(たせう)変(かわ)つて居(お)り升(ます)よ、
そして、不思儀(ふしぎ)な様(やう)でも、あのあどけない、人懐(ひとなづ)こい小息子(こむすこ)のお蔭(かげ)で、どふかかふか、人間(にんげん)ら敷(しく)されて行(い)く様(やう)だと思(おも)ひ升(ます)よ、
マア、あの子(こ)が亦(ま)た虚(うそ)の様(やう)に懐(なづ)いて居(ゐ)るのですよ、
坐(すわ)つてる倚子(いす)のそばだの、膝(ひざ)だのへ(馮+几)(もた)れ掛(かヽ)つたりしましてさ。
兄(あに)の子供(こども)たちなぞは、虎(とら)のそばへ寄添(よりそ)ふ心持(こヽろもち)でなければ、あんなことは、出来(でき)ませんでしたらうよ。

其(その)翌日(よくじつ)は早速(さつそく)、エロル婦人(ふじん)を訪問(ほうもん)に行(ゆき)ました。
帰(かへ)つてから、兄(あに)にかういひ升(まし)た。

モリノーさん、マアあの夫人(ふじん)の様(やう)な様姿(やうす)の好(いヽ)のに、私(わた)しは逢(あふ)つたことが御座(ござ)いませんよ。
声(こゑ)といつたら、銀(ぎん)の鈴(すヾ)の様(やう)にさえ\゛/してゐて、そして、あの子(こ)をあれまでにしたのはあの婦人(ふじん)の功名(こうめう)ですよ、
余(よ)つぽどお礼(れい)を仰(おつ)しやらなくちや。
あなたが仰(おつ)しやる様(やう)に容色(きりよう)の好(い)い処(ところ)を譲(ゆづ)つた位(ぐらい)なことじや有(あり)ませんよ。
そして、あなた、勧(すヽ)めてこヽへ入(い)れて、何(なに)かの取締(とりしまり)をしてお貰(もら)ひなさらないのは、大間違(おヽまちが)ひですよ。
私(わたし)はロリデールへ呼(よび)とらうかと思(おも)ひ升(ます)ワ。

あのこを離(はな)れて、どこへ行(い)くものか。

そんならば、あの子(こ)も一処(いつしよ)に連(つ)れて行(ゆか)なかつちやなり升(ます)まいよ。

とロリデール夫人(ふじん)が、笑(わら)ひながら言(い)ひ升(まし)たが、併(しか)しフオントルロイは、中々(なか\/)自分(じぶん)に預(あづか)けられることなもなとないことは、充分(じゆうぶん)承知(せうち)してゐて、祖孫(そまご)の間(あいだ)がいかにも睦(むつ)まじく、殆(ほとん)ど離(はな)し難(がた)いこと、傲慢(ごうまん)、頑固(ぐわんこ)な老紳士(ろうしんし)の将来(せうらい)の希望(きぼう)も、愛情(あいぜう)も、一(いつ)に其(その)子供(ごども)一身(いつしん)に集(あつま)つて居(ゐ)て無邪気(むじやき)、優愛(ゆうあい)なる此(この)子供(こども)が此上(このうへ)もない信任(しんにん)と忠実(ちうじつ)を以(も)て其(その)慈愛(じあい)に報(むく)ひて居(お)つたことと日(ひ)に\/承知(せうち)し升(まし)た。
その外(ほか)、今度(こんど)宴会(えんくわい)を催(もよう)されたのも、自分(じぶん)の孫(まご)なり、跡取(あととり)なりを世(よ)の人(ひと)に示(しめ)して、兼(かね)て人(ひと)の評判(ひやうばん)に罹(かヽ)つた其(その)子供(こども)が、噂(うわさ)に勝(まさ)る人品(ひとがら)と人々(ひと\/)に知(し)らせ度(たい)が最大(さいだい)目的(もくてき)といふことも承知(せうち)して居(お)り升(まし)た。

ビーヴィスや、モーリス(侯爵(こうしやく)の子息(しそく))は、いかにも外聞(ぐわいぶん)のわるい子供(こども)でしたからネ、誰(たれ)も知(し)らぬ者(もの)は無(な)いのでしたもの、
可愛(かあい)がる処(どころ)ではなく、親(おや)ながら憎(にく)くヽなつた様子(やうす)でした、
それに此度(こんど)は又(また)、大威張(おヽゐば)りに威張(ゐば)れるといふのですから、

と夫(をつと)に申(まう)し升(まし)た。
此(この)宴会(えんくわい)に招待(せうたい)を受(う)けた人(ひと)の中(うち)で、フォントルロイ殿(どの)を見度(みた)く思(おも)ひ、此(この)宴会(えんくわい)に出席(しつせき)するだらうか如何(いかヾ)だらうと思(おも)ひつヽ来(こ)ない人(ひと)はない位(くらゐ)でした、侯爵(こうしやく)は此時(このとき)に、

行儀(げうぎ)はよし、人(ひと)の邪魔(じやま)なることなどはあるまい、
子供(こども)といふは全体(ぜんたい)馬鹿(ばか)でなければ、うるさいものだ、おれのなどは両方(りやうほう)だつた、
併(しか)しあれ丈(たけ)は人(ひと)に物(もの)を言(いわ)れヽば、返答(へんとう)もし、さもなければ、黙(だま)つて居(ゐ)るから好(よ)い、
人(ひと)の気障(きざわ)りには必(かなら)ずならん奴(やつ)だ。

と仰(おつしや)いました。
(以上、『女学雑誌』第二八七五号)


小公子     若松しづ子
   第十一回(丁)
併し、フォントルロイは久(ひさ)しく口(くち)を開(ひら)かずに居(ゐ)られ ませんかつた。
みんなが何(なに)かしら言葉(ことば)を掛(か)けては、話(はな)しをさせた がり升(まし)た。
婦人(ふじん)たちは可愛(かあい)がつて頻(しき)りに、色(色 ゝ)々なこと を問(と)ひかけ、紳士(しんし)たちも話(はな)しかけたり、冗談(ぜうだん) を言(い)つたりすることは、地中海(ちちうかい)を渡(わたつ)た時分(じぶ ん)と同(おな)じ塩梅(あんばい)でした。
フォントルロイは自分(じぶん)が返事(へんじ)をする度(たび)に人々(ひ ゝ)が笑(わら)ふ様(やう)なのを不思議(ふしぎ)に思(おも)ひ升(まし) たが、考(かんが)へて見(み)れば、自分(じぶん)の真面目(まじめ)な時(と き)に人(ひと)が面白(おもしろ)がることは度々(たび ゞ)あるので、格別 (かくべつ)気(き)に掛(か)けはしませんかつた。
そして其晩(そのばん)は始(はじ)めから終(おわ)りまで、誠(まこと)に愉快 (ゆくわい)なことだと思(おも)つて居升(ゐまし)た。
いとゞ壮麗(そうれい)を尽(つく)した、広間(ひろま)が、此晩(こもばん)は 数知(かずし)れぬ灯(あかし)でキラ\/してゐ、花(はな)は多(おお)く、人 (ひと)は皆(みな)浮(うき ゝ)々してゐる、婦人(ふじん)たちは身(み)に 珍(めづ)らしい美事(みごと)な着物(きもの)を着(き)、頭(かしら)や脛 (くび)には燦(きら)びやかな飾(かざり)を付(つ)けて居(お)りました。
さてロンドンに交際社会(こうさいしやくわい)の賑(にきわし)き季(しゆん)を 過(す)ごして来(き)た若(わか)い婦人(ふじん)が有(あ)つて、余(あま) り美麗(きれい)な婦人(ふじん)なので、人(ひと)が目(め)を離(はな)すこ とが出来(でき)ない位(くらゐ)でした。
此婦人(このふじん)といふは、一寸(ちよいと)丈高(たけたか)く、凛(りん) として高尚(こうせう)な風采(ふうさい)が有(あ)つて、髪(け)は柔(やわ) らかく、真黒(まつくろ)で、其(その)さえ\゛/した眼(め)は、紫(むらさ き)の蝶花(てうはな)の色(いろ)に似(に)、頬(ほう)や唇(くちびる)の色 (いろ)は薔薇(ばら)に似(に)て居(お)り升(まし)た。
着物(きもの)は美事(みごと)に純白(まつしろ)で、頚(くび)には真珠(しん じゆ)の飾(かざり)が有(あり)ました。
此嬢君(このぢようくん)に付(つい)ては、ひとつ不思議(ふしぎ)なことが有升 (ありまし)た。
紳士(しんし)たちが幾人(いくにん)も側(そば)へ立(た)つて居(ゐ)て、其 機嫌(そのきげん)をとらうとして心配(しんぱい)してゐる様子(やうす)でした から、フォントルロイはお姫(ひめ)さまの様(やう)な人(ひと)かと思(おも) ひ、自分(じぶん)も頻(しき)りに引寄(ひきよ)せられる様(やう)な心地 こゝち)がして、我(われ)知(し)らず、段々(だん ゞ)側(そば)へ近(ち か)づき升(まし)た。
スルト、とう\/此婦人(このふじん)が振(ふ)り向(む)いて、言葉(ことば) を掛(か)け升(まし)た。
可愛(かあい)らしくホヽ笑(え)みつヽ。

フォントルロイの若様(わかさま)、一寸(ちよつと)こちらへ入(い)らつしやい ましな、
そして、あなたがそんなにヂツト私(わたし)を見(み)て入(いら)して、何(な に)を考(かんが)へて入(いら)つしやるか伺(うか ゞひ)ませう、

若様(わかさま)は一向(いつかう)臆面(おくめん)なく、

僕(ぼく)、あなたがどふも奇麗(きれい)な人(ひと)だなと、考(かんが)へて たんです、

といふのを聞(き)いて、紳士(しんし)たちは一同(いちどう)抱腹(ふきだ) し、彼(かれ)の嬢君(ぢようくん)も少(すこ)し笑(わら)つて、ホンノリとし た顔(かほ)の色(いろ)が一層(いつそう)紅(くれない)になつた様(やう)で した。
そして、一番(いちばん)高笑(たかわら)ひをした紳士(しんし)の中(なか)で 一人(ひとり)が、

イヤ、フォントルロイ、今(いま)の中(うち)、言(い)ひ度(たい)事(こと) を沢山(たくさん)いふが好(い)い、
今(いま)に、成人(せいじん)すると、それ丈(たけ)のことをいふ勇気(ゆふ き)がなくなるから。

フォントルロイはます\/、無邪気(むじやき)に、

ダツテ、誰(たれ)だつてさう言(い)はずに居(ゐ)られないでせう、あなたなん か言(い)はずに居(ゐ)られ升(ます)か?
あなた力(ちから)を入(い)れあの方(かた)奇麗(きれい)だと思(おも)ひま せんか?

スルト、其紳士(そのしんし)が、

僕(ぼく)たちはネ、思(おも)ふことを言(い)ふのも禁(きん)じられてるの だ、

と云(い)ふと、外(ほか)の者(もの)はいよ\/高笑(たかわら)ひに笑(わ ら)ひ升(まし)た。
然(しか)るに、ヴィヴィアン、へルベルトといふ其美人(そのびじん)は手(て) を出(だ)して、セドリツクを自分(じぶん)の方(ほう)へ引寄(ひきよせ)せ升 (まし)た。
そして、なほ\/奇麗(きれい)に見(み)え升(まし)た。

フォントルロイ様(さま)は、何(な)んでも思(おぼ)しめすことを自由(じゆ う)に仰(おつしや)つて下(くだ)さいまし、
そして、あなたのお言葉(ことば)は何事(なにごと)もお心( こゝろ)のまヽと 存升(ぞんじます)から、誠(まこと)に有難(ありがた)く頂戴(てうだい)致 (いた)しますよ。

といつて、頬(ほう)にキスをし升(まし)た。
フォントルロイは感歎(かんたん)に余(あま)るといふ、無邪気(むじやき)な眼 (め)で、嬢君(ぢようくん)を見詰(みつ)め、

僕(ぼく)はネ、かあさんを除(の)ければ、あなたの様(やう)な奇麗(きれい) な人(ひと)見(み)たことがないと思(おも)ふんです、
ダケド、マアかあさんほど奇麗(きれい)な人(ひと)有(あ)りやしませんから ネ、
僕(ぼく)、かあさんは世界中(せかいちう)で、一番(いちばん)の美人(びじ ん)と思(おも)つてるんです。

それはさうに違(ちが)ひ御座(ござ)いますまいよ。

とヴィヴィアン嬢(ぢよう)がいつて、又(また)笑(わら)つて、頬(ほう)へキ スをし升(まし)た。
彼(かれ)の嬢君(ぢようくん)は其夜(そのよ)宴会(えんくわい)の終(おわ) り頃迄(ごろまで)フォントルロイを側(そば)へ引(ひき)つけて置(お)き升 (まし)たから、両人(りようにん)を中心(ちうしん)にしたる一群(ひとむれ) は誠(まこと)に賑(にぎ)やかなことでした。
フォントルロイは、自分(じぶん)でも、どふうしてさうなつたか訳(わけ)が分 (わか)りませんかつたが、つひ知(し)らぬ中(うち)に、アメリカのこと、共和 党(けうわとう)の集会(しゆうくわい)のこと、ホツブス、ヂツクのことを話(は な)す様(やう)になり、しまいに、鼻高(はなたか)\/とポツケツトから出 (た)して見(み)せた物(もの)は、ヂツクの餞別(せんべつ)で、即(すなわ) ち赤(あか)い絹(きぬ)のハンケチでした。
そして、

今夜(こんや)はネ、宴会(えんくわい)だつたから、ポツケツトの中(なか)へ入 (い)れたんですよ、
ヂツクが宴会(えんくわい)なんかへ持(も)つて出(で)れば、嬉(うれ)しがる だらふと思(おも)つたんです。

そして火(ひ)の付(つい)た様(やう)な色(いろ)の、大(おほ)きな形(か た)のある其品(そのしな)は、いかにも無風流(むふうりう)におかしくとも、あ まり真面目(まじめ)で、懐(なつ)かしさうに、かふいひ升(まし)たから、聞 (き)いてゐる人(ひと)たちは笑(わら)ふことも出来(でき)ませんかつた。

ヂツクは僕(ぼく)の朋友(ほういう)なんでせう、ダカラ、僕(ぼく)これが好 (すき)なんです。

といひ升(まし)た。
此通(このとほ)り始終(しじゆう)話(はな)しかけられ升(まし)たが、侯爵 (こうしやく)の仰(おつしや)つた通(とほ)り、誰(たれ)の邪魔(じやま)に もなりませんかつた。
人(ひと)の話(はな)しをする中(うち)は静(しづ)かに聞(き)いてゐること が出来(でき)升(まし)たから、うるさいと思(おも)ふ人(ひと)は有(あ)り ませんかつた、時々(ときゞ)お祖父(ぢい)さまの倚子(いす)に近(ちか)く行 (い)つて、立(た)つてゐたり、間近(まぢか)に有(あ)る足台(あしだい)へ 腰(こし)を掛(かけ)たりして、頻(しきり)に其顔(そのかほ)を打守(うちま も)つたり、其(その)お口(くち)から出(で)る言葉(ことば)を聞惚(きゝ ほ)れてゐるかの様(やう)に一言(いちごん)\/熱心(ねつしん)に耳(みゝ) を立(た)てヽゐるのを見(み)る人(ひと)の中(うち)に、意味(ゐみ)有 (あ)りげにホヽ笑(ゑ)む人(ひと)がいくらも有(あ)り升(まし)た。
一度(いちど)などはお祖父様(ぢいさま)の倚子(いす)の臂掛(ひぢかけ)へ寄 係(よりかか)つてゐて、自分(じぶん)の頬(ほう)が肩(かた)へつく位(くら ゐ)になり升(まし)た時(とき)に一同(いちどう)ニツコリしたと気(き)がつ いた侯爵(こうしやく)は、御自分(ごじぶん)も少(すこ)し笑(わら)われまし た。
御自分(ごじぶん)でも傍観者(ぼうかんしや)たちが何(なん)の心(こゝろ)で ホヽ笑(ゑ)むかといふことを御承知(ごせうち)で、御自分(ごじぶん)に付(つ い)て世間(せけん)一般(いつぱん)の考(かんがへ)と同(おな)じ考(かん が)へをしても決(けつ)して不審(ふしん)のない此小息子(このこむすこ)とー 左程迄(さほどまで)仲(なか)の好(いゝ)のを人(ひと)に見(み)せるのが愉 快(ゆくわい)な様(やう)でした。
ハヴィシヤム氏(し)は午後(ごゞ)に来着(らいちやく)の筈(はづ)でしたが、 不思議(ふしぎ)なことに、此夜(このよ)は少(すこ)し遅刻(ちこく)しまし た。
此人物(このじんぶつ)がドリンコート城(ぜう)へ出入(でい)りを始(はじ)め て以来(いらい)かふいふことは、曽(かつ)て無(な)かつたことでした。
余(あま)り遅(おそ)いので、客(きやく)たちは侍(ま)たず食卓(しよくだ い)に着(つか)ふとして居(お)り升(まし)た所(ところ)へ漸(やうや)く来 着(らいちやく)し升(まし)た。
先(ま)づ侯爵(こうしやく)に会釈(ゑしやく)しやうとして、近(ちかづ)き升 (まし)た時(とき)、侯爵(こうしやく)は其顔(そのかほ)を打守(うちまも) つて驚(おどろ)かれた様子(やうす)でした
といふは、氏(し)は平常(へいぜう)の沈着(ちんちやく)と打(う)つて変(か は)つて、何(なに)かヤキ\/したものか、さもなくば心(こゝろ)が沢立(さわ た)つて居(ゐ)るかの様(やう)で、艶気(つやけ)のない、俊卒(しゆんそつ) な其老顔(そのろうがん)は、既(すで)に青(あほ)ざめて居升(おりまし)た。
そして低(ひく)い声(こゑ)で侯爵(こうしやく)にかふいひ升(まし)た。

思(おも)はず、遅刻(ちこく)いたし升(まし)た、
非常(ひぜう)な事件(じけん)が起(おこ)り升(まし)て、

物(もの)に動(どう)じるなどヽいふは、此厳格(このげんかく)、老成(ろうせ い)な代言人(だいげんにん)に至(いた)つて稀(まれ)な事(こと)でしたが、 此時(このとき)は余(よ)ほど非常(ひぜう)な出来事(できごと)と見(み)え 升(まし)た。
食卓(しよくじ)に着升(つきまし)ても、食物(しよくもつ)が咽(のど)を通 (とほ)らぬかの様(やう)で、二三度(にさんど)人(ひと)に話(はなし)かけ られた時(とき)も、よく\/)放心(ほうしん)して居(ゐ)て、ドツキリ驚(お とろ)き升(まし)た、食事(しよくじ)も中半(なかば)過(す)ぎて、フォント ルロイが坐敷(ざしき)へ出升(でまし)た時(とき)には、何(なに)か安(や す)からぬ様子(やうす)振(ぶ)りで、モヂ\/して見詰(みつめ)て居(ゐ)た ことが一度(いちど)ならず有升(まし)た。
フォントルロイも其顔(そのかほ)を見(み)て、不思議(ふしぎ)だと思(おも) ひ升(まし)た。
自分(じぶん)とハ氏は全体(ぜんたい)、仲(なか)が好(い)いので、顔(か ほ)を見合(みあは)せさへすれば、互(たがひ)にニツコリするのでしたが、ハ氏 は此晩(このばん)に限(かぎ)つてホヽ笑(ゑ)むのまで忘(わす)れてしまつた 様(やう)でした。
実(じつ)は、其夜(そのよ)の中(うち)に、是非(ぜひ)老侯(ろうこう)の耳 (みゝ)に入(い)れねばならぬと決(けつ)した不思議(ふしぎ)な凶報(きやう ほう)の外(ほか)、何事(なにごと)でも忘(わす)れて居(お)つたのでした。
其報告(そのほうこく)といふは、実(じつ)に奇有(けう)の大事(だいじ)で、 万事(ばんじ)の体面(たいめん)を変(へん)じることと承知(せうち)して居 (お)つたのでしたが、壮麗(そうれい)な広間(ひろま)や、華美(はでやか)な 集会(しゆうくわい)を見(み)るにつけ、他(ほか)のことはさて置(お)き、此 美事(このみごと)な若君(わかぎみ)を見様(みやう)が為(ため)計(ばか)り に、かく賑々(にぎゝ)しく集(あつ)まつて居(お)る処(ところ)を眺(なが) めるにつけ、傲慢(ごうまん)な老貴人(ろうきにん)を見(み)、其側(そのそ ば)にニコ\/してゐるフォントルロイを見(み)るにつけ、自分(じぶん)が世 (よ)なれて、情(なさけ)に負(ま)けることを知(し)らぬ代言人(だいけんに ん)で有(あ)るにも係(かゝは)らず、非常(ひぜう)に心(こゝろ)を痛(い た)め升(まし)た。
自分(じぶん)が今(いま)報(ほう)ぜんとする事(こと)一(ひと)ツデ、将 (まさ)に引起(ひきおこ)さうとする驚歎(けうたん)の恐(おそ)ろしさよと思 (おも)つて居升(ゐまし)た。
実(じつ)に山海(さんくわい)の珍味(ちんみ)を尽(つく)して、長(なが)\ /と引延(ひきの)びた宴会(えんくわい)に侍(はんべ)つた、ハ氏は、其始(そ のはじ)め終(おわ)りが、どの様(やう)で有(あ)つたか、夢(ゆめ)に辿(た ど)る者(もの)の如(ごと)く、一向(いつかう)夢中(むちう)でしたが、たゞ 侯爵(こうしやく)が不審顔(ふしんがほ)に自分(じぶん)を打守(うちまも)つ て居(ゐ)られるのに、フト気(き)がつき升(まし)た。
さて会食(くわいしよく)も終(おわ)り、紳士(しんし)婦人(ふじん)は食堂 (しよくどう)を離(はな)れて客窒(かくしつ)に移(うつ)りました。
其折(そのおり)にフォントルロイは近来(ちかごろ)ロンドンの交際社会(こうさ いしやくわい)で大評判(おほひやうばん)の美人(びじん)ヴィヴィアン、へルベ ルト嬢(ぢよう)と共(とも)に腰(こし)かけて居(ゐ)る処(ところ)でした。
両人(りようにん)は何(なに)か画本(えほん)の様(やう)なものを見(み)て 居(ゐ)た様子(やうす)で、フォントルロイは嬢君(ぢようくん)にこれを見 (み)せて呉(くれ)た礼(れい)を言(いつ)て居(ゐ)た処(ところ)へ戸 (と)が開升(あきまし)た。

僕(ぼく)に深切(しんせつ)にして下(くだ)すつて有(あり)がたう、
僕(ぼく)はネ、まだ宴会(えんくわい)なんかに行(い)つて見(み)たことがな いんです、
ダカラ、僕(ぼく)大変(たいへん面白(おもしろ)かつたんです。

余(あま)り面白(おもしろ)かつた処為(ため)か、紳士(しんし)たちが又(ま た)\/へルベルト嬢(ぢよう)の周囲(しゆうゐ)に集(あつ)まつて、話(は な)しをし始(はじ)めたのを聞(き)いて居(ゐ)て、笑(わら)ひながらいふこ とを聞(き)きとつて、意味(いみ)を解(け)さふとしてゐる中(うち)に、まぶ たが少(すこ)しづヽ重(おも)げに垂(た)れ始(はじ)め升(まし)た。
殆(ほと)んど眼(め)が閉(と)ぢてしまふ時分(じぶん)には、ヘルベルト嬢 (ぢよう)の低(ひく)い可憐(かれん)な笑(わら)ひ(ごゑ)で呼(よ)び醒 (さま)され\/して、又また二セコンド程(ほど)も眼(め)を開(ひら)いて居 (お)り升(まし)た。
自分(じぶん)は決(けつ)して眠(ねむ)るまいと決心(けつしん)しても、頭 (かしら)は後(うし)ろにあつた大(おゝ)きな黄繻子(きじゆじ)の布団(ふと ん)に沈(し)づむ様(やう)に収(おさ)まり、まぶたもとう\/垂(た)れ切 (き)りに垂(た)れてしまひ升(まし)た。
久(ひさ)しく過(すぎ)てからの様(やう)に思(おも)われ升(まし)たが、誰 (たれ)か来(き)て、其頬(そのほう)に軽(かろ)くキスをした時(とき)でさ へ、眼(め)が全(まつた)くは開(ひらき)きませんかつた。
其人(そのひと)といふは、とりも直(なほ)さず、へルベルト嬢(ぢよう)で、帰 (かへ)りがけに、低(ひく)い調子(てうし)で、捨言葉(すてことば)をして行 (ゆき)ました。

フォントルロイの若様(わかさま)、御(ご)ゆつくりお休(やす)み遊(あそ)ば せ、
御機嫌(ごきげん)よう。

自分(じぶん)が此時(このとき)眼(め)を開(あ)けやうとして、口(くち)の うちで、モガ\/。

お休(やすみ)なさい‥‥‥僕(ぼく)‥‥‥あなたにあ‥‥‥あつて嬉(うれ)し いんです、
あなたは大変(たいへん)‥‥‥奇麗(きれい)‥‥‥

といつたのも、朝(あさ)になつては知(し)りませんかつた。
たゞ此時(このとき)紳士(しんし)たちが又(また)何(なに)か大笑(おゝわ ら)ひをして、自分(じぶん)では、何事(なにごと)か知(し)らと思(おも)つ たのを朦朧(うつかり)覚(おぼ)へて居(を)り升(まし)た。
(以上、『女学雑誌』第二八八号)


小公子      若松しづ子
   第十二回(戊)   (実は第十一回(戊))

さて客人(きやくじん)が一人(ひとり)残(のこ)らず立去(たちさ)つた後(あ と)で、ハ氏(し)は火(ひ)の側(そば)を離(はな)れ、長倚子(ながいす)へ 近寄(ちかよ)つて、そこに寝(ね)て居(ゐ)る若殿(わかどの)の姿(すがた) を立(た)つたまヽ眺(なが)めて居(い)升た。
フォントルロイは、ゆつくり休息(きうそく)して居(お)りました。
両足(りようあし)は叉(さ)の字(じ)になつて、長倚子(ながいす)の端(は し)に懸(かゝ)り、片手(かたて)はつむりの上(うへ)へ投(な)げ出(だ)し た様(やう)に廻(まわ)り、其静(そのしづ)かな顔(かほ)には、ボツト紅色 (べにいろ)がさして居(ゐ)て、宛(あたか)も健康(けんこう)で、気楽(きら く)な幼子(おさなご)の安眠(あんみん)を画(ゑ)に書(か)いた様(やう)で した。
キラ\/と光(ひか)る髪(かみ)のもつれが、濡子(しゆす)の布団(ふとん)の 上(うへ)にさまよつて居(ゐ)る塩梅(あんばい)などは、実(じつ)に画(ゑ) にしても、美事(みごと)な画(ゑ)でした。
ハ氏(し)は此姿(このすがた)を眺(なが)めつヽ、手(て)を挙(あ)げて、ツ ル\/した腮(あご)を撫(な)でながら、当惑(とうわく)極(きわ)まる顔(か ほ)をして居(お)り升(まし)た。
突然(とつぜん)、後(うし)ろに老侯(ろうこう)の粗暴(そぼう)な声(こゑ) で、

イヤ、ハヴィシヤム、何事(なにごと)だ?
何(なに)か新(あた)らしく起(おこ)つたのだナ、
容易(ようゐ)ならぬ一條(いちでう)と申(まうし)たのは、なにか、いつて聞 (きか)せるが好(い)い。

ハ氏(し)はまだ腮(あご)を頻(しき)りに撫(な)でながら、長倚子(ながい す)に後(うし)ろを向(む)けて、

御前(ごぜん)、凶報(きようほう)で御座(ござ)り升(ます)、
非常(ひじやう)な凶報(きようほう)で、手前(てまへ)も誠(まこと)に申上 (まうしあげ)憎(にく)う御座(ござ)り升(ます)。

侯爵(こうしやく)は、最前(さいぜん)からハ氏(し)のたゞならぬ様子(やう す)振(ぶ)りを見(み)て、安(やす)からぬ思(おもひ)をして居(ゐ)られた のでしたが、此(この)お人(ひと)は、心(こゝろ)に安(やす)からぬことが有 (あ)れば、必(かなら)ず不機嫌(ふきげん)なのでした。
此時(このとき)も、心中(しんちう)のいらだちを声(こゑ)に現(あら)はし て、

ハヴィシヤム、なぜ又(また)其子供(そのこども)を左様(さやう)に眺(なが) めて居(ゐ)るのだ?。
全体(ぜんたい)最前(さいぜん)から眼(め)を離(はな)さず見(み)て居 (ゐ)るのは‥‥‥
コレハヴィシヤム蛇(へび)が小鳥(ことり)を見込(みこ)んだ様(やう)に、子 供(こども)を眺(なが)めてゐる理由(りゆう)を申(まう)さぬのか?、
第一(だいいち)、其凶報(そのきやうほう)がフォントルロイと何(なん)の関係 (くわんけい)があるのだ?。

御前(ごぜん)、極(ご)く手短(てみじ)かに申上(まうしあげ)ませう、
此凶報(このきやうほう)と申(まう)したのは、一切(いつさい)フォントルロイ 殿(どの)の関係(くわんけい)で御座(ござ)り升(ます)。
其一條(そのいちでう)を仮(かり)に真(まこと)と致(いた)し升(ます)れ ば、彼処(かしこ)に御寝(ぎよしん)遊(あそ)ばすのは、フォントルロイ殿(ど の)ではなく、カプテン、エロルの御子息(ごしそく)と申丈(もふすだけ)に止 (とゞま)りますので、
実(じつ)のフォントルロイ殿(どの)は、御嫡子(ごちやくし)ビーヴィス君(く ん)の御子息(ごしそく)で、現在(げんざい)、ロンドンなる下宿屋(げしゆく や)に投宿(とうしゆく)されて居(お)る御方(おかた)で御座(ござ)り升(ま す)。

侯爵(こうしやく)は此時(このとき)両手(りようて)に青筋(あほすぢ)が太 (ふと)\゛/と見(み)える迄(まで)に椅子(いす)の臂掛(ひぢかけ)を握 (にぎ)り〆(しめ)られ、額(ひたへ)にも同様(どうやう)の物(もの)が顕 (あら)はれて、其烈(そのはげ)しい老顔(ろうがん)は、殆(ほと)んど赤黒 (あかくろ)くなり升(まし)た。
そこで大声(おゝごゑ)にイキマイて、

貴様(きさま)は何(なに)を申(まう)す?、
乱心(らんしん)でも致(いた)したか?、
さもなくば、誰(たれ)の欺(あざむき)に乗(の)つたのだ?。

先(ま)づ偽(いつわり)と致(いた)しましても、誠(まこと)に実際(じつさ い)に類(るい)した話(はなし)で御座(ござ)り升(ます)。
イヤ、いかにも苦(にが)\/敷(し)いことで、実(じつ)は今朝(けさ)一人 (ひとり)の婦人(ふじん)が拙宅(せつたく)を訪(と)ひ升(まし)て、六年 (ろくねん)以前(いぜん)に御嫡子(おんちやくし)、ビーヴイス君(くん)が結 婚(けんこん)遊(あそ)ばされた人(ひと)と申立(まうした)て、結婚(けつこ ん)証明状(せうめいぜう)を持参(じさん)いたしまして御座(ござり)升(ま す)。
其人(そのひと)の申立(まうしたて)に、婚姻(こんいん)の一年程後(いちねん ほどのち)、御両人(ごりようにん)の間(あひだ)に何(なに)か口論(いさか ひ)が有(あ)つた末(すへ)、とう\/若干(そくばく)の金子(きんす)を頂戴 (てうだい)して、お別(わか)れ申(まう)すことになり升(まし)たのださうで 御座り升。
処(ところ)が、五才(さい)斗(ばか)りの男子(をとこ)を連(つ)れて居 (ゐ)るので御座(ござ)り升(ます)。
其人(そのひと)と申(まう)すは、極(ご)く下等(かとう)の米国人(ベイコク にん)で、先(ま)づ無学(むがく)な方(ほう)で、昨今(さくこん)までも、其 子供(そのこども)が申受(まうしう)けらる可(べ)き特権(とくけん)のことも 存(んぞ)じ寄(よら)なかつた次第(しだい)で御座(ござ)り升(ます)。
然(しか)るに代言人(だいげんにん)と語(かた)り合升(あひま)して。我 (わ)が子(こ)が正(まさ)しくフォントルロイ殿(どの)で、追(お)つて、ド リンコート城主(ぜうしゆ)たる可(べ)き者(もの)と承知(せうち)した由(よ し)で、そこで、手(て)もなく、其権利(そのけんり)を主張(しゆてい)いたす ので御座(ござ)り升(ます)。

此時(このとき)、黄襦子(きじゆず)の上(うへ)なるチゞレ頭(あたま)が一寸 (ちつと)動(うご)き升(まし)て、寝(ね)むさうで長(なが)い歎息(たんそ く)が開(あ)いた唇(くちびる)からソウツト出升(でまし)て、寝帰(ねかへ) りをいたし升(まし)たが、少(すこ)しもモヂ\/したり、心地(こゝち)のわる さうな処(ところ)は有(あり)ませんかつた。
自分(じぶん)が瞞着者(まんちやくしや)で、フォントルロイでもなければ、ドリ ンコート城主(ぜうしゆ)などに登(のぼ)ることは決(けつ)してないといふ証拠 (せうこ)が挙(あが)つて、それが安眠(あんみん)の邪魔(じやま)になる様子 (やうす)は一向(いつこう)有(あり)ませんかつた。
たゞ、厳粛(げんしゆく)に其顔(そのかほ)を眺(なが)めて居(お)つた老人 (ろうじん)に、其(その)さうび色(いろ)の顔(かほ)を尚(なほ)よく見 (み)せるかの様(やう)に向(む)け升(まし)た。
老侯(ろうこう)の立派(りつぱ)な渋(し)ぶいお顔(かほ)は、見(み)るも気 味(きみ)わるい様(やう)になり、それで、極(ご)く冷(つめ)たく、毒気(ど くき)のある嘲笑(てうせう)が見(み)えて居(お)り升(まし)た。

イヤ卑劣(ひれつ)、破廉恥(はれんち)極(きわ)まる其処業(そのしよゆう) が、ビーヴィスに有(あ)りさうなことでなければ、一言(いちごん)半句(はん く)も今(いま)の話(はな)しを真(まこと)とは信(しん)ぜぬが、ビーヴィス にはさも有(あ)りさうなことだ、あれは不名誉(ふめいよ)極(きわ)まる奴(や つ)で有(あ)つた、
イヤおれの嫡子(ちやくし)ビーヴィスほど荏弱(じんじやく)で、不正直(ふせう ぢき)で、卑劣(ひれつ)なことの好(す)きな人非人(にんぴにん)はないワ、其 婦(そのをんな)も無学(むがく)で賎(いや)しい者(もの)と申(まう)すか。

申(まう)すも憚(はゞかり)では御座(ござ)り升(ます)が、無教育(むけうい く)なことは御自分(ごじぶん)の姓名(せいめい)を記(し)るすさへ漸(やう や)くで、それで、憚処(はゞかるところ)なく金銭(きんせん)を見込(みこ)ん で此申立(このまうしたて)をするので御座(ござ)り升(ます)、金銭(きんせ ん)の外(ほか)に目指(めざす)ことも無(な)い様(やう)で御座(ござ)り升 (ます)。
容貌(ようぼう)丈(だけ)は下品(げひん)ながら美麗(きれい)では御座(ご ざ)り升(ます)が……

嗜好(しかう)の六(むづ)ケ敷(し)い老成人(ろうせいじん)は、此時口(この ときくち)を鉗(つぐ)み、思出(おもひた)したことが有(あ)つたと見(み)え て、身震(みぶる)ひいたし升(まし)た。
老侯(ろうこう)の額(ひたへ)の青筋(あほすぢ)は、紫(むらさき)の打紐(う ちひも)の如(ごと)くに太(ふと)\/と現(あらわ)れ、感憤(かんぷん)極 (きわ)まつて、冷(つめ)たき汗(あせ)の滴(した)りさへ見(み)えて居升 (おりまし)た。
今(いま)、ハンケチを取出(とりだ)してそれを拭(ぬぐ)ひ、其冷笑(そのれい せう)はます\/毒気(どくき)を帯(お)びて、

然(しか)るにおれはモ一人(ひとり)の女(をんな)を憚(はゞか)つて居(ゐ) たのだ、
アレ‥‥‥あの子供(こども)のお袋(ふくろ)を、おれはあれさへ嫁(よめ)と認 (みと)めなんだのだ。
姓名(せいめい)を記(しる)す位(くらゐ)は差支(さしつかひ)のない方(ほ う)を憎(に)くんだが、これが其応報(そのおうほう)でも有(あ)らう。

かふいつて、突然(つぜん)倚子(いす)から眺(は)ね挙(あか)り、室内(し) をあちら、こちらと歩(あ)るき始(はじ)め、猛烈(もうれつ)極(きは)まる言 葉(ことば)が其(その)お口(くち)から湧出(わきいづ)るかの様(やう)に発 (はつ)し升(まし)た。
憤怒(ふんど)と、憎悪(みくしみ)と、非常(ひぜう)な落胆(らくたん)が集 (あつま)つて、暴風(ぼうふう)が木(き)を振(ふ)るふが如(ごと)くに、老 侯(ろうこう)の一身(いつしん)を振(ふる)ひ動(うご)かし升(まし)た。
老侯(ろうこう)の心(こゝろ)の乱脈(らんみやく)は見(み)るも恐(おそ)ろ しい様(やう)でしたが、さりとて、猛(たけ)り立(た)つて、最(もつとも)も 恐(おそ)ろ敷(し)い時(とき)も、彼(か)の黄繻子(きじゆす)の上(うへ) に寝(ね)むる姿(すがた)を忘(わす)れる様子(やうす)はなく、それを覚(さ ま)す丈(だけ)の声(こえ)をも出(だ)されなかつたことは、ハ氏も気(き)が つき升(まし)た。

イヤ、さもあらう、あいつら(小供(こども)たちのこと)は生(うま)れた其始 (そのはじめ)からおれの外聞(ぐわいぶん)であつたのだ。
おれも、あいつらは大嫌(だいきらひ)で、あいつらもおれを憎(に)くんだのだ。
其内(そのうち)ビーヴィスは一層(いつそう)わるい奴(やつ)で有(あ)つた。
併(しか)し此事(このこと)はまだ全(まつた)く信用(しんよう)を置(おか) ぬから、こちらも充分(じゆうぶん)探索(たんさく)し通(とふ)してやらう。
ダガ、考(かんが)へて見(み)ればビーヴィスには有(あ)りさうなことだナア、 どふもその位(くらゐ)のことは有(あ)つたことだらう。

かふいつて又憤激(またふんげき)し、頻(しき)りに其婦人(そのふじん)のこと 又証拠物(せうこぶつ)のことなどに付(つい)て委細(いさい)に尋問(じんも ん)し、室(しつ)をあちらこちらと歩(あゆ)みながら憤激(ふんげき)の情(ぜ う)を抑(おさ)へやうとしても、顔色(かほいろ)は青(あほ)くなつたり紫色 (むらさきいろ)になつたりし升(まし)た。
終(つい)に一分始終(いつぶしじゆう)を聞終(きゝおわ)つて、そして、極 (ご)く心配(しんぱい)になる廉(かど)々を了知(りようち)しました時(と き)、ハ氏(し)も老侯(ろうこう)の為(ため)に気遣(きづか)つて、お顔(か ほ)を見(み)た位(ぐらゐ)でした。
此時(このとき)は最早(もはや)顔色(かほいろ)は丸(まる)で、青(あほ)ざ めて、落胆(らくたん)極(きわ)まる様子(やうす)でした。
老侯(ろうこう)は憤怒(ふんど)を発(はつ)し玉(たま)ふ度(たび)に、多少 (たせう)身(み)に疲労(ひろう)を覚(おぼ)へられ升(まし)たが、此度(こ のたび)は又純粋(またじゆんする)の憤怒(ふんど)でなく、他(た)に情(ぜ う)が加(くわゝ)り升(まし)たから、尚(なほ)さらガツカリ弱(よわ)られた のでした。
終(おわり)に長椅子(ながいす)の側(そば)へ帰(かへ)り、立(た)ちなが ら、低(ひく)いよろめいた様(やう)な、カス\/した声(こゑ)で、

たとひ人(ひと)が予(あらかじ)めおれに子供(こども)を寵愛(てうあい)なさ ることが有(あ)らうなどと申(まうし)たとて、容易(ようゐ)に信(しん)じる 処(ところ)ではなかつたが、おれは全体(ぜんたい)子供(こども)は大嫌(たい きらひ)で、中(なか)にも自分(じぶん)のは厭(いや)に思(おも)つたが、お れは此子丈(このこだけ)は誠(まこと)に可愛(かあい)く思(おも)ふのだ、あ れも亦(また)よく懐(な)ついて居(ゐ)るのだ。
(といつて苦(にが)々しいといふホヽ笑(ゑみ)を口元(くちもと)に見(み) せ)おれは、人望(じんぼう)はないのだ、始(はじ)めから人望(じんぼう)はな いのだが、此子丈(このこでう)はおれが好(すき)だ、おれをこわがりもせず、い つもおれを信(しん)じて居(ゐ)るのだ。
此一條(このいつでう)がなければ、おれのあとは、余程(よほど)の勝(すぐ)れ 者(もの)が城主(ぜうしゆ)になつて、先祖(せんぞ)の家名(かめい)を起(お こ)すことと、おれもよく承知(せうち)して居(お)つたのだ。

此時(このとき)腰(こし)を屈(かゞ)めて、可愛(かあ)いヽ寝顔(ねがほ)を 見詰(みつ)め、彼(か)のフサ\/した眉(まゆ)を恐(おそ)ろしく顰(ひそ) められ升(まし)たが、少(すこ)しも容貌(ようぼう)に烈(はげ)しい所(とこ ろ)は有(あり)ませんかつた。
それから手(て)で子供(こども)の額(ひたへ)からキラ\/した髪(け)を払 (はら)ひ除(の)け、軈(やが)て、振(ふ)り向(む)いて呼鈴(よびりん)を 鳴(な)らされ升(まし)た。
彼(か)の丈高(たけたか)き給事(きうじ)がお召(めし)によつて立現(たちあ ら)はれ升(まし)た時(とき)、老侯(ろうこう)は長椅子(ながいす)に指(ゆ び)ざし、

ソレ(といつて、少(すこ)し調子(てうし)を変(か)へ)フォントルロイを寝間 (ねま)へ連(つ)れて参(まゐ)れ。

(以上、『女学雑誌』第二八九号)