ルビ部分を青木麻由美(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。
小公子。 若松しづ子
第 九 回(甲)
日(ひ)を経(ふ)るに随(した)がつて、ドリンコート城主(じうしゆ)は、彼(かの)渋(しぶ)そうな笑(わら)ひ顔(がほ)をなさる折(をり)が幾度(いくど)も有升(ありまし)た。
そして、孫息子(まごむすこ)と追々(おひ\/)親(したし)まれる程(ほど)、其(その)笑顔(ゑがほ)をなさるのが度々(たび\/)になるので、遂(つゐ)には、其(その)渋(しぶ)そうなのが殆(ほと)んど失(うせ)た時(とき)も有升(ありまし)た。
フォントルロイ殿(どの)が現(あら)はれ出(いづ)る前(まへ)には、老侯(ろうこう)は己(おのれ)の淋(さび)しさと、酒風症(しゆふうしやう)と、七十才(さい)といふ齢(よはい)とにいとゞ惓(う)みはてヽ居(ゐ)られたことは疑(うたが)ふ可(べ)くも有(あり)ませんかつた。
一生(いつせう)、歓楽(くわんらく)と放逸(ほういつ)を尽(つく)したるものが、壮麗(そうれい)を極(きわ)めた坐敷(ざしき)の中(うち)に、片足(かたあし)を足台(あしだい)に支(さヽ)へながら、一人(ひとり)坐(すわ)つて居(ゐ)て、癇癪(かんしやく)を起(おこ)し、ヲヂ\/して居(ゐ)る給事(さうじ)どもに怒鳴(どな)りつけるより外(ほか)心遣(こヽろやり)りがないといふのでは、余(あま)り面白(おもしろ)くは有(あり)ませんかつたでせう。
老侯(ろうこう)は流石(さすが)、愚(おろ)かでない丈(たけ)に、僕婢(ぼくひ)どもが自分(じぶん)を見(み)ることさへ厭(いや)がるほど嫌(きら)つて居(ゐる)といふことを、能(よ)く知(し)つて居(ゐ)られました。
又(また)人(ひと)によつては、物好(ものずき)に老侯(ろうこう)の誰(たれ)にも甚斗酌(しんしやく)のない刺衝的(ししようてき)な、鋭(する)どい物言(ものいひ)を面白(おもしろ)がる者(もの)も有升(ありまし)たが、大概(たいがい)、来客(らいかく)といへば、自分(じぶん)を愛(あい)して来(く)るのでないといふことをも承知(せうち)して居(ゐ)られ升(まし)た。
壮健(そうけん)で有(あ)つた間(あい)だは真(しん)の楽(たのし)みは得(え)られぬながら、人(ひと)には遊興(ゆうけう)と見(み)せて、此処(こヽ)、彼処(かしこ)と見物(けんぶつ)して歩(ある)かれ升(まし)たが、体(からだ)に病(やまひ)を覚(おほ)へ始(はじ)めてからは、何事(なにごと)も懶(ものう)くなつて、持病(じびよう)と、新聞紙(しんぶんし)と、書物(しよもつ)とを合手(あひて)に、ドリンコート城(ぜう)へ閉(と)ぢ篭(こも)られる様(やう)になり升(まし)た。
併(しか)し読物(よみもの)するにも際限(さいげん)があり、段々(だん\/)物事(ものごと)がうるさく、厭(いや)になつて来升(きまし)た。
昼夜(ひるよる)のいかにも長々敷(なが\/しい)のに厭(あぐ)み果(は)て我慢(がまん)はます\/募(つの)り、癇癪(かんしやく)はいよ\/烈敷(はげしく)なる斗(ばか)りでした。
こふいふ処(ところ)へ、フォントルロイが来(き)たので、侯爵(こうしやく)は一眼(ひとめ)見(み)る、直(すぐ)と気(き)に入(いり)ました。
一体(いつたい)、高慢気(かうまんぎ)のある老人(ろうじん)に、かく非常(ひぜう)に気(き)に入(いつ)たと云(いふ)のは、此(この)息子(むすこ)の為(ため)に何(なに)よりの幸福(かうふく)でした。
若(も)しセドリツクの容色(きりやう)が醜(わる)かつた者(もの)ならば、他(はか)の事(こと)には其(その)まヽで有(あつ)ても、一途(いちづ)に嫌(きら)つてしまつて、其(その)美質(びしつ)などは、一向(いっかう)心(こヽろ)にお留(とめ)にならなかつたかも計(はか)られません。
併(いか)し、老侯(ろうこう)は、セドリツクを見(み)るに付(つ)け、容姿(みめかたち)の美(うつく)しく精神(せいしん)の奇抜(きばつ)な所(ところ)が、ドリンコートの血統(ちすじ)と格式(かくしき)とにとつて殊更(ことさら)面目(めんもく)と思(おま)はれ、至極(しごく)満足(まんぞく)されたのでした。
それから又(また)、子供(こども)の話(はな)す処(ところ)を聞(き)くと、自分(じぶん)の新(あら)たに得(え)た格式(かくしき)の弁別(わきまえ)などは一切(いつさい)ない様(かう)でも、心(こヽろ)に持(もつ)た品(ひん)は又(また)格別(かくべつ)で、其(その)あどけなさが却(かへ)つて、可愛(かわ)いく、これまで懶(もの)うく計(ばか)り見(み)へた世(よ)の中(なか)が、どふやら面白(おもしろ)くも思(おも)われて来升(きまし)た。
ヒツギンスの難(なん)を救(すく)ふことにさへ、態(わざ)と子供(こども)に其権(そのけん)を与(あた)へたのは又一(またひと)つの興味(なぐさみ)でした。
御前(ごぜん)はヒツギンスの貧困(ひんこん)な有(あ)り様(さま)に対(たい)して、惻隠(そくいん)の心(こヽろ)をお発(おこ)しなされたのではさら\/なく、こふいふことで孫息子(まごむすこ)が小民(せうみん)どもに評判(ひようばん)され、子供(こども)の中(うち)から小作人(かさくにん)どもの人望(じんぼう)を得(う)るで有(あろ)うということが、一寸(ちよつと)其(その)お気(き)に叶(かな)つたのでした。
それに又(また)、セドリツクと同車(どうしや)で、礼拝堂(れいはいどう)へ行(ゆか)れた時分(じぶん)に、待設(まちまう)けた人々(ひと\゛/)の騒(さわぎ)と心入(こヽろい)れを見(み)て、一層(ひとしほ)満足(まんぞく)に思(おも)われ升(まし)た。
老侯(ろうこう)は群集(ぐんじゆ)の人々(ひと\゛/)が、定(さだ)めて、子供(こども)の容色(きれう)のことから身体(からだ)の倔強(くつけふ)なこと、厳然(げんぜん)とした風采(ふうさい)のこと、目鼻立(めはなだち)の尋常(じんぜう)なこと、頭髪(あたま)の美事(みごと)なことなどに付(つい)て評(ひよう)し合(あふ)であらふと想(おひ)ふて居(お)られましたが、果(はた)してある女(おんな)が小声(こごゑ)で「ほんとうに、頭(あたま)から足(あし)の先(さき)まで、どつからどこまで、華族(くわぞく)さまだ」と言(い)ふのを小耳(こみヽ)に挿(はさ)まれました。
此(この)ドリンコート城主(じやうしゆ)は全体(ぜんたい)、傲慢(ごうまん)な老人(ろうじん)で、門閥(もんばつ)や、格式(かくしき)が容易(ようゐ)ならぬ誇(ほこり)の種(たね)でしたから、弥(いよい)よドリンコート家(け)に其(その)尊厳(そんげん)なる爵位(しやくゐ)にふさわしい世継(よつぎ)が出来(でき)たのを、世(よ)に公(おほやけ)にするのが非常(ひぜう)に愈快(ゆくわい)なのでした。
新(あた)らしい小馬(こうま)を試(ため)した朝(あさ)などは、老侯(ろうこう)は殆(ほとん)ど持病(じべう)の煩悶(なやみ)を忘(わす)れるほど悦(よろ)こばれ升(まし)た。
馬丁(べつとう)が其(その)美事(みごと)な駿馬(しゆんめ)を旭(あさひ)の映(さ)す庭先(にわさき)へ引出(ひきだ)し升(まし)たが馬(まむ)は、艶々(つや\/)した栗色(くりいろ)の頚(くび)を弓形(ゆみがた)にし、美(うつく)しい頭(かしら)を擡(もたげ)て居升(おりまし)た、老侯(ろうこう)は書斎(しよさい)の窓(まど)の開(あい)た処(ところ)へ坐(すはつ)て、フォントルロイが始(はじめ)ての馬術(ばじゆつ)の稽古(けいこ)を、御覧(ごらう)じて入(いらつ)しやい升(まし)た。
子供(こども)が始(はじめ)て馬乗(うまのり)の稽古(けいこ)をする時分(じぶん)には、こわがるのが常(つね)でしたから、フォントルロイも卑怯(ひきやう)な氣質(きしつ)を見(み)せるかと危(あやぶ)んで居(おら)れ升(まし)た。
然(しか)るにフォントルロイは、大悦(おおよろこび)て、是(これ)に跨(またが)り抑(そもそ)も馬(うま)に乗(の)つたは是(これ)が始(はじ)めてゞしたから、大層(たいそう)熾(さかん)な威勢(ゐせい)でした。
馬丁(べつとう)のウヰルキンスは、馬(うま)の轡(くつわ)を採(とつ)て書斎(しよさい)の窓(まど)の前(まへ)を、幾度(いくど)となく徃帰(ゆきヽ)し升(まし)た。
稽古(けいこ)も終(おわ)つて、厩(うまや)に帰(かへ)り升(まし)た時(とき)、ウィルキンスが、ニコ\/しながら、人(ひと)にこふいつて話(はな)し升(まし)た、
中々(なか\/)威勢(ゐせい)の好(い)い奴(やつ)よ、併(しか)し、鞍(くら)の上(うへ)で真直(まつす)ぐだといふことと、手綱(たづな)を採(と)られて、あちらこちらと歩(ある)かせられる許(ばか)りでは、もはや満足(まんぞく)の出来(でき)ない様(やう)になつて、窓(まど)から眺(なが)めてゐるお祖父(ぢい)さんにこふ云(い)ひ升(まし)た、
ムー、子供(こども)だつて、あんなのヲ、乗(の)せるなあ、わきやないわ、
成人(をとな)だつて始(はじ)めてなヽあ、鞍付(くらつき)なんかあんなもんよ、
奴(やつ)がこふ云(い)ふんだ、
ナアおれに、「ウィルキンスや、僕(ぼく)、これで真直(まつす)ぐかへ、アノ、馬駆(うまかけ)じや、みんな真直(まつす)ぐに、シヤンと乗(の)つてるからネ」つて云(い)ふのよ、
それから、おれが、「若様(わかさま)、真直(まつす)ですよ、矢(や)の様(やう)に真直(まつす)ぐに乗(の)つて入(いら)つしやる」つていつて遣(や)つたら、えらく、嬉(うれし)しがつてナ、笑(わら)ひながら、「そうかい若(も)し真直(まつす)ぐでなかつたら、そういつておくれよ、ウィルキンス」ていふのよ。
お祖父(ぢい)さんこんど一人(ひとり)で乗(の)つちや、いけませんか?御前(ごぜん)は、ウィルキンスに、手真似(てまね)で、何(なに)かお云(い)ひ付(つけ)なさると、ウィルキンスは心得(こヽろ)て、自分(じぶん)の馬(うま)を引出(ひきだ)し、是(これ)に乗(の)つて、フオントルロイの小馬(こうま)の手綱(たづな)を持(も)ち升(まし)た、
そうして、モ少(すこ)し早(はや)く歩(ある)かせても好(いヽ)ですか?、
アノ五丁目(ごてうめ)の児(こ)は、トツ\/\/\/つと楽乗(らくのり)をしたり、それから、又(また)ほんとうに駈(かけ)させたりし升(まし)たもの。
貴様(きさま)、モウさう出来(でき)ると思(おも)ふのか?。
僕(ぼく)、やつて見度(みたい)んです。
老侯(ろうこう)は、
サア、楽乗(らくのり)を一(ひと)ツ遣(や)つて見(み)い!。これから、暫(しば)らくの間(あひだ)は、此(この)小(ち)さい馬乗(うまのり)も一処懸命(いつしようけんめい)でした。
楽乗(らくのり)をするのは、たゞ静(しづ)かに歩(ある)かせるとは違(ちが)つて、中(なか)\/容易(たやす)くは有(あ)ませんかつた。
そして、馬(うま)の足(あし)が早(はや)くなれば、早(はや)くなるほど、段々(だん\/)と六敷(むづかしく)なつて来升(きまし)た。
息(いき)を切(きり)\/ウィルキンスに、
ず‥‥‥ずい分(ぶん)‥‥‥ゆ‥‥‥ゆれることネイ、といひ升(ます)と、ウィルキンスが、
そ‥‥‥そうじやないかへ?
お‥‥‥おまへはゆ‥‥‥ゆれやしないかへ?、
若様(わかさま)、ナニ直(ぢ)つき慣(なれ)れつちまい升(ます)よ、フオントルロイは、ゆすぶられたり、上(あげ)られたり、落(おと)されたりしながら余(あま)り、心地(こヽち)好(よ)さそうでもなく、もまれてゐ升(まし)た。
鐙(あぶみ)へ足(あし)をシツカリ掛(か)けて、チヤントしてゐて御覧(ごらん)なさい。
僕(ぼく)始(し)、‥‥‥始終(しゞゆう)、そ‥‥‥そうやつてるんだよ。
息(いき)は切(き)れ、顔(かほ)は赤(あか)くなり升(まし)たが、一処懸命(いつしようけんめい)に携(つか)まつて、なる丈(たけ)、シヤンとする様(やう)にして居升(ゐまし)た。
老侯(ろうこう)は、遥(はる)か向(むか)ふから、其(その)様子(ようす)を実見(じつけん)して居(ゐ)られ升(まし)たが、両人(りようにん)の馬乗(うまの)りが暫時(しばし)、木隠(こがく)れに見(み)えなくなつて、そして又(また)、声(こゑ)の達(たつ)しる程(ほど)間近(まぢか)へ帰(かへ)つて来升(きまし)た時(とき)、フォントルロイの帽子(ぼうし)は無(な)くなつて居(ゐ)て、頬(ほう)は罌栗(けし)の花(はな)の様(やう)に真赤(まつか)で、唇(くちびる)をキツト結(むす)んで居升(ゐまし)たが、まだ元気(げんき)よく、楽乗(らくのり)をつゞけて居升(ゐまし)た。
お祖父(ぢい)さんは、
一寸(ちつよと)、待(ま)て、貴様(きさま)は帽子(ぼうし)をどふした?ウィルキンスは、自分(じぶん)の帽子(ぼうし)に手(て)をつけて、礼(れい)を表(ひよう)し、面白(おもしろ)そうに、
先程(さきほど)落(をち)ましたが、手前(てまへ)が拾(ひろ)ひ挙(あ)げる暇(ひま)もない程(ほど)で、御座(ござ)り升(まし)た、老侯(ろうこう)は冷淡(れいたん)に、余(あま)りこわがる方(ほう)ではない様(やう)だな、どふだ?。侯爵は、フォントルロイに向(むか)ひ、
御前(ごぜん)、どふいたし升(まし)て、そんなこたあちつとも御存(ごぞん)じない様(やう)です、
手前(てまへ)も、これまで随分(ずいぶん)若様(わかさま)方(がた)に馬乗(うまのり)のお稽古(けいこ)を申(まう)したことが有升(ありまし)が、此(この)若様(わかさま)みた様(やう)にきつくつて、一処懸命(いつしようけんめい)なあ始(はじ)めてです、どうだ、くたびれたか?、若様(わかさま)は快濶(かいかつ)に、有(あり)のまヽを、
モウ降(お)り度(たい)か?。アノ、中々(なか\/)思(おも)つたよりか、ゆすぶれるんです、たとひ世(よ)に如才(ぢよさい)ないといふ如才(ぢよさい)ない人(ひと)が、フォントルロイの挙動(きよどふ)に抜目(ぬけめ)なく眼(め)をつけて居(ゐ)られた老侯(ろうこう)の気(き)に入(い)る様(やう)にと、フォントルロイに入智慧(いれぢゑ)をした処(ところ)が、迚(とて)もこふ甘(うま)く成効(せいこう)する策(さく)を授(さづく)ることは出来(できな)なかつたでせう。
そうして、ちつとはくたびれるけど、まだ降(お)り度(た)くはないの、
僕(ぼく)、早(はや)くおぼへ度(たい)んですもの、
僕(ぼく)、息(いき)の切(き)れるのが直(なほ)ると、あの帽子(ぼうし)を拾(ひろ)ひに行(い)つて来升(きます)よ。
小馬(こうま)が、再(ふたヽ)び早足(はやあし)に並木(なみき)の方(かた)へ曲(まが)つて行升(ゆきまし)た時(とき)、猛(たけ)しい老侯(ろうこう)のお顔(かほ)は、薄(うつ)すら、赤(あか)なり、フツソリした眉(まゆ)の下(した)の両眼(りようがん)は、世(よ)を味気(あじき)なく観(くわん)じた御前(ごぜん)が復(また)も心(こヽろ)に覚(おぼへ)やうとも思(おぼ)さなかつた愈快(ゆくわい)の為(ため)に、さえ\゛/として居升(おりまし)た。
扨(さて)、今(いま)か\/と待々(まちまた)れた蹄(ひづめ)の音(おと)が、再(ふたヽ)び聞(きこえ)て、両人(りようにん)の顔(かほ)が現(あらわ)れ升(まし)た時(とき)には、馬(うま)は前(まへ)よりか余程(よほど)足(あし)を早(はや)めて居升(おりまし)た。
フォントルロイは帽子(ぼうし)を脱(ぬ)で居(ゐ)て、ウィルキンスが之(これ)を手(て)に持(もつ)て居升(おりまし)た。
其(その)双(そう)の頬(ほう)は、前(まへ)よりも紅(くれない)に、其(その)頭髪(とうはつ)は耳(みヽ)の辺(ほとり)に飛散(とびちつ)て居升(をりまし)たが、馬(うま)を勢(いきほひ)よく走(はし)らせて来升(きまし)た。
手綱(たづな)を扣(ひか)へて、馬(うま)を下(をり)やうといふ時(とき)、フオントルロイはまだ、息(いき)を切(き)つて、ソラー僕(ぼく)とう\/駆(かけ)させて来(き)たでせう、(以上、『女学雑誌』第二八一号)
僕(ぼく)、アノ五丁目(ごてうめ)の児(こ)の様(やう)に、甘(うま)くはないけど、駆(かけ)させたことはかけさせて、そうして、僕(ぼく)、おつこちやしなかつたもの。
小公子 若松しつ子
第 九 回(乙)
此後(このヽち)、フォントルロイは、ウィルキンスと極(ご)く仲(なか)が好(よ)くなり升(まし)て、大道(おほぢ)や青葉(あをば)の繁(しげ)る小道(こみち)を二人(ふたり)して、乗廻(のりまは)るのを、田舎(ゐなか)の人(ひと)が見(み)ない日(ひ)は一日(いちにち)もない位(くらゐ)でした。
田舎屋(ゐなかや)の子供(こども)たちは、凛然(りヽしい)若殿(わかどの)が、立派(りつぱ)な小馬(こうま)に、居住(ゐすま)ひ正(たヽ゛)しく乗(のつ)て入(いら)つしやる処(ところ)を見(み)よふとして、外面(そと)へかけ出(だ)せば、其(その)若殿(わかどの)が、帽子(ぼうし)を脱(ぬい)で振(ふ)りながら、「イヤー、お早(はや)うー」と一々(いち\/)挨拶(あいさつ)をなさる処(ところ)は、殿様(とのさま)らしくはなくとも、優(やさし)いお心(こヽろ)は充分(じうぶん)現(あら)はれて居升(ゐまし)た。
時(とき)としては、馬(うま)を止(とめ)て、子供(こども)たちと話(はなし)を成(なさ)い升(まし)たが、或日(あるひ)、ウィルキンスが、お城(しろ)へ帰(かへ)つての話(はなし)に、フォントルロイ殿(どの)が、跛(びつこ)で、疲(つか)れて居(ゐ)た児(こ)を自分(じぶん)の馬(うま)に乗(の)せて、家(いへ)へ帰(かへ)らせるとて、止(と)めるのを聞(き)かずに或(ある)る村内(そんない)の学校(がつかう)の辺(ほとり)で、馬(うま)を下(お)りたそうでした。
ウィルキンス、が厩(うまや)で、其話(そのはな)しをしてこふいひ升(まし)た、マア、なんちつたつて聞(きか)ねへのよ、侯爵(こうしやく)は此話(こなはな)しを聞(きか)かれて、ウィルキンスが気遣(きつか)つたとは違(ちが)つて、少(すこ)しも怒(いか)られず、却(かへ)つて、大笑(おヽわらひ)に笑(わら)はれて、フォントルロイを態々(わざ\/)呼(よ)んで、自分(じぶん)の口(くち)から一分(いちぶ)始終(しじう)を話(はな)させて置(お)いて又(また)お笑(わら)ひなさい升(まし)た、これから現(げん)に数日(すじつ)たつてから、ドリンコート城(ぜう)のお馬車(ばしや)が、此跛(このちんば)の児(こ)の住居(すまゐ)のある小道(こみち)に止(とヽ゛ま)り升(まし)た。
「ジヤア、わたくしが下(お)りませう」つていつたら、「大(おほ)きな馬(うま)じや、あの児(こ)が乗心(のりごヽろ)が悪(わ)るいだろう」だとさ、
それから仕方(しかた)がねへもんだから、其児(そのこ)が乗(の)ちまうとナ、若(わか)どの、両方(りようほう)の手(て)をポツケツトへ入(い)れて、帽子(ぼうし)を後(うし)ろの方(ほう)へ滑(すべ)らかして、平気(へいき)でロ笛(くちぶへ)を吹(ふい)たり、其児(そのこ)に話(はな)しかけたりして、傍(わき)を歩(あるい)て行(い)くじやないか、
それから、とふ\/其児(そのこ)の家(いへ)まで来(き)たア、
スルト、お袋(ふくろ)が何(なに)がおつぱじまつたかと思(おも)つて、出(で)て来(く)る、
処(ところ)で、どうだろう、若(わか)どの、帽子(ぼうし)を脱(ぬ)いでナ、「おばさん、おばさんの子(こ)が足(あし)が痛(いた)いつて云(い)つたから、連(つ)れて帰(かへ)つて来升(きまし)たよ、あの棒斗(ぼうばか)りじや、歩(ある)き悪(にく)いだろうから、僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さまに頼(たの)んで、寄(よ)り掛(かヽ)りの付(つ)いた両杖(りやうづゑ)を拵(こさ)へさせて上(あげ)よう」だとよ、
其(その)調子(てうし)ダモノ、其(その)お袋(ふくろ)だつて肝(きも)を消(けし)つちまわうじやないか、
尤(もちと)もだあナ、ダガ、おらア、モウちつとで、吹出(ふきだ)しつちまう処(ところ)よ。
スルト、フォントルロイが中(なか)から飛(と)び出(だ)して、丈夫(ぜうぶ)で軽(かろ)そうな新(あたら)しい両杖(りやうづへ)を、鉄砲(てつばう)を担(かつ)ぐ様(やう)に肩(かた)へ掛(か)けて、戸(と)の処(ところ)まで行(ゆ)き、お袋(ふくろ)に渡(わた)しながら。お祖父(ぢい)さまが宜(よろ)しくつて仰(おつしや)つて、そして、これをあの児(こ)に遣(や)つて下(くだ)さいつて、どふぞよくなれば好(い)いつて、お祖父様(ぢいさま)も僕(ぼく)も思(おも)つてるんですよ、馬車(ばしや)へ帰(かへ)つてから、侯爵(こうしやく)に向(むか)つて、アノ、お祖父(ぢい)さん、そうおつしやらなかつたけど、お忘(わす)れなさつたんだと思(おま)つて、宜(よろ)しくつてそういひ升(まし)たよ、侯爵(こうしやく)は又(また)お笑(わら)ひなさつて、それは悪(わる)かつたとは仰(おつしや)られませんかつた。
それで好(い)いですか、エ?
好(い)いでせう?
実際(じつさい)、此(この)祖孫(そそん)の間(あひだ)は、一日増(いちにちまし)に親密(しんみつ)になり行(ゆ)き、フォントルロイが御前(ごぜん)の慈善(じぜん)と美徳(びとく)とを信任(しんにん)することもいよ\/深(ふか)くなり升(まし)た。
フォントルロイはお祖父様(ぢいさま)が最(もつと)も気立(きだて)の優(やさ)しい、慈悲(じび)の深(ふか)い老紳士(ろうしんし)だといふことは露(つゆ)ほども疑(うたが)ひませんかつた。
中(なか)にも自分(じぶん)の望(のぞみ)などは殆(ほとん)ど口(くち)へ出(だす)か、出(ださ)ないに、モウ叶(かな)へられ升(まし)た、そうして上(うへ)が上(うへ)に与(あたへ)られた賜(たま)ものや備置(そなへおか)れた、楽(たの)しみが余(あま)り夥(おびたゞ)しいので、時(とき)としては自分(じぶん)の所有品(しよゆうひん)ながら、眼移(めうつ)りがする位(くら)でした。
凡(おほ)よそ欲(ほ)しひと思(おも)ふものは何(なん)でも調(とヽな)へられぬ物(もの)とてはなく、して見(み)たいといふことにしてならぬことはない様(やう)でしたが、固(もと)より年(とし)の行(ゆ)かぬ子供(こども)を躾(しつけ)るに、こふいふ法方(ほう\/)では決(けつ)して好結果(こうけつくわ)の有(あ)ろう筈(はづ)が有(あり)ません。
たゞフオントルロイ丈(だけ)は、不思議(ふしぎ)にも其(そ)の弊害(へいがい)を免(まぬ)かれ升(まし)た。
尤(もつと)も、此子供(このこども)の率直(そつちよく)な性質(せいしつ)も、左様(さやう)な取扱(とりあつか)ひでは、或(あるひ)は変(へん)じて、多少(たせう)、我侭(わがまヽ)な風(ふう)になつたかも知(し)れませんが、コート、ロツヂに住(すま)へる、用心深(ようじんふか)く、優(やさ)しい母(はヽ)、則(すな)はち、フオントルロイの最(もつと)も仲(なか)の好(い)い友(とも)が、始終(しじゆう)側(そば)から注意(ちうゐ)しましたので、終(つい)に其害(そのがい)を蒙(こうむ)りませんかつた。
此(こ)の二人(ふたり)は逢(あ)ふ毎(ごと)にいつも、山々の話(はな)しをいたし升(まし)て、母(はヽ)に暇(いごま)を告(つげ)て、別(わか)れる毎(ごと)に、何(なに)かしら、心得(こヽろえ)になる様(やう)な分(わか)り易(やす)い、教訓(けふくん)の言葉(ことば)を耳(みヽ)にとめて城(しろ)へ帰(かへ)らぬことは有(あ)りませんかつた。
一(ひと)つ子供(こども)心(こヽろ)に甚(はなは)だ思(おも)ひ迷(まよ)ふたことが有(あり)ました。
其(その)不審(ふしん)を幾度(いくど)か心(こヽろ)の中(うち)に繰返(くりかへ)し\/てゐた事(こと)は、誰(たれ)も推量(すゐりよう)せぬ程(ほど)でした。
母(はヽ)さへもそれほどまでに、思(おも)ひ沈(しず)む程(ほど)になつてゐるのを知(し)りませんかつたから、況(ま)して、老侯(ろうこう)などハ久(ひさ)しい間(あひだ)、一向(いつかう)左様(さやう)なことが有(あ)らうとも気付(きつ)かれませんかつた。
然(しか)るに敏捷(びんしやう)な此(この)子供(こども)には、母(はヽ)と祖父(ぢゞ)が一度(いちど)も対面(たいめん)したことのないのが、不思議(ふしぎ)に思(おも)はれてたまりませんかつた。
どうも顔(かほ)を合(あわ)せたことはない様子(やうす)‥‥‥イヤ実際(じつさい)、一度(いちど)の対面(たいめん)も無(な)いに相違(さうゐ)有(あり)ませんかつた。
ドリンコート城(ぜう)の馬車(ばしや)が、コート、ロツヂへ行升(ゆきまし)た時(とき)も、老侯(ろうこう)は決(けつ)して馬車(ばしや)をお下(お)りなさつたことがなく、又(また)時(とき)たま、老侯(ろうこう)が礼拝堂(れいはいどう)へ御出席(ごしゆつせき)の時(とき)も、フオントルロイ一人丈(ひとりだけ)残(のこ)されて、母(はヽ)と戸口(とぐち)で、もの云(い)ふか、さもなければ、家(いへ)まで送(おく)ることをゆるされ升(まし)た。
そうかと思(おも)へば、毎日(まいにち)お城(しろ)から、コート、ロツヂへお遣(つか)ひが立(た)つて、室(むろ)から珍(めづ)らしい菓物(くだもの)や花(はな)などを送(おく)られ升(まし)た。
併(しか)し、遂(つひ)に、セドリツクが理想(りそう)の頂天(てうてん)へ祖父様(ぢゞさま)を推(お)し挙(あ)げたことは、始(はじ)めての日曜(にちよう)にエロル夫人(ふじん)が、付添(つきそひ)もなく歩(ある)いて家(いへ)へ帰(かへ)られた直(ぢき)あとで有(あ)つたことでした。
此日(このひ)セドリツクが母(はヽ)を訪(と)ひに行(いか)ふとした時(とき)、戸口(とぐち)へ来(き)てゐたのは、いつもの二頭(ひき)引(びき)の大馬車(おほばしや)ではなく、美事(みごと)な栗毛(くりげ)の馬(うま)の付(つい)た、奇麗(きれい)な小馬車(こばしや)でした。
侯爵(こうしやく)は唐突(とうとつ)に、それは、貴様(きさま)からお袋(ふくろ)へ行(い)く進物(しんもつ)だ、フオントルロイは、中(なか)\/悦(よろこ)びを述(の)べ尽(つく)すことも出来(でき)ませんかつた。
田舎廻(ゐなかまわ)りは迚(とて)も歩(ある)いては出来(でき)まい、
馬車(ばしや)は是非(ぜひ)無(な)ければなるまい、
そして御者(ぎよしや)になつて居(ゐ)る奴(やつ)が世話(せわ)をすることにして置(お)いた、
ヨシカ、貴様(きさま)からお袋(ふくろ)へ遣(や)る進物(しんもつ)なのだぞ。
母(はヽ)の住居(すまゐ)へ来(く)るまでヂツトして居(ゐ)ることが六敷(むづかしい)位(ぐらゐ)でしたが、母(はヽ)は折(おり)しも、庭(には)で薔薇(しやふび)の花(はな)を摘(つ)んで居升(ゐまし)た。
見(み)ると、突然(いきなり)、小馬車(こばしや)を下(お)りて、母(はヽ)の側(そば)へとんで行(ゆ)き、かあさん!、 ほんとですよ、嘘(うそ)だと思(おも)つちや厭(いや)、フオントルロイハ、余(あま)りの嬉(うれ)しさに、自分(じぶん)が何(なに)を云(い)つてるか、夢中(むちう)なほどでした。
これはネかあさんのですよ、
僕(ぼく)からかあさんに上(あげ)るんだつて、かあさんのだから、どこへでも、乗(の)つて歩(あ)るけるんですよ!
母(はヽ)は自分(じぶん)を讎敵(あたかたき)の様(やう)に思(おも)ふて居(ゐ)る人(ひと)から来(きた)た物(もの)でも、受納(うけをさ)めることを拒(こば)んで、子供(こども)の折角(せつかく)の大悦(おヽよろこ)びを打消(うちけ)すに忍(しの)びず、拠(よんどころ)なくも、薔薇花(しやうびくは)を手(て)に持(も)つたまヽ、其馬車(そのばしや)へ乗(の)り升(まし)てあちらこちらと引廻(ひきまは)されるに任(まか)せ升(まし)た。
母(はヽ)と一処(いつしよ)に乗(の)つてゐるフオントルロイハ、お祖父様(ぢいさま)の慈善(ぢぜん)の事(こと)と優(やさ)しい事(こと)などの話(はな)しをして母(はヽ)に聞(きか)せ升(まし)たが、其話(そのはなし)といふは余(あま)りあどげないので、時(とき)には少(すこ)し可笑(おかしく)なつて思(おも)はず、笑(わら)ふ様(やう)でした。
併(しか)し全体(ぜんたい)身方(みかた)の少(すく)ない老人(ろうじん)の賞可(ほむべ)き処許(ところばか)り見(み)ることが出来(でき)るのを嬉(うれ)しく思(おも)つて、我子(わがこ)を抱(いだ)いて、ズツト側(さば)へ引付(ひきつ)け頬(ほう)の辺(ほとり)へキツスを致(いた)し升(まし)た。
其(その)翌日(よくじつ)はフオントルロイ早速(さつそく)、ホツブス氏へ手紙(てがみ)を認(したヽ)め升(まし)た。
其(その)書面(しよめん)は殊(こと)の外(ほか)長文(てうぶん)で、一旦(いつたん)草稿(そうこう)したのをお祖父様(ぢいさま)の処(ところ)へ持(もつ)て来(き)て、添削(てんさく)を請(こ)ひ升(まし)た、ダツテ、綴字(つゞり)があんまりいけなそうですもの、といひ升(まし)たが、書(かい)た文面(ぶんめん)は句頭(くとう)もなく、のべつゞけで、綴字(つゞり)や用字(ようじ)などの過失(あやまり)は、ヒツギンス一件(いつけん)の手紙(てがみ)に類(るい)して居(おつ)て、其(その)趣意(しゆい)は、一寸(ちよつと)こんな塩梅(あんばい)でした。
お祖父(ぢい)さんが見(み)て、間違(まちが)つてる処(ところ)、言(い)つて下(くだ)されば、僕(ぼく)モ一度(いちど)書直(かきなほ)し升(ませ)う。
一筆(いつぴつ)啓上(けいじやう)僕(ぼく)祖父(おぢい)さまのことお話(はな)し申(まう)し度(たく)候侯爵(こうしやく)でもあんな侯爵(こうしやく)はないと存(ぞん)じ候侯爵(こうしやく)は圧制家(あつせいか)だと申(まう)すも間(ま)ちがひに候(そろ)祖父(おぢゞ)さまは少(すこ)も圧制家(あつせいか)でなく候(そろ)おぢさまおつきあひなされば仲(なか)よくなると存候(ぞんじそろ)キツトそうだと存候(ぞんじそろ)お祖父(ぢい)さまの足(あし)にはしゆふうせうといふものありて大変(たいへん)いたいものに御(ご)ざ候(そろ)併(しか)し大層(たいへん)辛棒(しんぼう)づよい故(ゆゑ)僕(ぼく)毎日(まいにち)だん\/好(すき)になり候(そろ)勿論(もちろん)だれで世(よ)の中(なか)の人(ひと)に深切(しんせつ)な侯爵(こうしやく)ならば好(す)きにならずに居(ゐ)られないと存候(ぞんじそろ)おぢさんあつて話(はな)しヽて御覧(ごらん)なされば好(いヽ)にと存候(ぞんじそろ)何(なん)でも僕(ぼく)聞(きく)こと知(し)つて居(ゐ)る様(やう)で御座候(ござそろ)併(しか)しまだべース、ボールは見(み)たことないそふで御座候(ござそろ)お祖父(ぢい)さまは僕(ぼく)に小馬(こうま)も車(くるま)も下(くだ)され母(はヽ)さまには奇麗(きれい)な馬車(ばしや)下(くだ)され候(そろ)僕(ぼく)は部屋(へや)三(みつ)ツとおぢさんが驚(おどろ)くほどたくさんおもちやあり候(そろ)お城(しろ)も樹園(じゆえん)もをぢさんが好(すき)そうだと存候(ぞんじそろ)お城(しろ)は大変(たいへん)大(をヽ)きい故(ゆゑ)をぢさんなぞでもまい子(ご)になりそうで御座候(ござそろ)ウィルキンスが申候(まうしそろ)ウィルキンスは僕(ぼく)の馬丁(べつとう)で御座候(ござそろ)城(しろ)の縁(えん)の下(した)に牢(らう)があると申候(まうしそろ)樹園(じゆゑん)の中(なか)は何(なん)でも奇麗(きれい)故(ゆゑ)をぢさん驚(おどろ)くだろうと存候(ぞんじそろ)大(をヽ)きな木(き)や鹿(しか)や兎(うさぎ)や野鶏(きじ)なぞ沢山(たくさん)居(お)り候(そろ)お祖父(ぢい)さまは大層(たいそう)金(かね)もちで御座候(ござそろ)併(しか)しをぢさんが侯爵(こうしやく)といふものはどれでも高慢(かうまん)で威張(ゐば)つて居(ゐ)ると仰(おつし)やつたけれどお祖父(ぢい)さまは少(すこ)しもそうでなく候(そろ)僕(ぼく)はお祖父(ぢい)さまと一処(いつしよ)に歩(ある)くのが大好(だいすき)で御座候(ござそろ)人々(ひと\゛/)はみんなお祖父(ぢい)さまに叮嚀(ていねい)で親切(しんせつ)で御座候(ござそろ)みんな帽子(ぼうし)をとつて礼(れい)をいたし候(そろ)女(をんな)の人(ひと)はおぢぎをして時々(とき\゛/)祝(しゆく)して「神様(かみさま)のお恵(めぐみ)を若様(わかさま)の為(ため)に祈(いの)り升(ます)」と申候(まうしそろ)僕(ばく)今(いま)はモウ馬(うま)に乗(の)ること上手(じやうず)になり候(そろ)併(しか)し始(はじ)め楽乗(らくのり)した時(とき)ゆすぶれ候(そろ)貧究(ひんきく)の人(ひと)家賃(やちん)を払(はら)ふこと出来(でき)ない時(とき)にお祖父(ぢい)さま逐出(をひだ)さずに置(おい)てやりなされ候(そろ)そうしてメロンさんが病気(びやうき)の子供(こども)にぶどう酒(しゆ)や色(いろ)\/の物(もの)持(も)つて行(い)つてやりなされ候(そろ)僕(ぼく)はおぢさんに逢度(あひたい)と思候(おもひそろ)そうして母様(はヽさま)もお城(しろ)に一処(いつしよ)に居(ゐ)られヽば好(い)いと思候(おもひそろ)併(しかし)大変(たいへん)こひしい時(とき)でなければいつも幸(さいわひ)で御座候(ござそろ)僕(ぼく)はお祖父(ぢい)さまが好(すき)で御座候(ござそろ)だれでもそうで御座候(ござそろ)をぢさん手紙(てがみ)を下(くだ)され度(たく)存候(ぞんじそろ)侯爵(こうしやく)は是(これ)を読(よ)み果(は)てヽ、
旧友(きうゆう)
……月‥‥‥日 エロル、セドリツク拝(はい)
愛(あい)するホッツブス様(さま)
二白(にはく)牢(らう)の中(なか)には誰(たれ)も居(お)らず候(そろ)お祖父(ぢい)さまは牢(らう)の中(なか)へ人(ひと)を入(い)れて困(くる)しめたことないそうで御座候(ござそろ)大層(たいさう)好(い)い侯爵(こうしやく)さまでをぢさんに似(に)て居(ゐ)ると思候(おもひそろ)お祖父様(ぢいさま)は大変(たいへん)人望(じんぼう)が御座候(ござそろ)貴様(きさま)は大層(たいさう)お袋(ふくろ)が恋(こひ)しいか?と答(こた)へて、フォントルロイは侯爵(こうしやく)に近寄(ちかよ)つて、顔(かほ)を見(み)ながら、お膝(ひざ)の上(うへ)へ手(て)を載(の)せ升(まし)た。
エー、僕(ぼく)、いつでも恋(こひ)しいんです、
そして、お祖父(ぢい)さんは恋(こひ)しくはないんですネといひ升(ます)と、老侯(らうこう)は少(すこ)し面倒(めんだう)なといふ調子(てうし)で、おれは知(し)らないのだ、御前(ごぜん)は、
僕(ぼく)、そうなの、知(し)てるんですよ、
ダカラ、僕(ぼく)、不思議(ふしぎ)でしようがないんですよ、
かあさん、僕(ぼく)に何(な)にか聞(きヽ)だてするんじやないつていつたから‥‥‥ダカラ聞(き)きやしないけれど、僕(ぼく)、時々(とき\゛/)考(かんが)へずに居(ゐ)られないんですよ、
ネイ、ソレデ不思議(ふしぎ)で\/仕方(しかた)がなくなるんです、
ダカラ、僕(ぼく)、恋(こひ)しくつてしようがない時(とき)は、毎晩(まいばん)僕(ぼく)につて、かあさんが灯火(あかり)を点(つけ)て置(おい)て呉(くれ)れる処(ところ)を窓(まど)から見(み)てるんです、
大変(たいへん)向(むか)ふの方(ほう)だけれど、かあさんが暗(くら)くなると、直(す)ぐ窓(まどん)とこへ置(お)いといて呉(くれ)れるから、木(き)の間(あいだ)から遠(とほ)くの方(ほう)でピカ\/\/\/してるのが見(み)えると、アノ灯火(あかり)がこふいふんだナと思(おも)つてるんです。
それが何(な)んと云(い)つてるんだ?御前(ごぜん)は冷淡(れいたん)に、
アノネ、「セデーヤ、お休(やす)みよ、神様(かみさま)が今夜(こんや)も、一晩中(ひとばんちう)守(まも)つて居(ゐ)て下(くだ)さるよ」つて一処(いつしよ)に居(ゐ)た時(とき)、仰(おつ)しやつたとおんなじことです、
夜(よる)になれば、毎晩(まいばん)そういつて、朝(あさ)になれば、「今日(けふ)も一日中(いちにちヽう)神(かみ)さまがお守(まも)り下(くだ)さるよ」つて仰(おつ)しやつたから、僕(ぼく)はいつでも、始終(しじゆう)大丈夫(だいぜうぶ)なんですよ、ネイ、ぬ
ウヽン、大丈夫(だいぜうぶ)に違(ちが)ひなかろう、と仰(おつしや)つて、彼(か)の秀(ひい)でた眉(まゆ)をズツト下(した)へさげ、稍(やヽ)久(ひさ)しく、ヂツト、フォントルロイを見詰(みつ)めて居(ゐ)られ升(まし)たから、子供心(こどもごヽろ)に何(なに)を考(かんが)へて入(いら)つしやるのかと思(おも)ひ升(まし)た。 (以上、『女学雑誌』第二八二号)