ルビ部分を磯谷英理子(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。



小公子。         若松しづ子

   第七回 (甲)

翌朝(よくあさ)フオントルロイ殿(との)が眼(め)を覚(さ)まされると、(前夜(ぜんや)寝処(ねとこ)へ抱(た)かれて連(つ)れられた時(とき)は眼(め)が覚(さ)めなかつたので)直(す)ぐ耳(みヽ)へ這入(はいつ)つたのは、暖室炉(ストーブ)の火(ひ)の燃(も)へる音(おと)と、人(ひと)が小声(こヾえ)で話(はなし)をしてゐるのでした。
誰(た)れかこふいつて居(ゐ)ました、

ドウソンや、おまへ気(き)を付(つ)けて其事(そのこと)は何(な)んとも、申(まう)すのではないよ、 おつかさまが御一処(ごいつしよ)でない訳(わけ)は、一向(いつこう)に御存(ごぞん)じないのだから、そつくり其まヽお知(し)らせ申(まう)してはならないのだからネ

すると外(ほか)の声(こえ)で、

あなた御前(ごぜん)の仰(おほせ)ならば、黙(だま)つても居(ゐ)ませう、
ですがネイわたくしの様(やう)なお婢(はした)でこんなことをあなたへ申(もう)し上(あげ)てどんなもんですか存(ぞん)じませんが、あんなに奇麗(きれい)で、若(わか)くつて、連添(つれそ)ふ方(かた)に別(わかれ)たお方(かた)を、今度(こんと)は又血(またち)を別(わけ)たお子様(こさま)までも離(はな)しておしまいなさるつて、本当(ほんとう)に情(なさけ)ないなされ様(やう)だつて、わたくし、なんぞは可愛(かあい)そうで仕方(しかた)が御座(ござ)いませんよ、
ソレニマアどふでせう、お美麗(うつくしい)こと、
どふ見(み)ても殿様(とのさま)に生(うま)れついておいでなさるじや有(あり)ませんか、
ヂェームスどんや、タマスどんが夕部下(ゆふべしも)へ退(さ)がつて来(き)て、マア二人口(ふたりくち)を揃(そろ)へて云(い)ふんでござい升(ます)よ、アノ若様(わかさま)の様(よう)な若様生(わかさまうま)れてから見(み)たことがないつて、
おまけにネイ、あなたの前(まへ)でそう申(まう)しては何(な)んですが、時(とき)よりはほんとうになされ方(かた)があんまりで、わたくしどもでさへ口惜(くや)しくつてごう腹(はら)で、こヽが煮(に)へかへる様(よう)なことのある其(その)お方(かた)とお食事(しよくじ)を遊(あそ)ばすのに、子守地蔵見(こもりぢぞうみ)た様(よう)なさも優(やさ)しい人(ひと)とでも入(い)らつしやる様(よう)なあどけない調子(てうし)で、行儀(ぎよつぎ)も好(よ)く、可愛(かあい)らしかつたことつてネ、
それからネ、ヂェームスどんとわたくしとをお呼(よび)になつて、書斎(しよさい)からお二階(にかい)までお連(つ)れ申(まう)して、参(まい)れつて仰(おつ)しやるので、ヂェームスどんが其(その)まヽお抱(た)き申(まう)すと、あの可愛(かあい)らしいお顔(かほ)はポツト桜色(さくらいろ)になつてヂェームスどんの肩(かた)の処(ところ)へおつむりを載(の)せて、お髪(ぐし)のきら\/と奇麗(きれい)に下(さが)つてゐた処(ところ)の美麗(うつくし)くつて、可愛(かあい)くつて、何(な)んとも云(い)へません様(よう)でしたこと、
あんなとこ、ほんとうに見度(みたい)つて見(み)られやしませんよ、
そうしてネ、御前(ごぜん)だつてまんざらお眼(め)がなかつた様(よう)でもないんですよ、
デモ、何(な)んだか頻(しき)りに見(み)て入(いら)つしって、ヂェームスどんに「気(き)を付(つ)けて、眼(め)を覚(さま)させぬ様(よう)にしろ」つておつしやるんですもの。

此時(このとき)セドリツクは寝反(ねがへ)りをして、眼(め)を開(あ)けて見(み)ました。
部屋(へや)の中(なか)には二人(ふたり)の婦人(ふじん)が居(おり)ました。
そうして花模様(はなもよう)のはでな白紗(さらさ)の窓掛(まどかけ)や幕(まく)がそろへて有(あ)つて、室(しつ)は万事奇麗(ばんじきれい)で、爽快(さわやか)に出来(でき)て居(お)りました。
暖室炉(ストーブ)には火(ひ)がたいて有(あ)つて、蔦(つた)が一面(いちめん)に纏着(からみつひ)た窓(まど)からは、朝日(あさひ)がさし込(こ)んで居(お)りました。
間(ま)もなく二人(ふたり)が一処(いつしよ)に側(そば)へ来(く)るのを見(み)ると、一人(ひとり)は取締(とりしまり)のメロン夫人で、モウ一人(ひとり)は深切(しんせつ)で、極(ご)く気立(きだて)の優(やさ)しそうな顔(かほ)をした、見(み)ても心持(こヽろもち)の好(よ)い様(よう)な中年増(ちうとしま)でした。
メロン夫人(ふじん)がセドリツクに言葉(ことば)をかけて、

若様(わかさま)、お早(はや)う存(ぞん)じます、昨夜(ゆうべ)はよくお休(やす)みになり升(まし)たか?、

セドリツクは眼(め)を磨(こす)つて、ニツコリ笑(わら)ひました、

お早(はや)う、僕(ぼく)ネ、こヽに居(ゐ)るの知(し)りませんかつたよ。

といひ升(まし)た。
取締(とりしまり)は、

其筈(そのはづ)で御座(ござ)い升(ます)、 うたヽ寝(ね)を遊(あそ)ばした処(ところ)を、ソツトお二階(にかい)へお連(つ)れ申(まう)したので御座(ござ)い升(ます)もの、 これが只今(たヾいま)から若様(わかさま)のお寝間(ねま)になるので、こヽに居(お)り升(ます)のは、ドウソンと申(まう)して、これから若様(わかさま)のお世話(せわ)を申(まう)すので御坐(ござ)います。

セドリツクは床(とこ)の上(うえ)で起(お)き直(なお)り、丁度侯爵(てうどこうしやく)さまに握手(あくしゆ)するとて手(て)を伸(の)べたと同(おな)じ調子(てうし)に、ドウソンに手(て)を出(だ)しました。

あなた御機嫌(ごきげん)は如何(いかヾ)?、
僕(ぼく)を世話(せわ)しに来(き)て呉(く)れて、誠(まこと)に有難(ありがた)う。

といひますと、取締(とりしまり)が、ほヽ笑(ゑ)みながら、

若様(わかさま)、これから、御用(ごよう)の時(とき)はドウソンとお呼(よ)び遊(あそば)しましよ、
ドウソンと呼(よ)ばれつけて居(お)り升(ます)から、

といひますと、セドリツクが、

アノ、ミス(嬢(じよう)の意(ゐ))ドウソンといふんですか、ミセス(夫人(ふじん)の意(ゐ))ドウソンといふんですか?、

と問(と)ひますと、ドウソンハ、メロン夫人(ふじん)の口(くち)を開(ひら)くのを待(ま)たず、顔一杯(かほいつぱい)に笑(わら)ひを見(み)せて、

マア、ミスもミセスも入(い)つたこつちやございませんよ、勿体(もつたい)ない、
サア、お眼(め)ざめならば、ドウソンがお召替(めしか)へをおさせ申(まう)して、それからお居間(いま)で御膳(ごぜん)をめし上(あが)ることに致(いた)しませうでは御坐(ござ)いませんか?。

といひますと、セドリツクが答(こた)へて、

有難(ありがた)う、だつて、僕(ぼく)ハモウ幾年(いくねん)か前(まへ)に自分(じぶん)で着物(きもの)を着(き)るのを習(な)らひましたよ、
かあさんが教(おしへ)て呉(く)れたんです、
メレ一人(ひとり)でするんでせう、(洗濯(せんたく)でも何(なん)でも、)
だから、そんなに世話(せわ)やかせちやいけないんですもの、
僕(ぼく)は湯(ゆ)にだつて一人(ひとり)で這入(はい)れ升(ます)よ、随分(ずいぶん)よく洗(あら)へるんです、
あとで隅(すみ)の方(はう)さへ少(すこし)しあヽ(改)ためてくれヽば、

ドウソンと取締(とりしまり)は、何故(なにゆえ)か、此時顔(このときかほ)を見合(みあは)せて居(おり)ました、メロン夫人(ふじん)はまた、

若様(わかさま)、何(な)んでも御用(ごよう)を仰(おつ)しやれば、ドウソンが致(いた)しますよ。

といひ升(ます)と、ドウソンが慰(なぐさ)める様(よう)な、人(ひと)の好(よ)さそうな声(こえ)で、

いたしますとも、\/、何(な)んでもいたします、
若様(わかさま)お好(すき)なら、お一人(ひとり)でお召替(めしか)へ遊(あそば)しまし、
ドウソンはお側(そば)でお手伝(てつだひ)をして宜(よろし)い時(とき)は、いつでもいたしますから。

どふも有(あり)がたう、ボタンを掛(か)ける時(とき)が、チツト六(むづ)ケ敷(しい)ですからネ、その時(とき)は誰(たれ)かに頼(たの)まなくつちやネ。

セドリツクはドウソンが大変深切(たいへんしんせつ)な人(ひと)だと思(おも)つて、湯浴(ゆあみ)と着物(きもの)の着替(きかへ)が済(す)まない中(うち)に、大層中好(たまそうなかよし)になつて、さま\゛/ドウソンの事(こと)を尋(たず)ね出(た)しました。
ドウソンの亭主(ていしゆ)が兵卒(へいそつ)で有(あ)つて本当(ほんとう)の戦(いくさ)で討死(うちじに)したといふことと息子(むすこ)は船乗(ふなの)りで、久(ひさ)しい前(まへ)から航海(かうかい)に行(ゆ)つて居(お)るといふことと此人(このひと)が海賊(かいぞく)や、人食島(ひとくいじき)や支那人(しなじん)や、土耳児人(とるこじん)を見(み)て来(き)て珍(めづ)らしい貝売(かいがら)や珊瑚(さんご)のかけなどを採(と)つて帰(かへ)つて来(き)てゐるといふこと、トウソンが自分(じぶん)の櫃(ひつ)の中(なか)に入(い)れて持(も)つて居(い)るのが有(あ)るから、いつでも見(み)せて呉(く)れるといふこと、みんなセドリツクには面白(をもしろ)い話(はな)でした。
ドウソンは昔(むか)しから子供(こども)の世話斗(せはばか)りして居(ゐ)たさうで矢張(やは)りこれまでも英国(ゑいこく)のある大家(たいけ)でウイニス、ヴオーンと云ふ可愛(かあい)らしい姫君(ひめぎみ)のお世話(せは)をして居(い)たのだそうでした。
此話(このはな)をして、ドウソンがいひますのに、

そうして、其(その)ひいさまは、若様(わかさま)の御親類続(ごしんるいつヽき)で御座升(ございます)から、いつかお逢(あい)になるかも知(し)れませんよ。

そうですかネ、僕(ぼく)は女の子の友(とも)だちは持(も)つたこと有(あり)ませんけれど、僕(ぼく)いつでも女(をんな)の子(こ)見(み)るのが好(すき)ですよ、奇麗(きれい)だことネ。

さて朝飯(あさはん)を食(しよく)する為(ため)に次(つぎ)の坐敷(ざしき)へ行(ゆき)まして、其大(そのおほ)きいのに驚(おど)ろき、ドウソンに聞くと、まだそれに続(つヾ)いて坐敷(ざしき)が有つて、それも自分(じぶん)のと云(いふ)ことを知りました時(とき)、自分(じぶん)のいかにも少さい者(もの)で、これほどの用意(ようい)をして待(ま)たれるに相応(ふさは)しくないといふことを、又深(またふか)く感(かん)じまして、膳立(ぜんだて)の奇麗(きれい)にして有(あ)る処(ところ)に腰(こし)をかけながら、ドウソンに向(むか)ひ、大層意気込(たいそういきこん)んでこふ言(い)ひました、

僕(ぼく)はこんなに少(ちい)さい子(こ)だのに、こんな大(をヽ)きなお城(しろ)の中(なか)に住(す)んでゐて、大(おほ)きな部屋(へや)をソウいくつも持(も)つてゐるなんで、なんだか大変(たいへん)デスネ、

ドウソンは慰(なぐさ)めて、

なんのマア、始(はじめ)は少(すこ)し変(へん)なお心持(こヽろもち)がなさるかも知(し)れませんが、直(ぢ)つきにお慣(な)れ遊(あそ)ばし升(ます)よ、
そうしてどんなに宜(よろ)しうございませう、こんなに美(うつく)しい処(ところ)で御坐(さ)い升(ます)もの

セドリツクは少さい嘆息(ためいき)をついて、

それは奇麗(きれい)な処(ところ)だけれど、かあさんがこんなに恋(こひ)しくさへなければ、よつぽど好(い)いは、
ダツテ、僕(ぼく)、いつでも朝御膳(あさごぜん)を一処(いつしよ)にたべたんですもの、
そうして、かあさんのお茶(ちや)へ乳(ちヽ)だの、砂糖(さとう)だの入(い)れて上(あげ)たり、焼(やき)パンを上げたりしたんですもの、
そんなに中(なか)よくしてたんですもの。

ドウソンは、又慰(またなぐさ)めやうとして、

アヽそれに違(ちか)ひ御座(ござ)い升(ます)まいがネ、それでも毎日(まいにち)お眼(め)にお掛(かヽ)りで御座(ござ)いませう、
そうすれば、其時(そのとき)どんなにおつかさまにお話(はな)し遊(あそ)ばすことが沢山(たくさん)で、どんなにお楽(たの)しみでせう、
それからまだ\/お楽(たの)しみなことが有(あり)ますよ、今(いま)に少(すこ)し方々(ほう\/)お歩(ひ)ろい遊(あそ)ばして、御覧(らう)じろ、
犬(いぬ)だの、お厩(うまや)の中(なか)に沢山繋(たくさんつな)いで有(あ)るお馬(うま)だの、ソウ\/それから其中(そのなか)に若様(わかさま)がキツト御覧(ごらん)になり度(たい)のが、一匹(ぴき)をり升よ‥‥‥

セドリツクは、声(こえ)をたてヽ、

オヤ、ソウ‥‥、僕(ぼく)は馬が大好(だいすき)です、
僕(ぼく)、ヂムつて云(い)ふのが大好(だいすき)でした、
それはネ、ホツブスさんの荷車(にぐるま)についてた馬(うま)でしたよ、
強情張(ごうじようば)らない時(とき)は、随分奇麗(ずいぶんきれい)ナ馬(うま)でしたよ。

さ様(よう)で御座(ござ)い升(ます)か、
兎(と)も角(かく)、アノお厩(うまや)に居(ゐ)るのを御覧遊(ごらんあそ)ばせ、
それはそうと、マアどうしませう、まだお次(つぎ)の御座敷(ざしき)も御覧(ごらん)にならないじや有(あ)りませんか。

セドリツクは、

そこに何(なに)があるの?、

御膳(ごぜん)をお済(す)まし遊(あそ)ばすと、御案内(ごあんない)いたしますよ。

こふ聞(き)いて、自然(しぜん)、何(なに)が有(あ)るかと頻(しき)りに見(み)たくなり、勢出(せいだ)して、食事(しよくじ)にかヽりました。
ドウソンが余(あま)り様子有気(ようすありげ)な、妙(みう)な顔(かほ)をして居(ゐ)る処(ところ)を見(み)れば、キツト其坐敷(そのざじき)には何(なに)か大(たい)した物(もの)があるに違(ちが)ひないと思(おも)ひました。
暫(しば)らくしてから、椅子(いす)を辷下(すべりお)り

サア、モウおしまい、サアいつて見度(みたい)もんですネ。

ドウソンは頭点(うなづ)いて、先(さき)へ立(た)つて行(ゆき)ましたが、尚子細(なほしさい)らしい様(よう)なとぼけた様(よう)な顔(かほ)をして居(おり)ましたから、セドリツクはます\/一処懸命(いつしよけんめい)になりました。(以上、『女学雑誌』第二七四号)



小公子。         若松しづ子

   第七回 (乙)

ドウソンが戸(と)を開(あ)けますと、セドリツクは敷井(しきゐ)へ立(た)つたまヽ、目(め)を丸(ま)るくしながらビツクリして見廻(みま)わして居(お)り升(まし)た、
まだ口(くち)も開(ひら)き得(え)ず、たゞ両手(りようて)をポツケツトの中(なか)へ入(い)れて、額(ひたへ)まで赤(あか)くなつて、覗(のぞ)いて居(お)り升(まし)た、并(なみ)\/の子供(こども)でもこふいふ処(とこ)ろを見(み)れば、随分(ずいぶん)ビツクリし升(ます)から、セドリツクの驚(おどろ)いたも無理(むり)ならぬことでした。
此坐敷(このざしき)は矢張大(やはりおヽ)きい坐敷(ざしき)で、セドリツクには他(た)の坐敷(ざしき)よりもまだ\/美敷見(うつくしくみ)えた訳(わけ)で有(あり)ました
此坐敷(このざしき)の中(なか)の道具(どうぐ)はセドリツクが下(した)で見(み)た広間(ひろま)の道具(だうぐ)の様(やう)にガツシリした、時代物(じだいもの)らしいのでは有(あり)ませんかつた。
下幕(さげまく)や、敷物(しきもの)や、壁(かべ)の塗(ぬり)は花(はな)やかで、眼(め)の醒(さ)める様(やう)な色(いろ)どりでした、
書棚(ほんだな)には本(ほん)が一杯詰(いつぱいつ)めて有(あ)り、卓(だい)の上(うへ)には数々(かず\/)の手遊(てあそ)びが有(あ)りましたが、何(いづ)れも見事(みごと)に巧(たくみ)を極(きは)めた物(もの)で、セドリツクが、ニユーヨークに居(お)る時分(じぶん)、店(みせ)の玻璃窓(はりさう)の中(なか)にあるのを見(み)て楽(たの)しんだ不思議(ふしぎ)な物(もの)に似(に)て居(お)り升した。
暫(しば)らくしてから、溜息(ためいき)をついて、

誰(た)れか男児(こども)の部屋(へや)の様(やう)ですが、全体誰(ぜんたいたれ)のお部屋(へや)なんです。

ドウソンは、

マア中へお這入(はい)り遊(あそば)して、よふく御覧遊(ごらんあそ)ばせ、
若様(わかさま)ので御座(ござ)い升(ます)から。

ヱー、僕(ぼく)のだつて!
本当(ほんとう)に僕(ぼく)のですか!
なぜ僕(ぼく)のなんです?
誰(たれ)が呉(く)れたんでせう?

聞(き)いたことが余(あま)りのことに信(しん)じられない様(やう)でも有(あ)つて、セドリツクは嬉(うれ)しそうな声(こゑ)をたてながら、中(なか)へ飛込(とびこ)み升(まし)た、そうして、星(ほし)の様(やう)に光(ひか)つた眼(め)をして、

お祖父様(ぢいさま)ですネ、お祖父様(ぢいさま)に掟(き)まつて升(ます)はネ。

左様(さやう)で御座(ござ)い升(ます)よ、御前(ごぜん)で御座(ござ)い升(ます)、
そうしてネ、若様(わかさま)がおとなしく遊(あそば)して、何(なに)かにつけてクヨ\/遊(あそ)ばさずに、ある物(もの)をお楽(たのし)み遊(あそ)ばして、毎日(まいにち)お気楽(きらく)に遊(あそ)ばせば、何(なん)でも欲(ほ)しいと仰(お)つしやる物(もの)を下(くだ)さい升(ます)と。

此(こ)の朝(あさ)は中々気(なか\/き)の揉(も)める朝(あさ)でした、
改(あらた)めて見(み)る物(もの)や、試(こヽろ)みて見(み)る物(もの)が余(あま)り沢山(たくさん)でしたから、眼新(めあた)らしひ物(もの)が余(あま)り多(おほく)つて、一(ひと)ツ見始(みはじ)めると中々身(なか\/み)が這入(はい)つて、容易(ようゐ)ゐには他(ほか)へ移(うつ)れず、気(き)が急(せ)く程(ほど)でした、
そうしてセドリツクは何(なに)も彼(か)も自分(じぶん)の為(ため)に備(そな)へて有(あ)つたので、自分(じぶん)がまだニユーヨークを離(はな)れもしない前(まへ)から自分(じぶん)が住(す)む部屋(へや)といふのを飾(かざ)りつけるとて、態々人(わざ\/ひと)がロンドンから来(き)て、自分(じぶん)の気(き)に叶(かな)ひそうな書物(しよもつ)や手遊(てあそび)を仕度(したく)したことを聞(き)いて、不審(ふしん)に堪(た)へられませんかつた、
今(いま)ドウソンに向(むか)つて、

ドウソンはそんな深切(しんせつ)なお祖父様持(ぢいさまも)つてる子(こ)があると思(おも)ひ升(ます)か?

ドウソンは暫(しば)らく曖昧(あいまい)な顔付(かほつき)をして居(おり)ました。
此女(このおんな)は侯爵様(こうしやくさま)を左程徳(さほどとく)の高(たか)い方(かた)とは思(おも)つて居(お)りませんかつた。
まだ自分(じぶん)は幾日(いくにち)も此(この)お邸(やしき)に居(ゐ)ないのでしたが、それにモウ下(した)\/で御前(ごぜん)の蔭事(かげごと)をとり沙汰(さた)するのを充分聞(じうぶんき)いて仕舞(しま)ひ升(まし)た。
彼(か)の一番丈(いちばんせい)の高(たか)い給事(きうじ)が、

イヤ、わしがこれまでお仕着(しきせ)を頂戴(てうだい)した殿様(とのさま)で、いとゞ意地(いぢ)がわるくつて、がむしやらで、癇癪持(かんしやくもち)だといふ奴(やつ)をみんな並(なら)べたつても、イツカナ\/こいつにかなうこつちやねへよ、ドウシテ!

といひましたが、此(こ)のタマスといふ人物(じんぶつ)は又(また)、セドリツクの来着(らいちやく)に対(たい)して、件(くだん)の準備(じゆんび)を相談最中(そうだんさいちう)、御前(ごぜん)がハヴィシヤム氏(し)に対(たい)して申(もう)されたことを下(しも)へ退(さが)つてから朋輩(ほうばい)に伝(つた)へたことも有(あり)ました。
御前(ごぜん)のお言葉(ことば)に、

なんでも勝手(かつて)にさせて、部屋(へや)へ手遊(てあそび)でも一杯持(いつぱいも)つて来(き)て置(お)くが好(よ)かろう、
何(なに)か面白(おもしろ)がりそうな物(もの)をあづけて置(お)けば、お袋(ふくろ)のことなどは雑作(ざうさ)もなく忘(わす)れて仕舞(しま)うに諚(き)まつて居(ゐる)は、
遊(あそ)ばせて、気(き)をまぎらせさへすれば、面倒(めんどう)なことはあるまい、
子供(こども)はみんなそれじやからな。

侯爵様(こうしやくさま)は子供(こども)といふ者(もの)は皆(みな)、此通(このとほ)り容易(たやす)くまぎらすことの出来(でき)る者(もの)と斗(ばか)り思召(おぼしめ)して入(いら)つした処(ところ)が、セドリツクの昨夜(ゆうべ)の様子(やうす)では多少(たせう)あてが違(ちが)つて余(あんま)りお心持(こヽろもち)の好(よ)いことは有(あ)りませんかつた。
そして、床(とこ)に着(つか)れても充分(じうぶん)お休(やすみ)にならなかつたので、翌朝(よくあさ)はお寝間(ねま)をお離(はな)れになりませんかつた、午(ひる)になつて、食事(しよくじ)を果(はた)されてから、セドリツクを迎(むか)ひに使(つかひ)を遣(つか)わされ升(まし)た。
フォントルロイは直(すぐ)と命(おほせ)に随(したが)ひ先(ま)づ、広(ひろ)い梯段(はしごだん)を飛下(とびお)りて来(き)て、廊下(ろうか)を走(はし)つて参(まゐ)り升(まし)た、
侯爵様(こうしやくさま)は其足音(そのあしおと)を聞(き)いて居(ゐ)られると、間(ま)もなく、戸(と)が開(あ)き升(まし)て、這入(はい)つて来(き)たセドリツクの眼(め)が光(ひか)つて、頬(ほう)は真赤(まつか)でした。

僕(ぼく)、待(ま)つてましたよ、あなたがお呼(よび)なさるのを、モウ先(さ)アきから仕度(したく)して居(ゐ)たんです、
色々(いろ\/)な物下(ものくだ)すつて、誠(まこと)に有難(ありがと)う、ほんとうに有(あり)がたう、
僕(ぼく)、朝(あさ)つから持(もつ)て遊(あそ)んで升(まし)たよ。

アヽそうか、貴様(きさま)はあヽいふものが好(すき)か?

好(すき)ですとも、どの位好(くらゐすき)だか云(い)へない程好(ほどすき)ですよ。

> とフォントルロィは嬉(うれ)しさを満面(まんめん)に現(あら)はして、

アノ、あの中(なか)に、ベース、ボールに好(よ)く似(に)たおもちやが有升(あります)よ、
僕(ぼく)、ドウソンに教(をし)へようと思(おも)ひ升(まし)たが、始(はじ)めてだから、好(よ)く分(わか)らない様(やう)でしたよ、
婦(をんな)の人(ひと)だからべース、ボールなんかで遊(あそ)んだことがないんでせう、
ネイ、それから、僕(ぼく)が教(おし)へて遣(や)るのもそんなに上手(ぜうず)でなかつたかも知(し)れませんよ、
ダケド、あなたはよく知(し)つて入(いら)つしやるでせう?

おれも知(し)らない様(やう)だ、アメリカの遊(あそ)びだろうな、
クリケツトに似(に)て居(ゐ)るか?

僕(ぼく)はクリケツト見(み)たことは有(あり)ませんよ、
ダケド、ホツブスさんがべース、ボールを見(み)に幾度(いくど)も連(つ)れてつて呉(く)れたんです、
どうも面白(おもしろ)いもんですこと、
みんな、どふも、一処懸命(いつしようけんめい)になつてネ、僕(ぼく)、行(い)つてあの道具(どうぐ)とつて来(き)て、あなたに教(をし)へて上(あげ)ませうか?
あなた面白(おもしろ)くつて、足(あし)のこと忘(わす)れるかも知(し)れませんよ、
今朝(けさ)、あなたの足大変(あしたいへん)いたいですか?

余(あま)り有(あり)がたくない程痛(ほどいた)むな、

セドリツクは心配(しんぱい)そうに、

そうですか?
それじや忘(わす)れられないでせうネ、
そんなら、あの遊(あそ)びのことなんか話(はな)されたら、うるさいでせう、
どうでせう面白(おもしろ)いでせうか、うるさいでせうか?

侯爵(こうしやく)さまは、

行(い)つて持(も)つてこい!

侯爵様(こうしやくさま)にとつて、実(じつ)にこれは事新(ことあた)らしい慰(なぐさみ)でした、遊(あそ)びを教(をし)へやうといふ子供(こども)を合手(あひて)にすることは。
併(しか)し、其事新(そのことあた)らしいのが却(かへつ)てなぐさみになつたのでした。
彼(か)の遊(あそ)び道具(どうぐ)の箱(はこ)を腕(うで)に抱(かヽ)へながらセドリツクが坐敷(ざしき)へ帰(かへ)つて来(き)た時(とき)は老侯(ろうこう)のお口(くち)の廻(まはり)にどこかホヽ笑(ゑ)みがひそんで居(ゐ)る様(やう)でした、
そうしてセドリツクの顔(かほ)には何(なに)か一処懸命(いちしようけんめい)に身(み)が入(い)つて居(ゐ)ることが現(あら)はれて居(を)り升(まし)た、
セドリツクは、

僕(ぼく)、アノ小(ちい)さな卓(だい)をあおたの倚子(いす)の側(そば)へ引(ひつ)ぱつて来(き)ても好(い)いですか?

老侯(ろうこう)は、

ナニ、呼鈴(よびりん)を引(ひい)て、タマスを呼(よ)べ、
どこへでも持(も)つて来(く)るから。

僕(ぼく)、独(ひと)りで持(も)つて来(こ)られ升(ます)よ、ダツテ、そんなに重(たる)くはない様(やう)ですもの。

お祖父様(ぢいさま)は「よし」と答(こた)へてセドリツクの色々仕度(いろ\/したく)を整(とヽの)へるのを御覧(ごろう)じて入(いら)つしやると、セドリツクが余(あま)り熱心(ねつしん)になつて居(ゐ)るので、顔(かほ)のどこかに隠(かく)れてゐたホヽ笑(ゑ)みが段々外(だん\/そと)へ現(あら)はれて来升(きまし)た、
先づ彼(か)の小(ちい)さい卓(だい)を前(まへ)へ引(ひ)き出(だ)して、老侯(ろうこう)の倚子(いす)の側(そば)へ置(お)き、おもちやを箱(はこ)の中(なか)からとり出(だ)して、其上(そのうへ)へ并(な)らべ升(まし)た、それから説明(せつめい)にかヽつて、こふいひ升(まし)た。

あなた始(はじ)めて見(み)ると、中々面白(なか\/おもしろ)いですよ、
ネイソラ、此黒(このくろ)い奴(やつ)があなたの方(ほう)で、此白(このしろ)いのが僕(ぼく)の方(ほう)ですよ、
木(き)で出来(でき)てるけれど人間(にんげん)の積(つもり)なんですよ‥‥‥

とそれから何(なに)が外(はづ)れで、何(なに)が勝(かぢ)だといふこと、この筋(すじ)、あの筋(すじ)が何々(なに\/)になるといふ委(くは)しい説明(せつめい)を致(いた)しまして、それから本当(ほんとう)のべース、ボールではどうするのだといふこと、ホツブス氏と其勝負(そのせうぶ)を見(み)に行(いつ)た時(とき)、どふいふ面白(おもしろ)い景況(けいきやう)であつたといふことを巨細(こまか)に物(もの)がたるにつけて、自身(じしん)に立(た)つて、柳姿(しなやか)な少(ちい)さな体(からだ)を色々(いろ\/)に働(はた)らかせて、其勝負(そのせうぶ)を恰(あたか)も見(み)るが如(ごと)くに演(えん)じ升(まし)たが聞(き)く者(もの)は兎(と)も角(かく)も、セドリツクが幼心(おさなごヾろ)の一筋(ひとすじ)に其遊戯(そのゆうぎ)を楽(たの)しむのを見(み)るが快(こヽろよ)い様(やう)でした。
軈(やが)て説明(せつめい)も形容(けいよう)も終(おは)り升(まし)て、真剣勝負(しんけんせうぶ)になり升(まし)た時(とき)も矢張(やは)り老侯(ろうこう)には惓(う)み玉(たま)わず、面白(おもしろ)く思(おも)われ升(まし)た、一方(いつぽう)では冗談処(ぜうだんどころ)ではなく、一心不乱(いつしんふらん)の勝負(せうぶ)でした、
甘(うま)くあてた時(とき)の嬉(うれ)しそうな笑(わらひ)と、一運(ひとめぐり)して来(き)た時(とき)の満足(まんぞく)と、自分(じぶん)が勝(か)つた時(とき)も向(むか)ふの相手(あいて)が勝(か)ちたる時(とき)も一向変(いつかうかは)らず同(おな)じ様(やう)によろこぶことは、どんな勝負(せいぶ)ごとを誰(たれ)としても随分愛嬌(ずいぶんあいけう)になりそうなことでした。
若(も)し一週間前(いつしうくわんまへ)に誰(たれ)かドリンコートの城主(ぜうしゆ)に向(むか)つて、御前(ごぜん)はいつ\/、おみ足(あし)の病症(いたみ)も、御機分(ごきぶん)のわるいのもお忘(わす)れになつて、ちゞれ毛(け)の小息子(こむすこ)を相手(あいて)に、色取(いろど)りのした板(いた)の上(うへ)で、黒白(くろしろ)の木切(きヾれ)をお玩弄(もてあそび)なさることがありませうと申し上る者(もの)があつたら、どんなご不興(ふきやう)を蒙(かうむ)つたか知(し)れません、
然(しか)るに、暫(しばら)くしてタマスが戸(と)を開(あ)けて、客来(きやくらい)を注進(ちうしん)し升(まし)た時分(じぶん)は正(まさ)しく己(おのれ)を忘(わす)れて居(ゐ)られ升(まし)た。(以上、『女学雑誌』第二七五号)



小公子。         若松しづ子

   第七回 (丙)

此時(このとき)の来客(らいかく)といふのは黒羅紗(くろらしや)の服(ふく)を着(き)た老成(らうせい)らしい紳士(しんし)で、とりも直(なほ)さず、此辺(このまは)りを牧(ぼく)する宣教師(せんけうし)でしたが、坐敷(ざしき)へ通(とほ)つていきなり眼(め)に這入(はい)つた有様(ありさま)に驚(おどろ)いたのが、余(あま)り甚(はなは)だしかつたので、思(おも)はず二足(ふたあし)、三足後(みあしうし)ろへ退(さが)つて、すでのことに、案内(あんない)に来(き)たタマスに突当(つきあた)る処(ところ)でした。
一体(いつたい)、モウドント教師(けふし)は、其職務上(そのしよくむぜう)の必要(ひつよう)の事情(じじよう)でドリンコート城(ぜう)へ推参(すゐさん)する時(とき)ほど、不愉快(ふゆかい)に感(かん)じることはありませんのでした。
城主(ぜうしゆ)は其都度(そのつど)、権柄(けんぺい)に仕(つ)かせて、存分牧師(ぞんぶんぼくし)を不愉快(ふゆかい)にさせてお帰(か)へしになり升(まし)た。
此城主(このぜうす)は概(がい)して教会(けふかい)とか、慈善(じぜん)とかいふことは大(だい)のお嫌(きらい)ひで、小作人(こさくにん)どもが貧窮(ひんきう)に陥(おちい)るとか、病痾(やまひ)に罹(かヽ)るとかして、救(すく)つて遣(や)らねばならぬといふ時(とき)には、此小民(このせうみん)どもが好(この)んで、態々(わざ\/)こふいふ境界(けうかい)に陥(おちい)りでもしたかの様(よう)に恐(おそ)ろしいお憤(いか)りでした、
酒風症(ちゆうき)のお痛(いたみ)が烈(はげ)しい時(とき)でもあれば、聞苦(きヽぐる)しい貧困話(ひんこんばな)しなどは耳障(みヽざわ)りで、煩(わづら)はしいとて、遠慮(えんりよ)もなく、其(そ)のまヽお突(つ)き戻(もど)しになり升(まし)たが、お煩(わづらひ)がさ程(ほど)でなく、お心(こヽろ)が幾(いく)らか如(やわ)らいでゐる時分(じぶん)ならば、聞(き)くに堪(た)へられぬほど心(こヽろ)のまヽに教師(けうし)をおいじめなさり、小作人一同(こさくにんいちどう)の怠懦(たいだ)、柔弱(じうじやく)なことをお詰(なじ)りなさつた上句(あげく)に、幾分(いくぶんん)か金円(かね)をお恵(めぐ)みになり升(まし)た。
併(しか)し御機嫌(ごきげん)の好(い)い悪(わ)るいに係(かヽ)はらず、意地(いぢ)のわるい、刺衝的(ししやうてき)のことを仰(おつしや)つて困(くる)しめなさらぬことはなく、流石(さすが)のモドント教師(けふし)も、折(おり)ふしは、宗教(しうけふ)の則(のり)に違(たが)はずして差支(さしつかへ)のないことならば、何(なに)か重(おも)い物(もの)でも投(な)げつけ度(たい)と思(おも)ふ位(くらゐ)でした。
モドント教師(けうし)がドリンコート城(ぜう)の領地(ちようち)を牧(ぼく)し始(はじ)めてより今日(こんにち)に至(いた)るまで多年(たねん)の間(あひだ)、城主(ぜうしゆ)が故意(こい)に人(ひと)に親切(しんせつ)をなされたとか、何事(なにごと)が出来(しつたい)しやうと自分(じぶん)を置(おい)て、他(た)を顧(かへり)みるといふ様(やう)な御処行(しよぎやう)が只(たヾ)の一度(いちど)も有(あ)つたのを思(おも)ひ出(だ)されぬ位(くらゐ)でした。
今日推参(けふすゐさん)したといふのは別(べつ)して困難(こんなん)な一條(いちぜう)を陳述(ちんじゆつ)して、救済(きうせい)を請(こ)ふ為(ため)でしたが、二(ふた)ツ程理由(ほどりゆう)が有(あ)つて、今日(けふ)の訪問(ほうもん)を格別嫌(かくべついや)におもひ升(まし)た。
第一(だいいち)、御前(ごぜん)には数日前(すうじつぜん)より持病(じびやう)に悩(なや)まれて、寄(よ)りつけぬ様(やう)な御不機嫌(ごふきげん)だとて城下(ぜうか)で評判(ひやうばん)する程(ほど)でした、これをは城(しろ)の若(わか)いお女中(じよちう)の中(なか)で、城下(ぜうか)に小店(こみせ)を出(だ)してゐる妹(あね)が有(あつ)て、針(はり)、糸(いと)、駄菓子(だぐわし)を商(あきな)ふのに世間(せけん)の噂話(うわさばな)しを景物(けいぶつ)に添(そ)へるので、結構活計(けつこうくわつけい)が立(た)つといふ処(ところ)へ持(も)つて行(い)つて、御様子(ごようす)を伝(つた)へたからのことでした。
お城(しろ)の内幕(うちまく)や、百姓(ひやくせう)やの内情(ないぜう)や、城下(ぜうか)で何処(どこ)に何(なに)がある、誰(たれ)が何(なに)をしたの噂(うわさ)を此(この)おかみさんが知(し)らぬ程(ほど)の事(こと)ならば、別段話(べつだんはな)しにならぬのだと人(ひと)に思(おも)はれる位(くらゐ)、世間(せけん)が明(あか)るいのでした。
そしてお城(しろ)のことは尚(なほ)さら、自分(じぶん)の妹(いもと)が奥(おく)づとめの女中(ぢよちう)で、それが又給事(またさうじ)のタマスには別(べつ)して懇意(こんい)でしたから、何(なに)もかも承知(せうち)して居(お)つたのでした、帳場(てうば)の向(むか)ふに坐(すわ)つて居(ゐ)て、此(この)おかみさんの云(い)ひ升(ます)に、

ダツテ、マアお聞(きヽ)なさいよ、タマスどんがヂェーン(妹(いもと)の名(な))にぢかにそういひましたと、この頃御前(ごろごぜん)の癇癪(かんしやく)とどなり方(かた)は恐(おそ)れるつて、
そうしてツイ二日前(ふつかまへ)のこつてすと
どふでせう、マア、焼(やき)パンを載(の)せて有(あ)つた皿(さら)を、突然(いきなり)、タマスどんにぶつヽけたんですとさ、
デスケドネ、朋輩(ほうばい)は好(よ)し、他(ほか)のこつて填合(うめあは)せがついてるから好(い)い様(やう)なもんの、さもなければ直(すぐ)とお暇(いとま)をとるんだつていつたそうですよ。

教師(けうし)の耳(みヽ)へもこの話(はなし)が這入(はい)つたといふのは、どこへ行(い)つても侯爵(こうしやく)さま斗(ばか)りは噂(うわさ)の種(たね)で、茶呑話(ちやのみばな)しにはキツト噂(うわさ)が出(で)ないことはなかつたからでした。
第二(だいに)の理由(りゆう)といふのは近頃新(ちかごろあら)たに起(おこ)つたことで、未(いま)だに巷(ちまた)の風評(ふうへう)が八釜(やかま)しいといふ丈(だけ)に一層難渋(いつそうなんじう)な様(やう)でした。
先(ま)づ世間(せけん)にかくれもないといふことは、末息(まつそく)どのが米国婦人(ベイコクふじん)と結婚(けつこん)された時(とき)の老侯(ろうこう)の憤(いか)りと、カプテンを逆待(ぎやくたい)されたこと、続(つヾい)て、御一族(こいちぞく)の中(うち)で、たつた一人名望(ひとりめいぼう)の有(あ)つたといふ立派(りつぱ)で、威勢(ゐせい)の好(よ)かつた若人(わかうど)が、金(かね)もなく、勘当(かんどう)を受(う)けたまヽで、他郷(たけふ)の鬼(おに)となつて仕(し)まつたことで、それから其妻(そのつま)で有(あ)つたといふ罪(つみ)もない若(わか)い婦人(ふじん)をば、可愛(かあい)そうに老侯(ろうこう)のお憎(に)くみなさることは一通(ひととほ)りでなく、引(ひ)いて出来(でき)た子供(こども)までが憎(にく)く、対面(たいめん)は決(けつ)して許(ゆる)されぬ積(つもり)の所(ところ)が、長男(てうなん)、次男(じなん)が亡(な)くなつて、儲嗣(あとつぎ)になる可者(べきもの)を一人(ひとり)も残(のこ)さなかつたことも、孫息子(まごむすこ)をいよ\/迎(むか)へることになつて情愛(じやうあい)があるでも無(なけ)れば楽(たのし)んで待(ま)たるヽ訳(わけ)でもなく、米国生(ベイコクうま)れで有(あ)つて見(み)れば、定(さだ)めし下賎(げせん)で、不作法(ぶさほう)で、出過(です)ぎもので、大家(たいけ)の名折(なお)れになるに相違(そうゐ)ないと心(こヽろ)に諚(き)めて居(ゐ)られたことは誰一人知(たれつとりし)らぬものも有(あり)ませんかつた。
自慢(じまん)と憤怒(ふんき)で胸(むね)を燃(もや)した老貴人(らうきじん)は、心(こヽろ)の情(ぜう)は一切人(いつさいひと)に漏(も)れぬことと思(おも)はれて、自分(じぶん)の感(かん)じたことや、懸念(けねん)したことを敢(あへ)て推測(すゐそく)した人(ひと)があろうとか、況(ま)して噂(うはさ)にかける様(やう)なものがあるなどヽは少(すこ)しも思(おも)ひよられぬのでした。
然(しか)るに耳(みヽ)や眼(め)の俊(はや)い婢僕(めしつかひ)どもは御気色(ごけしき)を読(よ)み、御不機嫌(ごふきげん)、御鬱憂(ごうつゆう)の原因(げんいん)を察(さつ)し升(まし)て、其解釈(そのかいしやく)を下(した)へ下(さが)つては相伝(あいつた)へ、相弁(あいべん)ずるもので、下々(した\゛/)の奴原(やつばら)は充分遠(じうぶんとほ)ざけて、内情(ないぜう)を蔽(おほ)い尽(つく)したと安堵(あんど)して居(ゐ)られる時分(じぶん)に、タマスはヂヱーンやコツクや、パン焼(やき)や、給事中間(きうじなかま)にこの通(よほ)り自分(じぶん)の説(せつ)を述(の)べて居(お)り升(まし)た、

イヤ、おや玉(たま)は今日(けふ)は、余計八釜(よけいやか)しい様(やう)だぜ、こんだ来(く)るつていふ孫(まご)どのヽこと考(かん)げへてよ、
ナニあんまり外聞(げいぶん)の好(い)い方(ほう)じやあるめいつて心配(しんぱい)してるのさ、
ダガ、あたりめへだ、仕方(しかた)があるもんか、矢(や)つぱり、自分(じぶん)がわりいんだもの、
アメリカなんて、下司斗(げすばか)り生(うま)れる国(くに)で、不自由(ふじゆう)に育(そだ)つた者(もの)がナニ好(い)いものになろう、ナア?

そこで、モドント教師(けふし)が並木(なみき)の間(あひだ)を歩(あ)ゆみながら、考(かんが)へられると、此(この)いかゞな孫(まご)どのは丁度其前夜(てうどそのぜんや)、来着(らいちやく)になつた都合(つがう)でした、
して見(み)ると、十が九まで、老侯(らうこう)の気遣(きづか)ひ通(どほ)りであつたろうと推量(すゐりよう)して、さて訳(わけ)もしらぬ小息子(こむすこ)が老侯(らうこう)を失望(しつぼう)させたとすれば、十が十までも今ごろは煮(に)へかへるほど猛(たけ)り立(た)つて居(ゐ)られて、運(うん)わるく、一番(いちばん)に出逢(であ)つた人(ひと)が憤(いか)りの先(さき)に当(あた)るので其人(そのひと)は多分自分(たぶんじぶん)であらうと思(おも)ひ升(まし)た、
此通(このとほ)り故(ゆゑ)、タマスが書斎(しよさい)の戸(と)を開(あ)けるや否(いなや)、嬉(うれ)しそうな子供(こども)の笑(わら)ひ声(ごゑ)が響渡(ひヾきわた)るのを聞(きこ)いて驚(おど)ろかれたことでした。
イキセキした可愛(かあ)いヽ、さゑた声(こゑ)で、

ソラ、二(ふた)ツ外(ほづ)れ升(まし)たよ!
ネイ二(ふた)ツ外(ほづ)れでせう!

と叫(さけ)んで居升(ゐまし)た。
見(み)ればそこに侯爵(こうしやく)さまの椅子(いす)もあり足台(あしだい)も有(あ)つて痛処(いたみし▲)のあるおみ足(あし)はチアンとそこに載(の)つて居(お)り升(まし)た。
其外(そのほか)お側(そば)に少(ちい)さな卓(つくえ)が置(おい)て有(あ)つて、其上(そのうへ)に遊道具(あそびどうぐ)がのせて有(あつ)て、ズツトお側(そば)へすり寄(よ)つて、現(げん)に侯爵(こうしやく)の腕(うで)と健全(ぜうぶ)な方(ほう)のお膝(ひざ)に憑(もた)れて居(ゐ)るのは何(なに)か一心(いつしん)になつた処為(せい)か、眼(め)は踊(おど)り、顔(かほ)がポツト赤(あか)くなつた小息子(こむすこ)でした。
此見知(このみし)らぬ小息子(こむすこ)が、ソラニ(ふた)ツ外(はづ)れたでせう!こんどはあなたの方(ほう)が運(うん)がわるかつたんてすよ、」といつて、フト二人(ふたり)が同時(どうじ)に向(むこ)ふを見(み)ると、誰(たれ)か這入(はい)つて来(き)て居升(ゐまし)た。
侯爵(こうしやく)さまは例(れい)の癖(くせ)で、眉(まゆ)を顰(ひそ)めながら、あたりを見廻(みまわ)しましたが、這入(はい)つて来(き)た者(もの)が誰(たれ)と分(わか)つた時(とき)は武(たけ)しひお顔(かほ)が尚武(なほたけ)しくはならず、却(かへ)つて少(すこ)し和(やわ)らいだのを見(み)て、モドント氏(し)の不審(ふしん)はます\/晴(はれ)ませんかつた。
実(じつ)に侯爵(こうしやく)さまは此時計(このときばか)り、御自分(ごじぶん)の平常人(へいぜいひと)に対(たい)して不愛相(ふあいそう)なことと、お心(こヽろ)一ツでどの位人(くらゐひと)を困(こまら)しめられたといふことをお忘(わす)れなさつた様(やう)でした。
此時(このとき)お声(こゑ)こそ変(かわ)らね、多少打(たせううち)とけたかの様(やう)に握手(あくしゆ)の手(て)を伸(の)べて、

イヤ、モドントか、お早(はよ)う、
わしもこの通(とほ)りチト新(あた)らしい職掌(しよくしやう)を見付(みつけ)たのだ。

といひながら左(ひた)りの手(て)をセドリツクの肩(かた)に載(の)せ、少(すこ)しく前(まへ)へ進(すヽ)ませて、

アヽ、時(とき)にこれが今度(こんど)のフォントルロイだ、
フォントルロイ、領内(りようない)の牧師(ぼくし)を務(つと)めるモドント氏(し)だ。

と云(い)われる中(うち)に喜悦(よろこび)の情(ぜう)がお目(め)に現(あら)われて居(お)り升(まし)た、
定(さだ)めし世継(よつぎ)たる可(べ)き立派(りつぱ)な孫息子(まごむすこ)を紹介(せうかい)する心(こヽろ)の底(そこ)には充分高慢気(じうぶんこうまんぎ)が有(あ)つたことでせう、
フオントルロイは宣教師(せんけふし)の服(ふく)を着(つけ)た紳士(しんし)を見上(みあ)げて、手(て)を出(いだ)し、ホツブス氏(し)が新(あた)らしい花主(どくい)と挨拶(あいさつ)するロ誼(こうぎ)を一二度聞(いちにどきい)たことがあるのを思出(おもひだ)し、宣教師(せんけふし)には別(べつ)して慇懃(いんぎん)にせねば済(す)まぬものと覚悟(かくご)して、

あなた、始(はじ)めてお目(め)に掛(かヽ)り升(ます)、何分(なにぶん)よろしく

といひ升(ます)と、モドント氏(し)は我知(われし)らず、ホヽ笑(ゑ)みつヽセドリツクの顔(かほ)を眺(なが)めて、手(て)を握(にぎ)つたまヽ離(はな)し得(え)ずに居(お)り升(まし)た。
モドント氏(し)は見(み)ると直(す)ぐ、セドリツクに愛情(あいぜう)が起(おこ)り升(まし)た。
一体(いつたい)、誰(たれ)でもセドリツクを愛(あい)したといふのは、其美麗(そのきれい)なのと、風采(ふうさい)とに最(もつと)も感(かん)じたのではなく、此子息子(このこむすこ)の心(こヽろ)の中(なか)に湧(わき)き出(いづ)る泉(いづみ)の様(やう)な清素優愛(きよいゆうあい)があふれて妙(めう)に成人(おとな)びたことをいふ時(とき)でもそれが何(なん)となく、心(こヽろ)よく、信実(しんじつ)らしく聞(きこ)える故(から)でした。
教師(けふし)がセドリツクを眺(なが)めて居(ゐ)る内(うち)は侯爵(こうしやく)のことはさつぱり忘(わす)れて仕舞(しま)い升(まし)たが、実(じつ)に世(よ)の中(なか)に深切(しんせつ)な心(こヽろ)ほど強(つよ)いものはありません、
そうして其深切(そのしんせつ)のあつたのは誠(まこと)に小(ちい)さな子供(こども)の心(こヽろ)でしたが。此暗(このくら)い様(やう)な鬱陶敷様(うつとうしいやう)な広間(ひろま)の空気(くうき)を払(はら)つて、明(あか)るく爽快(そうかい)にする様(やう)でした。
教師(けうし)はフォントルロイに向(むか)つて

手前(てまい)こそフォントルロイ殿(どの)の眼通(めどほ)りをいたして、誠(まこと)に悦(よろこ)ばしう存(ぞん)じます、
大層長(たいそうなが)い旅(たび)をかけての御来着(ごらいちやく)で御座(ござ)り升(まし)たが、一同御安着(いちどうごあんちやく)を承(うけたまは)つて悦(よろこ)ぶことでご座(ざ)りませう。
エー、どふも中々長(なか\/なが)いでしたよ、だけど、かあさんが一処(いつしよ)でしたからネ、僕(ぼく)、淋(さび)しくなかつたんです、
誰(たれ)だつて自分(じぶん)のかあさんと一処(いつしよ)ならば、淋(さび)しくはないですはネ、
そうしてどうも船(ふね)が奇麗(きれい)でしたこと。

侯爵(こうしやく)は、

モドントマアかけるが好(い)い。

モドント氏(し)は腰(こし)かけて、フオントルロイ殿(どの)を見(み)、亦侯爵(またこうしやく)を見(み)て特(こと)に言葉(ことば)に力(ちから)を入(い)れ、

御前(ごぜん)、誠(まこと)におめで度(た)う存(ぞん)じ升(ます)。

といひ升(まし)たが、侯爵(こうしやく)は心(こヽろ)の情(ぜう)を人(ひと)に見(み)られるを厭(いと)ふものヽ様(やう)に態(わざ)と言葉(ことば)を粗暴(そぼう)にして、

イヤ、おやぢに似(に)て居(ゐ)るは、併(しか)し行状(げふぜう)は似(に)て呉(く)れねば好(い)いがと思(おも)ふのだ、
ソレハさて置(おい)て今朝(けさ)は何用(なによう)だ。
誰(たれ)が困(こま)つて居(ゐ)るといふ訳(わけ)だ、(以上、『女学雑誌』第二七六号)




小公子。   (丁)      若松しづ子

   第七回 

こふ聞(きい)て、モドント氏(し)は思(おも)つたより好都合(こうつごう)と悦(よるこ)びながら、しばしロ篭(くども)つて、

ヒツギンスの一條(でう)で御座(ござ)り升(ます)、
エツヂ、ファームのヒッギユスで御座(ござ)り升(ます)が昨年(さくねん)の秋(あき)は自身(じしん)に病(や)み、又候(またぞろ)、子供(こども)に熱病(ねつびやう)を患(わづら)はれ、不運(ふうん)が引続(ひきつヾ)いて、困難(こんなん)いたし居(お)り升、極(ご)く締(しま)りの好(よ)い方(ほう)とは申(もう)されませんが、不運(ふうん)の重(かさ)なつた為(ため)、万(よろ)づ、不手廻(ふてまは)りになつて、只今(たヾいま)の処(ところ)、何分家賃(なにぶんやちん)を納(をさ)め兼(か)ねて居(お)り升(ます)が、御差配(おさはい)のニユーウヰツクが早速納(さつそくをさ)めぬとならば、立退(たちの)く様(やう)に申聞(もうしき)け升(まし)たそうで御座(ござ)り升(ます)、
然(しか)るに、目今(もくこん)、同人妻(そうにんつま)も病気(びやうき)で、立退(とちの)くと申(もう)せば、家族(かそく)一同(どう)にとつて、容易(えうゐ)ならぬ難渋故(なんじゆえ)、何卒暫(なにとぞそば)らくの御猶予(ごゆうよ)を手前(てまへ)より御前(ごぜん)へ歎願(たんぐわん)する様(やう)に、申出升(もうしでまし)て御座(ござ)り升(ます)、暫時御猶予(ざんじごゆうよ)を願(なが)ひさへ致(いた)せば、又(また)どうにか、都合(つごう)の致(いた)し様(やう)も有(あ)る、と申(もうし)て居升(おります)る、

侯爵殿(こうしやくどの)ハ、はやお顔(かほ)の色(いろ)を変(か)へて、

フン、みんな同(おな)じ様(やう)なことを云(い)ひ立(た)てヽ居(お)るな、

フオントルロイは少(すこ)し前(まい)へ進(すヽ)み升(まし)て、始(はじめ)よりお祖父様(じいさま)と客人(きやく)との間(あひだ)に立(た)つて居(お)つて、一処懸命(しよけんめい)に耳(みヽ)を傾(かたお)けて居(お)り升(まし)たが、直(づ)ぐヒツギンスのことが気(き)になり出(だ)しました。
子供(こども)は幾人(いくにん)あるのだろう、そうして熱病(ねつびやう)のあとは大層弱(たいそうよわ)つて居(お)るのか知(し)らと思(おも)ひ、モドント氏(し)の段々(だん\/)との話(はな)しに一層身(しほみ)が這入(はい)つて、大(おほ)きく開(あ)けた眼(め)を離(はな)さず、モドント氏(し)を見(み)て居升(ゐまし)た。
教師(けうし)は又(また)も一際願(ひときわねがひ)を強(つよ)めやうとして、

ヒツギンスは正直(しやうぢき)な人物(じんぶつ)です、

御前(ごぜん)は、

随分厄介(ずゐぶんやくかい)な店子(たなこ)らしいナ、いつも不手廻(ふてまは)りに斗(ばか)りなる様(やう)にニユーウヰツクが申(もうし)て居(お)つた、

教師(けうし)は又(また)、

何様今(なんいさまいま)の処(ところ)、非常(ひじやう)に難渋(なんじう)いたして居(お)り升(ます)、
殊(こと)に同人(どうにん)も妻子(さいし)をひどく不憫(ふびん)に思(おも)ふ様子(やうす)で御座(ござ)り升(ます)、
田地(でんぢ)をお取(と)り上(あ)げになると致(いた)せば、明日(みやうにち)よりも饑喝(きかつ)に迫(せま)る場合(ばあひ)で、増(ま)して熱病後衰弱(ねつびやうごすゐじやく)いたし居(お)る二人(ふたり)の子供(こども)に、医師(いし)の命(めい)じられた滋養物(じやうぶつ)などは、思(おひ)ひもよらぬことで御座(ござ)りませう、

こふ聞(き)いて、フォントルロイは一足前(ひとあしまい)へ進(すヽ)み升(まし)た。
そうして突然(とつぜん)、

ミケルも丁度其通(てうどそのとほ)りなんでしたよ、

此時(このとき)、侯爵(こうしやく)どの、ビツクリされ升(まし)た、

ナンダ、貴様(きさま)が居(ゐ)たのだつけ、おれは慈善家(じぜんか)のこヽに居(ゐ)るのはサツパリ忘(わす)れて居(ゐ)た、
其(その)ミケルといふのは誰(たれ)のことだ?

と仰(おつしや)つた老侯(ろうこう)の凹(くぼ)んだ目(め)に、是(これ)も一興(いつきよう)といふ様(やう)な一種特別(いつしゆとくべつ)な思(おも)わくが現(あら)われ升(まし)た、
フォントルロイは答(こた)へて、

ミケルといふのはブリヂェツトの亭主(ていしゆ)で、熱病(ねつびやう)をわづらつた人(ひと)なんです、
それで家賃(やちん)も払(はら)へず、葡萄酒(ぶとうしゆ)だの色(いろ)んな物(もの)が買(か)へなかつたんです、
ダカラ、お祖父(じい)さまが僕(ぼく)に助(たす)けて遣(や)るお金(かね)を下(くだ)さつたんじや有(あり)ませんか、?

老侯(らうこう)は異様(いやう)な八の字(じ)を額(ひたひ)におよせなさい升(まし)たが、一向(こう)こわらしい八の字(じ)では有(あ)りませんかつた、
そしてモドント氏(し)に向(むか)つて、眼(め)を放(はな)ち

どふだろう、こふいふのはどんな地主(ぢぬし)になるかな、
実(じつ)はこれの欲(ほ)しがる物(もの)はなんでも遣(つか)わす様(やう)にハヴイシヤムに申付(もうしつ)けて遣(や)つたのだ、
スルト、ねだつた物(もの)が乞丐(こじき)にやるといふ銭(ぜに)ださうだ、アツハヽ

フォントルロイは熱心(ねつしん)に、

アレ、乞丐(こじき)じや有(あり)ませんよ、
ミケルは立派(りつぱ)な煉瓦職人(れんぐわしよくにん)でしたよ、
それから、其他(そのた)の人(ひと)もみんなかせぎましたもの、

侯爵(かうしやく)は、これはしくぢつたといふ調子(てうし)で、

其通(そのとほ)りだつたな、
そんな立派(りつぱ)な瓦職人(かわらしよくにん)だの、靴磨(くつみがき)だの、林檎(りんご)やだのだつたな、

そふ仰(おつしや)つて、暫(しば)らくフオントルロイを見詰(みつ)めて居(を)られ升(まし)たが、フト新(あた)らしい考(かんがへ)が心(こヽろ)に浮(うか)び升(まし)た。
其考(そのかんがへ)が極(ご)く高尚(こうしやう)な情(じやう)から起(おこ)つたとは確言出来(かくごんでき)ませんが、悪(わ)るい考(かんが)へでは有(あり)ませんかつた。
間(ま)もなくフイト、

こつちへ来(こ)い、

と仰(おつしや)つたのを聞(き)いて、フォントルロイは進(すヽ)んで間近(まぢか)く差寄(さしよ)り、わるいおみ足丈(あしだけ)には触(ふ)れない様あ8やう)にして居升(をりまし)た。
御前(ごぜん)は改(あらた)めて

こふいふ時(とき)に貴様(きさま)ならどうする?

この時(とき)モドント氏(し)は心(こヽろ)の中(うち)に妙(みやう)な感覚(かんかく)を起(おこ)し升(まし)た。
元来(ぐわんらい)、極(ご)く考(かんが)への深(ふか)い方(ほう)で、富(と)めるも貧(まず)しきも、正直(しやうぢき)で、勤勉(きんべん)なるも、不正(ふせい)で、怠惰(たいだ)なるも、領内(りやうない)の小民(ぢやうみん)を知(し)り悉(つく)して居(を)り升(まし)たから、今彼(いまか)の茶勝(ちやかち)な眼(まなこ)を大(おほ)きく見張(みは)り、両手(りやうて)を深(ふか)くポツケツトへ入(い)れた何気(なにげ)ない小息(こむすこ)が未来(みらい)には善(いヽ)にも悪(わるい)にも何(いづ)れにも振(ふる)ふ可(べ)き大権(たいけん)を握(にぎ)るのだと始(はじ)めて心(こヽろ)に判然悟(はんぜんさと)り、さて、傲慢(ごうまん)、放逸(ほういつ)な老人(ろうにん)の一時(じ)の娯楽(なくさみ)の為(ため)に今(いま)から心(こヽろ)のまヽを働(はたら)く自由(じゆう)を与(あた)へられて、万一其子供(ばんいちそのこども)が質朴(しつぼく)、慈善的(じぜんてき)な質(たち)でなければ、啻(たヾ)に小民共(そやうみんども)の為已(ためのみ)ならす、自分(じぶん)の為(ため)にどの位(くらい)の憂(うれひ)を来(き)たすか知(し)れぬと考(かんが)へ付(つ)き升(まし)た。
侯爵(こうしやく)は又(また)も言葉(ことば)を推(お)して、

どふだ、貴様(きさま)なら、こふいふ時(とき)にはどうする?

といはれて、フォントルロイは少(すこ)し差寄(さしよ)り、極(ご)く中(なか)の好(い)い友(とも)だちにでもしそうに、御手(おて)を侯爵(かうしやく)の膝(ひざ)の上(うへ)へのせ、誠(まこと)に心置(こヽろおき)のない調子(てうし)で、

僕(ぼく)は少(ちい)さくつて、何(な)にも出来(でき)ないから仕方(しかた)がないけれど、大変(たいへん)お金持(かねもち)ならば、追出(おひだ)さずに、貸(かし)といて遣(やつ)て、それから、子供(こども)にいろんな物遣(ものや)り升(まし)う、
だけど、僕(ぼく)、まだ少(ちい)さいからしやうがないは、

といつて、一寸口(ちよつとくち)を閉(と)ぢると思(おも)ふと、急(きう)に顔(かほ)がさえ\゛/して、

ダケド、お祖父(ぢい)さんは何(なん)でも出来(でき)るですネイ、

といひ升(ます)と、御前(ごぜん)は其顔(そのかほ)をヂツト見詰(みつ)めて、

ムー、貴様(きさま)はそう思(おも)つてゐるのか?

と仰(おつしや)つて、少(すこ)しも御不機嫌(ごふきげん)の様(やう)では有(あり)ませんかつた。
フォントルロイは、

僕(ぼく)ネー、お祖父(ぢい)さんが誰(だれ)にでも何(なん)でも好(すき)なもの遣(や)れるつていふ積(つもり)なんですよ、
ニユーウィツクつて誰(たれ)です?

侯爵様(こうしやくさま)は答(こた)へて、

それは差配人(さはいにん)の名(な)だ、小作人(こさくにん)には嫌(いや)がられる奴(やつ)だ、

お祖父(ぢい)さん、今(いま)ニユーウィツクに手紙(てがみ)をお書(かき)なさるの?、
僕(ぼく)、筆(ふで)や墨持(すみも)つて来(き)ませうか、そうすれば、此卓(このつくへ)の上(うへ)のおもちや、とつちまい升(ます)わ。

そふいふ処(ところ)を聞(き)くと、人(ひと)に嫌(いやが)られる様(やう)なニユーウヰクが手(て)ひどい事(こと)をするまヽに侯爵(こうしやく)が捨(す)て置(おか)れるとは一寸(ちよつと)も考(かんが)へなかつた様子(やうし)でした、
侯爵(こうしやく)はまだヂツト顔(かほ)を見詰(みつめ)ながら、少(すこ)し躊躇(ちうちよ)し、

貴様(きさま)は手紙(てがみ)がかけるか?

エー、書(か)けるけど、よくは出来(でき)ないんです、

それでは、卓(つくへ)の上(うへ)の物(もの)を退(の)けて、おれの机(つくへ)から筆(ふで)と墨(すみ)と紙(かみ)を一枚持(いちまいも)つて来(こ)い、

と命(めい)じられるのを聞(き)いて、モドント氏(し)は只管(ひたすら)、注意(ちうゐ)して居(を)り升(ます)と、フォントルロイは手早(てはや)く、云(い)ひつけられたことを致(いた)して、暫時(ざんじ)の間(あいだ)に、紙(かみ)と大(おほ)きな墨(すみ)つぼと筆(ふで)の用意(ようゐ)が出来(でき)ました。
フォントルロイは嬉(うれ)しそうに、

サア、お書(かき)なさい、

といひ升と、侯爵(こうしやく)さまは、

ナンダ、貴様(きさま)が書(かく)んだ、

フォントルロイの額(ひたい)は急(きう)に紅色(べにいろ)になり、驚(おどろ)いた様(やう)な声(こゑ)をたてヽ、

僕(ぼく)、書(かく)んですか?
僕(ぼく)が書(かい)たんでも間(ま)に合(あ)うんですか?
僕(ぼく)、字引(じびき)がなくつて、誰(たれ)にも聞(きか)なければ、綴字(つヾり)が好(よ)く出来(でき)ないんですもの、

侯爵(こうしやく)は、

間(ま)に合(あ)ふとも、ヒツギンスは綴字(つヾり)が悪(わ)るいつて、苦情(くじやう)はいふまへ、
全体(ぜんたい)おれが慈善家(じぜんか)なのではない、貴様(きさま)なのだから、
マア筆(ふで)に墨(すみ)をつけろ、

フォントルロイは筆(ふで)をとり、インキつぼに入(い)れ、居住(ゐずま)ひを直(なほ)して卓(つくへ)に寄(よ)り、

サア、なんと書(か)くんです?

侯爵(こうしやく)は、

「当分(とうぶん)、ヒツギンスを其(その)まヽ差置(さしを)く可(べ)し」、と書(か)いて、下(した)へフォントルロイと記(し)るすが好(よ)い、

フォントルロイは又筆(またふで)を墨壷(すみつぼ)へ入(い)れて、尚居住(なほゐずまい)を直(なほ)して書始(かきはじ)め升(まし)た。
さて中々丹精(なか\/たんせい)なのろい仕事(しごと)でしたが、一心(しん)になつて、掛(かヽ)りましたから、暫(しば)らくすると、書付(かきつけ)が出来上(できあが)り升(まし)て、ニツコリ笑(わら)ふ中(うち)に、聊(いさヽ)か気遣(きずか)ひな様子(やうす)を雑(まじ)へて、お祖父様(ぢいさま)にそれを渡(わた)し升(まし)た、そうして

どふでせうか、それで好(い)いでせうか?

といひ升(ます)と、侯爵(こうしやく)は受(うけ)とつて、書付(かきつけ)を見(み)、お口(くち)の周囲(まわり)が少(そこ)し斗(ばか)り妙(みやう)にモヂ\/する様(よう)でした、

好(よ)し、ヒツギンスは大満足(だいまんぞく)に違(ちが)ひない、

と仰(おつしや)つて、其(その)まヽ、モドント氏(し)にお渡(わた)しになり升(まし)た、
モドント氏(し)が書(かい)たのを見(みる)と、宛名(あてな)のニユーウヰツク、又ヒツギンス其他(そのた)の綴(つヾ)りが妙(みやう)に間違(まちが)つて居(い)て、ミストルのmが少(ちい)さい字(じ)で書(か)いて有(あ)つた外(ほか)に、「差置(さしを)く可(べ)し」の上(うへ)に「何卒(なにとぞ)」といふ意(い)(そ)が添(そ)へて有(あ)り升(まし)た、
そうして終(おはり)に、「フォントルロイ、敬白(けいはく)」と記(しる)して有(あ)り升(まし)た。

アノ、ホツブスおぢさんが始終(しじゆう)、手紙(たがみ)の下(した)へそう書(か)き\/し升た、よ
それから、お祖父(ぢい)さんはそう仰(おつしや)らないけれど、「何卒(なにとぞ)」つて書(か)く方(ほう)が好(い)いかと思(おも)つたんです、
「差置(さしお)く可(べ)し」と書(か)くのはそれで好(い)いんですか?

侯爵(こうしやく)は、

字引(じびき)に有(あ)るのとは、チツト、違(ちが)ふ様(よう)だナ

僕(ぼく)もそうか知(し)らと思(おも)つて心配(しんぱい)したんですよ、
僕聞(ぼくき)けば好(よ)かつた、
何(な)んでも六ケ敷字(しいじ)は字引(じびき)で見(み)なくつちや、そうすれば大丈夫(だいじやうぶ)ですネ、
僕(ぼく)、も一度書直(どかきなほ)しませう、

といつて、こんどは、注意(ちうい)して、一々侯爵様(こうしやくさま)に綴字法(せつじほう)を質問(しつもん)しながら、中々立派(なか\/りつぱ)な写(うつ)しを拵(こし)らへて、こふいひました、

どふも綴字(せうじ)つて変(へん)なもんですネ、考(かんが)へて見(み)てこうかしらと思(おも)ふのと大変違(たいへんちが)うんですもの、
僕(ぼく)pleaseと書(かく)のはp-l-e-e-sと綴(つヾる)るのかと思(おもつ)てたら、そうじやないんですものネ、
それからdearは聞(きい)て見(み)ない中(うち)はd-e-r-e かと思(おも)へ升(ます)わネ、
僕(ぼく)、時(とき)々厭(いや)になつちまうんです。(以上、『女学雑誌』第二七七号)




小公子。         若松しづ子

   第七回 (戊)


さてモドント氏(し)が暇(いとま)を告(つ)げて帰(かへ)り升時(ますとき)に其手紙(そのてがみ)を持(も)つて行(ゆ)き升(まし)たが、まだ外(ほか)に家(いへ)へ土産(みやげ)に持(も)ち帰(かへ)つた物(もの)が有升(ありまし)た。
何(なに)かとなれば、是(これ)までドリンコート城(ぜう)へ推参(すゐさん)して、帰途(きと)、彼(か)の並木道(なみきみち)を通(と)ふる時分(じじん)に、曽(か)つて心(こヽろ)に味(あじわ)つたことのなひ愉快(ゆくわい)と、希望(きぼう)とでした。
フォントルロイは戸口(こぐち)まで教師(けうし)を見送(みおく)つてから、お親父様(ぢいさま)のお側(そば)へ帰(かへ)り、

サア、これから、かあさんの処(ところ)へ行(い)つても好(い)いですか?
かあさん、僕(ぼく)の来(く)るの、待(ま)つてるだろうと思(おも)ふんですから、

といひ升(ます)と、侯爵様(こうしやくさま)は、暫(しば)らく黙(だま)つて入(いら)つしやい升(まし)た、そして、

其前(そのまへ)に貴様(きさま)が見度(みたい)だろうと思(おも)ふ物(もの)が厩(うまや)にあるが、どふだ?
呼鈴(よびりん)を引(ひ)かうか?

フォントルロイは、急(きう)にポツト顔(かほ)を赤(あか)くし、

お親父(ぢい)さん、誠(まこと)に有(あり)がたう、
ダケド、僕(ばく)、それは、明日見(あしたみ)た方(ほう)が好(いヽ)ですよ、
かあさん、僕(ぼく)が来(く)るか\/と思(おも)つて、待(ま)つてるんですもの、

そふか、そんなら好(い)い、馬車(ばしや)を云(い)ひ付(つけ)よう、

と仰(おつしや)つてから、又暫(またしば)らくして、無雑作(むざうさ)な調子(てうし)で、

ナニ、小馬(こうま)が居(ゐ)るんだ、

フォントルロイは長(なが)い息(いき)をつき、声(こゑ)をたてヽ

小馬(こうま)!
誰(たれ)の小馬(こうま)なんです?

貴様(きさま)のだ、

アレ、僕(ぼく)の?
二階(にかい)の色(いろ)んな物(もの)とおんなじに僕(ぼく)んですか?

そうさ、貴様(きさま)、見度(みたい)か、
見度(みた)ければ、こヽへ引出(ひきだ)させようか?

フォントルロイの双(さう)の頬(ほう)はます\/赤(あか)くなり升(まし)た、

僕(ぼく)、小馬(こうま)なんか持(もた)ふと思(おも)ひませんかつたよ!
チツトモ、そんなこと、思(おも)はなかつたんです、
かあさん、どんなに、嬉(うれ)しがるか知(し)れませんよ、
お祖父(ぢい)さん、僕(ぼく)になんでも下(くだ)さるのネ

侯爵(こうしやく)は、また

貴様(きさま)、見度(みたい)か?

フォントルロイは又長(またなが)い息(いき)をつき、

僕(ぼく)、見度(みたい)なんて、僕(ぼく)、見度(みた)くつてしようがないけれど、暇(ひま)がないかも、知(し)れないんですもの、

貴様(きさま)、どふしても、お袋(ふくろ)の処(ところ)へ、けふ行(い)つて、逢(あ)はなければならんと云(い)ふのか?
貴様(きさま)、延(の)ばす様(やう)には行(ゆか)ないのか?

エー、だつて、かあさんもけさつから、僕(ぼく)のこと考(かんが)へてたんですし、僕(ぼく)も、かあさんのこと、考(かんが)へたんですもの!

ハヽア、そういふ訳(わけ)か、そんならば、呼鈴(よびりん)を鳴(なら)せ、

さて、同車(とうしや)で並木道(なみきみち)の、蔽(をヽ)ひかヽつた木々(きヾ)の間(あひだ)を通(とほ)る間(あひだ)、老侯(ろうこう)は沈黙(ちんもく)でしたが、フォントルロイは中(なか)\/そうでは有(あり)ませんかつた、
其小馬(そのこうま)の話(はなし)を頻(しきり)にして居(ゐ)ました、
どんな色(いろ)で、どの位大(くらゐおほ)きいといふこと、其名(そのな)はなんといつて、何(なに)が一番好(いちばんすき)といふこと、今(いま)いくつだといふこと、あしたの朝(あさ)、何時(なんじ)に起(おき)たら、見(み)られるといふことなどを尋(たづ)ね升(まし)た、
話(はな)しの合間(あひま)\/には「かあさん、どんなに嬉(うれ)しがり升(ます)か」と頻(しき)りに云(い)つて居升(ゐまし)た、
それから又(また)、

かあさん、お祖父(ぢい)さんがそんなに僕(ぼく)に深切(しんせつ)にして下(くだ)さるの、どんなに有(あり)がたがり升(ます)か、
僕小馬(ぼくこうま)が大好(だいすき)なの、かあさん、よく知(し)つてるけれど、僕(ぼく)だつて、かあさんだつて、僕(ぼく)が小馬持(こうまも)つだらうなんて、チツトモ思(おも)はなかつたんです、
アノ、五町目(ごてうめ)に小馬(こうま)を持(も)つてた子(こ)が有(あ)つたんです、
そうして毎朝乗(まいあさの)つては歩(ある)いて居(ゐ)たんです、
それから、いつか、かあさんと僕(ぼく)、其人(そのひと)の家(いへ)を通(とほ)つて、居(ゐ)るか知(し)らと思(おも)つて、見(み)て見(み)たんです、

それから、布団(ふとん)へよりかヽつて、頻(しきり)に老侯(ろうこう)のお顔(かほ)を見守(みまも)つて、暫(しば)らく、だまつ居升(おりまし)た、軈(やが)て、大層子細(たいそうしさい)らしく、

僕(ぼく)、お祖父(ぢい)さんの様(やう)な人(ひと)、どこにだつてないと思(おも)ふんです、
ダツテ、いつでも好(い)いこと斗(ばか)りして入(いら)つしやるんだもの、
そうして、他(ほか)の人(ひと)のこと考(かんが)へて入(いら)つしやるんだもの、
かあさんが度々(たび\/)そういひ升(まし)たよ、自分(じぶん)のこと、考(かんが)へないで、人(ひと)のこと、考(かんが)へるのが一番好(いちばんい)いこつたつていひ升(まし)たよ、
デ、お祖父(ぢい)さんが丁度(てうど)そんな人(ひと)だと、僕思(ぼくおも)ひますよ。

御前(ごぜん)は大層結構(たいそうけつかう)らしい人物(じんぶつ)に画(えが)き出(いだ)されたので、流石(さすが)に、気臆(きおく)れがして、何(なん)といふ言葉(ことば)も有(あり)ませんで、先(まづ)、少(すこ)し考(かんが)へてから返答(へんとう)をしようと思(おも)つて居(お)られ升(まし)た、
幼心(おさなごヽろ)の淡純(たんじゆん)な一ツで、自分(じぶん)の卑劣(ひれつ)、勝手(かつて)な目算(もくさん)を一々(いち\/)、善良(ぜんりやう)、優愛的(ゆうあいてき)な趣意(しゆい)に推(すい)し違(ちが)へられるのは亦(また)、一種特別(いつしゆとくべつ)な経験(けいけん)でした。
フォントルロイは賞嘆(せうたん)の眼(め)‥‥‥いかにも、パツチリした、涼(すヾ)しそうな、あどけない眼(め)を離(はな)さずに又(また)いひ升(まし)た、

お祖父(ぢい)さんは、どふも人(ぴと)を幾人(いくたり)も悦(よろ)こばせたこと、ソラネ、勘定(かんぜう)して見升(みます)よ、
ミケルとブリヂェツトと十人(じゆうにん)の子供(こども)でせうネ
それから、林檎(りんご)やのおばあさんと、ヂツクと、ホツブスさんとヒツギンスさんと、ビギンスのおかみさんと、モドントさん、モドントさんだつて嬉(うれ)しがつたに諚(きま)つて升(ます)からネ、
それから馬だのなんだの、いろんなことで僕(ぼく)とかあさんでせう、
ソラ、僕(ぼく)、今(いま)、だまつて指(ゆび)で勘定(かんぜう)して見(み)たら、お祖父(ぢい)さんの親切(しんせつ)した人(ひと)、丁度(てうど)、二十七人有升(にじうしちにんあります)よ、
大変(たいへん)じや有(あり)ませんか、
丁度二十七人(にじうしちにん)です、

ハヽア、それじや、己(をれ)が皆(みん)なに深切(しんせつ)にしたといふ訳(わけ)なのか?

エー、そうですとも、お祖父(ぢい)さんがみんなを悦(よろ)こばせたんです、

こふいつて、少(すこ)し遠慮気味(ゑんりよぎみ)に控(ひか)へて、

アノ、お祖父(ぢい)さん、知(し)つて升(ます)か、
人(ひと)が侯爵(こうしやく)のこと、知(し)らないと、時々間違(とき\/まちが)つて升(ます)よ、
ホツブスさんも、そうでしたよ、
僕(ぼく)、手紙(てがみ)を遣(や)つて、よふく、話(はな)して遣(や)ろうと思(おも)つたんです。

ブツブスさんは侯爵(こうしやく)のことをどんなに考(かんが)へてたんだ?

アノネ、こういふ訳(わけ)なんです、
ホツブスさんは侯爵(こうしやく)なんか、一人(ひとり)も知(しら)ないで、たゞ本(ほん)で斗(ばか)り、読(よ)んでたんでせう、そうしてこふ思(おもつ)てたんです、
‥‥‥お祖父(ぢい)さん、気(き)に掛(かけ)ちやいけませんよ、
アノ、血(ち)まみれな圧制家(あつせいか)だと思(おもつ)てたんです、
だから、自分(じぶん)のお店(みせ)へなんか足踏(あしぶみ)もさせないなんて、いつたんです、
それだけど、お祖父(ぢい)さん知(し)つてたら、丸(まる)で、違(ちが)つた考(かんが)へになるに諚(きま)つて升(ます)よ、
だから、僕(ぼく)、あなたのこと話(はな)して遣(や)るんです、

何(な)んていつて、話(はな)すんだ?

フォントルロイは一心(いつしん)になり、

なんていふつて、僕(ぼく)、あなたの様(よう)な、深切(しんせつ)な人(ひと)、聞(きい)たことがないつて、そうして、いつでも他(ほか)の人(ひと)のこと斗(ばか)り考(かんが)へて居(ゐ)て、悦(よろ)こばせて斗入(ばかりいら)つしやるつて話(はなし)し升(ます)わ、
それからアノ、僕(ぼく)、大(おヽ)きくなつたら、丁度(てうど)、お祖父(ぢい)さんの様(やう)になり度(たい)つていひ升わ。

御前(ごぜん)はさえ\゛/した其顔(そのかほ)を見詰(みつ)めて、

ナニ、丁度(てうど)おれの様(やう)になり度(たい)といふのか?

と仰(おつしや)つて、流石(さすが)にかしけたお顔(かほ)の面(おもて)にそれとも分(わ)かぬほどボンヤリと赤(あか)みがさし升(まし)た、そして俄(にわ)かに眼(め)を外向(そむ)けて、馬車窓(ばしやまど)から外面(そとも)をお眺(ながめ)なさい升(まし)たが、大(おヽ)きな山毛欅(ぶな)の樹(き)の艶(つや)\/した茶色(ちやいろ)の葉(は)は、日影(ひかげ)に輝(て)り渡(わた)つて居(お)り升(まし)た。
フォントルロイは恥(はづか)かしそうに、

エー、丁(てう)ツ度(ど)、あなたの様(やう)になり度(たい)んです、

と云(い)つて、亦跡(またあと)から、

そうなれヽばです、
僕(ぼく)、そんなに好(い)い人(ひと)になれるかどふだか知(し)れないけれど、マア遺(や)つて見(み)るんです、

さて馬車(ばしや)は木々(きヾ)の緑(みどり)が影(かげ)をなす合間(あいま)\/に、黄金(わうごん)の光(ひかり)を漏(もら)してゐる壮厳(そうげん)なる並木道(なみきみち)を轟(とヾろき)つヽ、進行致(しんかういた)し升(まし)た、
フォントルロイはしだが生繁(おひしげ)り、桔梗(きヽやう)の微風(そよかぜ)に招(まねかれ)て、なびきなびいてゐる、美(うつく)しい気色(けしき)や、草深(くさぶか)い処(ところ)に立(たつ)たり、寝(ね)たりしてゐて、馬車(ばしや)の音(おと)に驚(おどろ)かされ大(おヽき)なビツクリした眼(め)をこちらへ向(むけ)る鹿(しか)の群(むれ)や、茶色(ちやいろ)の兎(うさぎ)が跳(は)ね通(とほ)るのを見(み)たことは前日(ぜんじつ)の通(とほ)りでした、
又野鶏(またきぢ)の羽(はね)や、小鳥(ことり)が囀(さえづ)り、呼(よ)び合(あ)ふ声(こゑ)を聞(きい)て、何(なに)も彼(か)も、前日(ぜんじつ)よりは一入見事(ひとしほみごと)の様(やう)におもひ、四方(よも)の美(び)に囲(かこ)まれてゐる心(こヽろ)に、得(え)も云(い)われぬ愉快(ゆくわい)が満(み)ち\/て居(お)りました、
老侯(ろうこう)も亦同(またおな)じ様(やう)に目(め)には外面(そとも)を眺(なが)めて居(お)られながら、見聞(みきヽ)なされた物斗(ものばかり)は是(これ)とは丸(まる)で違(ちが)つて居(お)り升(まし)た、
此時老侯(このときろうこう)の眼(め)の前(まへ)に、何(なに)か外事(よそごと)の様(やう)に段々(だん\/)と見(み)えたものは慈善(じひ)らしき業(わざ)も、深切(しんせつ)めいた思遺(おもひや)りも、皆無(かいむ)の長(なが)ひ生涯(せうがい)でした、
元来(ぐわんらい)、春秋(しゆんじゆう)に冨(と)み、健康(けんこう)で、財産(ざいさん)にも権力(けんりよく)にも不足(ふそく)のなかつた者(もの)が、日(ひ)を過(す)ごし、年(とし)を経(ふ)るに随(した)がつて、たゞ\/己(おの)れ一人(ひとり)を楽(たの)しませ、年月(ひま)をつぶそふが為(ため)に、雄壮(ゆうさう)な精神(せいしん)も、富(とみ)しも権力(ちから)も悉(こと\゛/)く消費(ついや)し尽(つく)して、さて、其果(そのはて)に春秋(しゆんじゆう)は行(ゆき)て再(ふたヽ)び呼戻(よびもど)す術(すべ)なく、老衰(らうすゐ)の襲(おそ)ひ来(く)る時分(じぶん)に、有余(ありあま)る宝(たから)の中(なか)に坐(すは)りながら、シヨンボリ、真(まこと)の朋友一人(ともひとり)なく、自分(じぶん)を嫌(きら)ひ、恐(おそ)るヽもの、或は追従(ついしゆう)し、諂(へつら)ふ者(もの)は有(あり)ながら、自分(じぶん)の損得(そんとく)に係(かヽ)わらぬ限(かぎ)り、此老人(このろうじん)が生存(いきなが)らへようと、死(し)なふと意(ゐ)に介(かい)するものが一人(ひとり)もない、哀(あわ)れな境界(けんがい)を廻想(おも)われ升(まし)た。
老侯(ろうこう)は現在(げんざい)、遥(はる)かに、眼(め)も及(およ)ばぬ田畑(たはた)は、御目身(ごじしん)の処有(しよゆう)で、面積(めんせき)はどの位(くらゐ)、価値(あたひ)にして、どの位(くらひ)、又是(またこれ)によつて、生活8せいくわつ)を立(た)てヽ居(ゐ)る小民(せうみん)どもの数(かず)は、どの位(くらゐ)といふことなどまだフォントルロイが知(し)らぬことまでも、此時思廻(このときおひま)はして居(お)られました。
それに加(くわ)へて、またフォントルロイの知(し)らぬことで、此時(このとき)、老侯(ろうこう)の心(こヽろ)に浮(うか)んだことは、さしも広(ひろ)い領地(りようち)に棲活(せいくわつ)して居(ゐ)る小民(せうみん)どもの中(うち)で、上(かみ)も下(しも)も、推(おし)なべて、老人(ろうじん)の財産(ざいさん)や、門閥(もんばつ)や、権力(けんりよく)を貪(むさぼ)つて、出来(でき)れば、甘(あまん)じて、自分等(じぶんら)のものにしよふと思者(おもうもの)こそあれ、此純潔(このじゆんけつ)な小供(こども)に做(なら)つて、仮(かり)にも、殿様(とのさま)を善良(ぜんりよう)な人(ひと)とか、その性質(せいしつ)に似度(にたい)などヽ思(おも)ふものは一人(ひとり)もないといふことでした。
さてまた、七十年(しちじゆうねん)の久(ひさ)しい年月(としつき)の間(あひだ)、己(おのれ)を以(も)つて足(た)れりとして、自分(じぶん)の安逸(あんいつ)か、さなくば、娯楽(たのしみ)に関係(くわんけい)せぬこととては、世間(せけん)の人(ひと)が自分(じぶん)を何(なん)と思(おも)わふと、一向(いつかう)に頓着(とんちやく)せぬ厭世的(えんせいてき)な、世(よ)なれた老人(ろうじん)でも、こふ考(かんが)へては、流石(さすが)に心地(こヽち)の好(よ)い事(こと)は有(あり)ませんかつた。
全体(ぜんたい)、こふいふことは一切考(いつさいかんが)へ起(おこ)さぬ様(やう)に、かまへて居(お)られたのでしたが、一人(ひとり)の幼(おさ)ない子供(こども)が、自分(じぶん)を善良(ぜんりよう)な人(ひと)と信(しん)じて、其足跡(そのあしあと)を踏(ふ)み行(おこな)ひ、其手本(そのてほん)に習(なら)わふと云(い)つたに付(つ)いて、実際(じつさい)、自分(じぶん)、人(ひと)の手本(てほん)になるに適当(てきとう)で有(あ)ろうかといふ、チト新奇(めづら)しそうな疑問(ぎもん)を、心に呼起(よびおこ)されたのでした。
フォントルロイは老侯(ろうこう)が園(その)を眺(なが)めながら、眉(まゆ)を頻(しき)りに顰(ひそ)め玉(たま)ふのを見(み)て、さては、おみ足(あし)の痛(いた)むことだろうと心得(こヽろえ)、幼稚(おさなご)にしては、珍(めづ)らしいほどの斟酎(しんしやく)をして、なる丈(たけ)、邪魔(じやま)にならぬ様(やう)に、沈黙(ちんもく)に、外(そと)の気色(けしき)を楽(たの)しんで居(お)り升(まし)た。
そうこふする中(うち)に、馬車(ばしや)は門(もん)を過(す)ぎ、暫(しばら)く、緑(みどり)の生垣(いきがき)の間(あいだ)を鳴渡(なりわた)らせてから、軈(やか)て止(とま)りました。
即(すなは)ちコート、ロツヂに着(ちやく)したので、丈(たけ)の高(たか)い給事(きうじ)が馬車(ばしや)の戸(と)を開(あ)ける間(ま)も有(あ)らせず、下(した)へ飛(と)び下(お)りました。
老侯(ろうこう)は急(きう)に追想(ついそう)の夢(ゆめ)を破(やぶ)られてビツクリし、

ナニ、もふ来(き)たのか?

エー、サーお祖父(ぢい)さんの杖(つゑ)をあげますよ、
お下(お)りなさる時僕(ときぼく)にズツト寄(よ)つかヽつて入(いら)らつしやいよ、

御前(ごぜん)は雑泊(ざつぱく)に、

おれは、下(お)りはしないのだ、

フォントルロイは、さも驚(おどろ)いたといふ顔(かほ)で、

アレ、……かあさんに逢(あひ)に来(こ)ないんですか?

老侯(ろうこう)は冷淡(れいたん)に、

イヤ、御免(ごめん)を蒙(こうむ)るのだ、 貴様行(きさまい)つて、新(あた)らしい小馬(こうま)の見(み)たさも、逢(あひ)たさには代(か)へられなかつたといふが好(よ)かろう、

かあさん、失望(しつぼう)しますよ、
キツトお祖父(ぢい)さんに逢(あひ)たがつて居升(ゐます)もの、

ナニ、そうでもあるまい、
帰(かへ)りに又迎(またむかひ)によるぞ、これ!
タマス、ヂェツフリーズに、モウ参(まい)れといへ、

タマスは馬車(ばしや)の戸(と)を閉(と)ぢ升(まし)た。
フォントルロイはまだ不審顔(ふしんがほ)をして居(をり)ましたが、軈(やか)て家(いへ)へ行(ゆ)く馬車道(ばしやみち)を駈(か)け出(だ)しました。
此時(このとき)、御前(ごぜん)はハヴィシヤム氏(し)が前(まへ)に一度見(いちどみ)たことがある、走(はしつ)て、殆(ほとん)ど地(ち)に着(つ)かぬ程速(ほどすみや)かで、屈強(くつけふ)な双(さう)の足(あし)を眺(なが)める折(おり)を得(え)られ升(まし)た。
其足(そのあし)の主(ぬし)は一分時(いつぷんじ)も暇(ひま)を惜(を)しむ者(もの)であつたことが明白(めいはく)でした。
馬車(ばしや)は徐(しづ)かに進行(しんこう)いたし升(まし)たが、御前(ごぜん)は、暫(しば)らく、後(うし)ろへ馮(よ)らずに外(そと)を眺(なが)めて居(お)られました。
植込(うゑこみ)の間(あいだ)から家(いへ)の戸(と)が見(み)え升(まし)たが、其中(そのうち)、戸(と)をズツト押開(おしあ)けるものがある。
こちらからは少(ちい)さな人(ひと)が一飛(ひとヽ)びに階段(だん)を上(あが)る、モ一人(ひとり)、是(これ)も柔8たはや)かな、若(わか)そうな、黒(くろ)の着物(きもの)の人(ひと)が、走(はし)り出(だ)して来(く)ると見(み)る中(うち)に、双方(そうはう)から飛(と)んで来(き)て、一所(いつしよ)になつた様(やう)に、フォントルロイは母(はヽ)の腕(うで)に縋(すが)り、頭(かうべ)を抱(いだい)て、其可憐(そのかれん)な、若(わか)\/しい顔(かほ)を処(ところ)えらまず、キスのしつゞけをいたしました。
(以上、『女学雑誌』第二七八号)