ルビ部分を吉越里美(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。


小公子

第五回 (上)          若松しづ子

編者云はく、しづ子女史久しく病気の為め、続稿出でざりしが、近頃やゝ快ちよしとて、試みに一篇を物し、送り玉へり。則はち左に掲ぐ。第四回の下は、二百三十七号にあり。煩はしくとも、引合せて覧玉はんことを祈る。



それ故(ゆへ)セドリツクは、自分(じぶん)か年(とし)をとるまでは分(わか)らない理由(りゆう)があつて、かふいふ都合(つがう)になつてゐるので、大(おゝ)きくなれば、それが話(はな)して貰(もら)われることと思(おも)つてゐました。
尤(もつ)とも不審(ふしん)に考(かんが)へられることは考(かんが)へられましたが、必竟(ひつきやう)何故(なにゆへ)に母(はゝ)と引別(ひきわ)けられるといふ其(その)訳(わけ)が、此(この)子供(こども)に左(さ)ほど気(き)になるのではないのでしたから、母(はゝ)が丁寧(ていねい)に幾度(いくたび)も繰反(くりかへ)して、色々(いろ\/)といひきかせて慰(なぐさ)め、なる丈(たけ)楽(たの)しい方を思(おも)はせる様(よう)にいたします中(うち)に面白(おもしろ)くない方は段々と消失(きゝうせ)る様(よう)になりました。
併(しか)し折々(おり\/)妙(みよう)な風(ふう)をして、海面(かいめん)を眺(なが)めながら、まぢめ貌(がほ)に大層(たいそう)考(かんが)へてゐる処(ところ)を、ハヴイシヤム氏(し)が見(み)たことが有(あ)りました。
又(また)そういふ時(とき)には、小供(こども)には似(に)つかはしからぬ歎息(たん●く)の声(こえ)が聞えました。
ある時(とき)ハ氏に例(れい)の尤(もつと)もらしい様(よう)な振(ふ)りで、談(はなし)をしてゐまして、こふいひました、

僕(ぼく)はどふもそれが嫌(いや)なんです、どの位(くらい)嫌(いや)だか、あなたが知(し)らないほど嫌(いや)です。
ですが、世(よ)の中(なか)には色々(いろ\/)苦労(くろふ)があるもので、誰(たれ)でも辛抱(しんぼう)しなければならないつてネ、メレもよくそういひ\/しましたし、ホツブスおぢさんもそういつたことが有(あり)ましたよ。
それから、かあさんがお祖父(ぢい)さまのお子がみんな死(し)んでしまつたんで、それは大(たい)そう悲(かな)しいことだから、お祖父(じい)さまと御一処(ごいつしよ)にゐるのが好(すき)にならなくつちやいけないつて、そういひましたよ。
ネイ誰(たれ)だつて子供(こども)がみんな死(し)んじまつたなんていへば、気(き)の毒(どく)ですハネイ。
おまけに、一人(ひとり)は急(きう)に死(し)んだんだつて。

此(この)若侯(じゃくこう)と知己(ちき)になつた人々(ひと\/)をいつも悦(よろ)こばせた者(もの)ごとは、何(なに)か談話(はなし)に身(み)が入(い)つた時(とき)の調子(ちやうし)づいた風采(ふうさい)と、ませた物云(ものいひ)で、殊(こと)にくり\/した幼(おさ)な貌(がほ)の、極(ごく)あどけない処(ところ)と、仔細(しさい)らしい処(ところ)に、言(い)ふに云(い)はれぬ興味(きやうみ)があつたのでした。
実(じつ)に眼(め)のさめるほど奇麗(きれい)なセドリツクが、可愛(かは)いヽ姿(すがた)で、チヨツト腰(こし)をかけポチヤ\/した手(て)で膝(ひざ)を抱(かゝ)へ事(こと)有(あ)り気(け)に話(はなし)をしてゐるのを珍重(ちんちやう)して、聞(き)かぬ者(もの)は有(あ)りませんかつた。
追々(おい\/)ハ氏でさへが、セドリツクと同行(どうこう)するのを、内々(ない\/)大層(たいそう)楽(たの)しむ様(よう)になりました。
ある時(とき)、ハ氏が、

それなら、あなたは老侯(ろうこう)が好(すき)になる様(よう)にして見(み)やうと思(おぼ)し召(め)すのですか?。

と云(い)ひ升と、セドリツクが、

エー、だつてお祖父(じい)さまは僕(ぼく)の親類(しんるい)でせう。
誰(たれ)だつて親類(しんるい)が好(すき)でなくつちやいけませんは、それから、お祖父(じい)さまは、僕(ぼく)に大変(たいへん)親切(しんせつ)なんですもの。
人(ひと)が色(いろ)んなことして呉(く)れて、何(な)んでも好(すき)なもの遣(や)るなんていへば、親類(しんるい)でなくつたつて、好(すき)になるでせう。
だけれど、親類(しんるい)でそんなにして呉(くれ)れば、尚(なほ)好(すき)になるじや有(あ)りませんか。

と云ふのを聞いてハ氏が試(こゝろ)みに問(と)いました、

どうでせう、お祖父(じい)さまは、あなたが好(すき)でせうか?
セドリツクは何気(なにげ)なく、

エー、好(すき)でせうよ、だつて僕(ぼく)は又(また)お祖父(じい)さまの親類(しんるい)なんでせう。
それから僕(ぼく)はお祖父(じい)さまの息子(むすこ)の子供(こども)でせう。
だから好(すき)にきまつてるじやありませんか。
好(すき)でなきやあ、僕(ぼく)の欲(ほ)しいものなんでも遣(や)るなんて云ひやしませんだろう。
そうして、あなたを迎(むか)ひになんか、よこしやしませんじやないか?。

アヽ、なるほど、そういふ訳(わけ)なのですか?。

エー、そうですとも、あなただつて、そうだと思(おもひ)ませんか?
孫(まご)の好(すき)でないお祖父(じい)さまなんか、ありやしませんでせう。

さて船酔(ふなえひ)で引篭(ひきこも)つて居(お)つた人々(ひと\゛/)も、追々(おひ\/)甲板(かんばん)の上(うへ)へ出(で)て来(き)て、長椅子(ながいす)に寄(よ)つてゐて、いづれも船中(せんちう)の徒然(つれ\゛/)を感(かん)じて居(い)升(まし)たが、誰(たれ)云(い)ふとなく、フォントルロイ殿(どの)の小説(せうせつ)めいた履歴(りれき)は、一般(いつぱん)に広(ひろ)まり、毎日(まいにち)船中(せんちう)をかけ廻(まわ)つたり、母か又(ま)たは彼(か)の痩(や)せて背(せ)の高(たか)い、老成代言人(ろうせいだいげんにん)と運動(うんどう)したり、水夫(すいふ)などヽ話をしてゐた彼(かの)童児(どうじ)に注意(ちうい)せぬものはない位(ぐらい)でした。
セドリツクは誰(たれ)にでも気(き)に入(い)られました。
行(ゆ)く処(ところ)に近(ちか)しい人(ひと)が出来(でき)ました。
甲板(かんぱん)を運動(うんどう)する紳士(しんし)がセドリツクを呼(よ)んで、一処(いつしよ)にと申しました時(とき)などは、凛然(りゝ)しく大(おゝ)またに踏(ふ)み出しまして、冗談(でうだん)を云(い)はれれば、矢張(やは)り其(その)調子(ちやうし)で、面白(おもしろ)い返答(へんとう)をいたしました。
又(また)セドリツクが、婦人(ふじん)たちと談話(だんわ)をする時分(じふん)には、取囲(とりかこ)んだ一群(ひとむれ)のなかにキツと大笑(おゝわらい)をして打興(うちきやう)じることが有(あ)りました。
又(また)セドリツクが同船(どうせん)の子供(こども)たちと遊(あそ)べば、何(なに)か極(ごく)\/珍(めづ)らしい遊戯(いうぎ)がないといふことは有(あり)ませんかつた。
水夫(すいふ)の中(なか)にも心易(こゝろやすい)いものが大分(たいぶん)出来(でき)まして、海賊(かいぞく)や、破船(はせん)や、無人島(むにんとう)に漂泊(ひやうはく)したなどの得(え)も云(い)われぬ面白(おもしろ)い話(はな)しを聞きました。
丁度(ちやうど)自分(じぶん)が持(もつ)つてゐたおもちやの舟(ふね)で、帆(ほ)を挙(あ)げることや、縄(なわ)をつなぐことや、水夫(すいふ)どものつかふ外(ほか)では聞(きゝ)なれぬ言葉(ことば)なども、驚(おどろ)くほどよくおぼえまして、例(れい)の何気(なにげ)ない調子(ちやうし)で、妙(みやう)なことをいつては、紳士(しんし)や貴婦人(きふじん)たちに笑(わら)われることが、まヽ有(あり)ました。
そして、笑(わら)われば何故(なにゆえ)かと、ビツクリする様子(やうす)でした。
中(なか)にもよく話(はなし)をして聞(き)かせて呉(くれ)る人(ひと)ヂェレと云(い)ふ水夫(すいふ)で、此(この)爺(をやぢ)の実験(じつけん)ばなしを聞(きい)て見(み)ると、何(なん)でも二三千回(ぜんかい)も航海(こうかい)したかとおもわれる様(よう)で、其(その)度々(たび\/)に人(ひと)を殺(ころ)して食(た)べるといふ鬼(おに)の様(よう)な恐(おそ)ろしひ人(ひと)の住(す)んでゐる島(しま)へ、漂着(ひようちやく)したそうで、又其話(はなし)の続(つゞき)を聞(き)いてゐると、ヂェレは身(み)を切(き)られて焼(や)いて食(く)われた事も度々(たび\゛/)で、頭(あたま)の皮(かは)を剥(はが)れたことさへ十五回(かい)や二十回(かい)は有(あ)つたそうでした。
セドリツクは、母(はゝ)に此(この)話(はなし)をして聞(き)かせて、こういひました。

それだから、あの人(ひと)があんなに頭(あたま)が禿(はげ)てゐるんですよ、ダツテ幾度(いくど)か頭(あたま)の皮(かは)をむかれば、モウ髪(かみ)がはへやしませんからネ、一番(いちばん)しまいに、パロマチヤウイーキン人(じん)の王(おう)が、ウオツプスレマンブスキイ人(じん)の酋長(しゆうちやう)の髑髏(どくろ)で拵(こし)らえへた、庖丁(ほうてう)でやられてからは、髪(かみ)が生(は)へませんかつたと。
此時(このとき)ほど危(あぶ)ないめにあつたことはマアないんですと、其(その)手(て)に庖丁(ほうてう)を振(ふり)まわされた時(とき)は、大変(たいへん)とビツクラしたもんだから、かみの毛(け)がチヨツキリおつ立(た)つちまつて、どふしてもねませんかつたと、そうして其(その)王(おう)が今(いま)其(その)まんまでヂェレの皮(かは)を被(かぶ)つてゐて、丸(まる)でブラシの様(よう)ですと。
かあさん僕(ぼく)はヂェレおぢのした様(よう)なけんけいした人(ひと)見(み)たことがないんです。
それでホツブスおぢさんに、すつかり話(はな)してやり度(たく)つてたまらないんですよ。

時々(とき\/)天気(てんき)がわるくつて、人々(ひと\/)は甲板(かんぱん)へ出(で)られないで、下(した)の座敷(ざしき)に閉(と)ぢ込(こめ)られてゐる時(とき)セドリツクに勧(すゝ)めてヂェレのけんけいばなしを話(はな)させました。
スルト、セドリツクは、大層(たいさう)得意(とくい)な調子(ちやうし)で、熱心(ねつしん)に話(はな)しをしましたが、一同(いちどう)挙(こぞ)つて面白(おもしろ)そうに聞(き)いてゐる処(ところ)を見(み)れば、凡(およ)そ大西洋(タイセイヨウ)を渡(わた)つた人(ひと)の中(なか)でこれほど人(ひと)に珍重(ちんちやう)されたものが、あろうかと、おもうほどでした。
何(な)んでも人(ひと)の興(きやう)になろうとおもへば、及(およ)ばぬながら、心(こゝろ)よく自分(じぶん)の出来(でき)る丈(た)けはして見(み)ようといふ風(ふう)で、あとけない中(なか)に、自分(じぶん)は決(かつ)して角(すみ)へ置(お)かれぬ人物(じんぶつ)とおもふ様子(ようす)が、尚(な)ほか愛(あい)いヽのでした。
ヂェレの話(はな)しをし終(おは)つてから、母(はゝ)にかういひました。

アノネ、かあさん、みんなはヂエレの話(はな)しを大層(たいそう)面白(おも)そうに聞(き)いてましたよ。
ダケレド、かあさん、アノ僕(ぼく)は‥‥‥ヒヨツトしたら、そんなこといふのは、わるいかも知(し)れないが‥‥‥みんなほんとうじやないかも知(しれ)ないとおもふ時(とき)が、あるんですよ、みんなヂェレが出逢(あ)つたことじやないかと、おもひ升よ。
デモみんな自分(じぶん)だつていひますね、どふも、妙(みやう)ですネ、かあさん、アヽ、ヒヨツトしたら、少(すし)し忘(わす)れてまちがふのかも知れませんよ。
度々(たび\/)、頭(あたま)の皮(かは)をはがれたから。
幾度(いくたび)も頭(あたま)の皮(かは)をはがれヽば、忘(わす)れつぽくなるかも知(し)れませんはネー。(以上、『女学雑誌』第二六六号)





小公子

第五回 (中)          若松しづ子

さてセドリツクが同行(うこう)の人々(ひと\/)とリヴァプールへ着(ちやく)しましたのは、彼(か)のヂツクに別(わか)れてから十一日(にち)めでして、その翌夜(あくるよ)、三人(にん)同車(どうしや)でステーシヨンから今後(こんご)セドリツクの母(はゝ)の住居(すまい)にならふといふコート、ロツヂと申(もうす)す家(いへ)の門(もん)に着(つ)きました。
最早(もはや)暗(くら)がりで家(いへ)の模様(もよう)は分(わか)りませんかつたが門(もん)へ這入(はい)る時(とき)セドリツクの眼(め)に止(とま)りましたのは、双方(さうほう)から覆(おほ)ひかヽつて、アーチの様(よう)になつた大(おゝ)きな木(き)の下(した)に、馬車道(ばしやみち)のあることで、こヽへズツト乗(の)り込(こ)むと戸(と)が開(あ)いてゐて灯火(あかり)がテカ\/戸外(そと)へさしてゐるのが直(す)ぐ見(み)えました。
さて、メレはセドリツクの母(はゝ)の侍女(つきそひ)に成(な)つて同行(どうこう)致(いた)しましたが、此時(このとき)モウ先(さき)に此(この)家(いへ)へ着(ちやく)して居(い)りまして、セドリツクが馬車(ばしや)から飛(と)び降(を)りました時(とき)、広(ひろ)いテカ\/した廊下(ろふか)に、他(た)の婢僕(ひぼく)と共(とも)にお出迎(でむか)ひして居(お)りました。
フォントルロイ殿(どの)は、いきなり彼(か)の老婢(ろうひ)に飛(と)びついて、嬉(うれ)しそうな調子(ちやうし)で、言葉(ことば)をかけました。

オヤ、メレや、お前(まへ)モウ来(き)て居(い)たかへ?
かあさん、メレが来(き)てますよ。

といひながら、メレの余(あま)り滑(なめら)かならぬ赤(あか)ら顔(がほ)に自分(じぶん)の顔(かほ)をすりつけました。

メレや、わたしはお前(まへ)がこヽに居(い)て呉(くれ)て嬉(うれ)しいよ、おまへの顔(かほ)を見(み)た計(ばか)りで、心(こゝろ)が落着(おちつ)く様(よう)だよ、処慣(ところな)れないで変(へん)なのが、おまへが居(い)るのでよつぽど心(こゝろ)やりになるよ。

と低(ひく)い声(こえ)で云(い)つたのは、エロル夫人(ふじん)でしたが、メレハ其(その)言葉(ことば)と共(とも)にさしのべられた小(ちい)さな優(やさ)しい手(て)をシツカリと握(にぎ)り〆めまして、心(こゝろ)の中(うち)に、母(はゝ)の身(み)になつて、遠(とふ)く我(わ)が国(くに)を離(はな)れた斗(ばか)りに又(また)一人子(ひとりご)を見(み)ず知(し)らずの人手(ひとで)に渡(わた)すのはどの位(くらい)つらかろうと切(しき)りに気毒(きのどく)に思(おも)ひました。
家付(いへつき)の英人(えいじん)の僕碑(ぼくひ)たちは、皆(みな)眼(め)を丸(まる)くして、シケ\/と親子(おやこ)を見(み)て居(お)りました、両人(りやうにん)については、早(はや)くもとり\゛/の流評(うわさ)を聞(きい)て居(お)りまして、老侯(ろうこう)の憤怒(ふんど)、エロル夫人(ふじん)を別居(べつきよ)させる理由(りゆう)、若侯(わかぎみ)の将来(しやうらい)受継(うけつ)ぐ可(べ)き莫大(ばくたい)の産業(さんぎやう)、癇僻(かんへき)と酒風症(しゆふうしやう)とで殆(ほとん)ど野蛮(やばん)に近(ちか)い老侯(ろうこう)の気質(きしつ)などの事(こと)を、皆(み)な知(し)りぬいて居(お)りました故(ゆえ)、

やつこどの、可愛(かあい)そうに中(なか)\/楽(らく)は出来(でき)まいよ。

と、互(たがい)にひそ\/話(はな)して居(お)りました。
併(しか)し僕婢(ぼくひ)どもは今度(こんど)お入(いり)になつた若侯(わかぎみ)のことは一切(いつさい)知(し)らず、固(もと)より未来(みらい)のドリンコート侯(こう)たる可(べ)き人(ひと)の性質(せいしつ)などは少(すこ)しも分(わか)らずに居(い)たのでした。
セドリツクは、普段(ふだん)人(ひと)の手(て)を待(ま)ちつけぬ質(たち)で、無雑作(むざうさ)に外套(がいとう)を脱(ぬい)でしまいました。
それから先(ま)づあたりを見廻(みまわ)し升(ます)と、広(ひろ)い廊下(ろうか)の飾(かざ)りつけには鹿(しか)の角(つの)やさま\゛/珍(めづ)らしきものが有(あり)ました、平生(へいぜい)の家(いへ)にこふいふ飾(かざ)りつけを見(み)たことは是(これ)が始(はじ)めてゆえ、セドリツクの眼(め)には随分(ずいぶん)不思儀(ふしぎ)に見(み)えました、

かあさん、これは大層(たいさう)きれいな家(いへ)ですネイ?
かあさんがこれからこヽに入(いら)つしやるんだから、好(い)いことネイ、そうして随分(ずいぶん)大(おゝ)きい家(いへ)じや有(あり)ませんか?。


といひました。
なる程(ほど)、ニユーヨークの彼(か)の疲弊(ひへい)した町(まち)に有(あ)つた家(いへ)と比(く)らべては遥(はる)か奇麗(きれい)で、爽快(そうくわい)な住居(すまい)でした。
メレの案内(あんない)で、二階(にかい)へ登(のぼ)れば、眼(め)の覚(さ)める様(よう)な白紗(さらさ)の窓掛(まどかけ)がさがつた寝間(ねま)に、火(ひ)が焼(たい)て有(あ)り、大(おゝ)きな雪(ゆき)の様(よう)な白(しろ)いべルシヤ種(だね)の大猫(ねこ)が、真白(まつしろ)な毛革(けがわ)の敷物(しきもの)の上(うえ)で、気楽(きらく)そうに寝(ね)て居(お)り升(ま)した、メレは此(これ)を指(ゆび)ざして、

アノ奥様(おくさま)ア、此(この)猫(ねこ)は御殿(ごてん)の奥(おく)の取締(とりしまり)がよこしたんでございますよ、マア何(な)んちう深切(しんせつ)な人(ひと)でんすか、そうして奥様(おくさま)がおいんなはるつて、何(な)んていことなくみんな仕度(したく)をしたんだそうでんすよ。
わたしも一寸(ちよつと)おめにかヽりましたが、アノなくなつた旦那(だんな)さまを大層(たいさう)秘蔵(ひざう)にしたそうで、大(たい)へんに惜(お)しいことをしたつてかたりましたよ。
それから猫(ねこ)でもゐたら、チツタアうちの様(よう)な気(き)がするかしんねいつて、よこしなせいましたよ。
それからカプテン、エロルはお少(ちい)せいツから、知つてゐたんだちいましつけが、推出(おしだ)しの好(い)い、可愛(かあ)いヽ子(こ)だつけ、そうして大(おゝ)きくなつても、ゑれい人(ひと)にも眼下(めした)の人(ひと)たちにも優(やさ)しくつて、ほんとうに立派(りつぱ)な人(ひと)だつけつちいますつけ。
せいからわたしもこういひましたよ、こんだおいんなはる坊(ぼつ)つちやまが、トントそんなでんすよ、わたしやあんな立派(りつぱ)な子(こ)見(み)たことが有(あい)ませんてネ。

さて此(この)部屋(へや)で少(すこ)しみなりをとり繕(つくろ)ひましてから、又(また)下(した)へ降(お)りて、こんどは大(おゝ)きな立派(りつぱ)な坐敷(ざしき)へ通(とふ)りました。
此(この)坐敷(ざしき)の天井(てんしやう)は殊(こと)さらに少(すこ)し低(ひき)く、周囲(まわり)の道具(どうぐ)などは一躰(いつたい)にドツシリして美(うつ)くしく彫刻(てうこく)して有(あ)りまして、椅(い)子などは坐(す)はり込(こ)みのふかい、寄(よ)り掛(かゝ)りの高(たか)くつて、ガツシリしたのでした。
花壇(かだん)や違棚(ちがひだな)は大(たい)そう風雅(ふうが)で、その上(うえ)には見事(みごと)で、極(ご)く珍(めづ)らしい置物(おきもの)がならべて有(あ)りました。
暖室炉(だんしつろ)の前(まへ)には、大(おゝ)きな虎(とら)の皮(かは)が敷(し)いて有(あ)つて、両側(りようがは)に安楽椅子(あんらくいす)が据(す)へて有(あ)りました。
彼(か)の巌(いか)めしひ白猫(しろねこ)ははや、フォントルロイ殿(どの)に懐(なつ)つき始(はじ)めまして、跡(あと)について下(した)へ降(を)りましたが、今(いま)も革(かは)の敷物(しきもの)の上(うえ)へ寝(ね)ころんだ側(そば)へすり寄(よ)つて、これからお親(した)しく願(ねか)ひますとでもいひそうな風(ふう)つきでした。
セドリツクは嬉(うれ)しく、自分(じふん)の頭(かしら)を猫(ねこ)の頭(かしら)の側(そば)へよせて、手(て)でおもちやにしながら横(よこ)になつてゐまして、ハ氏(し)と母(はゝ)とが、ヒソ\/咄(はな)してゐたことは耳(みゝ)に這入(はい)りませんかつた。
エロル夫人(ふじん)は少(すこ)し顔(かほ)の色(いろ)がわるくつて、何(なに)か心(こゝろ)に安(やす)からぬ思(おもい)がある様子(ようす)でした。

今夜(こんや)は参(まいら)なくとも宜(よろし)うございませうね、切(せめ)て、今晩(こんばん)丈(だけ)は一処(いつしよ)に居(を)つても宜(よろし)うございませう、あなたはどうお考(かんが)へです。

と低(ひく)い声(こえ)でいひますと、ハ氏(し)が又(また)同(おな)じ様(よう)な調子(ちやうし)で、

さ様(よう)で御坐(ござ)るて、今晩(こんぼん)はまづお入(い)りにならずとも宜(よろ)しかろうと存(ぞん)じます。
愚老(ぐろふ)が食事(しよくじ)でも済(す)ましませば、先(ま)づ参上(さんじやう)いたして、御来着(ごらいちやく)の趣(おもむき)を老侯(ろうこう)へ通(つう)じるでござろう。

エロル夫人(ふじん)はセドリツクに眼(め)を移(うつ)しますと、彼(か)の黄(き)と黒(くろ)の毛革(けがわ)の上(うえ)にたあいのない中(なか)にしなやかな様子(ようす)して、寝(ね)そべつて居(お)りまして、少(すこ)しポツトしたきりやう好(よし)の幼顔(おさながほ)の上(うへ)と、毛革(けがは)の上(うえ)とにフサ\/と乱脈(らんみやく)に散広(ちりひろ)がつてゐた髪(かみ)の毛(け)は暖室炉(だんしつろ)の火(ひ)を輝(て)り反(か)へして居(お)りました。
彼(か)の大猫(おゝねこ)はさも安楽(あんらく)そうに、ゴロ\/いひながら、寝(ね)むそうな顔(かほ)してゐまして、セドリツクの優(やさ)しい可愛(かあい)い手(て)で撫(な)でられるが嬉(うれ)しい様(よう)でした。
エロル夫人は、この様子(ようす)を眺(なが)めて、我(われ)しらずホヽ笑(え)みましたが、其(その)ホホ笑(えみ)が外(そと)へ現(あら)われるか現(あら)はれぬに、急(きう)にしほ\/とした顔付(かほつき)に変(へん)じまして、

侯爵(こうしやく)さまは、わたくしがあれを手離(てばなし)ます苦(くるしみ)の半分(はんぶん)も御承知(ごしやうち)有(あり)ますまい。

といつて少(すこ)し改(あらたま)つて、ハ氏(し)に向(むか)ひ、こふいひました、

あなた、どふぞ、あの金子(きんす)のことは私(わたくし)がお断(ことわ)り申(もうし)たと、侯爵様(こうしやくさま)へお伝(つた)へ下(くだ)さひますまいか?。

金子(きんす)!。
其(その)金子(きんす)とおつしやるは、老侯(ろうこう)が歳入(さいにう)にしてお定(さだ)めあらうといふものヽことでは御座(ござ)りますまい。

と不審(ふしん)そうにいはれて、又(また)何気(なにげ)なく、

さようでございます、そのことを申(もう)すので御座(ござ)います、‥‥‥全体(ぜんたい)此(この)家(いへ)を頂戴(ちやうだい)するのも子供(こども)の側(そば)に居(お)るに上都合(じやうつがう)と申(もう)す丈(たけ)で、余儀(よぎ)なくおうけをいたしたので、其外(そのほか)は質素(しつそ)にさへいたしますれば、不自由(ふじゆう)はせぬほどの用意(ようい)は御座(ござ)いますから、金子(きんす)のことは先(まづ)お断(ことわ)りいたし度(た)うこざいます。
侯爵(こうしやく)さまが私(わたくし)をばさまでにお忌(い)み遊(あそ)ばす処(ところ)ですから、若(も)し金子(きんす)を戴(いたゞ)けば、どふやら、セドリツクを金(かね)に引返(ひきか)へる様(よう)で心(こゝろ)よく御座(ござ)いません、今(いま)セドリツクをお引渡(ひきわた)しするといふのは、たゞあれの利益(りえき)とおもひ升れば、母(はゝ)の情(じやう)で自分(じぶん)のことは忘(わす)れて居(お)りますのと、こうなることは、亡(な)き父(ちゝ)も望(のぞ)む所(ところ)であろうと考(かんが)へますからのことです。

それは甚(はなは)だ不思儀(ふしぎ)なことです、老侯(ろうこう)にもあなたのお心(こゝろ)を汲(く)みかねて、御立腹(ごりつぷく)になることであろう(おも)と思われます。

侯爵(こうしやく)さまも少(すこ)しお考(かんが)へなされば、お分(わか)りだろうと思(おも)ひます、わたくしは其(その)金子(きんす)がなければ困難(こんなん)いたす訳(わけ)でもない処(ところ)を思(おも)ひますれば、私(わたくし)をお憎(にく)み遊(あそ)ばして、御自身(ごじしん)の孫(まご)にあたるセドリツクを現在(げんざい)母(はゝ)とお引別(ひきわけ)になる其方(そのかた)の御給与(ごきうよ)なさるもので贅沢(ぜいたく)をいたさう心(こゝろ)にはどふもなれません。

ハ氏(し)は暫時(ざんじ)黙考(もくこう)して居(お)りましたが、ヤヽあつてから、

さようならば、お言葉(ことば)通(どう)りに申上(もうしあぐる)るといたしませう。(以上、『女学雑誌』第二六七号)





小公子

     第五回 (下)          若松しづ子
彼是(かれこれ)する中(うち)に食事(しよくじ)を持(も)ちこみまして、一同(いちどう)食卓(しよくたく)に着(つ)きましたが、彼(か)の大猫(おゝねこ)もセドリツクの側(かたわら)の倚子(いす)の上(うえ)へチヤント座(ざ)を占(しめ)まして、食事(しよくじ)の最中(さいちう)大威張(おゝいば)りにゴロ\/咽喉(のど)を鳴(な)らして居(お)り升た。
さてこれから間(ま)もなくハ氏(し)がお屋敷(やしき)へ伺(うかゞい)ました時(とき)、直(ぢき)お目通(めどうり)を仰付(おゝせつけ)られました。
老侯(ろうこう)は此時(このとき)暖室炉(だんしつろ)の側(そば)の贅沢(ぜいたく)を極(きは)めた安楽倚子(あんらくいす)によつて、彼(か)の酒風症(しゆふうしやう)に悩(なや)んだ御足(おんあし)を足台(あしだい)の上(うえ)に休(やす)めて居(い)られましたが、フサ\/した眉(まゆ)の下(した)の鋭(する)どい眼(まなこ)はハ氏(し)をキと睨(にら)まへて居(お)りました。
そして外貌(うわべ)は沈着(ちんちやく)に見(み)へても、心(こゝろ)の中(なか)は密(ひそ)かにイラ\/してざわだつて居(い)るといふことはハ氏(し)もよく承知(しやうち)して居(お)りました。

イヤ、ハヴィシヤム、帰(かへ)つたかな?
どうで有(あ)つた?

御意(ぎよい)に御座(ござ)ります、フォントルロイ殿(どの)は母君(はゝぎみ)と共(とも)にコートロツヂに入(い)らせられます、御両人(ごりやうにん)とも海上(かいしやう)甚(ばなは)だ御無難(ぶなん)で、御機嫌(ごきげん)うるわしう御座(ござ)り升。

老侯(ろふこう)はこれを聞(き)いて、なにか待(ま)ちどふで、気(き)が急(せ)くといふ調子(ちやうし)で、手(て)をもぢ\/しながら、先(ま)づ鼻(はな)でフンー、といひ、

それは結構(けつかう)といふものだ、それはそれでよしと、ハヴィシヤムくつろぐが好(よ)い、一杯(いつぱい)やつて、落着(おちつい)たら、其跡(あと)を聞(きか)う。

フォントルロイ殿(どの)は母君(はゝぎみ)と彼(か)の処(ところ)に御一泊(ごいつぱく)あつて、明朝(みやうちやう)は御同道(ごどう\/)いたしてお屋敷(やしき)へ伺(うかご)ふ筈(はず)で御座(ござ)ります。

老侯(ろふこう)は倚子(いす)の横(よこ)に臂(ひぢ)を休(やす)めて居(い)られましたが、其手(て)を挙(あ)げて眼(まなこ)にかざし、

フヽン、其(その)跡(あと)はどふだ?
此(この)件(けん)に付(つい)ては巨細(こさい)を申送(もうしおく)るに及(およ)ばぬといつて置(おい)たから、まだ何事(なにごと)も知(し)らずに居(い)るのだ、全躰(ぜんたい)どんな奴(やつ)だな、其(その)小息子(こむすこ)といふは?
ナニお袋(ふくろ)のことは聞(きか)ずとも好(い)い、子供(こども)はどふだ。

ハ氏(し)は手(て)づからコツプへついだポウト酒(しゆ)を一ロ(ひとくち)飲(の)んで、また杯(さかづき)を手(て)に持(も)ち、ひかへめに、

御意(ぎよい)に御座(ござ)り升が、何分(なにぶん)七歳(さい)といふ御弱年(じやくねん)で御座(ござ)り升から御性質(ごせいしつ)を仰(おゝせ)られましても、一寸(ちよつと)、お答(こたへ)に苦(くる)しみ升(ます)て。

これを聞(き)いて、老侯(ろうこう)の疑惑(ぎわく)、掛念(けねん)はます\/熾(さか)んになり、早(はや)くも彼(か)の眼光(がんこう)を、ハ氏(し)の方(かた)に放(はな)つて、粗暴(そばう)に、

ナニ、馬鹿(ばか)か?
たゞし、不器量(ぶきりやう)な犬(いぬ)つ子(こ)の様(よう)な奴(やつ)か?、
腹(はら)がアメリカだといふ処(ところ)が、現然(げんぜん)と見(み)えて居(い)るのか?

イヤ、お腹(はら)がアメリカの御婦人(ごふじん)で、此(この)弊(へい)が有(あ)るといふ処(ところ)は一向(いつこう)見(み)へぬ様(よう)で御座(ござ)り升。
愚老(ぐろふ)は子供(こども)のことは至(いた)つて疎(うと)い方(はう)で御座(ござ)りますが、いづれかといへば、先(まづ)立派(りつぱ)な若君(わかぎみ)と勘定(かんてい)いたしました。

例(れい)の沈着(ちんちやく)、冷淡(れいたん)な調子(ちやうし)で答(こた)へました。
ハ氏(し)の物云(ものい)ひは、全体(ぜんたい)、平常(へいぜい)が落(おち)ついて、油(あぶら)の載(の)らぬ方(ほう)でしたが、此時(このとき)は殊更(ことさら)普段(ふだん)より扣(ひか)へめにしたといふものは、侯爵(こうしやく)どのが余(あま)り委(くは)しく実際(じつさい)を御承知(ごしやうち)ない中(うち)、不意(ふい)に孫息子(まごむすこ)に面会(めんくわい)されて、自身(じしん)に判断(はんだん)を下(くだ)された方(はう)が、両方(りやうはう)の為(ため)に宜(よろし)かろうと、怜悧(れいり)にも考(かんがへ)たからでした。

どうだ?、
壮健(たつしや)で、よく伸(のび)た方(ほう)かな?。

御意(ぎよい)に御座(ござ)り升、殊(こと)の外(ほか)御壮健(ごさうけん)で、御発育(ごはついく)も甚(はなは)だ宜(よろ)しい様(よう)見受(みうけ)ました。

侯爵(こうしやく)どのは、一層(いつさう)急(せ)き込(こ)んで、

ナニカ、手足(てあし)などもすらりとして、外見(みば)は好(よ)い質(たち)か?。

此時(このとき)ハ氏(し)は薄(うす)い唇(くちびる)の辺(へん)にそれとも分(わか)らぬほど幽(かす)かなほヽ笑(えみ)を現(あら)はしましたが、コート、ロツヂで見(み)て、今(いま)も眼(め)の先(さき)に見(み)える様(よう)なセドリツクの姿(すがた)、さも楽(たの)しそうにしどけなく、虎(とら)の革(かは)の上(うえ)に横(よこ)になつた画(え)に書(かき)度(たい)ほど見事(みごと)な処(ところ)、キウ\/した毛(け)が革(かは)の上(うえ)に乱(みだ)れ散(ち)つて居(い)た塩梅(あんばい)、桜色(さくらいろ)のパツチリした幼子顔(おさながほ)のことなどおもひまして、

先(ま)づ一(ひ)と通(とほ)り立派(りつぱ)な御人品(じんぴん)の様(よう)見受(みうけ)ましたが、斯様(このよう)なものは、愚老(ぐろう)の判断(はんだん)甚(はなは)だ覚束(おぼつか)ないものと、御猶予(いうよ)願(ねがい)ます。
併(しか)し御前(ごぜん)のお眼(め)に止(と)まりました本国(ほんごく)生(むま)れの童児(どうじ)と、多少(たしやう)趣味(しゆみ)の変(かは)つた処(ところ)は、必(かなら)ず御座(ござ)りませう。

老侯(ろふこう)は急(きう)に足部(そくぶ)を襲(おそ)つた酒風症(しゆきしやう)の苦痛(くつう)に、イキマキ荒(あら)く、

そうあろう\/、米国(ベイこく)の子供(こども)といへば、礼儀作法(れいぎさはう)も知(し)らぬ乞食(こぢき)めらじやといふことは、いつも聞(き)くことじや。

御意(ぎよい)に御座(ござ)りますが若君(わかぎみ)に限(かぎ)つて無作法(ぶさほう)なお振舞(ふるまい)は決(けつ)して御座りません。
只今(た〃いま)本国(ほんごく)の子供(こども)と違(ちがふ)と申上(もうしあげ)ましたは判然(はんぜん)とは申(もう)し悪(にく)う御座(ござ)りますが、同年輩(どうねんはい)の者(もの)よりは、成人(おとな)に交(まじわ)られた故(ゆへ)かして、幼稚(ようち)らしい処(ところ)に、又(また)成熱(せいじゆく)らしき処(ところ)の混淆(こんこう)して居(いる)風采(ふうさい)を申上(もうしあげ)たので御座ります。

イヤ、それが即(すなは)ち米国風(ベイこくふう)の無作法(ぶさほう)と申(もう)すのじや、兼(かね)て聞(き)いて存(ぞん)じて居(を)るは、キヤツ等(ら)は、それをば早熟(さうじゆく)とか快闊(くわいかつ)とか申(もう)して居(い)るは、何(いづ)れ、気色(きしよく)に障(さ)わるほど不行跡(ふぎやうせき)に違(ちが)いあるまい。

ハ氏は又(また)少(すこ)しポート酒(しゆ)を飲(の)みました。
此人(このひと)は侯爵(こうしやく)どのに対(むか)つて決(けつ)して論弁(ろんべん)を試(こゝろ)みたことはありませんかつた。
別(べつ)して御足(おんあし)の御持病(ごじびやう)に侵(おか)されて【火欣】衝(きんしやう)して居(い)る時(とき)などには、寄(よ)らず、触(さわ)らずにあいしらうが上策(じやうさく)でしたから、此時(このとき)、数分間(すふんかん)双方(さうはう)沈黙(ちんもく)でした、其(その)うちハ氏が、

エロル夫人(ふじん)より御前(ごぜん)へ申上(もうしあぐ)る伝言(でんごん)が御座(ござ)ります。

老侯(ろうこう)は又(また)獅子(し)の吼(ほ)へる様(よう)な御声(おんこえ)に、イキマイて、

伝言(でんごん)じやと、あれからならば聞度(きゝた)くもない、あの女(おんな)のことは、なる丈(たけ)聞(きか)せぬ様(よう)にして貰(もら)い度(た)い。

御意(ぎよい)には御座(ござ)りますが、此(この)伝言(でんごん)はチト大切(たいせつ)な一条(いちじやう)で御座(ござ)ります、と申(もう)すは、夫人(ふじん)へ御恩賜(ごおんし)あらうといふ年給(ねんきう)を御断(おことは)り申上(もうしあぐ)る旨(むね)申出(もうしいで)られた次第(しだい)で‥‥‥。

侯爵(こうしやく)どの、ギツクリ驚(おど)ろかれた様子(ようす)にて、又(また)大声(おゝごえ)に、

ナニ、なんと申(もう)す?、
それはなんじや?。

ハ氏は、前(まえ)申(もう)した通(とう)りに、再(ふた)たび陳(ちん)じました。

夫人(ふじん)は決(けつ)して其(その)金子(きんす)を頂戴(ちやうだい)する必要(ひつよう)はない様(よう)に申(もう)されます。
増(ま)して御前(ごぜん)との御交(おんまぢわ)りも、御親密(ごしんみつ)と申(もう)すではなし‥‥‥

此時(このとき)老侯(ろうこう)は烈火(れつか)の如(ごと)く怒(いか)り、さながら言葉(ことば)を吐(は)きだすが如(ごと)く、

ナニ、親密(しんみつ)でないと申(もう)すか?、
へヽン、親密(しんみつ)どころでは有(あ)るまい。
あの女(おんな)のことおもふても胸(むね)がわるいわ、チヨツ、舌長(したなが)い、貪欲(どんよく)なアメリカ女(おんな)め!、
見度(みたく)もないわ。

御前様(ごぜんさま)、恐(おそれ)ながら、夫人(ふじん)を貪欲(どんよく)と仰(おゝ)せられますは、チト愚老(ぐろう)の胸(むね)に落入(おちい)り兼(かね)ます。
一事(ひとこと)の請求(せいきう)をなされた訳(わけ)ではなし、只(たゞ)御恩賜(ごおんし)の金子(きんす)をお諦(うけ)せぬと申(もうす)丈(だけ)では御(ご)座りませぬか?。』

それも是(これ)も策(さく)じやわと(跳(は)ねつける様(ような)な調子(てうし)に老侯(ろふこう)どの)わしをひとつはめて、面会(めんかい)でもさそうといふのじやろう、只今(たゝいま)の様(よう)に申すのも、必竟(ひつきやう)わしに精神(せいしん)を感服(かんぷく)させて、一仕事(ひとしごと)と考(かんが)へて居(い)るのだろうが、そうは参(まい)らぬ、わしは一向(いつこう)感服(かんぷく)致(いた)さぬて、それが米国風(ベイコクふう)の出過(ですぎ)といふものじや、此(この)屋敷(やしき)近(さか)い処(ところ)に非人(ひにん)如(ごと)き生活(せいかつ)をされてはわしの迷惑(めいわく)じや、クォントルロイの母(はゝ)で有(あ)つて見(み)れば、生活(せいかつ)も相応(さうおふ)な格(かく)にさせねばならぬと云(い)ふものじや、兎(と)に角(かく)金(きん)はとらするが好(よ)い。

たとひ、金子(きんす)をお遣(つかわ)し有(あ)つても、お用(もち)ゐはあるまいと存(ぞん)じられます。

老侯(ろうこう)は又(また)クワツトして、

つかわうが遣(つか)ふまいが、それにかまいはない、どうでも遣(つか)わすこととせう、わしが何(なに)もして遣(つか)わさんから、非人(ひにん)の生活(せいくわつ)をせにやならぬなどヽ、世間(せけん)へ触(ふ)れられては大(たい)した迷惑(めいわく)じや、ハヽア、ひとつは子供(こども)にわしをわるく思(おも)わせうといふ手(て)じやな、さもなくとも、わしの悪口(あくかう)は充分(じうぶん)吹込(ふきこ)んだのじやろう。

イヤ、左様(さやう)なことは一切(いつさい)御座(ござ)り升(ます)まい、夫人(ふじん)より伝言(でんごん)の御座(ござ)りました処(ところ)をお聞(きゝ)とりなされませば、左様(さやう)なことは一向(いつかう)ないことが判然(はんぜん)いたしませう。

老侯(らうかう)は憤怒(ふんど)と、性急(いらだち)と、痛症(つうしよう)とにて、苦(くる)しげに太(ふと)い息(いき)をつき、

左様(さやう)なことは聞(き)く耳(みゝ)持(も)たぬわい!

と鳴(なら)せ玉(たま)ふも、かまわず、ハ氏(し)は静(しづか)に其(その)伝言(でんごん)を述(のべ)ました。

夫人(ふじん)が申(まう)し出(いで)られまするには、御前(ごぜん)が自身(じしん)を忌(い)み給(たま)ふて、フォントルロイどのをお引別(ひきわ)けになつたものといふことは、なる可(べ)くフォントルロイどのに知(し)らせぬ様(やう)御注意(ごちうい)を願度(ねがいた)い、と申(まう)す訳(わけ)は、フォントルロイどのが、深(ふか)く自身(じしん)を慕(した)わるヽ処(ところ)から、万一(まんいち)老侯(らうかう)に対(たい)して隔意(かくい)を生(しやう)じてはと、掛念(けねん)されるので、到底(たうてい)真(まこと)の理由(りいう)は会得(えとく)の出来(でき)ぬものと見做(みな)し升(ます)れば、若君(わかぎみ)が多少(たせう)御前(ごぜん)を憚(はゞか)つて、御前(ごぜん)に対(たい)する情愛(じやうあい)が薄(うす)くなるかも知(し)れぬと申(まう)すことで御座(ござ)りました。
若(わか)ぎみは、只今(たゞいま)御幼稚(ごえうち)で御会得(ごえとく)は六ケ敷(しい)こと故(ゆえ)、何(いづ)れ御生長(ごせいちやう)の後(のち)委細(いさい)御承知(ごしやうち)になろうと申(まう)してあるそうで御座(ござ)ります、初対面(しよたいめん)に隔意(かくい)のない様(やう)といふのが、夫人(ふじん)の切(せつ)に配慮(はいりよ)致(いた)さるヽ処(ところ)で御座(ござ)ります。

御前(ごぜん)はあほのけにドツカと倚子(いす)の背(せ)にもたれて、居(お)られましたが、秀(ひい)でた眉(まゆ)の下(した)には、武(たけ)しい、窪(くぼ)んだ老眼(ろうがん)が人(ひと)を射(い)て居(を)りました。
忙(せわ)しい息遣(いきづか)ひはまだ治(おさ)まらぬ様子(やうす)で、

ナント申(まう)す?、
其(その)ことはお袋(ふくろ)が云(い)うて聞(きか)せぬと申(まう)すのか?。
左様(さやう)ではよもあるまい。

ハ氏(し)は冷淡(れいたん)に、

イヤ、御前(ごぜん)其(その)ことは一言(いちげん)も申(まう)して御座(ござ)りません、それ丈(たけ)は保証(ほしやう)いたします。
若(わか)ぎみは最(もつと)も情愛(じやうあい)深(ふか)き御祖父様(ごそふさま)と信(しん)じて居(を)られます、誠(まこと)に完全無欠(くわんぜんむけつ)の御性質(ごせいしつ)と確信(かくしん)いたされる其点(そのてん)に於(おい)て疑(うたがひ)を引起(ひきおこ)すことなどは、一切(いつさい)お聞(き)かせ申(まう)したものは御座(ござ)りませぬ、況(ま)してニユーヨウクに於(お)きましては、一々御指揮(ごしき)の通(とほ)り取斗(とりはか)らひましたれば、御前(ごぜん)をば非常(ひじやう)な慈善(じぜん)、寛大(くわんだい)の御方(おんかた)と思(おも)ふて居(を)られ升(ます)。

それに相違(そうい)ないか。

イヤ、其(その)こと斗(ばか)りは愚老(ぐらふ)幾重(いくえ)にも保証(ほしやう)いたし置升(おきます)。
さて、これから御対面(ごたいめん)で御座(ござ)ります、舌長(したなが)しとお叱(しか)りを蒙(こうむ)るかは存(ぞん)じませぬが、母(はゝ)きみのことは一切(いつさい)悪(あし)ざまに仰(おゝせ)なき方(はは)が、御上策(ごじやうさく)かと愚考(ぐこう)いたし升。

へン、七才(さい)の子憎(こぞう)が、何(なに)を知(し)るものか?。

御(ぎよ)意には御坐(ござ)り升が、其(その)七年間(しちねんかん)始終(しじう)母(はゝ)きみが御付添(おつきそい)で御坐(ござ)り升(ます)から、若(わか)ぎみが此上(このうへ)もなく親愛(しんあい)して居(を)られます。(以上、『女学雑誌』第二六八号)