ルビ部分を児玉隆則(佐藤ゼミ・4年生)が入力したもの。協力、多謝。
佐藤の検閲は経ていない。


  小公子
   第二回(上)   若松賤子

これから後(のち)一週間(しゆうかん)の間(あひだ)といふものはセドリツクは驚(をどろ)く事許(ことばか)りで、万(よろ)づ夢(ゆめ)の様(やう)に感(かん)ぜられました。
第(だい)一、おつかさんのいつて聞(きか)せて下(くだ)さる事(こと)が皆(み)な不思議(ふしぎ)でたまらず、二度(ど)も三度(ど)も聞直(きゝなほ)さない中(うち)は会得(えとく)が出来(でき)ませんかつた。
そうしてホッブスおぢはマアなんと思(をも)ふだろうかと、自分(じぶん)にも想像(そうぞう)しかねてゐました。
先第(まづだい)一に、華族(くわぞく)といふことが其話(そのはな)しの始(はじ)まりでした。
抑も自分(じぶん)のまだ見(み)たことのないお祖父様(ぢいさま)が、侯爵(こうしやく)の華族(くわぞく)さまだそうで、それから其跡(そのあと)を継(つい)で侯爵(こうしやく)におなりなさる可(べ)きおほ伯父様(をぢさま)といふが、落馬(らくば)しておなくなりなさる。
其次(そのつぎ)には、二番目(ばんめ)の伯父様(をぢいさま)が其爵位(そのしやくい)をお受(うけ)なさる筈(はづ)なのが、是(これ)も俄(にはか)にロームといふ処(ところ)で熱病(ねつびよう)でお隠(かく)れになつて仕舞(しま)う。
サアこふなつてからは、若(も)しセドリツクのおとつさまが存命(ぞんめい)ならば、其跡(そのあと)へお直(なほ)りなさる可(べき)を、みんな此世(このよ)に入(いら)つしやらないで、セドリツク丈(だけ)が残(のこつ)てゐるのだから、お祖父様(ぢいさま)のお跡(あと)には、自分(じぶん)が侯爵(こうしやく)になることだといふ話(はなし)でした。
今(いま)の処(ところ)ではドリンコート侯爵(こうしやく)の跡(あと)を譲得(ゆづりう)く可(べ)き人(ひと)の予(あらか)じめ名(な)のるてふフォントルロフ殿(どの)なる尊号(そんがう)は、とりも直(なほ)さず自分(じぶん)の新敷名(あたらしきな)と云聞(いひきか)せられました。
セドリツクが始(はじ)めて此話(このはなし)を聞(きゝ)ました時(とき)は、思(をも)はず顔(かほ)の色(いろ)を変(か)へました。
かあさん、僕(ぼく)は侯爵(こうしやく)になり度(たく)ないよ、ダツテ僕(ぼく)の友(とも)だちに侯爵(こうしやく)なんかになるものは一人(ひとり)もないんだもの、かあさん、侯爵(こうしやく)にならなくつちやどうしてもいけないの?
といひました。
然(しか)るに此事(このこと)は免(まぬ)かれられぬものと見(み)えて、其晩(そのばん)、二人(ふたり)は表(をもて)の窓(まど)から外(そと)の見(み)すぼらしい町(まち)を眺(なが)めながら、久敷間其話(ひさしきあひだそのはなし)をしてゐました。
セドリツクは、毎(つね)の通(とふ)り、両手(りようて)を片膝(かたひざ)の週囲(なはり)へ廻(まは)して、低(ひく)い椅子(いす)の上(うへ)に坐(すは)つてゐましたが、どうやら迷惑(めいわく)そうな其顔(そのかほ)は詰(つ)めて考(かんが)へた為(せい)かポツト赤(あか)らんでゐました。
必竟(つまり)、お祖父様(ぢいさま)がセドリックを英国(えいこく)へ来(く)る様(やう)にと、迎(むかひ)をおよこしなさつたので、おつかさんが行(ゆか)なければいけまいと思(をも)ふとおつしやるのでした。
おつかさんが悲(かな)しそうな眼(め)つきで窓(まど)から外(そと)を眺(なが)めながら、
セデーや、おとつさんが入つしつたら、矢(や)つ張(ぱ)りそうさせ度(たい)と思召(をぼしめ)すだろうとわたしは思(をも)ふのだよ。
おとつさんは大層(たいそう)おうちを恋(こい)しがつて入(いら)つしやる方(かた)だつたよ、そうして、おまへはまだ年(とし)は行(ゆ)かず、分(わか)るまいが、そこには色々(いろ\/)考(かんが)へなければならぬ都合(つごう)もあるのだからね、全体(ぜんたい)、わたしがおまへを引留(ひきと)めて遣(やら)なければ大層(たいそう)我侭(わがまゝ)な母(はゝ)になるのだよ、おまへがやがて成人(せいじん)すれば何(なに)も彼(か)もスツカリ分(わか)り升(ます)よ。
とおいひでした。
セドリックは気(き)のなさそうに、頭(かしら)を振(ふ)つて、
僕(ぼく)はネ、ホッブスおぢさんに分(わか)れるのが嫌(いや)でしよふがないんです。
僕(ぼく)も淋(さび)しひだろうし、おぢさんだつて、さむしがるに違(ちが)いないんだもの、それから、みんなと分(わか)れるのが大変(たいへん)嫌(いや)なんです。
といひました。
さて英国(えいこく)からフォントルロイ殿(どの)お迎(むかひ)にとて遣(つか)わされたドリンコート家(け)付属(ふぞく)の代言人(だいげんにん)ハヴィシヤムといふ人(ひと)が、翌日(よくじつ)此家(このいへ)へ来(き)ました時(とき)、セドリツクは尚(なほ)種々(いろ\/)の話(はなし)を聞(きゝ)ました。
併(しか)し成人(せいじん)の後(のち)、滅法(めつぽう)富祐(ふいう)な身分(みぶん)になり、此処(こゝ)、彼処(かしこ)に城郭(じようかく)を所有(しよう)し、美麗(びれい)なる花苑(くわえん)、広大(こうだい)なる鉱山(かなやま)、立派(りつぱ)なる借地(しやくち)、借家(しやくや)が皆(みな)、自分(じぶん)のものになると聞(きい)ても、それがセドリツクの慰(なぐさ)めにはならず、たゞホッブスおぢのこと斗(ばかり)りが気(き)に掛(かゝ)つてゐました。
それ故(ゆゑ)朝飯(あさげ)を済(す)ますと直(す)ぐ、心配(しんぱい)しい\/彼(か)の店(みせ)へと出掛(でかけ)ました。
ホッブスは丁度(ちようど)新聞(しんぶん)を読(よ)んでゐた処(ところ)でしたが、セドリツクはいつもになくまじめ顔(かほ)に側(そば)へ寄(よ)りました。
自分(じぶん)に斯様(かやう)\/のことがあつたと唐突(とうとつ)に申(まう)したら、さぞ肝(きも)をつぶすだろうから、どふかしておだやかに其話(そのはな)しがし度(たい)とセドリツクは道々(みち\/)考(かんが)へながら来(き)たのでしたが、ホッブスは突然(いきなり)、
イヤアー、お早(はよ)う!
と声(こゑ)を掛(かけ)ました。
セドリツクの方(ほう)でも、
お早(はよ)う!
といひました。
今日(けふ)は何故(なぜ)か、例(れい)の高(たか)い倚子(いす)には乗(の)らず、そこに有(あ)る明箱(あきばこ)の上(うへ)へ坐(すは)つて膝(ひざ)をかヽへてヂツトしてゐたことが、やヽ暫(しばら)くでしたから、ホッブスはやがて不審顔(ふしんがほ)に新聞(しんぶん)の上(うへ)から見上(みあげ)て、
イヤアーどふだ?
と云(い)ひました。
セドリツクは此時(このとき)一生懸命(しようけんめい)に気(き)を落着(をちつ)けて、こふ云(い)ひ出(だ)しました、
おぢさん、きのふの朝(あさ)、こヽで話(はな)しをしてゐたこと覚(おぼ)へてゐ升(ます)か?
ソウサ、イギリスのことだつけナ。
と答(こた)へました。
エー、それから、ソラ、丁度(ちようど)メレが這入(はい)つて来(き)た時(とき)ネ?
ソウダ\/、ヴィクトリヤのことだの、華族(くわぞく)のことナニカ話(はな)してゐたつけナ。
それからネ、ソラ‥‥‥ソラと(篭(ごも)りながら)アノ、侯爵(こうしやく)のことネ、覚(おぼ)へてゐないの?
ホンニ、さうだつたナア、あいつ等(ら)のこともちつと斗(ばか)り話(はな)してたつけ、ソウダ\/。
セドリツクは額(ひたい)の辺(へん)にフサ\/してゐた髪(かみ)の根本(ねもと)まで真赤(まつか)になり、凡(をよ)そ、一生涯(しようがい)にこれほど間(ま)がわるかつたことはないと自分(じぶん)は思(をも)ひ、ホッブスおぢもいくらか間(ま)がわるくはなかろうかと気遣(きづか)ひながら、
おぢさん、こヽらの明箱(あきばこ)へ、侯爵(こうしやく)なんかの腰(こし)はかけさせないとおつしやたネイ?
と又(また)言葉(ことば)をつぎ升(まし)た。
ホッブスは少(すこ)し威張(いば)りかげんに、
ソウトモ\/、こヽらへ腰(こし)でも掛(かけ)やうもんなら、ひどいめに逢(あ)はせてやるは、と答(こた)へました。
おぢさん、そういふけれども、此箱(このはこ)の上(うへ)へ腰(こし)かけてゐるのが侯爵(こうしやく)だよ!
と聞(きい)て、ホッブスは殆(ほとん)ど倚子(いす)から飛落(とびをち)そうな気色(けしき)でした。
何(なに)を言(い)ふんだナア!
とビツクリ声(ごゑ)で云(いひ)ました。
セドリツクは遠慮気味(えんりよぎみ)に、
エー、デモ僕(ぼく)が侯爵(こうしやく)なんです、アノ、これからそれになるんです、嘘(うそ)いひやしませんよ。
といひました、
ホッブスは、これハ大変(たいへん)だといふ顔付(かほつき)で、俄(にはか)かに立上(たちあが)つて、寒暖計(かんだんけい)を見(み)に行(ゆき)ました、振(ふ)り向(むい)て、ヂツトセドリツクの顔(かほ)を見詰(みつめ)ながら、
暑気(しよき)にチツトやられてるナ、今日(けふ)はまたすてきに暑(あつ)いからナア、全体(ぜんたい)、どんな気持(きもち)がするんだ?
どつか痛(いた)いのか?
いつから、そんな心持(こゝろもち)になつたんだ?
と立続(たてつゞ)けにとひ掛(か)けて、セドリツクの髪毛(かみのけ)の中(なか)へ大(おほ)きな手(て)を突込(つきこ)みました。
処(ところ)でます\/、間(ま)がわるく、臆(おく)せ気味(ぎみ)に。
おぢさん、心配(しんぱい)してくれて有難(ありがたう)、ダガ僕(ぼく)ハ何(なん)ともないんです、頭(あたま)もどふもしやしません、ネイおぢさん、僕(ぼく)もそれがほんとだつて云(い)ふのハ嫌(いや)だけれど、きのふメレが僕(ぼく)を連(つ)れに来(き)たのもそれなんで、ハヴィシヤムさんが僕(ぼく)のかあさんに其(そ)の事(こと)を話(はな)しに来(き)たんです、そうして其(そ)の人(ひと)ハ代言人(たいげんにん)ですと。
ホッブスハ此時(このとき)椅子(いす)にドツカト直(すわ)り、ハンケチで頻(しき)りに額(ひたへ)を拭(ぬぐ)ひながら、
ナンデモ、どつちか霍乱(かくらん)でもするにちげいねいんだ。
ととんきやう声(こゑ)で云(い)ました。
イヽへ、おぢさん、そんなことハないんですよ、ネイ、おぢさん、仕方(しかた)がないから、二人(ふたり)とも明(あき)らめなくつちやネ、ダツテ、ハヴィシヤムさんが、態々(わざ\/)イギリスから其話(そのはな)しを聞(き)かせに来(き)たんで、僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さんがよこしたんですと。
ホッブスハあつけにとられて、セドリツクのまじめなあどけない顔(かほ)を見(み)つめながら、
おまへのおぢいさんとハ、それハ一体(いつたい)、誰(だれ)なんだへ?
と尋(たづ)ねました。
セドリツクハポツケツトの中(うち)へ手(て)を入(い)れて、丸(まる)ッこい、子供(こども)ら敷(しき)手跡(しゆせき)で、覚束(おぼつか)なさそうに書(かい)た紙切(かみきれ)を取出(とりだ)して、僕(ぼく)ハよく覚(おぼ)へてゐられなかつたからネ、これへ書付(かきつ)けて置(をい)たんです、(といひながら迂論(うろん)な調子(ちようし)で)、ドリンコウト侯爵(こうしやく)、ジョン、アーサ、モリノー、ヱロルと読上(よみあ)げ、それが僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さんの名(な)なんです、そうして、お城(しろ)に住(す)んでゐるんですと。
ソウソウ二ッも三ッもお城(しろ)があるんですと。
僕(ぼく)のとうさんネ、死(し)んだ僕(ぼく)のとうさんハ一番(ばん)の末子(すえつこ)で、僕(ぼく)ハとうさんがおなくなりなさらなけれバ、侯爵(こうしやく)にナンカ成(な)りやしないんで、それから、とうさんの兄(にい)さんが二人(り)おなくなりなさらなけりや、とうさんも侯爵(こうしやく)にならない処(ところ)だつたんだけれど、みんな無(なく)なつてしまつて、僕切(ぼくき)り残(のこ)つてゐて他(ほか)に男(をとこ)の子(こ)がないからネ、僕(ぼく)がならなけりやいけないんですと、ダカラ、僕(ぼく)のお祖父(ぢい)さんがイギリスへ来(こ)いつて、迎(むかへ)をおよこしなすつたんですよ。
ホッブスはます\/逆上(のぼせ)あがつた様子(やうす)で、額(ひたひ)と頭(あたま)の禿(はげ)たおけしを絶間(たえま)なく拭(ぬぐ)ひながら、頻(しき)りに忙敷(いそがし)い息(いぎ)づかひをしてゐ升(まし)た。
何(ど)うやら不思議(ふしぎ)なことが実際(じつさい)あつたのだと云(いふ)ことは少(すこ)しづヽ呑込(のみこ)めては来(き)ましたが、眼(め)の前(まへ)にあどけない、気遣(きづか)わしそうな貌付(かほつき)をしたセドリツクが明箱(あきばこ)の上(うへ)に腰(こし)かけてゐて、見(み)れば、少(すこ)しも以前(いぜん)と変(かは)つてはゐず、矢張(やは)り、きのふ見(み)た時(とき)の紺(こん)の服(ふく)に赤(あか)い頚飾(ゑりかざり)をつけた器量(きりよう)よしで、心易(こゝろやす)くつて、きつそうな童子(こども)に相違(さうい)ないこと故(ゆゑ)、華族(くわぞく)がどうして、こふしての話(はな)しが中々(なか\/)チヨツト合点(がてん)が行(ゆき)ませんかつた。
其上(そのうへ)、セドリツクの話振(はなしぶり)が余(あま)りに無邪気(むじやき)で、さつぱりとしてゐて、自分(じぶん)には大(たい)したこととも一向(かう)気(き)が付(つ)かずにゐる様子(やうす)ゆゑ尚更(なほさら)仰天(ぎやうてん)したのでした。
おまへの名(な)はなん‥‥‥なんだつたつけナ?
と問(と)ひ掛(か)けました。
アノ、フオントルロイ殿(どの)、ヱロル、セドリツクといふんです、ハヴイシヤムさんがなんでもそういひましたつけ、僕(ぼく)がネ最初(さいしよ)、坐敷(ざしき)へ這入(はい)つて行(い)つたらネ、これがフオントルロイ殿(どの)で御座(ござ)るか、といひましたつけよ、
フーン、おらあ、あきれつちまつた!
ホツブスおぢのこの言葉(ことば)はいつも非常(ひじやう)に驚(おどろ)いたとか、気(き)の揉(も)めるとかいふ時(とき)によく出(で)たのでした。
差当(さしあた)り、仰天(ぎやうてん)の余(あま)り、他(た)にいふことも思付(おもひつ)きませんかつた。
セドリツクは矢張(やは)り是(これ)が相当(さうたう)な、差支(さしつかへ)ない嘆息(たんそく)の言葉(ことば)と許(ばか)り思(おも)つてゐました。
ホツブスを非常(ひじやう)に敬愛(けいあい)してゐる処(ところ)から総(すべ)て其(その)言葉(ことば)までが、尤(もつと)もに感(かん)じられて、いつも心服(しんぷく)してゐました。
未(いま)だ世間(せけん)の交際(かうさい)も知(し)らぬセドリツクにはホツブスの余(あま)り礼義(れいぎ)正(たゞ)しい人物(じんぶつ)でないことは気(き)が付(つき)ませんかつたが固(もと)より自分(しぶん)のおつかさんと比(くら)べて見(み)れば、ホツブスの違(ちが)つてゐたことは分(わか)りました、併(しか)しおつかさんは婦人(ふじん)のことゆゑ、婦人(ふじん)と男子(だんし)とはどふしても違(ちが)つてゐるものと自身(じしん)に道理(だうり)をつけてゐました。
此時(このとき)なにか物足(ものたり)りなそふにホツブスを見詰(みつ)めてゐましたが、暫(しばら)くして、
おぢさん、イギリスは大変(たいへん)遠(とほ)いんだネ?
と尋(たづ)ねました。
ソウサ、大西洋(たいせいよう)を渡(わた)つて向(むか)ふだよ、
と答(こた)へました。
僕(ぼく)はそれが嫌(いや)なんですよ、ヒヨツトスルトいつまでか逢(あわ)れないネ、おぢさん、僕(ぼく)はそれを考(かんが)へると嫌(いや)になるよ。
親友(しんゆう)も離(はな)れざるを得(え)ずといふことがあるは。
とホツブスがいひました。
ソウ、おぢさんと僕(ぼく)は幾年(いくねん)か親友(しんゆう)だつたんだネ。
ソウトモ、おまへが生(うま)れるからだわ、此町(このまち)を抱(だ)かれて歩(ある)いたのはなんでも生(うま)れてから四十日(にち)もたつてからだつけ。
セドリツクは溜息(ためいき)をつきながら、
アヽ\/、僕(ぼく)は其時分(そのじぶん)侯爵(こうしやく)ナンカニならなけりやならないと思(おも)はなかつたつけ。
おまへ、よす訳(わけ)にはいかないのかナ、
どふもそうは行(いか)ないようですよ、かあさんがネ、とふさんが入(い)らつしやればキツトそうさせ度(たい)つておつしやるつていひましたよ、ダガネ、僕(ぼく)はどうしても侯爵(こうしやく)にならなくっちやいけないんなら、こふする積(つも)りですよ、ネイ、僕(ぼく)は極(ご)く好(い)い侯爵(こうしやく)になるんです、圧制家(あつせいか)になんかはならないんです、そうしても一度(ど)アメリカと戦争(せんそう)しよふナンテいわふもんなら、僕(ぼく)が一生懸命(しようけんめい)で止(と)めませう。
これからホツブスと久敷間(ひさしいあいだ)子細(しさい)ら敷(しく)話(はな)しをしてゐました、最初(さいしよ)の不審(ふしん)が解(と)けてからはホッブスは存外(ぞんぐわい)愚痴(ぐち)つぽくなく余議(よぎ)ないこととして観念(かんねん)した様(や)うでした、セドリツクが暇(いとま)を告(つげ)るまでにはさま\゛/なことを尋(たづ)ねました。
セドリツクは思(おも)ふ様(やう)に返事(へんじ)が出来(でき)ませんかつたから、自分(じぶん)で自由(じゆう)に理屈(りくつ)を付(つ)けて、段々(だん\/)侯爵(こうしやく)、伯爵(はくしやく)の談話(はなし)に油(あぶら)が乗(の)つて来(き)てから、こふいふもんだ、あヽいふもんだの、講釈(かうしやく)はハヴィシヤム氏(し)にでも聞(き)かせたらさぞ肝(きも)をつぶさせましたろう。(以上『女学雑誌』二二九号)


小公子   若松しづ子
 第二回(中)
併(しか)し、ハヴィシヤム氏(し)の驚(をどろ)いたことはまだ外(ほか)にいくらも有(あ)り升(まし)た。
是(これ)はイギリスに一生(しよう)を送(をく)つて、米人(べいじん)と米国(べいこく)の風俗(ふうぞく)には少(すこ)しも慣(な)れて居(を)らなかつた故(ゆゑ)でした。
職務上(しよくむじやう)ドリンコート家(け)には四十年間(ねんかん)も関係(くわんけい)して居(を)り升(まし)て、之(これ)に付属(ふぞく)してゐる莫大(ばくだい)の富(とみ)も、威光(いくわう)も好(よ)く知(し)つてゐること故(ゆゑ)、自分(じぶん)は全体(ぜんたい)冷淡(れいたん)なたちで、職務上(しよくむじよう)の外(ほか)は容易(やうゐ)に口(くち)を開(ひらか)ぬといふ人物(じんぶつ)なるにも係(かゝ)わらす、遠(とう)からず、一切(せつ)を受継(うけつい)で、ドリンコート侯爵(こうしやく)の尊号(そんごう)を名乗(なの)る可(べ)き此(この)童児(どうじ)を流石(さすが)に軽忽(かりそめ)には見做(みな)しませんかつた。
此人(このひと)はまた長男(ちようなん)、次男(じなん)が老侯(ろうこう)の意(い)に叶(かな)わなかつたことも、カプテン、エロルが米国婦人(べいこくふじん)と結婚(けつこん)したのを烈敷(はげしく)憤(いきど)ほられたことも、其(その)未亡人(びぼうじん)が忌(い)み嫌(きら)はるヽこと今(いま)尚(な)ほ以前(いぜん)に異(こと)ならず、其人(そのひと)の話(はなし)になれば毎(いつ)も知(し)らす、識(し)らず、言葉(ことば)を荒(あら)らげ玉(たも)ふことも承知(しようち)して居(お)り升(まし)た。
老侯(ろうこう)はいつも此(この)婦人(ふじん)こそ我子(わがこ)の侯爵家(こうしやくけ)の子息(しそく)たるを知(し)り、手練(てくだ)を以(もつ)て欺(あざむ)きたる卑劣(ひれつ)なる人物(じんぶつ)なれと断(だん)じて詈(のゝ)しり居(を)られ升(まし)た。
ハヴィシヤム氏(し)も、それ或(あるい)は然(しか)らん位(ぐらい)に半信半疑(はんしんはんぎ)で居(を)り升(まし)たが、其(その)生涯(しようがい)の中(うち)には、随分(ずいぶん)勝手気侭(かつてきまゝ)な人物(じんぶつ)にも、貪欲(どんよく)な人物(じんぶつ)にも出逢(であ)ふたことのある人(ひと)でして、増(ま)して米国人(べいこくじん)をば余(あま)り好(よ)く思(おも)ひませんかつたこと故(ゆゑ)、かく思(おも)ふも無理(むり)ならぬことでした。
御者(ぎよしや)の案内(あんない)で、馬車(ばしや)がトある下賎(げせん)らしき町(まち)へ這入(はい)り、安(やす)ツぽい、小(ち)さな家(いへ)の前(まへ)へ止(と)まつた時(とき)に実際(じつさい)ギヨツトした位(くらい)でした。
苟(いや)しくもドリンコートの城主(じようしゆ)と呼(よ)ばる可(べ)きものが角(かど)に万屋(よろづや)らしき小店(こみせ)のある下賎(げせん)な家(いへ)に生(う)れて、生長(せいちよう)あしたと云(い)ふは、どふ思(おも)ふても余(あま)りに不相応(ふさうをう)なことと感(かん)じました。
生(うま)れし男児(だんじ)と云(い)ふは如何(いか)なる人品(じんぴん)、又(また)母(はゝ)たるものヽ人柄(ひとがら)はいかゞあらんと気遣(きつか)ひつヽも、心(こゝろ)は一向(こう)進(すゝ)まず、有難(ありがた)くもなき対面(だいめん)と少(すこ)し躊躇(ちうちよ)の気味(きみ)でした。
自身(じぶん)がこれ迄(まで)久敷間(ひさしきあひだ)其(その)公務(こうむ)を引受(ひきう)けて居(を)つた大家(たいか)の事(こと)ゆへ、自然(しぜん)贔負(ひいき)も出来(でき)て見(み)れば、亡夫(ぼうふ)の古郷(こきよう)と、名家(めいか)の尊巌(そんげん)などに考(かんが)への及(およ)バぬ卑劣(ひれつ)貪欲(どんよく)なる婦人(ふじん)と掛引(かけひき)せねばならぬ仕合(しあわせ)は迷惑(めいわく)千万に思(おも)はれたのでしたらう。
此(この)老成(ろうせい)なる代言人(だいげんにん)は生来(せいらい)冷淡(れいたん)、英敏(えいびん)なる事務家(じむか)でしたが、高名(こうめい)なる此(この)旧家(きうか)に対(たい)しては容易(ようい)ならぬ尊敬心(そんけいしん)を懐(いだ)いて居(を)り升(まし)た。
メレの案内(あんない)に連(つ)れて通(と)ふつた座敷(ざしき)を見(み)、批評的(ひゝようてき)に眺(なが)め升(まし)たが、質素(しつそ)にしつらつてある中(なか)にも案外(あんぐわい)小(こ)ざつばりとして住(す)み好(よ)さそうでした。
包囲(まわり)には安(やすつ)ぽい虚飾(はでな)置物(をきもの)や額(がく)は見(み)えず、壁(かべ)に掛(かゝ)つた多(をほ)くもあらぬ額面(がくめん)は品好(ひんよ)きもの耳(のみ)で、婦人(ふじん)の手(て)に為(な)つたろうと思(おも)ふ奇麗(きれい)な飾付(かざりつけ)が外(ほか)に少(すこ)し斗(ばか)り有(あ)りました。
先(ま)づこれ位(くらゐ)ならば大(たい)して悪(わる)くはないが、カプテン、エロル殿(どの)の嗜好(このみ)が好(よ)かつた為(せい)かも知(し)れぬと心(こゝろ)の中(うち)に思(をも)ひ升(まし)た。
併(しか)しエロル夫人(ふじん)が坐敷(ざしき)へ這入(はい)つて来(き)たのを見(み)ると同時(どうじ)にどうやら其(その)人品(じんぴん)が矢張(やは)り其(その)包囲(まわり)と相応(つりあふ)て居(い)るといふことに気(き)が付(つき)ました。
此人(このひと)が若(も)し沈着(ちんちやく)で、物(もの)に動(どう)ぜぬ老紳士(ろうしんし)でなかつたならば、夫人(ふじん)を見(み)た時(とき)の驚(をどろ)きが必(かなら)ず容貌(ようぼう)に露(あら)はれたに相違(そうい)有(あり)ません。
其(その)質素(しつそ)な黒(くろ)い喪服(もふく)が窈窕(たほやか)な姿(すがた)をよくも装(よそほ)ふた処(ところ)は七歳(さい)になる童児(どうじ)の母(はゝ)といわふよりは寧(むし)ろまだうら若(わか)き処女(をとめ)と思(おも)へる様(やう)でした。
其(その)若(わか)\/しい貌(かほ)は奇麗(きれい)に萎(しほ)らしく、其(その)大(おほ)きやかな茶勝(ちやがち)の眼(め)には何処(どこ)となく、優愛(いうあい)で、おぼこ気(げ)な様子(やうす)が有(あり)ました。
此(この)一体(たい)に萎(しほ)\/とした処(ところ)は夫(をつと)に離(はな)れて以来(このかた)まだ全(まつた)く、去(さ)り切(き)らぬ様子振(やうすぶ)りでした。
セドリツクは此様子(このようす)をよく見慣(みなれ)て居(を)り升(まし)たが、一時(じ)其(そ)の憂(うれ)はしさが消失(きえう)せて、母(はゝ)の貌(かほ)のさえ\/するのを見(み)るのは、只(た)だ自分(じぶん)が一処(しよ)に遊(あそ)ぶときとか、話(はな)しをしてゐる中(うち)に、何(なに)か思(おも)はず妙(みよう)なことをいふ時(とき)とか、又(また)は新聞(しんぶん)を読(よ)んで覚(をぼ)えたか、ホツブスの談話(だんわ)で聞(きい)た可笑(おかし)なませた言葉(ことば)をつかつた時(とき)とかのことでした。
セドリツクは六ケ敷(しい)、長(なが)い言葉(ことば)をつかふのが好(すき)でして、おつかさんのお気(き)に入(い)るらしいのは嬉(うれ)しいけれど、自分(しぶん)は一生懸命(いつしようけんめい)で言(い)ふのに、なぜ人々(ひと\/)には可笑(おかしい)か知(し)らんといつも思(おも)つてゐました。
さすが代言人(だいげんにん)丈(だけ)あつて、彼(か)の人(ひと)は人物(じんぶつ)を見(み)るのは得意(とくい)でしたから、セドリツクの母(はゝ)を一眼(め)見(み)ると直(す)ぐに老侯(ろうこう)がエロル夫人(ふじん)をば下賎(げせん)で、貪欲(どんよく)な人物(じんぶつ)と見做(みな)した判断(はんだん)の大誤(おほあやまり)で有(あ)つたことの合点(がてん)が行升(ゆきまし)た。
ハヴィシヤムといふ人(ひと)は一生(しよう)独身(どくしん)で送(をく)つた人(ひと)で、恋(こひ)といふことさへ知(し)りませんかつたが、此(この)可愛(かあい)らしい声(こゑ)の、萎(しほ)らしい眼(め)の若婦人(わかふじん)がカプテン、エロルと結婚(けつこん)したのは、全(まつた)く其(その)優(いう)な心(こゝろ)を尽(つく)して其人(そのひと)を愛恋(あいれん)した故(ゆゑ)で、損益上(そんえきじよう)、侯爵家(こうしやくけ)の子息(しそく)なることは考(かんがへ)に這入(はい)つたこともないといふことの推測(すいそく)が出来(でき)ずして、先(まづ)、これなれば掛引(かけひき)の面倒(めんどう)もない、又(また)若年(じやくねん)のフォントルロイ殿(どの)もドリンコート家(け)にとつてさまでの厄介物(やくかいもの)でもあるまいかと思(おも)はれて来(き)ました。
それから又(また)カプテンは生来(せいらい)、美男子(びだんし)であつて、此婦人(このふじん)も美人(びじん)なれば、其子(そのこ)は多分(たぶん)器量(きりよう)が悪(わる)いことはあるまいと考(かんが)へ升(まし)た。
最初(さいしよ)、先(まづ)エロル夫人(ふじん)に来意(らいい)を告(つ)げました時(とき)、夫人(ふじん)は忽(たちま)ち貌色(かほいろ)を変(か)へました。
オヤ、さ様(やう)ですか、さ様(やう)ならば、私(わたくし)はあの子(こ)を手離(てばな)さねばならぬのでせうか?
マアーあの様(やう)によく懐(なつい)て居(を)り升(ます)に、只今(たゞいま)まで此上(このうへ)もなく楽(たの)しみにいたして、出来(でき)る丈(だけ)の注意(ちうい)をして育(そだ)てましたに、ソシテ他(た)に何(なん)の楽(たの)しみもない私(わたくし)にとつてハ、他人(たにん)には分(わか)らぬほど大事(だいじ)な子(こ)で御座(ござ)り升(ます)のに‥‥‥、
といふ声(こゑ)の震(ふる)へた処(ところ)は如何(いか)にも愛(あい)らしく、眼(め)には涙(なみだ)を一杯(ぱい)に湛(たゝ)へてゐました。
彼(か)の代言人(だいげんにん)はしわぶきしてかふいひ升(まし)た。
チト申悪(まうしにく)い事(こと)ですが、老侯(ろうこう)は尊夫人(あなた)に対(たい)してエー、其(その)‥‥‥ひどく打(うち)とけては居(を)られぬので、イヤ御承知(ごしやうち)の通(とほ)り、老人(ろうじん)と申者(まうすもの)は兎角(とかく)偏頗(へんぱ)な者(もの)でナ、老侯(ろうこう)も其(その)偏頗心(へんぱしん)の甚(はな)はだ強(つよ)い方(かた)で、一度(ど)思(をも)ひ込(こん)だことは中(なか)\/解(とき)にくいのです、殊(こと)に米国(べいこく)といひ、米国人(べいこくじん)といへば、一途(づ)に嫌(きらい)な質(たち)で実(じつ)は御子息(ごしそく)の御結婚(ごけつこん)のことに付(つい)ては、イヤ大(たい)した立腹(りつぷく)で御座(こざ)つた、愚老(ぐろう)も実以(じつもつ)て面白(をもしろ)からぬ御沙汰(こざた)の使者(ししや)として推参(すいさん)するは迷惑(めいわく)な次第(しだい)です、併(しか)し早(はや)い話(はな)しが老侯(ろうこう)は貴夫人(きふじん)とは断(だん)じて顔(かほ)を合(あは)すまい、たゞフォントルロイ殿(どの)は手元(てもと)のへ引取(ひきと)り、自(みづか)ら其(その)教育(きよういく)の任(にん)を採(と)り度(たい)との御所存(ごしよぞん)で御座(ござ)る。
元来(ぐわんらい)、老侯(ろうこう)はドリンコート城(じやう)には余程(よほど)執心(しつしん)で、お住(すま)いは重(を)も此(この)城中(じやうちう)で、炎症痛風(ゑんしやうつうふう)の持病(ぢびよう)ある為(ため)、都(みやこ)には余(あま)り御滞在(ごたいざい)はないのです。
それ故(ゆゑ)、フォントルロイ殿(どの)も矢張(やは)り重(を)もドリンコート城(じやう)に御住(おすま)いになることで御座(こざ)ろう。
貴夫人(あなた)にはコート、ロツヂと申(まう)して、此城郭(このじやうくわく)に遠(とほ)からぬ、家屋(かおく)を呈(てい)し、又(また)是(これ)に加(くわ)へて適宜(てきゞ)なる歳入(さいにふ)も差上(さしあげ)る御所存(ごしよぞん)で御座(ござ)る。
フォントルロイ殿(どの)がこヽに出入(でいり)し母君(はゝぎみ)の機嫌(きげん)を伺(うかゞ)はるヽことは自由(じいう)にいたし置(をか)るヽ筈(はづ)、只(たゞ)差留置(さしごめをか)るヽは対面(たいめん)井(ならび)に城郭(じやうくわく)への御出入(ごしゆつにう)のみで御座(ござ)る。
只今(たゞいま)申(まう)し上(あぐ)る通(とほ)り故(ゆゑ)、先方(せんぽう)の謂分(いゝぶん)もさほど無理(むり)とは存(ぞん)ぜられぬかと思(おも)ひ升(ます)テ。
殊(こと)に申迄(もうすまで)もなく、かくなる上(うへ)はフォントルロイ殿(どの))にとりては教育(きよういく)其他(そのた)万事(ばんじ)に如何程(いかほど)の御利益(ごりえき)か測(はか)られませぬこと故(ゆゑ)、篤(とく)と御勘考(ごかんこう)願升(ねがいます)。
と述立(のべた)て、さて婦人(ふじん)は兎角(とかく)涙(なみだ)もろいもの、かふ聞(きい)て泣出(なきだ)されはせぬか、左様(さよう)なこともあらば苦々敷(にが\/しき)ことと心密(こゝろひそ)かに其様子(そのようす)を窺(うかゞ)ふて居(を)り升(まし)たが、其様子(そのようす)もなく、たゞ窓際(まどぎわ)へ立寄(たちよつ)て、暫(しばら)く顔(かほ)を背向(そむけ)て居(を)られたのは、心(こゝろ)の動揺(どうよう)を静(しづ)める為(ため)で有(あ)つたのでした。
幾(いく)ほどもなく、
カプテン、エロルもドリンコートを大層(たいそう)に慕(した)ふて居(を)られ升(まし)た。
お国(くに)のことと云(い)へば何(なん)でもひどく慕(した)はしく思召(をぼしめ)して、お家(いへ)を離(はな)れて居(を)らるヽが始終御苦労(しゞうごくろう)の種(たね)で有(あ)つたのでして、お家(いへ)のことも御家名(ごかめい)のことも格別(かくべつ)大切(たいせつ)に思(をもは)るヽ方(ほう)でしたから、其子(そのこ)に故郷(ふるさと)の立派(りつぱ)な処(ところ)も見(み)せ、殊(こと)には又(また)未来(みらい)に賜(たま)はるといふ位爵(いしやく)に対(たい)して相応(そうおう)な教育(けういく)が受(うけ)させ度(たい)と、若(も)し御存命(ごぞんめい)ならば、思召(おぼしめし)は必定(ひつじやう)で御座(ござ)り升(ます)。
といひ乍(なが)ら、席(せき)へ戻(もど)り、ハヴィシヤム氏(し)をしとやかに打見遣(うちみや)り、
夫(をつと)が矢張(やは)り其通(そのとふ)りに致(いた)し度(たい)と思(をも)ふだろうと存升上(ぞんじますうへ)は私(わた)くしは他(た)の考(かんがへ)も御座(ござ)りません。
仰(をうせ)の通(とほ)り、子供(こども)の為(ため)には結構(けつこう)なことで御座(ござ)りませう。
そして、アノ侯爵様(こうしやくさま)はまさか子供(こども)が此母(このはゝ)を嫌(きら)ふ様(やう)にはお仕付遊(しつけあそ)ばすこともあるまいかと存(ぞん)じられ升(ます)。
万(まん)一さ様(よう)に仕付(しつけ)やうと思召(をぼしめし)たとて、子供(こども)の害(がい)にはなり升(ます)まいかと思(をも)ひ升(ます)。
誠(まこと)に父(ちゝ)によく似(に)て、温和(をんわ)、忠実(ちうじつ)な方(かた)ですから。
仮令(たとへ)、長(なが)の年月(としつき)顔(かほ)を合(あわ)せませんでも私(わたくし)をおもふことには変(かは)りは御座(こざ)りますまい、増(ま)して折節(をりふし)の対面(たいめん)をお許下(ゆるしくだ)さるとならば格別(かくべつ)申(まふ)し分(ぶん)も御座(こざ)りません。
と何気(なにげ)ない言葉(ことば)を聞(きい)て老人(ろうじん)の心(こゝろ)の中(うち)に、さては心得(こゝろえ)たる婦人(ふじん)、自分(しぶん)のこととては露(つゆ)ほども思(をも)はぬと見(み)えて、別段(べつだん)先方(せんぽう)へ要求(ようきう)らしいことも申出(まうしださ)ないのかと思(をも)ひ、
イヤ、貴夫人(あなた)が只管(ひたすら)、御子息(ごしそく)の行末(ゆくすゑ)のためにと御配慮(ごはいりよ)あるは此老人(このろうじん)も実(じつ)に感服(かんぷく)に存(ぞん)じ升(ます)る。
フヲ(小字)ントルロイ殿(どの)も御成人(ごせいじん)となりたる上(うへ)如何(いか)ほど悦(よろこ)ばるヽか、斗(はから)れませぬ。
以来(いらい)フヲ(小字)ントルロイ殿(どの)の御(ご)一身(しん)、御幸福(ごこうふく)の為(ため)には老侯(ろうこう)にも充分(じゆうぶん)御尽力(ごじんりよく)ある御処存(ごしよぞん)なれば、其辺(そのへん)は御心易(こゝろやす)く思召(をぼしめ)して宜(よろ)しかろうと存(ぞん)じ升(ます)。
キツト老侯(ろうこう)には貴夫人(あなた)に代(かわ)つてどこまでも御保護(ごほご)、御掬育(ごきくいく)あることはおうけ合致(あいいた)して置(をき)ます。
と聞(き)いて優(やさ)しい母心(はゝこゝろ)に少(すこ)し思(をも)ひ迫(せま)つて、震(ふる)へ声(こゑ)になり、
どふぞ侯爵(こうしやく)さまにはセデーにお眼(め)かけられて愛(あい)して下(くだ)されば好(よ)うござい升(ます)が、あれは気立(きだて)が誠(まこと)に人懐(ひとなつ)こい方(はふ)で、これまで優(やさ)しくされつけて居(を)り升(ます)から。
といひ升(まし)た。
ハヴィシヤム氏(し)は又(また)少(すこ)し拍子抜(ひようしぬけ)がした様(やう)に咽喉(のど)を払(はら)ひました。
心(こゝろ)の中(うち)にどふも彼(あ)の持病持(ぢびようもち)な、癇僻(かんべき)ある老侯ろうこう)が大(たい)して人(ひと)を愛(あい)する様(やう)なことは間違(まちが)つてもないかと思(をも)はれました。
併(しか)し自分(しぶん)の後(のち)を継(つ)ぐ可(べ)きものを懐(なづ)けて置(を)くは利益(りえき)で有(あ)つて見(み)れば、先(まづ)深切(しんせつ)には扱(あつか)ふであろう、又(また)人物(じんぶつ)が自分(じぶん)の気(き)に叶(かな)へば、随分(ずゐぶん)、人(ひと)に対(たい)して自慢(じまん)する程(ほど)だろうかと思(をも)ひ升(まし)た。
フヲ(小字)ントルロイ殿(どの)はキツトお気楽(きらく)には相違御座(さうゐござ)りません、必竟(ひつきよう)、貴夫人(あなた)が近隣(きんりん)に御住居(をすまゐ)なさる様(やう)、お取斗(とりはから)ひあつたと云(いふ)もフヲ(小字)ントルロイ殿(どの)のお心(こゝろ)の中(うち)を推測(をしはか)つての御配慮(ごはいりよ)で御坐(こざ)る。
怜悧(かしこ)くも答(こたへ)ました。
ハヴィシヤム氏(し)も流石(さすが)侯爵殿(こうしやくどの)の申(まう)された通(とう)りを其(その)まヽ伝(つた)へるに忍(しの)びす、態(わざ)と言葉(ことば)を和(やわら)げて滑(なめ)らかに聞(きこ)へる様(やう)に注意致(ちういいた)しました。
さてヱロル夫人(ふじん)がメレに子息(しそく)を尋(たづ)ねて連(つ)れ帰(かへ)る様(やう)に申付(まうしつ)けて、メレが其有家(そのありか)を申(まう)した時(とき)、老紳士(ろうしんし)は又(また)も一度(ど)ドツキリ致(いた)し升(まし)た。
へイ\/、雑作(ざうさ)もなく見(み)つかり升(ます)とも、又(また)いつもの通(とふ)り、今時分(いまじぶん)はホッブスさん処(とこ)の帳場(ちようば)のワキへお腰(こし)をかけて、政事(せいじ)の話(はな)しをして入(いら)つしやるか、ソウデなけりやあ、シヤボンや、蝋燭(ろうそく)や、馬鈴薯(じやがいも)のあるなかで御機嫌(ごきげん)で遊(あそ)んで入(いら)つしやるにちげい御座(ござ)いませんよ、エどふもお悧巧(りこう)で、おかうゑいらしいんですからネ。
とメレがいひ升(まし)た。
ヱロル夫人(ふじん)は其跡(そのあと)を継(つ)いで、
ハイ、アノホッブスと申(まう)す人(ひと)はセデーが生(うま)れた時(とき)から御存(ごぞん)じで、大層(たいそう)深切(しんせつ)にして呉(く)れるので、セデーもよく懐(なつ)いて居(を)り升(ます)。(以上『女学雑誌』二三〇号)


   小公子   若松しづ子
第二回(下)
自分(じぶん)が角(かど)を過(よぎ)つた時(とき)、チヨツト眼(め)に這入(はい)つた馬鈴薯(じやがたら)や林檎(りんご)の箱(はこ)、其他(そのた)種々雑多(しゆ\/ざつた)の商物(しろもの)の散乱(さんらん)してゐた小店(こみせ)のことを此時(このとき)思出(おもひだ)し升(まし)てハブィシヤム氏(し)は又(また)心(こゝろ)に疑(うたがい)を生(しよう)じ升(まし)た。
いかさま英国(えいこく)では苟(いやし)くも紳士(しんし)の家(いへ)に生(うま)れたものは、万屋(よろずや)の亭主(ていしゆ)などヽ友誼(いうぎ)を結(むす)ぶといふ様(やう)なことは有(あり)ませんかつたから、今(いま)聞(きい)たことが余程(よほど)不思議(ふしぎ)な所行(しよぎよう)に思(をも)はれ升(まし)た。
もし其子供(そのこども)が行儀(ぎようぎ)賎(いや)しく、下卑(げび)た人(ひと)の交際(こうさい)を好(この)む様(やう)ならば、それこそ当惑(とうわく)なことと考(かんが)へ升(まし)た、老侯(ろうこう)が何(なに)よりも不面目(ふめんもく)に感(かん)じられたことは、長男(ちようなん)、次男(じなん)の両人(りようにん)が、下賎(げせん)の者(もの)の交際(こうさい)を嗜(たし)んだことでしたから、此子(このこ)が万(まん)一、質父(じつふ)の見識(けんしき)を受継(うけつが)ず、却(かへ)つて伯父(をぢ)たちの悪癖(あくへき)を遺伝(いでん)しはせぬかと、少(すこ)し気遣(きづか)はしく思始(をもひはじ)め升(まし)た。
エロル夫人(ふじん)と談話(だんわ)の最中(さいちう)、此(この)ことに付(つい)て心安(こゝろやす)からず思(をも)ふて居(を)り升(まし)たが、其中戸(そのうちど)が開(あ)ひて、子供(こども)が坐敷(ざしき)へ這入(はい)つて来升(きまし)た。
最初(さいしよ)、戸(と)が開(あ)き升(まし)た時(とき)、何故(なにゆえ)ともなく子供(こども)と顔(かほ)を合(あわせ)るが嫌(いや)に思(をも)はれて、チヨツト躊躇升(たゆたひまし)た。
然(しか)るに手(て)を広(ひろ)げて迎(むか)へる母(はゝ)の方(ほう)へ走(はし)り寄(よ)る子供(こども)を見(み)ると同時(どうじ)に、此(この)老紳士(ろうしんし)の心(こゝろ)の中(なか)に起(をこ)つた得(え)も云(い)はれぬ感情(かんじよう)を、平素(へいそ)其実着(そのじつちやく)、沈静(ちんせい)な気象(きしよう)を見貫(みぬい)て居(ゐ)たものが知(し)り升(まし)たら、余(よ)ほど不思議(ふしぎ)なことに思(をも)ふことでしたろう。
さてかくまで非常(ひじよう)にハ氏(し)の心(こゝろ)を動(うご)かしたものは、一種(しゆ)反動的(はんどうてき)の感情(かんじよう)でした。
一見(けん)して其童児(そのどうじ)が嘗(かつ)て見(みた)ことのないほどな秀逸(すぐれ)ものと分(わか)りました。
殊(こと)に容貌(きりよう)の美(よ)いことは非常(ひじよう)な者(もの)でした。
其体(そのからだ)つきの倔強(くつきやう)で撓(たを)やかな処(ところ)、幼(をさ)な顔(がほ)の雄々(おゝ)しき処(ところ)、子供(こども)らしき頭(かうべ)を抬(もた)げて進退(しんたい)する動作(どうさ)の勇(いさ)ましい処(ところ)、一々亡父(ぼうふ)に似(に)て居(を)ることは、実(じつ)にギヨツトする斗(ばか)りでした。
髪(かみ)の色(いろ)は金色(きんいろ)で、父(ちゝ)に似(に)、眼(め)は母(はゝ)の茶勝(ちやかち)な処(ところ)にそつくりでしたが、其眼付(そのめつき)には、悲(かな)しそうな処(ところ)も、臆(をく)せ気味(ぎみ)な処(ところ)もなく、只(たゞ)あどけない中(なか)に、毅然(きぜん)とした処(ところ)のあるは、一生涯(いつしようがい)、なにヽも恐(を)ぢたことなく、疑(うたが)つたこともないといふ気配(きはい)でした。
ハ氏(し)は心(こゝろ)の中(うち)に、是(これ)は又(また)大(たい)した上品(じようひん)な、立派(りつぱ)な童児(こども)だとおもひましたが、口(くち)へ出(だ)しては極(ご)く淡泊(たんぱく)に、「サヤウならばこれなるがフォントルロイ殿(どの)で御座(ござ)るか」といひました。
此後(こののち)、童児(どうじ)を見(み)れば見(み)るほど意表(いひよう)に出(いづ)ることが多(おほく)あり升(まし)た。
ハ氏(し)は英国(えいこく)で見(み)た子供(こども)の数(かづ)の最(いと)も多中(おほいなか)に、巌重(げんぢゆう)、丁寧(ていねい)に抱(かゝ)への師匠(ししよう)に仕着(しつ)けられた、気量好(きりようよし)の、立派(りつぱ)な童男(どうなん)、童女(どうじよ)も多(をほ)くありました。
中(なか)には控(ひかへ)めの質(たち)なのもあり、又(また)中(なか)には騒々(そう\/)敷方(しいほう)のもありましたが、忸(な)れ近(ちか)づいて、子供(こども)といふはどふいふものと気(き)を留(と)めて見(み)たことは有(あ)りませんかつた。
尤(もつと)もハ氏(し)の如(ごと)き四角張(しかくば)つた、巌整(きちやうめん)な老成(ろうせい)代言人(だいげんにん)にとつては、子供(こども)などは別段(べつだん)面白(をもしろ)いことはなかつたでせう。
然(しか)るに、セデー丈(だけ)には、普段(ふだん)と違(ちが)つて、よく注意(ちうい)したといふものは、此童児(このこども)の運命(うんめい)は、自分(じぶん)の利益(りえき)に関係(くわんけい)の多(おほ)い処(ところ)からで有(あ)つたのか、又(また)はそうでないのか、兎(と)に角(かく)知(し)らず、識(し)らず、非常(ひじよう)に注意(ちうい)を引起(ひきをこ)されてゐ升(まし)た。
セドリツクの方(ほう)では自分(じぶん)の眼(め)を着(つけ)られて居(ゐ)るとも何(な)んとも気(き)がつかず、たゞ平生(へいぜい)の通(どふ)りの挙動(ふるまい)をして居(を)り升(まし)た。
自分(じぶん)がハ氏(し)に紹介(しようかい)された時(とき)、いつもの通(とふ)り丁寧(ていねい)に握手(あくしゆ)して、ホッブスと応答(をうとう)しすると替(かは)つた調子(ちようし)もなく、問(と)はるヽ毎(ごと)に雑作(ざうさ)もなく返事(へんじ)をしましたが其様子(そのやうす)は恐気(をぢけ)た風(ふう)もなく、さりとて差出ケ間敷(さしでがましき)処(ところ)も有(あり)ませんで、ハ氏(し)が自分(じぶん)の母(はゝ)と話(はなし)をしてゐた間(あいだ)、ヂツト聞(き)いて居(を)つた様子(やうす)は、ハ氏(し)には丸(まる)で成人(をとな)かと思(をも)われる位(くらひ)でした。
御子息(ごしそく)は誠(まこと)にお巧者(こうしや)の質(たち)に見受(みう)けられ升(ます)、
と母(はゝ)に向(むか)つて申(もう)し升(まし)た。
左様(さやう)で御座(ござ)い升(ます)ことによるとさうかと存(ぞん)じます。
物覚(ものおぼゑ)は極(ご)く宜(よろ)しい方(ほう)で、只今(たゞいま)まで重(おも)に年上(としうへ)な人(ひと)と計(ばか)り居(を)り升(まし)たから、聞覚(きゝおぼえ)や、読(よ)み覚(おぼえ)の長(なが)い言葉(ことば)を遣(つか)ひ升(まし)たり、ませたことを申(もふし)たりする僻(くせ)が御座(ござ)り升(まし)て、折々(をり\/)大笑(おほわらい)をいたし升(ます)。
仰(おほせ)の通(とふ)り、どちらかといへば、巧者(こうしや)なたちでせうが、又(また)時(とき)としては矢張(やは)り、極々(ごく\/)子供(こども)らしふ御座(ござ)り升(ます)。
此後(このの)ちハ氏(し)が再(ふた)たびセドリツクに出逢(であ)ひ升(まし)た時(とき)、母(はゝ)の申分(まうしぶん)を思(をも)ひ合(あわ)せて、本(ほん)に子供(こども)らしい子(こ)といふことが分(わか)りました。
馬車(ばしや)が角(かど)を曲(ま)がると、一組(くみ)の童児(こども)が眼(め)に這入(はい)り升(まし)たが、見(み)れば何(なに)か大層(たいそう)イキセキしてゐました。
其(その)二人(ふたり)は今(いま)しも走(はし)りくらべにかヽらうといふ処(ところ)でしたが、二人(ふたり)の中(なか)の一人(ひとり)は未来(みらい)の侯爵殿(こうしやくどの)で、朋輩(はうばい)に負(ま)けず、劣(をと)らずの騒(さわぎ)をして居(ゐ)られました。
丁度今(ちようどいま)、合手(あひて)の子供(こども)と並(なら)びたつてゐて、赤(あか)い靴足袋(くつたび)を穿(はい)た脛(はぎ)を向(むか)ふへ一歩(ぽ)踏(ふ)み出(だ)してゐる処(ところ)でした、主唱者(しゆしようしや)は大声(おほごえ)に、
よろしいか?
一ッチデ始(はじ)まり‥‥‥二ッデ確乎(しつかり)、三ッデやれ‥‥‥
と呼(よ)はわつてゐました。
ハ氏(し)は知(し)らず\/首(くび)を馬車窓(ばしやまど)の外(そと)へ出(だ)して、大層(たいそう)身(み)を入(い)れて勝負(しようぶ)を眺(なが)めてゐました。
合図(あひづ)の言葉(ことば)と共(とも)に跳出(とびだ)した若侯(じやくこう)の立派(りつぱ)な赤(あか)い脛(はぎ)が膝切(ひざきり)ヅボンの後(うしろ)へ躍(をど)り挙(あが)り、殆(ほとん)ど宙(ちう)を飛(とぶ)かと思(をも)ふ様(やう)な塩梅(あんばい)は、未(いま)だ嘗(かつ)て見(み)たことのない壮観(そうくわん)だと思(をも)ひ升(まし)た。
セドリツクは少(ちい)さな両手(りようて)をシツカリ握(にぎ)つて、風(かぜ)に逆(さから)つて走(はし)り升(まし)がた、きら\/した髪(かみ)は浪々(なみ\/)と後(うし)ろへ吹流(ふきなが)されて居升(ゐまし)た。
朋輩(はうばい)の男児等(だんしら)は夢中(むちう)になつて足踏(あしぶみ)をしながら、狂(くる)ひ声(ごえ)に呼(よび)たて、
セデー!
ヤツヽケローイ。
ビレー!
負(ま)けるナアイ。
ヤレイー!
ヤツヽケローイ!
ハ氏(し)は独言(ひとりごと)に、
矢張(やは)りこちらが勝(かち)そうだ。
といつてゐ升(まし)た。
彼(か)の赤脛(あかはぎ)の飛工合(とびぐあい)、朋輩等(ともだちら)の高声(たかごゑ)、赤脚(あかあし)に少(すこ)し後(をく)れてゐても、中々(なか\/)軽蔑(けいべつ)の出来(でき)ぬビレの鳶色(とびいろ)の脛(はぎ)が夢中(むちう)に競争(きやうさう)するも、何(いづ)れもハ氏(し)の心(こゝろ)をいらだてる原因(げんいん)でした。
どうぞして勝(かた)せて見度(みたい)ものだと。
又(また)我知(われし)らず独(ひとり)ごちて、あとで人(ひと)もゐぬに間(ま)のわるそうにしわぶきしてゐ升(まし)た。
丁度(ちやうど)此時(このとき)跳上(はねあが)り、躍(をど)り廻(まは)つて居(を)つた童児等(こどもら)が、一斉(せい)に鯨声(ときのこゑ)を作(つく)つたと思(おもふ)と、未来(みらい)のドリンコート侯爵(こうしやく)は最後(さいご)の大奮発(だいふんぱつ)の一飛(とび)で、角(かど)のガス灯(とう)の柱(はしら)に達(たつ)し升(まし)たが、これはビレが息(いき)を切(き)つて其柱(そのはしら)へ飛掛(とびかゝ)つた二セコンドほど前(まへ)のことでした。
ヤアやつたな、セデイ、エロル!
えらいぞッ。
と朋輩等(はうばいら)が叫(さけ)びました。
ハ氏(し)は此時(このとき)暫(しば)し馬車(ばしや)の窓(まど)から首(くび)を引(ひつ)こめて、にこ\/しながら後(うし)ろへ寄(よ)り掛(かゝ)りました。
フオントルロイ殿(どの)大(おほ)でかしで有(あ)つた。
と又(また)独言(ひとりごと)を云(いひ)ました。
自分(じぶん)の馬車(ばしや)がヱ口ル夫人(ふじん)の家(いへ)の前(まへ)へ着(つい)た頃(ころ)には勝負(しようぶ)を終(を)へた両人(りようにん)は、ガヤ\/ドヤ\/と立騒(たちさは)ぐ一ト群(むれ)の童児等(こどもら)に後(あと)を推(お)されて参(まい)り升(まし)たが、セドリツクはビレと並(なら)んで歩(ある)いて居(を)つて、何(なに)かいつて居(を)り升(まし)た。
其(その)いらだつた顔(かほ)は真赤(まつか)で、ちゞれた其髪(そのかみ)は熱(ねつ)して汗(あせ)ばんだ額(ひたい)へくつヽいて居(を)つて、其両手(そのりやうて)は、ポツケツトの中(なか)へ這入(はい)つて居(を)り升(まし)た。
ネー君(きみ)、僕(ぼく)が勝(か)つたのは僕(ぼく)のすねが君(きみ)のより少(すこ)し長(なが)いからだろうよ。
なんでもそれにちがひない。
ネー君(きみ)、僕(ぼく)は君(きみ)よりか三日(みつか)早(はや)く生(うま)れたろう、だからそれが僕(ぼく)の得(とく)になつたのだ。
僕(ぼく)は三日丈(みつかだけ)、君(きみ)の上(うへ)なんだもの。
と勝負(しようぶ)に不首尾(ふしゆび)な自分(じぶん)の競争者(きやうそうしや)を慰(なぐさ)める積(つも)りか、いつて居升(ゐまし)た。
こふ思(おも)つて見(み)ればビレも心(こゝろ)わるくなく、段々(だん\/)白(しろ)い歯(は)を顕(あらは)しかけ升(まし)た、そして其中(そのうち)に却(かへ)つて自分(じぶん)が勝(かち)でもしたかの様(やう)に少(すこ)し威張(ゐば)り気味(きみ)に成升(なりまし)た。
セデイ、エロルはどふいふものか人(ひと)の不機嫌(ふきげん)をなだめる法方(ほう\/)を知(し)つてゐました。
自分(じぶん)が勝利(しようり)を得(え)て心(こゝろ)の浮(うき)\/してゐる時(とき)でも負(ま)かされた人(ひと)は自分(じぶん)ほど愈快(ゆくわい)ではあるまい、こうならば勝(か)てたものと思(おも)はれヽば、幾分(いくぶん)かの心遺(こゝろのこ)りになるだらうと、人(ひと)の心(こゝろ)の中(うち)を推(すい)する徳(とく)を持(も)つてゐました。(以上『女学雑誌』二三一号)