『小公子』初出本文のHTML化について
○方針
1)原姿をとどめるように配慮した。このため、底本の誤字・誤植などもそのままとした 。一方で、HTML化にあたって、変更を余儀なくされた部分がある。
2)原則として新字旧仮名とした。また、新旧の対立のない字でも適宜現在通用のものに 直したものがある(例、歿→没 附→付 柄→手篇+丙)。ただし、この基準は今後変更する可能性がある。
3)底本では原則として段落分けのための改行・字下げはない。が、ブラウザでの読み取 り速度を上げるため、句点ごとに改行をいれた。
4)当分のあいだ、ルビを付さない本文のみを掲げることとし、準備が整い次第、ルビつ き本文を提供して行き たい。
○作業の流れ
1)荒い入力を佐藤が行い、プリントアウトした。
2)それに、古市久美子(96年3月卒業)が初出本文と校訂を行った。
3)佐藤と古市でHTML化した。
〇第三回での注意。4号にわたって掲載されるが、それぞれ「第三回」の「(上)」「(下)」「(中)」 「(下)」の順になる。
小公子 若松しづ子
第一回(上)
セドリツクには誰(たれ)も云ふて聞せる人が有ませんかつたから、何も知らないでゐた
のでした。
おとつさんは、イギリス人だつたと云ふこと丈は、おつかさんに聞ゐて、知つてゐました
が、おとつさんの没し
たのは、極く少さいうちでしたから、よく記臆して居ませんで、たゞ大きな人で、眼が浅
黄色で、頬髯が長くつ
て、時々肩へ乗せて坐敷中を連れ廻られたことの面白かつたこと丈しか、ハツキリとは記
臆てゐませんかつた。
おとつさんがおなくなりなさつてからは、おつかさんに余りおとつさんのことを云ぬ方が
好と云ことは子供ごヽ
ろにも分りました。
おとつさんの御病気の時、セドリツクは他処へ遣られてゐて、帰つて来た時には、モウ何
も彼もおしまいになつ
てゐて、大層お煩なすつたおつかさんも漸く窓の側の椅子に起き直つて入つしやる頃でし
たが、其時おつかさん
のお顔はまだ青ざめてゐて、奇麗なお顔の笑靨がスツカリなくなつて、お眼は大きく、悲
しそうで、そしておめ
しは真ツ黒な喪服でした。
かあさま、とうさまはモウよくなつて?。
と、セドリツクが云ましたら、つかまつたおつかさんの腕が震へましたから、チゞレ髪の
頭を挙げて、おつかさ
んのお顔を見ると、何だか泣度様な心持がして来升た、それからまた、
かあさま、おとうさまはモウよくおなんなすつたの?。
と同じことを云つて見ると、どういふ訳か、急におつかさんの頚に両手を廻して、幾度も
\/キスをして、そし
ておつかさんの頬に、自分の軟かな頬を推当て上なければ、ならなくなり升たから、その
通りして上ると、おつ
かさんが、モウ\/決して離ないといふ様に、シツカリセドリツクをつかまへて、セドリ
ツクの肩に自分の顔を
推当て、声を吝まずにお泣なさい升た。
ソウだよ、モウよくお成りなすつたよ、モウスツ‥‥スツカリよくおなりなのだよ、ダガ ネ、おまへとわたしは 、モウふたり切になつてしまつたのだよ、ふたり切で、モウ外に何人もいないのだよ。
と曇り声に云れて、セドリツクは幼な心の中に、アノ大きな、立派な、年若なおとつさん
は、モウお帰りなさる
ことがないのだといふことが、合点が行ました。
他のことでよく聞く通り、おとつさんはお死になすつたのだろうと分りはしたものヽ、ど
ふいふ不思議な訳で、
こふ悲敷有様になつたのか、ハツキリと会得が出来ませんかつた、自分がおとつさんのこ
とを云ひ出せば、おつ
かさんはいつもお泣なさるから、コレハ余り度々云ないほうが好いのだろう、いふまゐと
内々心に定めて、そう
して、暖室炉のまへや、窓の側に、ヂツト黙つて坐つて入つしやる様な時には、打遣つて
置てはいけないといふ
ことも分りました。
おつかさんと自分の知人といふは、極く僅かなので、人に云せれば大層淋敷生涯を送てゐ
たのですが、セドリツ
クは、少し大きくなつて、なぜ人が尋ねて来ないといふ訳が分る迄は、淋敷ことも知りま
せんかつた。
大きくなつてから、おつかさんは孤子で、おとつさんがお嫁にお貰なさるまでは、此広い
世界にタツタ一人で、
身寄も何もなかつたのだと始めて知りました。
おつかさんは、大層な御器量好しで其時分ある金持の婦人の介添になつて入つした処が、
其婦人といふが意地悪
な人で、ある日のこと、カプテン、ヱロルといつて、後にセドリツクのおとつさんになつ
た人が、丁度その家へ
来合せてゐた時、何かことがあつた末、おつかさんが睫毛に露を持たせながら、急いで二
階へお上りなさる処を
、其お方が御覧なすつて、可愛らしく、あどけなく、痿れかへつた其姿を忘れることが出
来ず、色々不思議なこ
とが有て、互に心を知合ひ、愛し合つて、とう\/婚姻をなさる様になつたのでした。
さて此婚姻に付ては、さま\゛/の人にわるく思われたのでしたが、其中で、一番に腹を
たてたのはカプテン、
ヱロルの爺さまで、是は英国に住んでゐて、お金の沢山ある豪儀な華族さまでしたが、癇
癪持で、アメリカとア
メリカ人が大のお嫌でした。
此方は、カプテン、ヱロルの上に、二人の息子をお持でしたが、英国の法律で、家に属す
る爵位も財産も、何も
彼も、皆長男が受継で、若し長男が死ねば、次男が跡を譲り受ることに諚つて居り升たか
ら、此お方は大家に生
れはしたものヽ、三男のことで、ひどく有福になる見込はありませんかつた。
然るに、カプテン、ヱロルは、二人の兄たちの生れ付ぬ天才美質を備て居升た、美麗なる
其容貌、屈強なる其姿
、生々したる其笑、華やかななる其音声、其大胆で、慈悲深きこと、人に接て柔順なる挙
動は、多くの者の敬愛
を一身に集ました。
さて二人の兄は、是に反して外貌も美しくなく、何の才も持ず、心に美質を備ても居ませ
んかつた故、イヽトン
なる邸内に在ても人に怡ばれす、大学に修学する折も、学問は大嫌で、其処に居間只時日
を無益に消費する計で
、朋友もろくに出来ませんかつた。
父なる侯爵殿は此二人の息子には非常に失望し、失望のみならず常々大層迷惑の体でした
。
自身の世を譲る嫡子は先祖の家名に光沢を添へぬ耳か、男らしく、凛然敷性質は一も備へ
ず、只自身の欲を恣ま
ヽにし、つかひ払ふことを知つてゐる計りで、世に何の益なき人物でした。
然るに産も位もなかるべき末子が、他の二人に欠て居る伎倆も、徳も、美貌も、兼備へて
居るとは、此人にとつ
て如何にも残念千万のことどもでした。
時としては巍々たる其位爵、壮麗なる産業に付属す可き美質をば、他に与へずして独り占
したる此若年が、反つ
て父の心には憎くなりました。
併しまた傲慢頑固なる其心の底には、此末子を大に寵愛せずに居られず、二つの情は互ひ
に戦つて居ましたが、
或る時此忌々しさが癇癪となつてムカ\/と、外に発し俄かに三男を米国へ旅行に遣はし
ました。
是は二人の放蕩不頼な息子の挙動に困じ果て、末子に比較しては腹を立てるから、末子を
暫く遠ざけて見よふと
思付たからでした。
然るに六月たヽぬ内にはや淋しさを感じ始めまして、密かに末子の顔が見たくなり、直ぐ
文通して帰国を命じま
した。
其手紙と引違つて着したカプテン、ヱロルの書状に米国で出逢ふたある妙齢の婦人のこと
と是と婚姻する決心を
したことが書て有ました、侯爵殿が此手紙を読まれた時は夫こそ立腹でした。
生来癇癪持では有升たが、此時程其癇癪をひどく起したことは無い位ひでしたから手紙の
来た時丁度居合せた給
事が其時の様子を見て御前はヒヨツト卒中でもお発しはなさらぬかと心配した程でした。
凡そ一時間も猛虎の如くに哮り立ち、其あげくに、一通の端書をカプテン、ヱロルに認め
遣はし、以後邸に近寄
ることは一切ならぬ、又親兄弟にも文通を禁ずる、今後如何様なる暮しを為すとも何処に
果てやうとも、一向か
まはぬ、ドリンコウトの家よりは永遠に切離したものと見做して、父の存命中は、何の補
助もせぬものと心得よ
、と申送りました。
カプテン、ヱロルは此手紙を一読して愁歎に堪ませんかつた。
此人は故郷も懐かしく、自身の生れた美麗な家も至つて恋しく、癇癪ある老父にも親しん
で居つて、是まで父が
色々失望したことを気の毒におもふて居りましたが、此文通があつてからは最早親子の間
に何の好みもないとい
ふことを泣々覚悟致しました。
始はどうしよふかと方向に迷ひ升た。
是迄の育ちが育でしたから働て活計を立ることには慣ず、事務上の経験も有ませんかつた
が、併し勇気も決断力
も充分でしたから先陸軍士官の株を売却してしまい、様々の困丹の末漸くニユーヨウクの
都会で、勤め先を見つ
け、間もなく婚姻を致し升た。
偖大英国某侯爵家の若殿とも云れる身分が、斯く落ぶれての生計は昔しに比らべて非常な
懸隔でしたが、併しま
だ年は若く、世の中の面白みも多いのでしたから、勉励せば何事か成らざらんと、頻りに
前途を楽しんで居り升
た。
住居といふは物静かな町のちんまりした家で、そこで男子が一人生れてからは質素ながら
物事総べて珍らしく、
愉快でしたから、只余りの愛らしさに思ず思を寄せ、其人にも愛されて人の介添といふ身
分のものを妻にしたの
を後悔したことはたゞの一度もありませんかつた。
此婦人といふは、如何にも愛らしい人物でしたから、生れた男子も両親によく似て居りま
して、此通り偏卑な安
つぽい家居に生れたには似ず、其果報は誰にも劣らぬほどでした。
第一、此子は、いつも壮健でしたから誰にも面倒を掛ませんかつた。
第二に気立が柔和で誠に可愛らしい子でしたから、人毎に嬉しがられました。
第三に器量の好いことは画に書た様で、頭には赤子によくある禿の様なもの少しもなく、
生れた時から軟かくつ
て細い金色の髪が沢山で、六ケ月たつ中にくる\/と可愛らしくちゞれました、眼は大き
く茶色の方で、睫毛は
長く、顔は極く愛嬌ある質でした、筋骨は珍しく逞しい方で、八ケ月たつと、急に歩く様
になり升た。
其上大層人なつこく、小さい手車に乗つて、市街を運動して居る時分、誰でも近寄つてあ
やす者があれば、例の
茶勝な眼で、ヂツトまじめに見つめるかと思ふと、直ぐ可愛らしく笑ひかけて、雑作もな
くお近付になつてしま
いました。
此通りゆえ、此物静な町の中で、此子を見て、あやすのを楽しみにせぬものとては、一人
もなく、向ふ角の万屋
の亭主で、世に癇癪持とはあの人と云はれる位の人まで、此子には眼がないのでした。
(以上、『女学雑誌』第二二七号)
小公子 若松しづ子
第一回(下)
段々月日が経つに随つて、奇麗に可愛らしくなりましたが、稍成人して、短かい着物を着
、大きな帽子を冠り、
少さな車を引つぱつて、姆と外を歩いてゐる処は実に見物で、よく往来の人の足を止めま
した。
姆が家へ帰つては、今日馬車へ乗つた貴婦人が、坊ッちやまを見るとつて、態々馬を止め
させ、坊ッちやまに言
葉をおかけなさいましたよ、そうして、坊ッちやまが臆面なく、先ッからのお友だちかな
んかの様にお話しを遊
ばすので、大層嬉しがつて行ましたよ、などとセドリツクの母に話すことは度々でした。
殆んど不思議と迄に思はるヽ程の、此子の愛矯は、多分、少しも恐気なく、極く気軽に人
に懐く処ろに在るので
すが、これは生れ付、人を信ずる質で、人を思ひ遣る親切な心の中に自分も愉快に、人も
愉快にし度と思ふ天性
に起るものと、思はれます。
それで、人の気を見てとることが大層早い方でしたが、是は両親が互に相愛し、相思もひ
、相庇ひ、相譲る処を
見習つて、自然と其風に感染したものと見え升。
家に在つては、不親切らしい、無礼な言葉を一言も聞たことはなく、いつも寵愛され、柔
和く取扱かわれ升たか
ら、其幼な心の中に、親切気と温和な情が充ち満ちて居り升た。
例へば、父親が母に対して、極物和らかな言葉を用ゐるのを自然と聞覚へて、自身にも其
真似をする様になり、
又父が母親を庇ひ、保護するのを見ては、自分も母の為に気遣ふ様になり升た。
それ故、父がモー帰らないことになつて、母がそれを悲しんでゐる塩梅を見てとると同時
に、サアこれからは、
自分が一処懸命に慰なければならないのだといふことを覚悟して、其心持になり升た。
まだ年は行ず、赤ん坊の様なものでしたが、母の膝へ攀登つて、キスをして、、ちゞれ頭
を母の頚へすり寄せる
時や、自分のおもちやや絵草紙を持つて来て見せたり、長い倚子の上に横になつてゐる母
の側へソツトゐ寄つて
、猫の様にまるくなる様な時でも、必ず其心持が有つたのでした。
年の行かぬ身には、為す術も知りませんかつたから、出来る丈のことをしてゐたのでした
が、自分のおもふより
は、結句充分の慰めが出来たのでした。
いつか母が、旧くからゐる雇女のメレといふのに、「アノ、メレや、あの子は、子供心に
わたしを慰める積りで
ゐるのだよ、キツトそふだろうよ、時々可愛いヽ、不審そうな顔付をして、気の毒そうに
、わたしを見て居ると
思ふと、側へ来て、わたしに甘へつくとか、何か見せるとかするもの、ほんとうに成人の
様な処があるから、今
度気を付て御覧よ」と云つたこともありました。
一つ宛年を重ねる中に、此子の如何にも可愛いヽ風采が大層に人を嬉しがらせました。
母にとつては、此上もない好いお合手で、母は外に朋友を求めぬ位でした。
それ故散歩するも、話しするも、遊ぶも、皆一処でした。
極く少さい時から、本を読むことを習つて、少し読める様になつてから、夜暖室炉の前の
毛皮の上に横になつて
は、さま\゛/のものを声高に読々しました。
其読ものヽ中には、子供の悦ぶ談話もあり、時々は成人の読そうな書物も稀には新聞も有
ました。
そうして、さういふ折には大層妙なことをいふので、奥さまが面白そうにお笑ひなさる声
をメレが台所で聞々し
ました。
それをまたメレが万やの亭主にこふ云つてはなしました、
ほんとうに、だれだつて笑はずにゐられやしませんよ、あんな愛くるしひ様子をして、妙 なことをお言なさるの だものを、マア聞ておくんなさい、此間大統領さまの撰挙があつた跡で、台処へ来て、両 手をポツケツトへ突つ 込んで、火の前へお立なすつた処は、丸で絵にでも書度様でしたがネ、何をおいひなさる かと思へば、マアこう なんですよ、メレや、僕は共和党だよ、かあさまもそうなんだよ、おまへもそうかへ?、 とおつしやるから、わ たしが、イヽへ\/、どふいたしまして、メレは民権党の堅まりですよ。といふと、それ は\/気の毒そうな顔 付をして、そうかへ、それは大変だよ、国が亡びるよ、民権党はいけないんだから。とい つてそれからといふも のは、わたしを共和党にするとつて、毎日の様に議論にお出なさるじやありませんか。
メレは此子が大好で、そうしていつも大自慢でした。
元セドリツクの誕生の頃から居るので、主人がなくなつてよりは、お三どんも、小間遣も
、児守も、何も彼も一
人で兼て居升た。
此女はセドリツクの文優で屈強な体つきと愛らしひ様子振が自慢なので、殊に額の辺に波
打つて、肩へ垂れかヽ
つて、一層の愛嬌を添へる艶かな頭髪が大自慢でした。
それ故、朝は早く起き、夜は夜なべまでして、セドリツクの小裁の着物の仕立や、修繕を
手伝ました。
サウサ、あれが本当の品とでもいふのだらうよ、大家の坊様だつて、うちのの様な器量や 、推出しの好のは、ほ んとうにありやしない、奥さまの旧いおめしを直して、拵らへたのだけれど、アノ黒びろ うどの服を着て、外を 歩るいてゐらつしやろうもんなら、どんな男だつて、女だつて、子供だつて、ほんとうに 振り返つて見ないもん なんかないから、丸で華族様の若様の様だ。
と人に云々しました。
セドリツクは自分が若様のやうだか、様でないか知りませんかつた。
全体若さまといふものがどんなものかといふことさへ、知らないのでした。
自分の一番の友だちといふは、角の万やの亭主で、音に聞えた癇癪持でしたが、セドリツ
ク丈には一度も怒つた
ことがないといふ評判でした。
名はホッブスといひましたが、セドリツクは此人を大層尊敬してゐまして、彼の人は余程
の金持で、エライ人物
だと思つてゐました。
なぜかといふと、其人の店先には、杏子、無花菓、密柑、ビスケツトと、種々雑多の品物
が並べてある上に、馬
と荷車が置てあつたからです。
セドリツクは、牛乳やも、麺包やも、林檎やのおばあさんも好でしたが、中で此ホッブス
といふ人ほど好な人は
なく、例へば毎日逢に行つて、対ひ会つては、其時\/の事をいつまでも話てゐたといふ
丈でも、どの位懇意だ
つたといふことが分ります。
二人が寄れば、いつも話しが尽なかつたといふことは、実に不思議な様でした。
先七月四日の独立祭の事などです、独立祭の話しが始まれば、実に切がない様でしたが、
ホッブスは英人といへ
ば大の反対で、或る時革命の話をすつかりセドリツクにして聞せましたが、其中には、敵
の姦悪、身方の勇士の
功名などに付て、随分異様に聞える愛国的の談話が雑つてゐました、其の上独立の宣告文
まで言つて聞せました
。
セドリツクが此話を聞てゐる間は、眼が光り、頬が赤くなり、髪がビタ\/に汗になるほ
ど、一処懸命でして、
家へ帰つて、母に話をするのを、御膳の済まで待てない位でした。
セドリツクが政事のことに注意する様になつたのは、全たく最初、ホッブスの仕込の故で
あつたのでした。
さて、ホッブス氏は、新聞を読のが大好でしたから、ワシントン府にある事柄などは、い
つも精しく話して聞か
せました。
それでセドリツクはコウ\/で、大統領が義務を尽してゐることの、又コウだから義務を
尽さないのだといふ話
しをも、感服して聞てゐました。
一度撰挙があつたときなどは、セドリツクは大層夢中になり、何でも豪勢なもんだと思ひ
、自分とホッブス爺さ
んがゐなければ随分国の安危にも関らうかといふ威勢でしたが、ホツブスがある時セドリ
ツクを連れて、たいま
つの行列を見に行ましたが、行列の人の中には、其時ガス灯の側に立つてゐる、肥つてヅ
ングリとした人の肩車
に乗られた少さな奇麗な男子が大声に万歳を呼ながら高く帽子を振つてゐたことのあるの
を記臆して居ましよう
、忘れないでしよう、夫がセドリツクです。
丁度此撰挙騒の直ぐ跡で、セドリツクの七歳と八歳の間の頃でしたが、此子の生涯に大変
動を起した一大事があ
りました、然してまた丁度此日にホツブス氏が英国や、英国女王の話をしてゐて、米国に
は例のない貴族といふ
ものの講釈をして、大層烈敷ことを云ひ、殊に侯爵とか伯爵とかいふものに対して、非常
に憤ほつてゐましたが
、跡で思ひ合すれば、此日は実に不思議なことでした。
其日は朝から大層暑くつて、セドリツクが友だちと一処に兵隊の真似をして遊んでゐて、
恐ろしく熱しましたか
ら休息しようと思つて、ホツブスの店へ這つて行きましたらホツブスは折節朝廷の儀式の
図のやうなものが這つ
てゐるロンドンのある絵入新聞を読んで大そう、すさまじい顔をしてゐ升したが、
よしいまの中、さんざ高上りをして、下々の人を踏つけるが好い、今に見ろ、踏つけた人 たちに、イヤといふほ ど飛し挙られるから(是は暴徒、ダイナマイトの類を云ふ)わしのいふことに間違はない 、みんな眼を開て見て ゐろ。
と言ました。
セドリツクは此時いつもの通り、高い倚子にチヨンボリ腰かけて、ホツブスに敬礼を表す
る為、帽子を後ろへ推
遣り、両手をポツケツトの中へ突込んでゐましたが、ホツブス氏に向ひて、かふ尋ねまし
た、
おぢさんは、侯爵だの、伯爵だのといふ人、たんと知るノ?
ホツブスは少し腹立気味に、
そんな奴知つてゐてたまるものかよ、わしの店へでも這つて見るが好い、どうしてやるか 。
弱いものいぢめをする圧制貴族め、こヽらの明箱へなんぞ腰をかけさせてたまるものか? 。
と四方を睨へながら大威張に自説を陳て、汗でポツ\/と湯気だつ額を、拭てゐました。
セドリツクは訳は分ぬながら、どふか不仕合らしく聞る其侯伯たちが、ひどく気の毒にな
り、
おぢさん、夫れは何にも知らないもんだから、侯爵なんぞになるんでせう?。
といひました。
スルト、ホッブスが、
どふして\/、大威張りなのさ、ナニ生れ付ての分らずやなんだ、不埒千万な奴等だ。
と話の真最中に、下女のメレが顔を出しました。
セドリツクはお砂糖でも買に来たのかと思ひましたが、そうでもなく、何かビツクリした
といふ様子で、少し面
色が変つてゐました、
坊ッちやま、お帰りなさいよ、かあさまが御用ですよ、と云ました。
セドリツクは彼の高い倚子から滑り降り、
ソウカへ、かあさんと一処にどつかへ行のかへ?
おぢさんさよなら、又来ますよ。
と云つてメレと一処に出かけ升たが、メレが肝がつぶれて、物がいへないといふ面付で、
自分をヂツト見てゐる
のを、何故かと思ひ、引ッ切なしに首を振つてゐるのに不審をうちました。
メレや、どふしたんだへ?あついのかへ?。と尋ました。
イヽへ、ですがね、どふも不思議なことになつて来たと思つてゐるんです。
ナニカへ、かあさんがひなたへ出て、頭痛がなさるのかへ?と心配そうにきヽました。
併し、そうでもなかつたのでした。
うちへ帰つて見ると、戸の外に小馬車が留めてあつて、誰か小坐敷におつかさんと話しを
してゐたものがありま
した。
メレは二階へと自分を急がせて、白茶フラネルの余処行の着物に華なへコ帯を〆させて髪
のもつれを櫛て呉れま
した。
メレは口の中で、
へン、華族だつて、上ッ方だつて、しよふがあるもんカ、侯爵だとへ、マアとんでもない ‥‥‥
とぶつ\/言つてゐました。
セドリツクは何だか不思儀でたまりませんが、母の処へ行つたら、何ごとも話して貰われ
ると信じ、メレが頻り
に不束らしく口小言を云つてゐるのを、黙つて聞てゐて、何も尋ねませんかつた。
さて仕度も済んで、下へ走り下り、坐敷へ這り升と、背の高い、優しげな、鋭敏らしい、
年とつた紳士が、安楽
倚子に腰かけてゐて、其側に母が是も少し面の色を変へて、坐つてゐましたが、見れば眼
には涙が溜つていた様
でした。
オヤ、セデーかへ‥‥‥
と声をたて、走り寄り、両方の腕で子供をかヽへ、キスをした様子が、何か驚いたことか
、心配なことでもあり
そうでした。
丈の高い紳士は倚子を離れ、彼の鋭い眼で、セドリツクを眺め、眺めながら、痩せた頬を
骨つぽい手で撫てゐま
したが、先づ満足せぬでもないといふ面付でした。
やがて緩々した調子で、
サヤウカ、そんなら、これがフォントルロイ殿で御坐るか、と云ひました。
(以上、『女学雑誌』第二二八号)
小公子
第二回(上) 若松しづ子
これから後一週間の間といふものはセドリツクは驚く事許りで、万づ夢の様に感ぜられま
した。
第一、おつかさんのいつて聞せて下さる事が皆な不思議でたまらず、二度も三度も聞直さ
ない中は会得が出来ませんかつた。
そうしてホッブスおぢはマアなんと思ふだろうかと、自分にも想像しかねてゐました。
先第一に、華族といふことが其話しの始まりでした。
抑も自分のまだ見たことのないお祖父様が、侯爵の華族さまだそうで、それから其跡を継
で侯爵におなりなさる可きおほ伯父様といふが、落馬しておなくなりなさる。
其次には、二番目の伯父様が其爵位をお受なさる筈なのが、是も俄にロームといふ処で熱
病でお隠れになつて仕舞う。
サアこふなつてからは、若しセドリツクのおとつさまが存命ならば、其跡へお直りなさる
可を、みんな此世に入つしやらないで、セドリツク丈が残てゐるのだから、お祖父様のお
跡には、自分が侯爵になることだといふ話でした。
今の処ではドリンコート侯爵の跡を譲得く可き人の予じめ名のるてふフォントルロフ殿な
る尊号は、とりも直さず自分の新敷名と云聞せられました。
セドリツクが始めて此話を聞ました時は、思はず顔の色を変へました。
かあさん、僕は侯爵になり度ないよ、ダツテ僕の友だちに侯爵なんかになるものは一人も ないんだもの、かあさん、侯爵にならなくつちやどうしてもいけないの?
といひました。
然るに此事は免かれられぬものと見えて、其晩、二人は表の窓から外の見すぼらしい町を
眺めながら、久敷間其話をしてゐました。
セドリツクは、毎の通り、両手を片膝の週囲へ廻して、低い椅子の上に坐つてゐましたが
、どうやら迷惑そうな其顔は詰めて考へた為かポツト赤らんでゐました。
必竟、お祖父様がセドリックを英国へ来る様にと、迎をおよこしなさつたので、おつかさ
んが行なければいけまいと思ふとおつしやるのでした。
おつかさんが悲しそうな眼つきで窓から外を眺めながら、
セデーや、おとつさんが入つしつたら、矢つ張りそうさせ度と思召すだろうとわたしは思 ふのだよ。
おとつさんは大層おうちを恋しがつて入つしやる方だつたよ、そうして、おまへはまだ年 は行かず、分るまいが、そこには色々考へなければならぬ都合もあるのだからね、全体、 わたしがおまへを引留めて遣なければ大層我侭な母になるのだよ、おまへがやがて成人す れば何も彼もスツカリ分り升よ。
とおいひでした。
セドリックは気のなさそうに、頭を振つて、
僕はネ、ホッブスおぢさんに分れるのが嫌でしよふがないんです。
僕も淋しひだろうし、おぢさんだつて、さむしがるに違いないんだもの、それから、みん なと分れるのが大変嫌なんです。
といひました。
さて英国からフォントルロイ殿お迎にとて遣わされたドリンコート家付属の代言人ハヴィ
シヤムといふ人が、翌日此家へ来ました時、セドリツクは尚種々の話を聞ました。
併し成人の後、滅法富祐な身分になり、此処、彼処に城郭を所有し、美麗なる花苑、広大
なる鉱山、立派なる借地、借家が皆、目分のものになると聞ても、それがセドリツクの慰
めにはならず、たゞホッブスおぢのこと斗りが気に掛つてゐました。
それ故朝飯を済ますと直ぐ、心配しい\/彼の店へと出掛ました。
ホッブスは丁度新聞を読んでゐた処でしたが、セドリツクはいつもになくまじめ顔に側へ
寄りました。
自分に斯様\/のことがあつたと唐突に申したら、さぞ肝をつぶすだろうから、どふかし
ておだやかに其話しがし度とセドリツクは道々考へながら来たのでしたが、ホッブスは突
然、
イヤアー、お早う!
と声を掛ました。セドリツクの方でも、
お早う!
といひました。
今日は何故か、例の高い倚子には乗らず、そこに有る明箱の上へ坐つて膝をかヽへてヂツ
トしてゐたことが、やヽ暫くでしたから、ホッブスはやがて不審顔に新聞の上から見上て
、
イヤアーどふだ?
と云ひました。
セドリツクは此時一生懸命に気を落着けて、こふ云ひ出しました、
おぢさん、きのふの朝、こヽで話しをしてゐたこと覚へてゐ升か?
ソウサ、イギリスのことだつけナ。
と答へました。
エー、それから、ソラ、丁度メレが這入つて来た時ネ?
ソウダ\/、ヴィクトリヤのことだの、華族のことナニカ話してゐたつけナ。
それからネ、ソラ‥‥‥ソラと(篭りながら)アノ、侯爵のことネ、覚へてゐないの?
ホンニ、さうだつたナア、あいつ等のこともちつと斗り話してたつけ、ソウダ\/。
セドリツクは額の辺にフサ\/してゐた髪の根本まで真赤になり、凡そ、一生涯にこれほ
ど間がわるかつたことはないと自分は思ひ、ホッブスおぢもいくらか間がわるくはなかろ
うかと気遣ひながら、
おぢさん、こヽらの明箱へ、侯爵なんかの腰はかけさせないとおつしやたネイ?
と又言葉をつぎ升た。ホッブスは少し威張りかげんに、
ソウトモ\/、こヽらへ腰でも掛やうもんなら、ひどいめに逢はせてやるは、
と答へました。
おぢさん、そういふけれども、此箱の上へ腰かけてゐるのが侯爵だよ!
と聞て、ホッブスは殆ど倚子から飛落そうな気色でした。
何を言ふんだナア!
とビツクリ声で云ました。
セドリツクは遠慮気味に、
エー、デモ僕が侯爵なんです、アノ、これからそれになるんです、嘘いひやしませんよ。
といひました、
ホッブスは、これハ大変だといふ顔付で、俄かに立上つて、寒暖計を見に行ました、振り
向て、ヂツトセドリツクの顔を見詰ながら、
暑気にチツトやられてるナ、今日はまたすてきに暑いからナア、全体、どんな気持がする んだ?
どつか痛いのか?
いつから、そんな心持になつたんだ?
と立続けにとひ掛けて、セドリツクの髪毛の中へ大きな手を突込みました。
処でます\/、間がわるく、臆せ気味に。
ホッブスハ此時椅子にドツカト直り、ハンケチで頻りに額を拭ひながら、
ナンデモ、どつちか霍乱でもするにちげいねいんだ。
ととんきやう声で云ました。
イヽへ、おぢさん、そんなことハないんですよ、ネイ、おぢさん、仕方がないから、二人 とも明らめなくつちやネ、ダツテ、ハヴィシヤムさんが、態々イギリスから其話しを聞か せに来たんで、僕のお祖父さんがよこしたんですと。
ホッブスハあつけにとられて、セドリツクのまじめなあどけない顔を見つめながら、
おまへのおぢいさんとハ、それハ一体、誰なんだへ?
と尋ねました。
セドリツクハポツケツトの中へ手を入れて、丸ッこい、子供ら敷手跡で、覚束なさそうに
書た紙切を取出して
僕ハよく覚へてゐられなかつたからネ、これへ書付けて置たんです、(といひながら迂論 な調子で)、ドリンコウト侯爵、ジョン、アーサ、モリノー、ヱロルと読上げ、それが僕 のお祖父さんの名なんです、そうして、お城に住んでゐるんですと。
ソウソウ二ッも三ッもお城があるんですと。
僕のとうさんネ、死んだ僕のとうさんハ一番の末子で、僕ハとうさんがおなくなりなさら なけれバ、侯爵にナンカ成りやしないんで、それから、とうさんの兄さんが二人おなくな りなさらなけりや、とうさんも侯爵にならない処だつたんだけれど、みんな無なつてしま つて、僕切り残つてゐて他に男の子がないからネ、僕がならなけりやいけないんですと、 ダカラ、僕のお祖父さんがイギリスへ来いつて、迎をおよこしなすつたんですよ。
ホッブスはます\/逆上あがつた様子で、額と頭の禿たおけしを絶間なく拭ひながら、頻
りに忙敷い息づかひをしてゐ升た。
何うやら不思議なことが実際あつたのだと云ことは少しづヽ呑込めては来ましたが、眼の
前にあどけない、気遣わしそうな貌付をしたセドリツクが明箱の上に腰かけてゐて、見れ
ば、少しも以前と変つてはゐず、矢張り、きのふ見た時の紺の服に赤い頚飾をつけた器量
よしで、心易くつて、きつそうな童子に相違ないこと故、華族がどうして、こふしての話
しが中々チヨツト合点が行ませんかつた。
其上、セドリツクの話振が余りに無邪気で、さつぱりとしてゐて、自分には大したことと
も一向気が付かずにゐる様子ゆゑ尚更仰天したのでした。
おまへの名はなん‥‥‥なんだつたつけナ?
と問ひ掛けました。
アノ、フオントルロイ殿、ヱロル、セドリツクといふんです、ハヴイシヤムさんがなんで もそういひましたつけ、僕がネ最初、坐敷へ這入つて行つたらネ、これがフオントルロイ 殿で御座るか、といひましたつけよ、
フーン、おらあ、あきれつちまつた!
ホツブスおぢのこの言葉はいつも非常に驚いたとか、気の揉めるとかいふ時によく出たの
でした。
差当り、仰天の余り、他にいふことも思付きませんかつた。
セドリツクは矢張り是が相当な、差支ない嘆息の言葉と許り思つてゐました。
ホツブスを非常に敬愛してゐる処から総て其言葉までが、尤もに感じられて、いつも心服
してゐました。
未だ世間の交際も知らぬセドリツクにはホツブスの余り礼義正しい人物でないことは気が
付ませんかつたが固より自分のおつかさんと比べて見れば、ホツブスの違つてゐたことは
分りました、併しおつかさんは婦人のことゆゑ、婦人と男子とはどふしても違つてゐるも
のと自身に道理をつけてゐました。
此時なにか物足りなそふにホツブスを見詰めてゐましたが、暫くして、
おぢさん、イギリスは大変遠いんだネ?
と尋ねました。
ソウサ、大西洋を渡つて向ふだよ、
と答へました。
僕はそれが嫌なんですよ、ヒヨツトスルトいつまでか逢れないネ、おぢさん、僕はそれを 考へると嫌になるよ。
親友も離れさるを得ずといふことがあるは。
とホツブスがいひました。
ソウ、おぢさんと僕は幾年か親友だつたんだネ。
ソウトモ、おまへが生れるからだわ、此町を抱かれて歩いたのはなんでも生れてから四十 日もたつてからだつけ。
セドリツクは溜息をつきながら、
アヽ\/、僕は其時分侯爵ナンカニならなけりやならないと思はなかつたつけ。
おまへ、よす訳にはいかないのかナ、
どふもそうは行ないようですよ、かあさんがネ、とふさんが入らつしやればキツトそうさ せ度つておつしやるつていひましたよ、ダガネ、僕はどうしても侯爵にならなくっちやい けないんなら、こふする積りですよ、ネイ、僕は極く好い侯爵になるんです、圧制家にな んかはならないんです、そうしても一度アメリカと戦争しよふナンテいわふもんなら、僕 が一生懸命で止めませう。
これからホツブスと久敷間子細ら敷話しをしてゐました、最初の不審が解けてからはホッ
ブスは存外愚痴つぽくなく余議ないこととして観念した様うでした、セドリツクが暇を告
るまでにはさま\゛/なことを尋ねました。
セドリツクは思ふ様に返事が出来ませんかつたから、自分で自由に理屈を付けて、段々侯
爵、伯爵の談話に油が乗つて来てから、こふいふもんだ、あヽいふもんだの、講釈はハヴ
ィシヤム氏にでも聞かせたらさぞ肝をつぶさせましたろう。(以上『女学雑誌』二二九号
)
小公子 若松しづ子
第二回(中)
併し、ハヴィシヤム氏の驚いたことはまだ外にいくらも有り升た。
是はイギリスに一生を送つて、米人と米国の風俗には少しも慣れて居らなかつた故でした
。
職務上ドリンコート家には四十年間も関係して居り升て、之に付属してゐる莫大の富も、
威光も好く知つてゐること故、自分は全体冷淡なたちで、職務上の外は容易に口を開ぬと
いふ人物なるにも係わらす、遠からず、一切を受継で、ドリンコート侯爵の尊号を名乗る
可き此童児を流石に軽忽には見做しませんかつた。
此人はまた長男、次男が老侯の意に叶わなかつたことも、カプテン、エロルが米国婦人と
結婚したのを烈敷憤ほられたことも、其未亡人が忌み嫌はるヽこと今尚ほ以前に異ならず
、其人の話になれば毎も知らす、識らず、言葉を荒らげ玉ふことも承知して居り升た。
老侯はいつも此婦人こそ我子の侯爵家の子息たるを知り、手練を以て欺きたる卑劣なる人
物なれと断じて詈しり居られ升た。
ハヴィシヤム氏も、それ或は然らん位に半信半疑で居り升たが、其生涯の中には、随分勝
手気侭な人物にも、貪欲な人物にも出逢ふたことのある人でして、増して米国人をば余り
好く思ひませんかつたこと故、かく思ふも無理ならぬことでした。
御者の案内で、馬車がトある下賎らしき町へ這入り、安ツぽい、小さな家の前へ止まつた
時に実際ギヨツトした位でした。
苟しくもドリンコートの城主と呼ばる可きものが角に万屋らしき小店のある下賎な家に生
れて、生長したと云ふは、どふ思ふても余りに不相応なことと感じました。
生れし男児と云ふは如何なる人品、又母たるものヽ人柄はいかゞあらんと気遣ひつヽも、
心は一向進まず、有難くもなき対面と少し躊躇の気味でした。
自身がこれ迄久敷間其公務を引受けて居つた大家の事ゆへ、自然贔負も出来て見れば、亡
夫の古郷と、名家の尊巌などに考への及バぬ卑劣貪欲なる婦人と掛引せねばならぬ仕合は
迷惑千万に思はれたのでしたらう。
此老成なる代言人は生来冷淡、英敏なる事務家でしたが、高名なる此旧家に対しては容易
ならぬ尊敬心を懐いて居り升た。
メレの案内に連れて通ふつた座敷を見、批評的に眺め升たが、質素にしつらつてある中に
も案外小ざつばりとして住み好さそうでした。
包囲には安ぽい虚飾置物や額は見えず、壁に掛つた多くもあらぬ額面は品好きもの耳で、
婦人の手に為つたろうと思ふ奇麗な飾付が外に少し斗り有りました。
先づこれ位ならば大して悪くはないが、カプテン、エロル殿の嗜好が好かつた為かも知れ
ぬと心の中に思ひ升た。
併しエロル夫人が坐敷へ這入つて来たのを見ると同時にどうやら其人品が矢張り其包囲と
相応て居るといふことに気が付ました。
此人が若し沈着で、物に動ぜぬ老紳士でなかつたならば、夫人を見た時の驚きが必ず容貌
に露はれたに相違有ません。
其質素な黒い喪服が窈窕な姿をよくも装ふた処は七歳になる童児の母といわふよりは寧ろ
まだうら若き処女と思へる様でした。
其若\/しい貌は奇麗に萎らしく、其大きやかな茶勝の眼には何処となく、優愛で、おぼ
こ気な様子が有ました。
此一体に萎\/とした処は夫に離れて以来まだ全く、去り切らぬ様子振りでした。
セドリツクは此様子をよく見慣て居り升たが、一時其の憂はしさが消失せて、母の貌のさ
え\/するのを見るのは、只だ自分が一処に遊ぶときとか、話しをしてゐる中に、何か思
はず妙なことをいふ時とか、又は新聞を読んで覚えたか、ホツブスの談話で聞た可笑なま
せた言葉をつかつた時とかのことでした。
セドリツクは六ケ敷、長い言葉をつかふのが好でして、おつかさんのお気に入るらしいの
は嬉しいけれど、自分は一生懸命で言ふのに、なぜ人々には可笑か知らんといつも思つて
ゐました。
さすが代言人丈あつて、彼の人は人物を見るのは得意でしたから、セドリツクの母を一眼
見ると直ぐに老侯がエロル夫人をば下賎で、貪欲な人物と見做した判断の大誤で有つたこ
との合点が行升た。
ハヴィシヤムといふ人は一生独身で送つた人で、恋といふことさへ知りませんかつたが、
此可愛らしい声の、萎らしい眼の若婦人がカプテン、エロルと結婚したのは、全く其優な
心を尽して其人を愛恋した故で、損益上、侯爵家の子息なることは考に這入つたこともな
いといふことの推測が出来ずして、先、これなれば掛引の面倒もない、又若年のフォント
ルロイ殿もドリンコート家にとつてさまでの厄介物でもあるまいかと思はれて来ました。
それから又カプテンは生来、美男子であつて、此婦人も美人なれば、其子は多分器量が悪
いことはあるまいと考へ升た。
最初、先エロル夫人に来意を告げました時、夫人は忽ち貌色を変へました。
オヤ、さ様ですか、さ様ならば、私はあの子を手離さねばならぬのでせうか?
マアーあの様によく懐て居り升に、只今まで此上もなく楽しみにいたして、出来る丈の注 意をして育てましたに、ソシテ他に何の楽しみもない私にとつてハ、他人には分らぬほど 大事な子で御座り升のに‥‥‥、
といふ声の震へた処は如何にも愛らしく、眼には涙を一杯に湛へてゐました。
彼の代言人はしわぶきしてかふいひ升た。
チト申悪い事ですが、老侯は尊夫人に対してエー、其‥‥‥ひどく打とけては居られぬの で、イヤ御承知の通り、老人と申者は兎角偏頗な者でナ、老侯も基偏頗心の甚はだ強い方 で、一度思ひ込だことは中\/解にくいのです、殊に米国といひ、米国人といへば、一途 に嫌な質で実は御子息の御結婚のことに付ては、イヤ大した立腹で御座つた、愚老も実以 て面白からぬ御沙汰の使者として推参するは迷惑な次第です、併し早い話しが老侯は貴夫 人とは断じて顔を合すまい、たゞフォントルロイ殿は手元へ引取り、自ら其教育の任を採 り度との御所存で御座る。
元来、老侯はドリンコート城には余程執心で、お住いは重も此城中で、炎症痛風の持病あ る為、都には余り御滞在はないのです。
それ故、フォントルロイ殿も矢張り重もドリンコート城に御住いになることで御座ろう。
貴夫人にはコート、ロツヂと申して、此城郭に遠からぬ、家屋を呈し、又是に加へて適宜 なる歳入も差上る御所存で御座る。
フォントルロイ殿がこヽに出入し母君の機嫌を伺はるヽことは自由にいたし置るヽ筈、只 差留置るヽは対面井に城郭への御出入のみで御座る。
只今申し上る通り故、先方の謂分もさほど無理とは存ぜられぬかと思ひ升テ。
殊に申迄もなく、かくなる上はフォントルロイ殿にとりては教育其他万事に如何程の御利 益か測られませぬこと故、篤と御勘考願升。
と述立て、さて婦人は兎角涙もろいもの、かふ聞て泣出されはせぬか、左様なこともあら
ば苦々敷ことと心密かに其様子を窺ふて居り升たが、其様子もなく、たゞ窓際へ立寄て、
暫く顔を背向て居られたのは、心の動揺を静める為で有つたのでした。
幾ほどもなく、
カプテン、エロルもドリンコートを大層に慕ふて居られ升た。
お国のことと云へば何でもひどく慕はしく思召して、お家を離れて居らるヽが始終御苦労 の種で有つたのでして、お家のことも御家名のことも格別大切に思るヽ方でしたから、其 子に故郷の立派な処も見せ、殊には又未来に賜はるといふ位爵に対して相応な教育が受さ せ度と、若し御存命ならば、思召は必定で御座り升。
といひ乍ら、席へ戻り、ハヴィシヤム氏をしとやかに打見遣り、
夫が矢張り其通りに致し度と思ふだろうと存升上は私くしは他の考も御座りません。
仰の通り、子供の為には結構なことで御座りませう。
そして、アノ侯爵様はまさか子供が此母を嫌ふ様にはお仕付遊ばすこともあるまいかと存 じられ升。
万一さ様に仕付やうと思召たとて、子供の害にはなり升まいかと思ひ升。
誠に父によく似て、温和、忠実な方ですから。
仮令、長の年月顔を合せませんでも私をおもふことには変りは御座りますまい、増して折 節の対面をお許下さるとならば格別申し分も御座りません。
と何気ない言葉を聞て老人の心の中に、さては心得たる婦人、自分のこととては露ほども
思はぬと見えて、別段先方へ要求らしいことも申出ないのかと思ひ、
イヤ、貴夫人が只管、御子息の行末のためにと御配慮あるは此老人も実に感服に存じ升る 。
フヲ(小字)ントルロイ殿も御成人となりたる上如何ほど悦ばるヽか、斗れませぬ。
以来フヲ(小字)ントルロイ殿の御一身、御幸福の為には老侯にも充分御尽力ある御処存 なれば、其辺は御心易く思召して宜しかろうと存じ升。
キツト老侯には貴夫人に代つてどこまでも御保護、御掬育あることはおうけ合致して置ま す。
と聞いて優しい母心に少し思ひ迫つて、震へ声になり、
どふぞ侯爵さまにはセデーにお眼かけられて愛して下されば好うござい升が、あれは気立 が誠に人懐こい方で、これまで優しくされつけて居り升から。
といひ升た。
ハヴィシヤム氏は又少し拍子抜がした様に咽喉を払ひました。
心の中にどふも彼の持病持な、癇僻ある老侯が大して人を愛する様なことは間違つてもな
いかと思はれました。
併し自分の後を継ぐ可きものを懐けて置くは利益で有つて見れば、先深切には扱ふであろ
う、又人物が自分の気に叶へば、随分、人に対して自慢する程だろうかと思ひ升た。
フヲ(小字)ントルロイ殿はキツトお気楽には相違御座りません、必竟、貴夫人が近隣に 御住居なさる様、お取斗ひあつたと云もフヲ(小字)ントルロイ殿のお心の中を推測つて の御配慮で御坐る。
怜悧くも答ました。
ハヴィシヤム氏も流石侯爵殿の申された通りを其まヽ伝へるに忍びす、態と言葉を和げて
滑らかに聞へる様に注意致しました。
さてヱロル夫人がメレに子息を尋ねて連れ帰る様に申付けて、メレが其有家を申した時、
老紳士は又も一度ドツキリ致し升た。
へイ\/、雑作もなく見つかり升とも、又いつもの通り、今時分はホッブスさん処の帳場 のワキへお腰をかけて、政事の話しをして入つしやるか、ソウデなけりやあ、シヤボンや 、蝋燭や、馬鈴薯のあるなかで御機嫌で遊んで入つしやるにちげい御座いませんよ、エど ふもお悧巧で、おかうゑいらしいんですからネ。
とメレがいひ升た。
ヱロル夫人は其跡を継いで、
ハイ、アノホッブスと申す人はセデーが生れた時から御存じで、大層深切にして呉れるの で、セデーもよく懐いて居り升。(以上『女学雑誌』二三〇号)
小公子 若松しづ子
第二回(下)
自分が角を過つた時、チヨツト眼に這入つた馬鈴薯や林檎の箱、其他種々雑多の商物の散
乱してゐた小店のことを此時思出し升てハブィシヤム氏は又心に疑を生じ升た。
いかさま英国では苟くも紳士の家に生れたものは、万屋の亭主などヽ友誼を結ぶといふ様
なことは有ませんかつたから、今聞たことが余程不思議な所行に思はれ升た。
もし其子供が行儀賎しく、下卑た人の交際を好む様ならば、それこそ当惑なことと考へ升
た、老侯が何よりも不面目に感じられたことは、長男、次男の両人が、下賎の者の交際を
嗜んだことでしたから、此子が万一、質父の見識を受継ず、却つて伯父たちの悪癖を遺伝
しはせぬかと、少し気遣はしく思始め升た。
エロル夫人と談話の最中、此ことに付て心安からず思ふて居り升たが、其中戸が開ひて、
子供が坐敷へ這入つて来升た。
最初、戸が開き升た時、何故ともなく子供と顔を合るが嫌に思はれて、チヨツト躊躇升た
。
然るに手を広げて迎へる母の方へ走り寄る子供を見ると同時に、此老紳士の心の中に起つ
た得も云はれぬ感情を、平素其実着、沈静な気象を見貫て居たものが知り升たら、余ほど
不思議なことに思ふことでしたろう。
さてかくまで非常にハ氏の心を動かしたものは、一種反動的の感情でした。
一見して其童児が嘗て見ことのないほどな秀逸ものと分りました。
殊に容貌の美いことは非常な者でした。
其体つきの倔強で撓やかな処、幼な顔の雄々しき処、子供らしき頭を抬げて進退する動作
の勇ましい処、一々亡父に似て居ることは、実にギヨツトする斗りでした。
髪の色は金色で、父に似、眼は母の茶勝な処にそつくりでしたが、其眼付には、悲しそう
な処も、臆せ気味な処もなく、只あどけない中に、毅然とした処のあるは、一生涯、なに
ヽも恐ぢたことなく、疑つたこともないといふ気配でした。
ハ氏は心の中に、是は又大した上品な、立派な童児だとおもひましたが、口へ出しては極
く淡泊に、「サヤウならばこれなるがフォントルロイ殿で御座るか」といひました。
此後、童児を見れば見るほど意表に出ることが多あり升た。
ハ氏は英国で見た子供の数の最も多中に、巌重、丁寧に抱への師匠に仕着けられた、気量
好の、立派な童男、童女も多くありました。
中には控めの質なのもあり、又中には騒々敷方のもありましたが、忸れ近づいて、子供と
いふはどふいふものと気を留めて見たことは有りませんかつた。
尤もハ氏の如き四角張つた、巌整な老成代言人にとつては、子供などは別段面白いことは
なかつたでせう。
然るに、セデー丈には、普段と違つて、よく注意したといふものは、此童児の運命は、自
分の利益に関係の多い処からで有つたのか、又はそうでないのか、兎に角知らず、識らず
、非常に注意を引起されてゐ升た。
セドリツクの方では自分の眼を着られて居るとも何んとも気がつかず、たゞ平生の通りの
挙動をして居り升た。
自分がハ氏に紹介された時、いつもの通り丁寧に握手して、ホッブスと応答すると替つた
調子もなく、問はるヽ毎に雑作もなく返事をしましたが其様子は恐気た風もなく、さりと
て差出ケ間敷処も有ませんで、ハ氏が自分の母と話をしてゐた間、ヂツト聞いて居つた様
子は、ハ氏には丸で成人かと思われる位でした。
御子息は誠にお巧者の質に見受けられ升、
と母に向つて申し升た。
左様で御座い升ことによるとさうかと存じます。
物覚は極く宜しい方で、只今まで重に年上な人と計り居り升たから、聞覚や、読み覚の長 い言葉を遣ひ升たり、ませたことを申たりする僻が御座り升て、折々大笑をいたし升。
仰の通り、どちらかといへば、巧者なたちでせうが、又時としては矢張り、極々子供らし ふ御座り升。
此後ちハ氏が再たびセドリツクに出逢ひ升た時、母の申分を思ひ合せて、本に子供らしい
子といふことが分りました。
馬車が角を曲がると、一組の童児が眼に這入り升たが、見れば何か大層イキセキしてゐま
した。
其二人は今しも走りくらべにかヽらうといふ処でしたが、二人の中の一人は未来の侯爵殿
で、朋輩に負けず、劣らずの騒をして居られました。
丁度今、合手の子供と並びたつてゐて、赤い靴足袋を穿た脛を向ふへ一歩踏み出してゐる
処でした、主唱者は大声に、
よろしいか?
一ッチデ始まり‥‥‥二ッデ確乎、三ッデやれ‥‥‥
と呼はわつてゐました。
ハ氏は知らず\/首を馬車窓の外へ出して、大層身を入れて勝負を眺めてゐました。
合図の言葉と共に跳出した若侯の立派な赤い脛が膝切ヅボンの後へ躍り挙り、殆ど宙を飛
かと思ふ様な塩梅は、未だ嘗て見たことのない壮観だと思ひ升た。
セドリツクは少さな両手をシツカリ握つて、風に逆つて走り升がた、きら\/した髪は浪
々と後ろへ吹流されて居升た。
朋輩の男児等は夢中になつて足踏をしながら、狂ひ声に呼たて、
セデー!
ヤツヽケローイ。
ビレー!
負けるナアイ。
ヤレイー!
ヤツヽケローイ!
ハ氏は独言に、
矢張りこちらが勝そうだ。
といつてゐ升た。
彼の赤脛の飛工合、朋輩等の高声、赤脚に少し後れてゐても、中々軽蔑の出来ぬビレの鳶
色の脛が夢中に競争するも、何れもハ氏の心をいらだてる原因でした。
どうぞして勝せて見度ものだと。
又我知らず独ごちて、あとで人もゐぬに間のわるそうにしわぶきしてゐ升た。
丁度此時跳上り、躍り廻つて居つた童児等が、一斉に鯨声を作つたと思と、未来のドリン
コート侯爵は最後の大奮発の一飛で、角のガス灯の柱に達し升たが、これはビレが息を切
つて其柱へ飛掛つた二セコンドほど前のことでした。
ヤアやつたな、セデイ、エロル!
えらいぞッ。
と朋輩等が叫びました。
ハ氏は此時暫し馬車の窓から首を引こめて、にこ\/しながら後ろへ寄り掛りました。
フオントルロイ殿大でかしで有つた。
と又独言を云ました。
自分の馬車がヱ口ル夫人の家の前へ着た頃には勝負を終へた両人は、ガヤ\/ドヤ\/と
立騒ぐ一ト群の童児等に後を推されて参り升たが、セドリツクはビレと並んで歩いて居つ
て、何かいつて居り升た。
其いらだつた顔は真赤で、ちゞれた其髪は熱して汗ばんだ額へくつヽいて居つて、其両手
は、ポツケツトの中へ這入つて居り升た。
ネー君、僕が勝つたのは僕のすねが君のより少し長いからだろうよ。
なんでもそれにちがひない。
ネー君、僕は君よりか三日早く生れたろう、だからそれが僕の得になつたのだ。
僕は三日丈、君の上なんだもの。
と勝負に不首尾な自分の競争者を慰める積りか、いつて居升た。
こふ思つて見ればビレも心わるくなく、段々白い歯を顕しかけ升た、そして其中に却つて
自分が勝でもしたかの様に少し威張り気味に成升た。
セデイ、エロルはどふいふものか人の不機嫌をなだめる法方を知つてゐました。
自分が勝利を得て心の浮\/してゐる時でも負かされた人は自分ほど愈快ではあるまい、
こうならば勝てたものと思はれヽば、幾分かの心遺りになるだらうと、人の心の中を推す
る徳を持つてゐました。(以上『女学雑誌』二三一号)