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岐阜大学精神神経科
医局長 植木 啓文
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第一次世界大戦の渦中において、S・フロイトは『戦争と死に関する時評』を著しました。「学者たちまで、その冷静な公平さを失ったかのようである。きわめて激しい感情につき動かされ、学者たちは学問を敵と戦うための武器として利用しようとしているのである」、「みずからは銃を手にとることがなく、この戦争の巨大なマシンの小さな歯車となっていない者は、進むべき方向をいくらかでも示してもらえるなら、どんなヒントでも歓迎するだろう」(中山元訳)――フロイトは、そう記しています。
これらの言葉は、功成り名遂げた科学者が好む平和主義とは、根底的に異なるものです。なぜなら、それから5年後に、フロイトは『戦争神経症者の電気治療についての所見』と題する文書を、オーストリア国防省の軍務違反調査委員会へ提出しているからです。大戦当時、戦争神経症と診断された兵士に対し行われた、残酷な治療法を批判するこの文書は、次のような内容を含むものでした。
「医者自身が戦争の官吏であり、自分に割り当てられた指令以外に意を払うなら、降格や役務怠慢の非難という危険がわが身にふりかかってくることを恐れなければならなかった。常ならば医者にとって主導的なものである人道上の要求と、国民戦争上の要求との解きがたい葛藤が医者の活動をも混乱させずにはおかなかったのである」(須藤訓任訳)。
翻って、現在の精神科医が置かれている立場はどうでしょうか。
人々に多大な苦しみをもたらした新自由主義に奉仕する役割を無自覚に引き受けたのが、米国の精神医学界と、それを嬉々として輸入した日本の精神科医たちでした。その結果、たとえばうつ病の概念は無制限なほどにまで拡大し、それらはマニュアルに頼った統計と薬剤を介することによって(つまり、フーコーのいう生-政治学によって)、立法府や行政府の非行を、補完させられるだけの役割を果たすはめに陥りました。
最近になって、それらに対する反省が、ようやく一部で生まれつつあります。「精神病理学の知見により豊かになった、個々の人間が抱える問題および社会的文脈を標的とする注意深い臨床評価は、(米国の診断マニュアルである)DSMの刊行以来というもの、衰退し続けている」、「米国では、指導的臨床研究者が亡くなった後、若手研究者が出現していない」、「私たちは、精神病理学の科学とアートにおける、真のエキスパートを育てるための、投資を必要としている」(Andreasen NC)といった指摘は、その一部です。
それでは、日本の精神医療は、どこへ向かうべきなのでしょうか。新自由主義が敗退しながらも、新しい思想が未だ登場していない現在、ただ一つ確かなのは、国家と社会への批判力を失わなかったフロイトの姿勢を継承し、生-権力を補完する機械としてではなく、個々の人間の<こころ>と対話する、ささやかでもかけがえのない仕事を、私たちは追求していかねばならないということです。