初出:『イギリス小説ノート』9号( イギリス小説ノートの会、1994)pp. 17-28

 

『センチメンタル・ジャーニー』と表面

——あるいは「センチメンタルな読み方」について

 

内田 勝

I

 

 『トリストラム・シャンディ』(1759-67)を完結させた後のローレンス・スターンが、1768年、死の直前に発表した『センチメンタル・ジャーニー』(A Sentimental Journey through France and Italy by Mr. Yorick)から、まずはこんな場面を引用してみよう。フランスのカレーにやってきた語り手ヨリック(Yorick)は、馬車を手に入れようとデサン氏の馬車置場に行くが、ひょんなことから、馬車置場の壁を前にして、初対面の婦人と手をつないだままデサン氏を待つはめになる。

 

私の指の動脈が脈を打つのがそのまま彼女の指先に伝わるので、私の心にきざす思いまですっかり相手に気取られてしまいます。彼女はうつむき——そのまましばらく沈黙が続きました。

その間に、私は彼女の手をほんの少しだけきつく握ろうとしたのでしょう、というのは私は自分の掌に——手を引っ込めようとするのでもないが——引っ込めようかどうしようかと思案するような、微妙な気配を感じとったからで——そうした危険な瞬間に、理性というより本能が窮余の策を与えてくれなかったら、私はきっと彼女の手を再び失ってしまったことでしょう——その策というのは、彼女の手を極めてゆるく、今にも自分からそれを手放そうとしている風に握っていることで、そのおかげで彼女はデサン氏が鍵を持って戻ってくるまで、そのまま手を引っ込めずにいたのです。(1)

 

 きつく握り締めるのでなく、軽く触れるだけの握りかたを保つことによって、互いの指にかけられる圧力は小さくなり、そのぶん表面の皮膚感覚は研ぎ澄まされてくる。そうして得られる刺激を、ヨリックは克明に「読んで」楽しむのだ。

 『トリストラム・シャンディ』がそうであったように、『センチメンタル・ジャーニー』もまた読む楽しみについての小説である。ただしここで焦点が当てられているのは、書物を読むことよりもむしろ、ヨリックが、フランス旅行の間に出会う人々の表情や身振りをテクストとして読む、その読み方だ。それを、表情や身振りから言葉への「翻訳」と呼んでもいい。文字通り「翻訳」('The Translation: Paris')と題された章で、ヨリックはパリのオペラ・コミック座で出会ったフランス人老士官の無言の動作を英語に翻訳してみせたあと、こう言っている。

 

人と人との交流を促進するのに最も有効な秘訣は、この速記術に熟達して、表情や手足の動きという、さまざまな抑揚や型をもった記号を、素早くわかりやすい言葉に翻訳できるようになることです。この私は長い間の習慣で全く機械的にこの作業を行いますから、ロンドンの街を歩いていても、道道ずっと翻訳をやっております。だから人の輪の後ろに立って、たった二言三言しか耳にしなくても、そこを立ち去るときには、二十もの対話を耳に残して去ることだってたびたびです。その対話をちゃんと紙の上に書き留めて、確かにこれで間違いないと太鼓判を押すことだってできますよ。(79)

 

 こうしてヨリックは、フランスで出会う男女の微妙な表情や身振りを読み解きながら、あるいは逆にこちらからも微妙なメッセージを送って「会話」を交わしながら、旅を続ける。相手がカレーの馬車置場で出会ったL***夫人にせよ、フランチェスコ派の老いた修道士にせよ、モントルイユの乞食たちにせよ、パリの手袋屋の女主人にせよ、書店で会った小間使いにせよ、ヨリックは言語によるコミュニケーション以上に、表情や身体の動きといった、視覚的・触覚的なメッセージの交換を重視しているようなのだ。そうしたコミュニケーションの対象は、なにも人間である必要はない。カレーの馬車置場では、乗手のないみじめな一人乗り馬車に同情し、パリの宿では鳥篭の中に囚われた椋鳥と会話を交わす。果ては次のように言い切って見せる。

 

私は陽気にポンと手を打って言いました。私だったら、たとえ砂漠の中にいたって、何か自分の愛情を呼び覚ますものを見つけてみせますよ——もし他にどうしようもなけりゃ、せめて美しいてんにんかの樹にでも愛情をつなぎとめるとか、私の愛情を注ぐに足る、愁いを含んだ糸杉でも探すでしょうね。(中略)幹に私の名前を刻んで、おまえたちは砂漠中で一番愛らしい木だよと言ってやり、その葉が枯れればともに嘆くことを学び、再び若葉が萌出ればともに喜びを分かちあうことでしょう。(51)

 

 こうしたいかにも「センチメンタル」な(「感受性の豊かな」の意味でも、「感傷的な」の意味でも)愛情表現の基礎になる、ヨリックの外界の事物のとらえ方、あるいは外界の事物というテクストの読み方を、「センチメンタルな読み方」と呼んでみるなら、その最大の特徴は、あくまで事物の表面に留まることであり、たとえそこから直感的に本質を見抜くことはあっても、決して表面の奥に進んで、内部にある本質を分析的に見極めようなどとしないことではなかろうか。

 

II

 

 「センチメンタルな読み方」について、スターン自身の語った言葉を聞いてみたい。『センチメンタル・ジャーニー』の発表直前に、アメリカ在住の医師ジョン・ユースタス(John Eustace)からのファンレターへの返事として、スターンが出した手紙の一節である。

 

本当に感性の鋭い人は、いつだって楽しみの半分は自分で作り出しているのです。もともと自分が持っている観念が読む物によって呼び覚まされて、自分の中にある脈動(vibrations)が、外から掻き立てられる脈動とすっかり一致しているにすぎないわけですから、言わばではなくて自分自身を読んでいるようなものです。(2)

 

 テクストはあくまで自分の中に初めからある観念を誘発し、自分の中にあらかじめ存在する脈動を掻き立てるためのきっかけを作る刺激でしかない。外界の事物に対してそんな「センチメンタルな読み」を行う場合、重要なのはもっぱら事物の表面であるのも当然だろう。『センチメンタル・ジャーニー』のヨリックにとって、表面の奥にある本質は、直感的に感じ取るものではあっても、彼はそれを分析的に掘り下げて読み取ろうとはしない。それぞれの事物を世界の中に位置付けることにもあまり関心がなさそうだ。

 そうした無関心は、名前についての無頓着さに顕著に現れている。小説の勃興以前のことはいざ知らず、『センチメンタル・ジャーニー』ほど登場人物の名前が明かされることの少ない小説は稀ではないだろうか。ヨリックとセンチメンタルな邂逅をする人物の大部分には、固有名詞が与えられていない。「小間使い」(fille de chambre)だの「売り子」(grisset)だの「フランス人老士官」だの「聖ルイ騎士団の騎士」といった呼び名でしか語られないのだ。「フランチェスコ派の修道士」の名前がロレンゾ(Lorenzo)であることが判明するのは、彼の登場する場面が終わり、エピローグ的に彼がすでに故人となったことが語られるところである。

 もちろん固有名詞を避けるのは、この小説がある程度までは作者スターンの実体験に基づく旅行記であり、実名を伏せる必要があったからかもしれない。だが必ずしもそればかりではないことは、カレーの馬車置場で出会った婦人の例を見ればわかる。ヨリックは言う。「その御婦人を一目見て、『これは上流の人だな』と思い込み——次に、同じくらい論争の余地のない公理として、『この人は未亡人で、どこか思い悩んでいる様子がある』と決め込んでしまって——それ以上私は何の詮索もしませんでした。私にとって楽しい状況を作り上げるにはそれで十分でしたから」(46-47)。彼女がどこの誰であるのかは極めて曖昧なまま、様々な可能性を秘めたその女性の指の感触をヨリックは読むのである。

 ようやくヨリックが彼女の名前や身分を知りたいと思うようになるのは、彼女とは二度と会えないかもしれないことに思い至り、何か彼女を思い出す手掛かりになるものが欲しくなってきたからだ。とは言え、ぶしつけにそうしたことを聞くのは気がひけて、ためらっているヨリックの前に突然現れたのは、フランス人の陸軍大尉だ。彼は二人の間に割って入ると、婦人の行き先、出身地、名前、既婚か未婚かといったことを畳み掛けるように質問する。「たぶんあなたはフランドルの方しょう——ええ、とその御婦人が答えます——それじゃ、リールですか?——いいえ、リールから来たんじゃありません——それならアラースですか?——それともカンブレー?——ゲント?——ブリュッセル?——ええ、ブリュッセルから来ました、と彼女は言いました」(47)まるで『百科全書』の知の系統図「知識の樹」の中にさまざまな学問分野が分類されていくように、彼女は分類され、整理されていく。真実でない可能性は次々と排除されていき、やがて体系の中の彼女の位置は一つに定まる。

 そばで呆気に取られて見ているヨリックは、運良く彼女の名前(読者にはただ「L***夫人」としか明かされない)を知ることができたわけだが、だからといって彼はフランス人大尉のような分類・整理法を学ぼうとはしない。ヨリックは、彼女がパリの人でもロンドンの人でもリールの人でもブリュッセルの人でもあるような状態を楽しんでいたからだ。ヨリックが女性の手を握る身振りは、のちに彼がパリの手袋屋の女主人の脈を取るといった形で反復されるが、彼女との関係においても、ヨリックにとって重要なのは彼女の名前でもなく、彼女がこれまでどういう人生を送ってきたかでもない。重要なのはふと見かけた彼女の顔が「私の気に入った」(73)ことであり、「この女性は感じがいい」(73)という印象であり、「あなたは世界中の女性のうちで一番素晴らしい脈(the best pulses)を持っているに違いない」(75)という直感的な判断である。「脈」(pulse)は先ほど引用したスターンの手紙にある「脈動」(vibration)に通じる。ヨリックは自分の中にある脈動(vibrations)を呼び覚まし掻き立ててくれる脈動をひたすら求めてやまないのだ。その脈打つ表面の奥にある他者がどこの誰であるかは、彼には重要ではない。

 

III

 

 試みに、ヨリックの「センチメンタルな読み方」を、全く異質な「読み方」と比べてみよう。キャロル・フーリハン・フリンの『スウィフトとデフォーにおける身体』(1990)の第一章「鈍い器官」は、デフォーの『疫病流行記』(1722)の語り手H・Fが、病原体と死体に満ちた目の前の現実をどう認識してよいかわからず、言い替えれば目の前の強烈な「物」(matter)の混沌に「形」(form)すなわち秩序を与えることができずに、途方に暮れている様を描き出している。H・Fはペストのはびこる現実のロンドンを清教徒的世界観の枠組みにはめ込もうと努力し、目に見える現実の彼方にある神の摂理を読み取ろうとする。フリンはそれを「鈍い感覚器官を使いながら、物質界を貫いて、その中にくるまれた非常に希薄な霊的現実界(spiritual reality)を見通そうとする試み」(3)と呼んでいる。「鈍い感覚器官」(dull organs)とは、かつてスターンが『トリストラム・シャンディ』の序文で指抜きと封蝋の例えを使って鮮やかに解説してみせたことのある、「不明瞭な観念」の生じる原因を説明したジョン・ロックの文章から取られた表現である。

 

単純観念の場合、不明瞭の原因は、(感覚)器官が鈍いためか、対象の印銘がごくかすかで、うつろいやすいためか、さもなければ、記憶が弱くて、観念を受け取ったままに把持できないためかであるように思われる。(4)

 

 ただしフリンはこの言葉を、ロック的な意味から少し離れて、肉体に縛られた死すべき人間全体にあてはまるような、全てを見通すことのできない感覚の鈍さといった意味で使っている。

 さて感覚器官が鈍いために神の摂理を読み取れないH・Fの苦悩は、ヨリックにとって無縁のものだ。ペストに襲われた1665年のロンドンと、ルイ十五世治下アンシャン・レジーム期のパリではまるで事情が違うのは当然だが、それ以上に、両者が外界の事物を読む流儀が異なっているのである。同じように死すべき肉体に縛られ、「鈍い感覚器官」を持った両者だが、H・Fはこれまでに出会ったことのない、予想を超えた強烈な刺激を前にして、なおかつ明瞭な観念を形成しようと悪戦苦闘する。一方ヨリックは、もっぱら元々自分の中に備わっている観念を呼び覚ますような刺激に反応する。ヨリックの感覚が非常に研ぎ澄まされ、人並み外れて鋭いように見えるのは、彼が自分の中の脈動にぴったり合致する脈動のみを選んで捕らえているからなのだ。彼の感覚器官は、外界よりもむしろ自分の内部に向かって開かれている。

 それでは、外界の事物の読み方が両者の間でこれほど違うのはなぜなのか。端的に言えば読む目的が違うからだ。H・Fは表面の混沌の奥にある真実を読み取ろうとしているのだが、ヨリックは、事物の表面を横断して楽しむために読むのである。

 

IV

 

 バーバラ・マリア・スタフォードの『ボディ・クリティシズム——啓蒙主義時代の美術と医学における見えないものの視覚化』(1991)は、当時の人々が世界を探求するにあたって、二つの流儀があったことを述べている。

 

解剖学や理性のナイフは、世界や身体を比較的容易に把握できる細かな部分へと切り刻んでいき、ついには宇宙をまっぷたつに切った。その結果、感覚に訴えてくる外観ではなく、その下層にじっと動かずに横たわるものこそが、永遠の重要性を帯びることになった。一方それとは逆の、経験主義的な方法は、現実界を絶えず動いて止まない流動ととらえた。現実の様相は、本質的に深く知ることのできないものである以上、刻々と変化する表面を横断して追い求められるものとなった。(5)

 

 スタフォードは後者のような型の探求を行った人たちの代表として、画家ホガースの研究で有名なドイツの思想家、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(Georg Christoph Lichtenberg, 1742-99)の名を挙げている。彼は、当時の代表的な観相学者ラファターの『観相学断片』(1775)に対する反論『観相学について、観相学者への反論』(1778)の中で、観相学に対抗して感情表出学(pathognomics)を提唱したのだ。観相学や骨相学が、人体の頭部に現れた特徴からその内部にある固有の性格や才能を分析的に見極めようとしたのに対し、感情表出学は、刻々と変化する人間の表情や身振り、衣装や態度といったものから、直感的に人格を判断しようとするものであった。観相学者にとって、次々と移り変わる表面の生き生きとした表情は、判断を誤らせる元でしかなかったが、逆に感情表出学者にとってはそれがすべての判断の基準になる。

 あたかもヨリックは、リヒテンベルクより十年早く現れた感情表出学者のようである。旅行免状を手に入れるために便宜をはかってもらおうと、外務大臣ショワズール公爵に会いに行くヨリックが、どういう態度で公爵に接したらいいかを自分に言い聞かせる場面を引用してみよう。

 

まず公爵の顔を見るのだ——その顔にどういう性格が読み取れるかを観察しろ——お前の話を聞くためにどんな姿勢をしているか注意しろ——身体や手足の動きや表情にも気を着けるんだ——その口ぶりということになれば——唇から最初の一言が洩れればそれでわかること——それらすべてをひっくるめて判断して、公爵に嫌われないような文句や態度をその場でまとめ上げるのだ。(101)

 

 スタフォードは、ラファターたちの観相学が「新古典主義的」であるのに対して、「リヒテンベルクはロココ的・エピキュリアン的な感性を持っていた」(Stafford 127)と言っている。(6)リヒテンベルクの感情表出学が持つそうした特色はそのまま、ひたすら表面にこだわり、表面の印象が与えてくれる快楽にこだわる、ヨリックの「センチメンタルな読み方」にも当てはまることのように思われる。

 

V

 

 さて、われわれは今そういう「センチメンタルな読み方」の記録である『センチメンタル・ジャーニー』という書物を読んでいるわけだが、この書物の著しい特徴は、それがいったん始まりかけては中断する物語の断片に満ちていることだ。L***夫人との交際はその後発展することがない。彼女がもしもヨリックに身の上話をしたら「私をかわいそうだと思う心が、あなたの旅のただ一つの危険になるかもしれません」(50)という彼女の物語は、いっこうに語られることがない。彼女はヨリックにパリのR***夫人宛の手紙を託すが、パリに着いたヨリックが果してその手紙を届けたかどうかはうやむやになってしまい、その手紙から生まれるかもしれない物語も語られないままだ。

 中断する物語の圧巻は、ヨリックがバターを包んでいた紙に印刷されているのを発見する「断片」だろう。何一つうまくいかずに、さえない思いで歩いていた公証人が、ある屋敷に呼ばれて中に入ってみると、広い部屋には落ちぶれた老紳士が一人、寝台に横たわっている。遺言を作成する代金も払えないという老人は、代わりに自分の生涯を語って聞かせると言う。それを出版すれば、世間の人がこぞって読むはずである。これは人の心におよそあらゆる愛憐の情を呼び覚ます物語なのだ——興奮した公証人はインキ壺にペンを浸し、老人はおもむろに語り始める——だがそこで「断片」は終わってしまうのだ(129)。ヨリックも読者も、語られるはずの物語の期待を抱いたまま、後に取り残されてしまう。 最後まで語られる物語も、その語り口は極めて簡潔であって、ほとんど「あらすじ」のレベルの断片でしかない。アブデラの町についての「断片」も、レンヌの剣のエピソードも、聖ルイ騎士団の騎士のエピソードも、その細部が語られることはないのだ。

 それはまるで本の表紙だけを眺めているような感覚だ。映画の予告編だけを見ているようだと言ってもいい。それらの物語の断片は、その奥に物語のあらゆる可能性を秘めたまま、読者を宙吊りにしてしまう。中断した物語や、あまりに簡潔な物語は、物語の「表面」と考えることができるだろう。センチメンタルな読み方にとってはそれだけで十分なのだ。自分の中にある脈動を、それらの物語の断片がうまく掻き立ててくれれば、あとはその脈動が与える快楽に浸るのみである。物語の「奥」に入り込みその細部を分析的に描くことで、その物語の可能性を狭める必要はないのだ。

 

VI

 

 果してヨリックは猥褻か純潔かをめぐって様々な議論を生んできた場面というのがある。しかし、パリの宿屋にいたヨリックを訪ねてきた「R***夫人の小間使い」が、ふとしたはずみでヨリックの寝台の上にあられもない姿で倒れ込んでしまう場面(118)にせよ、小説の最後で、寝台から手を伸ばしたヨリックの手が、たまたま通りかかった「小間使い」のどこかに触れてしまう場面(148)にせよ、可能性を一つに絞ってしまう必要はないのだ。無理に絞ろうとすると、ジョン・マランの次の説のようになってしまう。

 

混ぜ物なしの純粋な情感は、それが何やら下品なものに近いということを知らない者には、享受できないものだ。いかなる「猥褻な」ものからも身を守り、そうしたものに反抗する方法は、それがいつもそこに、克服されるべき誘惑として存在するということを知っておくことにほかならない。(7)

 

 マランにとって、スターンのテクストは、そうした誘惑を克服することのできた特権的な読者とスターンの間だけで交流を深める場となってしまう。

 おそらくそのような可能性の絞り込みは必要ないのだ。ヨリックはとても猥褻なことをしたかもしれないし、少しいやらしいことをしたかもしれないし、全くしていないかもしれないのだ。各時代の読者もまた、各自の倫理感に照らして許容できる範囲(「本ではなく自分自身を読む」)で、ヨリックの火遊びを楽しんできたからこそ、この作品は今に至るまで読み継がれてきたのだろう。

 スターンにファンレターを送ったアメリカ在住の医師ジョン・ユースタスは、手紙と一緒に奇妙なステッキ——彼自身の言葉を借りれば「シャンディ的な造形作品」——を送ってきた。スターンはその返事にこう書いている。

 

あなたのステッキがシャンディ的なのは、何よりもまず、握りの部分が一つじゃなくて複数付いている(more handles than one)ところですね。——シャンディとあなたのステッキの違いと言えば、そのステッキを使うには、誰もが自分にとって一番使いやすい取っ手を握るのですが、『トリストラム・シャンディ』の場合は、誰もが自分の情熱や無知や感受性の度合にふさわしい取っ手を握る、ということぐらいでしょう。(8)

 

 『センチメンタル・ジャーニー』の場合もまた、読者ひとりひとりが自分の情熱や無知や感受性の度合にふさわしい取っ手を握って、そこに「本ではなく自分自身を」読み込めばよいのだろう。誰もが自分のセンチメンタルな読み方を行ってそれなりに楽しめるテクストを作ることこそ、スターンの意図だったのではないだろうか。

 

 

(1) Laurence Sterne, A Sentimental Journey through France and Italy, ed. Graham Petrie. (Penguin Books, 1967), p.42. 以下、この作品からの引用はすべてこの版により、ページ数は本文中に括弧で示す。なお翻訳は松村達雄訳(岩波文庫)のものを参考にしたが、文体の面でかなり変更を加えてある。

(2) Lewis Perry Curtis, ed., Letters of Laurence Sterne, (Oxford: Clarendon, 1935), p.411. 訳文のゴシックは原文のイタリックに対応。

(3) Carol Houlihan Flynn, The Body in Swift and Defoe, (Cambridge: Cambridge UP, 1990), p.10.

(4) John Locke, An Essay Concerning Human Understanding , ed. Peter H. Nidditch (Oxford: Clarendon, 1975), p.363; bk. 2,ch. 29. sec.3. 訳文は大槻春彦(中央公論社)に拠る。

(5) Barbara Maria Stafford, Body Criticism: Imaging the Unseen in Enlightenment Art and Medicine, (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, 1991), p.120.

(6) ただし、ラファターの観相学が、新しい科学であることを標榜しながら、むしろスターンにも通じる主観的な「センチメンタルな読み方」の産物だったことについては、次の論文を参照。
K. J. H. Berland, "Reading Character in the Face: Lavater, Socrates, and Physiognomy," Word & Image 9.3 (1993): pp.252-69.

(7) John Mullan, Sentiment and Sociability: The Language of Feeling in the Eighteenth Century, (Oxford: Clarendon, 1988), p.196.

(8) Curtis, p.411

 


内田勝「『センチメンタル・ジャーニー』と表面——あるいは『センチメンタルな読み方』について」(1994)〈https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/uchida/hyomen.html〉
(c) Masaru Uchida 1994
ファイル公開日: 2004-09-22
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