初出:『岐阜大学地域科学部研究報告』第26号(2010)pp. 9-20. この論文のPDF版はこちら(岐阜大学機関リポジトリ)。

「つながりを捏造すること——スターン『ブラーミンの日記の続き』を読む」への追記

内 田  勝

(2009年12月14日受理)

A Postscript to "A Faked Sense of Intimacy: Reading Sterne's Continuation of the Bramine's Journal"

Masaru UCHIDA


1.追記の前に、前提となる議論について

 
 本稿は、日本ジョンソン協会編『十八世紀イギリス文学研究4』(開拓社、2010年5月刊行予定)のために私が書いた論文「つながりを捏造すること——スターン『ブラーミンの日記の続き』を読む」への追記として書かれている。そのためここで、その論文の内容のうち、今回の追記に関わる部分だけを簡単に説明しておきたい。
 『ブラーミンの日記の続き』(Continuation of the Bramine's Journal)とは、18世紀イギリスの作家ローレンス・スターン(Laurence Sterne, 1713-68)が、肺を病んでこの世を去る前年に、親子ほども歳の離れた若い人妻イライザ・ドレイパー(Eliza Draper, 1744-78)に宛てて書き残した私的な日記である。ロンドンで出会って意気投合した二人だったが、東インド会社社員の妻であるイライザはインドに戻ることになり、スターンと彼女は互いに日記を書いて相手に送付する約束をする。闘病の苦しみに耐えながらスターンがイライザに宛てて書いた『ブラーミンの日記』のうち、送付されなかったがゆえに現在にまで伝わった部分が、『ブラーミンの日記の続き』である。
 この日記の中でスターンは、終始イライザとの熱烈な愛を語り続ける。しかし実際には、イライザはスターンに対して特別な恋愛感情を抱いてはおらず、スターンが描く情熱的な恋愛は、彼の独り善がりな妄想にすぎなかった。
 スターン晩年の小説『センチメンタル・ジャーニー』(A Sentimental Journey through France and Italy by Mr. Yorick, 1768)は、ブルジョワ男性が出会う女性や労働者に共感すると見せて、実は勝手な幻想を彼らに投影している点が、ある研究者によって「赤ん坊の顔をした帝国主義」(セジウィック 2001: 104)と評された。しかし別の研究者が言うように、男性による権力獲得のための複雑な戦略という捉え方は、『ブラーミンの日記の続き』にこそふさわしい(New 2002: 88, n. 20)。
 実際、無垢な恋人たちの純愛を描いたかに見える『ブラーミンの日記の続き』は、中年男性スターンの妄想が築き上げた理想の女性像に生身のイライザを強制的に重ね合わせようとする企てであり、「赤ん坊の顔をした帝国主義」という言葉はこの日記のある側面を見事に言い当てていると言える。
 ——今回の追記につながるのは、前掲論文で行った議論のうち、こうした部分である。 

2.捏造された純愛

 
 スターンは『ブラーミンの日記の続き』の冒頭に、次のような序文を掲げている。
 この日記は、ヨリックとドレイパー、そして時にはブラーミンとブラミーヌという架空の名前で書かれている——しかしこれは、そばにいたくてたまらない婦人から引き離されたある人物が、みじめな気持ちを綴った日記である——
 二人の実名は——外国人の名で——この文章じたい、S氏が所有するフランス語の原稿を訳したものだが——実名をベールに包むため、このように訳してある。——この日記と対になるもう一つの日記があり——それは婦人の側が、彼女の崇拝者から引き離された間の日々の出来事と——心に浮かぶさまざまな思いを綴ったものだ。——そちらは読む価値がある——訳者の私見では、ヨリックの日記はそれほど褒められたものではない——それは正直さと誠実さを除けば、ほとんど取り柄がないように思われる。(Sterne 2002: 169)(1)
 上の序文にある「ヨリック」(Yorick)とは、スターンが同時期に執筆していた小説『センチメンタル・ジャーニー』の主人公である。英国国教会の聖職者であるヨリックは、スターン自身をモデルにしており、彼の他の作品にも登場するため、この頃すでに「ヨリック」はスターン自身の別名として一般に通用していた。また彼はイライザとの関係においては、自らをインドの司祭階級バラモンを示す英語である「ブラーミン」(Bramin)という名で呼び、イライザをその女性形である「ブラミーヌ」(Bramine)と呼んでいる。(ただし彼はしばしば、自らを示す「ブラーミン」を誤って "Bramine" と女性形で綴ってしまうのだが。)
 三浦義章の言うように「ほとんど偽装とも言えないこの序文」によって、スターンが本気で『ブラーミンの日記の続き』を虚構作品に見せかけようとしたとは思えない(三浦 1987: 2-3)。そもそもこれは出版を意図してかかれた小説やエッセイではなく、個人的な日記である。むしろこの芝居がかった序文は、現実には平凡な友人関係でしかないイライザ・ドレイパーとの交際から、情熱的な恋愛物語を自分自身に向けて捏造しようとしたスターンの意識の現われであろう。言わば彼は『ブラーミンの日記の続き』を、彼自身だけを読者とするプライベートな虚構作品として書いていたのだ。
 この日記の文章は、不自然なほどに激しい愛情表現にあふれている。いくつか典型的な箇所を拾ってみよう。
[5月12日]ああ、イライザ! 僕の疲れ切った頭を、君のひざにもたせかけることができたら!(僕の頭に残されたものはそれだけだ)——それとも、君の頭を僕の胸に受け止めて、その悩みをすべて癒すことができたら。——僕のブラミーヌよ——ヨリックの世界は崩れるだろう、君にその安らぎを与えられないようなら!(Sterne 2002: 188-9)

6月3日——僕の旅行記[『センチメンタル・ジャーニー』]が書けない。半時間も執筆に集中していられない。いとしい友よ、君のせいだ——でも書かなくては。書いている間、君をどうしよう——どうしていいのか分からない——僕は君を、いつも僕の想像力のそばに置いておきたいんだ——僕の心からも頭からも、君を閉め出すことができない——つまり君は、(いつの日か君がそうするように)ノックもなしに僕の書斎に入ってくるんだ——僕が使用人に呼んで来させたわけでもなく——いつもブラーミンのそばにいたいという君自身の意志でやってくる——さあ、時には君を閉め出さなくては——さもないと、イライザ、僕は財布をからっぽにしたまま、君を浜辺で出迎えることになるからね——。(194)

6月9日 僕は馬車と2頭の良い馬を持っていて、毎日その馬車で遠乗りをする——いつも出かけて——そして僕の田舎家に、独りぼっちで戻ってくるんだ、イライザ!——楽しいはずのことが、憂鬱になる。本来楽しいものだからこそ、よけいにそうだ。馬車が走るのにつれて、言いたいこと、話したいことが、山ほど湧いてくる——だけど僕はそうしたことを君に話したいんだ——時には分別のあることも言えるし、気の利いたことならしょっちゅう言える——でもイライザがあんな遠くにいて、僕の言うことが聞こえないなら、気の利いたことなんて言ってもしょうがない。(198)

[7月7日]僕は太陽が出てから沈むまでずっとでも、君に宛てた言葉を綴れるだろう——しかし僕には書かねばならない本がある。妻を出迎えて交渉しなければならないし、地所も売らねばならない。教区の面倒も見なければ。千々に乱れるこの心をなだめる必要もある。それらがしじゅう僕につきまとうのだが——けれども僕の頭には、これまで以上に君がいる——君の抱擁からどんどん引き離されていくにつれて、僕は君の観念にぴったり寄り添っていく——君の姿はいつも僕の目の前にあり——君の甘美な声は一日じゅう僕の耳に響いている——僕に見えるのは、そして聞こえるのは、僕のイライザだけだ。(215-6)
 こうした文章を、イライザ本人がスターンについて述べた文章と比べてみれば、この恋愛がスターンの一方的な妄想によって捏造されていたことは残酷なほど明らかだ。下に引用するのは、スターンの遺族が、イライザからスターンに送られた手紙を出版すると言い出したことから、遺族とのいざこざに巻き込まれることになったイライザが、友人に不満をぶちまけた手紙の一部である。
彼女[スターン未亡人]には私に腹を立てる理由なんてありません。私がヨリックの手紙を通してしか彼女を知らないことを、彼女は知っていたのですから。彼はあまりいいことは書いていなかったし——私はスターンの言うことを信じていました——彼の言うことをすっかり真に受けていたんです! 私は彼のことを、正しく、寛大で、不幸な人だと信じるほかなかったのです。でも彼が死んで分かったのは、彼が不正と——卑屈と——そして愚行の悪徳に汚れていたということでした。(Sterne 2009: 765-6)
 確かにこの文面からは、イライザが生前のスターンに一定の好意を抱いていたことも読み取れる。イライザがスターンに宛てた手紙は結局出版されず、現在にも伝わっていないため、スターンに対してイライザがどの程度の愛情を注いでいたのかは確認しようがない。しかし、スターンが『ブラーミンの日記の続き』の執筆を中断するきっかけになったのが、イライザから送られてきた日記を読んだことであった可能性が高い点からも、現実のイライザの素っ気なさにスターンが失望したであろうことは想像に難くない。このあたりの経緯を、フロリダ大学版スターン全集の編者の一人であるメルヴィン・ニュー(Melvyn New)はこうまとめている。
イライザの「日記」には、どうやらスターンが築き上げた虚構を維持することができなかったようだ。イライザ・ドレイパーが何を思っていたにせよ、彼女はスターンが自らに信じ込ませたように、彼を「この上なく愛して」などいなかった。スターンは自分がイライザを失ったことで悲嘆にくれていると自らに思い込ませていたが、イライザは(スターンの鏡像のように)自分がスターンを失ったことで悲嘆にくれたりはしなかった。要するに彼女は、スターン自身の欲望どおりに動きもしなければ、彼の空想に操られる存在でもなかったのである。イライザが沈黙していた4月から7月までの間、スターンはその沈黙に文章を書き込み、妄想を維持していた。しかしイライザが沈黙を破ったことで、スターンの動物精気はちりぢりバラバラになってしまう。そして彼は賢明にも、もっと肥沃な土地——彼の芸術世界へと退却し、『センチメンタル・ジャーニー』を完成させようとするのだ。(New 2002: 78-9)
 プライベートな妄想のはけ口だった『ブラーミンの日記の続き』から、パブリックな芸術作品かつ商品である『センチメンタル・ジャーニー』への移行は、スターンにとってどういう意義を持っていたのか——その問いに答える前に、まずはこの両者に共通する、自己の妄想を他者に投影する世界の捉え方について述べてみたい。

3.センチメンタルな読み方の暴力性

 
 スターンは基本的には滑稽作家だが、滑稽な作品の中にもしばしば現われる、不幸な境遇に陥った人々への憐れみを感情たっぷりに表現した文章は、読者の涙を誘うその感傷性だけが切り離されて、ヘンリー・マッケンジー(Henry Mackenzie, 1745-1831)などの追従者を生み、やがて18世紀後半のヨーロッパで流行した「センチメンタリズム」(sentimentalism, 感傷主義)と呼ばれる文学思潮の台頭につながっていく。
 しかしスターンのそうした文章の問題点は、文章の力点が「不幸な人々を憐れむ」ことに置かれるというより、「不幸な人々を憐れむ自分の豊かな感受性に耽溺する」ことに置かれているかのような、どこか胡散臭い印象を与えてしまうところである。同時代のイギリスの作家エリザベス・カーター(Elizabeth Carter, 1717-1806)は、友人への手紙の中で、スターンがひけらかす同情というものの嘘臭さを痛烈に批判している。
どうやら彼[スターン]の慈悲心をほめそやすのが昨今の流行のようです。この「慈悲」(benevolence)というのはひどく誤用されている言葉で、[…]何も考えていない人たちや善悪の判断もつかない人たちがこの言葉を使うのを繰り返し聞かされると、まったく気分が悪くなってしまいます。苦しんでいる対象を目にしたとき、不意に衝動的な同情を覚えるのは、決して慈悲の発露ではありません。痛風の発作と似たようなものです。実際そうした同情は、前者より後者に関係が深いのです。(Carter 1809: 334-5)。
 カーターがほのめかしているように、他人の不幸に機械的に反応して同情するスターンのセンチメンタリズムには、どこか他人の不幸を利用して楽しんでいるかのような傲慢さがあるのだ。
 夏目漱石は『文学論』(1907)の中で、スターンの『センチメンタル・ジャーニー』に出てくる、驢馬の死を悲しむ飼い主を描いた感傷的な文章を取り上げている。漱石はその一節を「芝居的」と評して批判し、さらにこう述べている。「是等は凡て皆贅者の悲哀にして真に断腸の思あるものにあらず。其恐悦の体は夏痩の頬を撫でゝ得意がると大差なきものとす。敢て虚と云はず確に事実なるべし、たゞ其事実を解剖するとき快楽的分子著しく混入し居るを云ふのみ」(夏目 1995: 217)。
 そうした特徴は『センチメンタル・ジャーニー』だけでなく、『ブラーミンの日記の続き』にも顕著に見られる。スターンが『ブラーミンの日記の続き』で流す涙は、嘘ではなく確かに事実なのだろうが、その涙には「快楽的分子」が著しく混入しているようなのだ。夏痩せした頬を撫でて得意がるように、我が身のちょっとした不幸を文章の中で過剰に嘆いておのれの感受性の繊細さを自慢し、悦に入る——そうした側面が、『ブラーミンの日記の続き』には随所に見受けられる。
 スターンが快楽のために涙を注ぐ主な対象になるのが、彼がイライザをモデルにして描かせたミニチュアの肖像画である。スターンの嗅ぎ煙草入れに取り付けられたイライザのミニチュア肖像画は、たとえばこのように『ブラーミンの日記の続き』に登場している。
[6月12日]君の肖像は君そのものだ——君のあらゆる思い、優しさ、真実——君の肖像は僕に語りかけ、僕の話を聞き、分かってくれたり、渋々従ってくれたりする——いとしいイライザ! この絵はなんと君に似ていることだろう——これからもそうだ——君が現れて、この絵を消し去ってしまうまでは。(Sterne 2002: 200)

[6月27日]午前10時、この紙の上に僕の嗅ぎ煙草入れが置いてある——君の優しい素敵な顔が僕の目の前にあって、「あなたの書くものを、一生懸命に読んであげる」と言っている——ひょっとしたら君はまさに今この時、まったく同じことをしているのかも——僕のために興味深い話をしてくれているのかもしれない。君の健康について——君の苦しみについて——心を痛めたことについて——そして友情と——不在と不安が、君の中に引き起こすその他もろもろの感覚について。(207)
 来る日も来る日もイライザの肖像に語りかけ、キスし、知り合いに見せて回る彼は、やがて肖像画を煙草入れから取り外し、首から下げて肌身離さず身に付けることにする。「僕のイライザ、僕は君の肖像を移し替えて、最初思っていたように首から掛けられるようにしよう——今の場所は好きじゃない——君の肖像はもっと僕の心に近くなるだろう——君はいつでも僕の心の中心にいるよ」(220)。
 『18世紀イギリス・フランスにおける帝国のセンチメンタルな表象』の中で『ブラーミンの日記の続き』を取り上げたリン・フェスタ(Lynn Festa)は、イライザの肖像についてこう述べている。「お守り、形見の品、貞節の戒め、呼びかけるための対象、語りかけてくれる詩神(ミューズ)といったように、その肖像画はさまざまな用途に応じてさまざまな意味を持つ」(Festa 2006: 103)。さらにフェスタによれば、「ヨリックがその肖像を好むのは、肖像のほうがより完全に彼のものだからではないかと疑わずにはいられない。ミニチュア肖像画の虜となったスターンにとって、その背後あるいはそれ以前に存在する女性は、おまけでしかない」(104)。
 かつて私は、『センチメンタル・ジャーニー』のヨリックが旅先で出会う人間や事物をテクストとして「読む」方法を、「センチメンタルな読み方」と呼んでみたことがある。その読み方の最大の特徴は、「あくまで事物の表面に留まることであり、たとえそこから直感的に本質を見抜くことはあっても、決して表面の奥に進んで、内部にある本質を分析的に見極めようなどとしないこと」(内田勝 1994: 19)であった。
テクストはあくまで自分の中に初めからある観念を誘発し、自分の中にあらかじめ存在する脈動を掻き立てるためのきっかけを作る刺激でしかない。外界の事物に対してそんな「センチメンタルな読み」を行う場合、重要なのはもっぱら事物の表面であるのも当然だろう。『センチメンタル・ジャーニー』のヨリックにとって、表面の奥にある本質は、直感的に感じ取るものではあっても、彼はそれを分析的に掘り下げて読み取ろうとはしない。それぞれの事物を世界の中に位置付けることにもあまり関心がなさそうだ。(内田勝 1994: 19-20)
 『ブラーミンの日記の続き』のスターンは、イライザもしくはその肖像をテクストとして、こうした「センチメンタルな読み」を行なっていると言える。だからこそ彼の関心は、生身のイライザがどういう人物であるかではなく、テクストと化したイライザが彼自身のうちに掻き立てる脈動にのみ集中するのだ。ほとんど全編を通じてイライザへの愛を語りながら、イライザと実際に過ごした思い出の具体的な描写がほとんど現われないのも、生身のイライザに対して彼がいかに無関心であるかを示している。
 こうした「センチメンタルな読み」は、読み手の側からすれば大いに快楽を与えてくれるものであるにせよ、読まれる側の立場からすれば、読み手の自分勝手な幻想を投影してレッテルを貼られることになり、はなはだ人迷惑な行為に他ならない。 
 リン・フェスタは前掲書において、スターン作品に典型的に見られるような、通常「センチメンタリズム」(sentimentalism)と呼ばれる18世紀ヨーロッパの文学思潮を、一貫して「センチメンタリティ」(sentimentality)と呼び、この「センチメンタリティ」を次のように定義している。
「センチメンタリティ」(sentimentality)を定義するなら、それは個人間および集団間に生じる共感的な感情の伝達を監視し、制御しようとするような修辞上の慣習である。「共感」(sympathy)という用語が異なる個人の間で感情が伝達されることをほのめかし、「感受性」(sensibility)がある特定の種類の感情についての敏感さを表すのに対し、精緻に作り込まれた文学上の様式としてのセンチメンタリティは、感情の生まれる位置を明確に規定しようとする。それは感情を特定の人々のみに割り振り、温かい感情を持つ者とその感情を誘発する者とを明確に分かつのだ。(Festa 2006: 3)
 フェスタによると、無節操な共感は自己のアイデンティティを揺らがせるので危険である。「[共感によって]もし誰か他の人の感情が私に入りこんで、私が私でなくなってしまったらどうするのか? 修辞上の慣習および文学上の様式としてのセンチメンタリティは、共感というものに備わっているらしいこうした無節操な性質を、制御するための手段を用意する」(Festa 2006: 11)。すなわちセンチメンタリティは、「憐れむわれわれ」(主体)と弱者たる「憐れむべき彼ら」(客体)とをはっきりと区別(そして差別)することで、帝国の国民である「われわれ」のアイデンティティを確立させることになる。
フランスおよびイギリスの主体は、自らをセンチメンタルな存在と規定することで、共通のアイデンティティを手にすることができた。彼らのアイデンティティはある区別に基づいていた。すなわち、感じやすい心を持った主体たちが形作るコミュニティと、彼らによって共有されるが彼らからは除外された、センチメンタルな対象——貧しい者、不幸な者、老人、奴隷といった人々——の間の区別である。これらの対象は、センチメンタリティという様式のために、温情を誘発するための素材を、あたかも無限と思われるほど豊富に提供してくれたのだ。(Festa 2006: 11)
 こうしたセンチメンタリティ(あるいはセンチメンタリズム)は、よく主張されるように「帝国主義の隠蔽手段」であるというよりはむしろ、帝国主義の副産物なのだとフェスタは言う。
むしろ私が主張したいのは、センチメンタリティは帝国の諸活動に生産的に関わっていたのであって、それが隠蔽したと言われている矛盾の副産物であったということだ。啓蒙主義の理想と、人間の苦しみや搾取という現実との間の矛盾がさらけ出されるとき、帝国はセンチメンタリティを生み出すのだ。(Festa 2006: 7)
 だからこそ、センチメンタリティという様式に従って描かれる〈他者〉たち、すなわち〈他者〉のセンチメンタルな表象は、英仏帝国の国民がそうした〈他者〉たちを「温情を注ぐべき弱者」として把握する助けになるとともに、彼らと〈他者〉たちとを明確に区別することで、帝国国民の確固としたアイデンティティの維持を保証するのだ。
その表向きの機能が他者への理解を促して共感を呼び覚ますことであるにもかかわらず、センチメンタルな表象が持つ分かりやすい性質は、相互理解、すなわち互いを読み合うことで理解に至るといった結果を生むことはめったにない。むしろセンチメンタルな表象は——死にゆくインド人、高潔な野蛮人、感謝する黒人といった表象は——それぞれ民族全体を特別な印のついたパッケージとして差し出し、自己完結した多様な個人たちのイメージを作り出すことで、それらを容易に消費し比較することができるようにしている。(Festa 2006: 239)
 キャロル・ワッツ(Carol Watts)は『帝国の文化作用——七年戦争とシャンディ的国家の想像』の中で『ブラーミンの日記の続き』に触れ、スターンが別名として選んだ「ブラーミン」(Bramin)という言葉の文化的背景を論じている(Watts 2007: 269-77)。「ブラーミン」(Brahmin)という英語はもともとインドの司祭階級バラモンを指す言葉であったが、18世紀イギリスの著作においては、次第にこの言葉をめぐって「高尚な道徳的感情の持ち主としてのインド高僧」という表象が形作られていく。世紀中葉には、インドのブラーミンがイギリス人の若者に教訓を垂れる詩が書かれたり、太古のブラーミンの著作を訳したという設定で、道徳指南書『人生の経営』(The Oeconomy of Human Life, 1750)が出版されたりしているが、もちろんそれらの著作には、本物のバラモンの価値観ではなく、キリスト教的な価値観が反映されていた。
 そうした表象は、インドの住民がイギリス人と同じような価値観を持っているかのような幻想を作り上げることで、インドを含めたイギリス帝国を一つの国家として想像することを促していく。「脱領域化されたブラーミン(Brahmin)の表象は、特定の名前や地域から解き放たれることで、『国家という総体』の枠を越えて広がりながら、より広い範囲に及ぶ『調和』と『普遍的な絆』を生み出し、その過程で国家の総体を強固にまとめ上げる、すなわち再領域化するのだ」(Watts 2007: 276)。
 このように「センチメンタルな読み方」と帝国との深い関わりを考えてみると、かつてアメリカの批評家イヴ・K・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick, 1950-2009)が、『センチメンタル・ジャーニー』におけるブルジョワ男性作者スターンの女性や労働者階級に対する視点を比喩的に評した言葉である「赤ん坊の顔をした帝国主義」(セジウィック 2001: 104)は、より深い意味を帯びることになる。スターン作品に代表される文学様式であるセンチメンタリティ(もしくはセンチメンタリズム)は、あらゆる不幸な人々を憐れんで涙を流し、全人類への共感を表明しながら、実のところは、他の地域を侵略することで進行する帝国の拡大に大いに貢献していた。それは比喩ではなく文字通りの意味で「赤ん坊の顔をした帝国主義」だったのだ。
 さらに、センチメンタリティのお節介な暴力性が猛威を振るったのは、18世紀だけではない。リン・フェスタは、19世紀以降の帝国主義の背後に、遅れた地域で暮らす人々を憐れんで、ヨーロッパ人の暮らしに近づけてあげようとする、善意のセンチメンタリティがあったことを指摘している。
ヨーロッパ人以外の主体を、道徳的・経済的・文化的な救済を必要とする受動的な犠牲者として描くセンチメンタルな叙述は、そうした地域の改善と文明化を唱える後期帝国主義の言説を促進している——こうしたセンチメンタリティの系譜は、19世紀のイギリスおよびフランスにおいてもっとも熱狂的に帝国を推進した人々の中に、アレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)やジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)といった自由主義思想家がいたという事実を説明するのに役立つかもしれない。(Festa 2006: 234)
 こうしたセンチメンタリティの系譜は、現代にまで受け継がれている。政治の分野だけの話ではない。歴史や批評の分野でも、他者を憐れむがゆえに自己の身勝手な他者イメージを押しつけようとする著作が、次々と生まれているのだ。「[他者という]人間主体の痕跡を見出して回復したいという欲望は、もっとも深い知識に基づいた啓蒙思想史の中にすら見て取れる。もっとも注意深く書かれ、もっとも真摯な自己反省を行っている批評理論の中にも、そしてもちろん、この本のような文学史の中にも」(Festa 2006: 239)。つまりリン・フェスタは、彼女自身の著作を含むポストコロニアル批評までをも、要らぬお節介を〈他者〉に押しつけるセンチメンタリティの系譜に含めているのだ。
 しかしフェスタは、まったく悲観的な調子で話を終えるわけではない。彼女の本の最後の文章は、「赤ん坊の顔をした帝国主義」としてのセンチメンタリティに陥る落とし穴から、うまく逃れる方法を提案しようとしている。
たとえセンチメンタルな文章の内容は多くの場合、複雑なものを単純な表象に還元してしまうにせよ、センチメンタルな様式はまた、他者をイメージする別の方法を可能にするかもしれないのだ。その方法は、あらかじめ用意されたアイデンティティに他者を押し込める分かりやすさに根ざしたものではないし、人間性の最小公倍数的な低いレベルで他者を同定するようなものでもない。その方法はむしろ、フランツ・ファノン(Frantz Fanon)が「人々が住まう神秘的で不確実な領域」と呼び、ウダイ・シン・メータ(Uday Singh Mehta)が「馴染みのないもの」と呼んだ何かを認識して受け容れることに根ざしている。そういう条件付きなら、ある他者の人間性についてのセンチメンタルな認識は、身勝手な自己イメージを他者へ投影したり、できもしない完全な相互理解に虚しく憧れたりすることにはつながらないだろう。その認識はむしろ、同化されようのない何か——センチメンタルに表象されることを時にはすり抜け、時には撥ねつけるような、頑固な特異性——の存在をわれわれに意識させてくれるかもしれない。(Festa 2006: 241)
 これはいったい、どういうことを意味しているのだろうか? 次の節では、スターンと〈他者〉としての女性たちとの関係を軸にして、フェスタが「他者をイメージする別の方法」と呼んでいるものについて考えてみたい。

4.肖像よりも脈拍を

 
 メルヴィン・ニューによる『ブラーミンの日記の続き』および『センチメンタル・ジャーニー』論である「プルーストとレヴィナスを通してスターンを読む」(New 2001)は、20世紀の哲学者エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas, 1906-95)の『全体性と無限』(Totalité et infini, 1961)や「プルーストにおける他者」("L'autre dans Proust," 1947)を援用しながら、最晩年のスターンにとって〈他者〉としての女性との関係がどのような意味を持っていたかを探っている。
 ニューは、晩年のスターンが肌身離さず首から下げていたとされるイライザのミニチュア肖像画を「魔法のお守り」と呼び、『ブラーミンの日記の続き』執筆中のスターンをこう評している。「彼がそれ[肖像画]を首に掛けているのは、自分自身を二つに引き裂かれた存在としてイメージするためだ。彼はその肖像を眺める自分を眺める。実は彼は、観察する自己とは別の自己の内部に、すでにその肖像を吸収していた」(New 2001: 117)。
 スターンは、「イライザの肖像を眺めるスターン」を、もう一人の自己の目で外側から眺めて感動している。さらにそうやって眺められる「イライザの肖像を眺めるスターン」は、「イライザの肖像を自己の内部に吸収したスターン」でもある——なにやら入れ子状に込み入ったイメージであり、この論文に関してはニューの文章も難解なので、ニューの論旨を敷衍しながら、このイメージの意味するところを私なりに解釈してみたい。
 まず、「イライザの肖像を眺めるスターン」をもう一人のスターンが外側から眺めている、という部分だが、これはレヴィナスが20世紀フランスの作家マルセル・プルースト(Marcel Proust, 1871-1922)を論じた「プルーストにおける他者」で次のように語っていることが、スターンにも当てはまるということだろう。「プルーストにあっては、悦び、苦しみ、感動はそれ自体で価値をもつ事態では決してない。水につけられた棒がそのままでありながらも歪んで見えるのと同様に、自我はその状態から切り離される。[…]。真の感動はプルーストにあってはつねに感動についての感動である。感動についての感動が感動にその熱を、さらにはその動揺をあますところなく伝えるのだ」(レヴィナス 1994: 160)。
 確かにスターンは、ヨリックあるいはブラーミン(Bramin)としての自分と、ブラミーヌ(Bramine)としてのイライザとの恋愛を、距離を置いて外側から眺めて感動しているように思われる。出版するわけでもない日記のために、それが虚構作品であるかのような序文を書き、自分だけのために書かれたプライベートな虚構作品を楽しむように自らの恋愛に感動するスターンは、非常に分かりやすい形で自己を二重化させている。
 次に、「イライザの肖像を眺めるスターン」は「イライザの肖像を自己の内部に吸収したスターン」でもある、という部分だが、これはレヴィナスのエロス論における〈他者〉観を援用したイメージである。
 レヴィナスによれば、「私が他者を充分に愛するのはただ、他者も私を愛する場合だけである。〈他者〉による承認が私にとって必要だからではない。私の官能は〈他者〉の官能を享楽するものでもあるからである」(レヴィナス 2006: 191)。また、内田樹によるレヴィナス解説書によれば、「私たちはエロス的関係にあって、ウロボロスの蛇に似た不思議な循環構造のうちに絡め取られている。というのは、愛し合う人たちが官能的に志向しているのはそれぞれの相手の官能であり、その相手の官能を賦活しているのはおのれ自身の官能だからである」(内田樹 2001: 296)。
 スターンは、「スターンに愛されているイライザ」の官能を感じることで自ら官能を得ている。さらにそんなスターンの官能を感じてイライザが興奮し、そのイライザの官能を感じてスターンが興奮する——そんな循環構造が生じていることになる。
 ただしスターンの事例が特殊なのは、ともに官能を味わうべきイライザが目の前にいないことだ。官能の循環構造が発動するためには、ブラーミンとしてのスターンが書き続ける情熱的な『ブラーミンの日記』(The Bramin's Journal)に対応して、同じくらい情熱的にスターンへの愛を表明したイライザによる『ブラミーヌの日記』(The Bramine's Journal)が存在していなければならないのだ。「相互性の主題は、日記が進むにつれて憂鬱なほど強迫観念の様相を濃くしていく」(New 2001: 119)。スターンは自分の『ブラーミンの日記』の鏡像を成すであろうイライザの日記をとても読みたがっていた。もちろんそれは、スターンに恋い焦がれて別離を嘆き続ける、幻想のイライザの書く日記である。
[6月21日]僕は君の日記を読んでみたくてたまらない——もしも君が戻る前に君の日記を手に入れたら、僕はそれを千回でも読み返すだろう——そのためなら何を払っても惜しくない——もちろんそこには、僕の心が血を流し、胸の内でやせ衰えてしまうほど、悲しい内容が綴られているのだろうけれど。(Sterne 2002: 205)
 ここでのスターンはイライザという他者を完全に理解している。彼女が何を考え、何を感じ、何を求め、彼をどれほど愛しているかを熟知している。なぜなら彼が理解しているイライザは、彼が自己の内部に吸収したイライザの肖像にほかならないからだ。
 この日記の1ページ目を写した写真(Sterne 2002: 170)が示すように、日記の冒頭に記された表題(Continuation of the Bramines Journal)は、誤記された綴りを文字どおりに取れば『ブラミーヌの日記の続き』と読めてしまう。この謎めいた誤記は、理想の恋人ブラミーヌが実は、ブラーミンである彼の自己に吸収された幻想の女性にほかならないことを知っていた、スターンの無意識の為せる業なのかもしれない。
 レヴィナスの『全体性と無限』を翻訳した熊野純彦は、「解説」でこう書いている。「他者を理解するとは他者を包摂し、他者を『所有』することである。ちなみに、所有とは、ある対象を肯定すること、ただしあくまで私との関係において、私に対する依存にあって肯定することにほかならない。だから所有とは一箇の『暴力』であり、存在者の『部分的な否定』なのである」(レヴィナス 2006: 330-1)。
 他者のことが「分かっている」という思い込みの暴力性は、リン・フェスタの指摘する「センチメンタリティ」の暴力性に通底するものであり、さらにセジウィックがスターンの文章を評した言葉「赤ん坊の顔をした帝国主義」を思い起こさせる。スターンはイライザを、自分との関係において、自分に依存する存在としてのみ肯定しているのであり、そのことでイライザという生身の人間を「部分的に否定」しているのだ。
 スターンの暴力的な幻想は、現実のイライザから日記が届くことによって打ち破られる。どうやらイライザが彼の妄想した「ブラミーヌ」とはかけ離れた存在であることを思い知って幻滅したらしいスターンは、日記への書き込みをほとんどしないまま数ヶ月を過ごした後、せめて『ブラーミンの日記の続き』を純愛物語として無理やり締め括るかのように、イライザへの最後の呼びかけをこう綴っている。
さあ、イライザ! 君に語らせてくれ——でも僕には何が言えるだろう、何について書けるだろう——この心の切なる願いの他には。疲れ果てた心は探し求め待ち望んでいるのだ。君が帰るのを——帰るのを——帰るのを! いとしいイライザ! 天が君の行く道をなだらかにして、無事に君を送り届けてくださいますように……僕たちのもとへ、そして暮らせることを……永遠に
(Sterne 2002: 225)
 ピリオドも打たれないまま突然に終わるこの文章に対して、ニューは次のようなコメントを加えている。
所有のエロスを通して死から身を守ろうとする彼の企ては、一個の死体と同じくらい決定的な、ある死へとつながっていた。18世紀の著作のうちで、スターンの『ブラーミンの日記』ほど痛々しいものはめったにないだろう。その理由はまさに、死の存在をあらかじめこれほど鮮明にイメージできている文章がほとんどないからだ。それはイライザの「死」ではない。著者の死だ。この日記の書き手の人生が、恐ろしいほど突然に終わってしまう。そこには十分な警告もなく、天国での救済というありきたりの慰めもない。この文章が頓絶法によって突然途絶えてしまうのは、取り返しのつかない中断と喪失の比喩、つまり死そのものの比喩なのだ。(New 2001: 122)
 ニューが「イライザの『死』」と呼んでいるのは、現実のイライザの日記が出現したことにより、理想の恋人イライザがスターンにとって雲散霧消してしまったことだろう。だがニューの指摘するとおり、この日記に関わるより重大な死は、イライザの象徴的な死ではなく、スターン自身の実際の死である。イライザへの愛の告白と同程度の頻度で肺結核による闘病生活の辛さが語られる『ブラーミンの日記の続き』には、スターンに迫り来る死の存在が明白に刻まれている。
 死を前にしたスターンが最後に書き上げようとした物語は、情熱的ではあるが陰鬱なヨリックの嘆き節に終始する『ブラーミンの日記の続き』ではなく、フランスを旅するヨリックが滑稽な失敗を重ねながら、旅先で出会う人々(特に女性たち)と次々に心を通わせる、陽気な『センチメンタル・ジャーニー』であった。ニューは最晩年のスターンに訪れたこの転機を、〈他者〉としての女性に対する態度の変化に着目してこう説明している。
スターンの望んだとおりに世界を創造するという『ブラーミンの日記』の企ての失敗が(つまり欲望の対象を目の前に存在する実体として創造するという、神を真似た企ての失敗が)徐々に明らかになっていく事態にコメントを加えるかのように、『センチメンタル・ジャーニー』においては、スターンは男女関係というものを、自己の作り替えとして捉え直している。そこでは永遠の欲望の対象としての女性が、自己の鏡像や複製という形ではなく、他者として想起されている。女性は楽しげに手の届かぬ所におり、所有され得ないか、あるいは自己を不確実性と一時の愛撫に甘んじさせることによってのみ到達できる存在である。(触覚の——〈近さ〉の——「魔法」について、スターンほど豊かな感性をそなえた作家はほとんどいない。)確かな知識として永遠に把持しようとする自己主張によっては、女性に到達できないのだ。(New 2001: 120-1)
 『センチメンタル・ジャーニー』のヨリックは、旅先で出会う女たちを誘惑しては、指と指、手と手を触れ合い——時にはさらに深く触れ合い——しかしそれらの女たちを「理解」しようとも「所有」しようともせず、次から次へと渡り歩いていく。ここでニューが指摘しているような『センチメンタル・ジャーニー』の特徴を如実に示しているのは、たとえばヨリックが旅の途中で貸馬車屋を訪れた際に、ひょんなことから初対面の婦人と手をつないだまま店主を待つはめになる場面である。
 私の指の動脈が脈を打つのがそのまま彼女の指先に伝わるので、私の心にきざす思いまですっかり相手に気取られてしまいます。彼女はうつむき——そのまましばらく沈黙が続きました。

 その間に、私は彼女の手をほんの少しだけきつく握ろうとしたのでしょう、というのは私は自分の掌に——手を引っ込めようとするのでもないが——引っ込めようかどうしようかと思案するような、微妙な気配を感じとったからで——そうした危険な瞬間に、理性というより本能が窮余の策を与えてくれなかったら、私はきっと彼女の手を再び失ってしまったことでしょう——その策というのは、彼女の手を極めてゆるく、今にも自分からそれを手放そうとしている風に握っていることで、そのおかげで彼女はデサン氏が鍵を持って戻ってくるまで、そのまま手を引っ込めずにいたのです。(Sterne 2002: 25)
 ヨリックと通りすがりの女たちとの触れ合いを描いた例としてニュー自身が挙げているのは、パリの手袋屋の店先で、店主の女房の手を取って脈を診る場面である。
私はこう付け加えました。その心臓から送られる同じ血が、体の端々にまで届いているのなら(と、ここで彼女の手首に触れて)、あなたの脈はこの世界のどんな女性より優れているに違いありません——脈を取ってごらんなさい、彼女がそう言って、腕を差し出しました。そこで私は帽子を下に置き、片手で彼女の指を握ると、もう一方の手の人差し指と中指を動脈にあてがいました——(Sterne 2002: 71)
 ニューはこの場面の注釈として(New 2001: 136, n. 20)、レヴィナスの『全体性と無限』から「〈エロス〉の現象学」と題された文章の一節を引いている。熊野純彦訳では次のようになる箇所だ。「接触としての愛撫は感受性である。とはいえ愛撫は、感覚的なものを超越してゆく。[…]。愛撫とは、なにものも把持しないことにある。愛撫は、みずからのかたちから絶えず逃れて未来に向かうもの——けっして充分に未来ではない未来に向かうもの——を引きおこし、いまだ存在しないかのようにじぶんから逃げ去るものを引きおこす」(レヴィナス 2006: 171)。
 ヨリックと手袋屋の女房との関係は一期一会的なものであり、彼が将来にわたって彼女を「把持」することはできない。ヨリックは、決して自己に取り込んで「理解」することのできない女——つねに逃げ去っていく欲望の対象——との一時的な邂逅を慈しむように、彼女の脈拍を取ることで、二人の間で相互に生じる官能の循環構造に浸るのだ。
 ニューは、手袋屋の女房の脈を取るヨリックを——と言うより、死を前にしてそんなヨリックを描く作者スターンを——こう論じている。
彼にとって他には何も確かなものがないようだが、しかしその脈拍の中にこそ、性的な欲望も永遠への欲望も引っくるめた、人間の欲望の神秘の中にこそ、彼は『無尽蔵の希望の源泉』を見出している。まもなく神の裁きを受ける身にとって、これほど素晴らしい恵みはない」(New 2001: 133)。
 ニューのコメントは、次のレヴィナスの言葉を下敷きにしている。「孤独という出来事の本義は、それがコミュニケーションへと反転するという点にあるのだ。孤独の絶望は数々の希望の尽きることのない源泉である」(レヴィナス 1994: 165)。
 理想の女を独占しようとする情熱的な脳内恋愛から、通りすがりの生身の女たちとの肌と肌の触れ合いへ——『ブラーミンの日記の続き』から『センチメンタル・ジャーニー』への移行は、幻想の恋さえ奪われ、孤独と絶望の淵に立たされたスターンに、それでも〈他者〉とのコミュニケーションは可能なのだという希望を与えてくれるものであったのだ。
 かつてスターンは、滑稽小説『トリストラム・シャンディ』(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman, 1759-67)において、書物の知識に頼って〈あたま〉の視点に偏る人々の愚かさを笑いのめし、死すべき生身の〈からだ〉の視点から世界を眺めることの重要性を指摘していた。
 死を前にしたスターンが『ブラーミンの日記の続き』を放棄し『センチメンタル・ジャーニー』執筆に打ち込んだのは、あれほど〈あたま〉偏重の愚かさが分かっていながら、自ら〈あたま〉の恋愛に走りすぎていたおのれを、〈からだ〉の恋愛に引き戻そうとしたのだ、と言えるかもしれない。
 何もかも分かり合える不在の女に語りかけることより、分かり合えるはずもない目の前にいる女と触れ合うことこそが大事だ、それが最晩年のスターンによる読者への——そして自分自身への——遺言ということになるのだろう。もちろんそのように〈あたま〉で考えて語ってしまうことで〈からだ〉の問題はまたしても〈あたま〉の問題に引きずり上げられてしまい、そのことで「赤ん坊の顔をした帝国主義」という批判にさらされざるを得ないわけだけれども、おそらくそれは、何も語らないよりはましなのだ——それがあなたに触れることになるのであれば。


(1)「参考資料」として日本語の訳書を挙げた文献を除き、英語文献からの引用はすべて私[内田]が翻訳したものであり、引用文の角括弧内は私による補足である。

参考資料


(付記)本稿は、平成20年度岐阜大学地域科学部学部内プロジェクト「『弱者』の人文学——現代における多元的人文学の構築に向けて」による研究成果の一部である。


内田勝「『つながりを捏造すること——スターン「ブラーミンの日記の続き」を読む』への追記」(2010)
〈https://www1.gifu-u.ac.jp/‾masaru/uchida/bramine10.html〉
(c) Masaru Uchida 2010
ファイル公開日: 2010-5-31

その他の論文・授業資料へ