初出:『岐阜大学地域科学部研究報告』第30号(2012)pp. 15-36. この論文のPDF版はこちら(岐阜大学機関リポジトリ)。
*本文で言及したウェブサイトにはリンクを張りました。また、本文で言及した作品のうち、インターネット上で閲覧が可能なもののいくつかにはリンクを張りました。
*小説『黒外套の冒険』については、本稿で扱ったロンドン版(1760)は閲覧できませんが、ダブリン版(1762)Google Books での閲覧が可能です。そのため本文中で何箇所か、このダブリン版へのリンクを張ってあります。本文に記載されたページ番号はロンドン版のものであるため、リンク先のダブリン版のページとは一致しないので、ご注意ください。なおこのダブリン版は落丁が多く、向かいのページのインクが付着して判読が困難なページもあります。
*本文で直接言及していないサイトであっても、本文の内容に関連する画像やサイトにリンクを張った場合があります。本文で言及していないリンク先は、AmericanRevolution.orgBBCLaurence Sterne in CyberspaceThe Lewis Walpole LibraryProject GutenbergTate BritainThe Victoria and Albert MuseumWikimedia Commons青空文庫、および雄松堂書店です。
*外套や鬘など18世紀半ばのイギリスのファッションの画像については、図版が豊富な Dion Clayton Calthrop, English Costume (1906) より "George the Second" の章を参考にしてください。


「査読済論文」

モノが語る物語 ——『黒外套の冒険』とその他の it-narratives

内 田  勝

(2011年12月15日受理)

Stories Told by Things: The Adventures of a Black Coat and Other It-Narratives

Masaru UCHIDA


1.it-narratives(モノ語り)とは何か

 
 本稿で扱う it-narratives とは、18世紀後半のイギリスで流行した、人間以外の動物や物体を主人公または語り手とする物語のジャンルである。人間ではないモノが語る物語という意味で、本稿では it-narratives に対して「モノ語り」という訳語を用いることにする。
 モノ語りは娯楽用の商品として大量に出版され、消費され、忘れ去られていった作品群である。このジャンルに属する作品でイギリス文学の古典と見なされているものは、現時点では存在しない。しかし1990年代後半以降、このジャンルは一部の18世紀英文学研究者の間で注目され、モノ語りを扱った論文が続々と現れるようになった。そうした研究者の一人であるマーク・ブラックウェル(Mark Blackwell)が、モノ語りとは何かを語った言葉を引用してみよう。
18世紀の間に、ある特徴を持った一群の散文による虚構作品が出現した。それらの作品では、生命を持たない物体(硬貨胴着針刺しコルク栓抜き鵞ペン馬車独楽)や、動物(小馬)が自意識を与えられ、中心的なキャラクターを務めるのだ。これらのキャラクターはたいてい自分自身の半生を物語るのだが、彼らの伝記はいつも、他人の物語から構成されたキルト状の奇妙な寄せ集めになっている。つまりそこでは、これらの流通する物たちを次々に手にする様々な持ち主たちの冒険が語られるのだ。[…]。「モノ語り」(it-narratives)、「流通小説」(novels of circulation)「物の話」(object tales)など、様々な名前で呼ばれるこのサブジャンルの中には、フランシス・コヴェントリー(Francis Coventry)の『チビ犬ポンペイ物語 あるいはある愛玩犬の生活と冒険』(The History of Pompey the Little: or, the Life and Adventures of a Lap-Dog, 1751)や、チャールズ・ジョンストン(Charles Johnstone)の『クリサル またはギニー金貨の冒険』(Chrysal: or, the Adventures of a Guinea, 1760-65)のように、驚異的な成功を収めた作品もあった。たとえばジョンストンの『クリサル』は、19世紀になるまでに20版を重ねている。(M. Blackwell, "It-Narrative"(1)
 商業的成功を収めた作品が多かった一方、従来のイギリス文学史では、モノ語りは際物扱いされてきた。アーネスト・A・ベイカー(Ernest A. Baker)が1929年に発表したイギリス小説史では、次のように酷評されている。「それらの作品[モノ語り]は小説家の技術の悪用であって、しばしば売春行為と呼ぶべきものであり、逸話の集積や雑多な日常観察、陰湿な誹謗中傷といったものをまとめて出版する安直な手段であった。それらの文学的価値は取るに足らない」(Baker 52)。
 ウォルター・アレグザンダー・ローリー(Walter Alexander Raleigh)のイギリス小説史(1894)では、もう少し好意的な扱いを受けている。ローリーはモノ語りを、ピカレスク小説(下層階級出身の主人公が、放浪の旅で出会う様々な階層の人々の暮らしぶりを諷刺的に物語る小説)の「より自由奔放な新しい形態」として捉える。ピカレスク小説では悪徳や愚行の現場を主人公が目撃する必要があるが、それはいつも人間が入り込める場所で起こるとは限らない。「冷静な人間の観察者を配置することが困難な場面にも、ギニー金貨や賛美歌集の本なら難なく入り込める。ギニー金貨や賛美歌集にしゃべる能力を与えてやりさえすれば、社会諷刺や人間諷刺にとって最後の歯止めが外されるわけだ」(Raleigh 191)。
 しかしローリーも、モノ語りの芸術性については厳しい評価を下している。「モデルとなった個人に対する諷刺や攻撃が中心になってしまい、フィールディングやスモレットが打ち立てた優れた文学様式[つまり小説という新たなジャンル]の品位を著しく損なうことになった。個人攻撃を前面に出してしまうと、物語の芸術性は死んでしまう」(193)。
 19-20世紀の文学史家たちによる酷評は、モノ語りの同時代人である18世紀の批評家たちの評価を引き継ぐものだった。当時の書評者の一人は1781年にこう書いている。
こんなふうに本をでっち上げて『何とかの冒険』と名づけるやり方は——冒険するのは猫でも犬でも猿でも、貸馬車でもシラミでもシリング貨でもルピー貨でも何でもいいんだが——あまりに流行っているものだから、われわれは数ヶ月に一度はこの手の本を取り上げざるをえない。実際これは二流作家にとって、備忘録に書き付けたことをすべてぶち込むのに便利な形式だ。公の場で耳にした会話、私的な場での人物描写、古い話や新しい話、要するに手当たり次第に何でもかんでも書き入れて、怠け者の読者をほんの短い間だけ楽しませようというわけだ。(Critical Review, Vol. 52 477-78
 同時代の批評の特徴は、モノ語りの低俗さを嘆きながら、それらが一般読者に受けているのを苦々しく認めていることだ。ロンドンの月刊誌『ヨーロピアン・マガジン』(The European Magazine, and London Review)1783年6月号に載ったエッセイでは、日刊紙に載った書籍の広告を見た紳士がその内容に呆れ果て、友人たちにこう語っている。
「ここに『黒外套の冒険』というのが載っている。思うに、教会の一番のお偉方から貧乏な副牧師まで、それに堕落した紳士や文士までが、この物珍しい冒険を一目見たくてうずうずしたわけだ。まるでソランダーとバンクス[当時の科学者]が金星の日面通過を見たくてうずうずしたみたいにね。『ギニー金貨の冒険』というのもある。『紙幣の冒険』『セダンチェア[椅子付きの輿]の冒険』『貸馬車の冒険』、こんなのがみんな何度も版を重ねてる。バクスター[当時の聖職者]の死に際しての感慨とか、ドルランクール[フランスの聖職者]の死についての論考とか、そのほか宗教的な素晴らしい著者たちの本が、いまだに初版のまま、街角の露店で1冊3ペンスで売られているかもしれないのにさ。現代の文士はみんな、それに書籍商もみんな、ひたすら物珍しさばかりを追い求めているんだ」("Reflections" 409
 さて、このように従来は低い評価しか受けてこなかったモノ語りを、今取り上げて研究することにどういう意義があるのか。モノ語り研究者のマーク・ブラックウェルが示唆している点を、適宜補足しながら以下に列挙してみる(M. Blackwell, "It-Narrative")。(1)モノ語りという小説のサブジャンルに注目することで、小説の勃興を論じた先行研究では無視されていた1760-70年代の散文による物語を、イギリス小説史上に的確に位置づけることができる。(2)一部のモノ語りは、脈絡のない断片的な挿話をつなぎ合わせていくところが、滑稽小説『トリストラム・シャンディ』(The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman, 1759-67)などで知られる作家ローレンス・スターン(Laurence Sterne, 1713-68)の粗悪な模倣と見なされていたが、18世紀全体を通じて脈々と続いていたモノ語りの系譜をたどることで、スターンとモノ語りとの影響関係が必ずしも一方的なものとは限らないことが分かる。(3)品物や動物にセンチメンタルな価値を付与して共感するモノ語りは、同時代に流行した感受性の文学や、やはり同時代に起こった「動物の権利」運動の発生と関連付けて論じることもできる。(4)市場で流通する商品の冒険を描いたモノ語りの本は、それ自体が市場で流通する商品であり、書籍出版販売業の発展や版権および著作権の史的展開を考察するうえで、興味深いモデルを提供してくれる。(5)商品と人間の区別をあいまいにしてしまうモノ語りは、当時のイングランドに芽生えつつあった消費文化が、人々のアイデンティティ形成にどのような影響を与えたかを探る手がかりになる。かけがえのない個人と取り替えのきく商品との境目がどこにあるかという問題は、文字通り人間を商品として扱った奴隷貿易の倫理的ジレンマに悩んだ18世紀人だけでなく、クローン技術やヒトゲノムの所有権などに関わる倫理的ジレンマに悩む21世紀の人間にとっても、切実な問題である。
 ——上記のようなブラックウェルの展望から推測する限り、モノ語り再評価の機運が高まった理由はどうやら、文学作品としての魅力には乏しいモノ語りが、ポストコロニアル批評やカルチュラル・スタディーズなどの影響下で、揺籃期の消費文化に焦点を当てた18世紀イギリス文化史の資料として見直されたということのようである。
 以上のような経緯を考えれば当然だが、モノ語りのジャンルに属する作品が日本で翻訳紹介された例は、現時点ではほとんどない。私が調べた範囲で発見できたのは、アディソン作・森田思軒訳「一シリング銀貨の履歴」(『国民之友』1893[明治26]年1月)だけである。
 しかし作家の丸谷才一は、夏目漱石がこのジャンルに特別な興味を持っていたことを指摘している。丸谷によれば漱石は、先述したローリーのイギリス小説史の中で、モノ語りのジャンルに属する作品群が扱われた一節(Raleigh 192-93)にしきりに線を引いていたという。丸谷はさらに、コヴェントリー作『チビ犬ポンペイ物語』の存在が『吾輩は猫である』(1905-06[明治38-39])の着想の源になった可能性をも示唆している。少し長くなるが、丸谷自身の言葉を引いてみよう。
 ウォルター・ローリーの『イギリス小説』は例の蔵書目録[『漱石山房蔵書目録』]にある本だが、現在東北大学図書館にある漱石旧蔵本の一九二ページから一九三ページにかけて、『チビ犬ポンペイ』およびその影響下にある小説を取上げた箇所には、しきりに線が引いてある[…]。その線の引き方はいつもの漱石の引き方で、他人の手によるものではなささうである。この本の他のページは、たとへばデフォーやリチャードソンやフィールディングを論じたところでも、かういふ扱ひを受けてゐない。興味深いことに、コヴントリの小説の近辺だけが別格なのである。[…]ローリーは人間でないもので社会の諸相を観察してゆく方法の初期の例として、『チビ犬ポンペイ物語 あるいはある愛玩犬の生活と冒険』(一七五一)をあげ(この『愛玩犬』の下に漱石はよろめくやうな線を引く)、「モデルがあれとすぐわかる人物たちの気がきいてゐて諷刺的な肖像が、細い糸でつづく出来事で数珠つなぎになつてゐる」と紹介している。
 このあとチャールズ・ジョンストンの『クリサル またはギニ金貨の冒険』(一七六〇)といふ諷刺小説のことに移り(『ギニ金貨』の下にわりあひまつすぐの線)、こちらのほうが行数はずつと長い。問題はそのあとで、
「長篇小説におけるその後の同種の例としては『黒外套の冒険』(一七六〇)、『紙幣の冒険』(一七七〇)、『猫の生活と冒険』(一七八一)、『ルピー貨の冒険』(一七八二)、『蚤の回想』(一七八五)がある。この形式は人気があつたので、このほかにも数多いし、現代になつても新しい展開がなされた」
 とあることだ(『黒外套』の下に線、『猫』の下にまつすぐの短い線、『ルピー貨』の下に線、『蚤』の下に線)。漱石がいつ『イギリス小説』を読んだかは知る由もないが、東京大学における十八世紀英文学論講義の準備のためこの本を手に取り、ちようど夏目家に猫が飼はれた直後、この一九二ページに目を通して、「猫」といふ字の下に線を引いたのではないか、などと空想する自由はわれわれに許されてゐる。すなはち、ひよつとするとコヴントリの作はローリーの小説史といふ回路を経て、それとももつと直接的に作用して(この場合『猫の生活と冒険』はいはば念押しした格好になる)漱石に『吾輩は猫である』を書かせたのかもしれない。(丸谷 183-85、角括弧内は私の補足)
 コヴェントリーの『チビ犬ポンペイ物語』は、モノ語りの中では文学作品としての面白さが取り分け高く評価され、私が本稿を書いている2011年11月の時点では、このジャンルで唯一の校訂版を持つ作品である(Coventry)。この小説について本稿では詳しく扱わないが、丸谷の空想を実証的に裏付ける研究が今後出現すれば、日本近代文学との関係で重要な研究対象になる可能性を持っている作品でもある。
 以上に述べたような状況の中、「モノ語り」ジャンルの作品群を集めた初の校訂版選集となる British It-Narratives, 1750-1830 が、2012年4月に Pickering and Chatto 社から刊行される予定である。これまでは高価なマイクロフィルムや、一部の裕福な研究機関でしか利用できない18世紀英語刊行物の有料電子データベース、または Google BooksInternet Archive などの無料電子ファイルで読むしかなかったモノ語りジャンルの作品群が、注釈付きの版で一挙に紹介されることで、海外でも日本でもこのジャンルへの注目はさらに高まるものと思われる。

2.「モノ語り」の典型的筋立て


 さて、それではモノ語りの典型的な筋立てとはいったいどんなものなのか。ここでは短い作品を2篇取り上げて紹介したい。
 まず取り上げるのは、18世紀イギリスのモノ語りとしては最も初期のものの一つで、エッセイストのジョーゼフ・アディソン(Joseph Addison, 1672-1719)が1710年に発表した題名のないエッセイである。今回使用した資料では「アディソン、シリング貨の履歴を語る」("Addison on the History of a Shilling")というタイトルを与えられているが、一般的には「シリング貨の冒険」("The Adventures of a Shilling")というタイトルで呼ばれることが多い。先述したように、森田思軒による邦訳もある。モノ語りの基本形とも呼べるこの作品のあらすじをたどってみよう。
 アディソン本人と思われる文士の夢の中で、テーブルの上のシリング貨が立ち上がり、次のような身の上話を語る。このシリング貨はもともとペルーの銀山で生まれて銀塊となり、世界周航者フランシス・ドレイク(Francis Drake)の船でイングランドに運ばれると、エリザベス女王の顔を刻印されて硬貨となった。彼女(そのシリング貨)は人々の手から手へと流通し、5年のうちに国内のほとんどの地域を回ったが、6年目に老いた吝嗇家の手に渡り、仲間とともに鉄の箱に入れられたまま、数年間は不遇をかこつことになる。吝嗇家が死ぬとその息子が硬貨たちを解放し、シリング貨はワインの代金として薬種商に渡され、その後は薬種商から薬草売りの女、肉屋、醸造業者、その妻、非国教徒の説教師へと渡り歩く。マトンの肩肉や芝居の脚本を買うために使われたり、テンプル法学院の学生に食事を提供したこともあった。エリザベス女王が刻印されたシリング貨を財布に入れておくと金に困らないというので、迷信深い老婆の財布に閉じ込められたこともある。
 清教徒革命が起きると、ある軍曹が議会派の反乱軍兵士を集めるために彼を使った。上質の硬貨である彼女を見せて、徴収に応じた者には普通のシリング貨を与えるのだ。やがて軍曹は、乳搾り女を誘惑しようとしてこのシリング貨を与える。その女は、曲げた硬貨を愛のしるしとして贈る当時の習慣に従い、シリング貨を曲げたうえで惚れた男に与える。色男がこの女と結婚した後、ブランデーを飲む金欲しさに曲がった硬貨を質に入れると、硬貨はハンマーで叩いて平らに戻され、再び流通を始める。浪費家の青年に、死を前にした父親から遺言とともに送られたこともある。青年は喜ぶが、遺言の内容は青年には財産を遺さず、代わりにこのシリング貨を与えるというものだった。怒った青年はシリング貨を放り投げ、塀の陰に落ちた硬貨は誰にも見つからないまま、クロムウェルが君臨した期間を過ごす。
 王政復古の約1年後、ある王党派の男が硬貨を拾い、食事代に使って王に乾杯した。この頃になると、エリザベス時代の古風なシリング貨は硬貨と言うよりメダルと見なされることもあり、ある賭博師がこのシリング貨を手に入れたとき、彼は古い硬貨たちを賭けトランプ用のチップとして使う。そのため彼女は状況によってクラウン(5シリング銀貨)になったりポンドになったり6ペンスになったりしなければならなかった。幸い賭博師が破産したため、再びシリング貨として流通することができた。
 いかさま師に地下室に連れていかれ、銀貨の縁や表面を削り取るクリッピングの被害を受けたこともある。やがて使い物にならないほどクリッピングされた銀貨たちは、まとめて炉に入れて溶かされ、大火から復興する都市のように、以前より美しく蘇ることができた。男性王の顔が刻印されて性別も変わった。その後は詩人のポケットで過ごして滑稽詩の題材になったこともあれば、盲人への恵みとして与えられたこともある。実はこれは間違いによるもので、そそっかしい人物が、1ペニー分の安価なファージング貨が入った盲人の帽子の中に、うっかり高価なシリング貨を投げ入れたのだ。
 ——以上がこの作品のあらすじである。モノ語りは「流通小説」(novels of circulation)とも呼ばれるが、その名のごとくシリング貨は様々な人の手から手へと長い年月にわたって流通を続け、その間ずっと、持ち主たちのちょっとした欲深さや愚かさを冷静に観察している。モノ語りという形式が諷刺に向いているゆえんである。
 18世紀英文学研究者のエイヴァ・アーント(Ava Arndt)によれば、この作品の物語の源泉は「流動性と資金調達、およびその両者と人間との関係」だという(Arndt 100)。この物語世界では(そして現実世界でもたいていの場合は)、ヒトが動き、モノが動くとき、同時にカネが動いている。堅実な倹約家によってカネが蓄えられ、動くことができなくなれば、ヒトもモノも動かず、語るべき物語は何も生まれないのだ。英文学研究者のリズ・ベラミー(Liz Bellamy)が言うように、「シリング貨の流通したいという欲望は『素晴らしい放浪癖』と呼ばれ、流通できない状態は、怒りを込めて『監禁』と呼ばれる」(Bellamy 119)。
 18世紀のロンドンは、世界規模で動き回るヒト・モノ・カネの通過点かつ集積地であった。ロンドンにどれほど幅広い地域からモノが集まってきているかについて、アディソンは別のエッセイでこう書いている。「一人の貴婦人が着ているドレスは、しばしば百もの地域の産物を集めたものだ。マフと扇は互いに地球の反対側からやって来た。首に巻くスカーフは灼熱の地帯から、肩掛けは極地から送られたもの。錦織のペチコートの銀糸はペルーの銀山から、ダイアモンドの首飾りはインドの奥地から来たものだ」(Addison, "Royal" 205)。もちろんこのように商品の移動を無邪気に賞賛する物言いは、ある種の事実を隠蔽している。上のエッセイの編者エリン・マッキー(Erin Mackie)はこう言っている。「これらの文章はイギリスの商業を調和をもたらす力と見なしている。こうした文章では、実際にイギリスの商業的帝国主義に付いて回る、搾取・暴力・破壊といった要素は否定されねばならない」(Mackie 172)。
 ヒト・モノ・カネの移動に搾取・暴力・破壊といった要素が付いて回るのは、海外との貿易だけではない。国内での取引の場合も同じである。そして普段は隠蔽されている否定的な要素を暴き出すのは、モノ語りの得意技なのだ。先述したローリーの小説史に、以下の記述があるのは興味深い。「これら二流作家群に属する者たちの技法は写真術にたとえられるかもしれないが、それでは褒めすぎだろう。彼らがカメラを用いるのは芸術に資するためではなく、監視活動に資するためなのだから」(Raleigh 193)。モノ語りにおいては、人間の入り込めない場所に潜入した物語るモノたちが、「監視カメラ」として様々な人物の秘密の行為を嬉しそうに「隠し撮り」しているかのような描写が、作品の大半を占めていることが多いのだ。監視するモノたちについて、アーントの言葉を引いてみよう。
これらの物語における硬貨や品物は、物理的な移動の過程に喜びを見出し、様々なやり方で都市生活者として振る舞っている。大多数は例の[アディソンの]シリング貨と似たような形式に従い、彼らの旅と日々の行動経路について物語る。こうしてこの手の読み物は、都市そのものの秘密の生活を物語っているのだ。商品や硬貨、さらに人間は、どのようにA地点からB地点へ移動していくのか。そして都市の目に見えないメカニズムはどのように機能しているのか。(Arndt 100)
 嬉々として動き回る品物が目撃する場面が、ヒト・モノ・カネの動きの背後に普段は隠蔽されている、都市の邪悪なメカニズムを暴露してしまう——18世紀イギリスにおけるモノ語りの基本構造は、そのように捉えることができるだろう。
 次に取り上げるモノ語りは、詩人のクリストファー・スマート(Christopher Smart, 1722-71)が1751年に発表した「極めて不運な弁髪鬘[べんぱつがつら]による本物の回想と真に驚嘆すべき冒険」("The Genuine Memoirs and Most Surprising Adventures of a Very Unfortunate Tye-Wig")である。カネではなくモノを主人公にすることで、物語のテーマに「老朽化」という要素が加わってくる。硬貨であれば価値は基本的に変わらないままで、たとえクリッピングの被害を受けて縁が削られてしまっても、再鋳造されて同じ価値での流通を再開することができる。しかし鬘[かつら]のような耐久消費財であれば、流通に伴って次第に老朽化していき、同時に価値も低下して、最後はゴミになる。こうした要素がどのように取り込まれているか、あらすじをたどってみよう。
 枠物語の語り手は、産婆兼文士であるミッドナイト夫人(Mrs. Midnight)である。彼女はロンドンの街を歩いているとき、靴磨きの少年が靴にブラシをかける前準備として、古い弁髪鬘(tye-wig)で靴の汚れを落としているのを見かける。以下はその弁髪鬘自らが夫人に語った、不幸な身の上話である。
 鬘の最初の持ち主はニセ医者だった。見るからに立派な鬘が威厳と信用を与えてやったせいで、医者のもとを高貴な女性患者たちが訪れるようになる。しかしこのニセ医者は、ある若者のために老人を毒殺したせいで処刑されてしまう。ニセ医者の死刑執行人は、鬘をホウボーンのミドル・ロウ(Middle-Row, Holborn)にある中古鬘屋に売り払う。
 次の持ち主はテンプル法学院の若いアイルランド人法律家で、鬘は彼とともに法廷に立ったが、彼は見掛け倒しの愚かな人物であったために法廷を追われてしまい、鬘は質屋に入れられる。
 鬘は劇場の衣装係に買われ、舞台に出演するようになる。髪粉を打った見事な鬘のおかげで大根役者も観衆を沸かせることができたが、やがてギャリック(David Garrick, 当時の名優)が人気を博すようになると、演技力不足を見かけでごまかすことはできなくなり、鬘は中古鬘屋へ逆戻りする。
 次に鬘はウェールズ人将校とともに戦場へ赴き、過酷な環境で手荒く扱われたせいでみすぼらしくなってしまう。将校は部下の軍曹に鬘を下げ渡し、鬘は退役したこの軍曹とともにチェルシー王立廃兵院(Chelsea Hospital)で暮らすことになる。やがて軍曹は酒場で、奇妙な男と互いの鬘を交換する。
 この奇妙な男の職業は、ネタに困った新聞記者のために、適当な嘘っぱちの海外ニュースをでっち上げることだった。しかしこの男はコーヒーハウスでルイ14世の悪口を言っていたところを、フランス人ダンス教師に絡まれて喧嘩になり、鬘は暖炉に投げ込まれる。燃えると悪臭を放つ鬘は直ちに暖炉から引き上げられたものの、そのまま床に放置され、しばらくコーヒーハウスの客たちに踏まれ続ける。
 倹約家の農夫が鬘を拾って田舎に持ち帰り、豆畑からカラスを追うための案山子にかぶせる。そこに通りがかった乞食が鬘を奪う。今ではその乞食がロンドンの街角で靴磨きをするとき、靴墨を塗る前に汚れを落とすのに、この鬘を使っているのだった。
 ——以上のあらすじにみられるように、ここでは「老朽化」のテーマに加えて、さらに「変装による階層移動」のテーマが加わっている。持ち物、特に鬘のように身に付ける衣装は、その持ち主の社会階層を表わす目に見える指標として機能するので、身分・階層を偽るためにも使えるのだった。もちろん、自分が本来所属する社会階層以外の持ち物を手に入れるためには、「カネさえ出せばどんなモノでも手に入る」という状況が、ある程度実現していなければならない。そして18世紀のロンドンは、まさにそういう状況を実現させた都市なのだった。歴史学者ニール・マケンドリック(Neil McKendrick)の言葉を引こう。
18世紀イングランドで消費革命が起こった。人類史上かつてないほどの男女が、物質的所有の快楽を経験することになったのだ。過去何世紀にもわたって富裕層の特権的な持ち物だった品物が、ほんの数世代のうちに、社会の中でこれまでにない高い割合の人々にとって手が届くものになり、史上初めて、ほとんどすべての人が合法的に欲しがることを許される品になった。かつてはせいぜい遺産相続によってしか手に入れることのできなかった品々が、消費者という新しい階層の人々全員から合法的に求められるようになったのである。(McKendrick, Brewer, and Plumb 1)
 かくして、大枚をはたいて高価な高級鬘を手に入れたニセ医者は、その立派な見かけのおかげでニセ医者という本質を隠すことができる。豪華な鬘で観客を圧倒することで、大根役者も演技力のなさをごまかすことができるのだ。18世紀西欧の劇場における鬘の意義について、文学研究者の高山宏はこう言っている。「本質が見かけに裏切られ、人々の自己同一性が曖昧になると言えば、それは直截に劇場の舞台[いた]の上の世界である。役者たちは次々と新しいかつら/人格にすり替って舞台に登場する。それを観ている客たちもまた皆好き好きのかつら/人格を被ってやって来ている。それこそ十八世紀文化の粋[すい]のような時空だ」(高山 114, 角括弧内は原文のルビ)。歴史学者ジョン・ブルーア(John Brewer)は、この時代のイギリス人が、自分の本質以上に見かけを良くすることにどれほど執心したかを述べている。
外見、みえ方、役者、そして観衆に対するこの時代の異常な関心〔の高さ〕は、実際、驚異的というほかはありません。教訓的文献は、圧倒的に、姿のみせ方、みえ方を教えることに専心していました。なかでは『スペクテイタ』誌が群を抜いていますが、それも例外とはいえません。人間のあらゆる側面、すなわち、品行と身体言語、服装、持ち物、振舞い、そして趣味が、どれほどみられる者の性質と地位をみる者にわからせる徴[しるし]であるかについて、注目すべき自覚があったのです。そこには、外見の文化はいともたやすく欺きの文化に変えられるという懸念がともないます。(ブルーア 70, 甲括弧内は訳者による補足、角括弧内は訳文のルビ)
 アディソンのシリング貨の物語の源泉だとアーントが述べた、「流動性と資金調達、およびその両者と人間との関係」(Arndt 100)を描き出したいという欲望は、モノ語りジャンル全体を駆り立てる原動力だと言っていいだろう。そのとき「流動性」は物理的な場所の移動だけではなく、社会階層の移動をも含んでいる。ヒトはカネさえあれば高級なモノを買って所有し、社会階層をまたいで上昇することができる。だからこそ男たちは、まともな紳士としての見かけを手に入れるため、自然から与えられた毛髪を隠して鬘をかぶるのだ。「あるべき自己同一性[アイデンティティ]に固執するか、それとも人格をかつらのように無碍[むげ]に付け換えて生きていくか。むろん来るべき〈近代〉、始まりつつある〈都市〉の文化の中では後者の生き方しかあり得ないことは、きみもあなたもよく御存知だ」(高山 113)。
 しかし、鬘や衣装を取り替えれば社会階層を超えて流動し、何にでもなれるということは、逆に言えば、常に変わらない「かけがえのない自分」などどこにもいないということだ。「かつらに限らず服飾一般について言えることだが、それらの流行は人間個々人の個性、絶対に他人と取り替えのきかない一個人としての尊厳[アウラ]の喪失と、原因になり結果となって深く関係しているのである」(高山 112)。モノ語りに登場する人間たちは、押しなべて個性に欠けた、それぞれが演じている職業や階層のステレオタイプとして描かれることが多い。それは必ずしも作者たちの技量不足だけが原因なのではなく、このジャンルが持つ基本構造が要請する必然的な結果なのかもしれない。モノ語りの登場人物たちは、その職業・その階層の人間であればいくらでも取り替えのきく「誰でもいい」存在なのだ。
 ここまでの議論をまとめておこう。18世紀イギリスのモノ語りの中では、(1)モノの力によって階層を超えて流動するヒト、(2)高級品から廃棄物へと徐々に価値を下落させながら流動するモノ、(3)ヒトとモノに流動性を与えるために流動するカネ、という三者が動き回っている。ヒトはみな、社会階層の一員であることによってのみ存在意義を規定される、無個性な存在である。モノやカネは都市の内部を嬉々としてさまよい、その過程で、ヒトどうしの関係の裏に働く搾取・暴力・破壊といった、都市のメカニズムの暗部を目撃する。
 次節ではいよいよ本題に入り、衣装を扱ったモノ語りの代表作の一つ『黒外套の冒険』を紹介してみたい。

3.『黒外套の冒険』の概要


 作者不詳の小説『黒外套の冒険』(The Adventures of a Black Coat)は、1760年にロンドンの書籍商J・ウィリアムズ(J. Williams)およびJ・バード(J. Burd)によって出版された。(2)正式なタイトルは、内容紹介までタイトルに含める当時の慣習に従い、『黒外套の冒険。ロンドン市およびウェストミンスター市の遍歴において外套が様々な人物とともに見聞した、一連の驚くべき出来事や愉快な事件を含む。外套自らが物語る』(The Adventures of a Black Coat. Containing a Series of Remarkable Occurrences and Entertaining Incidents, That It Was a Witness to in Its Peregrinations Through the Cities of London and Westminster, in Company with Variety of Characters. As Related by Itself.)という長ったらしいものになっている。十二折版(duodecimo)という、現代日本の新書版を一回り大きくしたほどのサイズで、序文などの前付け12ページおよび本文166ページの、小説本としては標準的な厚さの本である。値段は仮綴じ(革装丁をせず、大雑把に縫い合わせてまとめた折丁に紙表紙を付けた状態)で2シリング6ペンス。英文学研究者リチャード・D・オールティック(Richard D. Altick)によれば、当時の小説本の標準的な価格は、1780年ごろまで2シリング、2シリング6ペンス、または3シリングのいずれかであったという(Altick 51)。従って『黒外套の冒険』は、当時の小説の中では決して怪しげな安物ではなく、至って標準的な価格の商品だったのである。
 なお、私が使用した版は、包括的な18世紀英語・英国刊行物データベースとして知られる Eighteenth Century Collections Online (ECCO) に収録された書籍の電子画像データをそのまま印刷・製本して出版する、Gale ECCO Print Editions という版元による版である。残念ながら私は高価な ECCO を直接利用することができないので、ロンドン版『黒外套の冒険』を読むにはこうするしかない。私としてはこの版が、オリジナルのロンドン版を忠実に複写しているものと信頼したうえで、この先の話を進めることにする。
『黒外套の冒険』の本文は章立てされておらず、そのままでは構成を把握しにくい。ここでは便宜的に、本文の内容をエピソードごとに分割し、以下に各エピソードのあらすじを紹介してみたい。
発端]古着屋の衣装箪笥に新入りの白外套(White)が現れると、継ぎ接ぎだらけの老いた黒外套(Sable)が、彼の半生を若い白外套に語り出す。黒外套をあつらえたのはある有能な下院議員で、ある王女の死を悼んで喪に服すためだった。服喪期間が終わると黒外套は使用人に下げ渡され、その使用人は上等の黒外套をモンマス・ストリート(Monmouth Street, 古着屋で有名な地区)の古着屋に売り払う。その後の黒外套は、次から次へと様々な客に賃貸しされることになる(Adventures 1-6)。
第1の冒険]アイルランド出身の従僕が黒外套を借りる。俳優志望の彼は立派な外套を着て劇場支配人の屋敷を訪ね、自分は才能がある俳優なので雇ってくれと言うが、たちまち正体を見破られ、あんたには俳優より拳闘家が向いていると皮肉られる(6-12)。
第2の冒険]外交官志望の青年が黒外套を借りる。彼は2年前に知人を通して大臣に近づき、大使の随員としてスペイン宮廷で働かせてもらう口約束を得ていたのだが、一向に採用の連絡がないのだった。大臣の助言に従ってスペイン語を身に付けた彼は、高級な黒外套を着て、大臣の邸宅で行われる接見に参加する。だが大臣は彼のことなどすっかり忘れており、随員には別の人間を任命してしまったことを告げる。何のために有り金をはたいてスペイン語を勉強したのかと詰め寄る青年に、「ドン・キホーテが原語で読めるじゃないか」と言い残して去る大臣。絶望した青年は夢をあきらめ、近衛兵になることを決断する(12-22)。
第3の冒険]つかみどころのない男が黒外套を借りる。立派な外套をまとった彼は、ある時は裕福な紳士、またある時は貴族の従者に化け、見事な計略を用いて悪事を繰り返す。コーヒーハウスや高級レストランで無銭飲食し、辻馬車の御者を言葉巧みに騙して無賃乗車し、ある貴族がオークション会場で競り落とした高価な時計をまんまと手に入れてしまう。劇場では係員の目を盗んでボックス席に入り込み、壁にかけてあった老紳士の外套を自分のものだと言い張って奪い取る。男は詐欺師であり、様々な職業の人間に変装して盗みを行なう窃盗団の一味でもあった。翌日は農夫に扮することになったため、男は黒外套を古着屋に返却する(23-58)。
第4の冒険]無名の劇作家が黒外套を借りる。裕福な劇場支配人の屋敷を訪れた彼は、15ヶ月前に渡した悲劇の原稿を読んでくれたかどうかを尋ね、採用しないなら原稿を返してくれと頼む。尊大な劇場支配人が渋々書類の山から原稿を探すと、コーヒーポットの下から染みだらけになった原稿が見つかる。しかもところどころページが引きちぎられていた。使用人がやかんを暖炉から下ろす時、鍋つかみ代わりに使ったのだ。そこへ道化役者が支配人を訪ねてきたため、哀れな劇作家は退散する(58-66)。
第5の冒険]軍人らしき青年が黒外套を借りる。交際相手スーザン・サーロイン(Susan Sirloin)の父親と会って今後のことを話し合うのだ。会見場所の居酒屋に現れた父親のサーロイン氏に青年が語ったところでは、彼は名家の息子で、長男ではないので土地は相続できないが、大尉としての収入の他に千ポンドの財産があるという。一方サーロイン氏が語ったところによると、サーロイン氏自身は肉屋だが、その妻は娘を淑女のように育ててしまい、夫の反対を押し切り多額の費用をかけて寄宿学校で教育を受けさせたという。娘のスーザンは、まるで上層中流階級のお嬢様のような衣装をまとい、紳士との結婚を狙っている。スーザンが紳士階級の娘ではないのを知って驚いた青年は、家名を汚さないためにはスーザンにある程度の持参金が必要だと言って、結婚を渋りだす。しかし店のウェイターは青年の顔見知りで、将校を装ったこの青年が、実は解雇された従僕であることをサーロイン氏に暴露する。激怒したサーロイン氏は青年に殴りかかり、黒外套も甚大な被害を受ける(66-86)。
第6の冒険]裕福な青年が黒外套を借りる。仲間の一人で大食漢のフィーストラヴ氏(Mr. Feastlove)にいたずらを仕掛けるためだ。青年は黒外套のポケットからジンジャーブレッド・ナッツ(ビスケットの一種)を出して仲間と一緒に食べるが、フィーストラヴに与える分だけは別のポケットから出す。彼に下剤を染み込ませた菓子を食べさせて、その後の宴会で起こることを楽しもうというのだ。宴会が始まり、豪華な料理に舌鼓を打っていたフィーストラヴは、極度の便意と吐き気に襲われる。意地汚いフィーストラヴはそんな体調でも料理を食べ続けようとして、しきりにトイレと宴席の往復を繰り返すが、ついに我慢の限界に達する。彼は食べたものを大量に上から吐き下から半ズボンに漏らし、悪臭に包まれた宴席は大混乱に陥る。宴席を抜け出した青年は、居酒屋で仲間たちに宴席での出来事を語り、皆で大笑いする(86-108)。
第7の冒険]変装の名人が黒外套を買い上げる。古い黒外套をまとった男はジプシー(Egyptian)の占い師に扮してチャリング・クロス(Charing Cross)に店を出すと、ヨーロッパで人気の占い師が1ヶ月限定でロンドンに来ているという触れ込みで、貴族や紳士階級の人々に向けて宣伝ビラや新聞広告を出す。日頃から様々な人物に変装してロンドン中のゴシップを集めている彼は、店を訪れる裕福な男女の秘密を見事に言い当てることができるため、占い師の店は繁盛する。友人の妻と不倫をして悩んでいる近衛将校には、その友人が苦しむのは生きている間だけだと決闘をそそのかす。男の口説き方や浮気がばれたときの言い逃れ方を書いた備忘録を入れた鞄を、浮気相手の一人の寝室に置き忘れた既婚の貴婦人には、鞄の発見者に高額の報酬を出すと広告を出せば、男の家の使用人が内緒で届けてくれると助言する。あるとき占い師を若い女が訪れ、法律家と陸軍中尉と職に就いていない裕福な紳士のうち、自分が誰と結婚すればいいかを尋ねる。占い師はどれも駄目だと言い、あなたは商人たちから求婚されるがすべて断り、誰とも結婚しないまま病院で死を迎えるだろうと予言する。黒外套はその娘が、ニセ将校と結婚しそうになった肉屋の娘、スーザン・サーロインであることに気づく。1ヶ月が過ぎ、男は占い師の道具一式を売り払う。黒外套を買い取った古着屋は、すっかり古びてしまった黒外套に大幅な修繕を施したうえで衣装箪笥に掛ける(108-44)。
第8の冒険]中年の貧しい詩人スタンザ氏(Mr. Stanza)が、自分の擦り切れた外套の代わりに黒外套を買う。がらんとした屋根裏部屋で極貧生活を送る彼は、ついに逮捕されてフリート監獄(Fleet Prison, 債務者監獄)に送られる。黒外套は「第3の冒険」の詐欺師も同じ債務者監獄にいるのを発見する。スタンザ氏は監獄でも創作に励み、悲劇や喜劇を書き進めるだけでなく、新聞につまらないエッセイを載せている。過去の文士の作品から少しずつ部品をいただいて、多少の独創を加えて新品として売っているのだ(145-156)。
第9の冒険]スタンザ氏は債務者監獄で、ボロボロの古い服を着たやぶ医者と知り合いになる。やぶ医者は監獄から抜け出すため、借金を肩代わりしてくれた女性となら誰とでも結婚するという新聞広告を出す。応募してきた女たちと会うために、医者はスタンザ氏から黒外套を借りる。医者は裕福な老女と結婚することになり、黒外套をスタンザ氏から買い取る。出獄した医者は、黒外套を着て聖トマス病院(St. Thomas's Hospital)の同業者たちに挨拶に行く。そこで黒外套は、女性患者の中にスーザン・サーロインがいるのを発見する。梅毒を病んだスーザンは、水銀療法(梅毒患者に水銀を投与して涎を流させる療法)を受けていた。彼女は娼婦になっていたのだ。やがて老女と医者が暮らす屋敷に新品の紳士服一式が届き、古い黒外套はお払い箱となる(156-65)。
結末]黒外套が物語を締めくくろうとしたところで、白外套が客に連れて行かれ、聞き手のいなくなった黒外套は、衣装箪笥に一人取り残される(165-66)。
 ——以上が『黒外套の冒険』のあらすじである。「老朽化」のテーマといい、「変装による社会階層の移動」のテーマといい、おおまかな構造は前節で扱った「鬘の回想」に酷似している。それは特にこの2作品の間だけの類似というわけではなく、衣装を扱ったモノ語りはたいていこうしたパターンで話が進行するのだった。当時の書評家たちがモノ語りに食傷気味だったのもうなずける。
 実際、書評誌での評判は散々であった。『マンスリー・レヴュー』(The Monthly Review)1760年6月号の書評では「近頃目を通したものの中では最もひどい出来の作品」と切り捨てられてしまう(548)。同じ1760年6月の『クリティカル・レヴュー』(The Critical Review)のほうは少しましだが、例によってここでもモノ語りジャンル全体が批判されている。
この主題はエッセイにすればなかなか面白かったかもしれない。しかしこの規模の書籍にまで引き伸ばされてしまうと、どうにも退屈だ。外套ではなくそれを着る人間たちの冒険が、本書の内容の大部分を占めている。もう少し工夫すれば、これらの冒険をもっとうまい具合につなげることもできただろう。われわれの言語には、貧困な着想による擬人化を用いた弱々しいつながりによって、雑多な冒険をまとめた失敗作がいくつか存在する。作中の出来事一つ一つが根底にある筋に直接関係するように物語を構成しなければ、作品全体が退屈になり、たとえ洞察や語り口の面白さがあったとしても、おのずと忘却の彼方に沈んでいくことだろう。(Vol. 9 499
 この書評誌がいつも酷評ばかり載せていたのではないことは、同じ年の1月号に載ったスターン作『トリストラム・シャンディ』の書評と比べてみれば分かる。「これはユーモラスな作品なのだが、その概要を読者諸賢に明確にお伝えすることができない。全体が巧みに操られた愉快な脱線と、見事な人物描写から成っている[…]。しかし本作の細部を紹介することは、すでにお読みになった方には必要がないし、まだお読みでない方にはせっかくの楽しみを削いでしまう。われわれとしては、作品自体を読んでいただくことをお勧めする」(Vol. 9 73-74)。互いにあまり関係のない雑多なエピソードを次々につないで本にした点で『トリストラム・シャンディ』と『黒外套の冒険』はよく似ているのだが、一方は「愉快な脱線」と評価され、他方は「雑多な冒険をまとめた失敗作」とされてしまうのだった。
 だが『黒外套の冒険』を実際に読んでみると、意外に面白いというのが私の正直な感想である。確かにキャラクター造形は平板だし、話の展開は先が読めてしまうし、どちらかと言うと魅力に乏しいぶっきらぼうな文体で書かれているし、説明不足の箇所と説明過剰の箇所があって描写のバランスが悪いし、とてもイギリス小説の古典にはなれそうもない。しかし、前節までで述べたようなモノ語りというジャンルの特性を頭に置いたうえで読むと、まさにモノ語りの典型としての面白さがあるのだ。次節以降では、この作品の奇妙な魅力について、特徴的な場面をいくつか取り上げながら、もう少し詳しく論じてみたい。

4.流転するモノ、流転するヒト


 小説の冒頭ではまず全知全能の語り手(作者)が現われ、今はゴミに近い無価値な存在となった古い黒外套を紹介すると、直ちに黒外套自身による長い物語が始まる。聞き手の若い白外套は、老いさらばえた醜い黒外套を内心馬鹿にしながらも、うわべは丁重に黒外套の物語を促すのだった。
 その黒外套は、古いほころびだらけなところが忙しく働いた長い年月を示していましたが、もう長いこと衣装箪笥のただ一人の住人でした。そこへ華やかな白外套がそろそろと招き入れられ、ゆったりと掛けられました。すると何ということでしょう、黒外套がはっきりとした人間の声で、見知らぬ外套にこう話しかけるのが聞こえてきたのです。
「お若いの、あんたが現れたということは、私の最期が近づいたというわけだな。だが私はこれまでの半生を振り返ってみて、お前さんの生まれつきの純粋さや染み一つない姿を見ていると、これからあんたが私のようにどれほど多くの辛い目に遭うことになるかを思って、あんたを憐れまずにはおられんよ」(Adventures 1-2)
 英文学研究者のボニー・ブラックウェル(Bonnie Blackwell)によると、舞台が古着屋に設定されていることは、この作品の裏の意味を読み解く鍵になる。「古着屋という設定が、直ちに売春を思い起こさせる。なぜなら18世紀には、使用済みの服の商取引と使用済みの女体の商取引とが、分かち難く結び付いていたからだ。娼婦は仕事用の服装を、古着屋を通して安く手に入れることができた。一方、性交の最中に男のポケットの中味を盗み取る手際の良い娼婦を通して、古着屋は紳士物の時計やハンカチや肌着を常に入手することができた」(B. Blackwell 271)。
 この作品の外套たちは男性ということになっており、一貫して男性代名詞(he)が使われている。しかしブラックウェルによれば、古着屋で賃貸しされる外套は、売春宿で男たちに賃貸しされる娼婦の比喩である。黒外套(Sable)という名前には、当時のロンドンに実在していた黒人娼婦たちを比喩的に表す意味があるという。
この小説は、男に賃貸しされる衣服の女性的な苦境を繰り返して強調する。それらが流通できるかどうかが決まる基準は、まず魅力的であること、見かけが新しそうなこと(染めたり執拗にブラシを当てたりしてごまかしてもいい)、そしてお客に尽くすことである。黒外套が白外套に与える忠告は、どんなに肌触りのいい魅力的な外套であっても、数回使用した後は簡単に捨てられるということだ。こんなふうに偶然に左右され、流通させられ、無視される一生は、女の一生である。(B. Blackwell 272)
 確かに、いったん外套と娼婦との比喩的な関係に気付いてしまうと、この作品の様々な細部が性的なほのめかしになっているのが分かる。
「私が経験した様々な場面を思い起こし、ぴったり寄り添っていたせいで感じた愛着を除けばまったくろくでもない主人たちが、どれほど卑劣な企みを巡らしたことか、そして私がそれにどうやって堪えねばならなかったかを思い出すと、恥ずかしくて体中の糸が真っ赤に染まるほどだよ」。ここで黒外套は、たいそう悲しげに溜息をつきました。そして白外套は、どうやら袖の中でこっそり笑ったようでした。(3-4)

「私はやがて新しい持ち主[古着屋の店主]から、『一時的な紳士たち』に紹介された。彼ら一人一人が、ホコリと蛾の舞い飛ぶこの牢獄からちょくちょく抜け出し、新鮮な空気の中で自由を味わうのを、私は恨めしく眺めていたものだ。私は最近下手くそな修繕屋にハサミを入れられたせいで、今では見ての通りのちんちくりんに縮んでしまったが、当時は並のサイズよりはるかに大きくてね。お客にはサイズが大きすぎるといって断られたり、それ以上にこの色のせいで断られたりしたんだ」(6)
 引用文にある「一時的な紳士たち」(occasional gentlemen)とは、文脈からすれば黒外套の同僚である古着たちを指すのだが、古着を着て紳士に化ける男たちをも指していると考えられる。さらにブラックウェルの解釈によれば、「女性を一時的に味わっては不潔な『監獄』に捨てて去っていく男たちの存在を知っている読者には、これらの紳士の描写は痛切に響く」ことになる。黒外套が身体にハサミを入れられるのは、妊娠中絶や性病治療の比喩だという(B. Blackwell 273)。
 店に魅力的な若者が現れると、黒外套は若者に気に入られようと懸命に努力する。「私は彼にはサイズが大きすぎるかもしれないと思ったんだが、ぜひともこの魅力的な青年のお供をしたかったから、体中の糸をキュッと縮めて彼を包んであげたんだ」(13)。もちろんここでも「収縮と快感についての言い回しは、18世紀中葉のポルノグラフィーの常套句を思わせる」(B. Blackwell 274)。
 商品として流通する外套と、商品として流通する女性を重ね合わせる手法は、最初のうちはこのように比喩的なレベルに留まっているのだが、小説の後半では、実際に娼婦に転落していく女性が登場する。肉屋の娘スーザン・サーロインである。この人物については、英文学研究者アイリーン・ダグラス(Aileen Douglas)の解説を引用しよう。
きわめて典型的な挿話において、黒外套は「地味で堅実な感じの商人」の娘であるスーザン・サーロインの人生を語る。倹約家の父を見習わず、社会階層が自分より上の者たちを手本にしてきたスーザンは、まるで貴婦人のようなドレスで着飾ることを許されている。[…]。低い階級の人間が豪華な服装をまとい、結果として服装で階級を見分けることが難しいというのは、イングランドを訪れた外国人がしばしば語っていたことだ。しかし物語の中では、階級を分かつ線は再び明確に引き直される。虚飾に溺れていたスーザンは、最終的には当初の社会的地位から急速に転落し、「お払い箱になった娼婦」として人生を終える。黒外套は18世紀の最も革新的な語り手ではないが、この社会が感じていた、服装の規範の混乱は必然的に社会的・道徳的混乱を招くのではないかという恐怖感を、うまく劇的に描き出している。「地味で堅実な感じの商人」ですら、娘の顕示的消費によって危機にさらされる。実はそうした消費こそ、悪徳への入り口を宣伝するものなのだ。(Douglas 152)
 スーザンが初めて登場するのは、「第5の冒険」で軍人に化けた青年が、スーザンを金持ちの娘と思って結婚しようとし、父親のサーロイン氏と話し合う場面である。サーロイン氏は青年に、スーザンの育て方を誤ったことを告白する。
うちの家内には、何度も何度もこう言ってるんですよ。「どこの商人が、あの子と結婚してくれると思ってるんだ? どうせあの子はこれまで育てられたのと同じように贅沢に暮らそうとするだろうし、そうしなきゃ満足できないだろうさ。しがない商人の身で、誰があの子にそんな贅沢をさせられる? もし金があったとしても、わざわざ女房に貴婦人みたいな暮らしはさせてくれないぞ。だからと言って紳士の方々は、たとえあの子がドレスに詳しかろうが、上品な身のこなしってやつを心得ていようが、一文無しの肉屋の娘なんぞに、はなも引っ掛けやしないさ。結局あの子はあんな育ち方をしたせいで、何にも向かない女になって、最後は娼婦にでも身を落とすしかないんだ」。でも無駄でした。家内がこう言うんです。「あの子はせめて、ビール酒場のご主人のスピゴットさんちの娘さんと同じくらいには、きちんと育てて、ちゃんとした身なりをさせてやらなくちゃだめよ。あそこの娘さんなんてうちの子とたいして変わらないんだし、そのうちいつか、何か幸運がめぐってくるかもしれないじゃないの」(75-76)
 スーザン・サーロインとその母による浪費の形態は、先ほど引用したダグラスの解説がほのめかしていたように、経済学者ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen, 1857-1929)が19世紀末アメリカ合衆国の都市生活者の消費様態を説明するために生み出した概念、「顕示的消費」(conspicuous consumption)を思わせるものだ。ヴェブレンは『有閑階級の理論』(The Theory of the Leisure Class, 1899)でこう言っている。「自己保存の本能を除けば、最強にして最も機敏であり、しかも最も持続的な経済的動機は、おそらく競争心である。産業社会では、この競争心が金銭的な競争として発現するのであって、現在の西洋的な文明社会に関する限り、これは事実上、ある種の形態の顕示的浪費のなかに現れている、ということと同じことになる」(ヴェブレン 127)。彼はまたこうも言っている。
要するに支出をめぐる礼節の規準は、競争心の目的と同様に、名声の点でわれわれ自身より一等級だけ上位に位置する人々の習慣によって定められている、ということなのである。こうして、とくに階級間の区別がかなり不明瞭になっているような共同社会では、あらゆる名声と世間体の規準、したがってまたあらゆる支出の水準は、社会的にも金銭的にも最高位に位置する階級——豊かな有閑階級——の慣行や思考習慣にまで、無意識のうちに徐々に昇っていくことになる。(120)
 サーロイン夫人にとって、競争相手はビール酒場の店主スピゴット氏(Mr. Spiggott)の一家であった。おそらく商人としては裕福な部類に入る2つの家の夫人は、それぞれ娘に地主階級のお嬢様と同じような教育を施し、同じような身なりをさせることで、いつの日か娘が何らかの幸運を得て、地主階級の紳士と結婚することを夢見ている。もちろんそんな欲望を抱くことができるのは、カネさえ出せばたいていのモノは手に入る社会だからこそである。
 再びスーザンが現れるのは「第7の冒険」で、ニセ占い師に結婚の相談をする場面だ。法律家と陸軍中尉と職に就いていない裕福な紳士のうち、誰と結婚するのがいいかと占い師に尋ねるスーザンは、言わば消費者として、結婚相手という商品を選んでいる。彼女にとっては、相手の男がどのような社会階層に属すかだけが問題で、それぞれの人物の内面は考慮されない。相手がどのようなモノを身に付け、どのようなモノに取り囲まれて暮らし、様々なモノを手に入れるためのカネをどの程度持っているかだけが重要なのだ。だがサーロイン氏が語っていたように、衣装は裕福そうでも財産のない彼女は、上層中流階級に属するこれら3種類の男たちの誰とも結婚出来ないのだった。
 英文学研究者のリン・フェスタ(Lynn Festa)がモノ語りについて語っているように、「これらの物語においては、ヒトとモノとの境目が次第に不安定になっていく。奇妙なことに、まるでヒトがモノのように思えてくるのだ。ヒトはモノの属性を帯びてゆき、自らをモノによって表現するようになり、さらには彼ら自身が商品として流通するようになる[…]」(Festa, Sentimental 123)。スーザンはまさにこの通りの経路をたどって転落していく。豪華な衣装というモノによって自分の価値を規定し、モノを豊富に所有する階層に入り込もうとしたスーザンは、最終的には自分の身体をモノとして流通させざるを得なくなる。
 こうして黒外套は「第9の冒険」でスーザンと再会する。「私たちが病院の婦人病棟にいたとき、不幸な女性たちの中に、サーロイン氏の娘の姿が混じっているのに気づいたんだ。彼女は流涎[りゅうぜん]療法のおかげですっかり回復していたので、その振舞いを見て、私は彼女がお払い箱になった娼婦だというのが分かった」(163-64)。流涎療法(salivation)とは、当時の病院で梅毒患者に対して行われた、患者に水銀を投与する療法である。水銀中毒の結果として涎を大量に流すのが、治癒が進行している徴候と誤解されていた(B. Blackwell 274)。黒外套はスーザンの振舞いに、水銀中毒の症状を見て取ったのである。
 ブラックウェルは、スーザンの転落と黒外套自身の転落の軌跡が酷似していることを指摘している(275)。2人は同じように、華やかな若者としてキャリアを開始するものの、暴力的な客たちの手から手へと流れゆくうちに肉体を消耗させ、価値も下がっていき、最後はまったく値が付かない状態になって、ゴミとして廃棄されることになる。
 ところでこの作品では、スーザン・サーロイン以外の人間たちも、比喩的な意味では自分を商品として「売り込む」ことに躍起になっている。「第1の冒険」に登場する俳優志望のアイルランド人従僕や、「第2の冒険」の外交官志望の青年は、それぞれ自分の就職活動を有利に展開させるために、まだ新品で高級品だった黒外套を身にまとう。しかしここで興味深いのは、彼らは黒外套を着たことで立派な紳士として扱われ、それぞれの交渉相手との面会にこぎつけることまではできても、黒外套の力が及ぶのはそこまでで、2人とも就職活動には失敗してしまうことだ。
 特に「第1の冒険」のアイルランド人従僕は、「粗野で愚かなアイルランド人」という差別的ステレオタイプそのままの人物設定であるため、劇場支配人と話を始めたとたんに教養のなさを露呈して、直ちに正体を見破られてしまう。この件に関してはフェスタの言葉を引こう。「モノたちは持ち主よりも品行方正である。それらはご主人様を見下しており、彼らの仮面を引きはがそうと狙っている。うわべの欺瞞をはぎ取って、彼らの真の社会的出自や性格を暴き出そうとするのだ。黒外套はとても見栄えがいいので、その持ち主は紳士であると周囲の人々に思わせることができる[…]。だがモノたちは社会的地位を授けることもできれば、奪い去ることもできる。われわれの所有物はわれわれの素性をばらしてしまうのだ」(Festa, "Moral" 311-12)。
 豪華な衣装を着ることで周囲を欺くことができるのは、あくまで見かけのレベルだけである。交渉相手と会話することで素性がばれてしまえば、見かけと素性とのズレはかえって信用を落とす原因になってしまう。持ち主が紳士を装うために黒外套を用いるのは、外套がまだ新しかった第1から第5の冒険までだが、そのうち挿話の終わりまで周囲を騙し続けることができるのは、「第3の冒険」の詐欺師だけである。彼が詐欺行為を成功させるのは、緻密な計画と巧みな話術によるものであり、紳士を装った見かけは、相手を信用させるきっかけを作るだけの役目しか果たしていない。一方「第2の冒険」の外交官志望の青年や「第4の冒険」の無名作家が、それぞれ大臣と劇場支配人に軽くあしらわれて終わるのは、後ろ盾になる人間がいなかったからであり、ひいてはそうした人間につながる機会を得るだけのカネがなかったということなのだ。
 衣装や持ち物といった見かけだけでは周囲を騙し通すことができない、という主張を忘れないのが、モノ語りの興味深い特色の一つである。これらの作品は、モノさえ集めれば誰でも社会階層の梯子を上昇することができるかのような印象を読者に与えておきながら、結局はそうした幻想を打ち砕くのだ。
 モノ語りの中で成り上がりに失敗するヒトたちには、いったい何が足りなかったのだろうか。社会的な地位を上昇させるには、目に見えるモノを集めるだけではだめで、幅広い分野の教養という文化資本や、後ろ盾になる人脈という社会関係資本が必要になり、それら無形の資本を手に入れるためには、目に見えるモノを集めるのとは桁違いのカネが必要になることになる、ということかもしれない。
 それをもう少し耳触りのいい言葉で言い換えれば、成長の過程で形作られた「かけがえのない自己」は、持ち物や衣装といったうわべのモノが多少変化したところで、決して揺らぎはしないということだ。そのことについてフェスタはこう述べている。「品物はそれを手にする人間の根っこにあるアイデンティティまでは変化させないという事実は、われわれは自分が消費する物になってしまうのではないというメッセージを伝えて、われわれを安心させてくれる。モノ語り(object narratives)は、かけがえのないヒトといくらでも取り替えのきくモノとの境目がぼやけ始めるところで、改めてヒトが卓越した特別な存在であることを主張するのだ」(Festa, Sentimental 124-25)。

5.使い捨て商品の悲しみと誇り


 モノ語りについては、もう一つ興味深い特徴がある。本として出版されるモノ語りはそれ自体が商品というモノであり、使い捨て商品としてすぐに消費者に売れなければ存在意義がないこと、さらにモノ語りの登場人物自身が、そうした事情を自覚しているということだ。
 マーク・ブラックウェルは、あるモノ語り作品への同時代の書評を取り上げて、同時代人が抱いていたモノ語りのイメージを次のようにまとめている。「このジャンル[モノ語り]の作品群は、作家の『才能』や『学識』が抽出されたエッセンスなどではない。それは商品であり、製本屋や印刷工の労働の産物であり、短命であることだけが取り柄の、魂のない『機械』なのだ」(M. Blackwell, "Hackwork" 190)。
 書物史研究者ジョン・フェザー(John Feather)はこう書いている。「書籍業界の視点から見れば、小説の重要性はその文学的長所にあるのではなく、その本質的なくだらなさにあった。小説は、一度だけ読んで忘れ去られる短命な商品と見なされていた。そのことが意味するのは、いったん需要が作られた以上、その需要を満たすために次から次へと新しい小説を供給する必要があるということだ。流行の波が小説界を左右したのだ」(Feather 97)。
『黒外套の冒険』はそうした「一度だけ読んで忘れ去られる短命な商品」、つまり使い捨て商品としての書物の一つだった。流行の波がどのように『黒外套の冒険』の文章を左右したかを見るために、典型的な例を挙げてみよう。「第3の冒険」の詐欺師の物語の途中で、黒外套の語りは中断され、古着の修繕屋が黒外套の状態を点検する場面が挿入される。修繕屋に見捨てられた黒外套は、差し迫った死について哲学的な感慨を述べる。その話が終わったところで作者が割って入り、読者にこう弁解するのだ。
ところで読者の皆様、ただいま私どもは、われらが黒い主人公による一連の冒険の話から逸れて脱線しておりますけれども、これが本書を引き伸ばすための小細工ではないかとご想像なさっているのであれば[…]、ほかならぬ神聖な真実がこのように語れと命じているのですから、私どもとしては従わないわけにはいかないのです。[…]。もしこの作品を引き延ばそうという気になれば、毎分ごとの無数の出来事をそのまま語っていけば、何巻にでも膨らませることができるでしょう。私どもはこれまでもこれからも、そんなことをするつもりは毛頭ありません。皆様がこのまま最後までお読みいただけるなら、小細工など必要ないとお分かりいただけるはずです。賢明なる外套の物語は、それだけで皆様に十分お楽しみいただける豊富な材料を提供してくれますから。(45-46)
 こうした脱線弁護の文章には、『黒外套の冒険』が出版される数カ月前にロンドンで売り出されてベストセラーになっていた、スターンの『トリストラム・シャンディ』の濃厚な影響が見られる。『トリストラム・シャンディ』の脱線賛美の文章を、朱牟田夏雄による邦訳から引用してみよう。語り手の紳士トリストラム・シャンディが、自分の叔父の性格描写を始めたところで長々と脱線してしまったことを、読者に弁解する場面である。
現在私がはからずも迷いこんでしまったこの長い脱線ですが、ここには私のすべての脱線の場合と同じく[…]、脱線術としての入神の妙技が秘められているのです。がそういう秘術を残念ながら読者諸賢は終始見おとしておいでらしい——それは何も諸賢に洞察の力がないからというのではなく——ただ、このような神技が脱線というものに普通予想も期待もされないからにほかなりません。——それというのはこういうことです。たしかに私の脱線ぶりは、諸賢も御覧の通り公明正大なものであり、自分の従事している仕事をそっちのけに、大英帝国のいかなる文士にも負けぬほどに、遠いかなたまで、またそれも機会あるごとに、逸脱してしまっているにはちがいありませんが、それでいて私は、私の留守中といえども私の本来の仕事が歩みをとめてしまわないような布石だけは、一瞬も忘れていないのです。(スターン 148-49; Sterne 57-58; vol. 1, ch. 22)
 上の文章が載った『トリストラム・シャンディ』がヨークで出版されたのは1759年の年末、ロンドンで売り出されたのは1760年初頭である。『黒外套の冒険』が正確にいつ出版されたのかは分からないが、先述したように『マンスリー・レヴュー』および『クリティカル・レヴュー』のそれぞれ1760年6月号で書評されている以上、出版はその少し前であり、『黒外套の冒険』の作者が『トリストラム・シャンディ』を読んで参考にする時間は十分にあったはずだ。売れる商品を作るためには流行に敏感にならざるをえない作者が、最新のベストセラー小説の要素を自作に早速取り入れたことは、想像に難くない。
 英文学研究者クリスティーナ・ラプトン(Christina Lupton)は、モノ語りの作者たちがどのような創作態度を取っていたかを語っている。
18世紀のモノ語りはたいていプロの作家たちによって書かれており、彼らは文学作品の生産にあたって現実的なアプローチを取っていた。既存の作品のネタを使い回し、お決まりのパターンをそっくり真似て、市場の需要があれば物語を何巻でも書き足した。書籍商が買ってくれそうな文学作品なら何でも喜んで作り出す彼らは、ある書評家が1781年に使った言葉で言えば「二流作家にとって、備忘録に書き付けたことをすべてぶち込むのに便利な形式」を用いて「本をでっち上げる」ことにしたのだ。(Lupton 407)
 そういうプロの作家は、一般には「三文文士」(hack)と呼ばれる。『黒外套の冒険』の序文からは、この時代のロンドンにいかに多くの三文文士が暮らしていたかがうかがえる。作者がなぜ匿名で出版することにしたかを語る一節である。「現代のような雑誌や新聞の時代には、抑えがたい執筆欲がロンドン中の人々に取り憑いており、ほとんどすべての店や仕事場に作家がいる次第です。[…]。そのような紳士たちがペンを執るようになった今、文学的名声を得る候補者として名乗りを上げ、そんな連中と並んで作家としての名誉を分かち合うのを私が拒んだからといって、それを私の虚栄のなせるわざとは思わないでいただきたいのです」(ix-x)。この作者は、世にはびこる三文文士たちの作品が「ゴミ寸前」のひどい代物であることをほのめかしているのだ。一方で作者は、自分の作品『黒外套の冒険』もまた「ゴミ寸前」の存在、読者に一時的な楽しみを与えただけで使い捨てられる存在であることを自覚しており、そうした自覚が作品の内容自体に表れている。
 ラプトンは、モノ語りの作者となった人々の中には他の職業で挫折した人が多いことを指摘したうえで、こう述べている。「こうした経歴に照らして見て明らかになるのは、モノ語りというサブジャンルではほとんどすべての作品にみられる、人間以外の語り手が三文文士に出会う場面は、モノ語りによる自らの成立過程の反映だということだ。三文文士は原稿の山に埋もれて自作の場面と場面を強引につなぎ合わせ、金の工面に奔走し、自分の作品がいつか市場で流通して物質的に評価されることを期待している」。ラプトンによれば、こうした三文文士が現実のモノ語り作者と違うところは「程度の差だけ」である(407)。
 もちろん『黒外套の冒険』にも三文文士が複数登場している。「第4の冒険」に登場する無名の劇作家は、悲劇の原稿を劇場支配人の使用人に鍋つかみ代わりに使われてしまう。誰にも読まれないままコーヒーの染みにまみれ、やかんの取っ手をつかむ必要があるごとにページが破られた原稿は、もはや「ゴミ寸前」である。ラプトンの説に従えば、劇作家は匿名作者、悲劇の原稿は『黒外套の冒険』自体の自画像ということになる。
「第8の冒険」に登場する中年詩人スタンザ氏は、まさに三文文士のステレオタイプそのものの人物である。がらんとした屋根裏部屋で極貧生活を送る彼は、黒外套によれば次のような経歴を持っている。「スタンザ氏は若い頃は派手な遊び人だったそうだ。おかげでかなりの財産をあっという間に使い果たし、その後は博打で一山当てようとしたり、財産目当ての結婚を狙ったり、ペテン師になったりしたのだが、どれもたいしてうまく行かず、今度は詩人という『儲かる』仕事を選んだんだ」(152)。
 もちろん詩人の仕事が儲かるわけはなく、彼は債務者監獄に入れられてしまう。獄中で書いた雑文を時おり新聞に掲載してもらっていたが、スタンザ氏の創作態度は、三文文士の面目躍如たる無節操なものだった。「彼は文章の材料を、文学の園パルナッソスの商人たる著名作家たちの作品の倉庫から、こっそりくすねてきては、それをパルナッソスの森から切ってきたばかりの新しい作品として売っていたんだ。盗んできたのを隠すために、自分で作ったひどい文章をべっとりと付け足してね」(154)。
 これは『黒外套の冒険』という作品の作られ方に関する自己言及的な言明と見ていいだろう。あらすじで見たように、登場人物の大半は何らかのステレオタイプそのものであり、話の中味もどこかで聞いたようなものばかりだ。昔からある古い要素を継ぎ接ぎして、新品として売っているわけである。言わばこの作品は、新品を装った継ぎ接ぎだらけの古着なのだ。そのことを踏まえて読むと、非常に興味深い場面がある。「第3の冒険」の途中、詐欺師をめぐる物語が佳境に入ったところで、黒外套の語りが中断され、古着の修繕屋による点検が行われる場面である。
ここで店主が現れて、黒外套の物語は中断しました。店主は古着の買い取り業者を連れてきていて、箪笥に掛かっていた黒い語り手を取り上げると、古着を新品に変えるこの修繕屋に手渡しました。修繕屋は真剣な顔付きで黒外套をじっくり点検していましたが、やがて首を横に振り、こんなものには値が付かないと言いました。「ここまで着古されてる品だと、今度着たらもう一日も持たないよ。こうボロボロじゃ直しもきかないし、端切れにして使うわけにもいかない。実のところこいつは、端切れの集まりでしかないね」(42-43)。
「端切れの集まりでしかない」(it consisted of nothing else but patches)というのは、継ぎ接ぎだらけの外套を指していると同時に、使い古されたネタを寄せ集めて緩くつないでいるだけの、この本自体への言及でもある。つまり黒外套は前節で見たような娼婦の比喩であるだけでなく、『黒外套の冒険』という本自体の比喩でもあるのだ。そしてこの黒外套は、外套としても、娼婦としても、書物としても「ゴミ寸前」の状態なのだ。
 作者や語り手自身が自作を「ゴミ寸前」と自虐的に評価するのは、モノ語りではよくあることだ。その一例として、作者不詳の『蚤の回想と冒険』(Memoirs and Adventures of a Flea, 1785)の一節を見てみよう。語っているのは蚤自身である。
私の自伝は、私のような虫けらが生き長らえることを許される時間と同じくらいの寿命しか持たないでしょう。まあ、どう転んでもこの本は、世の人々のお役に立てますよ。願わくば時代の最先端の機智を備えたお方の現代的な図書室に置いていただきたいものですが、もしそれがかなわなくても、パティシエのお店で紙が何枚か必要になるたび私のページを提供できますし、さらに名誉なことには、なくてかなわぬ清めの女神クロアーキーナの輝かしい神殿[=トイレ]で、私の紙を使っていただけることでしょう。(Memoirs 6-7
 流行りものの使い捨て商品としての価値を失った本が、ページだけちぎってトイレで使われるという発想は、決してこの自虐的な蚤による独創的なものではない。たとえばすでにジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift, 1667-1745)の『桶物語』(A Tale of a Tub, 1704)で、物語の著者である三文文士が「後世の王子」(Prince Posterity)に宛てた献辞の中に、同じような状況が描かれているのだ。未来の王子は家庭教師を務める「時」から、著者の三文文士が暮らす時代(17世紀末)は無学な時代だと聞かされている。文士はこれに抗議し、「時」の暴虐のせいで、出版されたばかりの本のページが、パイプに火を付けるのに使われたりトイレで使われたりしたのだと怒る(Swift 21)。彼はさらに続けて、出版界の流行のはかなさを次のように嘆いている。17世紀末の時点ですでに、1760年の『黒外套の冒険』出版当時と似たような出版ブームが存在し、使い捨て商品としての本が続々と出版されていたことをうかがわせていて興味深い。
われわれの時代がまったく無学であって、いかなる作家も存在しなかったなどと断言するのは、あまりに傲岸不遜ですし、事実無根と思われます。そこで私は以前から考えていたのですが、反論の余地のない証拠を提出すれば、事実は逆だということをお示しできるんじゃないでしょうか。実際、作家の数は膨大で、それに比例して作品も無数に存在するのですけれど、それらがあっという間に舞台から退場していくので、われわれの記憶に残らず、目にも留まらないのです。この献辞を書こうと思い立ったとき、殿下に私の主張の明白な証拠をお見せしようと思って、現在出版されている本のタイトルを並べた長大なリストを作ってみました。それぞれの本の宣伝ビラは、街中の門や角に貼られたばかりだったのです。ところが数時間後にもう一度見に行ってみると、さっきのビラは全部はがされて、代わりに新しいビラが貼られているではありませんか。私は何人かの読者や書籍商に、以前の本がどうなったのか聞いてみたのですが、まったく無駄でした。人々の間でそれらの記憶は消し去られ、それらの居場所はなくなったのです。(22)
 スウィフトの時代から延々と続く出版ブームの中、新刊書として宣伝されてはあっという間に市場から消えていく大量の本の中の一冊として、『黒外套の冒険』や『トリストラム・シャンディ』といった小説は出版されたのだ。スターンの『トリストラム・シャンディ』はいまだに世界文学の古典の一つとみなされているが、『黒外套の冒険』やその他のモノ語り小説は、刊行当初こそそれなりの人気を博したものの、今では見る影もない。
 だが両者の違いは、出版当初からこれほどまでに大きかったのだろうか。『トリストラム・シャンディ』の刊行開始から20年ほど過ぎた1780年代にはすでに、スターンの文学的名声は確立していた。その頃に出版されたモノ語り小説は「スターンの劣悪な模倣」と評されるようになる。しかし英文学研究者のヒラリー・イングラート(Hilary Englert)によれば、スターンも最初のうちは、どこかいかがわしい作家と捉えられていたのだ。
たとえ現代の批評家や18世紀末の書評家にとって、スターンの名前が真似のできない独自性を思い起こさせるにせよ、同じ18世紀でも少し前の世代の読者や作家にとっては、彼の名前はもっと複雑な、時には互いに矛盾する響きを同時に響かせていたのだ。1760-70年代にかけてスターンの名前の意味するところは、まごうかた無きオリジナリティの指標とは程遠く、まだきちんと引かれていない境界線をまたいで揺れていた。きちんと計画された奔放さなのか、単にいいかげんな創作態度なのか。正当な模倣なのか、盗作なのか。文学作品なのか、低俗な駄文(hack-work)なのか、創作活動なのか、金儲けの手段なのか。まともな出版物なのか、制度化された海賊出版なのか。(Englert 262
 イングラートは、『トリストラム・シャンディ』が同時代の諷刺パンフレットで「スウィフトのお粗末な模倣」と評されていたことを指摘している(Englert 260-61)。スターンもまた、当初は三文文士(hack)の一人のような扱いを受けていたのだ。それも当然のことである。彼は『トリストラム・シャンディ』が出版されるまでは作家ではなく、田舎の教区牧師にすぎなかったのだから。
 英文学研究者のトマス・キーマー(Thomas Keymer)によれば、スターンは同時代の「新しい小説の熱烈な読者」であり、『トリストラム・シャンディ』には「自伝という形式を、雑多な話題を詰め込むための便利な入れ物として使っていた」当時の自伝体小説の影響がみられるという(Keymer 59, 65)。モノ語りもまた自伝体小説であり、しかもスターンが作家になるずっと以前から存在していたジャンルである。モノ語りに属する作品のどれかがスターンに直接多大な影響を与えたとまでは言えないにしても、モノ語りと『トリストラム・シャンディ』がともに、18世紀イギリスで流行していた一連の自伝体小説の系譜に連なることは明らかだ。ここでイングラートの言葉を引こう。
小説のサブジャンルの一つであるモノ語りにとってスターンが持つ意義は、単にスターンがモノ語りに文学的影響を与えたというだけではなくなってくる。むしろ『トリストラム・シャンディ』の語りの特徴とされる物語構造の緩さ、脱線や中断、突然の話題転換、半ば自伝的な描写や挿話といった要素、『トリストラム・シャンディ』が数年間にわたって分割出版されたこと、スターンの文章の断片が生前も死後も雑誌や雑文集に続々と再録されたこと——そうしたものが組み合わさって、当時の文学を取り巻くある文化状況を描き出しているのであり、モノ語りはそうした文化状況の中に安住の地を持っていたのだ。(Englert 263
 要するに、モノ語りと『トリストラム・シャンディ』は、ともに当時の文学全般を取り巻く共通の文化状況の中から生まれてきたという話である。それはどんな文化状況だったのか。端的に言って、文学が使い捨て商品であったということだ。文学書はちょうどモノ語り小説の語り手となる商品のように、モノとして市場を流通し、流行に乗れば一時的にもてはやされるものの、流行が廃れれば価値を急速に下落させ、誰にも顧みられなくなる。このような商業化した文化状況は、文学に限らず18世紀イギリスの芸術および娯楽全般を取り巻いていた。高尚なものも低俗なものも、すべてが使い捨て商品としていっしょくたに消費されてしまう状況について、歴史学者ジョン・ブルーアはこう言っている。
この商業化した文化にはいくつかの際立つ面があります。まず、提供する娯楽が非常に多様で、わたしたちが通常、「低級」、民衆的、あるいはたんなる「余興」とみなす文化のかたちと、精神を高揚し、教示的で知的とみなす文化とのあいだにはっきりとした区別を示さなかったことです。曲芸、音楽、踊り、オペラ、パントマイム、幕間に供されるちょっとした演奏、悲劇、そして喜劇が、一緒くたにロンドンの舞台にあがっていたということです。同じく十八世紀の定期刊行物にも、文学、音楽、絵画そして演劇はもちろん、ちまたの醜聞、政治ニュース、書簡体の助言、珍しい魅惑的場所の寸評、当時の医療や科学に関する話題などが満載されていました。歓楽園では、ロンドンのもっとも洗練された音楽と、まったくくだらない類のものを聴くことができました。舞台上に、定期刊行物の紙面上に、そして歓楽園に、高尚低俗異種多様な形式〔の文化〕が寄せ集められたのです。(ブルーア 102、甲括弧内は訳者による補足)
 こうした状況の中で出版された『黒外套の冒険』は、自らが使い捨て商品であることを熟知していた。小説の結末では、すでにあらすじで見たように、客が現れて白外套を借りるか買うかしたため、黒外套はたった一人の聞き手を失い、最後の一言を言えないまま衣装箪笥に取り残される。一人ポツンと残された外套の悲しさは、流行が去って読者を失い、誰にも読まれなくなった本の悲しさでもある。おそらく海千山千のしたたかな三文文士であったであろう作者は、『黒外套の冒険』という本が近いうちにそういう運命をたどることを知っていたのだ。
 黒外套は、近いうちにゴミとして捨てられるだろう。常に評価にさらされ、値踏みされ、つらい労働によって身体を損ない、そのことで評価を徐々に下げられ、最後は何の価値もないゴミとして廃棄されてしまうのだ。現代の読者としては、下手に共感してしまうと人生に夢も希望もなくなるような存在である。
 実を言うと、私にとって『黒外套の冒険』のもっとも魅力的な点は、作品全体に漂うそこはかとない敗北感である。夢をかなえる登場人物は誰一人いない。就職も結婚もかなわない。最後に金持ちの老女と結婚して債務者監獄を脱出する医者にしても、あくまでカネのために結婚したのであって、その後の結婚生活に何の希望も抱いていない。
 語り方によってはとめどなく暗くなりそうな話であるにもかかわらず、作者は不器用なりに様々な趣向を凝らして、読者を楽しませようとしている。最後に語りが突然中断するのも、いかにもスターンあたりがやりそうな目新しい趣向を取り入れてみたのだろう。この作者は、はなから文学とか芸術といった高尚なものなど志向してはいない。お金を払ってくれた顧客を値段の分だけきっちり楽しませることだけを考えている。そこには使い捨て商品の製作者としての誇りが感じられると言ったら、褒めすぎだろうか。
 それでは最後に、『黒外套の冒険』の結末の文章を読んでみよう。三文文士のスタンザ氏から黒外套を買った借金まみれのやぶ医者が、裕福な老女と結婚してその屋敷に引っ越し、ボロボロの黒外套を手放した場面だ。
黒外套は続けました。「次の朝、仕立屋が新しい服を一揃い持ってきたので、私はこの衣装箪笥へお払い箱になったというわけだ。さあ、息子よ」黒外套は年若い同僚に向けて言いました。「これでどうやら私の話も——」不運なことにここで邪魔が入り、黒外套は冒険を締めくくることができませんでした。一人の人間が現れて、われらが賢明なる語り部の相棒かつ聴衆だった白外套を、連れて行ってしまったのです。でもまあ、どのみち黒外套はあと二言三言で話を終えるところだったようですし、世にも珍しい冒険をここまでお伝えしてきた私どものペンは真実に導かれておりますから、実際に語られなかった言葉を勝手に書きつけるわけにはまいりません。ですから黒外套の最後の文は、ある種の歴史家がやってしまうみたいに裏付けのない言葉で欠落を埋めたりはせず、中断したままにしておきましょう。それでは寛大なる読者の皆様、これでお別れです。私どもが賢い外套の語る話を楽しんだように、この滑稽な物語をお読みになった皆様が楽しんでいただけたことを願うばかりです。(165-66)


(1) 「参考資料」として日本語の訳書を挙げた文献を除き、英語文献からの引用はすべて私(内田)が翻訳したものであり、引用文の角括弧内は私による補足である。
(2) 『黒外套の冒険』の作者および最初の出版地・出版年については諸説ある。本稿では「作者不詳、1760年にロンドンで出版」という説を採用したが、今回使用した資料の中にも、1750年にエジンバラで出版されたと記載しているものがある(Bellamy)。作者については、エドワード・フィリップス(Edward Phillips または Philips)と同定している資料もある(Bellamy; Lupton)。
 15-18世紀に主としてイギリス諸島および北アメリカで出版された刊行物の総合目録である The English Short Title Catalogue(ESTC)には、『黒外套の冒険』について4種類の異なる版が掲載されている。本稿の研究対象とした1760年のロンドン版(ESTC Citation Number: T128642)に加え、1762年のダブリン版(ESTC #: T70296)、1767年のボストン版(ESTC #: W1174)、および出版年不明のエジンバラ版(ESTC #: T86017)である。このうちエジンバラ版については、ESTCでは出版年を「1780?」としているのだが、同じ版について他の蔵書目録では(たとえば The British Library Integrated Catalogue)、出版年が「1750?」と記載されている場合があるのだ。もし仮に出版年が1750年前後であればロンドン版より10年ほど早いことになり、エジンバラ版が最初の版ということになるのだが、エジンバラ版の1750年出版説を裏付ける証拠はない。たとえば作品内で言及される拳闘家ジャック・ブロートン(Jack Broughton)の円形闘技場は、1750年にブロートンが試合中に両目を殴られて失明したことがもとで、その数週間後に閉鎖されている(Brailsford 10)。しかしこの言及が行われるのは老いた黒外套が新品だった昔を回想する場面であり、1760年のロンドン版が最初の版であることを否定する証拠にはならない。エジンバラ版が先に出たとしてもロンドンの書評誌には注目されなかった可能性もあるが、ロンドンの書評誌がこの作品を取り上げるのは、ロンドン版が出た1760年である(Forster 26)。
 ESTCでは掲載されたいずれの版についても作者を同定していない。しかし他の蔵書目録(たとえば Online Computer Library Center[OCLC]による総合蔵書目録 WorldCat)では、ESTCに掲載されたものと同一と思われるエジンバラ版(OCLC Number: 225323430)について、作者をエドワード・フィリップス(Edward Phillips)と同定している。この名前で18世紀に活動した人物をESTCで調べると、1730-40年代に活躍した作家で、The Chamber-Maid(1730)や Britons, Strike Home(1739)といった喜劇を書いていることが分かる。しかし『黒外套の冒険』の作者がこの人物であるという確証はない。
 このように不確定要素が多い中、「モノ語り」ジャンルとしては初の校訂版選集となる British It-Narratives, 1750-1830 が2012年4月に刊行される予定だが、この選集の宣伝チラシでは、『黒外套の冒険』は「作者不詳、1760年出版」という扱いになっている(Pickering and Chatto Publishers)。本稿ではこの選集の編者たちの判断に従うことにした。

参考資料

(付記)本稿は平成22-23年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究C:課題番号22520234)による研究の一部である。


内田勝「モノが語る物語 ——『黒外套の冒険』とその他の it-narratives」(2012)
〈https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/uchida/blackcoat12.html〉
(c) Masaru Uchida 2012
ファイル公開日: 2012-2-2
ファイル更新日: 2013-3-13(消滅した画像リンク先を他のサイトへのリンクに差し替え)

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