[第1回(文化研究)] [第2回(他者)] [第3回(書物)] [第4回(カルチュラル・スタディーズ)]


2001年度前期 現代の文化研究 第1回(担当:内田勝[岐阜大学地域科学部]) 引用資料(2001.4.16)

文中の「……」は省略箇所、【 】内は私の補足である。

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第1回:文化を研究するとは、たとえばどういうことか

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【文化(culture)という言葉には、大きく分けて二つの意味があります。】


【第一の意味:優れた(と思われている)芸術や学問、またはそれらが醸し出すなんだか上質な雰囲気】

【「文化の日」や「文化祭」あるいは「カルチャー・スクール」といった言葉では、こっちの意味。】


【第二の意味:ある集団に共通する行動パターン、またはそれらの背後にある価値観】

【「異文化理解」や「文化人類学」あるいは「カルチャー・ショック」といった言葉では、こっちの意味。】


【まずは第一の意味について】

[1]おそらく「文化」の定義の中でもっとも有名なものは、マシュー・アーノルド【19世紀イギリスの詩人・批評家】の『文化と無秩序』【1869年】の定義だろう。アーノルドによれば、「文化」とは「これまでに思考され、語られてきたものの最高のもの」と定義された。(上野ほか『カルチュラル・スタディーズ入門』p.18)


[2]ここ【アーノルドによる文化の定義】で具体的に考えられているのは、偉大な文学作品や哲学であり、古典音楽や絵画・彫刻といった芸術だった。この「文化」は教養のある特権的な少数の人々によってのみ理解され、維持されなければならない、とアーノルドは考えた。彼にとっては、「文化」とは高級文化のことだったのである。(同書、p.18)


【そんな「文化」の対極にあるのは、「通俗」「低俗」「俗悪」、果ては「野蛮」「未開」(!)ということになるのでしょう。この意味の「文化」にはいつも、序列化と差別の臭いがつきまといます。】


【こうした第一の意味(芸術や知的活動の産物)と、第二の意味(ある集団の行動パターンや価値観)とをつなぐ接点になりうるものとして、「文化」とは、人間が自然環境に適合するために作り上げたものごとだ、ととらえる見方があります。】


[3]【文化とは】人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。(「文化」『広辞苑』第4版[CD-ROM、岩波書店、1997年])


【『広辞苑』によると、この意味の場合、「文化」の反対語は「自然」なんだそうです。ということは、自然状態に手が加わってるほど高度な文化だ、ということになるのでしょうか。それなら、手の込んだ芸術作品や学問の成果こそが「文化」なのだ、という第一の意味にもつながりますね。】


【一方で、人間が自然に手を加えて作ったものなら何でも「文化」だと言ってるわけで、これから述べる第二の意味にもつながってきます。】


【おつぎは、その第二の意味について】

[4]文化とは……ある集団に属する人々が、これに属さない人々とは異なって共有している一定の特性である……。この集団は、日本人やイギリス人といったネーション【国民国家】に一致する場合もあるし、民族や地域集団などを指す場合もある。いずれにせよ、この文化概念からするならば、共通の文化を有している人々の集合が一定の社会集団の範域に一致しているわけである。(吉見『思考のフロンティア カルチュラル・スタディーズ』p.94)


【日本の文化、中国語圏の文化、イスラム文化、関西の文化、愛知県の文化、飛騨地方の文化、若者の文化、オヤジの文化、学校の文化、小学生の文化、農村の文化、サッカーの文化、Jポップ文化……】


【この意味での「文化」を考えるには、その文化に縛られる「集団」を設定する必要があることに注意。】


[5]文化というのは、ごくおおざっぱに言って、われわれの物の見方や行動の仕方、お互いとの関わり方やコミュニケーションの取り方にみられる、ありとあらゆるパターンのことだ。それらのパターンは、われわれが使う言葉や、その他のコミュニケーション方法——身振りや表情、絵画、文章、建築、音楽、ファッション、食事といったもの——を通して、世代から世代へと受け継がれていく。(Osborneほか Sociology for Beginners、p.142、訳は内田)


【もちろんそうやって受け継がれていく行動パターンや価値観としての文化は、決して固定されているわけではなく、世の中の動きにつれて、少しずつ移り変わっていきます。】


【逆に、人々の行動パターンや価値観としての文化が変化することで、世の中が動く場合も、あるわけです。】


[6]「文化」はもはや単なる【第一の意味の、芸術や知的活動の産物といった】「文化」ではなく、政治、経済、社会、歴史といったさまざまな領域が交錯する重要なカテゴリーとして理解されるようになったのである。(上野ほか『カルチュラル・スタディーズ入門』p.31)


【というわけで、「文化を研究する」と言う場合の「文化」は、基本的には第二の意味(ある集団の行動パターンや価値観)なんですが、いざ文化について考えだすと、第一の意味(芸術や知的活動の産物)はいろんなところで絡んできます。】


【なお、今回の講義では深入りしませんが、明治・大正期の日本において、「文化」という概念が「文明」「教養」といった概念と絡み合いながらどんな変遷をたどったかについては、教科書の第8章(林正子「近代日本における〈文化〉の誕生」)を参照のこと。】


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【さて、自分たちの文化を研究するには、何をすればよいのでしょうか?】


[7]日常生活の自明性に対して距離をおき反省的にとらえる良い方法は「異邦人の眼で見る」ことだ。(野村『社会学感覚』p.44)


【当たり前のことに、あえて「どうして?」と言ってみる。】


[8]異邦人ないしよそ者は共同体・集団・社会の中心的価値観をもたないため、しばしば常識・クリーシェ【月並みな考え方】・ステレオタイプ【固定観念】に対抗する視点を提供する。よそ者は本質的に、人びとがあたりまえとみなしているほとんどすべてのことに疑問符をつけざるをえない存在なのだ。その結果、異邦人は自明性におおわれた日常生活から、そのもともともっていた原理的な意味を人びとに気づかせる力をもつ。(同書、pp.44-5)


[9]「異邦人の眼で見る」ことはいわゆる「異文化間コミュニケーション」(intercultural communication)を自分たちの社会や集団に適用することである。通常、異文化間コミュニケーションという概念は、キリスト教圏の人がイスラム教圏の人に出会うといった状況に対して用いられる。しかし、わたしたちが新入生として・新人として・新会員として未知の組織や集団に加入するとき経験するめまいのような当惑はまさしくカルチャー・ショックであって、異文化間コミュニケーションのはじまりを意味しているのだ。(同書、p.45)


[10]文化の法則を発見するときに、最も有力な手がかりとなるのは、一人一人に備わった好奇心である。都合の良いことに、何に好奇心を持つかは人によって異なる。学術性は、この好奇心を突き詰めていくと生まれてくる。(中川『文化の法則を探ろう』p.30)


[11]法則がなかなか見つからないと思うときには、その現象に空間的な側面はあるか、時間的な側面はあるか、集団的な側面はあるか、と疑問を投げかけてみるとよい。そして、あるパターンが見つけられたら、そのパターンの要因を説明したり、その現象の自分にとっての意味を考えたりすることができるだろう。その後に、自分なりの応用を考えてみることが有益になるのではないだろうか。(同書、pp.28-9)


【文化的な現象に疑問を投げかける(なぜこの場所で/なぜこの時期に/どんな人たちが?)→その現象にみられる何らかのパターンを発見する→パターンの要因を説明する→そのパターンを自分なりに応用する】


[12]【文化の法則を探ることが、いろんな学問の入口になる。】
 学問分野が存在するのには、理由がある。中学や高校で社会科を学ぶときには、地理、歴史、公民などといった科目があるが、そのような区分には、学者たちが、社会的な現象を扱うために、空間的(地域的)に扱ったり、時間的(歴史的)に扱ったり、系統的(政治、経済、社会など主題的)に扱ったりすることが便利だと考えたからである。
 このような区分がどのように役立つかを考えてみよう。たとえば、プロ野球という社会・文化現象を空間的に見ると、プロ野球の地域差が見えてくる。日本とアメリカ、ラテンアメリカ、台湾、韓国などで、プロ野球が同じというわけではない。そのような空間的な違いや共通性を扱うことに長けている学問が地理学である。
 では、プロ野球を時間的(歴史的)に見ることも可能だろうか。日本のプロ野球がどのように生まれ、どのように変化してきたか。セリーグとパリーグにはどのように分かれたか、分かれた後、どのように変化し、どのチームがどの時代に強く、どのようなヒーローが現われてきたかを見ることができる。このようなアプローチを得意とする学問が歴史である。
 系統的にプロ野球を見ると、さまざまな側面が浮かび上がってくる。プロ野球と政治、プロ野球と経済、プロ野球と社会集団など、列挙すると限りがない。それぞれの側面を学ぶ上で役立つ学問分野が、政治学、経済学、社会学などである。
 このような区分が、自分の視野を広めることに利用できるならば、利用しない手はない。法則といっても、空間的にも、時間的にも、系統的にも発見できるのだ。(同書、pp.22-3)


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【途中ですが授業計画など。内田が担当する第4回までの内容は次の通りです。】

【第1回(今日):文化を研究するとは、たとえばどういうことか】

【第2回(来週):教科書の吉田論文・洞澤論文を読んで「他者の不在」と「現実感」を考える】

【第3回:文化現象としての「書物」について】

【第4回:文化研究の現在——カルチュラル・スタディーズについて】


【内田の専門は18世紀イギリス文学ですが、この講義との絡みから言えば、「本を読むのが苦手な文学研究者」の立場で文化についてあれこれ考えている、と自己紹介したほうがいいかもしれません。】


【ちなみに、ほかの授業担当者二人は、それぞれこんな立場から、文化を研究しています。】


[13]文学における素材、もしくは題材としての自然美——風景——の果たす役割の重要性については、今さら論ずるまでもなかろう。しかしその認識や受容のあり方について言うならば、国家或いは民族等、その文化的背景の違いによって様々な形態が存在し得ると考えられる。(松尾幸忠「中国の歌枕——『詩跡』——を通して見た日中文学的風土の違い」【つまり教科書の第7章】p.175)


[14]英語に限らず【若者の間での】日本語によるコミュニケーション不全は既に多くが指摘するところだが、それだけに、私たちは普段意識することのない「ことば」や社会・文化といったものを考慮に入れた上で、コミュニケートする主体の育成に外国語の学習がどのように関与できるのかという観点から外国語教育を設計するべきではないだろうか。(杉野直樹「外国語習得環境としての日本社会」【つまり教科書の第3章】p.75)


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【さて、ここからは、文化研究の一例として、たとえば「デパート」という文化現象を考えてみましょう。】


[15]なぜか、昔からデパートが大好きなのである。とにかく、何の用事がなくとも無料で中に入れて、好き勝手に商品を見てまわれるところが素晴らしい。(鹿島『デパートを発明した夫婦』p.7)


[16]あのバーゲン・セールというものほど、不思議なものはない。バーゲン・セールにいくと、何の購買欲もなかった人でも、ただ、安いというだけで、眠っていた欲望をかきたてられ、両手で持ちきれないほど買い込んでくるはめになるからだ。(同書、p.9)


[17]だが、ここで冷静になって考えてみると、デパートのこうしたさまざまな驚異を驚異として感じているのは、もしかすると日本で私だけなのではないかという気がしてくる。すなわち、大部分の日本人は、デパートとはこういうものだと初めから決めてかかっているので、ことさら感動するわけはないのである。(同書、p.9)


[18]しかし、日本で当たり前と思っていることも、いったん外国に出て、異邦人の目で眺めてみると、決して当たり前ではないことがわかってくる。(同書、p.10)


[19]ブラチスラヴァ【スロバキアの首都。鹿島氏が訪れた1980年代の初めには、共産主義体制だったチェコスロバキアの第二の都市】のデパートでは、客を引き寄せるための工夫やディスプレイは一切なく、ただただどんなものでも何か商品を置いておけば、あっというまに行列ができて売れてしまうのだから、集客戦術などは想像だに及ばぬものなのだ。もちろん、バーゲン・セールなどは言うも愚かである。(同書、p.10-1)


[20]絶対的にもののない社会では、高かろうが悪かろうが、ないよりはましということで買うのであって、争うように買うという現象は同じでも、その意味するところはまったく異なっているのだ。(同書、p.10)


[21]デパートとは純粋に資本主義的な制度であるばかりか、その究極の発現である……。なぜなら、必要によってではなく、欲望によってものを買うという資本主義固有のプロセスは、まさにデパートによって発動されたものだったからである。(同書、p.11)


【ここで話はデパートの起源、十九世紀半ばのパリに飛びます。】


[22]十九世紀前半までのフランスの商店では、入店自由の原則がなかったばかりか、出店自由の原則もなかった。つまり、いったん商店の敷居を跨いだら最後、何も商品を買わずに出てくるということは許されなかったのである。おまけに、商品には値段がついていなかったから、客は、できるかぎり高く売りつけようとする商人と渡りあって、値段の交渉までしなければならなかった。(同書、p.15)


[23]その頃はパリ市内でも、交通が不便だったうえに、歩道も整備されていなかったから、高価な自家用馬車を有する上流階級以外は、買い物といっても、歩いていける区域にかぎられ、近所に一軒だけしかない店で必要最小限のものを揃えるほかはなかった……。そのため、商店同士の競争というものはほとんどないに等しく、当然、店には客を呼び込むためのディスプレイや顧客サービスも存在していなかった。(同書、pp.16-7)


【そんな状況から、われわれにとって当たり前の「デパート」はどうやって生まれてきたのでしょうか。】


[24]一八四〇年には「マガザン・ド・ヌヴォテ(最新流行雑貨店)」が誕生する。シルクやウールで製造した服、ランジェリー、グラブなどをあつかう総合商店だが、ここから……低価格大量販売をめざす新しい経営者が生まれてきた。店内の見物は自由、そして定価販売、さらに重要なのは「満足しなかったら返せる」ことが、大きな革新となった。これは、しかし生産の変化とも関連している。産業革命によりギルドとは異なる量産工場がつくられるからだ。大量買い付けにより仕入れ値を安くする経営戦略の結果でもあった。(荒俣『奇想の20世紀』p.206)


【世界初のデパート〈ボン・マルシェ〉の登場】

[25]一八五〇年代の初めにブーシコーという人物が出てきます。これはフランス十九世紀のデパート王なんですが、いまで言うデパートメント・ストアを【世界で初めて】一八五二年につくる。本格的デパート、ボン・マルシェにこれが発展していったのが、正式にいうと一八六九年です。最初、大きな衣料メーカーができて、衣料品だけのデパートメントだったのが、六九年くらいから本式にいろいろな雑貨を入れ始めて、いまのデパートメント・ストアになってくる。(高山『パラダイム・ヒストリー』p.145)


[26]デパートは大変いろいろな近代的な革命の結集した地点なのです。(同書、p.150)


[27]まず、フランス革命の影響が出た大変政治的な空間だと思います。……。誰でもが、お金持ちだろうが何だろうが、自由にお入りください、ということをやったわけですから、これはものすごく当たった。つまり、フランス革命の理念【自由と平等!】を実際にやってくれる非常に身近な空間ということで、これが流行る。(同書、p.150)


[28]それから、産業革命が人口の都市流入という現象を起こして、これもデパートにとっては都合がいい。また産業革命は商品を出してくれるから、これはデパートにとってはなくてはならない。それから余暇というもの、レジャーというものを生み出してくれました。(同書、p.154)


[29]それからフランス革命後、ブルジョアが出てきます。お金を持って、買ってくれる購買層というのが出てきたわけです。それから大衆という観念がやはりフランス革命で出てきました。とくにご婦人ですね。しかも余暇が出てくる。これはさっき言ったように、産業革命のほうから出てくるわけです。大衆が出て、ブルジョアが出て、婦人が出て、余暇ができるというと、もうこれはデパートが出てこざるをえないわけです。(同書、p.152)


[30]売るために視覚的な効果を考えて商品を見せるだけではなくて……これは劇場なんだ、一種の演劇的な空間なんだ、というイリュージョンのつくり方をものすごくやるわけです。(同書、p.166)


[31]ボン・マルシェの中央の吹き抜けのことを「大殿堂」と呼びますが、あれは演劇の空間のことなんです。客はみんな買物に行くのじゃない。着飾って、「見られる」ために行く。オペラ座の吹き抜けと絵で比べてみれば分かりますけれども、構造的にはまったく違わないんです。(同書、p.166)


[32]大きなデパートへ行けば分かりますが、入口で必ず巨大な空間に対面させる。ようするに、客がそれまで持っていた外の世界の間尺というか、スケールをどこまで壊してしまうかというテクニックの問題です。中へ入ってしまうと、寸法だけではなくて、値段のスケールのこととか、全部が徐々に、徐々に狂っていく。(同書、pp.166-7)


[33]衝動買いというのは昔は考えられないことです。お金もないし。ところがボン・マルシェで衝動買いというのが起きる。なぜかというと、これは分類の詐術なんです。ある物を買うでしょう。すると横に似たようなものが並んでいる。そうすると、これも買わざるをえなくなる。売るほうは、買わざるをえないように並べないといけないわけです。(同書、pp.170-1)


[34]そういう配列の一種のテクニックが重要になるという意味では、それは博物館の管理者のオーダー【陳列】感覚と全然違わない。ただ、コマーシャライズする【商売にする】かどうかの違いにしかすぎないのです。(同書、p.171)


[35]見ること、分類すること、展示することの三段階に加えて、買うことができるというのは、十七、十八世紀の博物学の文化をそっくり商法にかえたものなのである。(高山『奇想天外・英文学講義』p.187)


【デパートは展示品の買える博物館! デパートと博物学・博物館・博覧会とのつながりは重要です。】


[36]ブシコーという魔術師の登場により、〈ボン・マルシェ〉に行くことは、まるでディズニー・ランドにでもいくような、胸のわくわくするファンタスティックな体験となり、買い物は、必要を満たすための行為ではなく、自分もスペクタクルに参加していることを確認する証[あかし]となる。(鹿島『デパートを発明した夫婦』p.69)


[37]極端な言い方をするなら、買いたいという欲望がいったん消費者の心に目覚めた以上、買うものはどんなものでもいいのだ。まず消費願望が先にあり、消費はその後にくるという、消費資本主義の構造はまさにこの時点で生まれたのである。(同書、p.70)


[38]では、ブシコーは、商品と祝祭空間の結合による潜在的消費願望の掘り起こしというこうした手法をどこで学んだのだろうか。それはいうまでもなく、第二帝政下に二度、一八五五年と一八六七年に開催されたパリ万国博覧会である。(同書、p.70)


[39]万博の「事物教育」は要するに「贅沢の民主化」教育だった。世紀末は消費の沈滞に悩むどころか、これまでにない消費熱に火をつけた時代だったのである。一八八六年に新館オープンとなったオー・ボン・マルシェはじめ、デパートが繁栄してゆくのがこの時代。見る者の想像力のニーズに訴えかけ、「必要」を超えて「夢」を売るデパートの販売戦略は構造的に万博の商品の祭典と同一である。(山田『ブランドの世紀』p.92)


[40]【十九世紀の万国博覧会を解く鍵は、「帝国」「商品」「見世物」です。】
【近代国家が威信をかけて最新の産業技術と植民地からの珍しい物産を展示する】博覧会は、帝国主義のプロパガンダ装置であると同時に、消費者を誘惑してやまない商品世界の広告装置である。そしてそれはまた、多くを近世以来の見世物から受け継いでもいたのだ。(吉見『博覧会の政治学』p.24)


[41]【明治時代には、そんな「博覧会」と、少し遅れて「デパート」が日本に入ってきます。】
展示されたモノを、……相互に比較し、有益の品と無益の品を選別していくこと。明治国家が内国博【明治時代を通じて開催された内国産業博覧会】にやって来た民衆に要求したのは、まさにこうした比較・選別するまなざしであった。(同書、p.126)


【見て、比べ、選別するまなざし——われわれが普段当たり前のように使いこなしているまなざしですな。】

【選別するためには、何が上質なのか、いま何がイケてるのか、という基準が必要になります。】

【というわけで、デパートから生まれたもう一つの重要な文化現象——「流行」について考えてみましょう。】


[42]【それまでの小売店と「デパート」とを明確に隔てるもの】
ひとことでいえば、それは、デパートで買い物をすると自分のグレードが一段アップしたと感じられるような贅沢品、あるいはこの品物を買うためなら自分を投げ出してもいいと思えるような官能性を持った超高級品を品揃いの中に加えることができたか否かにかかっている。(鹿島『デパートを発明した夫婦』p.93)


【だって、欲しいんだもん!——生活に必要だから買うんじゃなくて、自分をグレードアップさせたいから買う、という消費行動が生まれます。】

【このあたりで、第一の意味の「文化」(なにやら上質な雰囲気)と絡んできました。】


[43]【近代以前の、】個人のアイデンティティが身分や職業といった社会的な枠組みに依存していた時代には、身を飾る必要はあまりなかった。……。そのような社会においては、モード現象【つまり「流行」】が全社会的な現象になることはむずかしかった。(北山ほか『現代モード論』p.77)


[44]【デパートが誕生した十九世紀半ばには、】ブルジョアの婦人というのはどういう余暇を過ごすべきかというところで困っていたのです。(高山『パラダイム・ヒストリー』p.152)


[45]理想的なアッパー・ミドル【中産階級の上のほう】の生活を隅々にいたるまで実現するには、これこれの家具や食器類を揃え、これこれのカジュアル・ウェアを身につけ、これこれのヴァカンス用品を購入しなければならないというように、具体的なライフ・スタイルを中産階級の消費者に教育してやる必要があるのだ。なぜなら、彼らはまだ何を買うべきかを知らず、しかも、それが買うことができるのも知らないからだ。消費者に、到達すべき理想と目標を教え、彼らを励ますこと、これが〈ボン・マルシェ〉の、ひいてはデパートすべての任務となる。(鹿島『デパートを発明した夫婦』p.105)


【かくしてデパートは、上質なライフスタイルを教える「学校」となるわけです。】


[46]人々は自分より上位の人の真似をしようとし、下位の人からはなるべく遠ざかるような、さまざまな工夫を衣服に凝らすのである。いずれにせよ、ここに上昇エネルギーの存在を認めることは容易だろう。(北山『おしゃれの社会史』p.321)


[47]モード【流行】はエリート文化を体現する一定のモデル形態を、社会の上昇エネルギーを利用して下へ下へと広げていく。こうして社会の広範囲の人々に自分たちもこのモデル(エリート文化)を共有しているかのごとき幻想、すなわち社会全体が平準化、平等化されたかのような幻想を与える。(同書、pp.330-1)


[48]【ブシコーは、その文化戦略の一環として、店内でコンサートを開き、常連客を無料招待します。】
〈ボン・マルシェ〉のクラシック・コンサートは、いってみれば、中産階級が買えるように価格を下げたクラシック・ミュージックのバーゲン品だった。だが、たとえバーゲン・セールの衣料品でもそれによって火がついた中産階級の購買願望が歯止めをうしなったように、いったんクラシック・コンサートで上流階級のテイストを覚えた彼らの文化的上昇願望がとどまるところを知らなくなる日はそれほど遠くはない。そして、もちろんこの二つの願望がたがいに相手をリードしあう中から、高度消費社会が生みだされてくることになるのである。(鹿島『デパートを発明した夫婦』p.139)


[49]【さらに〈ボン・マルシェ〉は、すべての商品のイラストが入った分厚いカタログを希望者に無料で郵送し、通信販売を始めます。】
ひとことで言えば、〈ボン・マルシェ〉のカタログはモダン・エイジのライフ・スタイルを教えてくれる教科書、つまり「ポパイ」や「Hanako」の元祖として、準アッパー・ミドルの階級の者たちにもっとも熱心に読まれていたマガジンだったのである。(同書、pp.154-5)


【もっとかっこよくなりたい! という欲望が、人を消費に駆り立てるのです。】

【センスのいい自分、上質な自分を目指して、ファッション、音楽、旅行、資格、英会話……。】


【上質を知る人/一般大衆、イケてる/イケてない……。高級文化も流行も、序列化や差別と骨がらみです。】


[50]モードは、その巧みな階級化メカニズムによって、不断に差異構造を更新していく現象でもあった。いうまでもなく、エリート文化は一般大衆との差、つまり稀少性をその本質的価値としていた。したがって一般化したモデル形態はすでに価値の下落した、似て非なるコピーだった。(北山『おしゃれの社会史』p.331)


[51]きらめくものは——ブランドはと言いかえてもいいが——希少でなければならない……。大量化してゆくと、それらは陳腐化してオーラを喪失してしまう。ブランドがブランドであり、魔術性を保ちつづけるには、あくまで希少性を保ち、一部の特権階級のものでなければならない。( 山田『ブランドの世紀』 pp.79-80)


[52]大衆の手に届かないものであること、それがモードの、そしてブランドの条件なのである。(同書、p.80)


[53]こうして真のモデルは永遠に逃げ去っていく、決して捕えることのできない点と化し、追いすがる者との距離を常に保つことに成功した。この点では、モードは上流階級の特権維持にきわめて有効かつ不可欠の手段であったのである。(北山『おしゃれの社会史』p.331)


[54]平等主義と自由主義【「どなたでもご自由にお入りください」「ご自由にお選びください」】をその存在原理として発達した近代の消費社会は、一方で、ここで述べたような中心的価値への志向性(模範意志)を原動力として作用していた。まさしくこの点に近代社会の本質的矛盾があったのである。(同書、pp.336-7)


【デパートについて考えていたら、いつの間にか「近代社会の本質的矛盾!」なんて話にたどり着いてしまいました、文化研究には、そういう面白さがあるのです。】


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【この講義の教科書】

●末永豊・津田雅夫編著『文化と風土の諸相』(文理閣、2000年)


【その他、今日の講義で使用した文献】

●荒俣宏『奇想の20世紀』(NHK出版、2000年)

●上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書、2000年)

●鹿島茂『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書、1991年)

●北山晴一『おしゃれの社会史』(朝日新聞社、1991年)

●北山晴一・酒井豊子『現代モード論』(放送大学教育振興会、2000年)

●高山宏『パラダイム・ヒストリー』(河出書房新社、1987年)

●高山宏『奇想天外・英文学講義』(講談社、2000年)

●中川正『文化の法則を探ろう』(三重大学出版会、2000年)

●野村一夫『社会学感覚〔増補版〕』(文化書房博文社、1998年)

●山田登世子『ブランドの世紀』(マガジンハウス、2000年)

●吉見俊哉『博覧会の政治学——まなざしの近代』(中公新書、1992年)

●吉見俊哉『思考のフロンティア カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店、2000年)

●Osborne, Richard and Van Loon, Borin, Sociology for Beginners, (Cambridge: Icon Books, 1996)


(c) Masaru Uchida 2001
ファイル公開日: 2004-01-07

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