10年代の始まりは雪の下

  この正月は、予想に反して、大雪の元旦から始まりました(善モ悪モミンナ雪ノ下)。雪がしんしんと降っていると、結構寒さよりは「あたたかさ」のようなものも感じられるので、不思 議です。それ以降も、かなり雪が舞いましたが、それでも自家用車で運転して大学に通勤できなかったことはなかったので、道路はそれほど運転できないほど悪 くはなかったのは、幸いでした。仕事始めは、公式には4日からでしたから、あっけない正月休みでしたので、何か休んだ気がしない。それに輪をかけて、9日からの土 曜週末は3週続けて仕事があり、6年ぶりの放送大学の対面授業で土日がまるまる潰れたり、緊張感の高まったセンター入試の監督の仕事があり、推薦入試の仕 事も入っておりました。
  寒い雪の下で生き続ける草木のように、ひたすら耐えている、という感じです。特に、あまり効果のはっきりしないセンター 試験の英語のリスニングのテストの監督という仕事は、賽の河原の如し、です。リスニング用のICプレーヤーの不具合が一番気になったところですが、幸い監 督した教室や学部全体でも再テストになるケースはありませんでした。しかし、全国では、今回のようにプレーヤーが改良されても300件ぐらいの不具合が出 たようですし、昨年の400件程度よりは若干の改善が見られたに過ぎず、プレーヤー製品の歩留まりの劇的な改善は、今後もほとんど見込めないでしょう。こ のリス ニングの試験が続く限り、無駄なストレスの多い仕事が続きます。そろそろ、今までやってきたリスニングの試験の効果がどうであったのか、という評価を聞き たいところです。入ってきた学生を見ると、相変わらずだなぁ、という気はしていますが・・・。
  しかし、まる2日間、朝から夕方までの放送大学の対面授業は、ほとんどずっとしゃべり続けですが、さほど疲れは ありません。やはりやる気のある様々な年齢の受講生の中で、いろんな質問を受けながらやっていく講義は、楽しいものです。一方的な講義ほど、虚しいものは ありません。「教えるとは希望を語ること」(アラゴン;ストラスブール大学の歌 より) ですから、語り合い、つまり発信と受信が交互になければ、受講する方にとっても本当は身に付かな いでしょう。
 またしてもこのような経験をすると、大学での教育の本当の効果は?とクエスチョンマークが頭に浮かんできます。

 ところで、 雪の下、ユキノシタ、という植物がありますが、小さなうちわのような形で赤紫色の混じった薄緑色の葉を持って、井戸や泉の横に茂っている印象があります。でもユキノ シタは、見た目は耐えるという感じの植物ではありませんが、名前からは将来の春を待って、過酷な冷たい環境を耐え忍んでいる、という感じを持ちやすい植物で、共感を覚えます。



 センター試験のリスニングテストの効果には、大いに疑問なのですが、大学教育の効果自体にも疑問はたくさんあるでしょう。昨年末に読んだ本の中に、河本敏浩著「名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉」 (光文社新書)がありました。納得できる点が多いのですが、その中に英語の学力低下のことが載っていて、本当に学生は学力低下しているのか、という疑問を 呈しています。1970年の東大の英語の入試問題と、2008年の英語の入試問題を比較して、明らかに2008年の英語問題の方が量的質的にレベルは上 がっていて、点数的にも2008年入試を受けた学生のほうが上であるので、今の学生は学力低下しているというのは、誤解ではないか、というものです。
  1970年というのは、私が大学に入学した69年と近いので、私の知っている問題とはそれほどレベルの違いはないでしょう。その頃から比べ、40年近く 経った現在の受験技術のレベルは当然上がっており、様々な受験情報が豊富に受験生に流れているわけですから、入試問題のレベルも上がっていないといけませ んし、同じ土俵での比較はできません。現在の入試問題の方が(英語や数学に関しては)レベルが上がっていて当然なのです(他の科目はいざ知らず)。ですか ら、たった40年か50年くらいで人間の同じ年代の、本質的な学力というか「能力(脳力)」のレベルというものが上がったり下がったりするものではなく て、あまり変わっていないと考えるべきでしょう。
 問題は、大学に入学したあとに起こる、一部の(2~3割の)学生に見られる「学力の低下」なのですから、結局は大学での「教育制度」の問題なのであって、高校までの問題ではないのだろう、とは思います。これは、先の河本氏の主張に同意するものです。
 
  それにしても、このような教育の効果とか、研究の経済効果とか、「効果」を判断し評価するのは難しいものです。昨年に話題になった「事業仕分け」において も、科学技術投資などの日本の経済発展への「効果」が評価されていたわけですが、厳しい仕分けの議論があっても結局は平成22年度の予算としてはさほど減 らされてはおりませんでした。あと数年後にはこの仕分け議論の効果が現れてくるのではないか、とは思います。

 ところで、この国の経済発展の指標としては、GDPが使われます。Gross Domestic Product 国内総生産 ということです(生体分子のGuanosine Di-Phosphate のことではありません)。昔はGNP(国民総生産)というのも使われていましたが、最近はGDPです。GNPでは、海外に拠点をおいた国内メーカーや日本 人個人など海外での活躍が反映していて、純粋に国内での生産性を見るにはGDPがふさわしいからです。例えば、研究者の研究業績を測るのに原著論文数があ りますが、ある大学ある学部の研究生産効率を測るのに、所属する各研究者の論文数を足し算して数値として示すことがあります。この場合、その組織において 純粋に行われた研究に基づいて出された論文の数が、GDPに対応し、論文に共著者として名前は入っていても主体は他の組織で行われた研究による論文の場合 それらを含んでカウントしている論文数が、GNPに対応すると考えても良いでしょう。その組織の「研究力」を測る物差しとしては、本来は「GDP」に対応 した指標を考えるべきであるとは思います(トップオーサーがその組織に所属したものであるかどうかで)。
 ある政策が効果があったかどうか、というのを測るために、その政策、例えば民間企業の設備投資額や、応用研究への科学技術予算の投資額が、経済発展に、即ちGDPの上昇にどう寄与したのか、を測ることがあります。GDPの上昇には、一番、政府支出が影響を与えることが分かっていますが、その中でも、科学技術予算への支出がどのように効果を発揮したのかを知る必要があります。今月初めの日経ネットに載った、原田氏の論説に、面白い分析が紹介されていました。そこでは、日本でのGDPの推移と、科学技術予算の推移が比較されていました。そこで原田氏は、「研究支出が増大しているにもかかわらず、設備投資もGDPも伸びなくなっている。しかも、90年代、特に伸びているのは採算性を期待される研究費である。研究費を伸ばしても成長には結びついていないのである。」ということを云われています。また、「科学技術研究が経済成長をもたらし、私たちを豊かにするかどうかは、それほど明白ではない。むしろ、物質と宇宙の本質に迫るのは素晴らしいことだと国民に訴えて、予算を要求すべきではないだろうか。」とも指摘されています。確かに、そのデータからはそうとしか言えないように思えます。
 そのデータからは、民間企業の設備投資も、成果が期待されている研究予算(つまり採算性の期待されている何十億円もの大型研究予算を含む科学技術予算)も、GDPの変化とは相関していない、というのが読み取れるのです。いやむしろ、反対に、採算性の期待されていない研究予算(つまり基礎研究への科学技術予算)の変化の方が、GDPの変化と良く相関しているように見えるのです。
  まあ、これは、解釈はいろいろありうるでしょうが、要するに経済は複雑系・非線形である、投資が期待した結果に結びつくかどうかは、明確ではない、という ことを言っているに過ぎないのかもしれません。でも、このように数値化できるというのは、多くの人が判断して評価する上で重要なことなのでしょう。
 いろんな機関が大学評価をしており、毎年国際的な比較としての大学ランキングが 発表されますが、その指標が計算される由来は明確にされている例(計算式)を残念ながら知りませんし、その妥当性の議論も聞いたことがありません(少なく とも「教育」を、教員の数と学生の数とその比だけで評価するのは乱暴でしょうが、そういう指標しか、そのランキングにおいては使えない)。でも、特に大学の執行部はそれに一喜 一憂しています。指標を明確にした、GDPに対応する、大学の「研究教育生産性指標」(Gross Research and Education Product; GREP)などいうもの、世界の共通した指標を作ることが必要な時代になっているではないか、と思います。どう作るかは、まだ明確ではありませんが・・・。
 そして、「学生による授業評価」「教養教育の充実」「JABEEの導入」などがそのGREP値の上昇にどう貢献しているのか、いないのか、できることなら、判断できるようになるといいなと思っています。

(2010.01.31 59回目の誕生日)