予想する癖

 先月は、予言という話題を少し取り上げましたが、地震の予言は困難という常識がありますから、先月のようにネパール大地震が予言の日より2週間遅れると、普 通は「それ見ろ、外れただろ。」となることで気持ちが落ち着くわけです。しかし、考えようによってはこんな1ヵ月以内の誤差で大地震の発生を予想したのなら、 それはもう、当たった、と言っても良いのではないか、とも思います。確率論から言えば、おおよそ的中率80%ぐらいで当てたとも言えるのかもしれないわけです から、かなり高いとも言えます。
 このように、人間は、将来に対して自分も含め社会生活の状況を予想する、という癖があり、そのことにより現在の行動を計画することができます。多かれ少なか れ、人間は予想しながら日々の生活を過ごしているわけです。天気予報などがその典型であり、最近の気象科学と気象観測技術の発達で、数日ぐらいならほぼ正しく 大方の天気を予想してくれますが、1ヵ月先となると、地震ほどではないですが当たる確率は低くなります。

 このことと関連しますが、最近東野圭吾氏が新しい小説「ラプラスの魔女」 (KADOKAWA)を出 版しました(5月15日発売)。昨年教養教育推進センターから出版されたブックレットに私も寄稿したのですが、そこで「東野圭吾を読んでみよう」 と呼びかけた手前、これに触れないわけにはいきません。しばらくぶりの新刊だったので、彼の小説に少し飢えておりましたのですぐ買って2日で読了しました。そ して、この小説のテーマの一つが、「ラプラスの悪魔」的な予想能力をもった女の子はどのように事件を解決するか、というものでした。確かに今までの東野圭吾的 な内容とは毛色が少し違いますが、どちらかと言えば森博嗣の小説に近くなったのでは、とも感じました。読む前から、タイトルから想像するに「そのような話」で はないかな、と予想したのですが、大体は当たりだったようです。それに、空気の流れとか自然の風の動きを予想するというのはスパコンによる計算のテーマではあ りますが、人間の脳でも場合によっては訓練次第でそのような能力は獲得できるかもしれない、という思いはあります。ですから、出版社がこの小説「ラプラスの魔 女」を空想科学ミステリー、と銘打っていますが、あながち空想ではないの ではないのかな、と思っています。将棋の羽生善治的先を読む力と、空気を感じる皮膚センサーの高度な能力を、脳の統合力をフルに使って展開できれば、感覚とし て「風の流れを観ること」が可能な人間がいても不思議ではない、と。
 昔の医者は(といっても千年以上昔の名医と言われる人)、手の脈を触診しただけで複雑な体の状態、何種類もの病気の状態を当てたと言われています。これが本 当なら、この能力は「風の流れを読む」以上の能力でないとできないことだと思います。また、先日、NHKのテレビ番組で「超絶 凄ワザ!」というのがあります が、そこで手だけで完全球体(ほぼ真球)を作ることのできた職人が紹介されいました(若い日本人)。手先の感覚だけで、微細な凹凸を感じ、球体に磨き上げてい くこ とができるんだ、というのを目撃したわけですが、人間の手先のセンサー能力というのは本来凄いものなのだ、というのを思い知りました。鍛えればできるんです ね、本来人間というのは。それだけの能力を持った細胞集合体、37兆個の細胞の集合体が人間ですから、途方もなく複雑な系なのに、破たんもせずに数十年も生き 続けられるというのも、考えようによっては奇跡に近いことですし、1個の細胞そのものがセンサーであり、たった17原子量の差しかないNaイオンとKイオンを 区別す る能力ももっているわけですから、凄いものなのです。
 これらを考えると、もっと人間本来の体と脳の能力を見直そう、と思いたくなります。
 

(2015.05.28)