ホワイトクリスマスかと思いきや…

 クリスマス週間が始まるころに、タイミングよくかなり雪が降りまして、市内も例年になく「クリスマスらしい」景色でした。しかし、あとちょっとのところで、結局24日まではもちませんでしたね。25日にはほとんど消えてしまいました。

ここ数年は「らしくない」クリスマスを迎えることが多く、昔はごくありふれたことでも、最近は珍しい、ということになります。金曜日の夕方から降り始めた雪が土曜日の夜まで降り続いている、などというのはあまり最近では経験がなかったような。それでも地面がまだ冷え切っていないせいか、道路にはあまり積もらず、日曜日の昼ごろには普通に車で買い物ができるくらいにはなっていました。

 その雪降りしきる20日の土曜日の夜には、サラマンカホールでM.ゲルネ(バリトン歌手)の「冬の旅」演奏会が催され、聴きに行ったのです。雪の降りしきる時に、このような「冬の旅」の素晴らしい演奏を聴けたのは、雰囲気もよく心に染み入り、実に幸いなことでしたが、帰りの道路は一部凍結していたところもあり、おっかなびっくりでした。鏡島大橋の欄干に突っ込んでいた車があったくらいで…。

それにしても、ゲルネの素晴らしく良く響く中音から低音部の歌声は感動ものでしたし、表情豊かに歌い上げる「冬の旅」はその寂しさ切なさが良く表現されていたと思います。80分ぐらいをほとんど休みなく歌い切ってしまう、というそのタフさにも感心しました。あとで「泣く子も黙る」フィッシャーディスカウとブレンデルによる「冬の旅」のCDを聴き直しても、ゲルネの中〜低音部の声の張りはいいなぁ、と感じました。私たちには素晴らしいホワイトクリスマスのプレゼントになりました。演奏会が終わってからもサイン会があり、彼の「水車小屋の娘」のCDにサインしてもらってきましたが、これもサラマンカならではの素晴らしい計らいでした。

 そのゲルネの歌う「水車小屋の娘」を聴きながら、この1年を振り返ってみると、これから大きな曲がり角に向かっているんだなぁ、と感じます。社会にとっても、大学にとっても、人々の意識の上でも、です。ある新聞の書評欄に、この1年の出版界は「養老旋風」が吹き荒れた、と出ていました。5月に、ネット大学に養老先生をお招きして講義をしていただいてからしばらくして、あの「バカの壁」本がミリオンセラーを記録するほど売れまくり、一大ブームが起こり、今も続いているようです。ごく最近では、そのネット大学の講義で養老先生がお話になった「スルメを見てイカがわかるか!」ということを表題にした本(ソニー研の茂木さんとの対話が主体)も出たりしています。

昔は彼の「唯脳論」で小さなブームはありました。しかし、これほど「毒」のある本がどうして読まれるのか、若干不思議ではあるのですが、世界の見方や切り口が面白いので世の中の閉塞感を少し、はすに構えて捉えなおさせてくれる、というところに共感を覚えるのかもしれませんね。声高に「自由」や「正義」を唱えているものが、別のところで堂々と「自由」や「正義」を奪ってないがしろにしていく、そんなイカガワシサも、圧倒的な一極集中の前では、はすに構えて横目で見るしか方法がない。

 バラバシのネットワーク理論から言うと、集中は自然な流れなのですが、この流れはどんどん進むと、しかしながらどん詰まりと崩壊への流れになるので、どこかでどうにかならないといけない。2〜3年でどうにかなるという話ではないですが、20〜30年ぐらいでどうにかなってしまう、と言うぐらいの話だと思います。一極集中もかなり度が過ぎると、その一極を支える基盤が弱くなり結局全体としては不安定になるのですから、適度な集中と、それを支える基盤が強くなるような物流と情報の疎通が、全体の安定とその維持にとって必要なんだと思いますよ。

 これから我々は大きな曲がり角を曲がって、どの方向に向かうのだろうか、という不安定なときこそ、今までにない新しいことが起こってくるときでもあるはずです。不安であると同時にワクワクするような、という感じかもしれません。大学界もそのような感じになるでしょう。不安のほうがずっと大きいとは思いますが。。。

詩人ミュラーは「冬の旅」の中で、『なんというばかげた欲求が荒野に僕を駆り立てるのか』『いまだかつて戻ってきた者のない道を僕は行かねばならぬのだ』『神が地上にいないのなら、僕たち自身が神になろう』と「さすらい人」である「僕」の気持ちを語っています。しかし、最後には「村はずれに立っている辻音楽師である変な老人に、一緒に行ってくれるのか?と問いかける」ことでこの「冬の旅」は終わり、さすらい人の孤独感を吐露しているようです。結局、「一極集中」者や「独裁」者というのはそんな心なんじゃないのかな、とゲルネの歌を聴きながら思うのです。

年末にここ1年の総括をしてみようと思うと、どうもここ数年はこのような暗い総括にならざるを得ない、というところが残念ですね。そのようなちょっと抽象的な心配事だけでなく、日本のロケット技術の失敗や頻発する医療事故や鉄道事故など、具体的な心配事はいくらでも出てきます。こういうのを引きずって我々日本人は今後も世界の中をさすらっていくのでしょうか?

ミュラーは、『この暗闇の真っ只中で自分で道を探さねばならない』と「僕」に最初に語らせています。人任せではなく、「自分で」するしかないのです。

とんでもないクリスマスプレゼントを貰ってしまいました。2425日に風邪を引いてしまったのですが、今回のは咳が酷くて熱も出て、後半には大量の鼻水も出る、というハットトリックなみのとんでもないプレゼント。それでも食欲はあるし、あまりしんどくも無いのがせめてもの救い。仕方ないので今年最後のゼミも忘年会も取り止めに。じたばたせずに、歌曲を聴きながらさまよう旅人の気持ちを思いやって、身体の様々な反応を受け入れて、見つめながら、2004年のことを考えることにします。

 

(2003.12.27)