災の年

 もうクリスマスです。暖かいです。朝は、車のフロントガラスにごく薄い氷結がたまに見られますが、昼はもう、ぽかぽか。昨年は、確か雪でした。ということで、気象異変(異常とは敢えて言いません)が続いています。2004年は、地震に、台風に、雷に、結構びっくりして、人間のちっぽけさを感じた1年ではありましたが、人間自身が起こす災いも多い年でした。

 人間由来の災いの最たるものが戦争。イラクだけじゃなく、まだ世界中色んなところで起こっている。戦争までいかなくても、暴力・殺人事件は後を絶たない。人間社会になってから一貫して起こっていること。人間の中にある狂気と正気。無くなる事はないらしい。だからこそ、対極にある、人間の希望や理性が輝ける。車にはアクセルとブレーキがある必要がある。脳神経にもあるアクセルとブレーキの機能をするシナプス。災があれば、福もある。凶暴な台風の荒れ狂った後には、輝ける虹もでる。このバランスをうまく取ろうとして、人間社会は発展し、制度を作ってきたわけ。このバランスは安定することはない。不安定だからこそ、ある周期性を持つ。人間社会は、できるだけ、その変位が小さいようにバランスを取ろうとしてきた。変位が大きいときは、全員が一斉に一方向へ流れることによって起きるとき。様々な意見や行動を許容できるときが、変位を小さくできるとき。昔のアメリカ社会は、それがうまくいっていたように思う。しかし、最近の日本やアメリカなどは、変位が、つまり、ぶれ方が大きくなってきた。だからだろうか、貧富の差も大きくなってきた。むしろ、EUは、なるべく変位を小さくするような制度を作った気がする。

 ま、こういうような、変動を我慢して受け入れるしかないよね。小さな変位に我慢できなくなって、大きく事を動かそうとするときが、不安定さを大きくして、一番大きな災いが起きるときです。

 周期的といえば、最近もリバイバルものが流行ってきているようですね。僕自身は、最近まで関心がなかった、「冬ソナ」。内容も良く知りませんでしたが、完全版が再放送されていて、見てみたら、なんだ、「君の名は」や「心の旅路」のリメイク版じゃないか、と思ったものの、やはりその作りは定法通りで、見事に見るものの心を捉えて見せますな(今頃、気付きました)。

中年女性の心を捉える手法(美しい映像、素敵な役者達、すれ違いによるハラハラドキドキの連続、三角関係、許されざる恋、記憶喪失と復元、など)は、「君の名は」や「心の旅路」と似ていますが、もう一つの面白さは、たぶん所々にちりばめられている哲学的な、というか教訓話のような、薀蓄のあるフレーズのあるおかげ、という気がしています。こういうのが、中年の琴線に触れる。しかし、特定の役者だけにこれほど人気が集中するのは、自然というよりも、ここまでくるとマスコミが煽って、様様様様とかいう名前を流行させ、変位を意図的に増大させたせいだという気がしています。

冬ソナ現象は、色んなところに災と福を同時にもたらしているようですが、まだ可愛い。2005年〜06年が変位の大きな災が起きないことを祈りたいですね。

しかしそれにしても、三谷幸喜の「新選組!」も同じように面白かったが、なぜ「現象」にはならなかったのだろうか?たぶん中年女性のこころをターゲットにしていなかったせいでしょう。沖田総司を主人公にして、たとえば帝の御落胤で、記憶喪失になった美青年の天才剣士などという設定での筋立てをしたものだったら(別のであったようにも思いますが…)、もしかしたら「現象」がおきていたかも。(冗)

 

(2004.12.25)